ABOUT THE BLANK   作:ようぐそうとほうとふ

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04.ナイトバード

 

1999年1月 ブランク入団から一月

 

「人に恨まれる覚えは…少なくともこっちに来てからはないんだけど」

 

 シーラEは身動き一つできないまま、視界いっぱいに広がる地面を見つめ続けることしかできなかった。

 顔を上げることはできない。なぜならば首周りには大量のパイプやらボンベやらがくっついており、しかも体全体がそういった鉄類にガッチリと固定されてしまっているからだ。

 

「にしても指定場所が廃工場とはね…ほんとラッキーだった。それに君の能力は特段僕と相性が悪かったみたいだしね。今回は僕の運が良かった」

 

 シーラEはイルーゾォをおびき寄せるために偽の暗殺依頼を出した。イルーゾォ向けの、人をさらい甚振るゲスな仕事を。

 だというのに、指定場所に来たのは赤毛のひょろい新顔だった。そいつは無警戒に廃工場に来て、フェイクのターゲットの写真を見ながらキョロキョロしていた。

 シーラEは当然肩を落とした。だがフェイクの依頼を出した以上、引き下がることはできなかった。シーラはその見慣れないチンピラの顔が組織の情報にあるかどうか確認するため、あわててパソコンをとりだし電源をつなげた。残念ながらリストにそれらしき人物はみつからなかった。

 たが暗殺チームの新入りであることは間違いない。シーラはイルーゾォの情報を搾り取ろうと自身のスタンド、ヴードゥー・チャイルドで襲いかかった。

 

 ヴードゥー・チャイルドは殴った箇所に唇ができて、攻撃を受けた者の深層心理を読み取り、最悪のことばを吐き続けることができる。初対面の赤毛にも容赦なく、その場で身動き取れなくなるような心の吐露を吐きかけたはずだった。

 

 なのにこいつには言葉が全く響いていない。

 

「僕は空っぽだからさ…何を言われてもなんとも思わないんだよね。噛み付いてくるのには参ったけど」

 

 ブードゥーチャイルドの唇を作る能力は解除させられた。だがシーラはまだ諦めてはいなかった。相手の油断を待って再び襲いかかり、今度は迷わず喉笛を噛みちぎるつもりだ。

 

「…で、君は…えーっと…シーラ?シーラちゃんっていうのか。ふぅン…パッショーネの人じゃん。同士討ちはご法度じゃなかったっけ?」

 

 目の前にぼとりと財布が落ちてきた。所持品を漁られ、パッショーネのバッジを見つけられたらしい。名前の方はクレジットカードか何かでわかったんだろう。

 

 ゲッ。こいつ札はおろか小銭も全部抜いてる!せこいやつ!

 

「で、なんで偽の依頼を?内容から察するにイルーゾォ先輩をおびき寄せたかったのか?」

「……あんたに…関係ないでしょ」

「あるよ。イルーゾォ先輩は僕の世話役なんだ。君にまた粘着されると面倒だろ」

「ハッ…じゃああんたもゲス野郎のお仲間ってわけね」

「ギャングなんてやってるのはみんな同じ穴の貉だと思うけどね。君も僕も」

「程度が違うわ。私はあいつをぐちゃぐちゃにしないと気がすまないッ!裏世界に住むクズには同じクズになってでも、自身で裁くしかないのよ」

 赤毛は鬼気迫る形相のシーラを見てきょとんとしてから言った。

「ああ…もしかして復讐ってやつ?」

 

 無関心が透けて見える口調にシーラはブチキレそうになった。だが身体にのしかかる鉄の重みと冷たさがシーラをギリギリ正気にとどめた。そんなシーラの心境を知ってか知らずか、赤毛は更に踏み込んでくる。

 

「君の復讐はよりよく生きるためにすること?」

「ちがう、姉さまの無念を晴らすため。それができれば、私の命なんてどうなったっていい」

「姉さま?」

「そう。あんたの先輩が殺したの。私は絶対に許さない…」

「ふうん…そういう復讐もあるんだね」

 

 赤毛は無感動に言った。そして数秒考え事をするかのような間をおいてからまた話し始めた。

 

「僕、チームに入ったばっかりだからわからないけど…イルーゾォ先輩が昔なにしてても全然不思議じゃないな。君のお姉さんはお気の毒に。まあ、正直どうでもいいけど…」

「いかにもゲスの仲間らしい発言ね」

「だって僕は酷いことをされてないからね」

 

 赤毛はかがみ込み、シーラの耳に顔を近づけ小声で言った。シーラからは赤い毛先しか見えない。

 

「でも…君が先輩を殺すと仕事に支障が出るから、復讐はさせないよ。このことはドッピオさんに報告する。ボスの右腕だ、わかるか?」

 ドッピオという名を聞いてシーラは息を呑んだ。赤毛はその反応を静かに観察している。

「なんであんたみたいな下っ端がドッピオさまの名前を知ってるの」

 そう聞いてからシーラは後悔した。この言い方じゃ自分がドッピオと通じる親衛隊だと言ってるようなものだ。

「もし君が今後もパッショーネで、本気で復讐を果たしたいなら…僕がいなくなってからのほうがいいね」

「私を殺せばそんな危険なくなるわよ」

 シーラは挑発する。だが赤毛は意にも介してない様子でそのまま立ち去ろうとしていた。足音が遠ざかっていく。

 完封された。反撃の機会もとどめも刺されない、完全な負けだ。

 

「チクショウ!死ね!」

 

 シーラの罵倒に、だいぶ遠くから返事が聞こえた。

 

「変なの。人は必ず死ぬよ。いつかね」

 

 

 シーラがその赤毛の名を知ったのはだいぶあとになってからだった。

 

 


 

 

 くおんはシカのように軽やかに走っていく。フーゴは3メートルほど間を空けて彼女に続く。フィジカルが物を言うと公言するだけあって走りはハイペースだ。

 先程双眼鏡で見た事故現場を通り過ぎる。車の中で運転手が血を流して伏せている。死んでいるのか生きているのかわからないが、かまっている暇はない。

 市街地に入った。事故があったにもかかわらず街はしんと静まり返っている。くおんは港へ続く商店街の入り口でピタリと止まり、フーゴを見た。フーゴもくおんの顔を見て頷いた。

 

「妙だな」

「ね。……でも生き物は複数いるよ」

 

 くおんは首はほとんど動かさずに周囲を目だけで見回した。野生動物みたいな勘が働いているのだろうか。フーゴに感じ取れない何かの気配を掴んでいるらしい。

 

「…ぼくにはわからないな」

「いや。感じる。でも人…っぽくはないな…」

 

 くおんは腰に下げた拳銃を取り出した。ベレッタ92だ。さっきまでのおどけた態度と打って変わって真剣な眼差しで暗闇に目を向けた。

 

「……近い」

「何…?」

 

ふぅーっ……ふぅーっ……

 

 不意に荒々しい呼吸音が聞こえた。背筋に悪寒が走り、フーゴはとっさに体を左へ仰け反らせた。

 直後、風を切るような音がして、さっきまでフーゴの頭があった位置に鉄パイプが振り落とされていた。

 

「おっ…」

 

 くおんが銃口を向けるより早く鉄パイプの持ち主にフーゴの拳が叩き込まれた。

 男の顔面には拳がガッチリめり込んでいる。だがぶっ倒れることなく、鉄パイプを再び振りかぶろうとした。

 その時、くおんの銃口が光り、銃声が二回轟いた。男は両膝の関節を破壊されがくりと体勢を崩す。フーゴはさらにその背中に蹴りを叩き込んだ。男は前へ吹っ飛び、地面に血の跡を残しながら転がる。たが鉄パイプは決して手放さない。そればかりかこちらを睨みつけて立ち上がろうと藻掻き始めた。

 

「こいつ、普通じゃあないぞッ!」

「パンナコッタくん、これ!」

 くおんは反対側の腰に下げていた銃をフーゴに投げ渡した。男の口からは歯が歯肉からぶら下がっているだけでなく、頬の内側からも犬歯が飛び出していた。それだけの力で殴られたら脳震盪を起こすか頭蓋骨が割れるかで再起不能になるはずだ。

「ひぃーッ…痛くないのかな?アレ」

「いいや…おそらく感じてないんだ」

 

 そうこうしているうちに周囲に同じように荒い呼吸を繰り返す、うつろな目をした人間が集まってきた。まるで男の血の匂いに釣られてきたかのようだ。

 それを見てくおんはため息を吐き、フーゴの言葉の意味を理解した。

 

「なるほどね…マニック・デプレッション、応用が利くんだ」

「こんな使い方ができるとはな」

「ヤクでぶっ飛んでるっていうより、これじゃあゾンビだねゾンビ。ゲームみたい!」

「馬鹿なことを言ってる暇は…」

 

 フーゴの言葉を遮るように、叫び声が聞こえた。くおんの背後から男が一人まっすぐ走ってきた。くおんは冷静にその男の額に銃床を叩き込んだ。

 

「ゾンビなら弾の無駄うちはご法度だからねッ」

 

「いや、場合によるッ」

 

 フーゴはくおんに組みかかろうとしたもう一人の頭を一発で撃ち抜く。

 

「あは、やるじゃん!走ろう、パンナコッタくん!」

 

 それを皮切りに大勢の中毒者たちが二人をめがけ走り出した。

 二人もすぐに駆け出す。行く手を阻む有象無象を蹴散らしながら。てっきりくおんはなにかしらスタンド能力を使うかと思ったが、全て格闘技で応戦している。戦闘向きの能力ではないのだろうか。

 

 

 襲い掛かってくる連中は単調な攻撃しかできないため対処は容易だった。だが数とスタミナがありすぎるため戦闘は余裕とは言い難い。やつらは殺さない限り襲ってくる。

 

 フーゴはごみ捨て場から非常階段、屋上を経由して港へ行けるルートを発見した。くおんもフーゴのあとに続いた。これで地上を行くよりは遥かにマシなはずだ。

 

 

 

 真夜中の海はタールみたいに真っ黒だ。夜の闇との境界でチラチラと港町の灯台の光が瞬いている。

 

「あの漁船をパクろうッ!」

 

 くおんはそう言って走るスピードを上げ、ショートカットと言わんばかりにはしごを無視して三階の高さから飛び降りた。さすがに怪我をすると思ったのだが本人は平気そうだ。

 

 フーゴははしごを使ったが後ろから中毒患者たちの唸り声がどんどん迫ってくるせいでほとんど飛び降りる形になってしまった。

 

「はやくはやく!」

 

 フーゴが漁船に飛び乗る頃にはもうエンジンをかけられたらしく、すぐに飛沫を上げて港から離れていく。マニック・デプレッションで強化された人々は次々に海に飛び込んでこちらに向かって泳ぎ始めるが、次第に波の間に消えていった。

 

「よし…大成功!あとは島に行って、ヴォルペを止めるだけだねッ!いぇいぅ!天才!」

 

 くおんはエンジン全開で船を走らせる。飛沫が顔に当たった。走って火照った体が潮風で冷めていき、次第に頭も冴えてきた。

 フーゴは宙ぶらりんになっているいくつかの疑問についてくおんに聞いてみる事にした。

 

「なんでヴォルペは島に向かっているんだ?海外に逃げるならもっと別の方法があるはすだ」

「んーっと…順を追って説明しないとだめなやつなんだよね…」

 くおんはちょっと考えてからフーゴの疑問に答え始めた。

 

「今回の任務、麻薬チームの件がなかったならギアッチョがやる仕事だったんだよ。紆余曲折だね!ギアッチョはわかる?」

 フーゴはその名前を聞いて拳を握りしめた。

「元暗殺チームの…」

「知ってるんだ」

「ああ。……戦って負けた相手だ」

「あはっ!じゃあ生きてるだけで大したもんじゃん!自信持ちなよ〜」

 くおんはフーゴの重たい口調とは裏腹に感心したような褒め言葉を口にする。フーゴも流石にもう慣れたが、まるでくおんの耳にはお気楽フィルターでもかかってるのかというくらいにポジティブだ。

 

「一応言っておくが腕相撲か何かじゃあないんだぞ」

「わかってるよ?でもなんか気にしてるっぽいんだもん。慰めたんだよ!」

「余計なお世話だ」

 くおんはフーゴの素っ気ない対応を相変わらず歯牙にもかけず、ニコニコしている。

「でねでね、ローマである財団の人間が攫われてるって報告があがってね。調査を進めてったら、ギアッチョが回収するはずだったブツを麻薬チームも狙ってるっぽいってはんめーしたの!で、いろいろな兼ね合いで殲滅がシーラちゃんたち、ボクと君が回収って割当になったんだよ」

「そのブツっていうのはヴォルペにとって逃亡よりも優先するほどの品なのか」

「んー、ボクはそう思えないけど…考え方は人それぞれだよねぇ」

「一体それは?」

 フーゴの質問にくおんはニヤッと笑い、芝居がかった口調で答えた。

 

「人を不死身にする仮面さ」

 

 フーゴは不意に出てきた不死身というワードに気を取られ、きょとんとした顔をしてしまった。

「聞き間違いじゃあないよな?さっきのゾンビみたいなたとえか?」

「ちがうよ!マジだよ!本当にあるんだもん」

「そんなオカルトを信じて、ヴォルペがこんな事をするとは思えない」

「確証があったんだよ。…ま、シーラちゃんをさらったあたり、使い方までは知らないのかもしれないけど…もう使われてたとしたらヤバイねー」

 どうやら聞き間違いでも冗談でも比喩でもないらしい。一体どんな状況に追い込まれたら不死身の仮面なんかを欲しがるのだろう。フーゴにはさっぱりだった。

 だがそれが実在して、今後脅威になるというのならば、対策を練らなければならない。

 

「ぼくのパープルヘイズは生き物に対して無敵と言っていい。だが不死身に効くかはわからないぞ」

「そこらへんはどうでもいいんだよ。ノリだよノリ〜」

 

 真剣なフーゴに対してくおんは投げやりだった。確かに、上としてもこちらの成功率なんてどうでもいいのかもしれない。

 組織にとっては不都合な真実を知るこちらと裏切り者の共倒れがベスト。最悪の場合、裏切り者が勝ち残ってもより強力なスタンド使いを差し向ける準備があるはずなのだ。

 フーゴは暗澹たる思いに駆られ、思わず問いかけた。

 

「どうして組織に居続ける?」

 

「え?もしかしてボクにきいてる?」

「こんな危険な任務にあてがわれるくらいなら、足を洗って普通に働くなり、外国に逃げればいいたろう」

 

 くおんはうーん、と少し悩んでるような声を出してから答えた。

 

「それを言うならパンナコッタくんこそだよ?組織は今かなーりグダグダじゃん。ボスの挿げ替えは成功したけど、幹部は軒並み入れ替えられた。何人か暗殺されたし、裏切り者には処刑命令が出てる。この討伐任務も、あわよくば口封じって狙いがあるんだよ?どーしてそんなとこに居続けたいの、パンナコッタくんは」

「…きみは情報チームのチーフなんだろ」

「そりゃパーソナルデータはわかるよ。ブチャラティチームで何してきたかとか、誰といちばん仲良かったかとか、君がとても優秀な人間だってこともね。でもそれを見ると尚更、ギャングに固執する必要なんてないように思えるけど?」

「そうか。傍から見るとぼくはそう見えるんだな」

 

 確かに、その気になれば外国で身一つでどうにかできるかもしれない。大学を放逐されたときと比べれば選択肢はたくさんある。

 なのにぼくはネアポリスから出るなんて思いつかなかった。その理由について考えようとすると、今も服の下に残る凍傷の跡がつっぱるような気がした。

 ボートが風を切って海を行く。波があたって飛沫が飛ぶ。くおんは舵を握ったまま沈黙を守っている。

 フーゴの頭にまず最初に浮かんできたのは、全く唐突で、答えになってない、今はなき過去の風景だった。

 

「あの、リストランテ。行けばだいたいブチャラティ、アバッキオ、ミスタ、ナランチャのうち誰かがいて…エスプレッソを飲んでた」

 

 ブチャラティチームのたまり場だったリストランテ。スパゲッティを頼んでおけばハズレはないが、実はピザはそこまででもない。それに切り分けるものを頼むとたいていミスタが4に固執し、いつものジンクスの話を持ち出してくる。

 その時の光景が突然フーゴの頭によぎったのだ。

 

「バカみたいだが…ぼくがここにいるのは……そう。まだあいつらがそこにいるような気がしてならないからなのかもしれない」

 

 

「………わかるかも、それ」

「…おまえ、てきとうに答えてないか?」

「そんなことないよ!…僕にもあるんだ、二度と帰れない場所ってやつが」

 

 

 目の前に島らしき影が見えてきた。フーゴは追求するのをやめて、目の前に見えてくるはずの港の明かりを目を細めて探した。

 

 だがそこで突然、エンジン音と漣の間に不自然な何かが聞こえたのだ。

 

る、れ…

ら…ら…

らら…ら

 

 

「今、歌ったか?」

 

 

 

「はぁ?なァーに言ってんだよ、フーゴ」

 

「…え?」

 

 目の前にいるのはナランチャだった。カプレーゼをフォークに突き刺しながら、こちらを見つめている。口の端にはトマトの種がついている。

 フーゴはグラスを口につけていて、危うく中身をこぼしそうになっていた。

 

「遅ぇな、ブチャラティ」

 

 ナランチャの左手にはミスタが座っていて、椅子を傾けて出口の方を見ている。いつものリストランテだ。ミスタの向かいのアバッキオは最近買ったMDでなにか曲を聞いている。

 

 フーゴはグラスを取り落とし、席を立った。水がこぼれ、グラスは割れてしまい、ナランチャが悲鳴を上げる。

 

 ぼくはさっきまで…

 さっきまで?

 

 突然頭が霞がかったようになり、自分が何を思い立ち上がったかわからなくなる。フーゴは眉間を押さえ、テーブルに手をついた。真っ白なテーブルクロスだ。

 

「何だ、どうしたんだよフーゴ…ったく」

 

 アバッキオが面倒臭そうに破片をナプキンの上に集め始めていた。ナランチャは心配そうに、というよりは不気味なものを見るような目でこっちを見つつ「なんだァ?フーゴ、頭痛か?」と声をかけている。

 ミスタは机の上のシミをバンバン叩くようにして拭いている。

 

「……す、すまない」

 

 強烈な違和感に襲われ、フーゴはまた席に座った。だがその違和感の原因がわからない。まるであっという間に箱にしまわれてしまったかのようだった。

「そんな調子で大丈夫かよ。ブチャラティの連れてくるやつってのがもし幹部だったら、見苦しいとこ見せられねーんだぜ」

 アバッキオはヘッドホンを外して言う。

「大丈夫だ。さっきはちょっと…寝ぼけてた」

「お前居眠りしてたのかよ!」

 ナランチャが笑う。いつものように。つられてミスタも笑いだして、フーゴは怒った。

 

 

 

 

 そうだ。確か今日はブチャラティがある人を紹介したいと言ってみんなを集めたんだった。

 

 仕事上大切な取引相手ならばいつものレストランに呼んだりしない。だからきっと恋人だ!とミスタが盛り上がり、ナランチャと賭けをしていた。地域の自警団をしているぼくたちチームに、そういう浮いた話は今までなかったから一大イベントだ。

 

 そう。そうだった。

 

 それで待ってる間にナランチャが腹が減ったとごねてカプレーゼを食べだし、ぼくはそれに呆れていたんだった。

 

 そうこうしていると、レストランのドアが開いてそこからブチャラティが入ってきた。傍らには女性が立っていた。

「またせたな、お前ら」

「えっ…ブ、ブチャラティ…まさか紹介したい人…って…!やっぱり……!?」

 ナランチャががくがく震えながらブチャラティに尋ねた。ブチャラティははにかみながらその女性を紹介した。

「彼女はトリッシュ・ウナ。とても親しくしている女性だ。トリッシュ、彼らはオレの仲間だ」

「はじめまして、トリッシュ・ウナです」

 

 

 フーゴ以外全員が立ち上がり、ブチャラティの周りに集まった。フーゴは何故か立ち上がれないまま、ワンフロア向こうでわいわい騒いでるチームを見ていた。

 柔らかな日差しに包まれた全員を見てると、脳の奥からじんわりと幸福な気持ちが湧いてくる気がした。それと同時に、なにか大切なものまで麻痺していってるような気もする。

 

 ナランチャが楽しそうにトリッシュに質問をしている。ブチャラティとどこで知り合ったのか、確かに気になる。トリッシュは笑顔で、時々ブチャラティと視線を交わしながら楽しそうにそれに答えている。

 アバッキオはきっとブチャラティがトリッシュを連れてくることを知ってたに違いない。目を細め、幸せそうな二人を見ている。

 

 

「ん?フーゴ!お前まで彼女連れてきたのか」

 アバッキオが窓の外を見ながら言った。フーゴか窓の外に注目するより先にブチャラティがその人物を中に招き入れた。

 

「うわー、なんかお邪魔じゃなかったですか?ごめんねっトリッシュ…ボク、たまたま中覗いただけなんだよ〜!」

 

 声が聞こえた。確かに聞き覚えがある。だが背の高いアバッキオとミスタに遮られて姿は見えなかった。

 

「邪魔なんかじゃないわ。あなたと私も彼らと同じくらい仲がいいもの」

「ああ。きみもよければ一緒にお茶をしよう。椅子を用意してもらわなきゃな」

 ナランチャたちがワイワイとその人物をからかい始めた。

「よお!フーゴが恋しくてきたのか?」

「茶化さないでよ〜ナランチャ!」

「お熱いね」

 

 その人物は、柔らかな日差しに包まれていて姿が曖昧だった。鴨居をくぐって、少し影になったこちら側に来てようやく姿がはっきり見えた。どこからか潮の匂いがした。

 

「やあ、パンナコッタ・フーゴ」

 

 そこに立っていたのは全身ずぶ濡れの人物だった。赤毛が目元にかかっているせいで表情はよく見えない。ただ隙間から見える青い瞳はとても冷たい。

 

 レストランにはあまりにも場違いな様相の“彼女”に、フーゴはまるで本当にレストランでたまたまあったかのような自然な挨拶をした。

 

「やあ、くおん」

 

 

 


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