日の匂いがする。
青く澄み切ったような空の中に浮かぶような白い太陽が高く、輝いていた。時折吹く風が山の中を吹きおろしてくる。日に焼かれ焦がされたような青く萌える草木の匂いを運び、そして影の微かな湿気を取り込みながらゆっくりと降りてくる。沢の冷たいしぶきを取り込みながら流れ行く。唐突に木々のないその開けた先、太陽の光に白く塗りつぶされていた。じきに目が慣れればその先にあるアスファルトの路面が見えただろう。長く、そして白と赤のガードレールによって仕切られたその本来の姿を。
しかし、ゆったりとしたその流れはそして音もなく、いいやその轟音によって塗りつぶされていた。
瞬きなどとうに遅く、刹那など冗長で、触れる熱のみが声を伝える。
あたりに響き渡るほどの唸りが響く。
風を引き裂く裂傷と逆巻く風鳴りが甲高く悲鳴を上げる。
地面は低く、遠くそして強く揺れ続け、その歓声を叩き潰す。
あたりに漂うのは焼けたタイヤの匂い。
赤熱したような鉄の心臓の拍、
人とは比べ物にならないほど脈打つその心臓はしかして確かに彼の鼓動を紡いでいく。
剣舞のようなその先、英霊たちの背中が見える。
汗は感じない、日の照り返しの暑さも、ライダーススーツ内にこもる熱気も感じることはない。
ただ感じるのは自分の心臓の熱、自分となる鉄の心臓の熱、内なる熱のみが彼を奮い立たせる。
行けるか
わからない
次、
1.2秒、
修正、
遅い、
より深く
まだ
一人
まだ
二人
まだ
三人
まだ
ここだ
ヘルメットには止まることのない路面が流れていく。
色を認識するより早く、風景をとらえるより早く
流れる意識の中を走る。
火花が散る、膝のサポーターが地面に触れ、削れていく。
倒れる
滑る
いいや、とどまることのない車体の影が流れるように雄たけびを上げた。獣のいななきのようなその声はどこか鳳の目覚めのようにも聞こえた。
「まだ二輪自体に恐れがあるな、バンク角も甘い。全体的に体に力が入っているためだろう。まず慣れることだ」
「まず慣れるも何も、ドラッグマシンなんてそんなに乗れるほうがおかしいんだって。確かにバイクは乗るけどさすがにこれは厳しいって。初めてでこんだけ乗れるようになったんだから褒められてしかるべきだと思うんですけど」
「負け惜しみかね、ピカタ君」
「ムニエルだっつのっ」
彼はそう愚痴りながらドラッグに置かれた自分のマシンを見ながらスポーツドリンクに口をつけた。遠くにままだエンジンの高鳴る音が聞こえる。掲示板には各所につけられたカメラから送られてくる映像とラップタイムが表示されている。振り向けば青い空とそして山間を開かれるように作られたサーキットが広がっている。山間を巻くように多くのカーブと峠を経た一周十五キロを超える大規模なレースコース。照りつける太陽の下、無数の声援と歓声、そしてたぎるほどのエンジン音は山間に響きあい、その熱量をさらに高めていく。今日はシャドウボーダーの操縦訓練、そして所長の個人的な趣味もかねて毎月第一、第三日曜日、最規模シミュレーターを用いて開催されるカルデアグランプリの日だった。
「にしてもおっさんも大概だな、ライダークラスにコンマ数秒まで迫るってどんな構造してるんだよ」
グランプリという名前とモータースポーツという覇を競う大会、その響きに心を揺さぶられた英霊も少なくない数いる。日々愛車を磨くことしかできない英霊たちも多く、この大会はそう言った英霊たちの息抜きの場ともなっていた。
「レギュレーションとして真名解放も行っていないただのドラッグマシンでのモータースポーツならば不可能なことではあるまいに。いかに騎乗のスキルを持っていたとしてもあくまで本来の得物ではなくとも使い方がわかるというものだ。確かにランクが高ければ二輪車とて十全に扱えるのかもしれんが、実際には十分な経験と知識と判断力が満ち足りていれば同様のことを行うことも不可能では無いに決まっているだろうに」
「まぁ確かに英霊の騎乗スキルのもとになっているのは大体が馬ってことだからそういう意味ではバイクは不得手、いいや慣れてないってもいえるのか。嫌でもそれにしてもちょっとやばいな」
『おおっと、第四レース、トップに躍り出たのは予想通り黒メイドだぁ。事前のインタビューでは何を間違ったかグランプリの優勝賞品が聖杯だと勘違いしているらしいゾ。その聖杯を使って尽きることのないジャンクフードを願うというのだからここは是が非でも別の選手に勝ってもらいたいところだぁ』
黒いメイドの姿をした騎士王がちょうど彼らの目の前を抜けていった。
「まぁ何事にも例外というものはあるものだ」
「むしろ普通って何なのかカルデアにいるとわからなくなる一方なんですけど」
彼女を追うように一輪バイク、戦車、ハーレー、ペガサス、ヒポグリフ、馬、呂布といった多種多様の選手たちが駆け抜けていく。万夫不当の英霊たちによると競争。時折雷やビームといった異能が行使されているような気配もあるもののため息を漏らす以外にできることはない。その声にこたえるように補修用のゴーレムが動き出す。
午前中最後のレースもあと三周。腹の虫も泣き始めていた。
「フランベ君、今日の昼食担当は君だったはずだが」
「抜かりなく、キッチン班にホットミールのデリバリーを頼んでおいたんだけど、そういえばもうそろそろ来てもいいころなんだけどどうしたんだろう」
グランプリ会場の周りにはどこから沸いたのかいろいろな屋台も現れてはいるもののフランクフルトやベルギーワッフル、チュロスやハンバーガーといったあくまで軽食が多い。そのために選手達にはキッチン班から特製の昼食を用意するのが常であった。しかし、いまだいつも昼食会場となる中庭にキッチントラックの影も形もない。本来ならばすでに設営を始めているような時間、少しだけ違和感を覚える。
『おおっと、ここでいきなりの乱入者だぁ』
不安をよそに、実況の白熱した声に呼ばれモニターへと目をやるとコース上空、ドローンから撮影された映像が映っている。どうやら先頭集団からは少し離れた位置らしく闖入者以外は写っていない。あと三周。半周遅れ、致命的。ただの騒ぎ立てにしかならない。そのはずだった。
『はやい、早い闖入者、半周遅れから、一周ですでに先頭集団をとらえているっ。この状況にほかの選手たちも焦りを隠せないのかぁスピードを上げるっ、しかし侵入者、負けていないっ巧みなコース取りで見るいるうちに近づいていくっ。ああっと、ここでしびれを切らしたのかノッブによる赤甲羅の投擲っ、しかし避けられた、メイヴの戦車に当たった、横転、三台を巻き込んだぁ、ノッブ死すっ、がしかし彼らにはわき目も降らず侵入者は先頭集団へとかじりついたっ』
ファイナルラップを知らせるブザー音が聞こえた。
その小さな車体を生かし、インを突き一人抜いた、
アスファルト上に巻き上げられていた泥をよけることも、しかし滑ることもなく加速しまた一人抜いた。
外側から追い越すように、しかし確かに最善のコース取り、相手を飛び越すかのように一人抜き去った。
最後の直線、そのスクーターは大きなトップケースをものともせずにその黒い騎士王の二輪へと迫る。
つばぜり合い
はじかれるように逃げる闖入者。性能では圧倒的に勝っているはずの騎士王に負けることはなく落とされること無く並走する。曲がる、しかし揺れることなく、頬を削るような鋭角なその車体はその黒い騎士王を逃すことはない。
『両者一歩も譲らないっ、そしてレースは最後のコーナーを抜け、最後の直線に入ったぁ。しかしかしトップスピードはメイド王のほうが圧倒的有利、徐々に離されていく原付っ。ついてこられるのもここまでかぁっ』
原付特有の軽いエンジン音、しかし限界まで回る振動音はその意地にも、怒声にも聞こえる。
吠える二つの影は、互いに食らいつき、そしてゆっくりと離れていく。黒い獅子は最後のスパートへと向かい、
そしてその体勢を崩す。
人にとってはミスにも至らない揺らぎ、しかし同じ英霊にとっては致命的な隙となる。
行け
行け
届け
白く丸っこい車体ではあの流線型のフォルムにはかなわない。
だから、ゴールテープにはわずかに届かない。
「ハレルヤァァァァァッ」
最後に伸ばすのは自らの拳。
ブザーの音が鳴り響く。
『決着っ、史上最速となったレースを勝ち抜いたのはっ』
簿記を強めた概説の言葉に誰もがみな息をのみ、そして掲示板を食い入るように見つめる。
そして長い一秒が経ち、掲示板に文字が灯る。
『一位は闖入者、乱入者マルタだぁっ』
「やった、やりやがったっ」
「やはり聖女様が最高なのはロジカルですっ」
「流石マルタの姉御だぜ、俺っちも見とれちまった」
「おやおや、祭りとはいえ余り羽目を外してはいけませんよ、風紀は守らねばなりませんよ」
「興行的にも大盛り上がりだ、急げ、今からでも優勝者のロゴの入ったタオルカップ、バンドメットその他もろもろの製作を始めるのだ。直流の工場であれば不可能ではないっ」
「凡骨め、既に交流の生産体制ならば第一陣の搬入を開始しているのだ、我がビジネスパートナードルポンド女史よ」
「すいませーん、あまりに想定の超過数のロットとなってしまいましたので追加料金として12億QPほどの超過金が発生しそうですよー」
「乱入者が一位ってオッズはどうなるんだっ、ダークホースにもほどがあるって」
「いいや、乱入者とはいえサーヴァントである以上対象ではある、とはいえ明確な参加表明はしてないからだれも、いいや一人、一人だけ入れてるやつがいるだとっ」
「代理人の名前は花のお兄さん、あの野郎っ、こんなことに千里眼使いやがってっ」
割れるような声援と怒号が聞こえる
喧騒とともにモニタへと映し出されたのはヘルメットを脱ぎ、その長くたおやかな長髪をなびかせながらカルデアのマークの入った四角いトップケースを積んだスクーターでウイニングランを飾る聖女マルタの姿だった。
よく見れば荒い画像の中の車体にはデリバリーマルタ、そんな文字が躍っていた。
「リソレ君、もしかしてお昼ご飯ってあれ」
「ムニエルです、祈りましょう、もうそれしか俺たちにできることはありません」
歓声の中、モニタには最後の一瞬、原付を担ぎ上げ、駆け出した聖女の姿と、トップケースが少しだけ開き、そこから騎士王へとナゲットが投擲されている様子が繰り返し流されていた。
「それにしてもデリバリーがサーキットに侵入する必要はあったのかね」
「仕方ないでしょ、単車があってコースがあるのが悪いのよ」
「走り屋っていうかレディースっていうかヤンキーっていうか」
「何か言ったかしら、ムニエル。また手が止まっていてよ」
聖女の笑顔を向けられ微かな悲鳴を漏らしながらまた手を動かすムニエル。横を向きながらも野菜たちを切っていく聖女の手元には乱れはなく瞬く間に下処理の終えられた白菜が積みあがっていた。
「それにしても手早いな」
仮設キッチンの中にいるのはマルタを含めて三人ほどだというのに見るが早いか次々と出来上がり運ばれていく大皿の列。瞬く間に広場には温かく、そして立ちかな湯気の香りが漂い始めている。中華や、地中海沿岸の料理、イタリアやフランス、ペルシアあたりの料理まで手早く作り上げていっている。
「流石、料理人と主婦の守護聖人といったところか」
「そんな無駄口叩いてる暇あるならさっさとこっちのフライパン手伝ってくれないかしら」
「そもそも、遅れたのはレースに参加していたからでは」
笑顔の彼女の手に握られていた鉄製のお玉がまるで飴細工のように曲がった。
「何か言ったかしら」
「何か聞こえたかね」
「おっさん、変わり身はやいな」
フライパンの中にはオリーブオイルときつね色になったニンニクが小さな音を立てている。赤唐辛子、キャベツ、塩、そして茹で上がったスパゲッティを手早くからませていった。
「キャベツのペペロンチーノ上がったぞ」
「こっちもラタトゥイユ上がったわ、シュウマイは」
几帳面に角切りにされた野菜たちが鍋の中を踊り、炒められ燻製の香り立つベーコンそしてトマトの香り混ざりあいが漂ってくる。
「まだあと少しかかる」
「ムニエルっ」
「叫ばなくても聞こえてますよ、サラダはもう出しましたっ」
「クルトン乗っけてないでしょうが」
「やっべ」
「所長っ」
「サーモンならもうオーブンの中っ」
怒号が飛び交い、その代わりに香しい芳香が確かに鼻孔をくすぐり始めていた。
「あらかた出し終えたってところか」
「後一品あるんだけど」
外を見ればすでに中庭いっぱいの立食パーティーの様相を呈していた。
「そういわれてみればこの騒ぎにあの娘は来ていないのか」
汗をぬぐいながらひとまず腰を落ち着けると耳元のすぐそばに声を感じた。
「誰をお探しですかな」
一瞬にして飛び起きる、やはり彼の予想した通り赤毛のマスターの少女がそこには立っていた。なぜか割烹着を着て。
「その恰好はなんだ」
「マスターには私からご飯を炊くように頼んでおいたんです」
最後の料理の下準備をしながら聞こえて来た聖女の声に目の前の赤毛の少女は自慢気に深く頷いていた。
「米もまたカレーの一部、カレーも又米の一部ですから。カレーという神にこの身をささげた私なればこそおいしいご飯を炊くことができるのです。導師マルシェより賜ったこの聖典にもおいしいご飯の炊き方も書いてありますからかまどでの炊飯も習得積みです」
「これは邪教じゃないの、いいの、迷えるっていうかもう逆に迷ってない小羊じゃないのこれ」
曇っているのか澄んでいるのかわからない彼女の目に眉を顰めながら聖女の小声で確認を取る。
「まぁ、実際の被害自体は出ていないので良いとしましょうか。あまりにひどいときはお説教一発くれればモーマンタイです」
「それちゃんと説教だよね、物理的な手段じゃないよねっ、一応最後のマスターなんだからね、忘れないでね」
冗談です、と笑う聖女に少し心配を残しながらもその様を眺める。
熱せられたフライパンの中に豚バラ肉が触れ、水の焼ける音が聞こえた。肉の赤からわずかに白く変性する、火が通るとざく切りにした白菜と薄切りにしたシイタケ、ニンジン、タケノコ、チンゲン菜そして鶉の卵の水煮を加える。強火で火が通り白菜が柔らかくなったころに酒、砂糖、鶏がらスープ、オイスターソースを加え味をなじませる。水溶き片栗粉を加えとろみをつける。
「八宝菜、いいや中華丼か」
大きな取り皿に盛られ、そして大きな御櫃とともに運ばれていく。
「なぜ中華丼なのだ」
「こういうお祭りの時ってやっぱりケバブとかアメリカンドックとかそういう肉ものが多いのよね。でもちゃんと野菜は取らないといけないから」
「サラダも随分とちゃんと用意してはあるが」
「メイヴとか女性サーヴァントじゃあるまいしあのでっかい子供みたいなやつらが食べるわけないじゃないの」
遠くでは韋駄天がアマゾンの女王に追いかけられていた。
「でも中華丼だと子供たちもよく食べるのよ。子供は好きだしね、ウズラの卵」
視線の先、お櫃をのそばに立ちご飯をよそっていく赤毛の少女とあんをかけていく彼らの前にはすでに長めの列が出来上がっていた。
「やはり主婦の守護聖人ということか」
「なによ、嫌味。悪かったわね、全体的に料理が芋臭くて」
「いや、私ではこれは作れんだろうさ」
雑多で、ばらばらで家族の好きなものを集めたような、愛するものへささげるための料理。
話を聞く妹を羨んだ家事をしていた姉。
母たるものの守り人となったその姿。
「さてと、もうそろそろだろうかね」
彼は再びコック帽をかぶりなおすと、不思議そうな彼女の視線を表へと、近づいてきた赤毛の少女へ向けさせた。
「所長、御代わりが足んないって、なに座ってんの、マルタさんも早く早く、暴動になるって。あーまってまって騎士王様っ、横取りしない、喧嘩になるっ、うわ、っうわーっ」
「世話のかかるやつらのことだ。我々ももうひと働きということさ」
聖女は笑い、そして小さく息を吐いた。
「もう、そこ喧嘩しない、げんこつ一発くれてやるわよ。ぃよぉしっ、やってやろうじゃないの。あたしを誰だと思ってんの。タラスク、あんたも骨になるまでこき使うから覚悟なさい」
『えっ』
太陽はまだ天高く輝いていた。
うずらはうまい