ぶどう畑を吹き抜ける爽やかな風を感じながら、グイード・ミスタは空を流れる雲を見ていた。穏やかで気持ちのいい天気だ。状況が状況でなかったら今日は日が暮れるまでのんびりしていたかったがそうも行かない。
ミスタは伸びをした。車のそばで立ちっぱなしであたりを警戒しているのだが、こう天気がいいとどうも眠くなる。二階の窓からトリッシュも空を眺めてるのを発見した。
ボスの娘ってだけで危険に巻き込まれて気の毒だが、もしかしてこれからすっげー金持ちになれるかもしれないわけだし、ちょっと羨ましい。
アバッキオ、フーゴ、ジョルノがボスからの司令に従いポンペイに出てる間、ミスタとナランチャが周囲を警戒している。
ナランチャは消耗していたがアイツのスタンドが一番索敵に優れているので踏ん張ってもらった。
ナランチャを襲ったという暗殺チームのやつはその場で死んだし仲間とも連絡をとってないとは言っていたが、油断はならない。
「ふぅー…ここでとれたワイン、どんな味がするんだろーな」
なんて独り言をつぶやいてまた空を見た。
ふわ、と綿毛のようなものまで飛んている。春の風だ。
「…綿毛?」
違った。それは綿毛なんかじゃない。妙な形をした謎の浮遊物だ。
「ッ!」
ミスタは銃を抜き二発即座に撃った。音を聞きつけブチャラティが飛び出してくる。
「どうした!ミスタ」
「な…あたんねーだと?!」
「あれは…スタンドか?」
ブチャラティもすぐふわふわ浮いてる妙なものに気づき、目を細めた。スタンドはここから5メートルくらい上空でふわふわ浮いているだけだ。
「トリッシュ隠れるんだ!下へ降りてこい!ナランチャッ!あたりに敵は?!」
「えっ…そんなのいないぜブチャラティ。人間の呼吸の点なんて、少なくともここ30メートル付近にはない!」
「範囲を広げてくまなく探せ!敵スタンドの姿が見えた!これは…遠隔操作型、なのか?なんもしてこないようだが…」
「こいつ、かなり精密に動いてるぜ。オレの弾を二発避けやがった」
「本体はナランチャも見つけられてない、ここから100メートルは離れた場所にいるはずだ。弾丸が見切れるということはスピードもあるかもしれない。気をつけろ!」
「チッ…ナランチャ!あのふわふわ浮いてんの撃ってくれ」
ミスタの怒鳴り声に家の裏口からドタドタとナランチャが走ってきた。
「どれだよ!スタンドじゃ見なきゃわかんねーじゃねーかー!」
「こっち来いって!玄関の方に浮いてんだよ!」
「どれ…あ、あれか」
ナランチャが。だがその瞬間
「あ」
ナランチャの左腕が爆ぜた。肘の少し上あたりで皮膚と筋肉が弾け、血が吹き出した。骨が露出し血がどくどくと流れ出し、ナランチャは目をまんまるにしてぶらんと垂れ下がる前腕を見ていた。
そしてそれに遅れて銃声が轟いた。
「攻撃だ!物陰に隠れろ!」
ミスタが叫び、ブチャラティがジッパーで無理やり傷をつなげたナランチャを家の中にぶん投げた。
その間にもう一発、ブチャラティのふくらはぎを掠め肉を大きく削いだ。
ミスタは転がり、玄関をくぐってドアを閉めた。
そして連続して4発、銃声と何かが破裂するバスッと言う音がした。
「おそらくガレージの車を撃ったな…オレたちの車じゃないが、いざってときのアシがなくなるのは困る…」
さらにもう一発銃声がして、ドアの止め金が破壊された。軋む音を立ててドアがゆっくり開く。
「お、オレの腕ッ…!どーなってんだよ!ブチャラティ〜…」
「クソ、ジッパーで繋いではいるが吹っ飛んじまった肉が多いな。ミスタ、なにか縛るものを」
「チッ…この威力は軍用ライフルか?スタンドじゃあねえよな…」
「ああ。ナランチャを撃ったのはスナイパーだな…。この家の玄関から真正面、手前の丘の上の森だろう。だがガレージは反対側だ。どうやって狙撃でパンクさせた?」
「妙なやつだぜ。だがライフルとは困ったな…襲撃にしちゃちと正攻法すぎるぜ」
「ああ。オレのスティッキー・フィンガーズでもあの速度の弾を見切って止めるのは不可能だ。だがあっちが動く気がないのならこの家で耐えてジョルノたちの帰りを待てば…」
きぃいー……
と、軋んで開いたドアの向こうから、例の浮いていたスタンドがふわりと侵入した。
「ッ…きたぜ…」
「……ナランチャ、おい。エアロスミスは出せるか?」
「う、うう…うん」
「あれを撃て。…見えるか?」
「ああ。わかった、チクショーッ!ブチャラティ、超いてぇーよォ」
「すまない。踏ん張ってくれ」
ナランチャのエアロスミスが機銃でスタンドを狙った。
「エアロスミスッ!」
だがエアロスミスの掃射さえも、まるで風に煽られとんでいく羽のようにキリキリ舞いして避けていく。
そして掃射が終わった途端また銃声がした。
「うっ!」
ナランチャのスタンドを弾丸が貫いた。だが実弾はスタンドに傷をつけられない。
「今の軌道…ドアの外からじゃ当たるわけがない。あのスタンドが射撃を中継しているのか?」
銃声。
そしてドアの丁番のあたりに大穴が空き、がたんと音を立てて入り口から中が完全に丸見えになった。
「わざわざドアを開けたか。ミスタ、もう一発撃ってくれ」
「おう!」
ミスタはまた一発撃つ。スタンドは風に吹かれるように弾をかわし、また同じ位置に漂った。
「違う、ミスタ。このスタンドは操作で避けてるんじゃあない。ようやく確信が持てた。やつはおそらく気流を探知してる」
「なんでわかる?」
「撃たれた直後、あのスタンドは螺旋状に回転して舞い上がった。弾丸はジャイロ回転している。その風を読んだんじゃないか」
だとしたらナランチャの掃射の気流も読んで避けたというのか。ならばドアを開けたのも空気の出口を一箇所作り、気流をより探知しやすくするためか。
「トリッシュの安全が最優先だ。キッチンから迂回して階段に行き、彼女を保護する」
「あ、ああ」
ミスタは丘の向こうに見える木々を見た。あの影になってるとこの何処かに狙撃手がいる。新たな追手が…
「チッ…便利なスタンドだな……」
ブランクはナランチャの腕を即座に繫げたブチャラティのスタンドを見てイライラしながら呟いた。
「殺すなら…ドタマに撃たなきゃだめか……」
三人が物陰に隠れたのを見て次弾を装填し、まずはマンハッタン・トランスファーの射撃中継を利用し車を潰した。
そして次は中継なしにドアに狙いを定めて撃った。ドアが壊れ、マンハッタン・トランスファーの入れる隙間が開く。
ナランチャのスタンドを撃ってみたがエアロスミスに実弾は効かないためブランクには排除することはできない。
「だがこれでナランチャは相当呼吸が乱れた。彼の呼吸は目印になる…怪我人っていうのは一番使える足かせだな」
ブランクはもう一発ドアに撃ち込み、玄関の風通しをよくしてやった。
ブランクがいるのはブチャラティの読み通り、家の真正面およそ200メートル。なだらかなぶどう畑の丘の上にある森だった。
ブランクはボルトを引き次弾を装填する。
勝機はある。
リゾットは追跡するだけで十分だとか言ってたがそんなわけがない。あいつらはホルマジオを殺した。
そんな奴らが分断されてる好機に付け込まないなんて間抜けすぎる。
車の轍から家を確認し、窓から空を眺める女の子を見つけたときにブランクはすぐ決断した。
イルーゾォ先輩がポンペイでやりあってるうちにブランクが残り三人を片付ける。イルーゾォが3、ブランクが3。娘を確保する栄光はブランクのものになってしまうが、半数わたせば先輩の顔も立てられていいじゃないか。
何より、ホルマジオが残した手がかりを無駄にしたくなかった。
気流が僅かに変化した。ブランクは目を閉じスタンド越しに風を感じる。ブランクの読みの精度は師匠より遥かに劣る。だが家の中の気流ならばいくらか読みやすい。
ブランクは引き金を引いた。マンハッタン・トランスファーの中継により弾が着弾する。
「……ん?誰も…当たってないか?…微風。微風だ。腰くらいの高さから…風が出てるのか?いや。下向き…下向きの水流。水道を流した?なんのために…」
ブランクは目を凝らす。精度不足を目で補おうとするが流石にうかつに姿は見せない。だが目を開けたら開けたで気流以外の余計な感覚がノイズになる。
闇雲に一発撃つか?だが盲打ちしたらこちらの精度それ自体が良くないことが悟られてしまう。
「………階段の上…クソ。上がられたか」
マンハッタン・トランスファーがまたふわりと動いた。
「ブチャラティ!スタンドが反応したぞ!」
ミスタが怒鳴った。
さきほどキッチンから走り出したときに撃たれた弾丸はブチャラティの頬をかすめただけだった。ブチャラティは上に向かおうとするとき、キッチンにあるガス栓をすべて開け、排水管を破壊した。
ダメ元だったが狙い通り気流の流れが読みにくくなっているらしい。
銃声が轟いた。
「ウオッ…!」
またもライフル弾がスタンドを中継して飛んできた。だがガスのおかげで狙いが逸れている。弾丸はブチャラティの頭から五センチほど離れたところを通過して壁を破壊した。
「トリッシュ、部屋から出るな!毛布が何かをかぶれ!今行く…!」
「チッ…」
ナランチャがまたエアロスミスでマンハッタン・トランスファーへ掃射する。弾もスタンドとはいえ動くものには必ず気流が発生する。マンハッタン・トランスファーにとってそれを避けるのは造作もない。
ブランクはブチャラティを狙うのをやめる。娘に誤射するリスクは取れない。
「先に下の二人だな」
ボルトを引き薬莢を排出した。次のために弾をつまむと、指がぶるぶる震えてるのがわかった。
「……」
次弾装填。スコープを覗き、同時に気流を感じる。ナランチャの呼吸はすぐに見つかる。もう一つの呼吸はおそらくミスタというガンマンだ。
「怪我人は…半殺しで囮にする。狩りの鉄則だよ、グイード・ミスタ…ッ」
捉えた。妙な気流を無視して荒い呼吸とすぐそばの呼吸に集中すれば絶対に当たる。
ブランクは引き金を引いた。
そしてマンハッタン・トランスファーがミスタとブランクの射線をつないだそのほとんど同時に、ナランチャはエアロスミスでキッチンの天井を撃ちまくった。
「ぁ…ッ?!」
ブランクは引き金を引いたまま身を硬直させた。
「が…あアァ…クソッ………!あいつらッ」
ぶどう畑の向こうに見えるブチャラティたちの潜伏する家。その家の一階は今火に包まれていた。
「キッチンをガス爆発させたのか…ッ!マンハッタン・トランスファーごと!つーか自分ごと!ば、馬鹿じゃねえの?!」
ブランクは身体を起こし上着を剥ぎ取るように脱いだ。左上半身にスタンドからフィードバックされた火傷ができている。
マンハッタン・トランスファーは爆発の寸前、空気の収縮を探知し反射的に空いてるドアから逃げようとしたはずだ。だからガスで満ちた天井付近にいたにもかかわらずこの程度の怪我ですんでいる。
だが4つある羽のうち一つがやられた。もう気流を正確に読むことはできない。
「クソッ…!」
ブランクは地面から起き上がりスコープで家の様子を見た。
玄関から男が走って出てくる。帽子とセーターがぼうぼう燃えているのに全速力だ。グイード・ミスタ、拳銃使い。
「正面突破だと…舐めんな!」
ブランクは立ったまま次弾装填し引き金を引く。だが
「ッ…!」
痛みだ。痛みで筋肉が引きつって狙いが逸れた。
なんということだ。師匠の金言をここに来て忘れるとは……!
弾はミスタの脇の下を抜けて地面に当たる。土煙を巻き上げ、ミスタは咆哮してこちらに銃口を向けた。そして1発撃った。
だがブランクとミスタの距離はおおよそ100メートル。拳銃の弾丸は100メートルじゃあまともに標的に当たりはしない。
ブランクはかまわずすぐ次弾を装填し、スコープを覗く。
「コイツ油断シタゼ!」
「100メートルクライオレタチノチームワークデ余裕デ届クッテーノニヨ!」
「こっ…これは……」
声だ。変なピーピー高い声が聞こえた。
その瞬間、スコープが、目の前が真っ暗になった。そして頭にものすごい衝撃が走り、身体が後ろにのけぞった。
「…やったか」
「完璧ダゼ〜ミスタ」
「右目にシッカリブチコンデヤッタ!」
「ヤロー間抜ケヅラシテタゼェー!」
「さすがだぜピストルズ!」
「スナイパーナンテオレタチノテキジャナイゼー!イェーイ」
ミスタはまだ燃えてる左肩をパタパタ叩いて火を消した。
「クソッ…黒焦げじゃあねえか。昨日の傷も満足に治ってねーっていうのによォ〜…」
キッチンを爆発させるというのはナランチャの案だった。ついさっきも街中に火をつけまくったヤツらしいイカれた発想だが、それに乗るミスタも大概なもしれない。
ガスは普通の空気と重さが違い、上に貯まる。そこで上に行くブチャラティへの狙いを反らせ、当たらないからと狙いを変えたスタンドごと爆発させる。
「ナランチャも実は賢いのかもしんねーな」
だが結果的にもくろみは見事成功だ。トリッシュもまあ、怪我はしているかもしれないがブチャラティはなんとか二階についたようだし大丈夫だろう。
死体を確認しに行こうとすると、ブチャラティが二階の窓から叫んだ。
「ミスタ、すぐにここから出るぞ!敵は一人とは限らん!」
「わかった!」
ミスタは森を一瞥し踵を返した。ピストルズが右目に打ち込んだというのなら生きちゃいないだろう。
トリッシュはかわいそうに、怯えていた。だがどっちかというと焦げ焦げのミスタとナランチャに対して怯えているように見えた。
「畑を抜けて車道沿いに走るぞ。ジョルノたちももう戻るはずだ。合流して即ここから逃げるッ!いいな」
メローネはバイクから降りてぶどう畑まで燃え移った火事を眺めた。
「派手にやったな…」
そしてバイクを降りて玄関付近の血溜まりから血液を採集した。ついでに指でその血をすくいベロリとなめた。
「AB型、血が薄い。怪我をして消耗してるな。…という事はホルマジオと戦ったやつ…ナランチャの血か。よーしよしよし…」
ぶっ壊されたドアから家の中を覗いてみた。かなり火が回ってて血を採取するのは無理そうだった。
「だがこれでジュニアが生産可能になったな。勝ったも同然だ」
メローネは立ち上がり、最後にブランクと連絡したときに聞いた『家のそばの丘の上の森』を見た。
逃して、現場は火事で、連絡なしってことは…
メローネは薄々だめだと思いながらも森に向かった。その森の入り口、ブランクが仰向けでぶっ倒れていた。スナイパーライフルが投げ出され割れたスコープのガラス片が飛び散っている。
「おいおい、ライフルで拳銃使いに負けたのか?ブランク」
メローネは呆れながら死体から携帯を取ろうと服を弄った。胸ポケットに手を突っ込んだとき、ブランクの手がメローネの手首をガシッと掴んだ。
「違う…スタンド勝負で負けたんだ」
「うわァあーーッ?!」
メローネは思わず悲鳴を上げて尻もちついてしまった。ブランクは右目から大量に出血しているが生きていた。
「お、お前は…生きてるなら早く言え!」
「今…起きた…」
「てっきり脳天を撃ち抜かれたのかと思ったが…それ、どうなってるんだ?目は潰れてるのか?」
ブランクは右目に恐る恐る手を当て、傷を確認した。弾丸は眼球を潰している。だが、そこで完全に固定されている。
カプリ島でコピーしたサーレーという男のスタンド、クラフトワークだ。真正面から撃たれ、弾丸が眼窩に侵入した時にとっさに固定できていたらしい。
マンハッタン・トランスファーが焼かれ、一度能力を解除したのが幸運だった。
幸運…。
「右目は潰れましたが…それ以外は元気です。…あ、なんか火傷がすげー痛くなってきた…」
「はあ…生きてるならとっとと行くぞ。ナランチャの血液を採取した。母親を見つけて産ませなければ」
「………すげー…気分悪い。痛いし…」
ブランクは上体だけ起こし頭を抱えて蹲った。メローネはため息を付き背を向けてブランクに告げた。
「…落ち込みついでに教えるが、イルーゾォも殺られた。ここでボーッとはしてられないんだよ、来い」
ブランクはおもむろに起き上がり、自分の右目におもむろに人差し指と中指を突っ込んだ。
「いッ……!」
ブランクの声に振り向いたメローネはそれを見て顔を引きつらせた。
ブランクは目に突っ込んだ指を数回掻き回し、抜きだした。血まみれの二本の指の間には弾丸が挟まっていた。
ブランクはそれを茂みに投げ捨て、フラフラしながら立ち上がる。その形相は血塗れなのも相まってこの世のものじゃないみたいだった。
「……早く来いよ」
メローネはその姿を見てからすぐに背を向け、ぶどう畑の向こう側に停めてあるバイクの方へ歩いていってしまう。
ブランクは地面に落ちたライフルを拾い上げ、背中に背負った。バックパックも担いでふらふらした足取りで畑を抜けた。
悔しい。
悔しいだけじゃない。なんか暴れたいほどの気持ちが胸の上側にたまってくるし、喉がしまったみたいに苦しくなるし、潰れた眼球から血となにかよくわからない液体がぼたぼた流れてくるのが気持ち悪い。
ムーロロの“とりあえず生き残れ”という命令は結果的に守れたが、自分はあのとき…ナランチャを撃ったとき、そんなものはどうでもいいと思っていた。
僕は僕のために引き金を引いていた。
僕は…怒りを感じているのか。
ブランクは血を拭ってメローネのバイクの後ろに跨った。
「ほら、とりあえず止血しとけ。オレの服に血がつくからな」
「どうも。……うわ、これ先輩のマスクじゃないですか。ペアルックになるじゃないですか。キツイな…」
「お前だんだん無礼になっていってるよなぁ…」
そしてメローネはスタンドを蹴り、エンジンをかけた。