大学で出会った彼女のことを僕は鮮烈に覚えている

この作品は小説家になろうにも掲載しています。

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桜を見ながら考えていたらそろそろ散ってきました。


桜と指紋と彼女の話

「ねえ、知ってる? 人の指紋を鑑定するときって特徴点が一致するかを調べるの。一本が二本に分かれたり、二本が一本に合流したりする点。その位置がその人の指紋を特徴付けるの。それって人の人生も一緒じゃない? 選択肢が無数にあってそれらがその人を決定づけるの」

 いつかの彼女は笑顔でそう嘯いた。僕の記憶の中の彼女はいつも笑顔だ。けれども、常に笑顔の人なんて人間性が欠けているだろう。彼女はそれと対極に位置するような人物だったから色々な表情を見せてくれたに違いない。そうであったなら、常に笑顔を振りまく僕の記憶の彼女はきっと僕の願望に過ぎないのだろう。

 

 

 

 彼女と初めて出会ったのは僕が大学に入学してしばらくの頃だった。

 大変だった大学受験を終え、授業にも慣れ始めた頃、実家から通っていた僕は代わり映えのなくなった日々に退屈を覚えていた。どうしようもないその気持ちをなんとかしようとサークルにでも入ろうかと色々と見て回ることにした。

 彼女との出会いはそうして見学したサークルの一つで訪れた。

 

「ねえ、もしあなた以外の人が皆心を持たない存在だったらどうする? みんなあなたの言葉に反応して表情を変えるけれど、それは決められた反応に過ぎないの」

 

 初対面の僕に対して突然そんな話を振ってきた彼女は相当な変人だったに違いない。けれどもそうした振る舞いが日々に退屈していた当時の僕の興味をそそったことは確かだった。

 

「もしそうだとしても何も変わらないよ。僕にとっての世界は僕が見えているように振る舞うし、その裏側がどうであろうとそれは変わることがないから」

 

 このとき、僕は確かこのように返答したんだと思う。そしてこの回答を彼女はお気に召したようだった。

 

 

 

 結局彼女との出会いを果たしたサークルには僕らはどちらも入ることがなかった。一方で、僕らは意気投合し、すぐによく二人でいろいろなところに出かける関係になった。

 

「桜の木の下に何が埋まってるか知ってる?」

 

 彼女の話は常に例え話か雑学から始まった。雲をつかむような話が多かった。

 

「寡聞ながら、何が埋まってるかなんて聞いたことないね。桜の木の下には幹を支える根っこが埋まってるんじゃないかな」

 

 あまり知識も頭の回転も持ち合わせていない僕の答えはいつも素朴で、そうした回答を彼女は大層気に入っていた。

 

「桜の木の下には死体が埋まってるの。きっと、桜の花の美しさは死体から吸い上げた妖しさから出来てるの」

 

 この時の彼女の表情を僕は今でも鮮明に思い起こすことが出来る。普段は明朗で快活な彼女であったが、時々妖しげな雰囲気を纏うことがあった。

 彼女はジャンルを問わず様々な本をよく読んでいた。そして、乱読家の例に漏れず雑学を多く知っていた。翻して、僕は漫画を嗜む程度であったため、こうした彼女の冗談に気づかないことが多々あった。そんなとき、必ず彼女はころころと笑ったものだ。

 

 

 

「押し花ってひどいものだと思わない? この世界の誰しもが享受できる時の流れというものを押し固めてとどまらせているんだから」

 

 彼女との関係は大学を通じてほとんど変化することがなかった。他人を介在しない密接な関係にあった男女が関係性を変化させないことはそれなりに難しい。僕らは常に僕らの関係に対して意識的であったと言っても良い。

 就職先も決まり、卒業論文も出していよいよ僕らの学生時代が終わるというとき、彼女が僕の家を訪ねてきた。

 そのとき、僕の頭には混乱と畏怖と、少しばかりの期待があった。僕らは必ず会うときはどこか外で落ち合っていた。それは僕らの関係が変わらないためには必要なことだったのだ。

 けれども、そんな感情は彼女の顔を見た瞬間に吹き飛んでしまった。

 

 彼女は()()()()()のだ。

 

 僕は彼女の泣いている姿なんて想像すらできなかった。やはりこの時の彼女は少しおかしかったように思う。彼女の泣き顔は綺麗で、少し彼女を幼く感じさせていた。

 

「私、大学を出たらここから出て行かなきゃいけないの」

 

 家にあげた彼女は涙をこらえながらそうこぼした。彼女のいう「ここ」とは具体的にどこなのかも、彼女がなぜそれに悲しんでいるのかもよく分からなかったが、僕はなんとはなしに彼女の肩を抱いた。

 

「多分、あなたにも会えなくなる。だからお願い、今日だけだから」

 

 なにもかもが普段とは違う彼女の様子にどぎまぎしながら僕は彼女に寄り添っていた。ただ寄り添うことでしか成し得ないことも存在するのだ。

 その夜は僕らの間に何かがあったわけではないが、確かに何かを終わらせたのだった。この夜は例え話も雑学も介在しない、それどころか言葉さえも挟まずに、僕らはある種の合意を得たのだった。

 

 

 

 彼女の旅立ちの時がやってきた。それは卒業式から少し経ってのことだった。彼女は桜の木の下で僕に別れを告げた。

 

「ねえ、もし時間の流れを堰き止めて自分の前に留めておけるとしたらどうする?」

 

 いつものように雲を掴むような話の切り出し方だった。いつもの彼女に戻っている事に僕はそっと息をついた。

 

「そうだとしてもなにも変わらないよ。川の魚はたとえ溜まった水の中でも変わらず泳ぎ続けるから」

 

 僕の答えに笑いながら、彼女が近づき僕の肩に手を伸ばす。これが今生の別れになるだろうことは僕らはきっと分かっていた。あなたの答えはいつもと違うのね、と少し悲しそうに僕の肩についた花びらをつまんだ。それでも笑顔で彼女はこう言った。

 

「私ならこう思うの。時よ止まれ、そなたは美しい」

 

 そのまま彼女は振り返らずに去っていった。

 

 その時の花びらについた彼女の指紋(生きざま)はいまでも押し固められている。


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