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カレリア地峡紛争の終結。
最終的にフィンランド政府が用意した落としどころ ―― レニングラード湾口の島嶼を4つ、ソ連に対して割譲する事で決着する事となった。
又、国境線を中心にフィンランドとソ連との間に約2kmの非武装地帯を設ける事でも合意する事となる。
カレリア国境線画定条約である。
同時にこの条約は、フィンランドとソ連の国境線に関する最終的解決を第1条に定める事となった。
国土を得られたソ連の戦果としての勝利であると同時に、今後の国土割譲を封じたフィンランドの政治的勝利でもあった。
尚、この条約締結に向けた交渉の際に、ソ連はフィンランドに対し不戦条約と並んで相互防衛条約、事実上の同盟締結を持ちかけた。
その対価は無論、ワルシャワ反共協定からの離脱(※1)である。
ソ連から国土を守ると言う意味ではフィンランドにとっても魅力的な提案ではあったが、国力を涵養する上で重要な協力関係にあるポーランドとシベリア共和国 ―― 日本連邦との関係を悪化させてまで行う利点が無い為、謝辞する事となった。
――ソ連
小なりとは言え得られた軍事的な勝利(慎重に、むさしに焼き払われた部隊に関する情報は隠蔽された)に、ソ連上層部は沸きあがった。
スターリンは陸軍上層部を揃えて笑顔でウォッカを振る舞った。
その上で、海軍に対しては改めて日本への対策を厳命した。
潜水艦と、カレリアで暴威を見せつけた戦艦むさしへの対応だ。
カレリアで振るわれた火力が、カレリアの指呼の地であるレニングラードで発揮される事を恐れたのだ。
ソ連海軍は建造中であった基準排水量65000tの戦艦、ソビエツキー・ソユーズ級の建造ペースを速める事を提案した。
現在、ソ連の各造船工廠にて6隻が建造中のソビエツキー・ソユーズ級戦艦の主砲は、発射速度こそ劣るものの口径では遥かに大きい
この為、2隻以上のソビエツキー・ソユーズ級で当たりさえすればやまと級にも対抗は可能であろうと言うのがソ連海軍の見立てであった。
だがスターリンはそれで満足しなかった。
洋上での会敵と戦闘を狙ったとして、やまと級がそれを忌避した上でレニングラードを狙った場合どうするのかという発想であった。
或は、探知しきれなかった場合への恐怖と言っても良いだろう。
快速を予定するソビエツキー・ソユーズ級ではあるが、公称30ノットを上限とするやまと級に全力で動かれては、追尾を回避される可能性もあった。
故に、スターリンはソ連海軍に数を揃える事を厳命した(※3)。
――ドイツ
カレリアの戦闘の影響は少なからずドイツにも影を落とす事となった。
観戦武官が得た良い話として、ソ連のIS戦車が日本製戦車に対して互角に近い形で闘えたと言う報告があった。
シベリア独立戦争で一方的に蹂躙されるだけだったソ連戦車が、新開発のIS戦車であれば曲がりなりにも38式戦車B型に対抗出来たと言う事は、IS戦車と技術的/諸元的に近いドイツⅣ号戦車でも対抗可能と言う事を示していた。
ドイツ陸軍と技術部は歓声を上げた。
対してドイツ空軍は、カレリアの航空戦に於いてF-7/F-6戦闘機が示した圧倒的な
現時点でドイツの航空機開発メーカーは、ヒトラーの肝入りでジェット戦闘機開発に全力を挙げていた。
だが未だジェットエンジンの開発は難航状態であり、そんなエンジンを搭載した試作機たちも、ドイツ空軍の主力機であるBf109の最新型モデルに対して優位であるとは言い難いのが実状であった。
この状況に危機感を抱いたドイツ空軍上層部はヒトラーに直談判し、Bf109戦闘機と将来のジェット戦闘機との間を取り持つ機体としての補助戦闘機開発許可を得る事となる。
歓喜したのがドイツ陸軍で恐怖したのがドイツ空軍、対してドイツ海軍は絶望していた。
ソ連の潜水艦による
殲滅されたと言って良い、その被害を。
この為、ドイツ潜水艦は如何にして探知されずに動くかと言う部分に注力していく事となる。
即ち、潜水艦の脱可潜艦化である。
水中高速型船体の開発や、可潜時間の延長など多岐に亘る項目で技術革新に向けた努力を積み重ねていく事となる。
又、ソ連同様に間近で見たやまと型の火力に現在の主力艦であるビスマルク級では対抗不可能と判断し、建造の途に着いたばかりの大型戦艦H級の建造を急がせる事となる。
この結果、ドイツ海軍は、チャイナとの交易路保護用のプロイセン級装甲艦の建造も進めていた事もあって造船能力の限界に達する事となる。
報告を受けたヒトラーは決断を下した。
ドイツ海軍に対し戦艦と装甲艦の建造を最優先とする事を命じ、併せて戦艦と装甲艦以外の艦艇に関しては、着工済みの艦以外の整備に関して一時凍結を命じた。
この結果、中小艦艇の建造には甚大な影響が出る事と成った。
熟練の工員や建設資材が戦艦と装甲艦に優先された為、建造は極めてスローペースなものとなった。
ドイツ海軍はいびつな形で成長する事となる。
尚、この方針にとっての例外は23000t級の重空母、グラーフ・ツェッペリンだ。
ドイツ海軍初の空母として建造が行われている本艦は、空母の建造に関する知見がドイツ海軍にも造船業界にも皆無であった事が災いし、その建造は遅々として進んではいなかった。
この為、ヒトラーは当初、工事が難航するグラーフ・ツェッペリンの建造に関しては停止するべきではないかと判断をしていたが、ドイツ海軍上層部の強い説得により建造は続行される事となった。
日本のしょうかく級を見たドイツ海軍上層部は、空母を戦艦と並ぶ1流海軍の象徴であると認識していた事が理由だった。
その上で、ドイツ海軍にとって第1の仮想敵であるフランス海軍が空母を保有している事(※6)も無視できない理由として存在していた。
フランスが保有するものをドイツが持っていないのは国威に関わる。
そう説得されてはヒトラーとて折れるしかなかった。
――ブリテン
やまと型に触発されたソ連の軍拡計画に慌てる事となる。
この時点でブリテンの新戦艦として就役しつつあるのは38000t規模のキングジョージ5級であり、主砲は14in.砲4連装3基の高速戦艦であった。
6隻を建造する予定となっているが、最近になって諸元の詳細が判明したソビエツキー・ソユーズ級に対して明らかに劣勢である為、着工済みの4番艦で打ち切り、5番艦6番艦の資材を流用し、より強力なライオン級(45000t級 16in.砲連装4基)の建造に着手する事となった。
そしてソビエツキー・ソユーズ級やドイツH級を圧倒できる大型戦艦の建造を構想する事となる。
ブリテン海軍の一部には、次世代の主力艦である空母に傾注するべきであるとの意見も根強くはあったが、欧州にて対峙するソ連やドイツの大型戦艦に劣る戦艦しか整備出来ないのは世界帝国であるブリテンの誇る
最終的に50000t級船体と16in.砲を搭載する大型戦艦の建造が決定する事となる(※4)。
尚、この決定をブリテン経済界はもろ手を挙げて歓迎する事となる。
日本との交易によって経済力を増強していたブリテン経済にとって、大型戦艦の建造は鉄量の大きな消費先として有望であった為である。
この他、ブリテン製のエンジンを積み圧倒的な能力を見せつけたF-7戦闘機の導入が決定する事となる。
この時点でブリテンでもF-7で搭載された水冷1500馬力エンジンを搭載した戦闘機が実用化されてはいたが、技術的な比較などの意味もあって導入される事となった。
F-7、改めスワロウFG.1(※5)として2個飛行隊分がブリテン空軍に納入される事となる。
(※1)
ワルシャワ反共協定からフィンランドを脱落させる要求は、ソ連にとってフィンランドを目標とするものではなく、ポーランドを標的とするものであった。
世界大戦からの関係で、ソ連への敵対的な立場を維持し続けているポーランドへの圧力と言う側面が大きかった。
(※2)
原型はドイツ製の38㎝砲である。
ドイツとの軍需物資及び技術の融通協定の一環として入手した。
本来、戦艦用の大口径砲の技術は高度な機密の固まりであり、近隣諸国へおいそれと提供されるものでは無いのだが、この時点でドイツはブリテンの新戦艦群に対抗する為に、より大口径の40㎝砲を開発しており、38㎝砲の機密性が低下していた事が、この技術の提供に繋がっていた。
(※3)
数を揃える事を命じられたソ連海軍であったが、与えられている予算や資源の問題からソビエツキー・ソユーズ級の更なる量産は困難であった。
この為、ソビエツキー・ソユーズ級と同じ15in.砲を保有するより安価な戦力整備に走る事となった。
バルト海での近距離航海しか想定しない、レニングラード防衛専任の艦 ―― 海防戦艦である。
スターリンの厳命によって手早く設計された海防戦艦は、15000t級の船体に15in.砲連装砲塔2基を搭載するものとされた。
2基の主砲塔は艦の前後に配置された事から、ドイチュラントスキーなどと揶揄される艦となるが、その設計自体はソ連海軍が独自に行ったものであった。
(※4)
後にヴァンガードと命名される事となる50000t級戦艦の技術的特徴としては、ブリテン海軍戦艦として初の、国際共同開発の16in.砲を搭載している点にあった。
共同開発の相手としてブリテンが声を掛けたのは日本である。
ブリテンにとって幸いであったのは、この頃丁度日本でも対地支援火力としてのやまと型の再評価が成されていたと言う事だ。
離島防衛や着上陸作戦時に使い勝手の良いやまと型であるが、現状では2隻しか無い為に任務と訓練、そして整備のローテーションが上手く回せていなかったのだ。
この為、軍艦の建造に関して無条約時代に突入した事もあり、更なる
当初はブリテンから再度13.5in.砲の中古砲を購入しやまと型2隻の追加を検討していたのだが、ブリテンからの提案に基づいた再検討が行われ、最終的に共同開発する新型16in.自動砲を3連装3基搭載する
無論、ブリテンの狙いはやまと型が実装している自動装填システムであった。
日本としてはそこまで秘匿するべき技術では無かった為、この共同開発要請に乗る形となった。
ブリテンにとって誤算だったのは、共同開発に際して日本側が開示したやまと型の自動給弾システムが余りにも複雑であり、高度であり、高コストである事だった(これは構造の複雑さもさる事ながら共同開発の弊害でもあった。共同開発であった為にブリテンが整備しようとした分まで日本の工作精度や基準が要求され、日本の物価が波及したという側面があったのだ)。
従来の大口径砲とは比較にならない毎分4発と言う発射レートを実現する為には、ブリテンが想定していた以上の、遥かに上の、従来とは比較にならないコストが必要であった。
無論、経済的に上り調子であり軍事費にも余裕があるブリテンにとって支払えぬ様な額では無く、実際、ヴァンガードには実装されてはいる。
だが、可能であればとブリテンが目論んでいた、先行して建造しているライオン級の改装 ―― 同16in.砲の搭載を諦める事にはなった。
又、砲身や砲塔の機構自体はブリテンで製造される事となったが、砲弾及び弾薬の製造に関しては要求される工作精度の問題から日本に委託する事となった。
これはヴァンガードが1隻だけの戦艦であった事による、特例措置であった。
戦艦とはいえたった1隻の為に専用の砲弾と弾薬を製造する設備を整備するのは高コストであると言う認識に基づいたものであった。
この日本とブリテンが共同開発を行った16in.砲の精度と発砲速度に慌てたアメリカは、グアム共和国(在日米軍)を介して購入を要請する事となる。
この要請を受けて日本は国際協調の一環という事でブリテンを説得し、アメリカに対して4隻分の3連装砲塔12基分のシステム1式の売却を行う事とした。
尚、アメリカはライセンス生産を要求したが、その点については日本ブリテンの両国とも譲る事は無く、砲システムの製造はブリテン、弾薬は日本の供給と言う形で決着した。
(※5)
これ以降、F-7戦闘機は航空自衛隊内部では非公式ながらも“飛燕”と言う名前で呼ばれる事となった。
(※6)
フランス海軍の空母は、1939年の時点ではスカゲラック海峡事件での大破炎上にて悪い意味で有名となったジョフレが唯一の就役済みの艦であった。
再就役には年単位の時間が必要であろうと判断されていたジョフレであるが、その代わりと言ってはなんであるが、この時点で2番艦のペインヴェが艤装段階に入っていた。
尚、ヒトラーはソ連製の魚雷数発で大破してしまうフランス製の空母に関して、脅威として認識する事への疑念を抱いていたが、ドイツ海軍上層部の意向に押し切られる形でグラーフ・ツェッペリンの建造を許可する事となる。
2019/10/24 文章の修正実施
2019/10/24 文章の修正実施