ゴッフ料理長の厨房   作:廓然大公

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やっと続きました


少女には一輪のヒナギクの花を

「これは失敗かなぁ」

 

籠ったような少女の声が聞こえる。

 

開いた戸からは黒煙が立ち上り、一気に部屋の中へと充満していった。少し黒い煙にぼやけた視界の中、少し顰めた眉が蒲鉾型の入り口を覗き込むと、その煙の匂いが鼻を突いたのか小さくせき込んだ。煙に目じりにもわずかに涙が浮かんでいる。少し充血しているその目、もうもうと出ていく煙の中、先に見えるそれを何とか手前へと引き寄せると待ちわびたように瞼を閉じ、肩口でこすった。

 

「見まごうことなき失敗だろう。少なくとも俺には人間が口にできる範囲を超えているように見える」

 

白い髪、そして赤い目の男は少女が取り出したそれを食い入るように眺め始めた。

黒く、固化したようなその平べったい塊は元が何であったのかすらもう判断はつかない。ところどころ元の色を残しているように見える箇所もあるもののそれも灰にまみれたようにくすんでいる。微かに上がる煙は鼻を突き、目を焼く。しかし男はその煙を意に介した様子もなく、ただ観察している。

 

「やっぱりそうだよねぇ、あんまり素材にも余裕があるわけじゃないんだからそう何度もは失敗できないんだけどなぁ」

 

少女は換気扇をつけ、その煙を追い出す。小さくせき込み、そして回り始めた大型の換気扇が唸りを上げ煙を吐き出す。ようやくまともに開けるようになった視界、小規模なホールほどもある少し暗いその部屋、いいや正確には部屋ともいえないそこは洞穴だった。空っぽの部屋の中、置かれているのはいくつかのボウルや具材が載せられた大きな調理台、そして部屋の中央に置かれたピザ釜が今なおもうもうと焦げた黒煙を上げ続けていた。

 

 

 

 

 

 大きな岩山のような島をくりぬいた中に建てられている彷徨海。アリの巣のように広がる施設の中、カルデアの面々に使用が許可されたのはエントランスともいえる表層。彼らがいるのはそんな表層の一部、水の浸食によってできたらしい洞を改造し床を平たんにコンクリート舗装とむき出しのランプを下げただけの使っていない予備ドックだった。

 

「落胆することはない、誰にでも失敗はありそれが今回はこれであっただけに過ぎない。貴方に依頼した私の配慮が乏しかった。私に落ち度がある。その一点に尽きる」

 

ほとんど何もない部屋の中、おかれたテーブルの上にはすでにいくつかの黒い塊が鎮座している。

失敗はすでに五度目。生焼けや、全てが真っ黒に焦げたもの、火の当たりが偏ったのだろう、きっかり半分は焦げ半分が焼けていないもの、窯の中にへばりつきぼろぼろになったもの、突っ込みすぎて灰まみれになったものなど無数の失敗の山が積み上げられている。

 

「きみもやっぱり辛らつだねぇ」

 

今しがた取り出したピザを包丁で割ってみれば中にはまだ白く柔らかな生地が微かに包丁にへばりついた。表面は焼け焦げ、中身はまだ火が通りすらしていない。

 

「この調子では今日の完成は厳しい。また明日にでももう一度レシピを確認してからでも遅くはない。根本的な原因がわからないままに作業をしても無意味となろう。今の状態ではまた焼いたとて失敗は必至はまちがいない」

「あと二回分はあるんだけど」

 

調理台の上には広げられる前の丸い生地が残されている。昨夜から準備した生地、使われないのなら廃棄処分となるであろう、その生地、もとより失敗して炭と化すならば末路は同じ。少女は小さな踏み台に乗り、その記事が入ったボウルを引き寄せると再び彼へと向き直った。

 

「止めはしない」

 

少女は彼を見上げながら崩れたように笑う。彼はその言葉にただ少女を見返すだけ。少女は少し目を伏せながら残った生地を一心に伸ばしていく。小さな手では記憶にある通りには伸ばせない。ものの多少不格好ながら丸く広げられていく。

 

「ぶしつけな依頼をしてすまなかったな」

「いいよ。だって私は万能の天才ダヴィンチちゃんだからね。ピザの一枚や二枚焼くことなんてお茶の子さいさい、とは今のところいっていないけど、ちゃんと要望にはこたえられるものを作るよ」

「ただいなる感謝を送ろう、ダヴィンチ女史よ」

 

大仰な大英雄の礼を受けなあら少女は少し困ったように笑う。彼女の体格にはいささか長すぎるめん棒を取り回しながらひとつづつ確かめるように生地を広げ、最後の一枚を仕上げていく。

 

「それにしてもなんでいきなりピザが食べたいっていうんだい。カレーならマスターのほうがずっと上手だと思うんだけど」

「食べるのは俺ではない、ジナコが小型モンスターの新作ができるようになったので少しの間それにかかりきりになるためにピザとコーラを入手してくるようにと厳命されたからだ」

「なるほど、あっちに置いてあるのはビールケースの山はコーラの瓶だったのね」

 

部屋の端にはよく見れば十ケースが詰まれていた。よく見るデザイン性の高いものではなく、一カルデアのロゴが刻印された簡素な一升瓶が詰められていた。

 

「でも、ゴッフ所長が良く作ってくれたね、ジャンクフードとかも嫌いじゃないみたいだけど、よく考えるとそこまで食べてるの見たことないし」

「あれはマスターより分けてもらったものだ」

 

その言葉に少女は驚き、空中で回そうとしていた生地を取り落としそうになり、慌てて体勢を立て直す。

 

「いつの間に、っていうかどうしてレシピ知ってるの」

「マスターの持っていたカレーの本に載っていたそうだ。肉を柔らかくするために使えるからと」

「一回あの本はちゃんと検査したほうがいいかもしれないね」

 

少女は考えこみながらもようやく伸ばし終わった生地にトマトソースをかけて、そして広げていく。トマトの甘酸っぱいさわやかな香り、そして微かなニンニクの匂いがあたりに広がった。

 

「それにしても、ガネーシャ神も君につかいっぱを頼むなんて剛毅というか、なんというか。気を許してるんだね」

「ああ。無能、不要の類に関して言えば彼女は他の追随を許さぬだろう。その身でありながらも他人に気を許し、他者へ依ることのできる精神性は俺にまねできるものではない。その彼女の寄る辺となるのならばいかにこの身がその体重によって傾いだとて支えるに足るその精神性だと判断した」

 

少女は彼の言葉に小さく笑いをこらえた後に再び大きく笑いながらモッツァレラチーズを千切りあたりにまぶしていく

 

「それじゃあ、ガネーシャ神が能無しの引きこもりの穀つぶしみたいに聞こえるんだけど」

 

彼はその言葉に少し考えこんだようにうつむき、そして少し疑問に思ったように首を傾げた。

 

「何もかもが間違って伝わっているように思うのだが、その事実は何一つ間違っていない。なぜだ」

「あらま」

 

悩む彼を横目に少女は最後にバジルを散らすと、窯に入れるためのピザピールの上に乗せる。以前と同じピザピールの柄は長く、少しだけふらつきながらも、それをふたたび温まっていたピザ釜の中へと差し入れた。

 

 

 

 

その時だった。

 

 

「この悪ガキどもっ、勝手にオレンジを持ち出しおってぇ」

 

扉の開いた音とともに聞こえた大声は洞窟の壁に反響して何倍にも大きく聞こえる。

 

「ようやく枝ぶりに実り始めたというのに大量に持っていきおって、なにが少し借りますだっ。あんだけ炬燵でミカンが食べたいというから、あれ」

 

薄暗い部屋、尾の声の主が彼女たちの姿をとらえると、目を凝らしてあたりを見回していく。

 

「藤丸はどこに」

「マスターならおそらくジナコとともにモンスターを捕まえていることだろう」

「なるほど、コーラの材料になったオレンジは所長のところからくすねてきた奴だったのか」

 

得心が言ったような少女の言葉に入ってきた男は驚いたようにぐるりと目を向けてきた。

 

「コーラだとっ、そんな馬鹿な、あのレシピがどれだけ重要でどれだけ機密に保持されてきたと思っているんだ。そんなレシピをただの小娘が持っているはずが」

「飲んでみれば」

 

線抜きで開けられた瓶から注がれたのは黒く輝くカラメル色、そして湧き上がるのは甘く、そして黄金に輝く泡の王冠。注がれたグラスには結露の雫が水晶のように浮かび上がる。得も言われない香しい香りは確かに彼のよく知ったものであり、人理漂白以降、彼が研究し追い求めていたあの芳香だった。盗まれたオレンジの行方を捜すためにカルデアを走り回り大汗を流した彼にその匂いは離れがたく背けない物、少しだけ警戒しながら、そして少しだけ期待しながらグラスの中身を喉に流し込んだ。

 

「どうだい」

 

彼は小さくゲップで答えた。

 

 

 

 

 

「それで、ガネーシャ神に言われてピザを焼いていると」

 

所長は二杯目のグラスを手にこれまでの成果である黒炭たちを見て小さくうなった。先ほどと違うのはまたその黒い塊が一つ増えていたこと。表面が炭と化し、下にこびりついた底面はやわらかくまだ火すらも通っていないようだった。

 

「ああ、浅学菲才の身でな。以前、レオナルド・ダ・ヴィンチがピザを焼いていたのを思い出し、依頼したのだ」

「トマトが食用になったのも、ピザが今の形に洗練されていったのもダヴィンチの後の時代だけどさ、前のカルデアでは時々作っていたわけだから今回もこのダヴィンチちゃんにドーンと任せておきなさい。前に作った時には随分と好評だったみたいだったから。息抜きがてらちょうどいいだろうって思ってね。みんなの慰労をねぎらうのもダヴィンチちゃん福利厚生の一環さ」

「そしてできたのがこれか」

 

図星なのか少女は少しバツが悪そうに小さく漏らし、白い男も又、どこへなりとも視線をそらした。

 

「みんなが知ってるレオナルド・ダ・ヴィンチなら失敗しなかったのかな」

 

少女は笑った。

笑ったように顔をゆがませた。

ただ、その顔はすこし泣いているように見えた。

 

 

 

 

「生地は厚くしすぎないように伸ばす」

 

腕まくりをしながら一息入れるように大きく深く息を吸い込むと彼はそう言った。

 

「家のレンジとは違って窯の中は四百三十度度近い高温で焼き上げる。それによって生地の中の水分が抜けすぎることなく短時間で火を通すことができる」

 

彼は最後に一つ残っていた生地を手に取る。彼は少女に手招きをすると彼女の後ろから手を伸ばし、生地をこねさせる。

 

「このくらいになったら生地を広げる。よく見る生地を放り投げて回すのはあまり手を触れさせないようにして生地をつぶさないための方法ではあるが、演出でもあるからな、必須技能ではない。丁寧に広げればいいだけ」

「所長はできないのか」

 

男がそう声をかけると彼は少し困ったように口を曲げた。

 

「ほこりもたつし出来ないわけではないが。見たいのかね」

 

二人は小さく頷いた。

そして、白い生地が華麗に宙を舞う。白い弧を描き、ゆっくりと広がっていく。綺麗に丸く、やわらかく。薄暗いランプの光を浴びていた。少しだけ打ち粉がとんできて、おいしい匂いがする。ゆっくりと、指先で押し上げるように回している。少女の顔より大きく広がった生地を彼はやわらかく降ろすと、残ったトマトソースとチーズバジル、そして隠し持っていたオリーブオイルをかけると手際よく窯の中へと入れた。

 

「よく見ておきなさい」

 

彼に促されかまどの中を見る。

 

「あの煙、黒煙が出てくるのは薪が不完全燃焼しているということ温度が上がっていない。しかし見てごらん、出てくる白い煙、あれは水蒸気だ。あんな風になっているうちに入れる。炉の中が十分温まっているということだ。底面まで十分に温まっていればくっつくこともない」

 

肌に当たる熱気が炉の温度を伝えてくれる。

焼けるような、

燃やすような、

焦がすような。

 

「薪に近い奥のほうがピザ釜は暑い。焼き目に偏りが出るためにピザを回す。しかしピザの裏からも熱は入る。出来るだけ少ない回数で回すことでピッツァ自体にも負担をかけることなく焼き上げることができる」

 

生地の端がゆっくりと膨らみ表面が少しだけ焼け微かに黒く焦げる、彼はすかさずパールを使いピザの底面を確認する、少しだけ生地の白色が焼け小麦色に近くなっていた。奥から回転させるように百二十度ピザを回転させる。直ぐに新たに奥へと入れられた側も膨らみ、ソースが煮えるような香しいトマトの匂いをさせる。

一瞬のその炎は不規則に燃え盛り、揺れ、そしてただその熱を感じていた。

 

 

 

「焼きあがったぞ」

 

時間にして二分も絶たずに窯から取り出された。よく溶けた柔らかなモッツァレラチーズと少し端の焦げたバジル、まだ熱が残り煮えたようにぷつぷつと音を立てるとトマトソース、そして熱によって部屋いっぱいまで広がるさわやかなオリーブオイルの匂いがあたりに立ち込めている。

知識には、記憶にはあっても経験したことのないその匂いは確かにジブンだけの初めての物。

 

「これはいいにおいっすねぇ」

「ああ、相応の対価を支払わねばならないような技巧の尽くされた食事だ。何もせずにただこれを要求し貪ろうとするものがいるとすればよほどの勇者としか考えられまい」

「ヒキニート殺しっすね、カルナさん、全国のピザデブを敵に回したっすよ」

「それは失策だった、凡夫である俺がガネーシャ神を敵に回してしまえば結果など見え透いている。寛大なる御心を見せてほしいものだ」

「今、遠回しにカルナさん僕のことピザデブって言ったっ」

 

匂いにつられたのかいつの間にか部屋に現れたガネーシャ神が姦しく騒ぎながら試作品を切り分けていく。

 

「すまないね。私に依頼されたのに、結局手伝ってもらっちゃって」

「まったく、ホムンクルスというのはどいつもこいつも自分のことを過大評価している」

 

彼は汗をぬぐいながら忌々しいというように眉を顰め言った。

 

「あくまで学習した知識は知識、それが経験と結びついていなければどうにもならん。笑いたいなら笑い、泣きたいなら泣き、助けてほしいなら助けてほしいといっていい、初めてなら初めてと楽しんでいい。知識だけ与えられたとしても本来ならばまだおしめを替えられているような時期なのだからな」

「それはセクハラに当たるんじゃないのかな」

「えっ、マジで、これセクハラなの、更迭とかされちゃうの」

途端に青くなり今度は冷や汗をかき始めた彼に笑ってしまう。

「冗談だよ所長さん」

 

からかったことに気が付いたのだろう。彼は少女の頭を強くなでて髪をくしゃくしゃにすると小さく笑った。

 

「生憎と私は新参者だ。私が知っているカルデアはこのノウムカルデアであり、知っているレオナルド・ダ・ヴィンチはこのちっこい生意気な小娘だけだからな。そのカルデアの指令代行をしていた大人のレオナルドダヴィンチのことなど知らん」

 

もとより、知っているダヴィンチは剥げたおっさんの姿だが、そう彼はため息をつきながら切り分けられたピッツァへを少女へと渡す。

 

「お前は確かにレオナル・ド・ダヴィンチだ。でもそれはレオナルド・ダ・ヴィンチにならなければいけないということじゃない。お前はお前がなりたいものになればいい」

 

子供の口には大きく切り分けられたピッツァを少女はそれでも大きく口を開けかぶりつく。柔らかく熱い。トマトの甘さとバジルの通り抜ける苦み、そしてチーズが噛み切れることなく伸びる。口の中を火傷した。知識の中にそんなことは書いていなくて、しかしきっとそんなことを前のレオナルドも又知っていたのだろうか。

教えるまでもないと思ったのか。

それともいつか自分で知ってほしい、そんな風に思ったと考えるのは少しロマンチックが過ぎるだろうか。

 

 

 

髭にチーズをつけたまま、彼は少し思案するとふと思いついたように言った。

 

「そうさな、それじゃあミドルネームでもつけるというのはどうだろうか」

 

ああ、ならば

 

「一ついいのがあるよ」

 

 

 

微笑みながら少女がつぶやいたのは希望の意味を持つ小さな花の名だった。




多分次で最終回

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