【完結】ABOUT THE BLANK 作:ようぐそうとほうとふ
大量の血はその死を証明するには十分すぎた。そして弾痕。そう、弾痕。ハイ・ファイの胸には買おうと思えばどこでだって手に入るライフルの弾が撃ち込まれている。
「……やはり狙撃手、か?」
死体を見聞に来たメローネの言葉に僕はビクつく。警備の万全なビルの中、本来なら撃たれ得ない重要参考人が
「まだそうと決まったわけじゃあないよ」
「そのとおりだぜ」
意外にも同意したのはギアッチョだった。メローネがちょっと首を傾げてギアッチョを見る。それに促されるようにギアッチョはいう。
「そもそもコイツを撃ち殺せるほどの腕ならよォ…どうしてオレたちを襲わねェーんだ?ここにはブランクにオレ、価値の高い獲物がいたって言うのに、戦闘不能になったコイツの口封じを優先するのはどうも腑に落ちねェ」
「……たしかにな」
「なんにせよ…確かめるべきですね。車椅子が撃たれた場所も」
「そうだな。…はあ、なるべく安全な場所にいたかったが…仕方がないな」
そういうわけで僕ら三人とヴェルサス、ホル・ホースは5人で車に乗る羽目になった。
全然知らない仮面の人物とめちゃくちゃ不機嫌そうな眼鏡と膝を突き合わせることになってヴェルサスはかなり不安げだった。ギプスと包帯で動きにくそうなのにごめんね。
その点ホル・ホースは飄々としており、さすが裏社会で長年生き抜いてきただけはあるという風格を漂わせている。
ハイ・ファイの死だけではない。国内に流通している麻薬について『輸入した形跡が見つからない』ことも報告しなければならないからだ。
麻薬は主にスエズや大陸を抜け、地中海から運ばれてくる。カッソーニが手に入れていたのはそういった麻薬で、各港の輸入品目や量をよく調べればその仕入れルートはすぐにわかった。
しかし今回の麻薬は最近流通しているにもかかわらずどの港でも不審な貨物は確認できていない。陸からのルートも考えたが、個人が持ち込むならまだしも組織の目に留まるほど流通する量を仕入れるのは不可能だ。
解決しない謎ばっかりを報告するのは気が滅入る。
僕は口をへの字にして憂鬱を誤魔化すために窓の外を見ていた。
「なあ、ブランク」
ギアッチョはもう完全に何も話す気がなさそうだったからか、メローネが口を開いた。
「ん?」
「おまえのリクルートに文句言うつもりはないが、使えるのか?この二人」
「ああ。その点は大丈夫だよ。ヴェルサスはわがままだし、ホル・ホースはすごい女ったらしだし」
「ほぉー…それはいい人材だな」
「おいおいおい、待ってくれよお二人さんよォ…」
ホル・ホースはかか、と笑って応じる。
「おれの名前はイタリアにまでは届いていないようだな。無理もねぇ、結構田舎だしな…」
「あーほんとですよね。僕らの故郷マジ大都会の最高国家でしたもんね。ヴェルサスなんてマンハッタン住みだったわけだし、マジこんな田舎住んでられないっていうか〜」
「意気投合してるのだけは伝わった。…ヴェルサスとか言ったな。辞めたくなったらいつでも家に送り返してやるぞ」
「……帰る家なんてねえ」
「ふぅん…」
僕はなんとか場を盛り上げようとヴェルサスに目線をやってメローネを紹介することにした。
「そうそうこの人はメローネで僕の先輩なんですよ。まあまあ尊敬してるんです。ほら、前ちょっと話した…」
ヴェルサスはピンときたらしい。
「ああ、名のある変態の奴か」
そこにピンときちゃったか…!
「ブランク、おまえ……ッ」
「事実じゃないですか」
とそこでやっとギアッチョが口を開いた。
「馴れ合いはそのへんでいいだろ」
もう本部に着いた。前より護衛が増えている。あんまり増やしても意味ないと思うんだけどな。よく見ると屋敷の中には逆に護衛は少ない。
車から降りてくる見知らぬ顔、ヴェルサスとホル・ホースをみんなして睨みつける。ヴェルサスはそれに若干怯み、というか不快そうな面持ちで応じている。
「これが…パッショーネの本部…」
「いいところだろ。残念ながら敵襲にあったからもう安全じゃあないがな」
「とっとと済ませるぞ。メローネ、お前は一度オフィスだったな」
「ああ」
「ではブランクは先に現場に行ってろ」
「はいー」
僕は二人を連れて車椅子が狙撃された地点へ行った。
そこはなんの変哲もない廊下で、見通しが良く、窓もあり悪くいえば狙いやすい場所だ。…ここが周りに高いところも何もない別荘地でなければ。
そう、前提としてスタンド能力者でなくては狙撃は不可能だ。窓は一枚も割れていない。廊下には転ばされた護衛と彼を守っていた護衛しかいなかった。
「さーて、弾はどこから飛んで来たんだ…?」
「見つかったのはライフルの弾か。じゃあオレのような銃や弾がスタンドってタイプではないわけだな」
「ああ。ヴェルサスのアンダーワールドみたいに過去の記憶だとかの射撃でもない…よね?」
「オレにもわかんねーよ。…でもあんたに刺さってたナイフはいつの間にか消えていましたし、地面の記憶は物証として残らねぇんじゃねーんですか」
「なるほどね。やだなー…いよいよ師匠っぽくて…」
「その師匠?ジョンガリAのスタンドは射撃中継衛星なんだったな。じゃあ必ずどこかにいたはずだ」
「中継衛星って言っても単純ではないですよ。直線で射撃手と中継衛星マンハッタントランスファー、標的で繋がってるわけじゃないんです。たとえばパイプをくぐらせて跳弾させたり、壁かなんかで角度を微修正したり…師匠の腕ならそこまでの調整ができますから…」
「ああ、ジョンガリの凄さはよーくわかった。だがまあ一度、その撃たれた場面を見てみねえか?」
「ん…そうだね。ヴェルサス、お願いできる?」
ヴェルサスは黙ってしゃがみ、地面に手を当てた。ぼろ、と床が崩れて小さな穴が開く。そう思ったら穴は大きく広がり、車椅子に乗った男が出てきた。
「おお…!すごいね。単体で掘り出せるんだ…?」
「そのようですね」
ヴェルサスも少し興奮していた。ニュースアットイレブンたちとの戦闘でスタンドを使うコツを掴んだんだろう。成長が早いのは何よりだ。やっぱり新人研修は実戦に限るなぁ。
「もう少し先だ。できる?」
「ちょっと待ってください」
ヴェルサスが唸りながら土を掘るとまた車椅子の男が出てきた。ちょうど車椅子のタイヤがパンク、車軸もひしゃげて転びかけてる。
「ビンゴ。…さて弾は…ここだな」
車椅子のちょうど真横から、車輪の手すりのあたりがぐちゃぐちゃに潰れ、スポークごと破壊している。
「思ったより派手にぶっ壊れてるな。マンハッタントランスファーだったか。中継されると弾速はどの程度削がれる?」
「なんとも…師匠はそれも計算ずくで撃つからなぁ」
「なるほどね…ライフルの威力はそこまで詳しくねーが、1キロ超すとかなり威力は落ちるよな」
「ん…そうですね。弾は…ウィンチェスターかな。どこでも買えちゃうね。…でもまあこの壊れ方的に…一キロ圏内かもしれませんね」
「なるほど。絞れてるようで絞れねェなァ」
「着弾がここかぁ…うーん…跳弾を考えると…」
キョロキョロと弾の痕跡を探す。しかしそれらしきものは見当たらない。
「妙だな。弾がどこから飛んできたのか全然わからない。ヴェルサス、前みたいに僕らがまるごと過去の記憶の中に入るとして…どのくらい広いところにいけるのかな?つまり効果範囲ってことだけど」
「え…どうでしょう…できてこの廊下だけな気がします。前通りに行ったときも遠景はぼんやりと霞んでいましたし…」
「よく見てるね。そっか…マンハッタントランスファー自体を過去の記憶から見つけるのは困難そうだな」
「それに地面の記憶なんだろ。浮いてるもんって記憶されんのか?」
「あ〜たしかに。それどうなの?」
「だからわかんねーッていってるじゃあねーかッ」
ヴェルサスの我慢ゲージが切れた。しょうがないな。
「ありがとね、ヴェルサス。一旦もういいよ」
ヴェルサスはスタンドをひっこめる。穴はそのままだった。やべー怒られるよこれ…。
「んー…跳弾させないと車輪を真横から撃つのは無理だと思うんだけどなー。角度的にも高さ的にも。でも師匠は凄腕だし…やればできちゃうのか…?」
僕はしゃがみ込んでウンウン唸る。ホル・ホースは壁や床をくまなく見て弾が掠めてないかもう一度確認してくれている。
「ブランク、その師匠ってやつはそんなに凄腕なのか?」
ヴェルサスは少し不安げだった。大怪我したばっかりだからナーバスになってるみたいだ。無理もないか。
「そうだね。できれば敵にしたくないな…。遠距離から絶対当ててくる敵がネチネチ死ぬまで追ってくるんだよ。すごーーくやだろ」
「ああ…それはかなりムカつくぜ…。……ここにいてまた狙われないんですか?」
「半径2キロ圏内は警戒されてるから大丈夫と思いたいけどね…物理的には安全だと思いたいけど師匠は規格外だからなー…」
ヴェルサスはしかめっ面をした。余計なことに巻き込みやがってよォーとか思ってるのかな?しかしやはりアンダーワールドはどうしてもそばに置いておきたい。アバッキオのムーディーブルースのように戦闘以外でものすごく役に立つ。(そういう場合本体が弱点になるがアバッキオは本体が異常に強かったらしい)
ホル・ホースに声をかけて本当に良かった。彼ならヴェルサスを守ってくれるだろう。僕は人を守るのに向いてなさすぎるからね…。
廊下の奥から用事を終えたギアッチョとメローネもやってきた。
「なんかわかったか」
「結論から言うと何も」
「だろーな。そもそもこっちでも散々調べたあとだ」
「困ったなー…街での捜索はやってるんだよね」
「ああ、あやしい盲人は片っ端から尋問にかけてる」
「人権団体とかから訴えられそうだな」
「無駄骨だったかぁ…」
はあ…とため息をつく。やっぱりさっきの襲撃者二人は生かしておくべきだったかもしれない。後の祭りだ。
「…で、どうする?」
とメローネ。
「じゃあ〜飲み会しちゃう?敵も二人死んでるじゃん?その分飲んでないよね」
「悪くないな」
僕とギアッチョは拳と拳を合わせて意気投合した。
「マジかよ……敵に狙われてるんだぞ?」
とつぶやくヴェルサス。ホル・ホースはグーのハンドサイン。
「…おれの家はダメだ。絶対に」
嫌な予感がしたのかメローネは拒絶する。だったらと情報分析チームのマンションに決まった。どうせ部屋余ってるしね。
廊下から立ち去ろうとすると、フラフラとした足取りで誰かが歩いてきた。よく見ると車椅子に座って狙撃された張本人、なんとか軽傷ですんでいた護衛だった。
「あれ。どうしたんですか?」
僕が声をかけると護衛はがば、と顔を上げて焦点の定まらない目で僕を見る。
「あーーーッ!赤髪、いけすかない服装、えー……目に火傷のあと、ソウルスティーラ〜ラララ〜!」
「あん?」
おい、今僕の服装の悪口言ったか?
いかつい黒いスーツを着た男のくせに、口調だけがギャルみたいだった。しかも手にはポラロイドカメラを持ってる。
「はいチーズ!」
護衛の声に僕は思わずピースした。
バシャリ、
フラッシュが瞬いた。
気づくと僕は地下室にいた。
✛
見覚えがある地下室だ。そう、タイル張りで四隅に排水口があって、三脚が置かれている。最近散々夢に見る《撮影所》だ。
部屋全体が薄暗く、チープな電灯は時々ジジ…と音を立てている。こんなところまで再現されているとは実に親切だな。
「精神攻撃か……?」
まったく、常日頃封じ込めていた思い出に苦しんでいる僕に対して効くんだか効かないんだかだ。
僕は扉のノブを握った。思っていたよりもあっさりとドアは開いた。外は細い通路になっていて、窓一つない。二メートルおきに鉄の扉が並んでいて、一つ一つに食事を出し入れできる窓が付いていた。
窓から中を見るが、どの個室も空っぽだった。
4つ目の扉の窓を確認してから気配を感じ立ち止まり、さっき出てきた部屋の方を振り返った。
そこに少女が立っていた。まだ幼い、8歳くらいの裸足の少女だ。痩せていて髪もクシャクシャなのに新品のワンピースを着ていた。そして手には無骨すぎる軍用ナイフを持っている。
そのナイフを覚えている。僕はこの、檻の中で一緒に何日か過ごした優しい少女の首にこれを突き立てた。グリップを握る手に滴る生温かい血液と、強烈な血の匂い。その感触で僕は吐きかけて、なんとかゲロを飲み込んだ。その時の味が今口の中に広がった。
「アンディ…あたしに酷いことしないでって言ったのに…」
「……マジかよ…」
最悪だ。夢より鮮明だ。
少女は突如バネじかけの人形のように僕めがけて走ってきた。そのまま容赦なくナイフを突き立てようとする。僕はナイフを振りかぶる手を掴み、ひねり上げた。
嫌な音がしてビアンカの肩関節が外れた。
慣性によりぶらんとぶら下がった彼女は悲鳴を上げ、ナイフを取り落とす。
その悲鳴の生々しさに僕は思わず手を離した。
ビアンカは床に落ちたあと、外れた肩を庇うようにして先程の部屋に駆け込む。僕はそのドアを塞いだ。ドアノブがガチャガチャとひねられ、扉が満身の力で叩かれた。ガンガンという鉄の音が脳みそにまで響いてくる。
「………クソ…ッ!なんだこれ、嫌がらせのスタンドかよ」
過去の記憶を追体験させるスタンドなのか?
あのカメラと何か関係が?
あれは護衛の男ではなかった…。
では、誰が?そんなの決まってる…。
「敵は僕を狙っていたな…組織内に入り込んだくせにジョルノやメローネではなく、僕を狙った…」
僕をここに閉じ込めることが目的なのか?あわよくば殺そうというのにしてはやや回りくどい。となると目的は足止めなんだろうか。
「ギアッチョがいれば他の奴みんなは無事だろうけど…困ったな…どうすれば出られるんだろう」
エンジン音がした。ギャリギャリという音がして、次に鋭い悲鳴が聞こえる。
ゾッとした。その音はよく知っていた。チェーンソーの駆動音、そして肉が裂けて血が飛び散る音だった。
僕は思わず扉から退いてしまう。するとゆっくり、その鉄の扉が開いた。
「う……ッ」
ビアンカは血塗れで倒れていた。それも新鮮な血ではない。冷たくて黒い死体の血。
そしてその奥には司祭の服を着た男がチェーンソーを持って立っていた。ブギーマン。ふざけた目出し帽まで記憶のまま。
「さあ、祈るのだよ。アンドレア」
僕は吐き気に抗えなかった。
「うッ…げホッ…」
僕は床にゲロをぶちまけ、ビアンカのどす黒い血と僕の黄土色のゲロが混じるのを見た。酷い臭いが鼻腔を劈く。次に目線を上げると、チェーンソーが振りかぶられていた。
「ッ……!」
なんだよ、このスタンド、ちゃんと僕を殺す気じゃあないか。
僕はとっさにメタリカを発動する。チェーンソーにこびりついたビアンカの血が剃刀の刃に変わりチェーンが外れ、僕の頭にムチのようにぶつかった。僕の頭からでた鮮血がブギーマンの顔面にかかる。
僕はさっきビアンカの持っていたナイフをブギーマンの脇腹に三度突き立てた。的確に心臓を突いたつもりだった。
しかし男はそのままチェーンソーの本体で僕を殴りぬく。
僕は廊下側に倒れたはずだった。しかし背中を打ち付けたのはタイル張りの撮影所の床で、三脚とカメラが四隅に設置されスポットライトまで用意されていた。
そして中央にはあの『祭壇』があった。
「最後のビデオは売ることができなくて残念だ…」
ブギーマンの背後には子どもが三人立っていた。どれも"ビデオ"で僕が惨殺した子どもたちだった。それぞれ小道具として与えられた武器を持っている。
「だからもう一度撮ろうじゃあないか」
心の底が急に冷えた気がした。
記憶が濁流のように蘇る。たくさんの死だ。一番奥底に封じていた、僕の殺人の記憶。
僕は叫んだ。
叫びと同時にブギーマンの顔の穴という穴から刃物が飛び出す。ブギーマンは絶叫した。
しかしそんなのお構いなしに、子どもたちが襲いかかってきた。
ああもう、邪魔だ。邪魔だ。消えろ。
僕は薙ぐように足を蹴り出した。子どもの矮躰は簡単に吹き飛ぶ。それでも一人のアイスピックが肩に刺さった。
「クソッ!」
痛みに思わず集中が削がれた。そうこうしているあいだにも蹴り飛ばされて骨の折れた、不気味な針金細工みたいになった子どもが襲いかかる。
僕はブギーマンから生えた無骨な裁ち切りバサミを抜いてその子供の脳天につきたてる。頭蓋骨に阻まれ刃が滑り、ずるりと額を切り裂いて皮膚がずれた。白骨が見える。
そして相手の刺してきたアイスピックを抜き、そのままもう一人の眼窩に深く突き刺す。嫌な感触、覚えがある。
そうだ、こうやって殺した。
また蘇ってきた殺人の追憶に僕の体は硬直する。脇腹に重い衝撃が走った。腹にナイフがささっている。それを掻き回そうとする子どもを殴りつけ、踏みつける。靴底越しに骨が砕けるやな感触がした。
子どもの体は泣いてしまいたくなるくらいに脆い。
ブギーマンの高笑いが聞こえた。無数の針が飛び出す眼窩はすでに眼球を失っているにもかかわらず笑っていた。
そして両手を差し出した。そこには滑り、天井の光で照らされた小ぶりの
僕は多分叫んだと思う。わからない。完全に取り乱していた。
これまでゆっくりと氷解してきた過去の記憶が、その中でもきっと二度と思い出すまいとしていた鮮烈な傷の記憶が流れ出してきて、頭が真っ白になる。実際に手をかけて、そしてそれは思いの外簡単で、まるでゴミを分別する時みたいに何も躊躇うことができなくて、一瞬で自分が何者か全くわからなくなってしまった。
爆発音がした。
気づくと、ブギーマンの上半身はその中から生えてきた剣によってほとんど挽肉のようになっていた。
僕が薙ぎ倒した子どもたちの死体も巻き添えにぐちゃぐちゃの挽き肉に成り果てていて、人の形をしていた名残りが混じり合って、排水溝へ流れていった。
僕はもう空になった胃の中身を絞り出すようにぶちまけ、その場に這いつくばった。
「はッ…はッ…はッ…」
呼吸音が笑い声に聞こえた。ははは。
呼吸するたびに血と臓物の生臭い匂いが肺に充満する。昔嫌というほど嗅いだ臭い。
なんて不快なんだ、まったく。いや、僕が殺したんだっけ。ははは。
脳みそは本当に都合がいいな、自分が殺した人の血の匂いをすっかり忘れてた。本当に臭くて笑っちゃう。
あのときは本当に人を殺すのに苦労した。僕は体が小さかったから。
でも今じゃこんなに簡単だ。
「…………ここから…出なくては…」
僕は立ち上がる。
腹に刺さったナイフを抜き、ベルトにさす。他の傷はすべてメタリカで作り出した針金で塞ぐしかない。バカみたいに血まみれだ。
子どもたちの死体とブギーマンの死体を跨ぎ、ドアを開けた。
そこはどこか見覚えのある喫茶店だった。人の姿はない。春の木漏れ日にガラスの間に水が流れる美しいパーテーションが煌めく。
思い出した。ここはカフェ・オルトラーニだ。3年前、ボスに反旗を翻したときにホルマジオに言われイルーゾォに現金を手渡しに行った店だ。
ちらり、とカウンターはめこまれた鏡面加工の板に人影が見えた気がした。
「イルーゾォ先輩ッ…」
僕は慌てて駆け寄る。しかしそこには僕一人が反射しているだけだった。
「………はは…」
赤髪、前髪に右目の周りにはまだうっすら火傷の跡が残ってる。左耳には真ん中から下に継ぎ目が見える。チェーンがぶつかったせいで額から出血している。シャツは血塗れでゾンビみたいな顔をして、なのに笑っている。
もし先輩がここにいても、もう僕が僕だってわからないんじゃないかな。
「馬鹿だな僕は…」
取り残されたグラスの中で何かが動いた。
避けるのが少し遅れた。スクアーロの『クラッシュ』だ。畜生、左耳をもう一度噛みちぎっていきやがった。
僕はダッシュで外に出る。たしかやつのスタンドは液体から液体へ瞬間移動する。コーヒーでも紅茶でもなんでもだ。カフェなんていたらまずい。
外に出た。しかしそこはさっまでいたカフェだった。
「クソッ…!」
僕は周りを見る。監視カメラと目があった。
カメラ……やはりカメラか。
僕は深呼吸する。
落ち着け、クラッシュの強みも弱みも僕は知っている。やつのスタンドそのものの破壊力は大したことない。確実に僕を仕留めるつもりなら急所を狙ってくるはずだ。
今回は外に飛び出して本体を殺すことはできない。ならばスタンドを確実に捕まえ、引き裂いてやる。
ちゃぷ…
水音がした。僕はガードせず攻撃を受けた。首筋に深くクラッシュの刃が喰い込む。あのときの僕なら絶体絶命だが、もう違う。
吹き出す僕の鮮血はメタリカによって無数の刃に変わる。
メタリカ、つまりスタンドにより形作られた刃物はクラッシュの体を突き破る。
「一度殺した相手に殺されてたまるか…」
誰もいないカフェでつぶやく。
このスタンドは《カメラ》で撮られた人間を《カメラ》で撮られた記憶へ閉じ込めるスタンドなのだろう。
気になるのはスクアーロには襲われているのにティッツァーノの攻撃が未だにないことだ。
スクアーロの頭は自分が吹き飛ばした。しかしティッツァーノを殺したのはイルーゾォだ。
だとすれば、これは自分の殺した相手しか襲いかかってこないということになる。
そして未だに解放されないということは自分を撮影した他人の顔になれるなにものかは逃げおおせたという事だ。
まとめて全員罠にかけられるとしたら絶望的だが、このスタンドのパワー、僕に対して全力のはずだ。あの場にいた五人のスタンド使いを捕まえ同様の悪夢を見せつけている可能性は低い。
「僕に全力を出してくれるとは…やれやれ、ずいぶん高く評価してくれちゃって…」
カフェの出口へ向かう。ドアを開けた。
そこはソルベとジェラートの隠れ家だった。あの生活臭とカビの臭いが、夢の何十倍も鮮明にする。ダイニングテーブルの下にセッコがいつも持っていたビデオカメラが落ちていた。
部屋の暗がりに立つ影は忘れもしない、あの日のジェラートだった。
ああ、なんだかとても頭がスッキリとしたな。
そうか、僕はあのとき自分は殺しそのものには加担していないと、チョコラータが全部悪いんだと思おうとしていた。
でも違う。
あれは僕が殺したんだ。
僕は腰にさしていたナイフを抜き、構える。
「………いいさ。だったらもう一度全員殺すだけだ…」