「ふぅ...一人で温泉ってのも、良いもんだなぁ。」
地底には温泉がいくつもあり、運が良ければ広い浴槽を一人占め出来る。
特に夜はほとんどの鬼が朝まで飲み明かすので、空いていることが多いらしい。
かく言う勇儀も夜に温泉に入ることは今まで一度も無かったが、ふらっと立ち寄ったそこは、地底の入り口にポツンと存在する温泉。
恐らく唯一、空を拝みながら入れる温泉だろう。誰が管理しているのかも分からない。
あるのは一応外から見えないようにする仕切りと、ちょっとした更衣所だけ。
少し興味を引かれたので、入ってみたのだ。
いつもの賑やかなのも良いが、静かな地底もまた別の良さがある。
上を見上げると、空に浮かぶ満月が顔を見せた。
偶然にも、完全な満月。これは運が良い。
「~♪」
気分が良くなって、鼻歌を歌う。
この歌は確か、私がまだ小さい時、地上にいた時に聞いた歌だ。
誰が教えてくれたのか、どんな歌詞だったかも覚えていなかったが、メロディーだけは記憶にこびりついていた。
あの頃は...
「ヤマメちゃんアターック!!!」
突然、喧しい声と共に何かが私の近くへと勢い良く着水した。
「わっ!?...ヤマメ?どうしたんだ、こんなところで。」
「それはこっちのセリフだよ。あたしの特等席に先客がいるんだもん。そりゃあテンションも上がるよ。」
そうか、ここはヤマメのお気に入りの場所なんだな。
考えてみれば、地底の入り口といえばヤマメの住処だ。
ヤマメがいることは何もおかしくない。
「それにしても、今日は本当に良い夜だねぇ。雲一つない夜空に浮かぶ満月を、勇儀と一緒に見れるなんて。しかも、その勇儀の鼻歌まで聞けるんだからさぁ!」
思わず立ち上がってしまった。
「なっ、なななっ、何でそれを!?」
「そりゃ聞こえるよ~、こんなに静かなんだもん。むしろ地上にも聞こえてないか心配なくらいだね。」
「うぅ...」
恥ずかしい。死ぬほど恥ずかしい。
普段の私とは違う私だ。
「勇儀、顔真っ赤だよ。そんなに恥ずかしかった?」
「違っ...えっと...ちょっとのぼせただけだ!」
反射的に嘘をついてしまったが...
「そう?それならお風呂上がった方がいいと思うけど、どうする?」
「...まだ入る。」
流石に通用しない。
「ぷっ、あははははっ!!」
突然ヤマメが声を出して笑い始めた。
「...そんなに可笑しかったか?」
「いやあ、勇儀は可愛いなあって思ってさ。」
「はあ!?そんなこと...」
「勇儀は可愛いよ。多分あたしだけじゃなくて、みんな思ってることだ。可愛くて格好良くて、強くて頼れる。そんな勇儀のことが、みんな好きなんだよ。」
「そ、そうか...?」
真面目なトーンで言われると、どう返していいか分からなくなる。
「どうせ空見上げて、『あの頃は良かった』なんて懐古厨みたいなこと思ってたんでしょ?」
うっ...
図星だった。
「今に限らず、勇儀って最近よく考え事してるよね。そんなに今の暮らしが不満?」
今日のヤマメはやけにグイグイ来るな。
それに、一々鋭い。
そんなヤマメに根負けしたのか、それとも単に反論したくなったのか。
私の口から、自然と本音が漏れ出し始めた。
「不満は、ないさ。ただ...」
「ただ?」
「私が指導者になって不満なのは、みんなの方じゃないかと思ってさ。」
「あたしたちが?まさか。」
「私が指導者に向いてないことくらい、私が一番分かってる。」
「まあ確かに、勇儀は頭悪いし」
グサッ
「天然なことも多いけど」
グササッ
「そんなことは関係ないよ。いやむしろ、だからこそみんなついていくのかな。」
...?どういうことだろう。
「ねぇ勇儀、あたしがどうしてここに住み着くことにしたのか、覚えてる?」
「確か、空が見える場所が良いって...」
「そういう細かい場所の話じゃなくて。地底っていうくくりでさ。」
...人間に嫌われた妖怪の末路。
あまり私の口から言いたくは無かった。
「地上に居場所がなくなったのは、場所に嫌われたからじゃない。人に嫌われたから。妖怪に嫌われたから。同じように、あたしが地底に居られるのも、地底という場所が許したからじゃない。受け入れてくれる...勇儀のような奴がいたからさ。あたしみたいなはぐれ者をみんな受け入れようとするなんて、頭の悪いことだと思わないかい?でも勇儀は天然だから、それがどれだけ途方もないことなのか気付きもしない。気付かないまま、やり遂げる。やり遂げられるだけの力を持ってる。こんなに分かりやすい指導者が、他にいる?」
...
圧倒された。
何か言おうにも、気持ちの籠もったヤマメの言葉に、見合う言葉は出てこなかった。
「ねえ勇儀。勇儀のことを世界で一番好きなのは、誰だと思う?」
「え?」
突拍子もない質問に面食らっている間に、ヤマメが顔を近づけてきた。
そして、耳元で一言、
「大好き」
そう言った。
「勇儀は、どうかな?私のこと...好き?」
これは、ただの好きではない。
「わ、私は...」
私の、好きな人は...
「...なーんて、冗談だよ、冗談!あたしが一番なんて柄でもないし。勇儀もそんな簡単に真に受けちゃ駄目だよ?そんなことしてたら、『本当に』勇儀のことが好きな奴に嫉妬されちゃうよ?あー妬ましい妬ましい、両想いなんて本当妬ましいねぇ。」
「えっと、ヤマメ...?」
また突然話の雰囲気が変わって困惑する。
それに、両想いって...?
「それじゃ、あたしそろそろ上がるから。月も勇儀も、存分に楽しんだしね。」
「あっ、おい!」
ヤマメは足早に温泉を後にする。
そして更衣所の扉を閉める...直前。
「ああそうだった。お風呂空いたからもう入っていいよ、パルスィ。」
...えっ?
「パルスィ?」
「なっ、なななっ!?気付いてた...の?」
更衣所の方から焦ったような声が聞こえてくる。
「こんなところに住んでるもんだから、耳は良いんだよね。じゃ、頑張ってね~♪」
つまり、パルスィがいることを承知で話をしていたのか...
本当に、ヤマメは...
何処まで見えているんだろう。
入れ替わりに、パルスィが入ってきた。
「勇儀...話があるの。」
「ああ。多分、私もだ。」
パルスィが入っていくのを見送って、温泉を後にする。
出てすぐに、大きく息を吐いた。
冗談、かぁ...
あたしはどれのことを言ったのだろう。
どれもこれも、冗談で済まされないような私の本音だったというのに。
いや、違うか。
今、冗談になったんだ。
あたしが冗談にしたんだ。
空にはまだ満月が浮かんでいる。
今のあたしには、一つの満月ではなく、二つの半月のように感じられた。
二つの半月がぴったりくっついて、完璧な満月を形づくっているような。
きっと地底にも、そんな満月が完成する。
私の付け入る隙がないくらい、完璧な満月が。
夜空の満月のすぐ近くに、一際強く輝く星を見つけて、少し安心した。
一か所だけヤマメちゃんの一人称が違いますが仕様です。