「じゃあ、フラミー君。来週待っているよ。」
最古の森の王、タリアト・アラ・アルバイヘームは輝きが氾濫するようなフラミーの黄金の瞳を覗いた。
「はーい!お城に着いたらアラさんを尋ねればわかって貰えるかな?」
タリアトは頷こうとして、先程フラミーが言っていたずっと遠い所から来たという言葉を思い出した。
「あ、いや。やはり迎えの馬車を送ろうか。そなたの家は遠いんだろう。ここからでも城までは一日はかかってしまうし。」
「いいえ。転移魔法で行きますから大丈夫です!」
長距離の転移魔法は第五位階からの魔法で、タリアトは自分以外で使える者を見たことがない。長距離と断定しないなら、第三位階に<
「フラミー君…そなたは随分優秀な
欲しい。タリアトがフラミーを見る視線の温度が上がる。
「ん?そんな事ないですよ。私なんてまだまだです。」
「ふふ、謙虚なことだ。じゃあ、そなたが転移で訪ねてくれると信じて、一応何か目印を渡しておこう。」
ペンか何かないかと自分の白いローブのポケットに手を突っ込む。
しかし、特に何もない。上着のように重ね着しているローブのポケットにも何もない。
タリアトは悩んだが、腕に通している蔦のようなブレスレットを一つ外した。
フラミーの身なりは相当に良く、身につける全ては魔法の装備だ。これを約束の品として渡したとしても、盗まれたり売ったりするとは思えなかった。
この最古の森の王として数百年君臨するタリアト・アラ・アルバイヘームの持つ最高の一着に匹敵しているのだ。
タリアトはフラミーのヘリオトロープ色の手を取ると腕に通した。
「王城に着いたら、私を呼んでくれ。もし不審がられたら、それを見せるんだ。いいね。」
「わかりました!無くさないようにしますね。」
フラミーが花のように笑うと、タリアトは生まれて初めて自分より美しいと思えたこの顔を忘れないようにしようと良く観察した。
天使がちょいと摘んだような鼻に、柔らかそうな唇、彫刻のように整った耳。
もしフラミーに何か二つ名を送るとしたら「我が憧れの君」だろう。タリアトはその瞳に入ることすらおこがましく感じてしまう。
「フラミー君はなんと言う種族なんだい?」
そう聞きながら、
翼はあるが、尖った耳や銀色の髪は
「私は
「サタン…か。残念だけど知らないな…。世界は広いものだね。ここの所、私の知らないことばかりが起こるよ。」
「そうなんですか?じゃあ、毎日とっても楽しくって良いですね!」
フラミーがそう言うと、タリアトは苦笑した。
「楽しく――は、ないかな。知らないことなんて一つもなくなれば良いのにと思うよ。」
「世界のことが全部解っちゃったら、つまんないだけですよ。私、知らないことばっかりで、毎日毎日お気に入りの本のページをめくるみたいにワクワクします!」
フラミーは木に這う蔦になる赤い実をもぐと、それをタリアトに渡した。
「これ、どんな味だか知ってます?」
「ん…いや。知らないよ。」
「<
これはゲームだろう。赤い実は甘そうで、葡萄の一粒のようだ。毒に耐性を持たせる指輪に反応はない。
しかし、一度も食卓に上ったことを見たことがないところを見ると、おおかた甘みは強くないのだろう。
「想像しました?どんな味?」
「淡白な味なのかな。いや、もしかしたら種が大きくて可食部分が少ない?」
「私は甘いと思いましたよ。さ、食べてみて。」
タリアトは飴のように小粒なそれをよく観察し、ヒョイと口に放り込んだ。
そして、ム、と一声上げると顔をしかめた。
「酸っ………………ぱい!なんて物を食べさせるんだい!」
「はは!とっても酸っぱいですよね、でも食べる前はわくわくしたでしょう?きっとアラさんは暫くその味を忘れませんよ。知るって楽しいですね!」
腕を広げてくるくる回るフラミーを捕まえると、笑いながら「この!」とその背を木に押し当てた。
たしかにこの味は忘れられそうにないと思った。
タリアトは生まれて初めて恋の味を知った気がする。
元々長寿な種族ではあるが、更に老化を遅める魔法を使っているため特に長生きなタリアトはこの数百年、いまだ妻を持たない。
美しく、魔法適性が優秀で、尚且つ継承者を共に正しく導ける女が現れるのを気長に待っていた。
乾季の最古の森に雨を降らせ、最古の森に住む全ての種族に頭を下げさせることができる絶対なる王位継承者を作るために。
「ふふ、怒った?」
タリアトは笑いながら見上げてくる黄金の果実を眩しそうに覗いた。
「怒ってないさ、でも、してやられたな。」
「よかった。――はぁ。木があったかい。アラさんの住んでるところもこんな風にたくさん大きな木が生えてるんですか?」
「ん、そうだね。最古の森にはこういう木が多い。私の家もそれはそれは大きな木が支えてくれているよ。」
「素敵。ねぇ、この森っていつからあるんでしょうね。綺麗で、大きくて立派で。――すごいなぁ。」
タリアトは頷き空を仰ぐフラミーの視線を追い、遙か高くでさわさわと騒めく葉を見た。
「そなたにはわかるか。美しいだろう。この木も何百年、何千年と存在するんだよ。」
「アラさんも森が好きなんですね。」
「あぁ。愛しているよ。しかし、この森は守る者がいなければなかなか保てないんだがね。」
乾季には雨を降らせなければいけないし、人間達は年輪の詰まった頑丈な木を建築物に使おうと無尽蔵に切り倒そうとするし、そういう害虫からも森は守らなければいけない。
二人は森の空気をたっぷりと吸った。
「そっか…。
タリアトはフラミーは一体今何歳なんだろうかと目を細めた。
「…五百年前に世界のありようが変わるまではここには竜王が暮らしていて、竜王が森を守っていたよ。いや、支配していた。しかし、全ては変わった。その竜王は八欲王と呼ばれたぷ――いや、ある者達と戦うため遥か遠くへ出かけ、帰りはしなかったんだ。」
「…そう…そうなんですね…八欲王に…。」フラミーは思いつめるような顔をすると、決心したように、よし、と声を上げた。「この森、私も王様と一緒に守らせてもらおうかな!雨も降らせますよ!その為にも王様に会いにいかなくちゃ!」
第六位階の
第四位階の
「そなたはドルイドなのか?」
「ううん。魔力系と信仰系の
「…王は最古の森中に出かけている。そなたはそれをわかっていながら、王と共に竜王の勤めを継ぐと言うのか。」
フラミーは笑って頷いた。
「守ります。この綺麗な森を。」
「――フラミー君、そなた一体何者なんだ?」
頬を撫で、甘そうな唇を押すとふにりと柔らかかった。
「私はフラミーですよ。」
「どこから来て、どこへ向かっているのか教えてくれ。用事を済ませたらそなたに、いや、君にまたすぐに会いたい。」
「多分アラさんからは会いに来られないですよ。本当に遠くから来ましたし、遠くに帰りますから。」
「私はこう見えて行ったことがない場所はそうそうないよ。それに長距離の転位魔法も使える。どうか私の小さな天使の居場所を教えてくれ。」
小さな顔は両手で包むとタリアトの手で隠れてしまいそうだった。
「多分来られないですけど、私の家は――」
フラミーが全てを言う前に二つの声がキツく響いた。
「貴様!!フラミーさんから離れろ!!」「アラ様!お下がりください!!」
フラミーとタリアトはそれぞれ自分を呼ぶ声に顔を向けた。
「あ、アインズさん。この人はアラさんって言って、王城で働いてる――」
「落ち着け、ジークワット。この人はフラミー君と言って、今度王城に招くつもりで――」
二人が同時に喋っていると、タリアトの部下の
フラミーは困惑の瞳で
「フラミー様!ご無事でありんすか!!」
「光神陛下!!」
そのすぐ後ろには
「ベヘリスカ!そなたシャグラ・ベヘリスカじゃないか!航海はどうした!いつ帰って来たんだ!」
タリアトの声にシャグラは飛び出すように人間をかき分け、前に出た。
「ア、アルバイヘーム陛下!私は数日前に戻りました。しかし、まさかこれは煌王国へお向かいに!?」
「そうだ。第五王女が昨日助けを求めてきたからな。それより…お前は隣の大陸に辿り着けなかったのか?」
「いえ、辿り着き、敗れました。陛下、どうか煌王国への進軍はおやめください!!」
「何を…?」
タリアトがシャグラを訝しむように見ていると、ふと胸に優しくフラミーの両手が触れた。
「アラさん…?え?…え?な、ない…?」
「フラミー君、安心してくれて良い。悪いようにはさせないよ。」
近衛隊隊長のジークワットはフラミーが害のある者ではなさそうなのを確認すると声を張り上げた。
「エルサリオン上王国が王、タリアト・アラ・アルバイヘーム陛下の御前であるぞ!!人間!!頭が高い!!」
それを聞く時、人間達の顔には分かりやすく不快感が浮かび、ルーンが彫られた壮麗な槍を持つ者が声を張る。
「
「フラミー君、君は神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国の…王妃なのか…。」
「アラさんも…王様なんですか…?あなた、自分のことを小間使いだって…。」
「森と国のために馬車馬のように働いているから、そんなようなものだよ。」
タリアトが胸に触れていたフラミーの手を握ると同時に、辺りにはドッと黒い靄が吹き出した――ように錯覚した。
タリアト以外の全ての
「もう一度だけ言おう。フラミーさんから離れろ。」
「…す…すごい力だね…。神聖魔導王…殿…。」
「<絶望のオーラⅡ・恐慌>に触れて立っている者は初めてだ。しかし、アルバイヘーム、お前は今すぐ這いつくばらなければ全てを後悔するぞ。」
「今這いつくばればその怒りを収めてくれるのかな…。」
「ことと次第によるが、少なくともこれ以上私を怒らせないでは済むだろう。」
タリアトはフラミーの手を離すとアインズに向けて片膝をついた。
「アインズさん、ごめんね。」
フラミーはすぐ様アインズへ駆け寄り、ひょいと持ち上げられた。
タリアトはフラミーが心配だった。
王妃が森の中で敵国の王と通じているなどと王に思われれば、普通は首を刎ねられかねない。
「タリアト・アラ・アルバイヘーム。物わかりがいいようだな。」
「…お褒めに預かり恐悦だね。神聖魔導王殿、フラミー君を罰さないと誓ってくれないか。」
「フラミーさんに罰…?そんな物与えるわけがないだろう。お前は痴漢にあった女性を叱るのか?」
「ち、痴漢…。」
「さぁシャグラ、ソロン。説明しろ。煌王国へ行く意味がないと言うことを。」
タリアトは美しい王がフラミーを連れて離れて行くのを見送りながら、シャグラとソロンより全てを聞かされた。
「――フラミー君は女神だったか。」
「お疑いにならないので…?」
シャグラが不思議そうな声を出す。
「あれが女神でなければこの世に女神はいないよ。」
タリアトは甘酸っぱくもない、ただただ酸っぱいだけの恋の味に顔をしかめた。