ここは閻魔亭
閻魔大王の名代として小さな雀の営む地獄の温泉宿。
迷い家として存在する閻魔亭には今や世界各地から多くの妖怪や妖精、英霊から神様まで様々な者たちが足を運ぶ。風光明媚な景観と日々の疲れをいやす天然の温泉、そして頬を落とす料理は今日も来訪者たちに一時の極楽を提供する。地獄良いとこ一度はおいで、そんなキャッチコピーも聞かれるその最上の温泉宿。
そしてその厨房では小太りの男が一人、死にかけていた。
「吸い物はまだかっ、菊の間の膳は」
炎の音、湯気の立つ熱気と何かの煮え、焼ける音、そして包丁がまな板をたたく音、積み重なった台所の轟音の中、声を張り上げながら、手元は狂うことなく鯛を三枚におろしていく。
「今もって行ってるでちゅん」
「楓の間、ご飯のおかわりちゅん」
「お櫃ごと持って行け、今のうちまた三升炊を出してたいておけっ」
厨房から受け取った料理たちを小さな雀たちが世話しなく動き、小鉢や小鍋などを手際よく膳と並べ、塔のように重ねるとそれをひょいひょいと次々と運び出していく
「梅の間のてんぷら上がったでちゅん」
「こっちの船盛上がった、行け」
「桜の間からチーズが食べられないのでやっぱりデザートをチーズケーキから別の物にしてほしいそうでちゅん」
「いわんこっちゃない、冷蔵庫にフランボワーズのタルトがある、それを持っていきなさい」
「いい猪を買って来たから調理してほしいともってきたちゅん」
「血抜きはっ」
「処理済みちゅん」
「そんな地獄の猪の肉なんて食べて大丈夫なのかっ、いいかっ、だいたい食べるのは英霊とか見様だしかまわないか」
「試食はするちゅん」
「ガッデムっ」
そんな戦場のような厨房の端、底から規則的に聞こえるのはまるでマシンガンのような規則的な打音。ぶれることなく、途切れることなくずっとメトロノームのように聞こえ続ける。よく聞けばかろうしてその音が包丁で何かを切っている音だと認識することができる。
「見習いさん、ひとまずとりあえずキャベツの千切りはそのぐらいで十分ちゅん。次はきゅうりの乱切りをお願いするちゅん、小鉢の酢の物用がなくなってきたのでとりあえず百二十本分ほどお願いするちゅん」
「承りました、この命に代えても」
「重いちゅん」
それは偉丈夫だった。
小さな山をも思わせる堅牢な肉体に火の光のような金髪、手にした包丁が小さく見えるほどに大きなその手。そんな彼が厨房の端、うずたかく積まれた野菜の段ボールと無数の籠、そしてそして小さなまな板へと向き直る。手分けした雀たちが斬り終えたキャベツの山を持っていく。代わりにまた聞こえ始めたのは先ほどと同じ打撃音、そして見る見るうちに山となっていくきゅうりの籠。
「野菜の皮むきとか、下処理とかをしなくてよくなったのはとてもいいちゅん」
「特に昼食の効率が段違いでちゅん」
「代わりに厨房に謎の圧を感じるでちゅん」
「常在戦場でちゅん」
「シールサーティーンディシジョンスタートでちゅん」
「底の雀どもっ、無駄口言ってないでさっさと運ぶっ、時間ないでしょうがっ」
「ちゅーん」
雀たちが去って尚、ただ黙々と野菜を指示通りに素早く切り続ける青年。
彼の名は千切りマシーンガウェイン
第二の聖剣を置き、包丁に持ち替えた円卓の騎士だった。
昼下がり、客たちの昼食も終わり、厨房に一時の休息が訪れる時間、厨房の裏、小さく開けた裏庭のような広場に青年が腰かけわずかな休息をとっていた。
「どうかね、調子は」
声をかけたのはコック帽を取り、一息つきに来たらしい新所長の姿だった。
「ありがとうございます、兄弟子」
「その呼びかけは何とかならないかね、なんか背中がぞくぞくするのだ」
「然し、こればかりは礼節として譲りかねます。人の上に立つのならば慣れていただきませんと」
「しかしね、かの円卓のガウェイン卿に兄弟子呼びされる先人もいないだろうに」
その一言に青年は笑った、
「私とてただの人ですよ、兄弟子の腕には遠く及ばない」
「そういうならそういうことにしておくがなぁ」
何とも納得が言っていないものの飲み込んだような彼の反応に笑みを浮かべる。
事の発端は彼のマスターの言葉だった。
彼女が訪れたサーヴァントユニヴァ―スなる別宇宙ではどうやら彼に当たる人物がシェフとして働いていたらしい。様々な問題があったようではあるものの料理の師を得、その腕を磨いているらしかった。
「丁度、所長が紅女将のところに呼び出されるだろうし、その時に弟子入りさせてもらえばいいんじゃない」
騎士として生き、そして死する。その力を持って今英霊として存在している。騎士のふるまい、戦闘の技量としては申し分なくともその他の部分に関していえば完全とは言えない。特に騎士王など生前、彼の料理を食べているときと比べカルデアの食堂で食事をしているときなどその表情には雲泥の差が見られる。騎士王の責務として表情なく食べていたと思っていたがどうやら案外そうではないと聞かされた時の衝撃を言い表す言葉はない。そのためこの話は彼にとっても渡りに船だった。
「食事は確かに美味であることに越したことはありませんが、腹持ちがしてエネルギーになればそれだけで十分でもあったのです。私にとっては、ですが」
「なんというか、うん、そうだとは思うよ」
初めて見た彼の手料理、生のジャガイモをつぶし始めたときには思わず眩暈がしたものだ。
「しかし、どうやら他の者にとってはそうでもないようですね」
「人の好みを否定することはできないが、それでもやはり万人に受け入れられ易いものというものは存在するからな。それはさして気にすることではない。それを他者に押し付けなければだが」
図星を刺されたように彼は高らかに笑う。
「兄弟子、これは痛いところを突かれましたな」
「そこまで図星とわかっていて高らかに笑えるキミも君だがね」
手にしていたお茶を一口啜る。
「そうだな、それじゃあ、今日、ジャガイモの皮をむいて何か気が付いたことはなかったか」
「ジャガイモですか」
午前中のうちに小山ほども剥いたジャガイモ、最近ほぼ日課になっているジャガイモの皮むき、小さなナイフを使い永遠に近い皮むきの中での違和感。
「そういえばやたらと手元が滑ったような」
「それはなぜだと思う」
彼に手招きされながらひと段落した厨房の中へと戻る。野菜の段ボールの間を通りまだ青年が立ち入ることを許されない厨房へといざなう。
「私のナイフ捌きが狂うことはありえないのでジャガイモが滑ったのでしょう、ということはいつもより水分が多かったということでしょうか」
「流石円卓の騎士、流石の自信だな」
青年の答えに彼は二つ、彼へと放り投げる。こともなげに受け取ったその二つ、歪な形をした二つの球体、どちらもただのジャガイモに見える。
「確かにその二つはどちらもジャガイモだ。同じ男爵イモ、だけれど今日のは新じゃがいも。簡単に言えばとれたてのジャガイモだ」
彼がその二つを斬ると一報はそのまま断面が見えるのに対してもう一方はうっすらと表面から水がしみだしてくる。
「とれたての分中に水が多く皮ごと食べても問題がない。その分ジャガイモ特有のほくほく感というのは出にくい」
二つ細切りにして手早く油で揚げる。青年はバットに揚げられた湯気の上がる出来立てのフライドポテトをつまみ食べ比べる。一報は口の中で崩れていくようなその舌ざわりを、もう一方は野菜のような噛み応えを感じる。
「女将も言っている事だが、料理とは愛情ではない。知識と経験、そしてただの努力だ」
彼は火にかけられていた大なべからゆでられていた無数のジャガイモたちを救い上げると手早く皮をむいていく。
「芋の皮むき一つ、野菜の洗い方ひとつで料理の味は決まる。その一つ一つを積み重ねることで料理ができる」
ボウルに揚げられたジャガイモをつぶす、あらく、形が残る程度に。
「それを知ったうえでよりおいしくなる方法を見つけねばならん」
青年が先ほど切っていた色とりどりの野菜を加えて混ぜる。
「未熟者の私にはいまだにその成功が見えません」
その言葉に彼は笑う。
「料理には成功もそして失敗もない、あるのはおいしいかったという言葉。それだけが唯一の正解だ」
ボウルの中にはマヨネーズを一回り。
出来上がりの山盛りのポテトサラダを二人、つまみ食いしながら茶を飲む。
「兄弟子は王には向いていないかもしれませんね」
「お前が言うと重いわ」
「そうでしょうか」
「まったく」
彼が王だったとしたら、あの終わりはもう少し違っていたのだろうか。青年は小さく笑い首を振った。
「うむ、悪くない」
青年はもう一口、ポテトサラダを口に入れ、そしてそういった。
おもしろいかはわかりません