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モンスーン戦隊に守られつつドイツを発つ
出来るだけ船齢の若い船が集められており、各船には武器弾薬その他、様々なものが満載されていた。
とは言え、このたった8隻の船舶だけでチャイナが購入した物資の全てを送れる訳では無かった。
特に60t近い重量級のⅣ号戦車に関しては、軽量化の為に分解した状態であっても乗せられる貨物船は限られているのが実状であった。
又、場所を取る戦闘機の輸送に関しても、簡単に行くものでは無かった。
8隻の船腹から見て、都合3回は必要となる事が予想されていた。
ドイツは、今回の航海で経験を積み次回に活かす事を考えていた。
この為、長距離航海経験の豊富な民間人船長を船団司令部のアドバイザーとして招聘し、その上で物資の輸送量を減らしてでも各艦船の保守部品を大量に用意していた。
陸軍国家であるドイツは、己が外洋航海というものの経験が乏しい点は深く自覚しているのだった。
その為、航海準備は綿密に行われていた。
――アメリカ
追跡すべき対象、ドイツの準備が遅れている為、アメリカの
特に、フランス艦との合同作戦訓練に時間を割けた事は大きかった。
その上で、ブリテンに寄港していた日本
救難訓練に始まって航行訓練、果ては防空訓練が行われ、そこでは日本の艦載対艦攻撃ユニット ―― 攻撃型ドローンの
一連の親善訓練の中、演出上手なアメリカは戦艦むさしと戦艦フッドの2隻が、TF-21の戦艦ダンケルクと共に空母レンジャーを守りながら北海を往く様を上手くとらえた写真を撮ってマスコミに提供し、世界を大いに沸かせた。
ブリテンでは
ドイツは声高にG4による海洋支配であり、国際的な調和関係を乱すものであると非難した。
ソ連は戦艦の建造に更なる注力を行う様になった。
様々な波紋を広げつつ、TF-21は航海準備を進めていた。
――ドイツ
錬成を重ねる様をマスコミを介して世界に発信しているアメリカに、ドイツは強い危機感と圧迫を感じていた。
この為、モンスーン戦隊の錬成もそこそこに、東征船団への物資の積み込みが終わり次第、即座に出港させる事とした。
船団の結成式や出港式典なども行わず、夜陰に紛れて三々五々に船団所属船は港を出て別個の航路を選んでいた。
ドイツはアメリカの追っ手を撒く為、優速のモンスーン戦隊を囮にして、船団はバルト海から北海を抜けるまで独航させようとしたのだ。
合流はアゾレス諸島とした。
だが船団に属する各船は北海を抜け出る前、夜が明けると共にアメリカ海軍機による接触が始まった。
或は巡洋艦が、駆逐艦が、戦艦が、追跡していた。
船団の動きを察知されていた事を理解したモンスーン戦隊の指揮官は、各船各艦に対して欺瞞航路の終了と共に集合命令を出した。
このまま分散していては各個撃破の危険性が高いと言う判断であった。
シェトランド諸島沖にて合流、堂々と船団を組み南下を開始する。
チャイナへと至る航海は、最初から苦難と共に幕を開ける事となる。
とは言えアメリカTF-21は、航空機の接触こそ継続的に行っていたが戦艦も巡洋艦も接近させようとはして来なかった。
その点を戦隊指揮官は安堵しつつも、同時に、何時接触して来るのかと神経をすり減らしていく事になる。
接触している航空機 ―― 艦載攻撃機を追い払おうにもモンスーン戦隊が保有する航空機は水上機のみであり、追い払うどころか対抗する事も難しいのが現実であった。
戦隊指揮官は航海録に、今後は戦隊/艦隊には航空優勢を握る為に空母を編入する必要性がある事を強く訴える内容を記していた。
――ポルトガル領モザンビーク
神経をすり減らしつつ航海を続けた東征船団は、1隻も脱落する事無くポルトガル領モザンビークへ到達する事に成功した。
だが同時に、船団が1隻も欠ける事の無かったのは、此処までであった。
装甲艦アドミラル・グラーフ・シュペーのディーゼルエンジンを筆頭に、各艦に様々な不調が出る事となる。
又、駆逐艦部隊は乗員の疲弊が酷い事になっていた。
長距離航海を前提としない装備、そして訓練のままでこの大航海の任についていたのだ。
疲弊するのも当然であった。
できれば1週間以上の修理、補給、休息が必要な状態であった。
だが政治的事情から、それを認める事は出来なかった。
チャイナから船団の到着を要求する催促が、これ以上の納期の延長は看過し得ないと言う強い内容でドイツ本国へ届いていたのだ。
チャイナから得る資金がドイツの予算に於いて小さくない役割を果たしている為、
この為、戦隊指揮官は苦渋の決断を下す。
装甲艦アドミラル・グラーフ・シュペーと駆逐艦2隻をモンスーン戦隊から分離する事を決断。
又、船団の輸送船に関しては、停泊中でなければならない程の消耗、故障などは抱えて居なかった為、補給後、即座に出港する事を決断した。
――東征
真水や燃料、食料の補給こそ出来たものの、十分な休息を取る事の出来なかった東征船団は、その巡航速力が低下していた。
それでも尚、遮二無二にチャイナを目指していた。
インド洋を渡り、大スンダ列島を南から回り、マカッサル海峡からセレベス海を抜けて太平洋に出るのだ。
チャイナへの最短ルートとは言い難い航路選択はブリテンやアメリカの強い影響下にある海域を避けると言う意味合いであった。
真水の不足や生鮮食料の枯渇が東征船団を襲う。
少なくない乗員、船員が倒れた。
それでも尚、東征船団は怯む事無くチャイナを目指す。
――第21任務部隊
十分な補給と、支援を受け続けたTF-21は余裕をもって航海していた。
又、ドイツ東征船団の速度が遅い事や度々停泊していた事(※2)も余裕に繋がっていた。
唯一欠乏したのは嗜好品 ―― アイスクリームとワイン程度であった。
これはアメリカとフランスで融通し合っていた事が原因だった。
又、TF-21に乗り合わせたマスコミにも大盤振る舞いしていた事も理由であった。
何とも締まらない話ではあったが、嗜好品の不足は乗員の士気に直結する為、アメリカはフィリピンの東洋艦隊から嗜好品と生鮮食料品を満載した補給船を派遣する事と成る。
――太平洋
艱難辛苦を乗り越えて
彼らを迎えたのはアメリカ
アメリカは、太平洋艦隊 ―― 真珠湾からペンシルバニア級戦艦2隻を態々派遣していたのだ。
都合3隻の戦艦に挟まれる形となった東征船団は、何とか振り切ろうと努力する。
だが東征船団に属する貨物船達は、長距離航海の影響で15ノットを超える速度が出せなくなっており、それは不可能であった。
その上で離れていたTF-21もいつの間にか加わっていた。
戦艦3隻に追尾されると言う重圧に、東征船団は更に疲弊していく事となる。
このままでは全輸送船のチャイナ到着が困難になる可能性があった。
それ故に戦隊指揮官は開き直って、東征船団を直線で目的地であるチャイナ、ドイツ租借地である山東半島に向かわせた。
そして日本領海に接近した時、最後の
戦艦やまとを旗艦とした日本の本土防衛部隊だ。
動揺する戦隊幕僚団に対し、戦隊指揮官は悟った顔で只、直進を命じていた。
その横で日本、アメリカ、フランスの戦艦たちは見事な単縦陣を組んで並走していた。
東征船団は
(※1)
戦闘と命名されてはいるが、索敵任務にも投入する事が可能な多目的機でもある。
ステルス機でもあるQA-1は爆弾倉を持っている。
タイムスリップ後に量産されたQA-1Bは、機外兵装ステーションが増設されており、QF-1を設計する時点で想定していなかった大型
(※2)
無理なスケジュールで航海していた為、インド洋のど真ん中で停泊して船団輸送船の修理を行う必要が出る事があったのだ。
又、稀に船団から輸送船がはぐれてしまう事もあり、この際にも停泊して捜索する事があった。
2019/11/07 表現修正を実施