頭痛がひどかった時に投稿するのでもしかしたら更新が滞るかもしれませんがそこはご了承ください。
よろしくお願いします
私は時々、頭痛がする。発作的なものではなく、先天的なものでもない。ただ、頭痛がするのである。
その原因はわからない。何故頭痛がするのか、それは天才医者であろうと解明はできないであろう。思うにこの頭痛は、哲学的なものなのだろうか。私にはわからない。
私は知的ではなかった。有名な哲学者を知らなければ、最近のノーベル賞受賞者すら知らない。無知を極め無知を知り無知を感受する。それが私にとっての哲学であり、私の存在意義なのだ。
ただ私の哲学というものはとても幼稚で、間抜けで、とても学とは呼べないものだ。唯一表せるとするなら遊びであろう。私はこれについて特に気にしているわけではない。傍から見てしまえば私の哲学は唯の妄想であり、非現実的であり、面白くないからである。
ただ、哲学は提唱してしまえば学となる。私の場合は提唱していないのだからそうはならないのだが。
さて、私に関する話はここまでにしよう。次は私の友人についてだ。
私の友人、仮にAとしよう。彼は私と小さい頃から知り合いで、私よりよっぽど優れていた。頭脳も容姿も性格も、文句の付け所がなかった。勿論無知である私にも良くしてくれた。私の哲学の唯一といっていい理解者であり今も良き友人である。彼が言うに私は無知ではないと主張するが、私自身がそう思っていないのだからその主張は的外れである。と私は返すが、彼は断固として主張を曲げなかった。何故そう思うのか、論じ合うとキリがないため私が結局は折れるのだが。彼はこういうところが成っていないと思う。
人の主張は確かに受け入れるべきではあるが、私とて曲げられぬ主張というものはある。彼より学がない私が言うのもなんではあるのだが、彼は頑固で頭が固い傾向にある。将来は頑固な親父として子に愛されることになるだろう。
さて、ここまで話せば十分だろうか。彼はとにかく私の良き友人であり、好敵手であり、愛されるべき人物なのである。
次は哲学が通じない幼馴染、私が唯一恋した女性の話でもしよう。
あの時は変にプライドが高かったのもあるが、恋を一つの哲学として捉えていたときのことであった。私はそんな考えを持ちながら彼女に接していたのだが、それが一瞬で瓦解する出来事があったのである。
あれは明るい太陽が照りつける夏真っ盛りのある街で一緒に買い物をしていたときのことだ。夏であることもあり、気温は高く買い物に行くべき日ではないが、私には一つの目的があった。思春期ということもあったのであろうが私はとにかく性に興味があったのである。今思えば、なんと幼稚で阿呆なことだろう。それは幼馴染であろうと関係なかった。だが私は、読みが甘かった。とどのつまり、エロに対する耐性など全然なかったのである。汗に濡れた彼女を見るだけで、私は性を感じるとことができた。それだけで満足してしまったのである。そこで私は、彼女に恋をした。その時は愛なぞなかったが、彼女を知っていくうちに恋は愛へと昇華していくのである。その話はここには記さない。蛇足となるだけであるからだ。そしてこの出来事と同時に恋イコール哲学という私の考えは、崩壊していったのである。