「ふわぁ……」
琴葉茜は自室から一階へと続く階段を下りながら、あくびをかみ殺す。
全く春というのは眠くて仕方がない。
春眠暁を覚えずと昔の偉い先人たちも言っているのだから、その言葉に倣い、春は一限をなくして二限からでいいのではないだろうか。
そんな詮無いことを考えながらリビングの扉を押し開くと、もう既に妹の葵は着替え終わってキッチンで忙しく朝の用意をしていた。
「あ! やーっとお姉ちゃん起きたんだ。あんまりにも遅いからそろそろ起こしに行こうと思ってたところだよ」
「おー、そりゃ堪忍やであおいー……」
ふらふらしながら定位置に座ると、それに合わせて葵が朝食を運んできた。
奇麗なきつね色のトーストに、自分好みな半熟具合の目玉焼きとソーセージ、キュウリとトマトのサラダが次々と並んでいく。
うん、相変わらず自分にはよく出来すぎた自慢の妹だ。
「もー! まだ春休み気分が抜けきってないんじゃないの?」
「流石にそんなことは無いでー。ただウチが朝弱いのは、長いこと一緒に居るんやから葵ちゃんもわかっとるやろ?」
「そりゃ長いことも何も、生まれた時から一緒に居るから分かってるけどさ。偶には早起きしてみたら? って事だよ」
「ふぇやな、はんはえほふわ」
パンにかじりつきながらの返事に葵は、絶対する気ないでしょと言わんばかりに大きなため息をついた。
「まったく……、新学期始まって何日だと思ってるの?」
壁にかかったカレンダーに目をやる。
「んー、四月八日から始まって……今日が二十五日やから、十七日やな」
「……十八日でしょ。それにそういう意味じゃなくてね……」
葵は既に今日何度目となるか分からないため息をついて、キッチンへと踵を返していった。
――琴葉葵――
(よし!)
あの様子だと、お姉ちゃん今日が誕生日だってまだ気づいてないっぽい!!
私は洗い物をする体でお姉ちゃんへと背を向け、気づかれないようにガッツポーズをする。
例年なら今日が誕生日だと気づいたら、それこそ朝から『葵―、葵―!! 今日は誕生日やで、ちゃんと覚えとるかー? 後で一緒に誕生日プレゼント買いに行こうなー!』とはしゃぎまくっているのに、その様子は微塵も無い。
何処か天然が入っているとはずっと感じていたが、まさか自分の誕生日までうっかり気づかないとは思わなかったが。
とはいえ、これで今年こそ漸く長年の夢が叶うかもしれない。
毎年毎年願いながらも、今まで一度も叶ったことのない夢。
(ついに今年こそ、お姉ちゃんにサプライズ誕生日パーティーを仕掛けれるかもしれない!!)
そう思い始めたきっかけは何だったか忘れてしまったが、それでも毎年誕生日が近くなるたび、今年こそはと考え計画は練っていた。
しかし、先述の通りにお姉ちゃんが朝から気づいてしまう事が多く、結局一度も計画が成功したことは無かったのだ。
唯一、一昨年は昼くらいまで気づかなかったためこれはいけるか? と思ったが、その時は確か同級生のあかりちゃんが「おめでとー」と言いに来たせいで気づかれてしまった。
(今年はちゃんと皆に、サプライズで祝いたいから協力してって知らせとかないと……)
私はお姉ちゃんに気づかれないように手早くメールを打ち込んで皆に送る。
……これでよし、今年こそ完璧だ。後は出来るだけ早く帰って、ごちそう作って――
と、そこでふと不安がよぎる。
(もし、もしもだけど……お姉ちゃんが外食してきたらどうしよう。いつもは誕生日早く帰って来るけれど、今日は気づいてないからその保証はないし……。たまに『ご飯食べて来たから要らんわー』って帰ってから言う時もあるんだよね……)
念には念を入れておいた方がいいだろうと、出来るだけ何気ない口調を装ってお姉ちゃんへ声をかける。
「あ、お姉ちゃん。今日はうちで食べて欲しいから外食とかしないで帰ってね」
「んー、何でや?」
「え? あ、あー……あ! そうそう!! 今日は冷蔵庫に賞味期限が近い食材が多いから、それを消費しちゃいたいな~って思ってね!」
家での料理担当は主に私だ、これならお姉ちゃんは本当の事かどうか分かるまい。
少しだけ嘘をついたことに罪悪感を感じないでもないが、これもお姉ちゃんを喜ばせるためだと自分に言い聞かせる。
「ふーん、そうなんか。普段しっかり食材管理してる葵にしてはなんか珍しい気がするけど……ま、分かったわ。今日は出来るだけ早よ帰るようにするわ」
ちょっと疑われたかもとどぎまぎしたが、何とか大丈夫だったようだ。
ほぅ、と胸をなでおろす。
これでお姉ちゃんが外食してきてしまって、折角のごちそうが食べられないという悲劇は回避された。
これで今年こそ本当に気がかりな事は――
……いや待った、今お姉ちゃんは『できるだけ早く帰る』とか言わなかったか?
そうなれば必然、私が料理しているところをお姉ちゃんは見てしまう訳で、そうなったらサプライズも何もあったものではない。
「……あー、あのね、お姉ちゃん」
「どしたー?」
「出来れば今日は、どこか外で暫く時間潰してきてから帰って欲しいなぁ~って思うんだけど……」
お姉ちゃんはパンにジャムを塗る手を止めて、訝しげにこちらを見る。
「え? 何でや?」
(そりゃそうだよねーーーー!!!)
いきなりそんな事を言われたら誰だってそーなる、自分だってそーなる。
頭を抱えて七転八倒したいところだが、今お姉ちゃんの前でそんな奇行に走れば怪しいことこの上ない。
考えろ、琴葉葵ッ! ここが『シアワセドッキリおねーちゃん誕生パーティー』成功の分水嶺だ!!
「えー…………、そう!! さっき言ったみたいに今日は食材が多い分、ちょーっと料理に時間がかかっちゃいそうだから! ね? じっと待ってるのも退屈でしょ? だから適当な感じに時間を外でつぶしてきた方が退屈しなくていいんじゃないかなーって」
「適当にって、なかなか難しいこと言うなぁ……」
「帰ってきていい時間になったら電話するから! ね⁉」
「うーん……そない時間がかかるんやったら、お姉ちゃんも手伝うたろか?」
(くーーーっ! 何で今日に限ってそんな協力的なのさーーっ?!)
一応言っておくと、決してお姉ちゃんは料理が出来ないとかメシマズだとかいう訳では無い。
私が風邪の時とかにはいろいろ作ってくれるし、何だったら私より上手い可能性だってある。
が、当の本人は『毎日作るのは面倒くさいからなー』と普段は料理以外の家事を担当しているのだ。
「~~っ!! だいじょぶだいじょぶ!! 私ひとりで本っ当ーに大丈夫だから!」
「うーん、そうかー? まあ、必要になったら遠慮せんと言ってやー」
ジャムのスプーンを置いて、パンをもきゅもきゅと口に運ぶお姉ちゃんを見て、こっそり額の汗をぬぐう。
(ふぅ……今度こそ本当にこれで何とかなったかな?)
後は……誕生日プレゼントは今週末にでも、例年通りに誕生日デートで一緒に買いに行けばいいし――
(――うん! それくらいかな? 後はお姉ちゃんが家に帰ってきたら、ケーキのろうそくに火をつけて、バースデーソングでお出迎えー……)
……そういえばケーキ、どうしよう。
今の今までケーキの事は微塵も考えてこなかった。
というのも、何時もはテンションの上がったお姉ちゃんが率先して『ほな、ウチケーキ買うてくるでー』と行ってしまうので、ケーキの事など考えもつかなかったのだ。
だからと言ってお姉ちゃんにケーキ買ってきて、なんて言ったら流石のお姉ちゃんでも絶対気づいてしまう。
こうなったら自分で焼成を……いや、無理だ。無論作れなくはないが、料理と一緒にするにはどう考えたって時間が足りない!
(~~~っ。こうなったらマキさん所の喫茶店に土下座してでも頼み込んで、配達してもらう……?)
そんな風に頭を悩ませている時だった。
「何悩んどるんや、葵ー?」
いつも通りの能天気な声に、ついつい気が緩んで――
「あー、今日のケーキをね……どうしようかなって」
「それならいつも通りウチが買うてくるでー、今年はちゃんと忘れんと『お誕生日おめでとう』のプレートとロウソクも貰うてくるからなー」
その言葉に、自らのとんでもない失言に、はっとしてお姉ちゃんの方を見ると、お姉ちゃんも何だかしまったなー、といった感じで頭を掻いていた。
――琴葉茜――
(あー、しもたな……)
自分の失言に頭を掻きながら葵の方を見ると、葵も何だかショックを受けたような表情で固まっていた。
「……え? お姉ちゃん気づいてたの?」
「……気づいてたって、何をや?」
「ほら、今日が誕生日だってことを」
当たり前だがやっぱりばれてしまうか、誤魔化すように笑って肯定する。
「まぁ……せやな」
それを聞いた葵ちゃんはなんだか慌てて、というか混乱しているようだった。
「だって! いつもなら誕生日だってわかったら朝から凄くはしゃいでるのに……」
『……いや、そんな言うほどははしゃいでないやろ』とは思ったが、本筋から外れるので反論したいのをぐっと我慢する。
「あー、それはな。今年はなんというか葵をドッキリさせたかったんや。ほら、その、何て言うんかな? サプライズ的なあれや」
何だか葵がぽかーんとしているので補足する。
「この前見た漫画にな、サプライズで主人公が誕生日を祝ってもらうってのがあって、あー、こういうの素敵やなぁって。だから今年は葵になんか仕掛けたろと思って、気づいてない振りしといてサプライズでケーキ買うてくるつもりやったんよ」
「そ、そんな理由で……?」
それを聞いた葵はよろよろと崩れ落ちた。
「……私なんか、何年も前から憧れてたのに……。何度も計画だって練ってたのに……。今回こそ絶好のチャンスだと思ってたのに……」
あ、あれ? なんか葵怒ってないか?
背中から放たれるどんよりとしたオーラが何ともおどろおどろしい。
「あ、あははー……。ほんま堪忍やでー、葵ー……」
「……はぁ。最初からお姉ちゃんは知ってたわけだし、結局どうあがいてもサプライズにならなかったからもういいけど……。お姉ちゃんが本当に、今日誕生日だって事忘れてくれてたらなぁ……」
その言葉に、私はフォークで刺したウィンナーをお皿に戻して葵の方を向く。
「……それは無理やで、葵」
「え?」
心外な事にびっくりしたような顔をする葵ちゃんに向かい、胸を張ってきっぱりと言い切る。
「確かにお姉ちゃんぼーっとしとることも多いかもしれへんけど、例え自分の誕生日を忘れたとしても、大事な妹の誕生日を忘れるようなことは絶対にないで!!」
それは一人の姉としての矜持であり、そして数少ない、自分が絶対と言えるものの一つでもあった。
(何より、こんな可愛い妹の誕生日を忘れるなんて、やろうと思っても出来る筈がないんやけどな)
それを聞いていた葵ちゃんはしばらくほうけたようにポカンと口を開いていたが、やがて顔が見る見るうちに赤くなっていって……ついに頭からボン! という音と共に煙が上がる。
「――って! 私たち双子なんだから私の誕生日忘れないのに、自分の誕生日忘れる訳ないじゃん!!」
……。
「……あー、言われてみればそれもそうやな」
「……え、もしかして本当に忘れてた?」
「……ま、まぁそこらへんはええやんか!」
「……もー、お姉ちゃんは相変わらずどこか抜けてるんだから……。あ! ほら、もう学校に遅れちゃうよ⁉ 何時までも食べてたら私先に行っちゃうからね!」
「ちょ⁉ ちょっと待ってんか葵ー! お姉ちゃん最後の楽しみにとって置いたウィンナーまだ食べて無いんやー!! 聞いてんか、葵ー⁉」
私は慌てて口にウィンナーを放り込み、味わう間もなく皿を流しへ片づけて、一人で先にずんずんと行ってしまった葵の後を追いかけるのだった。
という訳で、琴葉姉妹五周年記念小説でした!
二人ともおめでとう!!