それは寄る辺なき海の上で紡がれる出会いと別れの物語…

(ノベルアップ+さんにも投稿させていただいております)

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※以前のものと内容は変わっておりません

Twitter企画『あざらし杯』終了に伴い削除をしていたのですが再掲載を求められたので…
申し訳ありません…


海豹の歌

 嵐の海のただ中を漂う小舟が一艘。

 

 その頼りない“木切れ”の上には、様々な人間たちが怯えて身を寄せ合っている。

 上下左右と好き放題に揉まれ、今なお沈んでいないのが不思議になるほど惨めな様相。

 

 無数の飛沫に遮られる視界は、今が夜なのか昼なのかすら分からない深淵の闇を映し出す。

 いつ終わるとも知れない嵐の時を、ただ身を屈めてやり過ごすより他に道のない無力な群れ。

 

 眺めるともなしに眺めていたそんな無力な群れから、一つ、投げ出される影があった。

 

「―――」

 

 刹那、如何なる偶然か互いの視線が交わされる。

 

 息を呑むような声にもならぬ声をあげ、顔をクシャクシャに歪め荒れる海へと墜ちてゆく。

 ザプン… 嵐の轟音の中で、その水音だけは妙に通って聞こえた。

 

 ……子供であった。赤子、というほどに幼くはない。

 とはいえ周囲の同族と比して明らかに体格で劣る其れは、子供と見てまず相違ないであろう。

 

 生憎と、オスかメスかひと目で判別できる程にこの身は人間の生態に明るくはない。

 

 そして大丈夫だろうか、と思うことすらない。

 大人ですら無力極まるこの嵐の世界において、其れが長持ちするとは到底思えなかったからだ。

 

 彼または彼女は程なく冷たい水に抱かれ息絶えるに違いない。

 

「ゴバッ! ガハッ!」

 

 手足をばたつかせ生命の火を絶やさぬように、必死に藻掻き続けている。

 ……だが其れは悪手だ。

 

 生き物は、一部の例外を除けば海中では浮くように作られている。

 空気が欲しいのであれば手や足、胴体を沈めることで鼻や口を海面から出すよう調整すべきだ。

 

 言って聞ける状況でもないであろうし、そもそも互いの言葉が通じるわけでもないのだが。

 一呼吸、二呼吸… 幾度目かの呼吸を繰り返しながらその滑稽な踊りの様子を見守る。

 

「ハァ… ゴプッ… ハァ…」

 

 やがて力尽きたのか、動きが緩慢になり呼吸も浅くなる。

 ひ弱で非力な人間の子にしては良く保った方だろう。

 

 なるほど、その踊りは確かに滑稽であった。無様であった。言うまでもなく賢明ではなかった。

 だが、命を繋がんとする必死さに満ち溢れていた。

 

 彼または彼女は戦ったのだ。あんなに小さな体で、たった一人で、雄大極まる嵐の大海原と。

 

「………」

 

 私は海中に潜ると、今まさに海底に向かって沈み続ける小さな戦士の体を抱きかかえた。

 そのまま海面へと浮上する。

 

 いつの間にか収まりつつある嵐の空の下で、その腹を軽く押してやった。

 人間の子供はゴボリと潮水を吐き出す。必要最低限の処置としては十二分に過ぎるであろう。

 

 あとは自慢の腹に乗せて、今なお面白いように揺られている小舟のもとまで運んでやる。

 若干苦労をしながらこの身を縁近くに寄せて、人間の子供を頼りない木切れの上に押し上げる。

 

 数名の人間の大人たちが駆け寄ってくる。

 そのうちの一人が子供を抱きかかえた様子を思いもかけず確認し、安堵の息を吐く。

 

 そしてそっと目を閉じ、『その時』を待つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を閉じてすぐ、体中に灼熱の痛みが迸った。

 激しい苦痛に大きく身を捩りそうになる。

 

 薄っすらと目を開ければ、我が身に群がる大人たちの手には様々な武器が握られていた。

 嵐の中で取るものも取りあえず小舟に逃げ込んだ身であろうに、武器だけは忘れないとは。

 

 その分だけの水や食料を詰め込もうという発想は彼らにはなかったのだろうか?

 そもそも、其の程度の浅知恵で彼らはどうしてこの過酷な海に旅立とうと思ったのか?

 

 事ここに至っては人間という種の浅ましさに、皮肉な笑みの一つも浮かぼうというものだ。

 

「―――」

 

 同胞たちの悲鳴が聞こえる。

 私は最期の力を振り絞り、同胞たちにも聞こえるような大音声を上げた。

 

 来てはいけない!

 

 その私の叫びに、同胞たちは泳ぎを止めた。

 最期の私の声を違えることなく受け取ってくれたのだ。やはり同胞たちは賢い。人間の何倍も。

 

 地を制した。海も奪い取った。空すらも踏破した。やがては星々にも諸人が手を伸ばそう。

 そんなことを嘯いていても、人間が無力な存在であることは先程の光景が証明している。

 

 嵐の海では身を護る術一つ持たず震えるばかり。我らと違い海の底まで進める心肺も持たない。

 

 嗚呼、人間よ。

 

 誰かに生かされなければ、この海の上では存在することすらも叶わないちっぽけな存在よ。

 思いもかけぬ食糧が手に入った望外の幸運への歓喜に咽ぶ哀れな存在よ。

 

 私の血肉を糧に束の間の生を繋いで、おまえ達のあるべき場所へと還るが良い。

 なるほど、おまえ達の好奇心の強さは賞賛に値するかも知れない。だが些か早急に過ぎるのだ。

 

 おまえ達の急速過ぎる発展の影に様々な代償があったことを忘れてはいけない。

 弱肉強食は世の掟なれど、度を過ぎればおまえ達自身にも其れは返ってきてしまうのだから。

 

 嗚呼、同胞たちの声が届いてくる。

 

 同胞よ、愛すべき同胞たちよ。急な別れを告げることになり心から申し訳なく思っている。

 

 だがどうか分かって欲しい。私はこうなることが分かっていたのだから。

 分かった上で、最初から最後まで理解した上で、ああした行動をとってしまったのだ。

 

 その理由など賢い君達にはとうの昔にお見通しだろうが、どうか言わせて欲しい。

 ああ無論、博愛精神に目覚めたとかそういうわけでは断じてないがね。

 

 なに、私とて今際の際には多少の冗談くらいは漏らすとも。

 賢い我らが種族に、人間に知られざる諧謔精神があったとしてもバチは当たらないだろう?

 

 

 

 

 

 

 ……まぁ、結論から言うと見惚れてしまったんだ。

 

 あのちっぽけな人間の、小さな子供の、最期に見せた生命の輝きに魅せられてしまったんだ。

 気が付いたら行動してしまっていた。死なせたくないと、心から思っていた。

 

 迂闊にもあの小舟に近づいた私が人間たちにどう映るかなんて分かりきっていたとも。

 十中八九この命を落としてしまうことになるであろうことも含めて。

 

 そもそも私があの子を運んでやったところで、あの短絡な人間どもが喜ぶかなんて分からない。

 ひょっとしたらもう一度叩き落とされてしまって、全くの無駄死にで終わったかもしれない。

 

 まぁもしそうなったらそうなったで、せめて大暴れをしてあの木切れを破壊してやったがね?

 私は大海原に投げ出された人間どもを見下ろし、高笑いとともに息絶えてやっただろうさ。

 

 ところがね、そうはならなかった。……そうはならなかったんだよ。

 

 人間どもはまず子供を守った。信じられるかい? あの人間がだ。

 あの瞬間に私は自分の生のことを忘れてしまった。二度も見惚れさせられたんだよ。

 

 ……人間はズルいな。とてもズルい。

 あれだけ悪辣なのに、キチンと心があって、我々ほどではないにせよそれなりの知性もある。

 

 だから、まぁ、私が助けたあの小さな戦士が無事に生き延びられるのならばいいかなって。

 他の人間がその恩恵に多少預かるのも仕方ないだろうさ。彼らは愚かでか弱い種族だからね。

 

 だけど同胞たちよ。愛すべき同胞たちよ、君たちはここへ来てはいけない。

 少しだって近付いてはいけないよ。

 

 なんせ彼らは人間だ。

 我らと正反対にひときわ愚かでか弱く、我らと正反対にとびきり残虐でズルい種族なのだから。

 

 理由がなくたって愛すべき君たちを乱獲してのけるだろう。

 

 ただ願わくば… 最期に願わくば、どうか掠れるこの耳に君たちの歌を届けて欲しい。

 

 私の旅立ちを笑いながら見送って欲しい。

 人間なんぞに見惚れてしまった愚か者がいたと語り継いで欲しい。

 

 私は誇り高きアザラシ。君たちの歌に見送られて旅立てるとすれば其れは喜びに他ならない。


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