タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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097 チャイナ動乱-16

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 渤海海戦で自国のタンカーを傷つけられた日本は、護衛に失敗したアメリカ以上に怒った。

 戦時の事である事から海難事故の保険も利かず、日本人船員も負傷していたのだから、日本の国内世論に於いて()()()()()を行ったチャイナに対する報復論が盛り上がるのも妥当な話であった。

 一部の野党とマスコミからは、アメリカの戦争へ協力を行った事が原因だとの批判の声も上がったが、それが大勢となる事は無かった。

 とは言え日本政府は、チャイナへの制裁(武力行使)を主張する世論に迎合する事は無かった。

 世論 ―― 対外強硬論に迎合する事は戦争への道(ロード・オブ・大東亜戦争)を歩む事だと認識してであった。

 日本は、タイムスリップによる経済混迷からようやく脱し、繁栄の坂道を登り始めたばかりなのだ。

 そんな状況故に、日本政府は人命と物資と金銭の無駄遣いである戦争は()()()()()回避せねばならぬモノと決意していた。

 だが同時に政治家(ヤクザな人気商売)であるが故に、世論を丸っと無視する事も出来なかった。

 故に、チャイナに対して明確な国際法違反 ―― 軍籍船の海軍旗不掲揚問題をもって、責め立てる事とした。

 併せて、政府系シンクタンクなどを使って世論沈静化を図ったお蔭で、過激な、それこそチャイナへの爆撃を主張する意見は収束していく。

 とは言え日本政府は、過激な世論が完全に収束したとしてもチャイナの国際法違反を許す積りは無かったが。

 戦時とは言え、軍艦旗を下ろしたままに非交戦国の民間籍船を襲撃するなど、許されるべきでは無いからだ。

 この無法を看過していては、何時しか、()()()()()などと言って、特設巡洋艦(武装貨客船)による無差別無制限通商破壊作戦などをやらない可能性が無いとは言いきれない。

 或は、渤海に浮遊機雷をばら撒く様な無差別攻撃(貧者の戦術)を出されては、日本の安全保障にも影響が出かねない。

 その様な蛮行に繋がりかねない芽は、早期に断たねばならぬからだ。

 自由上海市の大使館を窓口にして、チャイナに対し日本は、被害船の籍国として国際法違反の原因と責任者の究明、責任者への処罰と再発防止策の策定を強く要求する。

 しかも、この要求が受け入れられない場合、日本は事態改善の為の対応を()()()()()()()()()()にまで言及していた。

 慌てたのはチャイナだ。

 アメリカの(サポート)に日本が居る事は理解していたが、ここまで露骨に出て来るとは予想していなかったからだ。

 法治国家と言い難い社会構造のチャイナは、国際法を遵守することへの意識、或は優先度が低かった。

 故に、戦闘時の軍艦旗掲揚に関しても、戦闘を優位に進める為の策略という程度の認識しか無かったのだ。

 この為、チャイナは日本の要求を帝国主義に基づく、強欲な干渉であると強く反発する事となる。

 数日に渡った日本とチャイナの交渉は完全に平行線となり、決裂する事となる。

 この為、日本は事態改善の為の行動に出る。

 先ずは国際連盟の活用である。

 国際連盟安全保障理事会にて、チャイナの非文明国的行動の非難と再発防止を議題に上げるのだった。

 チャイナは日本が即座に武力行使に来るのではと戦々恐々としていた所に、この対応であった為に拍子抜けをし、同時に、ジャパンとは異なり日本は今まで自ら戦争を仕掛けた事が無かった事を思い出した。

 防衛戦争しかしない国。*1

 しかも、自ら国家間の問題を解決する手段としての戦争(武力行使)を放棄している事を宣言している。

 日本と言う国家は、戦争を自ら行う気概の無い()()()では無いかとチャイナが思うのも仕方のない話であった。

 

 

――国際連盟安全保障理事会

 日本の要求で開催された国際連盟安全保障理事会で議論された、国際法の遵守に関する問題は、白熱する事となる。

 罰則規定の設けられていない、法的拘束力の無い国際法であるが故に、締結国が此れを尊重せねばならぬと言うのは、最初に議決する事が出来た。

 その上で戦争による国際法違反と、国際法違反による被害が発生した場合には、違反国が謝罪と賠償、原因を究明した報告書の提出と責任者の処罰。そして原状回復費用と被害者への見舞金を出すのであれば、国際法違反は許されると明文化された。

 問題は、国際法に違反し戦争当事国外(非戦争参戦国)へ被害を出したにも関わらず、その責任から逃れようとする国家である。

 罰則規定が存在しない国際法である為、国際法違反による被害の責任を追求しようとすれば、被害を受けた国家による報復を認めねばならぬのだ。

 そうでなければ誰も、戦争などと言う生々しい状況で国際法を遵守しようとはしないだろう ―― 日本はそう主張し、国際連盟安全保障理事会の空気を掌握していった。

 日本のこの姿勢に関し、他のG4諸国は諸手を上げて賛同していた。

 基本的にG4諸国は国際法(ルール)を作る側であり、強制する側である為、デメリットなど存在していないと言うのが大きかった。

 戦争当事国であるアメリカにとっては、チャイナによる策謀(国際法違反に基づいた謀略)を封止する事に繋がるというメリットがあった。

 ブリテンとフランスに関して言えば、アフリカやアジアでの治安維持に関して、紛争や治安維持の悪化なども戦争に準じる()()()()()としてしまえば、原因(ドイツ)に対する実に便利な権利(棍棒)となる話であった。*2

 対して慌てたのはソ連と、ソ連が纏めていた南米などのG4に対する反発の強い国家群であった。

 国際法違反による戦争被害など、でっち上げようとすれば簡単に出来る事であり、そうなれば圧倒的な国力(世界GDP8割以上)を持ったG4の前に成す術など無いのだから。

 とは言え既に国力差と、国力差に裏打ちされた国際影響力の差(G4へ尻尾を振る国の多さ)に、そもそも反G4国家群が出来る事など限られていた。

 故に、正論を武器にする。

 議場を武器にする。

 国力の差が出る、国際連盟総会や国際連盟安全保障理事会の()に出る事なく、ただの1つの()として対峙出来る場で、G4に主張するのだ。

 この涙ぐましいソ連などの反G4国の主張を、G4側は受け入れた。

 とは言え、これは別に反G4国(中級規模国家群)*3に阿ったからでは無かった。

 逆に、日本などはソ連などの法治を甘く見る癖のある国家(独裁国家)に対し、言い逃れの出来ない環境づくりとして、反G4国家群の要求を受け入れていた。

 国際連盟の場で、安全保障理事会で審議した上で総会で多数決を行う事で、国際連盟加盟国に対して報復権の行使に関する干渉を許さない為である。

 その上で、国際連盟加盟国には加盟国の報復権行使に対する支持と支援義務を、()()()()で定めさせていた。

 国際連盟で正式に取り決めた事に面従腹背する事は、断固として赦さぬと言う姿勢である。

 日本政府は怒っていた。

 面倒くさい事を引き起こしたチャイナに怒っていた。

 普通に戦争戦闘で傷つけられただけなら遺憾の意を表明するだけで終わらせられたのに、小知恵を巡らせて狡っからい事(国際法違反)をするから、秩序を守り守らせる側の国家として動かざるを得なくなったのだから。*4

 兎も角。

 紆余曲折の果てに、国際連盟加盟国の自衛の為の報復権に関して全会一致で承認される事となった。

 その第1号は、当然ながらも日本による対チャイナ懲罰動議であった。

 これまで以上に厳しい内容となっていた。

 チャイナに対する国際連盟加盟国による経済封鎖 ―― 国営や民間を問わないチャイナ籍企業の活動禁止と共に、チャイナ人の入国拒否まで含まれているのだから。

 例外としては外交官であったが、その自由行動への制限すら含ませていた。

 外交関係に関するウィーン条約に抵触しかねない内容であり、反G4国家群は強い反発を示したが、日本が強い態度で、外交官の自由を阻止するのではない。

 只、その監視を強化するのみであると強く主張した為、反G4国家群は折れざるを得なかった。*5

 

 

――日本チャイナ交渉

 前回とは異なり、日本とチャイナの直接交渉が行われる事と成る。

 舞台となったのは、仲介役も担った自由上海市であった。

 チャイナに在ってチャイナの管理下に無い、この独立都市は国際連盟に特殊な立場で参加する事となっている事もあり、この様な交渉の場として最適であった。

 とは言え、チャイナ政府と南モンゴル独立派との交渉の際にテロが行われていた為、自由上海市の治安を預かるイタリアは、緊張をもって望んで居た。*6

 とは言え交渉自体は短時間で終わった。

 日本が淡々と納得できる理由、責任者の首、見合った賠償の3つを要求し、その上で1週間と期限を切った上でのチャイナ政府の回答を要求しただけだったのだから。

 チャイナは、交渉の場として設定されていた時間一杯に何とか交渉の糸口を探したが、日本は雑談に応じる事無く笑み(ブッダスマイル)を浮かべていた。

 和か戦か(エンコかチャカか)、その選択肢は与えた。

 後はチャイナが選ぶだけ ―― 交渉の場ではあったが、それは交渉では無かった。

 時間の最後に、日本の代表は思い出した様に1言、伝えた。

 日本は1週間後を目処に水上艦部隊を渤海に進出させる事を()()()()()()、と。

 

 

 

 

 

 

*1

 しかも、2度の対ソ連戦でも、戦場で優位であったにも関わらず、ソ連を体制崩壊にまで追い詰めようとしなかったのだ。

 日本からすれば、戦争の損益分岐などを勘案しての決断であったが、得られる利益があるならば、その効率などは問わずに最大化を図るチャイナの国民性からすると、理解できない話であったのだ。

 故に、勝てる戦争を最後まで完遂しない、精神的に惰弱だとチャイナが思うのも仕方のない話であった。

 

 

*2

 実際、1942年に入ると共にフランスは対ドイツ戦争計画の精査修正と、軍事物資の集積を開始していた。

 とは言えフランス領インドシナ情勢は、まだ紛争状態が続いている為、本格的に行動するのは状況が沈静化し次第という予定であった。

 既に鎮圧の目処は見えて来ているフランス領インドシナであったが、ドイツとの戦争のさなかに再着火されてしまっては安心して戦争出来ない ―― 2正面作戦を回避する為、フランスは慎重に行動していた。

 

 

*3

 G4へと小さくとも物申せる国家はソ連を中心とした経済的に発展途上の、中級規模の国家しかなかった。

 これは、小規模な国家の場合だと反抗するしないの前に、小国の絡まぬ周辺での経済的な外交交渉の余波だけで潰れかねないので、常にG4の顔色を窺わざるを得ないのが現実であったためだ。

 その意味では、周辺諸国がG4へと変わった途端に、機会を見て(恩の売り時を見て)体制を変革してまでG4への協力を宣言したモンゴル国、旧名モンゴル()()()()()は見事な生き残り術を発揮したと称賛されるべきであろう。

 

 

*4

 日本は、世界秩序よりも自領域(日本連邦)の開発発展が優先であり、金儲けこそが楽しくも大事な事であった。

 そんな日本にとって、国際連盟の場で主導権を発揮して議論を纏めるなど、名誉ではあっても面倒事でしか無かった。

 そんなのはアメリカか、ブリテンがやれば良いのだ。

 それにフランスが茶々を入れるのを日本は黙って見ていれば良い ―― ある意味でトンでも無い日本の本音の国家方針であった。

 だが同時に、圧倒的な経済力を背景にする全世界を相手に戦争を行い、平然と勝利する事が可能な覇権国家である日本が、かの如く()()からこそ世界は、他G4にせよ自由を満喫出来ているとも言えていた。

 

 

*5

 そもそも、敵対国の外交官の監視は平素から行われるものであり、その活動を可視化するだけであるので日本の主張に強く反発し続けるのは難しいものであった。

 とは言え、監視される側からすれば、公然と監視され、その行動が公文書として国際連盟安全保障理事会の報復権に関する小委員会で管理される事と成る為に、交渉相手に対してチャイナ外交官に対応する事への忌避を植え付ける効果があった。

 ありていに言えば、チャイナに対する嫌がらせ()()が目的であった。

 

 

*6

 イタリアは交渉の場に第三者、国際連盟安全保障理事会が()()()()()()()()()()として参加していた。

 チャイナが日本を信用していない為、護衛の問題でもめていたと言うのも大きい。

 だがそれ以上に日本が参席を要求していた。

 チャイナとの交渉内容を公開しながら行う事で、後日、チャイナが宣伝戦(情報工作)を行う余地を残させない為である。

 

 




2020/04/22 文章修正
2020/04/23 文章修正
2020/04/24 文章修正

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