#101 不調
リ・エスティーゼ州北部にあるリンデ海に面した大都市エ・ナイウル。
ナイウーアと言う、かつて貴族であった者が持つ領内最大の港湾都市である。"貴族であった"、と言うのは王国が神聖魔導国へと変わってからはそう言った身分は全ての者から剥奪された為だ。しかし、どの領もそれまでの領主が持ち、市や区として存在し続けている。
エ・ナイウルを東へ行けば州軍が置かれるリ・ウロヴァール。
ナイウーアはエ・ランテルの戦いに参加していない。信頼できる家臣に兵を預けて送った為に現在も存命だ。リ・ウロヴァールの領主であるかつて王派閥に属していたウロヴァーナは、エ・ランテルの戦いに赴き、ギリギリの所を生き延びた。しかし、かつて六大貴族の中で最も年長だった彼はランポッサⅢ世の崩御から一年と経たずに安らかな眠りについた。余談だが、同じく六大貴族にいたボウロロープなどは白き
ウロヴァール港からは長距離航海の船乗り達が、聖王国の首都ホバンスの西隣にある港湾都市リムンとよく行き来をしている。隣の大陸にあるビジランタ大森林前の小さな港――アルタンスク港へ効率良く、安全な航路の選出を行う為に互いの知恵を出し合っているようだ。
リムン港からはつい先日、再び多くの冒険者達が
ナイウル港は生活の港、ウロヴァール港やリムン港は冒険や軍事の港といった所だ。
エ・ナイウルの水揚げ高は毎年良くなっていっている。と言うのも、北上した先にあるアーグランド評議国の
という
各州の美食家達はここで食べられるナイウル焼き――醤油をベースに蜂蜜を混ぜたタレを魚に塗って焼き上げる甘辛く香ばしい逸品――を一度は食べようとこぞって訪れ、街は賑わっている。行き交う種族は、人間はもちろんのこと、観光客のセイレーンから
ここからは聖ローブル州と評議国へ航路で出入りしやすい事もあり、エ・ナイウルはこれまでにない発展を見せている。
「おーい!ジャンド・ハーンとクン・リー・ガル・タイの船が帰ったぞー!!」
うみねこ達のミャアミャアと言う鳴き声と共に港に帰港を告げる声が響き渡った。
学校が休みの子供達がお駄賃目的に港へ駆ける。入ってきた小型船から投げられるロープを受け取り、手際良く
「オラーイ!オラーイ!」
青と白の目に眩しいボーダーのTシャツを着た船の荷積みを監督する男が大きく手を振る。縛り上げられた黒い
どの港にも船がドックに直接ぶつからない様に
彼らは一頻り食事をすると勝手に海から上がってきて体を乾かす。あまり長く海水に浸かっていると溶け出してしまうのだ。
船は慣れた動きで
船と
「ハーン!随分早かったな!今日の漁獲高はどうだ!」
監督が船へ駆け寄る。降りてきた日に焼けた浅黒い肌の男はまさに海の男、というような風体だ。いつもは白い歯をニカリと見せるはずだが――今日ばかりは酷く焦ったような顔をしていた。
「すまない!皆場所を開けてくれ!!」
ハーンの様子がおかしいことに皆目を見合わせた。そして場所を開けてくれと言われると子供達が逆に集まっていく。
「なになに?」「何が釣れたのー?」「場所開けるほどの大物ー?」
ハーンはそんな子供達の様子も構うことなく、操舵室に戻った。
そして再び姿を現した彼はぐったりする
「俺の相棒のクン・リー・ガル・タイの調子がおかしいんだ!!通してくれ!!」
クン・リー・ガル・タイはひぅひぅと小さな呼吸を繰り返し、時折激しく咳き込んでいた。
「これは…病気か?出航する時には調子良さそうだったのに…。」
監督が呟くとハーンは肩で監督を押した。
「通してくれって!!」
「ハーン、一度落ち着け!」
「落ち着いてなんていられるか!今すぐ神殿に連れて行ってやらないと!!」
「神殿までクン・リーを抱えて行けるわけがないだろ!おい、担架だ!担架を出してやれ!!」
指示に従い、海の男たちが慌てて担架を取りに行く。
ハーンはびしょびしょのクン・リー・ガル・タイを抱えていた腕が、ゆうに百キロを超えるその体を支えることに悲鳴を上げ震えていることに気が付く。
「……っく!」
子供達が持ってきた
尾鰭の先まで合わせれば全長二メートルを超える
港で働く
息苦しそうな咳が続き、クン・リーを覗き込んでいると、数分とたたずに担架を持った男たちが駆け戻った。
「よし、せーのでクン・リーを持ち上げるぞ!――せー、のっ!!」
監督とハーン二人でクン・リーを担架に乗せる。
「クン・リー、すぐに神殿に連れて行ってやるからな!!」
ハーンが声をかけると、クン・リーは咳き込みながら頷いた。
「神殿までは少し遠い。四人で行け!なるべく疲れないように!」
「上げるぞ、十秒でゆっくり立ち上がるからな!――いち、にの、さん!!」
監督の指示を受けながら、担架を持ってきた男達とハーン、四人がかりで担架をゆっくりと持ち上げた。
「行くぞ!!」
四人が競歩のようなスピードで歩き始めると、監督はハッとし、その背に声をかけた。
「ハーン!お前の魚、船から下ろしておくからな!!」
「――頼む!!」
ハーンはそれだけ答え、四人で神殿へ向かった。
その日、アインズはフラミーが布団から出たことで目覚めた。
どこへ行くんですか、と問いたい気持ちをグッと抑えていると、フラミーはふらふらと部屋を出て行ってしまった。
「……トイレか…。」
もう少し寝たいがフラミーがいなければ寝られない。寝たくない。
アインズは渋々アンデッドの身に戻った。やはり性欲、睡眠欲、食欲があるとそのどれにでも身を持ち崩しそうになってしまう。三ヶ月も寝室にこもっていた頃が懐かしい。
うん…と骨には不要な伸びをし、ガウンを着ると、隣ですぴすぴと寝息を立てるナインズを覗き込んだ。
「九太、おはようさん。」
名前を呼ばれ、わずかな反応を見せたが起きることはなかった。
布団をナインズに掛け直してやり、アインズも寝室を後にする。
座っているアインズ当番、ナインズ当番達が立ち上がり丁寧に頭を下げる。まだ昨日の当番の者達のままだった。
つまり、朝は朝でもまだかなりの早朝だ。
「……フラミーさんの当番がいないな。トイレに付き添っているのか。」
アインズ当番は静かに頷いた。
「はい。今朝は少しお加減が良くないそうで、付き添いました。」
「む……そうか。」
アインズはそれだけ言うとフラミーの部屋についているトイレへ向かった。
トイレにしては豪華すぎる扉をノックする。ここのトイレは執事助手のエクレアが「舐められるほどに綺麗にしています」と豪語していた。
「フラミーさん、フラミーさん。体調どうですか?」
返事もなく、少し待つと扉が開いた。
「アインズさぁん、おはようございます。」
「おはようございます。ペストーニャ呼びますか?」
「いえ、もう治りましたから。」
昨日のフラミー当番と共に出てきたフラミーはほう、と青い顔で息を吐いた。
「寝られそうだったら寝てください。もし九太が気になるようだったら、俺の部屋に連れて行きますよ?」
フラミーの肩を抱いて寝室に向かうと、フラミーは首を振った。
「だいじょぶです。でも、今日は朝ごはんはいらなそうですぅ…。」
あぁ〜〜とフラミーが声を上げる。寝室の扉をフラミー当番が開き、二人はそれを潜った。
「分かりました。朝食はいらないって料理長に伝えますね。」
閉まり行く扉にちらりと視線を送ると、フラミー当番は心得たとばかりに頷き、扉を静かに閉めた。料理長に伝えに行ってくれるはずだ。
フラミーは短く「ありがと〜」とだけ返し、バフンっと勢いよくベッドに飛び込んだ。
アインズとしてはハラハラする光景だ。あまりにもハラハラしすぎて精神が昂り沈静された。
「ごめんねなんですけど…ねまぁす…。」
「寝てください、寝てください。」
「昼過ぎまでぇ…。」
「いいですよ。いくらでも寝てください。」
ナインズの方を向いて丸まったフラミーに布団を掛け、邪魔にならないようにナインズをずるずる布団上で引きずって引き離す。
フラミーは目を閉じるとすぐに眠りについた。
「もう少ししたらきつい時期も終わりますからね…。」
慈しむように前髪を撫でてやると、アインズは自分の手が冷たいかもしれないと人の体を呼び戻した。
「……娘、かぁ。」
ナインズが一歳半になったこの夏――この世界に来て実に五年目の夏――フラミーは二人目の子供を身篭り、再び体の変化に影響を受けていた。
ソリュシャンによると、今はおおよそ四ヶ月ほどで、赤紫色の肌をした尖った耳を持つ女児だそうだ。その情報だけで、おそらく悪魔なのだろうと結論が出ている。
春先に妖精の隠れ里から帰ってきた後、数時間とはいえフラミーが行方不明になっていた事で不安感を刺激されすぎたアインズはしばらくフラミーにべったりしていた。――その結果と言っては乱暴だろうか。
アインズは紫の肌に尖った耳の娘なんて、フラミーそのものではないかと胸を躍らせている。
たっち・みーは娘がどれだけ可愛いかと言うことをしょっちゅう語っていた。どれほど可愛い娘が生まれてしまうのだろうか。しかし、息子だって可愛いぞともよく思っている。
愛らしい息子で鍛えられたアインズならば、娘ができてもそうデロデロに溶けた甘々父ちゃんにはならないはずだ。
(九太はこんなに可愛いもんなぁ。)
へらへらと締まりのない顔で笑い、柔らかなもちもちほっぺをうっとりと眺める。
そうしていると、何か気配を感じたのかナインズがゆっくりと目を覚ました。
「おとうたま?」
アインズはゲ、と言いそうになるがなんとか言葉を飲み込んだ。
一歳と半年ともなれば、毎日のように言葉を覚えてあれこれ喋っている。赤ん坊というよりはもう幼児だ。
「…あぁ。父ちゃんだよ、おはよう。」
ナインズはしばらくアインズを見ると、隣でぐっすりと眠るフラミーへ振り返った。
「ね、ね!おかあたま!!」
目覚めると途端にハイテンションになってしまう。ナインズは起き上がるとフラミーの体の向こうにある翼を引っ張りはじめた。包まれて眠りたいのだろうが、フラミーは今その体勢はお断り中だ。四対の翼は綺麗に畳まれ、フラミーは丸くなって眠っている。
「九太、ダメだって。」
なるべく静かに抑えた声で言うが、返ってくる返事は――
「や!おかあたま!!」
大ボリュームだった。
「わかった、わかったから。お前そんな事してると追い出されちゃうぞ。」
「やー!!」
ナインズの大きすぎる声が寝室にこだますると、フラミーから唸り声が上がった。
「うぅ〜〜……あいんずさぁん……。」
「あ、す、すみません。こら、九太。父ちゃんがなんかしてやるから。」
「やぁー!!」
再び絶叫が響くと、アインズは<
「九太!父ちゃんの部屋行こう!」
「や!!ねんね!!おかあたまぁ!!」
「父ちゃんの部屋で寝んねできるだろ?」
「やぁあー!!」
フラミーがつわりで調子が悪い為、構って貰えない事が大層ご不満なナインズはしょっちゅうヤダヤダと言うようになってしまった。
「九太、でもな。フラミーさんは今辛いんだよ。」
「やぁ!ないくん、おかあたまぁ!」
ぐずり出し、ジタバタするとアインズはベッドの揺れが伝わらないように立ち上がった。
「九太、父ちゃんじゃ嫌か?」
「んん"…ん"ん"ぅぅ…。」
「フラミーさんが好きなのは分かるけどなぁ……。今は父ちゃんで我慢してくれないか?」
アインズはぐずるナインズの背をぽんぽん叩き、立ったまま軽く揺れた。赤ん坊だった頃はどこでだって寝たし、人見知りもしなかったし、フラミーが離れていても泣かなかった――と言うのに。
「よしよし…。よーしよし…。」
アインズのガウンを掴むナインズは暫くすると泣き疲れて眠った。
「…やれやれ。」
ナインズを抱えたまま、アインズは
セミのように引っ付く我が子を撫でる。
「フラミーさんがいなきゃ寝れないのは俺だって同じだよ…。」
アインズはお前の気持ちはよくわかる、そう心の中で呟きベッドに転がった。
弱っているフラミーを一人にする不安が膨れていく。
しかし、このナザリックで一体何者があの存在に手出しができるものか。そう自分を慰めた。
抱き締めるナインズからはフラミーの匂いがした。
第二子!第二子!
14巻読みました!!早速出てきた地名を使う!やるぞやるぞ俺はやるぞ!
ちなみに14巻のネタバレ要素は0です!
神聖魔導国は今日も魔導国と無関係!神王陛下万歳!光神陛下万歳!
次回#102 病気治癒