2018年、地球は再び恐竜が闊歩する世界となった。しかし、人類誕生以降、恐竜が人類の生活を脅かしたのは今回が初めてではなかった。

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Encounter

 ジュラシック・ワールド崩壊から4年。イスラ・ヌブラル島の噴火から1年。あれ以来、社会情勢は大きく変貌を遂げていた。ロックウッド邸から脱走した古代生物が並々ならぬ影響を人類文明に与えていた。アメリカ合衆国を中心に行方不明事件が多発し、小型の恐竜に喰い尽くされたとみられる原形を留めない遺体が週に一度のペースで発見された。柵が破られ、土は踏み荒らされ、出荷を目前にした農作物がことごとく餌食になった。事態を重く見た合衆国政府は助成金をはたいて恐竜の捕獲・駆除を推進したが、広大な自然に紛れた恐竜は人の手に負えず、あざ笑うかのように土着の哺乳動物の遺骸が積み重なっていった。

 恐竜保護団体DPGはロックウッド邸の事件後から政府の保護に惜しみなく協力していたが、批判を好む民衆による誹謗中傷の声はこの1年で数百倍に膨れ上がり、何人もの職員が精神を害して辞職していた。依然リーダーとして勤務するクレアの美貌にも、大きな黒い隈が浮かんでいた。窓の外から聞こえるデモの声を右の耳から左の耳へ流しながら、クレアは大量の書類の束をデスクの上に置いて虚ろな目をしていた。コトリ、とその横に白い湯気の立ち上るマグカップが置かれた。

 「……オーウェン」

 クレアが顔を上げると、そこには髭の生えた屈強な男がいた。4年前には共に白い悪魔と戦い、1年前には迫り来る火山弾から共に逃げたラプトルの調教師。

 「よう。凄い人だかりだな」

 自分の分のコーヒーをすすり、彼がウインクをしてみせる。外の喧騒をあまり深刻に受け止めてはいないようだ。

 「ええ……流石に参るわね。でも諦めるわけにはいかない。人間と恐竜が共存する世界のためにも──」

 「共存、か」

 オーウェンがふうっと息をつく。

 「まだジュラシック・ワールドがオープンする前のことだ。ある古生物学者の手記をたまたま目にしたよ。たしか……マスラニ社のデータベースに保存されていたんだと思う」

 「……それで?」

 「そこにはこう書かれていた。『今、過去の生物が人類の未来を脅かしている』。インジェン社が計画していた初代ジュラシック・パークのことだろうな。二度と同じ事故を起こさないように戒めとしてアーカイブに保存されていたんだろう。……それが、妙に今の状況を暗示しているような気がしてな」

 「ハッ。偶然でしょ。この状況を予想できた人なんていないわ。いたとして、神か悪魔よ」

 「ま、それもそうだが──」

 「ところでオーウェン。今日は何の用?」

 オーウェンが思い出したような顔をする。

 「ああ、メイジーの件だ。ロックウッドの館で彼女の世話をしていた人が見つかったんだ。さ、どうぞ入って」

 オーウェンに促されて、外から初老を過ぎたくらいの女性が部屋におずおずと足を踏み入れる。顔は皺だらけではあるが、老婆というにはまだ若い風貌。控えめな態度には、上品な家庭で数十年を過ごしたのであろう優雅な雰囲気の残り香が感じられた。

 「お久しぶりです、クレア・ディアリングさん──随分お疲れのご様子ですね?」

 「えっ……と──キャロル、さんでしたか?」

 疲弊したところで思いがけない来訪を受けてしどろもどろになるクレアに対し、老女はにこやかに返す。

 「ええ。アイリス・キャロルと申します。メイジーの世話係を、あの娘が生まれた頃からやらせていただいておりました」

 「お久しぶりです。メイジーは今、下の階でジアと一緒かと思います。今呼んできます──」

 「いや、俺が行こう」

 立ち上がろうとしたクレアを止め、オーウェンが申し出る。彼女の疲労を考えてのことだ。

 「ええ、じゃあよろしく」

 「任せろ」

 オーウェンは頷いて部屋を後にした。部屋にはクレアとアイリスだけが残され、沈黙が訪れた。しかし外の群衆が騒ぎ立てているため、静寂というわけではなかった。クレアはメイジーについて疲れた頭で思考を巡らせた。パークの創始者ジョン・ハモンドの友であったベンジャミン・ロックウッドは、失った娘を取り戻そうとクローン技術を用いて孫娘を作り出した。禁忌を犯して作り出された娘、それこそがメイジー・ロックウッドだった。ベンジャミン・ロックウッドは1年前の事件の日に急死し、ロックウッド財団の実質的トップであったミルズは当日付けでアイリスを解雇したのだ。以来、メイジーは扶養者を失い、クレアらDPGに保護されていた。1年近く過ごしたメイジーと離れるのは口惜しい。しかし、彼女にとって一番の幸せとは何かを考えると──

 「クレアさん」

 「は、はい!?」

 突如声をかけられ、クレアの思考が途切れた。アイリスは、部屋の壁やデスク一面に並んだポスターや報告書、地図を見渡していた。

 「大変ですねえ……本当に。世界中に恐竜が広がってしまっている。貴方方は恐竜を保護するため活動していたのに、今は人間と恐竜の間で板挟みになっている……」

 「ええ……でも、もともとそういうものですよ。最初にジュラシック・パークが設立されたときから、避けられない課題だったんです」

 「でも……ここ1年で問題が大きくなってしまった。本当に、お疲れ様です」

 「……」

 「……ところで、クレアさん。1つ伺ってもよろしいですか?」

 「はい、何でしょう?」

 「恐竜は、泳げるのですか?」

 突然の質問に、クレアは数舜だけ固まった。なぜそんなことを尋ねるのだろうか。

 「……泳げますよ。むしろ、骨のある動物で泳げないのは一部のサルとヒトだけです」

 「では、海を渡れるのですか?」

 ──ああ、そういうことか。クレアは質問の意図を理解した。

 「そういうことでしたか。いえ、泳げるには泳げますが、流石に海を渡るのは厳しいと思われます。今北アメリカ以外にも恐竜がいる理由は、私たちも今解明しようとしているところなんです。あの夜世界中に売られた恐竜が繁殖したには早すぎるので、それ以前に何らかの経路で島を脱出していたのかと……」

 「アイリス!」

 突如足音が聞こえ、メイジーが笑顔で息を切らせて部屋に駆け込んできた。遅れてオーウェンとジアが駆けつけてくる。

 「メイジー!」

 1年ぶりの邂逅に、2人が抱きしめ合う。アイリスの目から涙が流れ、メイジーの目もうるんでいた。それを見守る3人も、名残惜しさを感じつつも口角が上がっていた。外の喧騒をよそに、DPGのオフィスは明るい雰囲気に包まれた。

 

 他方、世界情勢は暗黒時代に入ろうとしていた。世界各地の企業や実力者と繋がり、そして合衆国の地位を高める一因にもなっていたロックウッド財団。そのロックウッド財団が崩壊し、さらに関連する法人も猛烈な批判を受けた。株式会社の株価は暴落し、合衆国の権威にも傷がついた。これを好機と見た中国とロシアが力を増し、世界の勢力図は大きく変動しようとしていた。インジェン社やミルズと、次々にクライアントの要望に応えてハイブリッド生物を作ってきたヘンリー・ウーも、時代の潮流を読み取っていた。故郷である中国へ戻ったウー博士は、中国当局から依頼された生物の開発に着手していた。

 ──はずだった。

 「ハア……ハア……!」

 汗をたらしながら、ウー博士が廊下を歩く。否、歩くというよりは、脚を引きずり、動かなくなった体をむりやりに押し進めていた。壁に手をかけ、最早体重を支えきれなくなった脚へのせめてもの助けとする。彼が手を離すと、壁には赤い液体が塗りたくられていた。彼が歩を進めた背後も同様だった。彼が身に纏うコートは血に濡れてずっしりと重くなっていた。

 「クソッ……何なのだ……!何なのだアレは……!!」

 事の発端は十数分前、DNA保管倉庫まで遡る。インドミナス・レックスの骨のサンプルは失われてしまったが、インドミナス・ラプトルのDNAおよびその他の恐竜・古代生物のDNAはウー博士の手に既に渡っていた。インドミナス・ラプトルは高度に洗練された戦闘マシーンとも言うべき怪物だ。しかし従順性が決定的に不足していた。ウーはヴェロキラプトルの中で飛び抜けた従順性を誇るブルーのDNAを利用しようと計画していたが、ブルーはティラノサウルス・レックスから輸血を受けたことで汚染されてしまった。ブルーのDNAに代わる代物を発見すべく、ウーは手持ちのDNAに加えて数千種に及ぶ哺乳動物のDNAを入手して研究を続けていた。

 そんな折、保管倉庫の扉が捻じ曲げられているのを彼の助手が発見した。金属の扉が、潰された飴細工のように破られていた。到底人間業ではない。異常を悟った助手が目にしたのは、DNAの収容装置を縦横無尽に破壊する黒い影だった。次々にDNAサンプルが割られ、撒き散らされ、宙を舞った。彼が即座に警報装置に手を伸ばすと同時に、影は彼の存在に気付いた。けたたましいブザーが鳴り響くと同時に、影は彼の喉を掻き切り、腹を引き裂き、頭を磨り潰した。

 警報を受けて駆け付けた警備兵は、真横から、真上から、真後ろから、影による襲撃を受けた。銃声が響き、銃弾が飛び交った。しかし黒い影は銃の照準を巧みに避け、兵隊の急所を次々に切り裂いていった。部隊が沈黙するや否や、次に爪牙は研究者に向いた。施設を破壊しながら、黒い影は暴風のごとく研究者の命を刈り取ってゆく。飛来した機器の破片で傷を負いながら、ウー博士だけは扉に鍵をかけ、研究室から脱出を果たしたのだ。彼以外は誰も部屋を出られなかった。悲鳴と怨嗟のうめき声に心を痛めながら、彼は部屋を後にしたのだ。

 「ぐッ……ううう……」

 苦痛に顔を歪めながら、ウー博士は通路の分岐に差し掛かった。右手にはエレベーターが、左手には非常用階段がある。彼は悩んだ。今の肉体では階段を登り切る可能性は低い。とはいえ、エレベーターはのランプは今最上階を示している。エレベーターが降りてくるのを待っていては、あの影が追い付いてくるかもしれない。保管倉庫の扉をこじ開けた化け物が、研究室の扉を破れないことはないだろう。だが最悪なのは、ここで迷っているうちにヤツに殺されてしまうことだ。それだけは、それだけは避けなくてはならない。

 ──ボタンを、押す。エレベーターだ。体力の消耗を考えると、ここはエレベーターを待つ他ない……!

 死力を振り絞り、ボタンに向かって指を伸ばす。ボタンが点灯し、エレベーターが下降を開始したのが分かった。後は時間との勝負である。ヤツが来るか、エレベーターが来るか。階のランプが1つ1つ下がってくるほどに、期待と緊張が指数関数的に増大する。心拍数が爆発的に上昇する。周りを見ても、あの黒い影は眼に入らない。

 ──あと、数秒だ!来い!来い、来い、来い!

 ついにランプは、ウー博士のいる階層を示した。音もなく扉が開き、博士の目が輝く。そう、文字通りに輝いた。エレベーターの中に未知の光源が存在した。

 「……は?」

 何かが白い光を放っている。球体。数千年の寿命を持つ神秘的な生命が呼吸するかのような、独特の聞き慣れない音を立てている。砕けた硝子の破片のようなものが集まり、球体をなしている。破片はゆっくりと球体の周りを公転している。放電?プラズマ?あらゆる考えが脳裏をよぎり、そして否定されて消えていく。

 「何……だコレは……」

 「それは、貴方が生み出した世界よ」

 人の声に驚き、博士が振り返る。見慣れない女がそこに立っていた。凛とした雰囲気だが、同時にドス黒い何かが直感で感じられた。全てを飲み込む重力の塊でさえ、ここまでは黒くならないだろうとさえ感じられた。この世に最も存在してはならない、そんな破壊的な危険を感じた。

 「君は──」

 「ずっと見ていたわ。ヘンリー・ウー。インジェン社とマスラニ社の間で随分熱心に研究をしていたわね。新種の植物を開発して、マンモス復活計画にも関与。そしてインドミナス・レックスを生み出して、ジュラシック・ワールドを滅ぼした元凶。そして1年前にはロックウッド邸の品評会にもいたわね」

 「……あの場にいたのか」

 「見ていたわよ。アロサウルスの落札から、スティギモロクが暴れ始めるまでね。でも貴方がいたのはオークション会場だけじゃないでしょう。インドミナス・ラプトルを開発したのも貴方よね。まだ未完成だったらしいけど。今は完成形を作ろうとしていたのかしら?中国政府の下で?」

 ──どこまで知っているのだ、この女。

 「……すまないが、私は君のことを知らない。名乗っていただけるかな?君は何者だ」

 「そんなことはどうだっていいのよ。私が何者かなんて」

 「どうでもいいわけがないだろう!この状況で悠長に話しかけてくるということは私の『敵』だろうがッ!」

 「ええ。後半は合ってる」

 「何?」

 影が迫っている恐怖と、正体不明の女に対する苛立ちで、ウーの思考は途切れかけていた。そんな時に、彼女は彼の思考を遥かに超越した言葉を漏らす。

 「前半が違うのはね……貴方がもうこの世界に居られないからよ」

 「は──」

 ウー博士は、球体に動きがあったことに気付けなかった。鋭利な鉤爪がついた長い前肢が球体から伸びていた。2本の前肢がウー博士の口と腹を確実に掴んだ。この時、ウー博士の脳にスイッチが入った。余りにも絶望的な状況に、彼の頭から恐怖が消し飛ぶ。彼の目が前肢の正体を捉えると同時に、彼の心は好奇心で満たされた。圧倒的な捕食動物に掴まれながら、恍惚とした表情を彼は浮かべる。

 「何だこいつは……!類人猿のようだが違う!もっと大きいぞ!」

 「え?」

 女がウー博士の異変に気付き、思わず怪訝な顔をする。恐怖からではない、興奮した声に違和感を覚える。

 「指は2本……いや、退化しかけてはいるが小さな爪がもう1つある!何者だこいつは!?ハハハッ!この私が見たこともない生物か!皆目見当も着かんよッ!嗚呼、良い!このような生物を、この手で生み出してみたかった!」

 「良い?」女は苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。「なんて悪趣味な……狂ってる」

 女は軽蔑の色を示した。その言葉を聞き、ウーは女に対して指を向ける。

 「狂ってる!?この私をマッドサイエンティストかのように言ってくれるが、この生物は素晴らしいぞ!これぞ生命の神秘だよ。インドラプトルに通じるものがある。この生物について研究し、よく知り、そして──」

 腕の持ち主が、彼の発言の終わらないうちに凄まじい力で球体の中へ彼を引きずり込んだ。彼と生物の姿が消えると、すぐに球体は高速で回転を始めて消失した。研究施設は閑散とし、女1人が残されていた。

 「……やはり、この男だった。でもまだ終わらない。未来の捕食者を消すためには──」


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