タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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092 チャイナ動乱-11

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【挿絵表示】

 

 

 アメリカとチャイナの戦争が始まって2週間が経過した。

 偶発的な事故を発端とした開戦は、アメリカにとって当初の予定よりもかなり早かった。

 各種物資の備蓄も部隊の錬成も、全てが不十分な状況下での開戦はアメリカにとって実に不本意なものであった。

 この戦争を統括する東ユーラシア総軍、その指揮中枢である東ユーラシア総軍参謀団は、事前の計画が何一つ達成されない状況に苛立っていた。

 彼らは、そしてアメリカは忘れていたのだ。

 戦争には()()()()()と言う事を。

 対してチャイナは、自らが行った守勢攻撃的焦土戦術の成果を驚きと共に受け入れていた。

 強大なアメリカ相手に嫌がらせ程度になるのが精々*1ではないかと思っていたのが、絶大な遅滞効果が発生したのだ。

 チャイナが驚くのも当然であった。

 だが、チャイナは驚くだけでは無く即座に対応 ―― 事前の戦争計画を基にした戦果の拡大に乗り出す事となる。

 

 

――アメリカ 銃後の戦い(D-Day+14~21)

 当初予定の戦争計画と現実の戦争経過との乖離を、アメリカは()()()()()()

 これは、南モンゴルの各地に入ったマスコミが盛んに現地の被害を報道した結果でもあった。*2

 アメリカ本土での厭戦気分の醸成を狙ったチャイナの行動であったが、宣伝戦(プロパガンダの活用)に於いて100年の長があるグアム共和国(在日米軍)の支援を受けていたアメリカはその様な隙を見せる事は無かった。

 即座に、最前線の部隊に同行していた従軍記者の記事と写真とを臨時便の連絡機*3で後送し、それぞれの新聞社へと届けた。

 危機管理(早期発見、早期対応)のお手本の様な行動であった。

 アメリカ政府の主導(コントロール)もあって各新聞社は、その紙上で大々的にチャイナの謀略を叫び、チャイナの発する報道を宣伝工作だと断じた。

 これによって世論は定まった。

 それまで大多数のアメリカ人にとって他人事であったアメリカとチャイナの戦争が、卑劣な情報操作でアメリカを騙そうとしたチャイナへの懲罰戦争に変わった瞬間であった。

 そもそも、チャイナがアメリカ本土で蔓延していた反チャイナ感情(アンチ・チャイナ)を甘く見ていた事が、この状況を生んだとも言えた。

 民意の後押しを受けたアメリカ政府は大統領談話として、断固として旧弊にして悪辣なチャイナを打破し、南モンゴルの地に自由と平等、そして民主主義を齎す事を宣言する事となる。

 そしてチャイナの地に居るアメリカ軍への大々的なテコ入れも発表した。

 尚、その内容には対チャイナ戦争計画を主導した東ユーラシア総軍の司令官と参謀長の更迭も含まれて居た。

 

 

――東ユーラシア総軍再編(D-Day+20~)

 この戦況の責任を取る形で更迭された司令官と参謀長とは異なり、その手足であり頭脳でもある参謀団が解体される事は無かった。

 参謀団まで刷新しては現場(前線部隊)が混乱するだろうとの判断によるものであった。

 フィリピンから渡って来た新しい司令官の下で東ユーラシア総軍は、戦争を行いつつ、()()()()()()の総軍再編に取り掛かる事となる。

 その最大の目玉は戦力の拡張である。

 東ユーラシア総軍司令官は20個師団40万の軍勢が戦争の勝利に必要であると声を上げたのだった。

 それを聞いた誰もが、少数の師団でチャイナに勝利し得ると豪語し、失敗した前司令官との違いを理解した。

 兵力不足の誤りを率直に語る新司令官に反発した者も居ない訳では無かったが、大多数の将校は、この新しい司令官の下で団結する事となる。

 人心を掌握した司令官は、自らの構想に不足している約11個師団分の戦力をかき集める為に奔走する事となる。

 先ずはアメリカ陸軍参謀部に対し、かつてフロンティア共和国に駐屯し、その防衛戦力の中核を成していた2個師団 ―― 第14機械化師団と第2機甲師団の再派遣を要請する。

 ユーラシア大陸の風土に慣れた即戦力が求められたのだ。

 両師団は、満州大演習終了後の1941年度にアメリカ本土へと帰還したばかりであった。*4

 両師団は慌ただしく、太平洋を渡る事となる。

 続いて司令官が命じたのは、フロンティア共和国軍予備(歩兵)師団7個の動員である。

 この決定にはアメリカ人投資家や、フロンティア共和国の財界から強い反発の声が上がったが、司令官は強権をもってその声を圧し潰した。*5

 次に求めたのはグアム特別自治州軍(在日米軍)第501機械化師団の動員である。

 日本連邦統合軍にあって陸上自衛隊に準じた装備を持つ高度機械化高練度師団は、勝利を貪欲に求める司令官にとって何よりも優先して確保するべき戦力であった。

 とは言えグアム特別自治州は、アメリカ合衆国の州であると同時に日本連邦加盟()と言う特殊な立ち位置にある為、日本との折衝を必要とした。

 日本は幾ばくかの難色を示しつつ、司令官が述べた「戦争を早期に終わらせる為には第501機械化師団が必要だ」と言う言葉に従う事となる。*6

 尚、第501機械化師団自体は、既に兵卒の大半がアメリカ出身者で占められている事もあって、派遣には積極的であった。

 この他、[東ユーラシア安全保障協定]*7に基づいてシベリア共和国に参戦を要請する事となる。

 此方はシベリア共和国が日本連邦編入以前に締結し、その後も失効手続きを行っていない条約である為、その要請受諾に日本が反対する事は無かった。

 とは言え、シベリア共和国防衛に甚大な影響を出されては困る為、此方も慎重な調整が行われ、最終的に2個師団が派遣される事となる。*8

 こうして、司令官が着任して1月も経たぬ内に、東ユーラシア総軍は額面上20個師団2個旅団体制へと増強される事となる。

 残念ながら全ての戦力が揃うのは、移動その他が全てスケジュール通りに行えたとしても1年以上先の事であったが。

 

 

――チャイナ

 南モンゴル独立派の領域に行った守勢攻撃的焦土戦術の成果を、チャイナは驚きをもって受け入れた。

 目標はアメリカの進行速度の低下(ハラスメント・アタック)程度であったのが、アメリカの戦争計画を頓挫せしめたのだ。

 驚くなと言う方が難しいだろう。

 とは言え、東ユーラシア総軍の新しい司令官は就任後、幾度もチャイナに対する強硬な発言(南モンゴルの状況への批判)を行っており、アメリカのチャイナ侵略への渇望が止まった訳では無いと判断していた。

 前線の軍を潰せぬのであれば、後方の政治(民意)を潰す事を狙った情報戦であったが、此方は完全に失敗していた。それはチャイナにとって手痛い失敗であった。

 アメリカの民意を誘導できなかったことが痛いのでは無い。

 アメリカの意を組んで情報工作をしてくれていた親中派(イエロー・ハガー)が、アメリカの弾圧(カウンター・イエロー)によって政治生命を断たれた事が問題であった。

 特にアメリカ政府に近い場所に居た議員やロビイストが失脚したり、或は収監(チャイナからの収賄罪)された事は、チャイナがアメリカとのパイプを失った事を意味したのだから。

 この結果、チャイナはアメリカとの政治方面からの戦争終結工作を断念する事となる。

 軍事方面からの戦争終結へ向けた活動としては、この守勢攻撃的焦土戦術の()()を最大限に活用する方向でアメリカに圧力を掛ける事となる。

 チャイナから見たアメリカは、愚かしい事に大衆の感情 ―― 民意に逆らえない。

 であれば、南モンゴルの状況(惨状)を盛んに報道させれば、遮二無二前進せざるを得なくなる。

 突進してくる東ユーラシア総軍主力をチャイナの内懐まで引きずり込み、疲弊させて決戦を強要し、撃破する。

 この戦果を以ってチャイナはアメリカへ講和を呼びかけるのだ。

 チャイナ政府軍参謀団は、この方針に従って、南モンゴルに放つ騎兵部隊に更なる追加 ―― 各部隊各軍閥から騎兵をかき集め、軽騎兵師団を2個速成して投入する事となった。

 開戦劈頭から投入された騎兵も、騎兵師団として纏めた。

 併せて3個師団、5万近い騎兵が狼藉御免状(略奪乱暴自由許可)片手に、縦横に南モンゴルの地で暴れる事となる。

 南モンゴルは猖獗の大地へと変貌する事となる。*9

 

 

 

 

 

 

*1

 チャイナの()()からすれば、地元民が困窮しようとも戦争には関わりの無い話であり、見捨てれば良いだけの話であったのだ。

 紀元前から絶滅戦争も辞さずに争って来た民族の末裔は、列強的文明人(ジャパン・アングロ)とは一味違った戦争観を持っていた。

 

*2

 アメリカ軍より先にマスコミが現地に入っていた理由は、チャイナが情報戦としてマスコミを招待したからであった。

 総勢で50名を超えるマスコミによって、南モンゴルの惨劇は余すところ無く世界に伝えられていた。

 尚、招待されたマスコミの中には、ドイツやソ連のみならず列強(ジャパン・アングロ)も含まれて居た。

 これは、報道内容(インフォメーション・ウォーファル)に中立性と客観性を()()する為の工作であった。

 チャイナの報道官は自ら(チャイナ騎兵部隊)の手で灰燼に帰した村や遺体を前にして、その事をおくびにも出さず、惨状を作り出したのはアメリカの侵略的帝国主義でありその尖兵である満州の傀儡政権であると声高に非難していた。

 

*3

 連絡機は通常の輸送機などではなく、グアム共和国軍(在日米軍)が用意した、日本政府専用機である大型渡洋旅客機(MHI MSJ-702)であった。

 MSJ702-200とは従来の民間旅客機(ボーイング製旅客機など)の更新用として、日本政府の後押しで開発された旅客機である。

 特徴としては主翼下に備え付けられた2発のエンジンが挙げられた。

 標準的なスペックのターボファンエンジンはアメリカやブリテンなどでも整備し易い様に作られていた。

 足回りも、ある程度は地方の不整地(非舗装)滑走路でも運用できる様に強化もされていた。

 とは言え、現時点で海外への売却はその高額さもあって未だ成功していない。

 太平洋すら無給油で渡洋可能な航続性能は各航空会社にとって魅力的であったが、そこまでの長距離路線が存在していなかった為、その性能が()()であったと言う側面もあった。

*4

 両師団がアメリカ本土へと帰還した理由は、満州大演習でフロンティア共和国軍の練度が良好である事が確認され、アメリカ議会で3個もの師団を海外に派遣し続ける事が問題視された為であった。

 

*5

 東ユーラシア総軍司令官には、それを成せるだけの権限が、アメリカ大統領から与えられていた。

 目的は1つ。

 チャイナに勝利する事である。

 尚、その権限にはアメリカ陸軍の本格的な動員は含まれてはいないが、その代償として、大幅な予算の裁量権が与えられていた。

 その裁量権に基づき司令官はフロンティア共和国軍予備師団や各国から動員した軽装備部隊に対する戦車などの重装備の充当を実施させた。

 

*6

 日本にとっての利益はアメリカとチャイナの戦争の早期終結である為、司令官の要求を却下する事は難しかった。

 とは言え、二つ返事で派遣を了承する事は()()として将来に禍根を残す可能性があった為、3日に渡る交渉が行われる事となった。

 

*7

 フロンティア共和国とシベリア共和国、そしてバルデス国との間で結ばれた相互安全保障と支援に関する協定である。

 国家承認と、それぞれの主敵(チャイナとソ連)との戦争に際して参戦を要請された場合、参戦する義務を定めていた。

 外敵の無いバルデス国が加わっているのは、小規模国家である為、フロンティア共和国にせよシベリア共和国にせよ、滅亡すれば即、バルデス国への脅威へと繋がる為、その存続に協力すると言う宣言であった。

 又、この協定に参加する事を対価に、アメリカから軍事的な支援も受けていた。

 

*8

 当初は東ユーラシア総軍司令官は少なくとも5個師団の派遣を要求していたのだが、此方は司令官自身の発言 ―― 就任時に行った東ユーラシア総軍に2()0()()師団を揃えると言う宣言が言質となり、2個師団に絞られる事となった。

 とは言え派遣される2個師団はシベリア共和国軍の中でも装備状態と練度、人員充足率の面でも良好な精鋭部隊の第701機械化師団と第707自動化師団であった為、司令官は大きな満足を抱く事となった。

 両師団とも装備は第501機械化師団には劣るが、それでも日本製の兵器が完全充足状態であるのだ。

 司令官がその攻撃力に、大いに期待するのも当然であった。

 

*9

 チャイナがこれ程乱雑に南モンゴルの民を扱う理由は、叛徒の同胞と言う理由もあった。

 又、南モンゴルから現地民族が消滅したとしても、その空き地へとチャイナ人が入植すれば良いと言う理由もあった。

 チャイナによる南モンゴルへの政策は、急速に民族浄化の色彩を帯びていく事となる。

 




2020/04/04 文章修正

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