せんぱい①2001年3月30日
「ハッ!」
目の前に広がってるのは最後に見たタクシーの運転席なんかじゃなくて、タバコの煙で薄汚れた茶色の天井だった。
「知らない天井だ…」
「そりゃそーだろ」
「わ、え?ホルマジオ先輩?」
その視界に突然見慣れた坊主頭が飛び込んできたおかげで眠気が吹っ飛んだ。
「何驚いてんだよ。テメーで電話してきたくせによ」
言われてようやく自分がどんな目にあったか思い出し、ブランクは思わず自分の首を擦った。
「そうだ。矢が…」
「矢なら縮めて抜いた。お前森かなんかに隠れてたのか?あれ狩り用の矢だよな」
「まあ…多分あっちは狩りの獲物だと思ってるっていうか…」
「ボスの追手か?」
「うーん…そうともいえ…ますね。いや、そうです」
「はぁ、やっぱお前一人にするんじゃなかったぜ。おかげで余計な手間が増えちまった」
「あ、そういえば昨日のタクシーは?」
「始末しといた」
「そうですか…」
「なんだよしょぼくれた顔して。おめーが蒔いた種だろ」
「すみません、そうですよね。先輩は僕の尻拭いを…」
「本当だぜ。おめーいい先輩持ったよな。イルーゾォなら絶ッ対見捨ててたね。むしろ助けんのプロシュートかオレくらいだろ」
「ホルマジオ先輩の尊敬できるとこ、もうありすぎて両手の指じゃ足りないっす。一生ついていくっす」
ブランクは手を胸の前に組み仰々しくホルマジオを讃えた。
「あと電話で毒がどうこう言ってたけど特にそういうのはなさそうだぜ。血はすげーでてたがまあ食えば治るだろ。お前怪我したことねーのか?なっさけねーなァ」
「あ、あんだけ血が出ればパニクりますよ…」
「恩人に甘やかされて育ったんだな」
「あの人はすげー厳しかったですよ!たまたま怪我しなかっただけで…」
「オレも甘やかしちまったぜ。ほら、食っとけ」
ホルマジオが投げ渡してきたのはトマトの缶詰だった。
「ポパイじゃないんですから…あれはほうれん草か。いや、ほうれん草のほうが多分鉄分が…」
「うるせーな。ガス通ってねーんだよ。あとはスナックしかねー」
ブランクは上体を起こして貧血気味の頭を抱えた。
「今何日です?」
「3月29日」
「あれから一日眠ってたんですか?」
「そーだよ。初めて見たぞ、あんくらいの傷で一日ぶっ倒れてるやつ」
「言い訳しようがないっす…」
「あ、でも腹にすげー青あざ。あれは見たことねーな」
道理で今も腹に鈍痛がはしってるわけだ。どれだけの力で殴ったのかは知らないが相当アタマにきてたんだろう。
「なんか進展ありました?」
「ああ、あったぜ。リゾットがしくじった」
「なんと」
「今回ばかりは慎重さが裏目に出たな。娘は先に保護されちまった。保護しに来たのはノーマークのペリーコロって幹部でいま行方を探してるがうまく撒かれちまった」
「ペリーコロ?あー、あのちっちゃいおじさんか」
「ああ。だがそいつがずっと護衛するのはねーだろうな。スタンド使いじゃねえし。オレはポルポに預けられるんじゃねーかって思うが、おまえはどう思う」
「ポルポ…スタンド使い量産してるデブですか。あり得る話ですね。単純に手駒が多そうですし」
「ああ。だがいまネアポリスに行ってもすぐ殺されちまうだろうから確認はできねえ。ローマにいたお前がそのざまだしな」
「人が多いから大丈夫だと思ったのに…」
「ふん。マンモーニだなお前も」
「うるさいなぁ」
ブランクは口の中から歯に糸で縛っておいた塊を吐き出した。リトル・フィートで小さくしていた私物のパソコンと支給のパソコン、その他諸々の資料を入れた袋だ。
ポルポの構成員のデータを参照するために私物のパソコンの方を能力解除しもとの大きさに戻した。
「あッ!てめーそれ!オレのリトル・フィートじゃねーか!!パクってんじゃねーぞおい!」
「だ、だって便利なんですもん」
「ふざけんなテメーーッ」
「や、やめて!ビンタはやめて!」
ブランクの懇願を無視し、ホルマジオは右頬を思いっきりひっぱたいた。チョコラータにえぐられた傷が痛み、口の中に鉄の味と涎が広がった。
「恩知らずが!」
「すみませ〜ん…」
「気持ちがこもってねーよ。しょーがねー。落とし前は動けるようになってからつけてもらうからな。おとなしくそこで待ってろ」
ホルマジオはでかけてしまった。ブランクはパソコンの電源をつけ、ポルポの地区の構成員のデータに目を通しながら携帯電話でムーロロと連絡をつけた。
そしてすぐにドッピオに電話をかけてワンコールで切る。チョコラータに襲われたとは報告できないが時間がかかってる言い訳はしなければならない。チクったところでなにか変わるはずもない。
自分はあの狂人に命を狙われているのかと思うと急に仕事が嫌になってきた。
とぅるるるるるるるん……
「ブランクです」
『ドッピオです。どうぞ』
「リゾットの現在地が特定できません。情報技術チームに協力要請をしても?」
『わかりました。リゾットを殺すことが困難ならば、メンバーを一人ずつ暗殺しおびき出す他ないですね。接触はありますか?』
「いいえ。他のメンバーも場所を転々としています。ですがリゾットよりは特定は容易です」
『ではメンバーを殺してください。すでにリゾットのために一週間以上無駄にしています。…あの、親切心って言うと押し付けがましいんですが…
「……ええ、わかりました」
『ぼくはあなたを信じてます。だってこういうときのためにあなたはいたんですから。ね?』
「ええ。そのとおりです」
ブランクは電話を切って溜息をついた。嘘も手慣れたもんだった。
立ち上がり、傷の具合を確認する。矢が貫通したというのに体に残る痛みや違和感は少ない。せいぜい身体をひねると痛みが走るくらいだ。熱も出ていないから感染症もおこしていない。
チョコラータをヤブといったのは撤回しなければならないな。
ただ殴られた際の内出血はかなり重いみたいだ。腹部は拳型に二箇所どす黒い色になっていて常時鈍痛がする。あの時吐いた血は内臓からのものだったのかもしれない。
ブランクはすぐライフルを組み立て構えた。重みのせいで内臓が痛む。痛みはどうしてもコントロールしきれない動きを生む。立って撃つのは厳しそうだ。
「…筋肉は…信用できないか」
この痛む体で長距離射撃は難しいかもしれない。
恩人ならたとえ片腕が吹っ飛んでも標的を逃さないだろうが、ブランクには無理だ。地面に置いて狙う分にはまだなんとかなりそうだが、これからの状況を考えると少し不安だ。
ブランクはベッドの傍らに置かれたビニール袋を漁って鎮痛剤を見つけ出し、適当に何粒か口に放り込んだ。
「でもチョコラータのグリーン・デイは切り札になる。怪我の功名ってやつかな…。…これ前も言ったっけ?血が足りねー…」
ブランクはしょうがなく投げ渡された缶詰のトマトをそのまま食べた。他になんかないかと冷蔵庫を見ると、生野菜や生肉は一切なく冷凍食品ばかりだった。頻繁に移動を繰り返している以上仕方がない。
ただ目をつぶりじっとしていると窓の外で猫が入りたそうに外枠を引っ掻いていたので入れてやった。
猫を腹に乗っけて気持ちよく寝ていたら、どすんという衝撃とともに猫のぬくもりが消えた。
「勝手に猫なんて上げてんじゃねーよ」
「…せっかくいい気分で寝てたのに…」
もう13時を回っていた。ホルマジオはステーキのテイクアウトを持って帰ってきてブランクに食べさせた。一日寝たあとに肉は胃にあまり良くないが気遣いを無碍にしてしまうのは今後の付き合いに支障をきたす。
なんとか肉を噛み切り野菜ジュースで流し込んだ。
「パソコンなんて立ち上げて何してんだ。つーかお前デスクトップなんて使えたのか」
「あー、覚えました」
「できるなら初めからやれよ」
「へへ…」
ホルマジオは寝っ転がったままのブランクの顔面に5センチほどの厚さの封筒を落とした。
「褒めてねーよ。あと明日イルーゾォが近場に寄るらしいからこれ渡しに行け」
「はあ。封筒…お金ですか?」
「ああ。口座なんてすぐ押さえられるから引き出しとけっつったのにあのバカ」
「イルーゾォ先輩らしいですね」
「11時に3ブロック先のカフェ・オルトラーニだ。ブレスケッタが美味いとこ」
ブランクは了承し、翌日言われたとおりの時間につくよう外に出た。イルーゾォはカフェ・オルトラーニのテラスに座り優雅にカフェラテを楽しんでいた。
ブレスケッタが名物らしいその店は立地も良かった。大通りより一本裏なおかげで静かだし、裏にある昔使われていた鐘楼も歴史を感じさせる。
店とテラスを仕切るガラス板の間には水が流れていてとても涼し気だし、テラスの植え込みは青々として外装もかなりおしゃれだった。ホルマジオは結構ネアポリスでもいいところを知ってる。もしかしてカフェ巡りが趣味だったりするんだろうか?
ちなみにこういう風にきちんとお茶を楽しむのはメローネとイルーゾォだけだ。この場合のきちんとというのは仕事中にもかかわらず、という意味が含まれている。
「おーブランク。お前怪我したって?」
「ええ。まあ、大したことないですけどね?」
「大泣きして電話かけてきたって聞いたぞ」
「あのヤロー…」
「ま、座れよ。一杯奢るぜ。その金で」
「どうもです」
封筒を手渡しミネラルウォーターを一杯頼んだ。とてもじゃないが味付きのものは受け付けない。コーヒーは特に厳しい。
「こんなゆっくりしていいんですかね」
「カップ一杯飲み干す時間くらいあるだろ。ケッ。お前はホルマジオにはよく懐いてるくせにオレとはコーヒー一杯も付き合えねぇってか?」
「なんで今日はそんな被害妄想強いんですか…?」
「あ?テメーが余計なこと言うからだろーが」
「だって僕ら追われる身ですよ。この怪我だってぬくぬくローマで暮らしてたら…」
「オレのスタンドなら楽に逃げられるからな。襲われてもそんなケガしねーよ」
「じゃあコピーさせてくださいよ」
「絶対やだね。能力は安売りしたら強みも価値もなくなる」
イルーゾォの言うとおり。暗殺チームで能力をコピーさせてくれたのはペッシだけだった(しかも後でプロシュートにめちゃくちゃ怒られたと言っていた)。
「…まあそうですよね。他人に自分のことを曝け出すのに抵抗がない人は少ないです」
「あ?そういう話だったか?」
「そういう事じゃないんですか?」
「んん?……まあそうか」
微妙な沈黙がおりた。ブランクはずっと気になっていたことを尋ねた。
「やっぱり弱くなったと思いますか?僕のスタンド…」
「さあな。捉え方次第だろそんなん。ちなみにオレはオレの能力が一番強いと思ってるからお前のスタンドはクソ弱いと思うぜ」
「僕イルーゾォ先輩のそういうとこは見習いたいと思ってます」
「敬意が足りねえんだよテメーはよォ…」
「そんなこと…」
ブランクは笑いながらミネラルウォーターのグラスを持った。だが口に運ぶ直前、手の影以外の何かがグラスにうつった気がした。
「なんか…今……」
「あ?」
「なんかグラスに映りませんでした?黒くて三角のものが」
「何言ってんだお前。そりゃ何かしら反射するだろ」
「でもなんか不自然な感じだったんだけど…」
「気になんなら交換してもらえよ」
ブランクはちょっと考えてからグラスを口につけ、飲んだ。グラスを離す直前に今度はっきり見えた。グラスの中に黒い三角のものが浮いている。いや、泳いでいる。
「なッ…!」
間違いない。ハリウッド映画みたいなサメのヒレがグラスに浮いてる。
「先輩、ここにいてください!」
「あ?ああ…なんだよ急に」
ブランクは自分が言った言葉にハッとした。
「先輩とずっとお茶してたいんです!先輩、僕は先輩とここにいたい、一緒にいたいです」
「なんだ?忙しいやつだな」
違う。自分の意思に反して言葉がでてきている。ブランクはすぐ口を塞いだ。そしてグラスをまた見た。サメは消えている。
イルーゾォが様子がおかしいブランクを見ながらカップを持ち上げ口に近づけた。
ブランクはイルーゾォのカップを鷲掴みにし地面に叩きつけた。カフェラテが床にぶちまけられた瞬間、確かに見えた。
「上空に敵!」
「何ッ?!」
「違う!左の客の足元!」
「どこだよ!」
だめだ、話せば話すほど混乱する。
サメの姿のスタンドを探す。ミネラルウォーターの中、カフェラテの中、正確には飛び散ったしずくに。そして今、別の客のグラスにもヒレがみえた。
敵だ…。
「やはりね」
そのブランクがぎりぎり見える位置、向かいの建物の屋根の上でティッツァーノは嘆息した。そしてスクアーロの肩にもたれる。
「メンバーと接触があることを黙っていたようですね。とんだ二枚舌だ」
「今は本当に二枚舌さ」
スクアーロはニヤニヤしながらカフェのテラスでうろたえるブランクを眺めた。
「アレはイルーゾォか。鏡の世界に逃げられると厄介ですね。先に始末してください」
「ああ。さて…ブランクはどうするかな」
「く…」
ブランクは口を抑え、席を立った。敵の狙いが何なのか、自分の暗殺ならば今ここでやる必要はない。つまり自分だけじゃなくイルーゾォもまとめて始末するつもりなんだろう。
「なんだ?口切ったのか?」
イルーゾォはなぜかこんな時だけ優しく紙ナプキンを差し出してきた。
ブランクは首をブンブン振って必死にノーを伝えようとした。だが首は縦に振られていた。
言葉だけじゃない、意思疎通の手段すべてを奪われている。
ブランクはカフェの周囲を見て敵がいないか確認する。だがそれらしき影は見えない。遠隔操作型だとして距離をとるべきかいなか。とにかくイルーゾォから離れなければ。
ブランクは店内に入ろうとした。だがテラスを仕切るガラスの壁が…中に水が流れた凝ったガラスの壁が突然割れた。
「うぐッ…!!」
飛沫に紛れてサメ型ののスタンドが移動しているのが見える。だが見えても対処できなかった。サメはまっすぐブランクの顔面めがけて飛んできた。
頭を仰け反らせて避けようとした。だがサメは耳たぶに喰らいつき、そのまま耳の下半分を持っていった。
ブランクは派手に倒れ、周囲のお客が悲鳴を上げた。
「なんだ?!敵か」
千切れ飛んだ耳は床にこぼれた水の上に浮いていた。畜生。これじゃあ一生ピアスがつけれないじゃないか。
そしてその落ちた耳のすぐそばに三角形のヒレが見える。耳から流れる血がドロドロと地面に流れ、駆け寄ってきたイルーゾォの足元に流れる。
このスタンドは液体があればどこでも移動できるのか。だとすれば血を流してるのは非常にまずい。
「先輩ッ…!僕、僕を抱きしめて下さいッ!」
「は?」
「きつく抱いて離さないでください!好き好き大好き超愛してる!今すぐ、さぁ!」
ブランクは手を広げイルーゾォに叫んだ。
「お前…」
イルーゾォはポケットに手を入れた。その瞬間
「掴んだぜッ…クラッシュ!」
スクアーロのクラッシュがイルーゾォの喉笛を捉えた。だがそれとほぼ同時にイルーゾォはブランクの襟首を掴み、自分のポケットに入れていた鏡を使いマン・イン・ザ・ミラーを発動させた。
「ッ…………!」
鏡の世界にはイルーゾォが選択したものしか入れない。つまり今喉に食らいついたサメのスタンドは消える。
「いっッ………てぇーーッ!何だこりゃァ!今のなんだよブランク!!」
イルーゾォの喉から血が出ている。だがつい先日のブランクと比べたら大した傷じゃない。かすり傷だ。
ブランクは慌てて自分の舌を確認する。
「あ…し、舌!舌!僕はブランク、好きな女優はレオンの時のナタリー・ポートマン!嫌いな食べ物は…酢豚!……よ、よかった。とれた!」
「今のは攻撃か?お前には見えてたか?」
「はい。僕の舌にもついていました。先輩!敵は二人です。ヤッちゃいましょう」
「そうだな。見つかった以上やるしかねえ。だがおまえの舌の方もサメも遠距離操作型だよな?本体見つけられんのか?」
「はい。作戦があります。少なくともサメの方はやれるでしょう…でも…先輩はちょっと危険かもしれません」
「いいぜ。聞くだけ聞いてやる」
「じゃあ先輩、これあげます」
ブランクはさっきとっさに拾ったちぎれた自分の左耳たぶを渡した。
「うッわ…キモすぎる…」
イルーゾォは薄情なのでそれをバナナの革みたいにつまんでもった。ブランクはちょっと傷ついた。
「これをサメに食わせてください」
「あ?食わせたらどうなる?」
「多分すげーびっくりします」
「…で?」
「びっくりした本体を見つけて狙撃します」
「お前…それを
「え?はい…」
イルーゾォは予告なくブランクの頬をひっぱたいた。
「て、敵は絶対にカフェのテラスが見える場所にいるはずです!先輩が出てきたらなおさら撤退はせず確実に襲ってきます。そんで耳を食わせれば絶対びっくりします。僕なら必ず見つけられます」
「…本当に耳食わせたらびっくりするのか?」
「ええ。僕を鏡の世界から出してください。裏の鐘楼まで2分もあれば登れます。この建物の上からならカフェを見渡せる場所も丸見えです」
「……2分だな。わかった、お前に2分だけ付き合ってやる」