ゴッフ料理長の厨房   作:廓然大公

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With

 夕食の終わった食堂、すでに片付けもそして清掃まで終わった食堂はすでに火は落とされほとんどの明かりも消されている。そんな厨房の一角、拭きあげられた調理台の前、いつもならば食材たちが載せられているステンレスの調理台の前、三足の簡素な椅子に腰かけながら台の上に広げられた目の前の紙へと向かう。明かりは棚に取り付けられた小さな蛍光灯だけ。必要最低限のその光はくるりと回り続ける鉛筆と端に置かれたタブレット、そして脇にいくつか積まれている厚い辞典のみを照らしている。冷たいステンレスの調理台もいつの間にやら蛍光灯の熱が移ったのか、腕から伝わった体温のせいか少しぬるく、しかし依然として紙の上にはインクが乗ることはなく白く綺麗なままだった。

 

「やっぱりエミヤ君に頼むべきだったかなぁ」

 

白い紙の一番上、ほとんど白い紙の上に唯一書かれている『今週の献立』、その文字だけが光を吸い込み少しだけ熱くなっていた。

 ブーディカの小さなため息が暗い厨房に溶けていった。

 

 

 

 

 第三異聞帯より帰ってきて早数か月、司令部ではシャドウボーダーの改装のためインド異聞帯への進出が決定し、そのための準備に追われている。それぞれの異聞帯がどれほどの成長を遂げているか、時間がたつごとにどれほどの脅威が増して行くのか、その答えは未知数で、汎人類史側の自分たちにとって早急に異聞帯を打ち落とすことが急務となる。そのために夜中遅くまで作業するものも少なくはない。このノウムカルデアでは以前のフィニスカルデアよりもその人員は少ない。ある程度は落ち着いてきたもののノウムカルデアとなり最初に呼ばれたうちの一人としてその苛烈さは人理修復よりも苛烈だったとそう応えてしまうほどに。

そうしなければ折れてしまうほどに。

そうしなければ動けなくなってしまうほどに。

そうしなければ。

 

 

 

 

「こんな時間になにをやっている。消灯時間はとうに過ぎているぞ」

 

不意に背後から聞こえたその声に振り向くと予想通りパジャマ姿にナイトキャップを被ったゴルドルフの姿があった。

 

「む、あなたがこんな時間に規則違反とは珍しい」

 

彼は小さなライト片手に厨房へと入ってくるとその白い紙に気づいたらしかった。

 

「あなたならばすぐに書いてしまえるものと思っていたのだが」

「そうでもないわよ。もとよりこれでも王女なのよ。それなりに子供たちにもご飯は作っててもそんなにひと様に作れるようなものを作ってたわけでもないからね」

「それにしては十二分に腕を振るっているようだが」

 

彼は摘まれていた辞典をめくりながら不思議そうに尋ねた。

 

「自分で作ろうとすればそれこそ子供たちの好きな料理とか野戦のための簡素なものとか偏っちゃうからさ、こういうちゃんと栄養学っていうのかな、そういうちゃんとした教育を受けたようなバランスの取れた献立って難しくってね」

 

栄養学を中心とした食事のための辞典がそこには積まれている。本自体は比較的新しいもののそのくたびれ具合を見れば短期間で使い込んだことが目に見えていた。

 

「いままではある程度食材もいろいろと使えたけど、こっちだと制限もあってその中で献立を立てなくちゃいけないからちょっと難しくてね」

 

少し苦笑しながらタブレットを開くと計算機のアプリが開いていた。

 

「エミヤ君がカロリー計算とか簡単だからってくれたんだけどやっぱり機械ってむつかしくて使いこなせてないの。ないしょだよ」

 

端に置かれた雑記帳にはいくつかのメニュー候補と計算と、そしてうまくいかなかったのかそれを消す車線が引かれていた。

 

「確かに家庭の食事ならよいのだろうが非常事態だからな。職員たちの健康にも気をつけねばならないからな。生活習慣病で倒れられでもしたら溜ったものじゃないからな」

「それは一番所長さんが気をつけなきゃいけないんじゃないかな」

 

その言葉に図星を突かれたように眉をひそめるも理解しているのか否定はしなかった。

 

「これまではどうしてきたのだ。献立の担当が初めてでもあるまいに」

 

代わりというように小さな嫌味を混ぜた悪意のない言葉。

頭に浮かぶのはヒマワリのように笑う一人の友人の姿。

計算機にすら手間取っていた自分に声をかけて、そして献立の相談からカロリー計算まで手伝ってくれた料理上手な新しく出来た友人を。

ミステリー小説と自転車と、そして郷里に恋人を残してきた彼女。彼はアレルギーと趣味とそして好き嫌いが多い人なのだ、と嬉しそうに、寂しそうに笑っていた友人の言葉を。

そして今のこのカルデアにはいない友人の姿を。

 

「ごまかし、ごまかしやってきたけどついに万策尽きたって感じかな。エミヤ君とか紅ちゃんとかはちゃんとそのあたり勉強してそうだけど、私はやっぱり素人だからちょっと荷が重いなぁって。キャットは、まぁキャットだから」

「確かに、料理で英霊になったわけでもあるまいし、そのあたりで苦労を掛けているとは。対策を考えるべきか」

 

真剣になまなざしで考え始めた彼に少し意地悪をしすぎたかと少し罪悪感が沸く。小さな撃鉄が鳴りゆっくりと血に似たなにががこぼれ始めた。

 

「冗談よ冗談。ブリタニアのごはんって言っても香辛料も無いし、あんまり土地が豊かなわけでもないからさ。それにカルデアには他のとこの人もいっぱいいるからいろいろと勉強しないといけないじゃない。まぁエミヤ君とか紅ちゃんとかいるからちょうどいい機会でもあるしね」

「ならばよいのだが」

 

少し困ったような、依然として納得はしていないような善良な彼は小さく何か考えたように顎に手を当て考え始めた。小さく聞こえる単語から察するに、カルデア内農場のさらなる拡張を考えているらしい。

 

 

 

ゴルドルフ・ムジーク

カルデアの新所長となった男。

クリプターと異星の神による襲撃の切り口を作った男。

友人と、仲間たちと、そしてあの子たちの居場所を奪った男。

あのローマと同じ私の家族を奪った男。

胸の奥が小さく焦がれる。

黒く落ち

無音が叫ぶ

怨讐にも似た吐息が灰の中にたまり始める。

タールのように不快で

泥のようにつかみどころのない

涙のようなその痛み。

忘れることのできない

忘れてはいけない存在

今ここで彼の首を取れば

その鼓動を止めてしまうことなど造作もない

他の英霊の姿はなく

かの魔術師の技能は英霊には及ばない。

指揮官ではあっても戦士ではない、しかし英霊にとっては些末なことだった。

ならば。

 

 

 

 

小さい音がした。

 

「あっ」

「ちょっとした差し入れだ。残業は褒められたものではないが。たまにはな」

 

香るのは柔らかなそして綻ぶようなその温かさだった。

 

「ブリテンといえば紅茶というのはあなたからはずっと後のことだろうがな」

 

彼女の目の前におかれたのは綺麗な香色をしたミルクティー。彼はそういって自分の分へと小さく口をつける。その味に少し満足したように首を振った。

 

「どうした、飲まないのか」

「えっ、いや、ああ、うん、ありがとう」

 

温まったカップを両手で包むように持つ。自分の知らない、しかし、自分の国の味。

ゆっくりと一口飲みこんでいく。

濃く柔らかい。

口の中いっぱいの香りが鼻へと抜けていく。

野原のような撫でるような香り

そして舌に触れるのは小さな甘味。

干した麦のような少し焦がしたようなあたたかさだった。

ゆっくりと体の中を流れていく。

確かな温かさだった。

 

「ミルクティーていうんだっけ。それにしてはいつもより濃いのね」

「普通のミルクティーはお湯で煮出した紅茶に牛乳を加えるのだがこれは違う」

 

彼は立ち上がると背後にあるまだ小さなミルクパンを見せた。

 

「少量のお湯で紅茶を開かせた後に牛乳で煮出すのだ」

 

小鍋の中にはきれいに色づいたミルクティーと浮かぶ茶葉が残っている。

 

「小さな手間だがそれを行うことでより薫り高くまろやかな味となる。英語でいうならシチュードティーなのだがあの娘のように日本語でいうならロイヤルミルクティーともいう」

 

ちょうどよいだろう、と少し自慢げな彼の表情に少し笑てしまった。

 

「どうだ」

「とてもおいしいよ」

「おほめに預かり理恐悦至極」

 

その滑らかな甘さにため息にも似た吐息が出た。

彼ではない。

騙され、図られ、そして捨てられた。

戦いを楽しむものでも無く、

占領を尊ぶものでも無く

そして簒奪を誇るものでもない。

ただ家族とともにお茶を楽しむ

それだけで構わない。

この暖かさをくれた彼はそうであってほしい

ただそう思った。

 

 

「そうか」

「どうかしたか」

「いいや、前に紅茶について教えてもらった時のことを思い出していただけ」

 

彼女は言っていた。

 

『この紅茶が文化になっていった歴史だって決して正しい歴史とは言えないものよ。でもね。少なくとも今こうしてあなたとお茶を片手に献立を考えながらおしゃべりしている。その幸福だけは間違ってはいないとそう思うわけ。歴史なんてそんなものよ。あれ、今私いい感じのこと言ったでしょう、どうよ』

 

「この甘みも実は普通の上白糖ではなく実は黒糖を使っているのだ。確かに滑らかさでいえば上白糖のほうが良いのだろうがロイヤルミルクティーには十分滑らかさがあるからな。その分アクセントとして黒糖の雑多さが合うと思うのだよ、いかがかな」

 

「ふふっ」

 

髭に白く紅茶のついた彼を見て少し笑ってしまう。少し得意げなその姿が似ているような似ていないような気がした。

 

「ねぇ所長さん」

「なんだね」

「栄養学とかカロリー計算とか分かる」

「そんなものは料理人として初歩で土台でもあるからな、できん奴はまだ半人前だ」

「じゃあそんな半人前からお願いがあるんだけど」

 

自分の失言に気が付いたのか少しおどおどした彼に問いかけた。

 

「献立考えるの手伝ってくれない。私いつも献立は友達と考えることにしているの」

 

その言葉に彼は少し驚いたように目を丸くし、そしてゆっくりと席を立った。

 

「献立を考えるのにお茶一杯というのは寂しいからな」

 

彼は小さなクラッカーを取り出しながら問いかけてきた。

 

「お茶の御代わりは、女王陛下」

「喜んで」




何か書きたくなったので書きました
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