ここの人たちが話す言葉は日本語でもましてや英語でも中国語でもない。
柊弥が知っていようはずもない言語だった。
どうして分かるんだ。
そう言っている彩斗の視線は柊弥の心を乱した。
もう、自分でも分かっている。
自分が普通でないことを。
自然にはありえないような髪色、怪我をしにくい身体、血に極端に弱い身体、異国の言語がまるで脳内で翻訳されたように理解できること。
その全てがお前は普通の人間ではないと言っていた。
同じようにこの世界に流れ着いた彩斗を見て更にその気持ちは膨れ上がるばかりだった。
彩斗だって柊弥と同じようにあの機内からこの世界に放り出されたのだ。
しかし、それでも彩斗の容姿は変わることなくいつも通りで、当たり前のことだが異国のことなど分かりやしない。
それでもいいと思った。
普通でなくとも構わない。
今はとにかくこの世界で生き抜くことであって何も分からない同郷の者を救うべきなのだ。
自分には戦う力があり、異国で生きていくうえで言語に困らない。
柊弥はこの時、この目の前にいる友人の彩斗をそしてまだ生きているかもしれないあの時機内にいた同郷の人たちを助け出してあの日本に返してやりたいと思った。
「そうだな。
なぜか分かるみたいなんだ、ここの人たちの言葉が」
「それってどういう……」
彩斗の瞳の中に燻る好奇心の念の中に隠し切れない自分に対する恐れがあるのを柊弥は垣間見た気がした。
それでも柊弥はそれに気づかないふりをして話を続ける。
「日本語に聞こえるんだよ。
だから分かった。
ここが巧国という国であって、俺達は蓬莱と言われている恐らく日本からやってきた海客と言われる部類の迷い人であることを。
そして、それは蝕という超常現象が関係していることを」
つらつらと柊弥が今まででこの町の人たちから手に入れた情報を並べ立てる。
「それってどういうことだ?」
「ここは中国のどことも知れない集落でもましてやタイムスリップして来た過去の中国でもない。
別世界だ」
「は?」
柊弥の言った言葉を聞いた中林は情報を処理できずにフリーズしてしまった。
それでもしばらくしてどうにか再起動すると柊弥に向かって反論を捲し立てた。
「いや、そんなのありえないだろう。
そんな突拍子もないことを信じることなんてできないぞ。
まだタイムスリップと言われた方が納得できるさ」
無理もない。
普通に日本でこんなことを言っていたら柊弥はきっと変人扱いを受けるだろう。
しかし、今彼は引くわけにはいかなかった。
どうにか二人で日本に帰るためにもまずはここが日本でも中国でもそもそも地球ですらないことを知ってもら分ければならなかった。
「中林なら見たんじゃないか?
あの海中に星が輝く不可思議な海を」
「い、いや、そりゃあ見たけどよ……
でもいくら何でも別世界だなんてことはないだろうよ」
彩斗はあの海を見ている。
あれを見ればこの場所が普通の場所ではないことは分かるはずだがそれでも中林はここが別世界だなどと信じることはなかった。
中林も随分と優しいもので突拍子もないことを言っている柊弥の言葉を一つ一つしっかりと聞いている。
彼もこの現実を受け止めようと必死なのだろうと柊弥は思った。
それでも最後の一押しが必要なのだろう。
(ならば致し方ない)
柊弥でもここがどう考えても地球とは違う別の世界だと信じざるを得なかったここが別世界であることの証明。
「分かった。
中林がここが別世界じゃないというのは十分に分かる。
そりゃあ、決定的な物がないからな」
「そうだ。
俺は別にここが別世界だと認めたくないわけでもないし、柊弥のことを否定するつもりもない。
ただ今のこの状況を正しく知りたいんだ」
恐怖はある、好奇心はある、そして勇気もある。
柊弥は彩斗の顔を見て一つ頷いた。
「じゃあ、ここが別世界であることの証を見せよう。
そうでなければ日本に帰れるものも帰れなくなるからな」
「ど、どういうことなんだ?
証って一体?」
「見れば分かる。
でも、心してほしい」
柊弥は部屋の隅の方にいる彩斗の方まで詰める。
彩斗はさっきまでの柊弥の様子が違っているのに気が付いて訝しげに柊弥の方を見てくる。
取り敢えず彩斗は今のこの状況を友人である柊弥と共に整理している最中である。
柊弥の言うここが別世界であることを否定することは出来ない。
むしろその方が可能性としてはあり得るとさえ思っているのだ。
それでも彼は確かな証拠が欲しかったのだ。
ここが別世界であるということを。
すべてを諦め、割り切って、そして両親の待つ日本へ帰るために。
だから柊弥が証を見せてくれるというのは彩斗にとっては好都合だった。
……流石にモノにもよるのだが。
「
主であるその言葉と共に出てきたのは柊弥の従僕である爍繃だった。
爍繃はこの狭い牢屋にどうにかはいれたというほどの巨体であり、柊弥は慣れているが彩斗にとってみれば視界いっぱいにこの世のものとは思えない化け物が目の前にいることは我慢ならなかった。
悲鳴をあげそうになったところで柊弥が慌てて彩斗の口元を抑えた。
外にいる見張りなどに悲鳴を聞かれれば面倒である。
「だ、大丈夫だから。
爍繃は俺の従僕で俺の命令なしで中林を襲うなんてことは無いって」
恐ろし気な爍繃の顔を視界いっぱいに見せられて恐怖でいっぱいだった彩斗は数分かけて落ち着きを取り戻し、いつの間にか口元を抑えていた柊弥の手を下ろさせた。
「分かったよ。
なるほど地球にはこんなのはいないからな。
はあ……
別世界か。
そうだな別世界なんだなここは」
彩斗はさっきまでとは打って変わって落ち着き払った状況で目を瞑り何かを思っているようだった。
彼の眦に微かに浮かぶ涙を見て柊弥も彩斗と同じように故郷が愛おしくなってくる。
「なあ、こいつって触ってもいいのか?」
しばらくして落ち着いた中林は柊弥に話しかけた。
「ああ、大丈夫だ。
結構賢いからな。
俺の命令なくしてお前に襲い掛かるなんてことはないよ」
そう言い終わるが早いか彩斗はゆっくりと爍繃の元へと歩いて行って赤い毛並みの美しいその妖魔の身体に触れた。
「こいつ、いったいどうやって?」
「正直自分でもよく分かってない。
なんだかいつの間にか俺の僕になっていたって感じなんだ」
「いつの間にかって……
もっと他に言い方はないのか」
「他にって言われてもな。
まるで綱引きをやっていたような感じだった。
勝ったからこうして俺の僕になったからいいものの負けていたらどうなっていたことか……」
柊弥と彩斗は爍繃がいるこの狭苦しい部屋の中で無言のままだった。
「爍繃、戻れ」
柊弥は取り敢えず外の連中に爍繃を見られてはかなわないのでいつものように影に隠れるように命じた。
急に目の前の爍繃が消えたので彩斗は少しビクリと身体を震わせた。
「日本に帰る方法を探そう」
柊弥の一言は部屋の中に溶けるかのように優しくゆっくりとした口調だった。
「日本に帰るってどうしたらいいんだ。
そもそもどうして俺たちがここに来たのかもよく分かっていないというのに……」
「さっきも言っただろ。
蓬莱から海客という存在が海を越えてやってくる。
これはこの世界の人にとっては確かに迷惑なことだという認識のようだが、そうそう珍しいことではないんだ。
これはつまり日本からこの世界にやって来た人間があの機内にいた人以外にもいるわけであって、来ることが出来るんだから帰ることも出来ないこともないはずだ」
柊弥はそう口に出したがそれについては彩斗も思っていなかったわけではない。
「そうだな。
下ばっかり見ていたって何にもならないんだ。
どうにかして俺達で日本に帰ってやろうじゃないか」
俺には頼もしい友人もいることだからな、と言って快活な笑みを見せる彩斗は柊弥が知るいつもの彼だった。
「でも、その前に」
「ああ、ここを出ないとどうしようもないな」
ここを出ないとどうしようもない。
自分の身が危ぶまれる状況下にあるんだ。
何をしてでもこの場を逃げ出さないとどうなるか分からないことは柊弥だって分かっている。
だが、どうしても蝕によって作物の尽くを奪われた彼らが哀れで、そして自分がその一因かもしれないと考えると強硬策は好ましくなかった。