第11話の「偽アンケート騒動」で出会い、更には第13話冒頭で気まずい再会をしたアルトと刹那の関係改善について捏造した IF 物で、健全。気を回すのが2人の周辺になる為、貧乏くじさんと世話焼きさんの物語でもあります。歌と文化を横糸に持って来ましたが、毛色は敢えて変えました。前半と後半で登場人物がかなり入れ替わる中、刹那は後半部での登場となります。今回も「 ZEXIS讃歌 」。

(2011年9月2日~9月9日 前後編に分けpixivに投稿)

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SS 『役者がいっぱい』

 アルトが、さりげなく目線で刹那を追っている。

 クロウがそれを目撃した時、ロックオンとデュオも同じ事に気がついた。理由に心当たりのある者は僅かだが、逆を言うならば、その僅かな人間の中には一つだけ共通項がある。

 そう。アイランド1でクロウ達が行った「街頭アンケート」の一件。必要に迫られて行ったあの行為が、アルトの神経を逆撫でしてしまったらしいのだ。

 時空震動でこの世界に引き込まれたフロンティア船団への潜入行動。その為にソレスタルビーイングの戦術予報士スメラギが選抜したメンバーは、刹那、ロックオン、デュオ、ヒイロ、そしてクロウの5人だった。社交性をも加味し選ばれた人間としてロックオンやデュオ、クロウが入っている事に、アルトも納得はしたのだろう。ただ、学生役を演じた刹那の普段を後から知り彼のプライドが更に傷ついたと考えれば、刹那に向けられた一瞬の視線に棘があるのも道理かもしれない。

 早乙女アルトは、生まれながらの役者である。歌舞伎の名門早乙女家の長男として生まれ、舞台を踏みながら育ってきた。演技の奥深さ、本番の恐ろしさを誰よりもよく知っているとの自負を持った彼が、何故にSMSへと加入し戦闘機乗りとして己を完成させようとしているかなど、クロウ達は知る由もない。

 そのアルトを、船団内での意識調査を目的としたクロウ達が騙し、講師に生徒だと名乗りながら彼を説得しアンケートに協力させてしまった。当然クロウ達としても、アンケートの回答者と再び対面する可能性は限りなくゼロに近いとさえ思っていたのだから、その回答者が戦力として加わった時の気まずさは並ではない。最初に女性と間違われた事で感情が高ぶった為もあるのだろう。青山達から聞いた話では、アルトはあの日随分と不機嫌なままだったらしい。

 アルトを追い、結果として偽装街頭アンケートの場に遭遇したミシェルにも、一応思うところはあったようだ。しかしミシェルの場合、元々の淡泊な性格に加え、スナイパーとして個人的に関心を寄せているロックオンの存在が勝った為、許される事も早かった。

 素人演技に騙された。それはアルトの中で未だ消化されないダメージとして、今も時折彼の中で小さな嵐を巻き起こす。刹那ばかりでなく、クロウやロックオン、デュオも、刹那程への頻度ではないが静かに監視される事があった。

 特に、クロウが金以外の話をしていると、その観察眼に捕捉されてしまう事がある。何もかもを見定めようとする視線、そして判じてやろうという冷たい目線は送られて楽しいものではなかった。

 わかってはいるのだ、クロウも。それが、訳ありな素人の挙動から何かを学び取ろうとする役者の無意識な学習ではあると。無意識。そう、無意識だからこそ質が悪い。

 そもそも刹那やクロウ達は、あらゆる意味で探られる事をよいとしない人種に属している。しかも、最前線に耐えうるパイロットとして、刃先のように研ぎ澄まされた空間認識力を操り、敵の軌道を予測しつつ攻撃と防御に使用している。これもまた、無意識領域の世界だ。

 ボール数個分の距離や、一瞬の瞬きを正確に読み行われる援護攻撃や防御。トップクラスのパイロットの無意識領域にほんの僅かな狂いを生じさせるものが、もしそういった僅かな警戒感から来るのだとしたら、同じ部隊の人間として恐ろしも悲しくもなるのは当然だろう。背を預けるべき仲間が信じられない事と、意味が同じだからだ。

 早急に何とかした方がいい。状況を的確に読み動き始めるのは、自然とアイランド1に潜入したメンバーになる。他ならぬ刹那自身には一切動く意志がないだけに、気をもむのが周囲にいる者達になるのは、お定まりというものだ。

 龍牙島に集められた戦力が合流して数日経った後、誰からともなくクロウ、ロックオン、デュオの3人が集まった。ソレスタルビーイングに用意されたエリアにデュオを招き、敢えて通路という場所で3人はメンバーの顔ぶれを確認する。

「ヒイロは?」

 童顔の少年工作員に尋ねたクロウは、「まっさか」と両手を動かす彼に納得させられる。さもありなん。この件を問題視している顔ぶれの中に、任務至上主義のヒイロが入ろう筈もない。

「俺としてはこういう面倒事は特に苦手なんだが、毎日毎日こうちくちく痛いとお守り役としては放ってもおけないだろ」

 本音と集まりたかった動機を同時に吐き出してから、クロウはやはりと思った。ロックオンとデュオにしても、腹の底に抱えていたものは全く同じ悩みだったようだ。

「そんなに役者でいたいのなら、メサイアになんぞ乗ってなけりゃいいのにな。…って事で済む程、どこの世界も単純じゃないか」

「ああ」クロウも、デュオには同意だった。「バジュラなんて怪物を見た後じゃ、俺達としても滅多な事は言いにくい。乗る気のある奴ぁ戦って欲しいってのが、あの船団の本心だろうしな。攻撃を受けて地上に大穴が開くのと船底に大穴が開くのとでは、訳が違う。あいつは、戦力として期待視されている人間の筈なんだ」

「なら、あいつ自身も切り替えて俺達に合流して欲しいぜ。軍人に素人はあり得ねぇ。それこそ、学芸会から興行までごっちゃな演技の世界じゃあるまいし。…ま、よっぽど刹那に…、いや、俺達に担がれた自分自身が許せないんだろう」

 困惑ぎみながらも、ロックオンがアルトの心中を察してやる。その表情には、他小隊に属するパイロットの内面さえ細やかに察してやれる余裕が滲み出ていた。なるほどガンダムマイスターのリーダー格は、目端が利く。

「許せない、ねぇ。なら、何で俺達まで時々睨まれてんだ?」

 首を傾げるデュオに、「そりゃあ、俺達の演技も真に迫っていたからさ」と笑いながらクロウが胸を張る。

「そいつぁねぇだろ」同じく笑いながらさっくりと否定するロックオンが、「ただ」と付け加え頭を掻いた。「俺達は、あの時本気でアルトを騙すつもりでいた。アンケートと称した意識調査の背景に切羽詰まったものがあったのは事実だし、手ぶらでは帰れなかったのも事実だ。こちとら不法侵入までやらかしたんだしな。学生云々の設定はともかくとして、アルトがその空気に飲まれるのも仕方なかったと俺は思ってる。事実を含むってのは、演技であって演技じゃない。説得力はあったんだろう」

「しっかしなぁ」ややげんなりと肩を落とし、クロウはアルトの眼差しを思い出す。「勉強熱心なのは構わないが、ああも露骨に厳しい目で観察されてると、痛くもない腹を探られてるようで流石にいい気はしねぇな」

「お前のへらへらの下には、何か別の顔でもあるのか?」

 突然切り込んでくるロックオンに、クロウは慌ててかぶりをふった。

「それなりの過去はあるが、別の顔なんてものは隠しちゃいない。誓ってもいい」

「金の神にか?」

 右手の親指と人差し指で輪を作り、デュオがクロウにずいと迫る。

「いや。…どちらかというと、疫病神とか貧乏神の類に」

 しれっと答えるクロウの反応に、デュオとロックオンが揃って手首を返し、一度だけクロウを払う仕種をした。

「かーっ! そんなしけた神様に誓われても、誓いの有り難みなんか湧かないっての」

「部隊が大きくなった時に、よくそんな縁起でもない話ができるな」

「相変わらずボロクソだな、お前ら」

 部隊の充実についてロックオンが触れたので、クロウも自分達に転機が訪れている事を改めて思い出す。ポートマン。彼の人物の登場によって、突然流れが変わり始めたのは、ついこの前の事だ。

 今、ポートマンを名乗る謎の仲介者によって、国家に所属しない戦力が集められつつある。元々国連の名の下で活動していたコスモクラッシャー隊や21世紀警備保障、竹尾ゼネラルカンパニーといった組織の他に、マジンガーZを操る兜甲児、ゲッターチーム、異次元からの来訪者であるフロンティア船団所属の民間軍事会社SMS、更には暗黒大陸からガンメンという機体と共に合流した人々、ソレスタルビーイングやドラゴンズハイヴ、黒の騎士団などの非合法武装組織までが、国連の平和維持理事会預かりとなった。力を持つに至った動機や背景も様々な者達が、エルガン・ローディック代表という共通の上司を得、一つの組織として纏められたのである。

 その名も『ZEXIS』。いつ解体するかとの不安を拭いきれなかった非合法組織の寄り合い所帯から一転、組織名と所属まで与えられ、人類レベルの問題・紛争解決の為に持っている力を戦いの中で行使する事を求められる立場になった。スコート・ラボと契約しているフリーランスのクロウもまた、龍牙島に滞在しているパイロットやバックアップ・スタッフと同様、ZEXIS所属という身分も与えられている。

 それでも気軽なフリーランス気分が未だに抜けず、今もデュオとロックオンに窘められた。2人がアルトと刹那への気遣いに動き始めた事は、実はこの一元化とも密接な関わりがあるのだ。

 今の2人には、巨大ビル数棟分にも相当するドラゴンズハイヴの基地が次第に賑やかになってゆく様に多少なりとも戸惑いがある。小学生パイロットや学生パイロットにサラリーマン戦士、決して仮面を外さないレジスタンスの指揮官、ギシン星生まれという過去を持つ地球育ちの超能力者、小型化と大型化の間を行き来する女性異星人…。皆、活動開始直後では決して共闘の視野に入っていなかった者達ばかりだ。寝食を共にする中でそれとなく相手を観察する事はできるが、彼等と過ごすうち、本来の目的にのみ割いていた時間が次第に減って行く現実にふと気づいて息が止まる。

 ソレスタルビーイングにも、コロニー解放を唱うデュオ達にも、絶対に譲れない一線の上に、なるべくなら譲りたくないという一線がある。今は自身の決断とエルガン代表を信じるしかないと考え、仲間達とエルガンにそこへ侵入される事をよしとしているにすぎないのだ。

 アルトだけではなく、所属する本人達が『ZEXIS』の誕生、つまりは突然突きつけられた大勢の「新しい仲間」を受け止めきれずにいた。流れから見れば敵対していてもおかしくはなかった者も含まれているだけに、ぎこちなさは未だ全員を組織ではなく寄せ集めという体裁に留めてしまっている。

 刹那を含めた自分達とアルトの距離感など、更に不安要素まで上乗せしているに等しい。結果として、当時のアイランド1侵入者ばかりがそういった意味でも気を揉む羽目になった。確かに、以前ならば気に留める必要すら感じない些細な感情のやりとりだろう。以前の自分達ならば。

 とはいえ、この部隊を編成された途端、パイロットと部隊の精度が下がるのは誰の特にもなりはしない。『ZEXIS』という体裁をただ利用するだけでいる事は自分の首を絞める事にも繋がると、渋々認め始めたのだ。

 クロウとて、苦楽を共にする時間が長くなってきた者達にはそれなりに思い入れも湧く。

「まぁ、ボロクソ上等。わかっちゃいるさ、一応な。…って、このくらいのコミュニケーションが刹那とアルトの間でもできれば、何の問題も」

「おいおい」ロックオンが、ますます渋い顔をする。「そいつが見込めないから頭が痛いんだろうが。ガンダムしか目に入ってない刹那に、別の小隊所属のパイロットがどういう育ちだったかなんて掠めもしないって」

「ご尤も」

 結局は、どこかで2人に慣れてもらうしかないのでは。クロウがそう諦めかけているところに釘を刺された。

 顎に右手を当て、デュオが目を瞑る。

「何かこう、役者としてのアルトが自信を回復するような。無愛想な刹那も、その時ちょっとアルトを見直したりなんかして。もしそんな流れに持って行ければ、結構いい感じになるんだろうけどな」

「それってつまり…」

「アルトに芝居をさせる、か。しかも刹那の前で」

 クロウの後を、ロックオンが受けた。

 3人全員の考えは同じだ。元役者のアルトに、本物の演技というものをさせる。それが最も無難な解決法になるではないか、と考えたのだ。

 幸い今の時期は、この龍牙島に集結した者達が皆、他のパイロット達にそれとなく関心を示している。SMSの可変戦闘機パイロットであるアルトの芝居に興味を示す者達は他にもいるだろう。今後のZEXISの為にも、観覧客は多いに越した事はない。

「後は、どうやってアルトに芝居の話を持って行くか、なんだが」

 ロックオンが肝心の部分に頭を捻り始めた時、「そいつは難しいと思いますね」との横槍が突然入った。

 クロウ達が声に反応し一斉に通路の一点を見ると、背丈の違う2人の学生が立っている。SMSの制服に袖を通しているミシェルとルカだ。

「アルトにとって役者は、置いてきた過去なんですよ」相変わらずよく見ているという顔をするルカの隣で、ミシェルが単刀直入にクロウ達の希望に自身の感想を述べる。「まぁ、そう思おうとしているだけなのは見え見えなんですが。それでも蒸し返されて芝居の話を鼻先に突きつけらたら、あいつの事だ、絶対猛烈に反発しますよ。ZEXISのみんなにはパイロットとして見てもらいたいという思いも強いでしょうから、そう簡単には運べませんね」

「そこを何とか、と思ったりするんだけど」と、デュオが一応食い下がる。

「ただ、無い事もありませんよ。あいつをやる気にさせる方法は」

 腰に手を当てたやや自信ありげなミシェルのポーズに、クロウ達は気色ばんだ。最もアルトに近い人間が可能性を示唆するのであれば、それはかなりの高確率である事を指す。

「皆さんの事情は理解しているつもりです」

 一拍置いてから、ルカも付け加えた。

 ミシェルが頷く。

「直球じゃダメなんですよ。あいつをその気にさせるには」

「ははーん」

 クロウとロックオン、デュオの3人は、ほぼ同時に含み笑いを拵える。ミシェルの言わんとする事のほとんどを、その間接的な表現で理解したのだ。

 靴音をさせながら眼鏡の位置を直し、ミシェルがクロウ達に近づいて来る。最早遠慮などしないとの決意を込めた音には、共犯に志願する意志がしっかりと込められていた。間違いなくこの企みは、ミシェルの加入無しには成功しないだろう。

 彼の後ろから、かわいらしい目鼻立ちを苦笑いで満たしたルカがちょこちょことついてくる。

「俺達は全員男だからな。それに、今更泣き落としでもしようかって柄でもなし」

 ロックオンが、笑みの挨拶と共にライバルとも言えるスナイパーとその僚友を受け入れると、「ささっ、どうぞ」とデュオが人なつっこそうな表情を浮かべ慇懃に礼までする。

 悪だくみの輪は、更に大きくなった。

 クロウは既に、その先のアイディアに気が回ってしまう。

「で、どう仕掛けるつもりなんだ?」

 その問いに、さも楽しげなミシェルが眼鏡の端を光らせた。切れのある美形だけに、その笑みには凄みが漂う。

「共犯が数人必要なんです。それも、とびっきりの」

「心当たりは?」

 尋ねるロックオンに、ミシェルが即答した。

「ありますよ」

「仕掛けるのは?」と、デュオ。

「すぐにでも。事態が事態ですし。…それに、楽しい事なら早いに越した事はないでしょう」

 

                   * * *

 

 ZEXISとして龍牙島を拠点に活動するようになってからも、クロウ達はA班とB班、二班体制で交代に食事をとり休憩もしている。食後はそれぞれ自由に過ごしつつ出撃に備えているので自室や担当機体に戻る者もいるが、合流を機にかなりのパイロット達が食後も同じ場所に留まる事がより多くなっていた。皆、意識しているのだ。新しい仲間という存在を。

 その日も30人以上のパイロットやバックアップ・スタッフが、何をするでもなく食堂で過ごしていた。強いて言うならば、情報収集用でもあるテレビから流れるニュースを話題の中心にし雑談していると見えなくもない。

 世界情勢や経済情報を見逃さずにいるのがロシウ、ルカ、オズマ、青山、城田、トロワ、隼人、柿小路、ケンジ、ゼロといった面々。積極的に新しい仲間に話しかけているのが、カミナ、ワッ太、木下、ナオト、ミカ、アキラ、甲児、カトル、ミシェル、クラン、カレン、赤木、いぶき、そしてクロウだ。

 そのいずれにも属さず食堂に留まっているのが、シモン、ヨーコ、アルト、デュオ、竜馬、武蔵、扇、玉城、さやか、タケル、キリコ、刹那、ロックオン、アレルヤといった顔ぶれになる。

 刹那が食堂で過ごす時間は、他のパイロット程は長くない。毎日の事なのでそれを把握しているミシェルがまず立ち上がり、食堂の端で銃の手入れを済ませたばかりのヨーコへと近づいた。

「ちょっといいかな?」

 自分と同種のスナイパーが声をかけてきたので、ヨーコの眼差しが鋭い光を放つ。

「いいわよ。SMSの腕利きスナイパーが私に用だなんて、やっぱりこれ、のお誘いなのかしら?」

 「これ」に仕種が加わり、ヨーコが両腕で精密射撃を表現する。

「それもいいけれど」と、相手の提案をそれとなくかわし、ミシェルがヨーコの座っている椅子の背もたれに左手をかけた。ミシェルが横から声をかけるのは、彼が慎重に事を運びたい相手と判断した時なのだという。とても高校生とは思えない度胸と慣れが、そこにはあった。

「今度是非、君と観劇がしたいんだが。お芝居とか好き?」

「オシバイ…? 何それ?」

 とても冗談には聞こえない様子で、ヨーコは不思議そうに頭上にあるミシェルの顔を仰いだ。出るところが出、引っ込んでいるところは大きな落差がつく程に引っ込んでいるヨーコのボディ・ラインが、ミシェルの間近にある。

 予想の範囲内に収まっている回答とはいえ、明らかにスナイピングの話をした時よりもトーン・ダウンしてしまったヨーコの口調が、ミシェルの何かに火をつけた。

「君の世界には、お芝居を見せる場所が近くになかったのかな?」

「そうじゃないんだ」ミシェルの問いに答えたのは、ヨーコではなく少し離れた席に座るシモンだった。「僕達のいた世界には、娯楽なんかほとんどなかったんだ。時々村のみんなでご飯を食べたりするくらいで。穴の外には出られなかったし、勿論入って来る人もいなかった。大声で歌を歌うのも禁止だったんだよ。天井が崩れて村が埋まっちゃうから。ほら、僕らは穴蔵育ちだろ。僕達の歳の子も両親も、穴蔵の中で一生を過ごす事しか知らないで生きてきたんだ」

「それはひどいな」黒の騎士団に所属するレジスタンスの扇が、シモンの話に顔を曇らせる。「俺達の住む日本も治安は最低だし娯楽なんてありはしないが、空を知らない生活ってのは、ちょっと想像できないよ。物音で天井が崩れてくる恐怖が四六時中続くなんて、人権以前の不安要素だからな」

 その話を聞きつけたのだろう。児童体型のクランがふと立ち上がり、ヨーコの隣の椅子に座った。美人の女性を口説いていると見たのか、さりげなく自身の姿もミシェルの視野に入るよう、ヨーコを挟んでミシェルの向かいにちゃっかり収まってしまう。

 しかし、クランの眼差しには強い同情が滲み出ていた。

「かわいそうにな、お前。文化というものを知らないのか」

「悪かったわね、文化的じゃなくて! 生きるのに必死だったのよ。生きる為に、殺されないようにする為に!」

 今ではヨーコも、ゼントラーディ戦士としてのクランの素顔を知っている。それだけに、クランの言葉は大人の感想としてヨーコに突き刺さってしまった。

「すまない。別に馬鹿にしているのではないのだ」謝罪を強調した後、クランの視線が遠くなる。「聞いてくれ。我々ゼントラーディは、プロトカルチャーによって戦闘用に遺伝子操作をされ生まれた種族だ。戦争の為に必要とされ、とても長い間、戦いだけが我々の全てだったのだ。…そう、地球人に出会うまでは」

 ヨーコは無言だった。そして、シモンも。

「第一次星間戦争と呼ばれる不幸な地球人との武力衝突の中で、我々ゼントラーディも地球人が持つ文化というものに触れた。そしてその文化を、我々の中にも取り込む事ができると知ったのだ。それなくして、地球人との融和はあり得なかったのだぞ! お前達は今、戦っている。穴の外に出、この日本という国にも来た。文化を取り込む喜びを知るいい機会ではないか! 文化は良いぞ! ゼントラーディの私が保証する!」

 テレビの音が響く中、クランの声が祈りのようにその場にいる者達を包み込む。心の叫びを放つクランの説得は聞く者の心を捕らえ、いつの間にやらテレビに注目する者は食堂に1人もいなくなっていた。

「クラン…」最早ヨーコも、クランに感情をぶつけようとはしなかった。「文化か。そこにあるテレビならよく観てるけど、あんまり面白くないわね。ニュースばっかりだし、時々スポーツ中継とか流れてるけど」

 その先まで言おうとしたヨーコが、ふと口をつぐんだ。アスリートの体格がリーロンとボビーの男性談義のきっかけになった事を思い出したのだ。

「少なくともこれは、文化的な番組じゃねぇな」

 国際情勢のニュースを指し、竜馬が尤もだと頷く。

「でも、まずテレビからっていうのもどうかと思いますよ」本を静かに閉じ、さやかが軽く首を捻る。「いきなり筋立ての細かいドラマを観ても面白くないですし、連続物はそれだけではわかりづらいですから」

 クロウ達は、今だと思った。それはミシェルも承知している。

「アルト。お前ならどう思う?」

 一段声のトーンを上げ、ミシェルはアルトに話を振った。

「なんで俺なんだよ」

 明らかに動揺しているアルトが、苛立ち紛れに言葉を返す。

「お前が、文化の発信者でもあるからさ」

「それは過去の話だろう」と、アルトはにべもない。

「過去か。俺は、俺自身の事を現役の文化発信者と思ってるぜ。今ここで俺は、ヨーコ嬢に愛の歌を贈る事だってできる」

 さも得意げなミシェルの大胆な発言に、アルトではなくクランがまず食いつく。

「ミシェル! お前という奴は、ナイスバディな女性を見るとすぐこれだ! 女を口説くなど、人の沢山いる食堂でする事ではないだろう!?」

 甲高い少女の声でクランがまくし立てる中、ミシェルは堂々とシェリルのナンバーとして知られている1曲を歌い始めた。男にしては澄んだよく通る声が、じっとヨーコの目を見つめ愛の歌を歌う。

 クロウは、隣に立つロックオンにそっと耳打ちした。

「彼女を出汁に使っている事への詫びなのか。それとも結構本気なのか。大した役者だな、ミシェルも」

 対するロックオンが右手の指を揃え、空中に素早く1本の水平な線を描いた。

「知っているだろう? あいつがバトロイドで狙撃する時に言う台詞を。敵も女も一発必中、なんだとさ」

「この機を逃すつもりはないってか。やるねぇ、プレイボーイ君」

 そして意外にも、あの刹那がミシェルの方を見、彼の歌を聴いているではないか。突然始まった歌唱ショーに興味を示したか否かは定かでないが、引き留め役をしているデュオに絡まれ向かい合わせの椅子に座ったまま、刹那がミシェルを見つめている。

 目を大きく開いた、どちらかというとぽかんとした表情で。

 独唱が終わった直後、食堂は拍手と喝采に包まれた。

「わーっ!」と手を叩いているシモンの隣で、カミナが異様にはしゃぎ出す。

「あんた、大した度胸だな。俺は、人前でヨーコを口説こうなんて肝の据わった奴を初めて見たぜ」

「お褒めに預かり光栄です。ZEXISには美しい女性が沢山しらっしゃるが、ヨーコ嬢もまた、戦場に咲いた一輪の花。敬愛の念を伝えないのは罪というものでしょう」

 単に度胸を褒めたカミナへ、ミシェルは女性を立てるべく歯の浮くような台詞を臆面もなく流暢に運ぶ。

「あんた、それ本気で言ってんの?」

 顔を紅潮させるクランを優しく無視しつつ、ヨーコがやや声を荒らげる。

「勿論。僕達はお互いを、もっとよく知るべきではありませんか?」

 さりげなく流れの中に織り込んだこの言葉に、食堂を埋める全員がはっとした。

 そして、カミナが動き出す。

「よぉーし! ミシェルとか言ったな。他にウタ、を知らないのか? 愛のウタじゃくなて、もっとこう、男の魂が震えるようなウタってやつをよ! ブンカなんだろ? そういうのも」

 軽くヨーコに会釈した後、ミシェルはカミナに向き直った。

「知っていますよ。…ありますよね、オズマ隊長? 我がSMSの…」

「お…、おい、ミハエル!」

 アルトが突然立ち上がり、言いかけたミシェルを遮った。

 戦友という関係でありながら、アルトはミシェルを愛称では呼ばない。ここにも、アルトという少年の頑なさが出ているのだ。

「あれは立派な文化だぜ」と悪戯っぽく答えるミシェルに、アルトが怒声を上げた。

「あんなハレンチな歌を文化とか言って紹介するな! SMSの、…いや、フロンティア船団の恥だ!」

「恥だと!?」その一言がオズマの琴線に触れたのか、小隊長もまた椅子を蹴って立ち上がった。「貴様! あの歌を恥で片付けたな! そんな横暴は俺が許さないぞ!」

「え…? あの、皆さん、落ち着きましょう。隊長も、アルト先輩も…」

 SMSの良心とも言うべきルカが、上気してゆく空気に危機感を抱き仲間の仲裁に入ろうとする。しかし、既にアルトとオズマの耳にその声は届かなくなっていた。

 それどころか、オズマは敢えてこの場で披露する決意すらしてしまう。

「よし、ミシェル、ルカ、一緒に歌え!」

「えーっ!? ここで、ですか?」

 元々果物色をした頬を更に赤くし、ルカが一歩後退する。

「僕は歌いますよ、隊長。お付き合いさせて下さい」

 仕掛け人として当然ミシェルは承諾し、勿体ない程の顔立ちを歪ませるアルトとルカを置き去りにした2人が意気揚々と声を張り上げた。

 SMS小隊の歌。それは戦場に立つ男を奮い立たせる歌として、多少なりとも卑猥な歌詞を含む。歌が始まってすぐに、カミナと竜馬、武蔵、玉城、そして意外にも城田が爆笑した。

 歌詞の意味と爆笑を誘う理由のわからない者が呆然とし、残った者はルカのように赤面し黙ってしまった。それでも、歌が終わればやはり拍手喝采が巻き起こる。

 既にカミナの興奮は、最高潮に達していた。

「いいじゃねぇか! ブンカ! 気に入ったぜ! もっとないのか?」

「あって堪るか!」

 どのような質のものを望まれているかを悟り、すっかり機嫌を悪くしたアルトが一蹴する。

 そのアルトに気づいたシモンが、「ねぇ、アニキ」とカミナを制止する。「俺、アルトさんのブンカも見てみたい」

「え? アルト? 何かできるのか? あいつも」

 カミナとしても、別段他意はなかったのだろう。しかし、アルトの出し惜しみが度を超している事が災いしたのも事実だった。明らかにトーンの下がったカミナへ何かを言わんとし、アルトが全身にオーラをまとわせ拳を握る。

 その立ち姿から青い炎が燃え上がっている様子が、クロウには見えた。あれは気迫、或いは闘気と呼ばれる類のものだ。

「そういう言い方はアルトさんに失礼だよ、アニキ」

 割って入るシモンの気配りに、カミナが眉をひそめる。

「そうか? だってアイツは、もう過去だとか何とか言って、隊のウタも歌わなかったじゃねぇか」

「あんなものは文化じゃないからだ」

「なら、何がブンカなんだよ?」

「…わかった。それを後で見せてやる」

 アルトが、決然と言い放つ。

 売り言葉に買い言葉である事は、アルト自身も十分承知してはいるのだろう。それでも決意が本物である事は疑いようもなく、クロウはロックオンと顔を見合わせ安堵した。

「後で?」引っかかりを覚えたカミナが尋ね返す。「今ここでやるってんじゃねぇのか? ウタはすぐ聴かせてくれたのによ」

「俺の文化は、十分な準備が必要なんだ。出撃がなければ、夜に披露する。時間と場所は後で知らせるから、楽しみにしていてくれ」

「おう! そうさせてもらおうじゃねぇか。な、シモン」

 一切の邪気がない笑顔で、けしかけた事に多少の自覚がある程度のカミナが相棒をその片腕で引き寄せる。

 息が詰まりそうな中、シモンは「ありがとう」とアルトの目を見、礼を言った。

 

                   * * *

 

 突然食堂で始まった文化堪能会が一旦お開きになった後、クロウはロックオン、デュオと共にミシェル達と合流した。最初の悪だくみを行った通路の同じ場所で、5人は再び同じ議題に戻る。

「何だか、どこからどこまでが演技なのかがとても読みにくい流れでしたね」

 ヨーコを口説くミシェルから回想し、ルカが大筋を総括した。

「シモンとカミナには、感謝感謝だな。あの2人がいなかったら、アルトの重い腰は絶対に上がらなかったんだろうから」

 穏やかに笑うクロウへ、「いやいや。オズマ隊長もいい仕事をしてくれたじゃないか。あの小隊歌で一気に流れが変わった」と、ロックオンが功労者を更に1人追加する。

「あれ、わざとだろう?」

 デュオが疑惑の眼差しを同小隊員に向けると、首肯しつつミシェルが「当然でしょう」と強気で肯定する。「今の状況をもどかしく思っているのは、隊長も同じなんですよ。アルトが自分で、今夜と区切りを宣言したんです。あいつには、それで吹っ切ってもらわないと」

「本当にそうだな」ロックオンが深く呟き、「次は、刹那か」とデュオを見下ろした。

「えーっ? また俺かよ。ヒイロ並に無口なあいつと間を維持するのは、大変なんだぜ」

「そこを何とか…」

 カトルとよく似た柔らかな印象でルカに懇願されると、流石にデュオも渋々頭を掻くしかない。

「しっかたねぇなぁ。もう一肌脱ぐか」

「頼りにしてるぜ、ガンダム乗り」

 ロックオンが持ち上げながら激励すると、「そう! それそれ」とデュオが大きく右手を動かした。「あいつ、俺のデスサイズもガンダムってのが相当引っかかってるみたいだぜ。そいつのおかげで引き留められたようなもんだしな。…ところで、刹那にとってガンダムってのは一体何なんだ?」

「あ。俺も、それは気になる」

 以前からの疑問をデュオが口にしたので、クロウもつい便乗せずにはいられない。口から出任せの入隊志願でソレスタルビーイングに潜り込んだ後、まず押しつけられた仕事は刹那のお守りだったからだ。

 刹那の中にあるガンダムへの思いは、ティエリアが常日頃から口にするガンダムマイスターという位置づけとは若干異なるところにある。それは、クロウもすぐに気がついた。刹那自身は自らの思いについて一切語ろうとはしないし、ロックオンやスメラギもまた何も知らないのだという。

 見込みがなさそうなので一度は諦めた関心事に、クロウはもう一度手を伸ばしてみたくなった。次第に警戒心が薄れてきつつある今のロックオンならば、或いは別の答えを聞かせてくれるのではと、つい期待もする。

「本当に俺も知らないんだよ」

 聴衆が増えた中で、ロックオンは以前とさして変わらぬ答えをし、一度はクロウをがっかりさせる。

「ただ、機体の強さに憧れてるってのとは違う。あいつのこだわりはな。クロウ、お前も覚えているだろう? ブリタニア・ユニオンのフラッグに刹那が言った『俺に触るな』って言葉。あの時の『俺』は、ガンダムと同意だ。おそらくはな」

「随分と機体を神聖視した表現ですね」

 ルカの感想に、クロウの中で何かが騒ぎ始める。

「それだ!」

「神聖視ね。俺のガンダムは死神で、しかも、人殺しも経験してる殺人マシンだぜ。地球から戦争を根絶しようなんて覚悟で自分から戦いに飛び込んでる奴が、神聖視とか『触るな』ってのも、変な話じゃないか? 違うだろ、大事にしなけりゃいけないものが」

 まさかと冷めた反応を返すデュオへ、「いや」とミシェルが否定から始める。「確かに、そう考えれば筋が通る。通るんだ。ガンダムを神聖視しているからこそ、考え方の違うパイロットであるデュオ君ならば刹那君を引き留められるのかもしれない」

「つまりデュオから、自分とは違うガンダム観の正体を引き出してみたい訳だ」

「その通り」

 ロックオンの推測に、ミシェルが太鼓判を押した。

 クロウも、思わず話に身を乗り出してしまう。

「って事は、刹那の奴、他のパイロットにだいぶ興味が出てきたんだな」

「ああ。北アフリカでコロニーのガンダムと遭遇して以来、猛烈に意識はしてたんだろう。でも最近、敵意みたいなものが随分と少なくなったのは、見ていて感じるぜ」ロックオンは、ここで一拍置いた。「あいつの事だ、あくまでガンダム・パイロット限定かもしれないがな」

「いいじゃないか。きっかけは何であれ、仲間に興味が出てくるのは悪い傾向じゃない」未だ心配性なソレスタルビーイングの兄貴分に、クロウが親しげに気遣いを示す。「それに、ガンダム・パイロットだけが関心の対象ではなさそうだぜ。さっきのミシェルの歌を聴いていた刹那を見て、俺はそう思った」

「クロウ…」

 自身でもそう思いかけていたものをクロウに後押しされ、ロックオンの目つきが一層柔らかくなる。貧乏くじとはよく言ったものだと、クロウは自分達の置かれている状況を再認識した。結局は放っておけず、自発的に動いてしまう人種なのだ。ここに集まった者達は。

「俺は断言するぜ。今夜、きっとこの問題は無事に解決すると」

「また何に誓うんだよ」と、デュオ。

「それは決まってるだろう。疫病神とか貧乏神とか、死神にだ」

「上手い! ちくしょう! 後でコーヒー1杯持ってけ!」

 人差し指を立てつつ、デュオが右手を素早く挙げる。

「気前がいいな、デュオ。お前が、そういう奴だったとはな」

「自販機のじゃないぜ。当然、あの無料コーヒーだ」

 デュオが漫才にオチをつけたところで、2度目のミーティングは終わった。ただ、このまま当事者を1人放置する訳にもゆかないので、5人はアルトを訪ねる事にする。

 彼の言う文化は、演劇でしかあり得ない。突然今夜、用意もないものを演じる事になったのだ。その文化披露の仕掛け人として、道具を用立てるなど手伝ってやれる事には手を貸してやるべきだろう。

「入るぞ、アルト」

 来訪を告げてから入室するミシェルに、アルトの事だ、速攻で何かを毒づくのでは。普段の2人をよく知るだけに、その場にいる誰もが一度はそう思った。

 ところが、アルトは端末のモニターを睨んだきり振り返りもせずにいる。腰まである黒い長髪の束が背中に一房あるのでアルトとわかるが、微動だにしない背中は何かに集中している事を告げるだけで、入室者への挨拶さえ寄越してはくれなかった。

 アルトに近いミシェルが背後からそっと近づき、モニターに表示されているものを見定めようとする。至近距離に人が入って来たにもかかわらず、長髪の戦士は未だ何の反応も示さずにいる。

 ミシェルに気を許しているからではない。余りにもモニターとの対話に身が入りすぎて、気づく余裕がないのだ。

 この時、ミシェルの中で悪戯心が頭を擡げた。

「なになに」と、突然敢えて声に出す。「えーと、『鶴の恩返し』? いいタイトルを選択したじゃないか」

「…なっ…!」

 驚いたと、本当に驚いたという顔をし、跳ね上がったアルトは、その後ようやく手伝い志願者が大挙して訪れた事を知る。

「お前は自分で何でもやろうとするからな。道具の用意とか、みんなで手伝いに来たんだぜ」

「何を今更」と、アルトが声を荒らげる。「そもそもこんな事になったのは、ミハエル、お前のせいじゃないか!」

「本当にそう思っているのか? アルト」

 真顔で切り返すミシェルに、自覚が出てきたのだろう。アルトは無言だった。

「今夜、刹那やクロウ達にお前の演技を見せて、それで吹っ切るんだ。いいか? これは最後のチャンスなんだぞ」

「くっ…」

 悔しそうに唇を噛むアルトへ、ミシェルが絡みつく。

「前にも俺は言ったよな。このままだと、いずれお前は自分を殺すか、仲間の誰かを殺す、ってな。またそこに立ち戻るつもりなのか?」

「そんな事は絶対にしないし、させない!」

「だったら今夜、お前の拘りからいい加減、刹那を解放してやれ。俺達が気づかないとでも思っていたのか?」

 異様な程静かにアルトは聞いていた。おそらくは今日、何かのタイミングで自身の内で渦を巻く捻れた拘りと向き合ってしまったのだろう。

 心当たりがある。アルトは、そのような顔をしていた。

「お取り込み中のところ申し訳ないんだが、一つ質問していいか?」アルトを見かねたクロウが助け船を出し、険悪なやりとりを仲裁せんとする。「その『鶴の恩返し』って、ナニ?」

「あ…、ああ」柔らかな物腰で接するクロウに毒気を抜かれたらしく、アルトが肩を下ろしてモニターを指す。「俺達の世界にある童話さ。調べてみたら、こっちの日本にも残っていた。筋はほとんど同じだが、登場人物の名前や台詞回しが少し違う。ただ、話は短いし場所の移動も少なくて今夜向きだ。何より登場人物が少なくていい。独演できるだろう」

「独演、と言うと…」

 曖昧なルカの問いに、アルトは頷く。

「俺は今夜、『鶴の恩返し』を1人で演じる」

「1人で何役もこなすのか」

 驚いたロックオンに、「ああ」と肯定するアルトは自信に満ちていた。披露すると決めた童話を扱う事に、彼なりの勝算があるようだ。

「俺達にできる事とかないか? と言っても俺達は素人だから、見栄えに貢献する事はできないけどな」

「手伝いますよ、アルト先輩!」

 クロウとルカが助力を申し出るが、アルトの表情は浮かない。それどころかやや迷惑そうに顔をしかめ、ぽとんと椅子に座り直した。

「俺は今、独演の段取りを考えるのが精一杯なんだ。役にも入り込まなくちゃならない。人に指示をする余裕なんかないんだ。舞台について自分で考えて動けないのなら、何もしないでいてくれ。その方が助かる」

「そして、楽しみにしているシモン君たちに、ろくな準備もできていないドタバタの芝居を見せてもいいのか? アルト」

 とうとう我慢も限界を越えたか、ミシェルが突き放すように激昂した。

「そんな事は言ってないだろう!?」

「SMS小隊の歌を、『あんなものは文化じゃない』と一蹴したお前なんだ。ここは絶対にいいものを見せてやらないと、こっちだって笑われる。手伝いはお前の為じゃない。フロンティア船団の文化を背負った俺達自身の為なんだ」

 再び黙り込むアルトの前に、そっとルカが進み出る。

「あの…。その事で、僕としては一つ提案したいんですけれど」

「え?」

 空気を変えるつもりなのかと思ったが、ルカには確かなアイディアがあるらしい。未だ幼さが残る彼の目線には、なるほど一本の芯が通って見えた。

「さては、心強い助っ人にでも心当たりがあるんだな」

 冗談めかしたクロウに、「はい」とルカが返事をする。「チームDのジョニーさんと葵さんに相談してみませんか? ジョニーさんは広告代理店勤務のやり手だと聞きましたし、葵さんはモデルの仕事をしているとか。舞台そのものについては何とも言えませんけれど、色々教えてはくれると思うんです」

「ほぉ。いいところに気がついたな」

 ロックオンに褒められ、ルカが満面の笑みで控えめに照れる。

「実は、一度お話してみたかったんです。こちらの世界の企業人と。ジョニーさんは仕事ができる上に読書家だそうですから、どんなお話が聞けるかなって」

「さっすがLAIの御曹司…」

 ルカの背後にフロンティア船団の機械工業全般を担うLAIがある事を知っているクロウは、その勉強熱心さに改めて感心した。本人から3男とは聞いていたが、この温厚な少年は、一方でしたたかな会社幹部の顔も持っている。

 SMS小隊の歌をフロンティア船団が誇る文化の最高峰に置きたくないのは、彼も同じという事か。アルトの周囲で、意欲のある者が動き始めている。これは何かが飛び出すぞ。クロウの中で、予感めいたものが蠢いた。

 

                   * * *

 

 ダンクーガノヴァのパイロット・チームは4人で構成されているが、その全員が徹底した個人主義者で付き合いは非情に悪い。元々龍牙島は彼等の操るダンクーガノヴァの基地として機能している為、本拠地にいる者として基地のあちこちに姿を現してもよい筈だが、大抵は自室に籠もっており外に出る事は少なかった。

 役作りに入り込んでいるアルトをそのままに、クロウ達5人はまずジョニーを部屋に訪ねてみる。ミシェルが整理したこれまでの経緯を、ジョニーはとても興味深そうに聞いていた。当初クロウ達が想像していたよりも、ずっと食いつきはいい。

 それを、「僕としては以前から、アルトさんという優れた人材に興味がありましたから」と彼自身は説明した。

「人材ねぇ」

 企業人らしい言葉選びに、やや退いた様子でロックオンがちらりと室内を覗く。

 本、本、そして映像資料と思しきディスク・ホルダーが棚にぎっしりと並んでいた。戦争根絶を目標に掲げ私物などはほとんど持たずにソレスタルビーイングへと入隊したロックオンには、そこが戦士の部屋には見えず眉をひそめる。

 ああ、違う。クロウが見てもその部屋からは、戦士の部屋が持つべき生への執着や癒しの類は見受けられなかった。ダンクーガノヴァのパイロットとして選抜され、既にWLFのようなテロリストに機械の拳を振り上げているというのに、ジョニーは未だ広告代理店の仕事を中心に据えていた頃の自分を変えようとはしていないのだ。

 しかし、その点については敢えて触れなかった。

「いいなぁ。私物がいっぱい」

 ぼそりと呟くクロウに、「お前にだって私物くらいあるだろう」とロックオンが言いかけた後、「きっとどこかに」と自信なさげに付け加えた。

「いや。土地建物と家財を売っ払った時に、そんなものはなくなっちまった。あるのは…」

「多額の借金だけ、ですか」クロウの好きな台詞を取り上げ、ジョニーが両方の掌を突き出しながら息をついた。知的だがやや冷たい印象のある整った顔立ちが、「話を戻しましょう」とさりげなくクロウを窘める。

「そうですね。時間もありませんし」

 ミシェルも同意し、ジョニーはまずこの件に対する返答をした。

「いきなり今夜本番を迎える独演会では、アルトさんも手が回りきらない事が多くて困る筈です。わかりました。僕にできる事がありそうなので、お手伝いしましょう」

「ありがとう! これは助かります」

 ミシェルがジョニーと契約成立の握手をし、まず全員が一安心する。

「演目は『鶴の恩返し』で、開演時刻は今から6時間後。アルトさんは今役作りに没頭していて、演出は全くの手つかずという状態なんですね」

「面目次第もない」と、アルトに代わってミシェルが頭を垂れた。

「…改めて整理すると、結構無謀な印象になりますね」

 ルカも状況の厳しさから、つい顔をしかめる。

「ちょっと調べる時間をもらってもいいですか? 確か大学の文化祭で独演会を行った知り合いの記録が、今もどこかに残っていると思うんです。それを参考にできるかもしれません」

「是非お願いします。時間が足りませんから、必要と感じたら、すぐに僕らを使って下さい」

「そうですね…。それから、本番をよく知る人が、せめてあと1人…」思案するジョニーが、小さく頷いた。「葵さんに声をかけてみましょうか」

 元々数に入れていた葵の名をジョニーも出した事で、ルカの表情が明るくなる。

 やはり、葵も自室にいた。その彼女にミシェルが事情を話すと、随分と乗り気な返事が返って来る。

「異次元から来た歌舞伎役者の舞台なんて、見る方が楽しそうだけど、それを手伝うなんてそうそうできない体験よね。やるわ、面白そうだから」

「ありがとう! 感謝しています、葵嬢」

 互いの右手で握手した後、ミシェルは更にその上へ自身の左手もそっと添えた。

 現役レーサーでもある葵の眉のラインが、歪む。さやかよりもきつい印象のある長髪の葵は、すねるように怒るヨーコよりも不快を前面に押し出す女性だ。

「ちょっと。そういうどさくさ紛れ、やめてくれない?」

「おっと、これは失礼」両手を離し、ミシェルが深々と体を折って謝罪した。「貴女のように輝いている女性がアルトにばかり関心を寄せているのは、些か面白くないんだ。僕としては」

 側で聞いていたクロウとロックオン、そしてルカが、一斉にげんなりとし脱力感に襲われる。同じ男が一日に2回、それも別の女性を口説く場面を見せられて、この忙しい時にと呆れない者はいない。

「本題に戻ってもいいかしら」

 今回窘められたのは、当然ミシェルだ。

「貴女の望む通りに」

「ここで素人が雁首揃えてても時間の無駄だから、ジョニーの指示を仰ぎましょう。私を指名したからには、何か考えがあるんでしょうし」

 クロウは、携帯端末で時刻を確認した。

「あれから15分か。そろそろ一度顔を出しておいてもいい頃かもな。調べ物の見通しとかついてる頃だろ」

 そのクロウを、葵がじっと見つめている。

「どうした? 葵ちゃん」

「あんたの垂れ目が笑ってるわ。お金の臭いなんて全然しない企画なのに」

「おっと、そいつぁひでぇな。俺だって、仲間の為なら手間を惜しまない時だってあるさ」

「違う違う」言う側からデュオが右手をひらひらさせ、クロウの善意を完全否定する。「もしこの独演会が成功したら、アルトのキスがもらえるんだぜ。それも色紙に100枚分」

「それを売るつもりなのね!」

「本当か!? いつ、そんな話がついた!?」

 おそらく、そこは爽やかに怒るべきところだったのだろう。ただ一瞬、クロウの心に隙ができた。口から飛び出したのが怒声ではなく喜びに満ちた高い声だった為、その場に居合わせた者全員が沈黙する。

 きまずい時間が流れた後、クロウは自身で「冗談かよ」とがっかりしながら引き下がるしかなかった。

「とにかく」その場のリーダー格であるロックオンが、風向きを修正すべく仕切り直しをする。「時間が惜しいってのは本当だ。もう一度ジョニーのところへ行くぞ」

「おう」

 再びジョニーの部屋に向かうと、彼はちょうど何かをプリントしている最中だった。20枚、いや30枚はあるだろうか。量的にかなりまとまった枚数の資料を、彼はプリントする側から目を通している。

「あ、葵さん。来てくれましたか」

「ええ、歌舞伎役者の独演会を手伝えるって聞いたから。それで、私は何をすればいいのかしら?」

「アルトさん次第ですけれど」と但し書きをつけた後、スーツ姿の青年サラリーマンがプリントの終了した資料を綺麗に束ねた。「本番の彼を手伝って欲しいんです。他に、舞台についてのアドバイスを。僕達は素人ですけれど、葵さんなら、芝居には見せたい角度というものがある事をきっと御存知の筈ですから。…モデルの仕事も同じでしょう? 貴女の目を基準にして進めたいと考えているのです」

 眉をぴくりと動かした後、葵の眼差しが鋭くなった。猛禽の目か。いや、最前線で仕事をこなすプロの判定眼がジョニーのランクを値踏みしたのだ。

「一緒に仕事をした事は前にもあるけれど、改めて思ったわ。貴方は信じてみてもいいのかしらって」

「それは光栄ですね。お互い、独演会成功の為にいい仕事をしましょう」

 握手をするジョニーと葵の後ろから、クロウがぬぅと顔を出す。

「助っ人は他にもいるんだが、指示をくれないか? 時間が勿体ない」

「実は既に、竹尾ゼネラルカンパニーの方々と21世紀警備保障の方々にも声をかけてあります。後方支援の皆さんが、色々と作ってくれる事になりました」

「早っ!」

 自分達が漫才を演じている間に、ジョニーはそこまで進めていたのか。デュオばかりでなく、クロウ達も皆段取りの良さに脱帽した。わかってはいたつもりだが、なかなかどうして田中司令が目をかける程の企業人は捨てたものではない。

 当然アルトのメイクはボビーが担当する事になり、道具一式を携えマクロスクォーターから駆けつける。但し、衣装は着物を誰も持っていない為、白いシーツ片を重ね合わせた俄仕立てになった。

「アルトちゃんの背格好なら体が覚えているから、これで直しは必要ないと思うわ」

 手伝いの女性達に縫い物をさせながら、ボビーがあれこれと口を出す。

「ごめんなさいね、色々とうるさくって。お詫びに後で、私がみんなをメイクしてあ・げ・る」

「あ、ありがとうございます」

 一旦は揃って喜色を浮かべる女性達だが、全員の喉には敢えて留めた疑惑の言葉があった。「その『体が覚えている』って、一体どういう意味なんですか?」と。

 ジョニーの仕切りは、実に堂に入ったものだった。

「ここでは照明の演出はまず無理なので、効果音だけ入れる事にしました。猟師が出す銃の音は、くららさんが紙鉄砲で。鶴の羽音は束ねた紙、機織り機の音は麺打ち棒その他で、朔哉さんにお願いしています」

「お見事…」

 アイディアも実に行き届いたものだ。クロウとしては、他に言葉がない。

「障子戸は、厚井常務が簡単なものを作ってくれるそうなので、お言葉に甘える事にしました。問題は機織り機ですけれど、これだけは作れるものではないので、舞台上に投影する事にしました。クライマックスには必要な大道具ですから」

「で、俺達は一体何をすればいいんだ?」

 自身を指さすデュオに、「1人は、本番中に舞台に上がって下さい」とジョニーが言う。しかも、妙に淡泊な話ぶりだ。

「それって、もしかしたら…」

「ええ。流石に完全な独演で進められる程準備が整えられそうにもないので、どなたか1人、障子を持って舞台に立って下さい。アルトさんの動きに合わせる必要がありますが、難しくはありません。動くタイミングは、僕がインカムに伝えます」

「えーっ!?」と小柄なデュオやルカが揃って不満を訴える中、ロックオンとクロウは、同じタイミングで1人の少年を視線で指名する。アルトの戦友として幾度も同じ戦場に立っているミシェルだ。

「阿吽の呼吸で頼むぜ、大将」

 笑顔で突き放すロックオンに、ミシェルは取り立てて反発はしなかった。

「わかりました。僕がやります」

「それで、他には?」と、続きの説明を促すルカに、「あと1人、機織り機の映像を担当する方をお願いします。このタイミングも、僕からインカムで」とジョニーがクロウ達残る4人を見比べた。

 すぐには反応しなかったクロウ達とは異なり、速攻で志願したのはルカだ。

「僕にやらせて下さい。アルト先輩のお手伝いを、僕にも」

「わかりました。後で一緒に映像の制作方法も確認しましょう。田中司令に話は通してあります」

「あの基地司令まで巻き込んだか!?」

「当然ですよ。ここの責任者ですから、独演会について許可をいただくところから始めました」

「ご尤も」

 常識的な話だと指摘され、クロウは涼しげなジョニーの顔をしみじみと眺めてしまった。極めて短時間に淀みなく進めるこの要領の良さは、頭脳戦の適正がある事を明確に示している。しかも未だ、彼の100パーセントを引き出してはいないだろう。

 彼の伸び白は、そのままチームDに伸び白がある事を意味している。戦士としてそこを使う意志を示すか否か、ジョニーという存在は余りにも未知数だ。

「で、残った俺達は?」

 尋ねるクロウに、「そうですねぇ」とここで初めてジョニーが迷いを伺わせる。

「もしかして、やる事がない、とか」

 腰を低く屈め下から臨時指揮官を見上げるデュオに、「では、時間になったら、いつも使っているブリーフィング・ルームの隣にZEXISの皆さんを誘導して下さい」と答えた。

「誘導係か」

「一番大きな部屋を借りました。壇上を舞台代わりにすれば、大人数で観る事ができますし。1人でも多くの人達が見られるように、声をかけて回って下さい」

「了解した」

 ロックオンが頷いて、全員が自身の役割を反芻する。

「それでは始めて下さい」

 ジョニーが葵、ミシェル、ルカと去って行った後、クロウ達残された3人は一旦休憩に入った。コーヒーを飲みながら、どのチームが今どこにいるかなどの情報を交換しつつぼんやりと天井を仰ぐ。

 誰からともなく出てきたのは、「これで上手く行くといいな」という共通した一つの希望だった。

「やるか。刹那の誘導を俺が」

 カップを再利用用処理口に投入し、デュオが大きく伸び上がって気持ちを切り替える。

「それじゃあ、作戦開始だ!」

 ロックオンもカップを投入すると、「了解!」とクロウ、デュオが背筋を伸ばした。

 

                   * * *

 

 相前後し夕食を終えたZEXISのメンバーが、続々と部屋に集まってくる。ドラゴンズハイヴで最も大きなブリーフィング・ルームは、300人を収容できる段差付きの部屋だった。

 一番低いところに俄作りの舞台を用意し、観客にはなるべく舞台に近い席だけを利用してもらう。そうする事で、アルトの演技を間近で堪能してもらいたいというのが、ジョニーの狙いだった。

 集まりは大変にいい。クロウ達の呼びかけと皆の好奇心が幸いし、パイロットは全員揃っている。しかも、手の空いたバックアップ・スタッフもかなりの人数が駆けつけているようで、中には田中司令や城田、スメラギ達指揮官の姿まである。

 舞台上の進行は常時カメラで撮影され、それぞれのデスク上で好きな時に受信した映像にズームをかける事ができるようになっている。それは、アルトの顔立ちを高く評価している田中司令とジョニーの密かな配慮だった。

 舞台に最も近い席にカミナ達主賓を座らせようとしたが、「特別扱いなんざ受けねぇ! みんな平等だろうが」とカミナが拒絶し、結局シモンやカミナ達暗黒大陸からやって来た者達は全員が一番遠い席を陣取った。

 それでもロシウの話では、全く問題ないという。

「僕達は遠視気味ですから、ここでもよく見えるんです」

「そうか。じゃあ、ゆっくり楽しんでくれ」

 了承したクロウの視界隅に、顔を綻ばせるシモンの横顔が入っている。いつもカミナと一緒にいるシモンは、ここでもカミナの隣だった。

「何をして見せるんだ? アルトは」

「お芝居だって、アニキ。鶴っていう生き物と人間のお話だって。それを全部アルトさんが1人で演じるって聞いたよ」

「1人? 何か仕掛けでもあるのか?」

「わからない。始まってからのお楽しみだね」

 子供が娯楽に心弾ませ、今か今かと開演時間が来るのを待っている。三大国家の支配圏では極普通に繰り返される風景でも、未体験という者は確かにいるのだ。この基地の中に、そして戦火の消えない地域にも。ここまで仕掛けて良かったと、クロウも上機嫌になった。

 しかも、デュオの隣には刹那が席を取っているではないか。その上、ヒイロ、あのキリコの姿まである。文化・芸術の類に全く関心を示さないあの2人が何を思ってアルトの独演などを観に来たのかを考え、クロウは一つの可能性に辿り着いた。アルトが放ったあの青い炎だ。

 どのような生き方をしている人間であれ、プライドを傷つけられて立腹する男の姿には飽きる程遭遇するものだろう。大抵はかなりくだらないシーンとしていずれ忘却の彼方に追いやってしまうが、あのアルトの怒りは新鮮ですらあった。

 子供の怒り方ではない。無論、見栄やプライドの塊として侮辱に対し反発したのでもない。クロウでもわかる。あれはもっと高次な世界の住人に対する侮辱として、無知なる者に表した怒りなのだ、と。

 それだけにあの炎は、何らかの世界で高次元な域に達した者を例外なく惹きつけてしまう。おそらくは2人も無意識のうちに、アルトの内を構成するものの正体を探りたくなっているに違いない。あの闘気を放つ高校生パイロットの正体、とでも言うべきものを。

「これまた結構結構」

 ジョニーの近くに、クロウ、ロックオンがつき万一に備えたところで、舞台は始まった。

 まず、ジョニーがインカムを一旦外し、舞台端で挨拶をする。

「今夜は、沢山のお越しをありがとうございます。私は、チームDのジョニー・バーネット。広告代理店に勤めている者です。今夜は、協力して下さった皆さんのおかげで、このような独演会をお見せする事ができるようになりました。今日、突然の依頼を快く引き受けてくれた皆さんに感謝します」

 ここで、満座から拍手が沸き起こった。

「これから始まるのは、この世界の日本でも有名な童話『鶴の恩返し』。主人公の猟師と鶴を1人で演じるのは、フロンティア船団が誇るSMSのパイロット、早乙女アルトさんです」

 そして、芝居は始まった。

 1人の猟師が、本物のライフルを肩に担ぎながらとぼとぼと歩いている。足取りは重く、生活の苦しさを滲ませている。

「ああ…」

 溜息一つさえくたびれているが、それは演技だ。アルト自身の溜息ではない。しかし、クロウにはその深い溜息に心当たりがあった。絶望の戸口を開きかけた諦めの吐息だ。高校生が、演技でいきなりそれを再現して見せるというのか。

 鶴役の衣装の上から茶色いベストを羽織り、それを着ている間は猟師である事を滲ませている。顔の下半分を手拭いで覆った、しかし若い男とわかる背筋の伸ばし方だった。

 絶対に何かが飛び出すぞ。昼間クロウの中を横切って行った思いが、突然蘇る。

 空に獲物を見つけ、猟師がライフルを撃つ。ジョニーが合図した途端、余りにも軽い紙鉄砲の音がした。

 どっと笑いが巻き起こる。その冴えない音が猟師の腕の悪さを表現して聞こえるのだから、効果音というものは不思議だ。

 その後猟師は、仕掛けていた罠に野生の鶴が一羽かかっている事を知る。網の下にあるのは、タオルの束で、情けをかけた猟師が網を外した途端、そのタオル束は舞台の横へと飛んだ。紐を一気に引いたのは、アドバイザーを引き受けた葵のようだ。

 たった一羽の獲物さえ情をかけ逃がしてしまった猟師は、足を引きずって家に帰り、布団一つない室内で横になる。

 客に向けた背中が、何かを語っていた。空腹や日々の生活に感じる空しさなどを。

「慣れたもんだな。上手いじゃないか」

「ああ」

 台詞に依存しない芝居は、姿勢や間合いがものを言う。ロックオンが褒めるのは当然だったし、クロウもそれに異存はなかった。

 そう。その後に飛び出したものを目の当たりにするまでは。

 翌日猟師は、戸を叩く音で目を覚ます。さも面倒くさそうに起き上がり戸を開いて、猟師はそのまま棒立ちした。

 しばらくそのポーズをとって客席に印象づけた後、突然アルトが戸の向かいに立ち、ベストを脱ぎ捨て手拭いを外す。

 立っていたのは、女だ。それも、白い衣装がよく似合う壮絶に美しい細身の女だ。

「あ、あれがアルトぉ!?」

 つい立ち上がってしまったカミナを責める事はできない。室内はざわめき、誰もがアルトの立ち姿に心動かされたのは同じだからだ。

「…人間じゃねぇ…」

 勿論、そう表したロックオンも正しい。今アルトが演じているものは、人ならざる存在の鶴だ。助けられた恩を感じ、猟師の家を訪れた鶴なのだ。

 しかし、感情を欠いた美貌は浮き世離れした有様を更に際立たせ、一度その姿に目をやった者を文字通り釘付けにする。クロウの全身が自由にならない。体の動きを抑制しているのは、アルトが舞台と客席の間に放った見えない糸だった。客の方からほどけるものでないのは道理だ。

 慣れや上手さという言葉は、最早この次元の演技を表現するには相応しくなかろう。女性以上、いや人間以上と賛美するに値する美貌がそこにあった。アルトとその周辺だけが、神に祝福され光って見える。

 神などいないと、クロウは断定して久しいのに。

 鶴が放った最初の一言は、甲高くか細い声だった。

「何を驚いておられるのです、与一様」

 観客が全員、我に返る。

 芝居は順調に進み、猟師の家に住み着いた女が、美しい反物を猟師に渡しては金に換えさせる。猟師の生活は極貧から解放されはしたが、次第に猟師の中で疑惑と好奇心が沸いてゆく。女が籠もっている部屋で一体何が起こっているのか。そして、誰もが欲しがる程の美しい反物は、一体どのようにして織られているのか、と。

 背筋を伸ばして室内を行き来する猟師に、かつてのくたびれた残り香はない。しかし、落ち着きのない無駄な動きは、見ていてなかなかに不愉快なものだった。こうなると、人間はろくな事をしでかさないものだ。

 そしてとうとう、猟師は女との約束を破り、障子を開けてしまう。ミシェルが、絶妙なタイミングですっと動いた。

 壇上のメインモニターに、手動の織機と鶴のシルエットが浮かび上がる。反物が持つ輝きの正体は、鶴が自らの羽根を引き抜き織り込んでいたが故の、羽根の美しさだったのだ。

 朔哉が木製品と金属製品を駆使し、規則的な音を作る。映像と音のタイミングも合っていた。織り手が猟師に気づくまでは。

 映像が止まり、音もやむ。鶴役に切り替えたアルトが、目線を客席の方へと向けた。

「決して覗かないとの約束を破りましたね。…私は、私は信じておりましたのに」

 猟師の裏切りを目の当たりにし、鶴は静かに猟師を見つめている。所詮は相互理解など望めない関係に落胆したのか、或いは未だに胸の内で燻る猟師への未練か。鶴の表情は、洗練されたものを除いた複雑なもので満たされていた。

 単なる女の顔ではない。これもやはり、鶴なのだ。

 いや。鶴として人の世に現れた、もっと気高い者なのか。

 21世紀警備保障に所属する恰幅のいい3人が、唾を飲む事もできずに硬直している。無理もないとクロウは思う。鶴は見下ろしているのだ、人の属する世界より一段高いところから。どうしてこの視線を、人にすぎない存在が受け流したりできよう。

 これが早乙女アルトという役者ならば、フロンティア船団は世紀の至宝が舞台から決別する事を許してしまった事になる。その上、その彼もまたZEXISとしてクロウと同じ戦場に立っているのだから、時折垣間見せるミシェルの不思議な未練は今にして思えばわからなくもない。

「刹那は…!」

 慌てて仲間の座る位置に目をやるロックオンは、クロウと同じものを見る。

 微かに口を開き、刹那も硬直していた。観劇など初めてだろうに、すっかり舞台にのめり込んでいる。

 空中に白い衣装を投げ捨てた後、アンダーシャツ姿でゆっくりとベストに袖を通し、猟師ががくりと膝を折る。そして、嗚咽を漏らし伏せったまま動かなくなった。

 泣いている。体を折りたたみ、むしろ声が籠もるようにして猟師が泣いている。

 再び、朔哉が織機の音を作り出す。それは猟師の幻聴なのか、幸せだった頃を回想しているだけなのかを定かにせぬままに。30秒程その音が続いた後、朔哉は両手を下ろす。

 無音が辺りを支配し、それで終劇となった。

 一瞬の間の後、突然室内の空気が膨張する。部屋全体が、壁を壊さんばかりの大喝采に包まれたのだ。皆、立ち上がっている。

「すごい! アルトさん、すごいよ!」

 盛んに拍手をするシモンの隣で、涙を流すカミナが「馬鹿な奴だなぁ」と猟師に入れ込み独りごちる。

「見事なものだ」

 優雅な仕種で拍手を送るゼロと対照的なのは、俯いたきり右手を目に当てて静かに肩を震わせる無言のカレンだろう。

 舞台中央で、アルトが立ち上がる。鳴りやまない拍手は、更に大きくなった。

「これこそが文化だ」と声高に叫ぶのではないかと予想する者に反し、彼は静かに会釈した。中央に、そして左右の客に深々と頭を下げ、アルトは無言で舞台を下りる。そして、意外にも席横の階段を登り、刹那の近くで足を止めた。

 ぴたりと拍手がやむ。アルトは、アルトに戻っていた。

「刹那、今までの無礼を詫びたい」

「無礼? 何の事だ?」と、刹那が短く返す。

「何も感じていなかったのか? 今まで俺は…」

「もういいんだ、早乙女アルト。お前と俺は、今わかり合えた。だから、もういいんだ」

「刹那…」

 普段は束ねている見事な長髪を無造作に後ろへと流し、アルトが握手を求める。

 差し出されたその手を握り、刹那がぼそりと呟いた。

「俺が、ガンダムだ」

「は…?」

「だが、俺はお前の中にガンダムを見た。お前は、ダンガムになれる素質を持っている」

 デュオが、そしてヒイロが黙して見守る中、アルトが肩をいからせ激昂する。

「どういう褒め言葉だ?それは。俺は、そんなごついものを表現した覚えはないぞ!」

 

                   * * *

 

 刹那とアルトの関係が改善されたような、そうではないような。曖昧な後味を残しつつ独演会が終わって、各自解散となった。尽力してくれた関係者に礼を伝えて回り、クロウは、昼からつるんでいる他の4人を労うべく備え付けの無料コーヒーをと誘う。

 何もしていない筈なのに疲労感で全身がだるく、その日何杯目になるかわからないコーヒーを飲んでいると、脳裏にはアルトの演技が蘇ってきた。

 人間ではないものを演じる事ができる、神に選ばれたが如き人間の名演技が。

「そういえば、アルトは?」問いかけるロックオンに、「独演会を手伝ってくれた人達全員に礼を言いたいとかで、まだ上の階ですよ。どうやら21世紀警備保障の女性達に捕まっているみたいで」と、ミシェルが応答する。

「これで終わってくれるんだろうなぁ」

 デュオの呟きは、祈りに近い。

「とにかく後は、経過を見守りましょう。きっと大丈夫です。刹那さんとアルト先輩は、気持ちを言葉にできるようになりましたから」

 ルカの言葉は楽観論のようでいて、実際、2人が壁を越えた事を上手く表現している。最後に爆発したアルトの態度はご愛嬌だとしても、確かに関係が変わったと信じてよいのだろうとクロウにも思えた。

「でも、ああして聞いていると、改めて気になりますよね。刹那君の言うガンダムの意味が」

 唇からカップを離した途端、ミシェルが唯一解明されていない疑問に触れる。

「アルトがガンダムになれるかも、か。あれはあれで、刹那なりの最大級の褒め言葉だったんだろうけどな」

 ロックオンも同調し、アルトの演技にショックを受ける刹那の様子を湯気の向こうで回想する。

「あら。やっぱりここに集まっていたのね」

 男ばかりで話しているところに、若い女性の声が混じる。湯上がりなのか石けんの匂いをまとわりつかせ1人近づいて来たのは、ヨーコだ。

 反射的にミシェルが進み出、大袈裟に手招きした後、注ぎたてのコーヒーを1杯渡す。

「面白かったわよ、あんた達ご自慢の文化。私は昼間の歌より、お芝居の方がましだと思うけど」

「まし、って…」

 独演会後、誰もが未だ宙を彷徨っているような浮遊感と疲労感に苛まれているというのに、あの名演技を「まし」の一言で評してしまうとは。言葉に詰まって石化するミシェルを無残に思いつつ、ルカが慌ててフォローに入る。

「でもそれって、褒めてくれているって事ですよね」

「まぁね。でも私は、やっぱり」ヨーコが片手のみで、尚も狙撃のポーズを作る。「こっちの方が好き。今日はあんた達に私が付き合ったんだから、今度は私に付き合いなさい」

「え?」

「あんたと、あんたと」ミシェル、ロックオンと指で突くヨーコが、最後に「あんたも!」とクロウの胸に人差し指を当てた。

「お、俺まで?」

「あんた、自分のロボットでスナイピングをやってるでしょ。あの腕があるなら、私と勝負したくならない?」

「いや、別に…」

 クロウは文字通り、一歩退いて抵抗する。彼女の言うブラスタのスナイピングとは、間違いなくクラッチ・スナイパーの事だ。

 確かにクロウは格闘よりも射撃が得意だと答え、スコート・ラボでブラスタの後者向け調整を受けている。しかし得意といっても、それはあくまで比較の話だ。ロックオンやミシェルのレベルに到達していると自慢した覚えなども、勿論ない。この超一流メンバーに加えられるのは真っ平ご免だった。

 しかし、今日のヨーコは執拗だ。

「するのよ!」

 遂には、命令口調でクロウを威圧しにかかる。

「は…、はい。謹んでお受け致します」

 指名された3人は、流れに逆らえぬうち約束めいたものをさせられてしまう。ヨーコを利用した負い目もあるので、彼女の勢いに押し切られた格好だ。

「時間と場所、それからルールは後で伝えるから。じゃあ、楽しみにしてるわね」

 コーヒーを飲み干した後のカップを指定場所前の通路に置き、ヨーコが嵐のように去って行く。

「やられたな…」

 ミシェルは、それだけ漏らすのが精一杯だった。

「怖いもんだぜ、女ってやつぁ」

「怖いのは、女じゃくなてZEXISだろう? 何しろ、役者に切れ者サラリーマン、ガンダムまでいるんだからな」

 クロウに続き、ロックオンも大きく溜息をつき、一拍置いた後全員で顔を見合わせて笑う。昼間に感じた各自の不満が決して不安ではないと気づいたのは、きっと収穫なのだ。

 おそらくZEXISは、もっと強くなる。それは希望ではなく、クロウの中に芽生えた確信だ。

「もしかしたら無敵じゃないか、俺達は」と、デュオが得意げに胸を張る。

「そりゃそうだろ。カミナも言ってるじゃないか、『俺達を誰だと思っている!?』ってな」

 意味深長にクロウがカップを掲げると、誰1人欠ける事なく改めて全員がカップをコーヒーで満たした。

「ZEXISに乾杯! よくやったぜ、みんな!」

 そして、皆が一斉に杯を傾ける。

 

 

                           - 了 -

 


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