彼らは再び、互いの幸せを望む。

 終末ものの短編です!

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終わるセカイのルミネーション

 

 世界はもう、死んでいる。それは何時誰がした発見なのだろう。

 彼方を見た学者の心を狂わせたもの。この世をすり潰し続けている、スケール。その蠢きが、あまりにランダムに全てを圧壊していく。次第に消えゆく隣人に、全ては恐慌した。

 誰も遠い未来の熱量的な死以外に、そうなることなんて、思っていなかったのに。しかし、確かにこの世は終わっているのだった。

 

 一本の楠の【せい】によって。

 

 

 

「あー、二人だけだから、好きと?」

「うん」

 

 青もボロボロ、砕かれ過ぎて裏地が沢山露見してしまった空。前から何やら人体に有害な光線を多分に含むようになったらしいその下にいるのも、もう慣れたもの。

 外宇宙生物の内腔から漏れる光を存分に浴びる。そうして話を真面目に聞いて少し損をした、美形でもブサイクとも言えない性格も微妙な、どうでも良かったはずの彼女から俺は目を逸した。

 

 もともと高等学校で、避難所に変わった後に、俺とコイツと婆ちゃんの家になってしまった消化され崩れかけの建物の中にて、天板すら殆ど残っていない教室の跡をそっと望む。

 不明に溶かされまだら模様の大体は、いまいち綺麗さがない。けれどもそれは、俺らも一緒だろうか。完全なものなどもう、きっとこの世の何処にもないのだ。

 母校、だった。しかしその昔にこの教室に入った経験はない。とはいえ、ここを住居とした今はもう慣れたもの。最早跡形もない我が家から持ってきた俺指定の椅子に背を預けて、彼女――戸原みずき――に応える。

 

「いや、好かれるのは好ましいが、選択が消去法ってのは嬉しくはないな」

「でもさ、アダムとイブがくっつかないのって、お話的にあり得なくない?」

「んな大層なもんじゃなくて正しくは、余り物の抱き合わせ、だがな」

 

 そう、これは始まりの物語なんかではなかった。終わったセカイの消化不良物のお話でしかない。

 醜くも、つまらない。最後の悪あがきをしている、俺らの波打ち際に描かれたハートのような、無駄な記録。

 

 しかし、そんな風に俺が末期を気取っているのが気に入らなかったからだろう、まるで自分を誇るように俺の前で一回転してみせてから、みずきは言う。

 スカートがふわり。フリルがたなびき、甘い香りが鼻につく。こんなに無事な洋服がまだあるのだな、という感動ばかりを覚えて、俺はぽかんと口を開けた。

 

「そんなこと言うんだ。こんなに綺麗に残っているのって、私くらいしかいないのに?」

 

 阿鼻叫喚の地獄絵図。その中に残った五体満足は、ただ一人。きっとこの世で三番目に運がいい俺ですら、多少なりとも欠けているというのに、みずきはまあ。

 少し苛立ち、笑顔がまだ人間らしく残っている彼女に、俺は悪態をつく。

 

「ったく。んな風に気取ってたから、木田等に襲われたんだろうが」

「……その節は、どうもありがとうね」

「……今となっちゃ、お互い様さ」

 

 みずきのハニカミに思わず右手だったものを持ち上げそこね、俺は代わりにただ頭を振った。

 何時の日か集団暴行未遂から少女を助けた王子様も、今やただの要介助者だ。こんな俺より婆ちゃんの方がまだ自由に動けていたというあたり、救えない。

 さて、あの元気な婆ちゃんは、今何処で何していることやら。見ごたえのある皺々に沢山凹凸を付けて損ねていても微笑んでいたあの人は、まだ笑顔でいられているだろうか。

 

 死ぬのはやっぱり家族の近くが良いよ、ゴメンね。と言われてここを去られたことだって、俺は別段恨んではいない。ただ、最後の幸せを望むばかりだった。

 ひょっとしたら彼女は、既にあの大地の凹みの中に、多くの者のように身を投じてしまったことだろうか。地球を断った犬歯の孔の昏がりは絶望を呑み込み易いみたいで、惹き込まれてしまう者があまりにも多いことだったし。

 

 まあそんな風にやっぱり最期に人は、人を想う。けれども、そんなことを嫌って、彼女は言うのだった。

 

「あっ! ゆう君、ひょっとして私の前で別の女の人のことを考えてない?」

「急に嫉妬してみせんなよ、鬱陶しい。婆ちゃんのことだよ……どうしているかなってな」

「洋子おばさんかあ……うん」

「どうした?」

 

 彼女の面の喜色に憂いが、深く刻まれる。いや、果たしてそれは緊張だったのかもしれない。

 みずきの健全な指先が、絡み合って、捩れた。同期するように、世界がまた少し、泡だつ。

 

 俺には内容届かなかった、婆ちゃんが彼女にした耳打ちを、思い出す。あの時にみずきの内で、何かが決まっていたのだろうか。

 また一つ。大きな音がして、世界に罅が入る。そんな最近の何時もを、俺らは無視した。この世に加わり続ける圧に壊れかけの全身に走る痛みすら、我慢して。

 そうして、俺はただ一人のみずきを、じっと見つめる。

 

「終末に巫山戯るなんて、時間が勿体無いね」

「そうか」

「あのさ……」

「止めろ」

 

 分かる。これまで年の感覚を忘れるくらいには共に居たのだ。その大ぶりのピアスで孔を隠した唇が何を紡ごうとしているのかくらい、読めた。

 潤んだ瞳の下で不格好にうごめく桃色の蕾。嫌いではない。けれども、今はそれを塞ぎたかった。重い体を持ち上げて、俺は彼女の本音が吐かれるのを止めるために、動く。

 しかし、俺より圧倒的に健全なみずきは、不随の半身をずらした程度の反抗しか出来ない俺に、優しく笑いかけるだけで済ました。

 そしてむしろ、彼女の方から俺に近寄り、続けるのだ。

 

「あは。止めない」

「みずき……」

 

 次第に空が、陰る。いや、朱く深く、裂けたのだった。続き、うっ血はまた過ぎて、再び青くなる。しかし、それは今までよりもずっと不健康でグロテスクな色彩だった。

 終わりは、きっとすぐそこなのだ。

 

 けれども、もうそんなことを気にしてはいられなかった。

 

「うん。改めて、言うよ……こうして二人きりになったから、言えるんだ! 私は雄大君のことが、セカイで一番、好き!」

 

 二人だけだから、好きと言えるのだろう。そんな恥ずかしがり屋の少女の告白を、無残が受け取る。

 そんな残酷な現実が辛い。だから、俺は言い訳するように、溢す。

 

「こんなに何もかもが少なくなったセカイだけれどな……」

 

 そう。これまで、選択肢は無限に近いほどにあった。人の群れ、人間の可能性にみずきを幸せにする路線も多分にあったはずなのだ。それが、どんどん潰れてしまってこんな俺一つきりが残った。

 幸せに、なって欲しい。それは、心から思うことだった。もっと様々なことを経験して貰いたかったし、何より長生きして欲しい。

 けれども、こんなセカイの終わりで、そんな贅沢はありえなかった。しかし、想わずにいられない。セカイで一番に、幸せにしてあげたかったな、と。

 そして、それが出来たのはきっと、俺ではないと思う。だが、無垢な少女は続けるのだ。

 

「ううん。沢山だった前からずっと、私は貴方が好きだったよ!」

 

 ずっと前。それはきっと、あの日の獣達からみずきを救った時から、なのだろう。

 

「いや、それは……」

 

 弱く、頭を振る。確かに、俺は彼女を身の危険から遠ざけ、貞操を助けた。しかしそんなことなぞが好かれる理由になってたまるものか。

 最期を前にして人々は大いに助け合った。いい人だらけではなかったが、多くの消えて行った人たちが、俺らの助けだった。

 だから、あの時偶々近くに居たばかりの俺が、彼女の純粋なものを受け取って良いのか。それには、随分と迷いがあった。だからずっと、手をこまねいていたというのに。

 

「あはは。良いんだよ。ゆう君だって、幸せになって良いんだよ?」

 

 みずきはそう、言った。

 

 誰も彼もが、数多の最期を前にして、暮れている。だから俺も、悲しみに暮れるべきだと思っていたのだ。

 それが二人きりになってしまった墓守、崩れに崩れて†の形にこの世に残った殆ど唯一の建物にて失くなった手を合わせ続けようとしてばかりの者の責務だと考えていた。

 けれども、それは違うのか。

 

「一緒に、幸せに、なろ?」

「みずき…………っ!」

「うわわっ!」

 

 唐突な、浮遊感。全てが噛み合わないような、遂に噛み合ってしまったような、そんな感を受けて、やがて俺らは身を寄せ合う。

 その時、ガチン、という全てが割れる音が響いた。体が痛む。残りが震える。それでも怯えるみずきを支える全身だけは、必死に支えた。この子だけは、最期まで。その思いだけは、確かだった。

 

「ゆう、君……」

「……俺もずっと、愛していたよ」

 

 ひとりぼっちで思うこと。それは、自分以外のこと。そして、ふたりぼっちであったら、きっと互いを思い続けるのだろう。

 最期に、想いは通じた。重なり合った胸元で、鼓動が大きく、跳ねる。

 

 

 やがて、鬆だらけだった世界は――――、一思いに、砕かれた。

 

 

「あ」

「――」

 

 瞬間、誰より近くになって。そうしてぱしゃんと二つは重なる。

 

 蕩けて蕩けて、何より一つになって、そうして俺たちは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんで生きてるんだろうなあ、俺。世界もちょっと前の終わり切る前に巻き戻ってるし……」

 

 車通りよりも人通りをよく望める歩道橋の上。大切などうでもいい人の群れを眺めながら、俺は終わった筈のこれからまた終わるだろう世界を見下ろす。

 無意味と途中から日にちを数えるのを忘れていたが、思い返すに多分後五年と少し経ってから、恐らく再び破局は訪れる。

 しかし、それまでは天下泰平。いいや、この世界に平和でない場所なんてありきたりに溢れているのだろうが、まあそれでも一方的な滅びよりマシだろう。

 

 兎にも角にも、全ては未だ終末の恐れを知らない。故に、のんきにも互いを傷つけあっていた。それがなんだか面白くて、俺はずっと上から観続けている。

 

「ふぅ……」

 

 まあ、そんな風に我関せずを決め込んでいたからだろう。俺は、とうとう彼女に見つかってしまった。

 再びの終わりを前にして既にくたびれた添木雄大と、戸原みずきは再会する。

 きゅ、とローファーで地面を一度擦ってから、その音に振り返った俺に彼女は言うのだった。

 

「ゆう君、探したよ! もうっ、前に言っていた職場には居ないし、うろ覚えのお家に行っても退居済みだって言うし……こんな偶々を期待して街中歩いていなければ、きっと捕まらなかった!」

「そっか」

「そっかじゃないよ!」

 

 きいきい騒ぐ、見覚えあるものより若いみずきを、俺はぼうっと見つめる。感慨が、あまりに強くて言葉が上手く出てこない。

 油や汚れのない、素直に流れる髪が綺麗だ。溶解痕を隠すピアス要らずなその綺麗な唇が、どうにも嬉しい。

 それに何より元気そうで、そして幸せそうだった。まして、確かに彼女は、彼女だけはあの日の最期の俺を覚えている。そんな意外が、何よりも俺を感動させた。

 

 ああ。もう少し、黙っていなければ泣いてしまいそうだ。

 

「ねえ……ひょっとして何か、あったの?」

「…………いや、大したことはないんだ。気分転換に、色々と辞めたんだよ」

「ふうん」

 

 綺麗な青空を見上げ、色々と堪えながら、俺は言う。それに、間違いはない。もう愛せなくなった恋人も、キツいばかりの終身雇用なんてどうせ守れない会社も、見栄張ってそこそこの家賃を払っていたアパートも、どれも続ける価値はないと俺は思ったのだ。

 もう、余生を縛られたくない。そんな思いが強くあった。どうせ、失くなるもの。ならば、と思ってしまうのは一度死んでしまったからなのだろうか。

 

 ふと黙った俺に何を思ったのか、みずきは顔を紅くし、あの日のあの時のように組んだ指をくねらせ、そうして周囲を気にしてから呟くように、告白をする。

 

「ねえ……あの時。愛していると言ってくれたよね。ならこれから、一緒に幸せになろう?」

 

 ああ、眩しい。変わったところで変わらなかった。

 みずきはやっぱり美形でもないし、ブサイクでもない。決して好みの見目ではないのだ。でも、俺には彼女がセカイで一番可愛く見えた。

 

 けれどもそれでも、俺は返さなければいけないのだ。

 

 

「確かに、言ったよ。……だが俺は、ロリコンじゃないんだ。すまんな」

 

 ずいと、寄せられた矮躯に、一歩後ずさる。そう、俺らがこれ以上近づいたら、一方的に俺が捕まることだろう。

 住所不定無職が、少女に声を掛けるだけでもう通報ものな世の中なのに、恋愛沙汰なんて正気ではない。

 過去に戻った俺が、疾くみずきを求めに行かなかったのは、成人前の子供に恋を求めるなんて、反社会的すぎるという理由が主だ。

 自由を気取っておきながら、社会性を守る俺は阿呆だ。けれど、そうでもなければ、とてもとても耐えきれるものではない。今にも、好きを叫んでしまいそうな思いを堪えるというのは、何か名目がなければ、無理だ。

 

「むうっ、私はもう十四だよ、十四! そりゃあ前みたいにメリハリのある体じゃないけど……」

「いや、身長はともかくボリュームはぶっちゃけ大差なかっただろ」

「んなことないっての! いいよ、じゃあここで確認してもらうから……」

「止めろ!」

 

 そして、始まるコメディ。傍から見たら楽しそうなそれが、いざ自分となると差し迫ったものと、俺は初めて知った。

 脱ぐ脱がないの話題は、すぐ終わり、そうしてあの日の自分たちを材料に、ああだこうだ。

 けれども、未だ綺麗な世界の中で、何時か華ともなれない半端な女の子を前にして、諍いは続かない。やがて、再会の嬉しさの中で二人は言葉を少なくして。

 

「……ああ、そうだ忘れてた。久しぶり、ゆう君!」

「そうだな。みずきに会えて、嬉しいよ」

「私も、嬉しいな、あはは」

「ははっ、だな」

 

 俺たちは、笑った。そして、今度は俺が彼女に目を合わせて、言う。

 

「幸せに、なろうな」

「……うん!」

 

 たとえこれからの世界の滅びを知っていても、この愛がずっと残らないものだと知っていても。

 

 それでも、俺は最期まで、きっと彼女の幸せを望むのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなを、望む目。それは、人に紛れず上に在った。木の根の反転、尖った角で天を衝きながら、その楠の一部はひとりごちる。

 

「あら、未消化のままに反芻してしまったか……となると、こうなることもあるんだねえ」

 

 それは、セカイを滅ぼした楠の一部。極小単位ですら、知恵持ち人間を解していた。そうして、異常を見つけるためのその目で、彼女らしき形は雄大とみずきを高い高いビルディングの天辺から見定めるのだった。

 そんな凝視の最中に真横に当たり前のように現れるは、美しい少女の形。彼女は、彼女に問う。

 

「それならば、どうしますか?」

「おや、一番に食えないやつが現れたよ。それでどうするか……かあ」

 

 悩む、鬼。それを食えない少女――山田静――は、ただ平坦な感情を持って、終局の一部の懊悩を見つめる。

 しかし、それも長くは続かず、楠の鬼は簡単な結論を出した。

 

「知っているだろうが、私は言うなれば楠の消化酵素だけれども、それでも人の似姿をした、自由に意思持つものでもある」

「すると?」

「どうせあんなの幾度かの反芻の内に消え去る意味ある形。そんなもの、放って置くさ。面倒くさい」

 

 この世の細胞と宇宙の相似を知っているのであれば、外の世から来た楠の鬼とその細胞に似通う部分があっても、何ら不思議ではない。それはありがちな、ミクロとマクロのフラクタル。

 まるで人間のような彼女は、似たような感情を持って、放置を宣言した。それに、満足そうに静は頷く。

 

「そうですか」

「ま、取りあえずは監視を続けておくよ」

「彼らが楠の腹を突き破るような異物ではないと、思いますが」

「単に、暇だからねえ」

「なるほど」

 

 働かない、働きアリは、そう言ってごろりと過去の位置に戻ったばかりの消化物たる巨大建造物に横になる。そうして、彼女はそのまましばらく不動を貫くようだった。

 その隣で、げに美しき少女は独りそれこそ全てを識りながら、何も出来ない手をただ宙に広げる。ただ山田静は、どこにでもいる少女、でしかないから。だから、願うばかりだった。

 

「さて、この終末。奇跡の軌跡を残すだろう貴方がたに、最大限の幸福がありますように」

 

 彼女は、全てに向けて、そう締める。

 

 

 

 

 やがて始まる全てこそ、終わるセカイのルミネーション。

 

 

 セカイの終わりはまた、始まる。

 

 

 



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