眠る前にも夢を見て   作:ジッキンゲン男爵

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試される神聖魔導国 - 神の子編
Re Lesson#24 神の子


 神都、大神殿。儀式のプール前。

 

「レオネー!後三回だぞ!」

「は、はい!お願いしますわ!」

 レオネは額の汗を拭うと、身長ほどもある杖を握りしめた。先端に太陽を模したアーティファクトがふよふよと浮いて付いてきている。

 力一杯、目一杯一郎太へ第一位階の魔法を放つと、それは一郎太の手でかき消(リジェクト)された。

 

「ナインズ様、これってなんなんですか?」

 黒髪のナインズの隣に座ったクリス・チャンが言う。ナインズは今年も鴨が追い出されたプールに足をひたしていた。本日は休日だ。

「ふふ、見たまんまだよ。レベル上げ。自分より高レベルに当てた方が経験値多いでしょ。――って、理論は知らないけど、父様がよく言ってる」

「うーん、それは分かるんですけど。なんでです?」

「あんなに弱かったら危ないからね」

「でも皆あんなもんじゃありませんでした?それとも、国営小学校(プライマリースクール)出たらもう少しましになるんですか?」

「ははは。確かに皆あんなもんだ」

「わざわざ経験値の首輪までお貸しになって、よく分かりません」

 

 クリスが首を傾げると、ナインズはおかしそうに笑った。

「クリス、リアちゃんみたいなこと言うようになったね」

「そ、そうでしょうか?あ――ナインズ様上がられますか?」

 裸足でペタペタとプールの脇を行くと、その後をタオルを抱えたクリスは追い、足を拭いた。

「あ、ありがとうね。いいよ、自分でするから」

「いえ!お外のナインズ様当番は私ですから!戦闘メイド(プレアデス)のお姉様達に役目を取られないようにしないと!」

「はは。気にしなくていいのに。――レオネ、一太の言う通り今ので最後の魔法にしよう!」

 

 言われた三回を終えた汗だくのレオネはぶんぶん首を振った。

 

「も、もう少しだけやらせてくださいませ!こんなに良いものをお借りしてますのに、結果が中々出せないなんてわたくし自分が許せませんわ!」

「ゆっくりやっていけば良いから。それに、第一位階も覚えたでしょ」

「そーだぞ。お前、魔力尽きたら調子悪くなるだろ」

「それは……」

「ね。今日はここまでだよ。明日の放課後も持ってきてあげるから」

 レオネが頷くと、ナインズはレオネの髪を避けた。

「――あの、汚いですわよ」

「別に?」

 ガチンと硬質な音が鳴り、その首から首輪を外す。一番大切なアイテムの回収をきちんと済ませる。

 三人のやり取りを見ていたクリスは一応レオネと一郎太にもタオルを渡した。

 

「どうぞ!レオネお姉さん!」

「あ、申し訳ありませんわ。わたくしなど放っておいていただいて構いませんのに」

「いえいえ、汗びっしょりですよ!一番暑い時間ですし!」

「――ここまでしていただいたのに、お恥ずかしい限りです」

 レオネが全ての装備をクリスに返す。

 その後すぐにレオネが見上げた先には、ぽかりと不自然に一つ浮かぶ雲。

 ここを日陰にするためだけにナインズが<雲操作(コントロール・クラウド)>で呼んだ雲だった。

 

「それ、第四位階だからきっとレオネも使えるようになるよ」

「……なるんでしょうか」

「なるよ。君はきっとまだ強くなれる。クレント先生も第四位階使えるしね。先生、三年次になる頃には第三位階まで使ってたらしいよ。使える数は二、三個だったみたいだけど」

「クレント先生はパラダイン様の高弟でしてよ?わたくしなんて単なる神官の娘ですわ」

「でも、君は今ナインズ・ウール・ゴウンの高弟だろ?」

「ふふ、ふふふ。本当ですわね。きっと三年になる頃には第三位階くらい使えますわね」

 ナインズとレオネが笑う横で、一郎太はごっしごっしクリスにふかれていた。

 本日アルメリアは第六階層でデミウルゴスと空を飛ぶ練習なので、クリスは世話を焼く人がいない状況だ。二郎丸も一郎太がいないタイミングを見計らって少しでも追いつこうと訓練に励んでいる。

 

「……一郎太くん、少し汗くさいです。じろちゃんより汗っかきなんじゃないですか?」

「うるさい!自分でやるから拭かないでいい!」

「でもいつも拭きもしないで肩にかけてるだけじゃないですかぁ」

「いいの!俺は顔だけ拭ければ!」

「体も拭いてくださぁい」

「ははは。おかしいの。――さて、行こうか」

 

 四人は誰ともなく儀式のプールを後にした。

 神官達しか入れない場所から外に出ると、外は真夏の日差しに燃えていた。

 

「暑いねぇ。レオネ、明るいけど送ろうか?」

「いえ、わたくしこの後は書庫に行きますからお気遣いなく。第一位階も使えて実技の点数が良くなっても期末考査には筆記もありますし」

「そっか。えらいね」

「当然の事ですわ。わたくしの目標は――ここですもの」

 見上げた壮麗な大神殿は今日も美しく輝いていた。ただ、その上に不自然に一つだけ浮かぶ雲を指さす人たちがいて、レオネは苦笑した。

 

「――君は人のためになる良い神官になるよ。ありがとう」

「期待していてくださいませ!」

「うん。じゃ、また明日」

「はい!失礼いたします。一郎太さんも、クリスさんも」

 レオネが頭を下げ、大神殿に消えていくと三人は再び関係者口へ戻った。

 

+

 

「はぁ……」

 

 ナインズは自室の勉強机に頬杖を付き、経験値の首輪の鎖をじゃらじゃらと弄んでいた。

「いかがなさいましたか?」

 第九階層のナインズ当番が尋ねる。

「いかがぁ……?う〜ん……」

 手元の鎖をペンッと飛ばすと、たった一言ぽつりと溢した。

「なんか調子悪い」

「え!?お、お待ちください!!」

 ナインズ当番が駆け出していくと、ナインズはそのまま机に突っ伏した。

「……僕変だ。調子悪いぞ……」

 毎日レオネの訓練に付き合っているせいだろうか。

 しかし、付き合っていると言ってもナインズなんかはそこにいて、たまに魔法の手解きをしてやるだけで後は一郎太がレオネと戦っている。

 こう言う感じは初めてで、ナインズは引き出しから適当にインク壺を一つ取り出した。

 

 手の甲に調子が良くなりそうなルーンを適当に書いていく。

 気分はすぐれなかった。

 

 しばしの時を持ってペストーニャとルプスレギナを連れたメイドが戻ると、ナインズはようやく机から身を起こした。

「ナインズ様、御前失礼致します。あ、ワン!」

「ルプスレギナ・ベータ、御身の前に推参っす!」

「や、悪いね」

「とんでございません。あ、ワン。ご気分がすぐれないとお聞きしました。少し見させていたただいてもよろしいでしょうか?あ、ワン!」

「うん、お願い」

「では――」

 ルプスレギナはペストーニャの指示するまま、速やかに手を持ち上げてみたり目を開かせたり、脈を測ったりした。

 回復魔法をとりあえず掛けておけばいいと言う説もあるが、これが人間界へ出ているせいで病気をもらってきたとなると、どんな病気なのか調査することも必要だ。

 最後に、ペストーニャは聴診器でナインズの胸の音を聞くと診察を終えた。

 ペストーニャの頭の中には健康な時のナインズの全てのデータが叩き込まれている。

 

「とりあえず、異常はないようです。あ、ワン!」

「本当?何ともないの?」

「えぇ。ですが、念のため魔法もおかけいたします。あ、ワン。――<大治癒(ヒール)>」

 ナインズの身を魔法の力が包む。

 

「――変わってないかも。ペスとルプーの力を疑うわけじゃないけど、母様にも見てもらおうかな……。気を悪くしないでね」

「えぇ。もちろんでございます。あ、ワン!」

 ナインズはまたため息を吐いて部屋を後にした。

 

「ナインズ様、お体はなんともなさそうなのにどしちゃったんすかね?」

 見送ったルプスレギナが言う。

 ペストーニャは幸せそうに微笑んでいた。

「もしかしたら、喜ばしい事かもしれませんよ。――あ、ワン」

「喜ばしい?ドエスっすねぇ。ナインズ様の調子が悪ければおそばにいられるって事っすか?」

 ルプスレギナの最低な意見に耳も貸さず、ペストーニャは後片付けを済ませた。

 

 一方、母の部屋。

 ソファに座る母の膝に骨の頭を乗せた父は目を閉じているようだった。あの体では寝られないのに。

「失礼しまぁす」

「はいはーい。どしたの?リアちゃんはデミウルゴスさんと第六階層で飛ぶ練習に行ってるよ?」

 それを聞いたアインズがぴくりと反応を示し、フラミーは骨のツルツルの頭を撫でた。

 アルメリアの翼は本当はもうとっくに飛べるものになっている。だが、翼から漏れる魔法の力と共に空へ上がるようにできているので腕輪によってそれは阻まれていた。近頃習得した悪魔の諸相がもう少し使いこなせれば、あとは自由に飛ぶこともできそうだった。

 ただ、父はその練習でアルメリアがデミウルゴスにしょっちゅう抱っこされているのが気に食わないらしい。

 

「うん、僕調子悪くて」

「あらら。おいで、こっち座って」

 ぽんぽんソファの隙間を叩かれ、少し狭いながらナインズはそこに座った。

「どしたの?病気の確認してから回復かけてあげようか?」

「いえ、今ペスとルプーにやってもらいました。でも良くならない。明日の放課後もレオネのレベル上げしたいのに困りました」

「ふーん?学校も訓練もお休みする?」

「しません!」

「ははは。じゃあ、放課後はレオネちゃんに第六階層に来てもらったら?あそこなら色々魔獣もいてやりやすいんじゃないの?」

「レオネはナザリックの土は踏まないんだって言ってました。神々が作った居城の全てを踏みたくないらしい」

 部屋にいる世話を焼くNPC達は皆当たり前だと頷いた。今日は執務はしないのでアルベドはお留守だ。

「――土だよ?踏むために作ったのに踏まない方がおかしくないですか?」

 アインズとフラミーは目を見合わせるとおかしそうに笑った。

 父は骨の時特有の、「ははは――ふぅ。はははは――ふぅ。ふふふ――ふぅ」と言う落ち着いては笑うの繰り返しだ。

 

「九太、何をそんなに怒ってるんだ?」

「え?怒ってないですよ。子供の頃はあんなに来たいって言ってたのに、呼んだのに来ないのが少し変だなって思うだけで」

「ははは。どうだかなぁ。ねぇ、フラミーさん」

「ふふ、ナイ君はレオネちゃんに来てほしいんだねぇ。来てくれるといいねぇ」

 ナインズはなんとなく赤ちゃん扱いされている気がした。

「別に大神殿でやれば良いから困りはしないんですけどね。でもこの調子の悪さじゃ明日の放課後頑張れないなぁ……」

「なぁ、九太」

「はい」

 

「それって、世に言う恋とは違うのか?」

 今だに母の上に寝転がる父がナインズを見上げる。

 

 ナインズは小説の中でよく見る言葉を前に腕を組み、手を口に当てて考えた。

「……恋?」

「好きで憂鬱なんじゃないか?父ちゃんなんてずぅーっとその気持ちだったからなぁ。フラミーさんの事閉じ込めたかったし」

「ははは。なんですかぁそれ」

 フラミーはおかしそうに笑ったが、アインズはあまり冗談めかしていなかった。

 

「恋は閉じ込めたい気持ちですか?」

「あぁ、そうかもな。一緒に生きて行きたい気持ちは愛だが、閉じ込めたい気持ちは恋だな。フラミーさんは?」

「異論なしです!後は、頭と胸の中がその人のことでいっぱい。胸がいっぱいすぎるから、またそれも苦しいんですよね。叶わないなんて思うともーっと苦しい!お母さん叶って良かったぁ」

「ははは」

 両親は大変仲睦まじい様子だった。人間の体になって身を起こした父と母が鼻をちょいちょいと擦り付けて微笑み合う。ナインズにとっては日常茶飯事すぎてあまり思うこともない。

 

 ひとしきり愛情確認をした両親はナインズが唸り声を上げて考える様子を見守った。年相応の物が身についてきたじゃないかと微笑ましかった。後一歩で反抗期かと、不思議とワクワクしてしまう。

 まだ彼が乳を吸っていた頃、アインズとフラミーは『いつか反抗期なんか来たらやだなぁ』『九太はきっと反抗期なんかないですよ』と話していたのに。防衛点検の時に破壊したツアーに鎧を返した時のことなので、それはツアーも聞いている。

 

 しばらく悩んだナインズは一つ頷いてから顔を上げた。

「別に閉じ込めたいわけじゃない気もします。でも、頭の中がいっぱいって感覚が分からないなぁ……」

「そりゃ、お前簡単だろうに。今何してるかな〜?どこにいるかな〜?明日も元気かな〜?って、思うかどうかだろ」

 アインズが何かわざとらしい口調で言うと、ナインズは頷いた。

「それは思います。レオネは弱いから、前変なやつに叩かれたし」

「そうか。守ってやりたかったか?」

「うん、すごく可哀想だった。皆にも万年筆持ってもらったけど、万年筆じゃ変なやつは倒せないしなあ」

「他の友達が叩かれてたらどうなんだ」

「怒る」

「ははは。お前はいいやつだなぁ。そうだ、友と大切な者のために怒れ。レオネちゃんと他の友達の違いをよく考えろ。父ちゃんもその違いを一生懸命考えた。――だが、お前は最近放埒の会と言うやつに勤しんでいるが、傷つけるなよ」

 

 ナインズはそれを聞くと、珍しく父に反抗的な顔をした。

「傷付けるような事するわけないでしょ」

「お?お前、それは反抗期なのか?」

「そんなんじゃないです。でも、僕はレオネにそんなことしません。レオネは、なんだか不思議と楽になるんです。だから大事にしないと」

「そうか。幸せにしたいんだなぁ。いいなぁ、青春」

 父も青春エンジョイ勢だった。

 

「幸せにしたい……。僕は、そうなんだろうか」

 

 ナインズは唸りながら部屋を出て行った。

 

「ありゃ恋だな」

「恋ですね。挨拶も忘れてる」

 

 両親は博愛主義者の変質に笑い合った。

 

+

 

「うーん……」

 ナインズは一晩中考えたが、答えは出ていなかった。

 これが恋なら、ナインズはレオネとどうなりたいんだろう。

「――キュー様、どしたの?」

 一郎太がナインズを覗き込むと、ナインズはまた唸った。

「一太、僕は恋してるんだろうか?」

「してんじゃん。それがどうかしたの?」

 あっけらかんと言われると、戸惑いの気持ちが広がった。

 

「ぼ、僕がぁ?」

「うん、天下のキュー様が」

「嘘だろ」

「レオネのことでしょ?」

「レオネって思うの……?僕ってそんなにあからさま?」

「いや?多少他の皆より長くいる時間作ろうとしてるくらいで、別に皆と平等に扱ってるとは思いますよ。でも、なんですか?レオネじゃダメなの?嫌なの?」

「うーん。僕は大人になったらどうなるか分からないのに……。うん、そうだな。一太の言う通り多分嫌なんだと思う。なんか嫌だなぁ。この胸の感じもすごく嫌だ」

「今だけって話もあるし。皆別に付き合ったからって結婚するわけじゃないじゃん」

「えぇ?そんなのも嫌だ。付き合うなら僕は生涯一緒にいたい」

「えぇ〜。嫌ばっかじゃん。だからキュー様重いってぇ。お父上達みてるとそう思うのも分かるけどさぁ」

 

 二人が校門に差し掛かると、いつものようにロランとレオネが立って話していた。

「はー。ロランも分かりやすいなぁ。レオネってモテるんですね」

 一郎太が笑うと、ナインズはそうだったのかと二人の様子を観察した。

 視線に気がついたレオネとロランが手を振る。

 自然とお似合いの二人だと思った。

 ロランはレオネに手を引かれて駆け出すようなのが似合うんじゃないだろうか。

 

 そう思うと苦しいかもしれない。

 ナインズは自分のこともよく分からない。

 恋してるんじゃないかと周りに言われてもピンとこない。

 

 あぁ、それならいっそ人の胸の内や、心の声が分かればいいのにと――

 

 ドクンと胸が鳴る。

 ナインズは痛む胸に手を置いた。

「お?やきもち?」

「――一太、ぼくは」

「ははは、自覚するとなぁ。そう言う――キュー様?」

 

 ナインズはそのまま胸を握りしめるように体を小さくすると震えた。一郎太はそっと鞄を受け取ってやった。

「キュー様、胸が痛むの?」

「――やめてくれ」

「からかったんじゃなくて――」

「やめてくれ!!」

 

 そのままうずくまると、ナインズは肩で息をした。

 耳には何かが届いていた。

 まるで、天高くから大量の糸が垂れ下がり、それがナインズに絡み付くようだった。

(――おかしい。やっぱり、何かがおかしい)

 息苦しさは増し、囁きのようだった耳に届く何かはどんどん大きくなった。

 

 ――どうか立派になれますように。

 ――この商売がうまく行きますように。

 ――偉くなれますように。

 ――元気な子供が生まれますように。

 ――私だけが愛されますように。

 ――もう病気になりませんように。

 ――谿コ縺励※繧医?∫・樊ァ。

 ――ちゃんと卒業できますように。

 ――母の体が良くなりますように。

 ――プロジェクトが無事に済みますように。

 ――願いが叶いますように。

 ――いい学校に入れますように。

 ――出世できますように。

 ――一番になれますように。

 ――僕達が幸せになれますように。

 

「キュー様!!」

「や、やめてくれ……!!僕は、僕は……!!そんなことが……聞きたいんじゃない……!!」

 頭の中に響く無数の言葉は止まらなかった。言葉は不思議と温度を持ち、ナインズを刺すように感じた。

「キュータさん!?」

「キュータ君!!」

 二人が駆け寄り、登校している生徒達も「先生呼んでくる!」と騒然としている。

「キュー様!キュー様どしたんだよ!!」

「い、いちたぁ……!!」

「キュータさん!!」

 ナインズの肩にレオネが触れる。

 レオネの何かが入って来ようとすると、ナインズは顔を上げた。少し、楽になった気がした。

「――き、きみは……」

「ロラン、レオネ。ごめん、俺たち一回戻る!」

「わ、わかりましたわ。お願いします!」

 ナインズは大丈夫だと三人に言ってやりたかったが、一瞬楽になったかと思ったはずの、この割れるような痛みと濁流を前になす術を持たなかった。

 

「――キュー様、立てる!?」

 一郎太の質問に答えられない。苦しむばかりで言葉が出ない。

「――大丈夫。抱えるから、そのままでいいから。すぐに帰れるから」

 一郎太がナインズを抱き上げると、校舎から呼び出された神官と教師達が駆けてきていた。

 

「――スズキ君!一郎太君!!」

「先生!俺達大神殿行く!!」

「わ、わかった」

 クレント教諭はすぐに頷いたが、隣にいた神官は一郎太の前に立ち塞がった。

「治癒を!少しでも治癒を受けてからの方が――」

「いいんです!彼らを行かせて下さい!」

「し、しかし、この様子では」

「いいから!一郎太君、行きなさい!!」

 一郎太はすぐに駆け出した。

 

 腕の中のナインズは耳を塞いで唸り苦しんでいた。

 登校してくる人並みが邪魔で、何事かと覗き込もうとする皆が邪魔で、一郎太は学院の塀へ飛び上がった。

 塀の上を走り、知らない家の屋根へ飛んで大神殿を目指す。

 途中、カインとワルワラが「おい!」「一郎太君?」と言ったが挨拶もできなかった。

「ナイ様!ナインズ様!!すぐですから!!」

 返事はない。ナインズの顔は蒼白だった。

「っうぅぅぅ……!!」

「っ嘘だ、嘘だ!あんなに元気だったのに!!」

 

 ふと、感じたことのない気配が染み出した。

「――変われ」

「だ、誰だ!!」

 一郎太と並走する黒い覆面の男は腕に赤い布を巻き付けていた。

 この状況で見たこともない怪しい人物。一郎太の警戒心は一気に膨れ上がった。

 だが、その者の声は優しかった。

 

「私はハンゾウ・ザ・リーダー。今日はたまたま、そう。たまたまナインズ様のお側についてきていた。昨日ご体調が優れないと仰ったからだ。安心しろ。大神殿よりナザリックへお連れする。敵ではない。変われ」

「証明は!!」

「お前は第六階層の一郎邸に暮らしている。去年ナザリック学園に通っていた時、お前はナインズ様と二人で知恵の林檎(インテリジェンスアップル)を焼いてシナモンを掛けて食べながらキャンプをした」

 ナザリックの者しか知り得ない情報が並べられると一郎太はすぐに頷いた。

「お願いします!!」

 走りながらナインズを渡す。

 

 ハンゾウは最も尊い宝を持つように抱えると、「一人で安全に帰れるな」と一郎太に尋ねた。

「俺は大丈夫!!」

「お前はナインズ様の宝だ。外部からの攻撃ではないと思うが気を付けろ。ナザリックに戻ったら説明のために第九階層へ」

「分かりました!!」

 返事を聞くや否や、ハンゾウは信じられないスピードで駆け出した。

「――は、早い!」

 瞬き一つの時間もなく背が見えなくなる。

 一郎太は足を止めずに走った。

 

 大神殿、一郎太とナインズの出入り用の部屋の前にはたくさんの神官達がいた。

「い、一郎太君!」

「境の神官長さん!光の神官長さん!」

「殿下に何が!?」

「わかんない!でも陛下方のところに行けばきっと平気!!――(コープス)さん、頼む!!」

 部屋に駆け込んだ一郎太へ、屍の守護者(コープス・ガーディアン)が温度耐性の指輪を投げる。

 指に通すが早いか、鏡の中へ飛び込むのが早いか、一郎太は大神殿から消えた。

「心配です……。祈りを――!」

 神官達はぞろぞろと鏡の間を後にした。

 

 一郎太の足は止まらない。

 いつもの第六階層へは上がらず、まっすぐ第九階層への道を行った。

「ナイ様、ナイ様!!」

 泣きたい気持ちだった。

 いや、多分彼は泣いていた。

 目からパッと飛んだ水分は一瞬にして蒸発して消え去り、ここ第七階層という場所の過酷さを知らせるようだった。

 第九階層への道の前にはデミウルゴスが待っていた。

「――一郎太!!」

「デミウルゴス様!!」

「早く!」

 手を取られる。引きずられるようなスピードだ。

 やはり、ナザリックに生きる全ての者達は一郎太を大きく上回る存在だ。

 

 第九階層に降りると、廊下を誰も彼もが走っていた。セバスですら、メイドに何か指示を出して早く何かを取りに行くように言っている。

 見たこともない状況に一郎太の中の不安と恐怖は大きくなった。ここがこの有様ということは、ナインズはまだ良くなっていない。

 これまでナインズが風邪をひこうが怪我をしようが、全てはなかったことのように治されてきた。

 一郎太が風邪を引いて寝込んでいるとナインズがフラミーを引っ張ってきてくれて治癒してもらった事もある。

 こんな事は一度もなかったのだ。

 戦闘メイド(プレアデス)達に肩を抱かれるアルメリアが泣きながら「私もここにいます!!」と主張しながらもどこかへ連れていかれる。

 

 人の出入りが頻回すぎて扉が開けたままになっていたナインズの部屋にデミウルゴスと一郎太が差し掛かると、入ろうとしていた者も出ようとしていた者も道を譲った。

 デミウルゴスは「失礼いたします!デミウルゴス、一郎太とただいま戻りました!!」と中へ告げた。

「入れ!!」

 聞いたこともないアインズの焦る声がする。

 一郎太はデミウルゴスと中に入ると、ナインズの有様に耐えきれなくなり、全てを忘れて駆け寄った。

「ナイ様!!ナインズ様!!」

「うぅ……うぁああ……!く、苦しい!!苦しいよぉ……!!」

 ナインズは何かにもがき、ベッドの上で反り返っていた。

「ナイ様!!俺が来ました!!もう大丈夫だから!!」

 一郎太の声は届かなかった。

「一郎太!!何があった!!一体何があったんだ!!」

 アインズが身を乗り出す。周りには階層守護者達も皆集まり、ありとあらゆる魔法がナインズに掛けられた後であることを物語っていた。

 一郎太が陛下方を除けばきっと一番強いと思っているコキュートスですらナインズのベッドの横に座り、頭を抱えている。

 

「ナ、ナイ様は、ナインズ様は朝、僕は恋をしてるんだろうかって!俺もそうなんじゃないのって言って、そ、それで、俺達歩いてたんです!歩いてた時は普通だった!元気だった!!それで、レオネがロランといるの見て、レオネってモテるんだねなんて笑って……でも、もうその時には胸が苦しそうで!蹲っちゃったと思ったら、やめてくれ、そんなことが聞きたいんじゃないって誰かに言ってて、お、俺、俺!!」

 一郎太もわけが分からず泣きそうになっていた。

 

 アインズはハンゾウが話した以上の情報を一郎太も持っていない様子に頭を抱えた。

「……恋煩いで死んだ人間はいない!一体何が起きているんだ……。ナインズ……!」

 一方、体力を底上げするような支援魔法を片っ端から掛けていたフラミーは一郎太に振り返った。

「やめてくれ……?やめてくれ、そんなことが聞きたいんじゃないって、いっくんが言われたんじゃないのね?」

「は、はい!それは、多分、俺に言ったんじゃないと思います!!」

 ハンゾウは一郎太が「やめてくれ」と制止されていたと話しただろうか。一郎太から見ていたからこその違いはそれひとつかもしれない。

 今もナインズは何か痛みから逃れようとするように肩で息をし、時に叫んでいた。

「っはぁ……っうぅ!!あぁ……!」

 

「……ナイ君」

「ええい、埒があかん!!とにかく、今は食事をすることも水分を取る事もできん!!パンドラズ・アクター!!リング・オブ・サステナンスを待って来い!!それから、私の神器級(ゴッズ)アイテムを!!」

「は!父上!!」

 帽子をギュッと被り直し、パンドラズ・アクターは宝物殿へ消えた。

「――悟さん!!」

「は、はい!」

 アインズが振り返った時、フラミーはもがき苦しむナインズを抱き上げていた。

「玉座の間に行きます!アルメリアのこととか、とにかくあとは任せます!!」

「え!?ふ、文香さん!?」

 

 フラミーはバンっと翼を鳴らして広げると、ナインズを抱えて飛んだ。

 スピードが出すぎるとまだ五十レベル代程度のナインズの体には負担が大きい。

 その体が痛まないように、乳飲子にするように抱えて母は飛んだ。

 

 ソロモンの小さな鍵(レメゲトン)に付くと、一度降り立ち玉座の間へ続く扉へ歩いた。

「開けて!」

 フラミーに縋るナインズはボロボロだった。

「か、かあさまぁ!うぅ……!!母様ぁ!!」

「――ナイ君、きっともう大丈夫だからね」

 二枚の見上げるほどに大きな扉がゆっくりと開いていく。荘厳な扉が開き切る前に、フラミーはその中へ身を滑らせる。

 

「――閉めて!」

 

 ゴゴゴ……と地響きすら起こしそうな動きで、扉は今行った動きの逆再生へ移った。

 

「きっと、ここは世界で一番静かな場所だから……!」

 泣いているナインズを連れ、玉座に腰掛ける。

 扉はようやく、ズズンと音を上げて閉まった。

「……ぁ」

 ナインズから小さな声が漏れる。フラミーは何よりも尊いものに触れるように髪を撫でた。

「静かになった?」

「う……母様……。ここは……」

「玉座の間だよ。苦しかったね……」

「……すごい。ここは……外よりも静かなんだね……」

 動く力も残っていない様子のナインズはフラミーに抱かれたままに呟いた。

「……母様の音がする……」

「うん。少し落ち着いたみたいで良かった……」

「っう……!っあぁ……!!」

「……あぁ。ナイ君……」

 

 フラミーは自分の鼓動を聞かせるようにナインズを抱きしめた。

 彼の身に起きる聞いたこともない事象も、回復の魔法が届かない悍ましい発作も、今は一度全て忘れた。

 ただ、腹の中で守っていたときのように過ごした。

 ナインズは必死で自分が生まれてきた場所の音を聞いているようだった。

 

 そして、扉が開くとその体は跳ねた。

「う、うぅぅぅ……!!うるさい!!聞きたくないんだよぉおお!!」

 ナインズの悲鳴が玉座の間に反響する。

 アインズと守護者達が入ってこようとすると、フラミーは大声で「早く閉めて!!」と叫んだ。

 慌てて扉が閉じられると、ナインズはまた少し落ち着き、眼を閉じた。

「な、何が……フラミーさん、何が起きてるんです」

 アインズが玉座の階段の下から尋ねる。

 フラミーとナインズはまるでミケランジェロのピエタのようだった。磔刑(たっけい)にされた神の子(キリスト)を抱く聖母の姿そのもので、ナインズはぐったりしていた。

 

「……何かが聞こえてます。ナインズに、何かが……」

「な、何かって……」

「……ナイ君……。何が聞こえてるの……?」

 

 ナインズはぼんやりと目を開けた。

「……祈りが……祈りが聞こえる……」

 広い玉座の間で、ほとんど吐息のような声が漂った。

「……祈り……だと……」

「皆……幸福になりたいと……祈っている……」

「お、お前……そんな……」

「……私に救いを……。……ああ……私に救いを求めている……」

 跪いていた守護者達は目を見合わせ、アウラは思わず立ち上がった。

「そ、そんなの、あたし達がやめろって言ってきますよ!!やめないやつはギッタギタにしてやります!!」

 それが良い!――守護者の目には世界の破壊という甘美な文字が浮かんだ。

 シャルティアもギュッと目を拭った。

「妾、今すぐ準備してきんしょう!祈る者には死を!!御身の望まぬ祈りに制裁を!!」

「……やめてくれ……。守らなくては……私は……守らなくては……。迷える者達を……導かなくては……」

 弱ったナインズはフラミーの腕の中でまた唸った。

 守護者達はどうすれば良いのか分からず、戸惑いの底に落ちた。

 

「う、嘘だ……。ありえない……。調子が悪いって……そんな……」

 アインズは信じられなかった。

 確かに少し信仰を集めた者同士の間に生まれた子だった。

 だが、アルメリアは悪魔として生まれて来ている有様だと言うのに、なぜこの子ばかりこんな目に。

 普通の子供なのに。

 ただ学校に通って、放埒の会なんて馬鹿げたことをして友達と笑い合っていたのに。

 

 そっと近付いたパンドラズ・アクターは、ナインズにアインズの神器級(ゴッズ)アイテムのローブを掛け、その指に飲食不要の指輪を通した。

「……ありがとう。パンドラ君……」

「とんでもありません……」

 

 唸るナインズの額に口付け、フラミーはため息を吐いた。

「……とにかく……何が原因でいきなりこんなことになったのかは分かりませんけど……多分、しばらくナインズはここを出られません……。扉が開くだけであんなに……」

 アインズは顔を覆った。ここは転移して出入りする事はできない。

 

「――全員聞け。扉の開け閉めには細心の注意を払え。できる限り――いや、できる以上に短い時間しか扉を開くことは許さない。メイド達を始めとする移動速度の遅い者は侵入禁止だ。アルメリアは……また少し考える」

 

 通達が終わると、コキュートスがそっと顔を上げた。

「……アインズ様、祈ルナト言ワレル事ハ……デキナイノデショウカ……」

「……生き物は祈るものだ……。祈るなと言われれば、またいつか祈れますようにと祈る。――だが、お前達は祈っていないようだな。神を信じていないのか?」

 アルベドは首を振った。

「私達とて至高の神々に祈りを捧げ続けております」

 アインズは頷いた。

「それでいい。神など漠然と考えるな。お前達は私達だけに祈れば良い。決して他の神に祈る事は許さん」

「は」

 

 ナインズは多分、「神」と言うものに祈りを捧げる者たちの言葉を聞いている。

 

 アインズもフラミーもそんなものは信じない。ナザリックの者達はアインズとフラミーに祈りを捧げている。

 これが崩れてしまえば、きっとここですらナインズは苦しむようになるだろう。

 

 守護者達はここをどう出るかと、難攻不落の城の中央で議論した。




いやー!殿下にもついに春……え……え?青春……え?ナイ君、え?

一応、赤ちゃんナイ君に「反抗期やだな〜」って言ってる御方々貼っておきます……。
https://syosetu.org/novel/189588/202.html

次回、明後日ぇ!
Re Lesson#25 あなたに祈りを
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