そこは小さな倉庫だった。
彷徨海に作られたノウムカルデア、その創設は決して古くは無いものの、シオンによって準備され、キャプテンによって今なお増設されているためにそれなりに物品は多く、所によっては引っ越し直後のような多くの木箱やコンテナ段ボールが置きっぱなしになっているところも少なくない。使用頻度の高いものは指令室や工房、製作所に近い倉庫に置かれる。つまり、このノウムカルデアの端の倉庫に置かれている物品の使用頻度は低く、一年ほどは誰も掃除をしていないのか辺りには埃もたまっている有様だった。
「まったく、英国人なら英国人らしくピクルスでも食べていればいいものを」
しかし、小さな金属の擦れる音共に聞こえたのは誰かの足音そして独り言だった。
「まったく、あれのどこが騎士王だというのだ。ただの大食漢の小娘ではないか」
「まぁまぁ、そう言いたくなる気持ちも分かりますけど、その分ちゃんとと働いてくれてますし」
少し怒った男の声に、それをなだめる様な少女の声。少し錆びついているのか多少重く鳴く扉を開けながらその声色たちは荷物の間を抜ける様にして室内へと入って来た。
「それにしても所長、よくこんなところに倉庫があるなんて知ってましたね」
「自分の統括する施設を把握しているなんて基本中の基本以前の問題だ。自分の知らないところに隠し通路があってそこから侵入者を招き入れたなんてことがあったら手におえん。勝手知ったる我が家が戦場になるなんて笑い話にもならんわ」
「それにしては随分とリアリティが籠ってますね。もしかして経験談だったりして」
「ノーコメントだ」
電気をつけると天井につるされていた蛍光灯が光り、辺りを照らし始めた。
「随分と埃っぽいですね。それにやっぱり匂いはそれなりにありますね」
「衛生的には問題は無いのだがやはりこうも埃が積もっているのは精神的に気持ち良いものでは無いな」
男はそう言いながらあたりを見回し、そして部屋の奥の方へと視線を向けた。
「片付けようにも人手は足りん、それに他に優先事項が多すぎる。なら多少の事には眼を瞑る寛容さが生き抜くコツだ」
そう言って男が手を掛けたのは部屋の奥へとつながる小さな扉だった。誘われるように少女と共に入り込んだのは薄暗い小さな小部屋だった。
「うっ」
少女は少しだけ鼻をつまむ。その姿に男は小さくため息をついた。
「この程度で呻くな、貴様の国にはくさやに納豆だってあるだろうに」
「あれと比べないでください、ちょっと驚いただけです。シュールストレミングぶつけますよ」
「食べ物で遊ぶんじゃない。まったく付いて来たいというからわざわざ」
男はぶつぶつと呟きながら奥の方に置かれた棚の一角へとしゃがみ込んだ。部屋の中を照らす電燈は小さな裸電球のみで。決して光量は足りていない。しかし、男は勝手知ったるというように手の感触だけでそのタンクを探り当てた。
「それですか」
「うむ」
ようやく電球に晒されたそれは青色の大きなポリ容器だった。蓋のつけられたその容器は一抱え程、小さな子供ならば入ってしまいそうなほど。床を引きずる音からすると、それなりに重くもあるらしい。
「まったく、所長はみんなの知らないとこで何やってるんですか、こんなにたくさん。この前のベーコン然り、カレー然り」
暗い部屋ではあるもののよく見れば辺りには似たようなタンクがいくつか並んでいる。よく見ればその一つには小さく日付が記されていた。
「いくら人類の危機だからと言って趣味が出来る環境と技術と時間があるのならば何か問題があるのかね。それにもともと自由時間にやってたものをこうして提供してるんだから感謝しなさい」
そう言って男が空けた蓋、そしてその中に入れられていた重しを除き、大きく縛ったビニール袋を開くと少し酸っぱい様な辛い様な匂いが漂ってきた。脇に置かれた蓋の端に張られた白いシールに黒い文字で書かれていた、キムチ。
「ホームズも大変だった北欧で白菜仕入れて、死にかけていたシンでトウガラシ見つけたからって何やってるんですか」
「それが今役に立っているのだから文句を言われる筋合いはない」
小部屋の外、少し汚れた扉には真新しい看板が掛けられていた。
『醗酵室』
「たくあんに奈良漬けにラッキョウ、ピクルス、シャンツァイ。うわ、そうかこの前のカレーの時の福神漬もここからきてたのか」
「赤い守護者がどうしてもというので卸してやったがまだあれも完成品ではない。まだカレーも完成してはいなかったというのに嗅ぎつけおって」
そう言いながらゴルドルフはポリ容器を立香の持って来た荷台に乗せた。いつもよりお替りの多かったために追加の材料を取りに来ていたのだ。
「さて、時間を食っている暇などない、さっさと戻るぞ」
時計を確認すれば既に厨房を出てから十分、急いで部屋を出て行く。元のカルデア程では無いものの最近は所属の英霊も増えてきており、それはつまり昼の食堂が戦場となる事を意味していた。
「まったく、大英雄なら少し位食事を我慢してくれたっていいだろうに」
「むしろ大英雄だからこそそう言うところに貪欲なのでは」
小走りになりながら宥める立香に、少しだけ息を弾ませながらゴルドルフは苦渋の表情を浮かべていた。
「それにしてもなんでこんな遠いところにわざわざ醗酵室を作ったんですか」
「ボイラー室や、工房や、指令室といった、人の出入りや、気温の、変わりやすい、ところではなく、温度、湿度の、安定した、場所が、あそこだったのだ。それに」
「それに」
「近ければどこぞの吞兵衛どもがまた酒のつまみにするだろうがっ」
「あぁ、確かに」
立香の苦笑いとゴルドルフの苦渋に満ちた顔が、既に似たような事件があったことを物語っていた。
「今は、緊急事態、だから、教えたけど、ほんと、黙ってなさいよ、部屋の場所。一気に、なくなるん、だから」
「じゃあ、代わりに納豆作ってくださいよ、納豆。日本人くらいしか食べませんし、酒のあてにはなりませんし、久しぶりに食べたい」
「乳酸醗酵室に納豆菌をかえって、爆弾発言だぞっ、それっ」
そんな雑談をしながらたどり着いた厨房では既にキッチンメンバーによって山となったキャベツと豚肉、そして多くのフライパンが用意されていた。
「遅いぞ、何やっていたっ」
「十五分、くらい、待てというに」
「所長は…、ちょっと休んでた方がいいね。立香ちゃん、ちょっと手伝ってくれる」
「はいっ、ってこわっ。皆睨み過ぎじゃない」
食堂の中では昼食を待った英霊たちが大人しく、しかし剣呑な雰囲気を漂わせていた。
「手を出さず、大人しくしているのが逆に怖いんですけど」
「補給線の大切さは皆知ってるからね。それに所長のキムチがおいしいってのもあるんだけどね。それでも後五分遅かったらこの辺りは消し飛んでたかもね、あはは」
「ブーディカさん、洒落になってないです」
ご飯をよそい始めた立香の少し隣。
「トレース・オン」
その声と共に目にも止まらぬ速さで炒められていく豚肉、キャベツ、そしてキムチ。フライパンの中で肉の油とそしてキャベツの甘さと絡み合いそして少し柔らかく、トウガラシによって橙に染まった油が全てを包み込むようにまとわりつき、宝石のように光を放った。そして
「豚キムチ定食、一丁、上りっ」
「お替りです」
その声に最も早く、そして列を蹴散らしてたどり着いたのは誉れ高き騎士の王だった。
その一声がのろしとなった。
第二次豚キムチ大戦の勃発である。
今ではその英霊たちの悲劇を語るものは誰もいない。しかし、食堂に掲げられた
『暴れない』
『追い越さない』
『豚キムチ』
その三つの所長命令が今日も確かに食堂を見守っているのだった。
おいしいよね豚キムチ
誤字訂正を行いました
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