廊下を子供たちが行きかう。
場違いなカルデアの中、相応にはしゃぐ子供たちは厨房から運び出されていった大きなブッシュドノエルに引き連れられていく。そのままパーティー会場となったホールへと笛吹男の様に姦しくその行軍は続くだろう。ハンドワゴンにそれを載せた錬鉄の英雄と子供たちからのつまみ食いを諫めるためにわざわざ二人ほど付き添っていく。いつもなら五人ほど詰めているような厨房の中には二つの人影しか残っていなかった。
「とりあえず、一山は超えたらしいな」
「すまないな、ラウンジの調理の方に人手が回ってしまってな、手が足りなかったのだ。ありがとう」
「いいさ、たまには腕を振るっておかないと錆びてしまう、刃物と一緒だ」
「あの腕前ならそう簡単に錆びることもあるまいに」
ひと段落と、たすき掛けを解き、前掛けをきれいに畳み始めた彼女へと苦笑を浮かべる。今しがた運び出されていったブッシュドノエル。チョコレートとクリームとスポンジで構成されているはずのその大樹はしかしまるでそこに息づくように、深い森の中の静寂と命を引き連れたように精緻で緻密な造形、それも両手いっぱいっものスケールで作り上げて見せたのは目の前に佇む黒髪の彼女。こともなげに、しかし抜かりはなく、芸術作品のようなそれを半日で仕上げた彼女に彼は大きな苦笑を浮かべた。
「正直、この時代に近い生まれなので頼んだだけだったのだが、見事な腕前という賛辞以外の言葉を私は持ち合わせていない。アサシンというよりかはむしろパティシエとかそんなクラスのような気もするのだが」
「俺はただの一般人だよ」
「もしよければ食堂を手伝ってくれまいか」
「やめておくよ。見ての通り凝り性でね。中途半端は作れない、毎日朝飯が夕食にはなりたくないだろう」
「なるほど、料理人というよりは芸術家気質のような気もする」
「そんなこと初めていわれたよ」
厨房から見える食堂の中央にも大きなもみの木が設置され、飾られている。靴下や雪だるま、キャンディーケイン、雪に見立てた柔らかな綿にはどこかで見たような雄弁な無表情の羊の顔も描かれていた。ひとたび廊下を出れば子供たちか、それともどこぞの作曲たちによるクリスマスの調べが聞こえてくるだろう。
日付は12月24日、俗にいうクリスマスイブと呼ばれる日。それはこのカルデアにおいても特別な意味を持つ日。カルデア職員の慰労も兼ねた大きなパーティーが開かれる日。季節感の薄くなる閉鎖的なカルデアの中で季節ごとの催し物は積極的に行われるものの、やはりクリスマス配置大イベントであり、最も盛り上がり、そして規模の大きな催し物だった。
「ケーキがあっちに付いたようだ」
扉の向こう、廊下の先のはずのホールからわずかに漏れ聞こえてくるのはケーキの登場による歓声らしい。彼はその残響に小さく、しかし自慢げに笑っていた。
彼女はふと笑う彼のそばにはまだケーキが一つ残されているのを認めた。今日彼女と彼らが焼いていたような美しく、華やかなものとは違った、小さなホールケーキだった。どこにでもあるような、どこのケーキ屋にも売っているような苺と生クリームの乗ったケーキ。しかし、そこには今日のケーキに乗っていたはずのものが足りなかった。
「所長、それ、まだ一個残ってるぞ。それにサンタのマジパンも乗ってない」
そこにはあるべきサンタクロースもトナカイもツリーもリースも何も乗ってはいない。クリスマスケーキというにはあまりにも質素で飾り気のないシンプルなホールケーキがおかれていた。
「ああ、それはいいんだ」
彼はその一つ残されたホールケーキを前にすると近くに残されていたチョコレートのプレートを取った。
「これは私用の、いいや私個人の、なんと言えばいいか」
「それ一つくらいならあんたならぺろりと行けそうだけどな、こんな日だしちょっとくらい黙っておいてやってもいいぜ」
「私の盗み食い用ではないわっ」
彼は一つ熱気を抜くように息を吐くと手にしたチョコペンをそのチョコレートボードへと向けた。
「これはしいていうなら注文分なのだ」
「マスターからか」
彼は小さく否定を返す、それは遠くを見るように、それとも懐かしき友を見るように、淡い。
「いいや、もっと、もっと古い客からだ」
それは冬の日だった。
南極のカルデアほどの猛吹雪ではないものの十分車は立ち往生して、学校が休みになるくらいの大雪の日だった。未明にまで降り積もった雪は街を白く染め、同時に街から足を遠のかせるくらい。それでも少年が街へと向かったのは簡単な理由。
『サンタが何者であろうと来客があるならば迎えねばならない』
まだサンタクロースを信じていた時分だった彼にとってそれは至上命題に近く、来客ならばもてなさねばならないという少年の単純明朗な思考から彼は街へと繰り出していた。七面鳥の手配にケーキ屋料理のための材料、トナカイへのニンジンを紙袋に入れ、彼が最後に立ち寄ったのは町の小さなケーキ店。ケーキ自体を作るには問題なかったもののその造形や装飾まで万全とはいいがたく、その調査がてらその店を訪れていた。
「だから、なんとか一つくらい残ってませんか」
「もう全部売れちゃったし、予約もいっぱいだからね、悪いけど他をあたったほうがいい」
「そこをなんとか」
「諦めも悪い人だ、サンタのマジパンかクッキーならまだあるが」
「クリスマスケーキじゃなくて、バースデーケーキがいいんです」
店の中、聞こえてきたのは店主とどうやら年若い東洋人の諍いの声だった。
「時期が悪い、クリスマスの用意で手一杯なんだ。隣町まで行けばどうかわからないけど望みは薄いかもな、悪いなあんちゃん」
店主は取りつく島もなく青年から離れ新たに入ってきた客へを向かう。
「しまったな」
そう独り言ちる青年のポケットから何かが落ちる、ゆっくりと地面に落ちたそれを拾い上げて見れば何やら何かの名前らしく、しかし3つほど書かれているそれはどれも微妙に綴りが異なっていた。
「お前、これ」
それを拾い上げた少年が振り向けばすでにその東洋人の青年は店の外へと出ていしまっていた。
「そこの東洋人のお前」
店の外、往来の少ない道を行く彼の背中にそう声をかければ青年はそれに驚いたように一瞬肩を震わせると反射的にこちらを振り向いた。咄嗟の行動に体勢を崩す、それは本来の青年ならば有り得ることはなく、しかし、それを経ち直すことはできず、まして路面は昨夜の雪がみぞれの様に濡れ、そしてわずかに凍結していた。結果として青年は道の真ん中でしたたかに額を打つことになった。
「悪いね、メモを拾っただけでなく。手当までしてもらっちゃって」
「俺が声をかけたのだ。あそこまで派手に倒れられて知らんぷりというのは出来ん」
「これまたご迷惑を」
唯一開いていた小さなカフェテリアに二人の姿はあった。したたかに打ち付け、赤くはれているはずの青年の額には大きなばんそうこうが張られ、同時に少年の手元にはすでに開けられた薬局の紙袋が置かれていた。大きく眉を潜ませた少年とは対照的に少し照れたように笑う青年は差し出したメモ書きを2度ほど受け取り損ね、そして3度目でようやくつかみ取った。
「誰かの誕生日なのか」
「えっ」
「ケーキ屋で行っていただろう」
「ああ、聞かれてたのか」
青年は少し困ったように笑った。
「そう、誕生日のケーキを注文したかったんだけど、この時期はちょっと厳しいみたいだね、クリスマス、忙しいに決まってるか。そうだね、クリスマスと同じ日って思ってはいたのにそこまで気が回らなかった」
「気が回る回らない以上にまずその浮浪者のような恰好をどうにかするほうが先決だろうな。その風体では飴玉一つ売ってもらえるものか」
「えっ」
少年の目から見てもクロのシャツとコートに黒のズボンと真っ黒尽くしな上にそのあちこちはどれほど着古し、クリーニングにも出してもいないのかわからないほど草臥れ擦り切れている。まさに浮浪者とでも言うような彼の風体は確かに怪しさを醸し出していた。
「そうか、ああ、なるほど、道理で」
「それに誕生日の相手の名前も分からないのか、そのアルケドだかアラケドだか知らんが」
青年は手にしたメモ紙をいじりながら、見えてはいないはずのその視線をその紙へと向ける。
「呼び方は教えてもらったんだけどね、綴りまでは聞いてなくてさ」
彼は言った。
それは遠くにいる誰かを呼ぶようで。
それが届かないのを知っているようで。
それに気が付いてしまったことを嘆くようで。
それでもひとかけらさえ、何も変わらぬように。
彼はその間違った名に触れる。
「誕生日を祝いたい相手の名前も書けんとはな」
怪訝な顔をした少年の気配を感じとったのか青年は、たははと屈託もなく、あっけらかんと笑った。
「そうだね、それもそうだ」
青年は自分の言葉を思い返し、その曖昧さに笑ってしまったようだった。
「そうだった、薬代を立て替えてくれたろう、手持ちはこれしかないから足りるかは分からないんだけど」
そういうとくたびれた財布から皺の依った紙幣をいくつか差し出してくる。見えているのかいないのか、異国の紙幣も混ざったそれを合わせても彼が購入した包帯代にも満たない程度。
「足りないな、さらに言うならばこのコーヒー代も含めて足りない」
痛いところを突かれてしまったように青年は呻くように眉をひそめた。
「まいったな、一人なら食い逃げもできないことはないんだけどさすがにこの状況だしね。皿洗いくらいで見逃してもらえないかな」
「そうだな、軟膏代と包帯代と治療費、ここのコーヒーと俺が今食べたこのパフェ代合わせたざっと百万飛んで22ドル5セント足りない」
「百万って国家予算レベルのような気がするんだけど」
「この俺の人件費だ」
「それにしてもぼったくりのような気がするんだ」
「しかし事実は事実。請求書を書かねばならんな」
少年は近くに置いてあった紙ナプキンを手に取ると、それにさらさらとペンを走らせていく。
「話は変わるが俺の家では今年もクリスマスの祝い事があるんだがね」
ペンを走らせながら少年は青年へと語り掛けた。
「今年から私がケーキを担当することになったのだがね、どうにもただのケーキじゃ味気なくてな」
少年はさも困ったように大げさにため息をつきながら告げる。
「生憎と私たちは別段カトリックというわけでもないのでね。せっかく祝うならば神の誕生日に代わりにどこの誰とも知らない誰かの誕生日を祝うというのはなかなか皮肉が効いていていいだろう」
彼は二枚目のナプキンに手を伸ばすと、一枚目と同じ文面を逃さず書き連ねていく。
「そこでその日が誕生日の誰かを探しているのだがしっくりくる人がいなくて困っているんだ」
少年は書きあがったそれを青年の前へと向ける。
「もしも誰かがその日が誕生日の、そうだな。名前の最初はアから始まるといいのだが、その誰かを教えてくれたのなら」
少年は小さくウインクした。
「百万と二十二ドルの賞金とその名の入ったケーキ一つを出してやろうかな」
青年は笑い、そしてその借用書に自分の名前を入れると丁寧に懐へと入れた。
少年は笑い、そしてその古びた五セントをズボンのポケットへとしまい込んだ。
「それで、その焦げ付いた百万と二十二ドルは取り立てられたのか」
「焦げ付いたと確信しているのかね」
「そんなの一目瞭然じゃないか」
その言葉に彼は少しだけ気恥ずかしそうに眉を顰めるも何かを飲み込んだように小さく笑った。
「そうさな、この一仕事終わったなら取り立てに行くのも悪くは無かろう」
彼の言葉に、彼女は少しだけ笑った。
「案外、すぐに聞けるような気がするぜ、そのメガネのこと」
「ふむ」
困惑したように彼が彼女へと振り向いた。目の端に彼女の青い瞳が揺れた気がした。
「私は」
彼が眼鏡をしていたといっただろうか、そう言おうとした彼の言葉は、廊下から聞こえてきた喧騒に飲み込まれた。
「所っ長っ、大変だっ」
慌てて走ってきたのはマスターの赤毛の少女、息も絶え絶えな彼女は叫ぶように告げる。
「突然クリスマスケーキの上に召喚サークルが出てっ、そんで二人組が出てきたの」
「なんだパーティー中にいきなり、礼儀もなっとらんのはどこの英霊だっ」
「知らない、けどちょっとイレギュラーみたい、二人組だし、みんな知らないっていうし」
手早くコックスーツから着替えた所長は赤毛の少女に先導されながらパーティー会場へといってしまった。
「でもみんな眼鏡に学生服と金髪赤目の女の子の二人組のサーヴァントなんて聞いたことないって」
赤毛の少女の言葉は出口の扉に遮られ最後まで聞こえることはなく、厨房には彼女が一人、名もなきケーキとともに残された。
「名が入るのはもう少し後かしらね」
答えるようにケーキには一枚のネームプレートが乗っていた。
それはまるで書きかけの様に、左に寄った『A』の一文字だけの飾り文字が入れられていた。