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渤海海戦で自国のタンカーを傷つけられた日本は、護衛に失敗したアメリカ以上に怒った。
戦時の事である事から海難事故の保険も利かず、日本人船員も負傷していたのだから、日本の国内世論に於いて
一部の野党とマスコミからは、アメリカの戦争へ協力を行った事が原因だとの批判の声も上がったが、それが大勢となる事は無かった。
とは言え日本政府は、チャイナへの
世論 ―― 対外強硬論に迎合する事は
日本は、タイムスリップによる経済混迷からようやく脱し、繁栄の坂道を登り始めたばかりなのだ。
そんな状況故に、日本政府は人命と物資と金銭の無駄遣いである戦争は
だが同時に
故に、チャイナに対して明確な国際法違反 ―― 軍籍船の海軍旗不掲揚問題をもって、責め立てる事とした。
併せて、政府系シンクタンクなどを使って世論沈静化を図ったお蔭で、過激な、それこそチャイナへの爆撃を主張する意見は収束していく。
とは言え日本政府は、過激な世論が完全に収束したとしてもチャイナの国際法違反を許す積りは無かったが。
戦時とは言え、軍艦旗を下ろしたままに非交戦国の民間籍船を襲撃するなど、許されるべきでは無いからだ。
この無法を看過していては、何時しか、
或は、渤海に浮遊機雷をばら撒く様な
その様な蛮行に繋がりかねない芽は、早期に断たねばならぬからだ。
自由上海市の大使館を窓口にして、チャイナに対し日本は、被害船の籍国として国際法違反の原因と責任者の究明、責任者への処罰と再発防止策の策定を強く要求する。
しかも、この要求が受け入れられない場合、日本は事態改善の為の対応を
慌てたのはチャイナだ。
アメリカの
法治国家と言い難い社会構造のチャイナは、国際法を遵守することへの意識、或は優先度が低かった。
故に、戦闘時の軍艦旗掲揚に関しても、戦闘を優位に進める為の策略という程度の認識しか無かったのだ。
この為、チャイナは日本の要求を帝国主義に基づく、強欲な干渉であると強く反発する事となる。
数日に渡った日本とチャイナの交渉は完全に平行線となり、決裂する事となる。
この為、日本は事態改善の為の行動に出る。
先ずは国際連盟の活用である。
国際連盟安全保障理事会にて、チャイナの非文明国的行動の非難と再発防止を議題に上げるのだった。
チャイナは日本が即座に武力行使に来るのではと戦々恐々としていた所に、この対応であった為に拍子抜けをし、同時に、ジャパンとは異なり日本は今まで自ら戦争を仕掛けた事が無かった事を思い出した。
防衛戦争しかしない国。*1
しかも、自ら国家間の問題を解決する手段としての
日本と言う国家は、戦争を自ら行う気概の無い
――国際連盟安全保障理事会
日本の要求で開催された国際連盟安全保障理事会で議論された、国際法の遵守に関する問題は、白熱する事となる。
罰則規定の設けられていない、法的拘束力の無い国際法であるが故に、締結国が此れを尊重せねばならぬと言うのは、最初に議決する事が出来た。
その上で戦争による国際法違反と、国際法違反による被害が発生した場合には、違反国が謝罪と賠償、原因を究明した報告書の提出と責任者の処罰。そして原状回復費用と被害者への見舞金を出すのであれば、国際法違反は許されると明文化された。
問題は、国際法に違反し
罰則規定が存在しない国際法である為、国際法違反による被害の責任を追求しようとすれば、被害を受けた国家による報復を認めねばならぬのだ。
そうでなければ誰も、戦争などと言う生々しい状況で国際法を遵守しようとはしないだろう ―― 日本はそう主張し、国際連盟安全保障理事会の空気を掌握していった。
日本のこの姿勢に関し、他のG4諸国は諸手を上げて賛同していた。
基本的にG4諸国は
戦争当事国であるアメリカにとっては、チャイナによる
ブリテンとフランスに関して言えば、アフリカやアジアでの治安維持に関して、紛争や治安維持の悪化なども戦争に準じる
対して慌てたのはソ連と、ソ連が纏めていた南米などのG4に対する反発の強い国家群であった。
国際法違反による戦争被害など、でっち上げようとすれば簡単に出来る事であり、そうなれば
とは言え既に国力差と、国力差に裏打ちされた
故に、正論を武器にする。
議場を武器にする。
国力の差が出る、国際連盟総会や国際連盟安全保障理事会の
この涙ぐましいソ連などの反G4国の主張を、G4側は受け入れた。
とは言え、これは別に
逆に、日本などはソ連などの
国際連盟の場で、安全保障理事会で審議した上で総会で多数決を行う事で、国際連盟加盟国に対して報復権の行使に関する干渉を許さない為である。
その上で、国際連盟加盟国には加盟国の報復権行使に対する支持と支援義務を、
国際連盟で正式に取り決めた事に面従腹背する事は、断固として赦さぬと言う姿勢である。
日本政府は怒っていた。
面倒くさい事を引き起こしたチャイナに怒っていた。
普通に戦争戦闘で傷つけられただけなら遺憾の意を表明するだけで終わらせられたのに、小知恵を巡らせて
兎も角。
紆余曲折の果てに、国際連盟加盟国の自衛の為の報復権に関して全会一致で承認される事となった。
その第1号は、当然ながらも日本による対チャイナ懲罰動議であった。
これまで以上に厳しい内容となっていた。
チャイナに対する国際連盟加盟国による経済封鎖 ―― 国営や民間を問わないチャイナ籍企業の活動禁止と共に、チャイナ人の入国拒否まで含まれているのだから。
例外としては外交官であったが、その自由行動への制限すら含ませていた。
外交関係に関するウィーン条約に抵触しかねない内容であり、反G4国家群は強い反発を示したが、日本が強い態度で、外交官の自由を阻止するのではない。
只、その監視を強化するのみであると強く主張した為、反G4国家群は折れざるを得なかった。*5
――日本チャイナ交渉
前回とは異なり、日本とチャイナの直接交渉が行われる事と成る。
舞台となったのは、仲介役も担った自由上海市であった。
チャイナに在ってチャイナの管理下に無い、この独立都市は国際連盟に特殊な立場で参加する事となっている事もあり、この様な交渉の場として最適であった。
とは言え、チャイナ政府と南モンゴル独立派との交渉の際にテロが行われていた為、自由上海市の治安を預かるイタリアは、緊張をもって望んで居た。*6
とは言え交渉自体は短時間で終わった。
日本が淡々と納得できる理由、責任者の首、見合った賠償の3つを要求し、その上で1週間と期限を切った上でのチャイナ政府の回答を要求しただけだったのだから。
チャイナは、交渉の場として設定されていた時間一杯に何とか交渉の糸口を探したが、日本は雑談に応じる事無く
後はチャイナが選ぶだけ ―― 交渉の場ではあったが、それは交渉では無かった。
時間の最後に、日本の代表は思い出した様に1言、伝えた。
日本は1週間後を目処に水上艦部隊を渤海に進出させる事を
しかも、2度の対ソ連戦でも、戦場で優位であったにも関わらず、ソ連を体制崩壊にまで追い詰めようとしなかったのだ。
日本からすれば、戦争の損益分岐などを勘案しての決断であったが、得られる利益があるならば、その効率などは問わずに最大化を図るチャイナの国民性からすると、理解できない話であったのだ。
故に、勝てる戦争を最後まで完遂しない、精神的に惰弱だとチャイナが思うのも仕方のない話であった。
実際、1942年に入ると共にフランスは対ドイツ戦争計画の精査修正と、軍事物資の集積を開始していた。
とは言えフランス領インドシナ情勢は、まだ紛争状態が続いている為、本格的に行動するのは状況が沈静化し次第という予定であった。
既に鎮圧の目処は見えて来ているフランス領インドシナであったが、ドイツとの戦争のさなかに再着火されてしまっては安心して戦争出来ない ―― 2正面作戦を回避する為、フランスは慎重に行動していた。
G4へと小さくとも物申せる国家はソ連を中心とした経済的に発展途上の、中級規模の国家しかなかった。
これは、小規模な国家の場合だと反抗するしないの前に、小国の絡まぬ周辺での経済的な外交交渉の余波だけで潰れかねないので、常にG4の顔色を窺わざるを得ないのが現実であったためだ。
その意味では、周辺諸国がG4へと変わった途端に、
日本は、世界秩序よりも
そんな日本にとって、国際連盟の場で主導権を発揮して議論を纏めるなど、名誉ではあっても面倒事でしか無かった。
そんなのはアメリカか、ブリテンがやれば良いのだ。
それにフランスが茶々を入れるのを日本は黙って見ていれば良い ―― ある意味でトンでも無い日本の本音の国家方針であった。
だが同時に、圧倒的な経済力を背景にする全世界を相手に戦争を行い、平然と勝利する事が可能な覇権国家である日本が、かの如く
そもそも、敵対国の外交官の監視は平素から行われるものであり、その活動を可視化するだけであるので日本の主張に強く反発し続けるのは難しいものであった。
とは言え、監視される側からすれば、公然と監視され、その行動が公文書として国際連盟安全保障理事会の報復権に関する小委員会で管理される事と成る為に、交渉相手に対してチャイナ外交官に対応する事への忌避を植え付ける効果があった。
ありていに言えば、チャイナに対する嫌がらせ
イタリアは交渉の場に第三者、国際連盟安全保障理事会が
チャイナが日本を信用していない為、護衛の問題でもめていたと言うのも大きい。
だがそれ以上に日本が参席を要求していた。
チャイナとの交渉内容を公開しながら行う事で、後日、チャイナが
2020/04/22 文章修正
2020/04/23 文章修正
2020/04/24 文章修正