ゴッフ料理長の厨房   作:廓然大公

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またしても続きました


ソラ色のコロッケ

 遠くから時折聞こえるのは甲高い笛の音色だった。

 

 リズムを刻むように流れてくる笛の音と共に漂ってくるのは乾いた砂埃の匂い。巻き上げられたような微かな張りつく様な乾いた匂い。見上げれば雲一つない青が広がっている。探せば光源は既に僅かに西に傾き、時刻にすれば午後一時少し前といったところ。気温は二十度ほどだろうか、動かなければ少しだけ肌寒いものの、降り注ぐ光が十二分に補ってくれている。乾いた空気はすぐにその湿気を吸い取っていく。いうなれば運動に適した環境。

そして

 

「ちょっと、っちょっとって、休憩っ」

「はい、弱音を吐いたからあと百週追加で」

「鬼かっ、貴様はっ。アトラスの魔術師だからって好き勝手にできると思うなよっ。この事態が収束したら弁護団を組んで正式に民事で訴えてやるからなっ」

「それだけ喋れるんならあと二百周追加で」

「ひぃっ」 

 

明るい光はそんな水はけのよいグラウンドと笑う眼鏡の女と、そして小太りの男を照らしていた。

 

 

 

「予想通り予定の半分のスケジュールもこなせてナイですね」

「いきなり、言われて、できると、おもうか」

「思ってるわけナイじゃないですか。まぁ予想通りでしたので特に驚きもナイですけど」

「じゃあ、もっと、まともなメニュー、考えなさい、よ」

「最初だし、パンチ強いのは常套手段ですよ。一撃必殺ってね」

「魔術師がそんな冗談言うんじゃないよ。まったく、殺す気じゃないか」

「殺しても死なないくらいにならないとこのあとやっていけないでしょ」

「否定はせんがそれとこれとは問題がちがう」

 

良く晴れた空の下、ゴルドルフが倒れ込んだのはグラウンドの端に植えられた木陰だった。ノウムカルデアに設置されたシミュレーター。訓練や精神衛生の保全にも使われるそのシミュレーターが投影していたのは小さなグラウンドとそれを囲むように茂った山林の情景だった。青々とした木々とその緑に覆われた連なる山々。他の生物や人間などは存在しないもののエネミーを設定すれば戦闘訓練として十分実用に足るものである。

 そして今回、投影されたグラウンドは肉体訓練に使われているらしかった。

 

「それにしてもさすが彷徨海といったところか、時計塔にもこのレベルの投影装置はあるまい」

「確かに時計塔と比べれば科学とない混ぜになっている分進んでるのかもしれませんけど、正直言ってこの程度の規模は元のカルデアの三分の一もナイのです。元より時間も無ければ人手も私とキャプテンしかいませんでしたしね」

「じゃあこのシミュレーターの基本設計は一人で設計したというのか」

「もちろん、アトラス院でも最高の錬金術師とも名乗っている私ですからそんなことは朝飯前です。天才ですから」

 

胸を張るシオンにゴルドルフは少しだけ眉を顰めながらようやく地面から起き上がり木陰に腰かけた。

 

「自分で言うところが自信家というか厚かましいというか」

「とはいえさすがに稀代の天才の一人ではありますけど、カルデアのスタッフもえりすぐりのエキスパートですから彼らが来て手直ししてくれたことでようやく使えるまで仕上がったわけです」

 

 空を見上げるシオンにつられるようにゴルドルフも視線を上げる。そこには良く見慣れた青色が広がっていた。辺りには気流に揺れそよぐ草本たちと木々の少し鼻を衝く様な匂い。異界の海に浮かぶ岩塊のようは彷徨海では決して見られぬはずの風景は確かにそこの存在していた。

 

「スペックとしては聞いてはいるものの体感してみると段違いだな」

「カッコいいこと言っているつもりかもしれませんけど息も絶え絶えのその姿では些か迫力に欠けますよ」

「前々から思ってたんだけどキミ所長への敬意ってものは無いのかね」

 

彼は肉体的に、そして精神的にダメージを追ったよう少し仰け反り、その姿にシオンは人懐っこい笑顔を浮かべた。その表情に彼はまた大きくため息をつく。

 

「それに鉄人レースを完走したことがあるとはいえ、ブランクもあるというのに、ハードワークは最も忌避すべき人災だぞ」

「ちゃんとそのあたりは考慮済みですよ。それに所長も少しばかり緩み過ぎじゃないですか。カルデア買収に忙しかったとはいえ、暴飲暴食しすぎたような状況…ってそうでしたね。コヤンスカヤに唆されてたんでしたっけ」

「私の前で、その名前を出すんじゃないっ。本当に人の純情を弄びおって。人の心がないんじゃないかっ」

「まぁ、妖怪に人の心があるかどうかは分かりませんけど」

 

シオンから手渡されたドリンク受け取りながらゴルドルフは自分の体を顧みた。

 

「確かに、ここまで体力が落ちているとはな、久しぶりに鍛え直さねばならんかもしれんな」

「あら意外、運動とかお嫌いかと思ってましたけど。バイクが趣味なんでしたっけ」

「馬鹿者、モータースポーツなら肉体のコンディションがどうでもいいとか思ってるとは素人目にもほどがあるぞ。体重1キロの増減だけでサスペンションの挙動もトップスピードまでの時間もカーブのタイミングも変わってくるのだ。そのために自分の肉体を維持し、それに見合うようにチューンした車体を一体化させなければならんのだ」

「魔術師というよりただのバイクオタクじゃないですか」

「うるさい」

 

ゴルドルフはそう言うと木の根元、ブルーシートの上に置かれていた包みへと手を伸ばした。大きな風呂敷のむすびを解くと現れたのは六段にも重なったお重が現れる。一段が通常よりも大きなお重、それは明らかに二人で食べきるような量ではない。

 

「立香、お昼ご飯にしますよ」

『ひゃっほぉう、メシだぁっ』

 

シオンの連絡に通信機と遠くの山の方から雄たけびのような音が聞こえてきた。

 

「あのあたりからなら後十分くらいかかるでしょうね」

「あの小娘は一体あと何回私に慎みを持て、と言わせるつもりなのだ」

「生まれっぱなしの子供みたい」

「みたいというよりそのものだ。服は片付けない、だらしない格好でうろつく、いつもどこかしら髪が跳ねている、ピーマンを残そうとする。まったくカルデアは幼稚園か」

「今日のレオニダスブートキャンプもお弁当が久しぶりの出張閻魔亭の紅女将のお手製って聞いてやる気出してたみたいですけどね」

「あんなのに一度世界は救われたというのか」

「二度までも救われようとしている現状ですけどね」

 

ゴルドルフは苦渋に満ちた顔で水筒から水をぐびりと流し込むと丁寧にではあるもののお重を開けていった。

 

「先に食べたら立香は怒るんじゃナイですか」

「まだ食べはしない。それに集合時刻に遅れたのはあっちの方だ。怒られる義理は無い」

 

開いて行くお重の中には小さく、しかし柔らかく握られたおにぎりやあっさりとした煮物、力をくれる様な焼き物といった懐石料理のような弁当が詰まっていた。

 

「それにしても紅女将といいキャットといい獣であっても毛の一本も残さずにこのおにぎりを握るってすごい技術ですね」

「当然のことだ、それが出来なければキッチンに入る事すら私は許さん」

 

お重を広げ終わった彼はそのまま再び風呂敷のあたり、荷物のボックスを取り出した。

 

「しかし、日本食の弁当という文化は評価するが些かヘルシーすぎるんじゃないか。運動した後なのだからもっと食べないといかんだろうに」

「そんなこと言ってたらまた太っても知らナイですよ」

 

そんな時だった。軽口を言いながら突然の呼び出し音と共につながった通信からは叫ぶような唸りが聞こえてきた

 

『マゥァスタァァーッ、お、おち、落ち着いてください。私の計算によればこの道を左に行けば元来た道に戻れるはずですっ』

『さっきもそう言って戻って来たじゃん、やばい、分からん、帰りのために来た道に落としてきた落ち葉も自然に帰ってしまって見分けがつかない、どうしよう、どうしよう、お弁当がっ。うっ、おなか、へっ、た。がくっ』

『マァスター』

「何をやっとるんだあの阿呆たちは」

「迎えに来いってことでしょうかね」

「まったく、世話の焼ける」

 

直線距離で二百メートル、山道でも歩けば十五分ほどだろうか。通信機がなくても聞こえる彼らの救援要請に彼は明らかに顔に倦怠の様子を滲ませながらものそりと立ち上がると怒り肩で森の中へと入って行った。

 

「あなたも大概ですけどね」

 

 

見上げた空は十二分に青く染まっている。自然のように見える。いいや自然の用に見せようとしている。誰が見ても自然な投影とみえる。しかし設計者だからこそごまかした部分、妥協した部分が嫌に目に映る。

あくまでもシミュレート

どこまで行っても人工物。

漂白化した未来を知った時 時間がナイ

アトラス院から彷徨海へ来た時 知識がナイ

ノウムカルデアを建設し始めた時 確証がナイ

ナイナイづくしで始まった第二の世界の危機。

それでも、と抗ってきた日々

 

「人のことは言えナイか」

 

小さい音がした。

振り返れば先ほどゴルドルフが何やら取り出していたボックスの箱が気流にあおられて転がってしまったようだった。重箱ほどは無いもののそれでも両手で持つほどには大きなその箱に触れると微かに暖かい。保温の魔術が込められているらしい。今日の献立にはそのような別の荷物があるとは聞いていない。つまりこのボックスはゴルドルフが用意したものであるらしかった。

小さな金具を外し、蓋を開ける。

 

「クロケットかな」

 

それは日本ではコロッケとも呼ばれるこぶし大の揚げ物が詰められていた。何かしらの魔術でもかけてあるのか表面の油が衣に染み込んでいる様子は無く、揚げたてのまま時が止まっているようにも見えた。さして難しいものでは無く、彼が作るものにしては調理難易度も低いだろう。ノウムカルデアシミュレーターよりも設営を急がせた館内農場で育てたらしいジャガイモと玉ねぎ。それを潰して、丸めてそして衣を付けて揚げる。簡単な分、箱の中に見た目よりも山のような量のコロッケが詰められている。これも又一人で食べるような量ではない。確かに紅閻魔の弁当には入っていない揚げ物は食べ盛りにはちょうどいいだろう。

 

「とことんキャンプ向きの魔術師なことで」

 

山のようなコロッケに一つ手を伸ばした。律儀に用意されていた包装紙で一つ包みながら口へと運ぶ。そして感じたのは鼻に抜ける様な苦みだった。

断面を見ればそこには予想していた芋の黄色ではなく。見慣れた黄緑色があらわれていた。その正体はソラマメとクミンを中心としたスパイスから作られたコロッケ、ターメイヤ。

エジプトのコロッケ。

 

「本物はこんなんじゃないってば」

 

 

青い空と柔らかな風の中で少女は微笑んだ。

 

 

遠くからは彼らのやかましい声が近づいてきていた。

 




ゴッフ所長の肉屋感

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