Fate///EXTheuR-geAr 作:あんころもちDX
日本の地方の田舎町・夏川町に住む少年・駆狼。
彼はその日、ドイツからやってきた転校生の少女・グレーテと出会う。
「『グレーテ・レーナ・フランツィスカ・クロイツェル』で、す。長いの、で、“グレーテ”と呼ん、で、下さい。よろしく、おねがい、しま、す」
しかしその夜、彼は彼女が赤い甲冑を身に纏った少女に殺される場面を目の当たりにしてしまう。
そして……。
「マスターから、目撃者は一人残らず殺せって話だ。運がなかったな」
駆狼自身も胸を槍で穿たれて殺されてしまう。
グレーテの行おうとしていた儀式を妨害しようとする甲冑の少女――
そのまま流れるようにして、二騎の戦士は互いの得物を交えて戦闘を開始する。
「
「早くも宝具を晒すとは、不用心な奴め」
戦いが激化する中、グレーテは目を覚まし、駆狼にある
その結果、彼女の手によって甦った駆狼は、その姿を咆哮と共に醜悪な狼男へと変える。
そして、グレーテは静かに駆狼に告げるのだった。
「私が貴方のマスター。行きなさい、
これが運命の七日間を告げる合図。
ランサーとセイバーに、怪物の牙が襲いかかるのだった。
「―――――――――――――!!!!!!」
けたたましい咆哮。
怪物はランサーとセイバーに迫るように駆け出す。
「なんだ、コイツは……」
「呆けてる場合か、武器を構えろ。彼を取り押さえるぞ、ランサー!」
「わーってるよ!」
セイバーに言われ、
とにかく、相手の素性が分からない以上、決め手となる
「まずは奴の動きを止める!
放たれた
しかし、怪物はそれを何てことないかのように
「なにっ!?」
ランサーにとって、
今までだって飛翔するあの槍を掴んでみせた猛者は見たことがない。
「狼狽えるな!」
そこへセイバーが黒鍵を
怪物はそれさえも掴もうと黒鍵に触れた瞬間。
「グゥ!?」
まるで強い反発を受けたかのように後方へと吹っ飛んだ。その際に槍から手を放したために、
(まただ。また、魔力を感じなかった)
帰還した
セイバーの投げ飛ばす黒鍵、何度見ても魔力を感じない。つまり魔術的なもので黒鍵を強化しているわけではないということ。
――身体技術も極めれば伝説の武器に及ぶ――
セイバーが発したあの言葉。身体技術による投擲方法であそこまでの威力を発揮する武術など聞いたことがない。
少なくとも、
さて、セイバーの黒鍵で吹き飛ばされた怪物だが、壁に激突してから動きがない。
「死んだのか?」
「いや、気絶しただけだろう。……さて」
セイバーは地面に落ちた黒鍵を拾い上げると、そのままランサーの首元に突き立てる。
「これ以上彼らに危害を加えるのなら、ここで消えてもらうことになるが?」
「……やめだ」
ランサーは小さく笑う。流石に分が悪く、何より手の内を晒しすぎた。
慌てなくても聖杯戦争はまだ始まったばかり、ゆっくり楽しめばいい。
「マスターの命令を遂行できなかったのは痛いが、今晩はこれぐらいにしとく。1日目はどこも様子見だろうしな」
「……そうか」
ランサーから戦意が無くなったことを確認して、セイバーは剣先を下げた。
「それじゃあ、2日目の夜にまた会おう」
そう言ってランサーは霊体化してその身を消した。
彼女が消えるのを見届けてその気配がこの周囲から離れたことを確認すると、続いてセイバーはグレーテに目を向ける。
「……なぜ、彼を巻き込んだ?」
彼とはすなわち、駆狼のことである。
「それが、最善と判断したから」
淡々と答えるその態度に苛立ちが沸き上がってくる。
「彼は魔術師じゃない。ただの一般人だぞ」
「だけれど、ベルトを巻かなければ彼は死んでいた」
グレーテの言葉。それもまた事実である。
駆狼はその心臓をランサーの
かの槍は勝利をもたらす殺戮の武器。一度殺すと決めた相手を必ず殺す。
心臓が穿たれた以上、駆狼を助けるには心臓に代わる延命装置が必要だった。
「……」
目元は目隠しの布で覆われて確認できないが、口元が強く噛み締められていることから、セイバーとしては相当複雑な心境であることが伺える。
「助けてくれたことには感謝しよう。だが、そこまでだ。これ以上、彼が聖杯戦争に関わることを見過ごすわけにはいかない」
「その言葉には従えない」
グレーテとしても、このまま引き下がるわけにはいかない。彼女にとっても、使命を帯びてこの聖杯戦争に臨んだのだ。
セイバーは黒鍵を握る手に力を入れるが、それをグレーテに振るおうとは思わない。……いや、
駆狼を聖杯戦争に巻き込みたくないというセイバーの思惑は、駆狼がランサーによって命を落とし、グレーテがそれを救った時点で既に詰んでしまった。
あとは、運命の赴くままに委ねるしかない。
「……そうか。それは残念だ」
黒鍵は再び元の髪の束に戻って地面に落ちる。そこで、一瞬だけ満月が雲に隠れて辺り一面が暗くなる。
「セイバー……」
グレーテが言葉を溢した次の瞬間には雲が晴れて、再び満月の明かりで照らされる。
その時には既にセイバーの姿はなく、ここに残されたのは自分と駆狼の二人のみ。
駆狼の元に歩みを進めてみれば、彼の姿は既に怪物から元の人間にへと戻っていた。
気絶したまま小さな寝息を立てて眠っているその光景に、グレーテはか細い声で呟く。
「…………ごめん、なさい」
―――――――――――――――――――――――――
〈ククク〉
黒く暗い闇の中で男の不気味な笑い声が響き渡る。
――誰だ? 笑ってるのは誰だ?――
自分の姿すら確認できないその空間で笑い声の主に問いかける。
〈クク……クハハハハ〉
しかし、笑い声は問いかけに答えることなく、むしろこちらの反応を愉しんでいるかのように絶えず笑い続けている。
――お前は一体、誰なんだ?――
それでも尚も問いかけ続ける。少なくとも、今の自分にはそれしかできない。
ふと、誰かが自分の肩に背後から手を置いた。
振り返って最初に目に入るのは上空の満月。そして――
〈オレは……お前だよ〉
金色の瞳の灰色の狼男が、こちらを愉快そうに見つめていた。
「っ!?」
慌てて目が覚めて、辺りを確認する。
今日は7月2日、金曜日だ。
「今のは……」
駆狼は自身の額に手を当てると、汗でびっしょり濡れていた。ここは自分の自宅の一室。
昨日の自分は一体、何をしていた?
昨日の自分は一体、どうなった?
――マスターから、目撃者は一人残らず殺せって話だ。運がなかったな――
赤い甲冑を身に纏った少女の声。そうだ、自分は確か彼女によって胸を槍で穿たれたのだ。
「傷は……無い」
穿たれたはずの場所に特に傷跡はない。なら、昨日のアレは一体……。
「昨日のは、夢……?」
確かに、現実にしては些か荒唐無稽だ。夢だったのだと結論付けるのが一番しっくり来る。
きっと、いつものとはタイプの違う悪夢を見ていたに過ぎない。
だが、そう思う一方で「本当に夢だったと簡単に片付けてよいのか?」という疑問も強く沸き上がってくる。
――ピンポーン――
そんな時、インターホンの音が鳴った。
ひとまず答えの出ない思考から離れて現実に立ち戻る。
時計を確認してみれば時刻は七時。いつも通りの時間だ。
さっさと寝間着から制服に着替えて学校へ行くための身支度をする。あれは夢、あれは夢。自分にそう言い聞かせながら。
洗面器で顔を洗う。
〈本当に、そうかな?〉
「――――っ」
ふと洗面器から顔を上げて鏡を見る。
〈本当は、気づいているんだろ?〉
金色の瞳をした自分が、微笑んでいた。
「っ!?」
慌てて少し曇っていた鏡を拭う。今のは、本当に自分か?
曇りかけていた鏡面が鮮明になり、改めて自分の顔を見る。
瞳は禍々しい金色ではなく、いつも通りの青色。表情も微笑んでなく、焦燥に染まっている。
「あ、あはは……寝ぼけてたのか」
そうだ、きっとそうに違いない。そうに違いないんだ。
あんな夢を見るから、あんな幻覚と幻聴に襲われるんだ。何もおかしなことなんて、ないんだ。
平静を取り繕うように、自分に言い聞かせる。でも、どこかで誰かがそれを嗤ってるような気もした。
「やあ、おはよう駆狼。どうした、顔色が悪いじゃないか」
「影狼……。おはよう」
扉を開ければ、そこにいたのは影狼ただ一人。駆狼は辺りを見回す。
「あれ、水芭先輩は?」
「ああ、昨日のバスケ部の部活動中に足を捻ったらしくて、
「なるほど……」
ならば、暫くは三人での登校も難しくなるだろう。そう思いながら、駆狼と影狼は共に歩きだした。
いつもと変わらない道と風景を二人で歩いていく。そんな中、先に口を開いたのは影狼だった。
「ところで駆狼、転校生はクラスに馴染めそうかい?」
「ああ。昨日もクラスの女子達とクレープを食べにいく約束をしていた」
誰もグレーテに対して拒否反応を示すような人間はいない。きっと、うまくやっていけるだろう。
「それは何よりだ。なんせ、うちの学校で海外の生徒を編入させるのは前例がないからね。生徒会長として、それだけが心配だった」
「皆、
「確かに、違いないな。――――なあ、駆狼」
自分の心配は杞憂だったと笑う影狼。それでいて、少し伺うように駆狼に問いかける。
「お前もいずれはこの町を出ていくのか?」
「……分からない」
ここから離れて外の世界に足を運ぶ。考えたことがなかったわけではないが、いまいち自分がそんな行動に出ることが想像できない。
「そう言う影狼はどうなんだ?」
「僕は……蘭花姉さんと一緒に教会の洗礼を受けるからね。この町に留まるつもりさ」
「そうか。そういえば、そうだったな」
駆狼と影狼と蘭花は16年前に起きた大規模震災により親を亡くし、その後影狼と蘭花の二人はこの夏川町にある『夏川教会』に養子として引き取られた。因みに駆狼だけは父方の祖父の元へ引き取られたが、その祖父はもう5年以上も前に亡くなっている。
とにかく、彼ら二人は高校卒業と同時に教会の洗礼を受けるのが決まっている。
ならば、自分はどうすべきなのか。彼らと共にこの町に留まるのかもしれないし、一人だけ外の世界に赴くかもしれない。
やはり、答えは出なかった。だから、つい問うてしまう。
「影狼はどうして洗礼を受けようと思ったんだ? 洗礼を受けずにもっと自由に生きる道もあったはずだろう?」
「……そうだな、そういう選択も確かにあったんだろうけどさ」
少し考え込むように影狼は「んー」と唸ると、納得のいく答えが出たのか、口を開く。
「結局、僕はこの町が好きなんだと思う。駆狼と蘭花姉さんと一緒に過ごしたこの町が。だから、教会の関係者としてこの町を守っていくことは、僕にとって何よりも代え難いことなんだ」
「……なるほど。羨ましいな」
明確な自分の答えを持ってることに、駆狼は純粋にそう思う。
そんな駆狼に対して、影狼は少し意地悪そうに言う。
「なら、お前も洗礼を受けるか?」
「それは――」
「言っておくが、“お前が望むなら”ってのは無しだぞ」
駆狼が口から出そうになった言葉を先読みしたように、影狼が割り込む。
一方の駆狼は驚きからか目を見開くと同時に、影狼は「やっぱりな」と笑う。
「お前のそういう誰かのために行動できるところは美点なんだろう。でも、自分の未来ぐらいは自分で決めろ。誰かの意思に身を委ねすぎるな」
「――ああ、そうだな。……その通りだ」
影狼の言いたいことは凄く分かる。誰かが自分に託してくれた願いを、言い訳にしてはいけない。
それはきっと、自分にとっても相手にとっても、辛い結末しか招かないだろうから。
そうして歩いていれば、いつの間にか学校の校門前まで着いていた。
「おはよう、お二人さん!」
すると、校門前で停車しているバイクが一台あった。
乗っているのは蘭花、そして蘭花と影狼の養父である『ハメス・セルバンテス』だった。
ハメスは「おや?」と振り返って駆狼と影狼の姿を確認すると「おお!!」ととても嬉しそうな声を出す。
「駆狼くんじゃあないか! 久しぶりだねぇ」
ハメスの嬉しそうな声に駆狼は頭を下げる。ハメスは元々はスペイン出身の外国人で、20年ほど前からこの夏川町で神父として務めている男性だ。
気さくで裏表がなく、また町起こしのためにイベントを積極的に提案したりと大いに貢献したことから町中の人々から強く信頼されている。
異国から来たグレーテをクラスメイト達がすんなり受け入れたのも、彼の功績があってこそだろう。
「お久しぶりです、セルバンテスさん」
「そんな他人行儀に畏まる必要はないぞ、少年! もっとフランクに、親しみを込めて、ハメスと気軽に呼びなさいな!」
「いや、それは……」
このように、凄く押しが強い。どこかの誰かさんを彷彿とさせる。
「お
「なに? それはいかんなぁ、いかんぞ! 駆狼くん!!」
ハメスにとって、駆狼もまた大事な子供のような存在だ。気にかけないわけにはいかない。
駆狼が対応に困っていると、助け船を出すかのように影狼が会話に入ってくる。
「ところで、
「オーゥ、それを言われると痛いな。確かに、神父が不在のままでは祈りは始められない。駆狼くんとの談笑は、またの機会にしておくよ」
ハメスはそう肩を竦めて笑う。彼はとにかく人間関係を重視するタイプの人間で、座右の銘は“一期一会”。
特に影狼と蘭花が彼の養子になったにも関わらず、二人の名字がセルバンテスでないのは、ハメスが彼らの両親の意思を尊重したいということであり、そんなところからも彼の人となりが窺い知れる。
時間は朝の7時半。夏川教会で行われる朝の祈りは7時45分からだ。
影狼が蘭花に肩を貸してバイクから降りるのを手伝い、蘭花を無事に学校に送り届けたことを確認したハメスは再度バイクのエンジンを吹かす。
「それでは、勉学に励みたまえよ少年少女諸君!
静かな田舎町の朝とは対照的な激しいエンジン音とハメス自身の「アーハッハッハッ!」という笑い声が響き渡る。
そんな光景に駆狼はポツリと漏らす。
「相変わらず濃い人だな、セルバンテスさんは」
「「……」」
駆狼の言葉に影狼と蘭花は何とも言えない表情を浮かべる。悪い人ではない、と言いたげなのが伝わってくる。
そこへ、コツコツと静かな足取りの足音が聞こえてきた。
ふと駆狼がそちらに目を向けてみれば、思わず身構えてしまった。
「……クロイツェル」
「おはよう、ございます」
歩いてきたのはドイツからの転校生であるグレーテ。
小首を傾げながらの、たどたどしい日本語。日本人とは明らかに異なる色彩を放つ存在。
視線をグレーテの顔から胸元に移る。昨日の槍が刺さった箇所は何事もないように見える。
その次に目に入ったのは、右手のみに着けられた白い手袋。たしか、昨日は特に手袋は着けていなかったってはずだが。
「元気そうだな……」
「はい」
「ところで、右手はどうしたんだ? 昨日は手袋なんて着けてなかっただろ」
我ながら少し語気が強くなってるのを感じる。これでは尋問しているみたいだ。
問われた彼女は自身の右手を一瞥すると、淡々と答える。
「昨日、料理中に火傷したので」
「……。気をつけろよ」
本当に、そうなのか……? そう問いたくなる気持ちをグッと抑えた。
そこで気持ちを一旦落ち着かせようとするが、どうしても心の底から沸き上がってくる疑念を振り払いたい衝動に駆られる。
本当に昨日のはただの夢なのか。自分もグレーテも無傷、そもそも昨日の出来事はあまりにも現実離れしすぎていた。
だから、どうしても確認を取りたくなる。
「昨日の校舎案内の後、どこにいたんだ?」
「……ずっと、自宅ですが」
「そう、か……」
なんとも我ながら歯切れの悪い言葉だと思う。ほら、やっぱり夢じゃないか――そう思いたいのに、どうしてかしっくり来ない。
すると、駆狼になだれかかるように蘭花が「かわいいー!」とグレーテを見つめる。
「この娘が噂の転校生ちゃん? ウサギみたいで可愛いね!」
「どうも」
グレーテは蘭花に軽く会釈をしてから自身の名前を告げる。
「グレーテ・レーナ・フランツィスカ・クロイツェル、です」
「……………うん、名前長いね! グレちゃんって呼んでもいい?」
「お好きに、どうぞ」
「やった! じゃあ、私のことは“蘭花”って呼んでね」
「はい、蘭花先輩」
グレーテの返答に蘭花は「これよ、これ。これぐらいの柔軟性を駆狼も見習うべきなのよ」と何度も頷く。それに対して駆狼は「そうですね」と心の籠っていない棒読みな言葉を漏らす。
そして、グレーテは影狼の方を向くと頭を下げて一礼する。
「昨日は、どうも」
「え……――ああ。いや、僕は特に大したことはしていないが」
影狼がグレーテにやったことは生徒会長としての軽い挨拶程度だ。影狼としては、自分よりも駆狼の方が彼女の助けになっていると感じている。
「何か困ったことがあれば、僕や駆狼に遠慮なく言ってくれ。力になると約束しよう」
「私のことも先輩として頼ってね、グレちゃん!」
そう元気よく叫ぶ蘭花に影狼は少し呆れ混じりの溜め息を溢して、彼女の右足に巻かれている包帯を見つめる。
「先輩として頼られる前に、蘭花姉さんはまず利き足を治すことに専念した方がいいと思うけどね」
「うぐぅ……相変わらず一言多いわね、影狼くん」
口元を強く結んで恨めしげに影狼を見つめる蘭花。
「……」
一方の駆狼はそんな光景を無言で見つめながら、横目でグレーテを盗み見る。
昨日の出来事の真偽、彼女の素性。考えすぎだと言われればきっとその通りだろう。
でも。
(あれは、きっと……――)
自身の刺された胸に手を当てる。
(あの時の痛みは、夢にしてはあまりにも)
心臓が潰されるような激痛、体全体の力が抜けていく感覚。あんな生々しさを果たして夢で見られるものなのだろうか。
――キーンコーンカーンコーン――
HR開始10分前を告げるチャイムが鳴る。周りを見れば、慌てて校門を通過する生徒の姿がチラホラと見受けられる。
蘭花は「やっばい!」と慌てる。
「早く行かないと遅刻になっちゃう! 駆狼、影狼くん、また放課後ね!」
そのままけんけんの要領で自分のクラスまで向かおうとする。
今にもバランスを崩して倒れそうで見てられないその光景に、影狼と駆狼は同時に駆け出す。遅れてグレーテも少しだけ早歩きで追いかける。
「蘭花姉さん、そんなに慌ててると今度は左足も挫くことになるよ」
「無茶はしない方がいいです、水芭先輩」
蘭花の両サイドに立ち、それぞれが肩を貸す。そのことに蘭花は申し訳なさそうな声を出す。
「うぅ、めんぼくない……」
蘭花の言葉に幼馴染二人は「気にするな」と言わんばかりに小さく笑う。
すると、グレーテは両手を差し出す。
「荷物を持ちます、蘭花先輩」
後輩組三人の至れり尽くせりな行動に蘭花は思わず感激の声を漏らす。
「くぅ~、良い後輩を持てて私は幸せ者だなぁ」
「よよよ」と泣く蘭花に影狼は「はいはい」と呆れた声を出す。
そんな二人のやり取りに駆狼は思わず笑ってしまう。
「なんか、三人でこうやって並ぶのが懐かしいな」
駆狼のその言葉に影狼と蘭花は目を見開く。まさか、彼の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。
影狼は少し「やれやれ」と肩を竦める。
「昨日一緒に登校できなかっただけで懐かしいと言われてもねぇ」
「ちょっと、影狼くん。あんまり茶化さないでよ」
そこでまた三人で笑う。自分達は16年前からずっと一緒にいる幼馴染。
誰が欠けても成り立たない、三人揃って初めて完成する関係だ。
そのことを思い起こさせてくれる言葉を、普段から自分の感情をあまり口にしない駆狼が言ってくれたことが、二人にとってとても嬉しいことであった。
「明日空、駆狼……」
そして、三人の様子を少し後ろで眺めつつ、グレーテは駆狼を見つめる。いや、正確には観察していると言った方が正しいか、それとも監視とでも言うべきか。
「
そのまま静かな足取りで三人について行くのであった。
時間は少し経って朝のホームルーム。弓人はクラス全体の生徒の名前を読み上げ、出席確認をしていく。
呼ばれた生徒は間髪入れずに「はい」と返答する。
そして、最後の生徒の名前を告げた。
「
あれほどテンポが良かった返答が返ってこず、件の生徒の席を見つめる。
その周りの生徒に目を向けても誰もが存じ上げぬと首を横に振る。弓人は「またか」と溜め息を溢した。
「どうせ学校内のどこかにいるんだろうが。……全く、せめて朝のHRには顔を見せてほしいもんだ」
とりあえず件の生徒は後で探すとしよう。そうして早々に出席簿を閉じて「さて」と仕切り直す。
「お前らも知ってるように昨日からこの夏川町は満月週間に入った。あまり学校に長居はせず、用事が済んだらすぐ家に帰るように」
クラス全員に言い聞かせるように言うと、所々から「でも部活がー」という声が漏れる。
「部活にのめりこむのは大いに結構。だが、それも程々にしておくことだ。特に、最近は失踪事件が多発している」
「……」
失踪事件。その言葉にグレーテは少しだけ反応した。あくまでポーカーフェイスを保っているが、先程よりも目が少し泳いでいた。
その様子を目敏く見つめていたのは駆狼だった。今朝から感じる彼女への不信感から、横目で密かに観察していた。
失踪事件と彼女は何らかの繋がりがあるようにどうしても思えてしまう。それが直接的にしろ間接的にしろ。
「それじゃあ、朝のHRはこれぐらいにしておこう。起立」
そこで弓人が号令をかける。起立と言われたのでクラス全員が立ち上がる。
「気をつけ、礼」
『ありがとうございました!』
「うっし。じゃ、一時間目まで一時解散だ」
朝のHRが終わったことで弓人は早々に教室から出ていく。恐らく、出席していなかった双葉という生徒を探しに行ったのだろう。
さて、横目でそのまま隣席のグレーテを見てみれば、昨日の女生徒三人組に囲まれていた。
聞こえてくる会話からどうやら「今日こそクレープを一緒に食べに行こう」ということらしい。グレーテもそれに同意するかのように頷いている。
「おい、明日空!」
すると、目の前に誰かがやって来た。名前を呼ばれたのでそちらに目を向けてみれば駆狼のクラスメイトだった。
「
目の前にいた少年は『
「『友也、か』じゃねえよ! 何度も呼んでるのにボーッとしやがって。俺との約束、忘れてねえだろうな?」
友也にそう言われたので素直に頷く。
「ああ。枡田先生が言ってた失踪事件の調査だろう?」
「そう、その通り! 今年は1999年、ノストラダムスの予言によれば今年で恐怖の大王が現れ、世界を滅ぼすという。この失踪事件は、そのことに関係していると俺はズバリ考えた!」
「考えすぎな気もするが」
「その油断が俺達の命取りになるんだ!」
友也は「いいか」と駆狼に懇切丁寧に自分の持論を展開していって失踪事件とノストラダムスの予言の関係性について説明していく。
一方の駆狼はそれを適当に相槌を打って聞き流している。
「……お前、ちゃんと聞いてないだろ」
「聞いてはいるぞ」
「お前なーっ!!」
地方の片田舎の朝に友也の怒声が響き渡った。
その頃、駆狼達が通う学舎である集命高校の校舎裏。そこに佇む少女に、弓人が声をかける。
「槍原、こんな所にいたのか」
「……その名前で呼ぶんじゃねえ」
弓人に振り返った少女――『
「なら、双葉って呼べばいいか?」
「そういう意味じゃねえってことぐらい分かんだろ。ブッ殺されてえのか、
「こら」
弓人は持ってた出席簿で双葉の頭を軽く小突く。
「痛っ!」
「女の子がそんな物騒な言葉を使うもんじゃないぞ。――それに、どこで誰が聞いてるか分からないんだ、あまり軽はずみな言動も控えるように」
「……悪かった」
小突かれた頭を抑えるとそのままそっぽを向きながら謝罪する。
弓人は溜め息を吐きながら「分かればいい」と双葉の頭を撫でるものの、双葉はそれをすぐにはね除けた。
「子供扱いすんな」
「生前含めてもお前の方が俺よりも300年ほど子供だと思うぞ」
「うっせぇ!!」
殴りかかろうとする双葉の拳を丁寧に片手で捌き、そのまま額に「隙あり」とデコピンを喰らわす。
「ぐおっ!?」
「お転婆なのも大概にしておけ。とにかく、今は学生として大人しく授業に参加しろ」
「くそが……誰がそんなママゴトしてられっか!」
すると、双葉は両手を構えようとする。しかし。
「っ!?」
弓人はすかさず足払いをして双葉を横転させ、彼女の顔を覗き込むようにして言う。
「宝具まで出そうとするのはナンセンスだぞ。それとも、ここで協定関係を解消するか?」
「……。覚えてろよ」
倒れていた双葉は立ち上がると、そのまま校舎とは反対の方向へと歩き出す。
「どこへ行く?」
「帰るに決まってんだろうが」
「それを今の俺が許すと思うか?」
曲がりなりにも、今は生徒と教師。生徒の非行を黙認するつもりはない。
双葉はうんざりしたように言う。
「どうせ、オレ達はあと六日で消滅する。意味なんてないだろ」
「六日しかないからこそ、第二の生を謳歌してみるのも手だと思うが」
「ハッ!」
双葉は心底馬鹿にしたような表情で鼻で笑う。
「光の御子が聞いたら爆笑もんのことを言うんだな。真っ当な英霊なら、第二の生なんて望む奴なんかいやしないっての」
そう言って立ち去る彼女の背に、弓人は肩を竦める。
「逆だ、
どうせ聞こえやしない。聞く耳を持たない者にわざわざ忠告をする必要はない。
だがどうしても、弓人は双葉を気にかけてしまう。彼女の姿に、生前のある人物が重なる。
「不思議なもんだな。双葉はお前と全然違うのに、どうにもお前の姿が頭に過る……なぁ、
遠い昔の過去。まさか自分がこのような数奇な運命を辿るとは思わなかった。不意を突かれて呆気なく終わった我が生涯、結局失ったものは何一つ取り戻せず、世界に縛られるというこの体たらく。
今一度弓人は己の原点に立ち返り自分を見つめ直す良い機会だと、今回の聖杯戦争で感じた。だからこそ、この集命高校で教員として勤めている。
「……」
出席簿を開き、赤ペンでチェックマークを点ける。
「槍原双葉。本日も欠席、っと」
―――――――――――――――――――――――――
「――で、あるからして」
「……っ」
午前中の授業、科目は数学。教師の長ったらしい話に数人の生徒は居眠りをしている中、駆狼は激しい頭痛に襲われていた。
(頭が…痛い……。なんだ、この割れるような痛みは……っ!!)
今まで確かに発作的な頭痛に悩まされることはあったが、それでもまさかここまで酷くズキンズキンと拍動するような痛みが出たことはなかった。
そこでふと、教室の窓ガラスに視線を移す。
「っ!?」
そこに映っていたのは、金色の目をした自分。驚きからか目を見開いた自分だった。
そのまま思わず席から立ち上がってしまった。
「……明日空、どうかしたか?」
少々年齢を召した数学教師が不思議そうな表情を浮かべて首を傾げながら尋ねてくる。
周りも怪訝そうに自分を見つめていて、言葉に詰まる。
「え、あ……その……」
改めて窓を見ると、やはりいつも通りの目の色であった。
何か言おうと口を開き、言葉を絞り出す。
「ず、頭痛が酷いので……保健室行ってきます」
気づけば頭痛が治まっていたものの、それ以外に何か言えることなかったのでそう口にした。
数学教師は納得したように頷く。
「そうか。今の季節だと熱中症かもしれんしな、あまり無理はするなよ」
「ええ……お騒がせしました」
数学教師は「気にするな」と笑い、グレーテの方を向いて言う。
「クロイツェル、明日空の付き添いを頼めるか?」
「分かり、ました」
そう言われ、グレーテは駆狼の手を握る。
「ついて、来て」
そのまま手を引かれて駆狼は力無く歩きだした。教室から出る直前、友也が小さく声をかける。
「おい、大丈夫か明日空?」
「……ああ、ちょっと休んでくる」
「放課後、無理ならやめとくか?」
「いや、問題ない」
友也は不安そうな表情を浮かべたまま「なら、いいけどよ」と漏らす。
駆狼としては、彼との約束を取り止めるつもりは一切ない。それだけはやってはいけない。
友也との会話を切り上げ、グレーテによって保健室に連れて行かれる。
夏の日光が廊下を照らし、歩いているのはグレーテと駆狼のみ。
「体調が、悪いですか……?」
グレーテが唐突に口を開いた。
「いや……この時期になると毎年頭痛が出るんだ。今日のは、今までの中で一番酷いけど」
駆狼は素直な所見を述べた。
夏の時期というよりも、満月週間になると悪夢と頭痛に襲われる。それさえ過ぎればまた一年後まで治まるのだが。
特に今年のは自分でも異常だと思う。悪夢や頭痛だけでなく、幻聴や幻覚すら見え始めているのだから。
「なら、早く良くなると、いいですね」
「ああ……。そうだな」
駆狼は自分を先導して歩くグレーテの背を見つめる。この頭痛の酷さと幻覚と幻聴、そのどれもがこの少女が関係しているように思えてしまう。
確証はないが、不思議な確信がある。そんな奇妙な感情が体全体に渦巻いている。
「着い、た」
彼女の足取りが止まり、横の扉を見れば『保健室』という表記がある。
グレーテは扉を三回ほどノックすると、中から「どうぞー」という間延びした男性の声が聞こえてくる。
扉を開けると、保健室の奥の方で椅子に座っている白衣姿の男性――『
「こんにちは、見知らぬ異国のお嬢さん。そっちは明日空駆狼くんだね」
太陽は二人を快く歓迎して、保健室内に入室するように手招きをする。
彼はその日本人離れした整った顔貌から女生徒達からの人気が高く、よく仮病で保健室に訪れる生徒も少なくない。
「今日は一体どうしたのかな?」
「彼が、頭痛が酷いので、連れてきました」
「ふーん、なるほどねぇ」
グレーテの言葉を受けて駆狼の方へ顔を向けてからベッドを指差す。
「頭痛が和らぐまで、そこのベッドで横になってるといいよ。ちょっと頭痛薬を探してくるね」
太陽の言葉を受けて、駆狼は指定されたベッドに腰かける。
席から立ち上がった太陽は、薬が収納された戸棚を開いて頭痛薬を探す。
一方のグレーテは駆狼を保健室へ送り届けたので、そのまま立ち去ろうとすると太陽が「あ、ちょっと」と声をかける。
「この用紙に名前とクラスを記入してもらえるかな。あと、入室時間ね」
「分かり、ました」
グレーテは頷いて、手渡された用紙に所属クラスと自分の名前、壁にかけられた時計を見ながら入室時間も記載する。
「んーと。……おっ、あったあった頭痛薬」
「これ、どうぞ」
戸棚から頭痛薬を見つけた太陽に用紙を差し出す。
「おー、悪いね。……ふーん、
「どうも」
グレーテから差し出された用紙を目を細めながら見て小さく笑う。
その用紙を机に置いて「ご苦労さん」と伝える。
「明日空くんは私の方で預かっておくから、もう教室に戻って大丈夫だよ」
「はい」
太陽に対して一礼すると、今度こそ保健室から退散する。
駆狼はそれを無意識に目で追う。機械的で規則正しい足音が響く。
保健室の扉が閉じた瞬間、太陽が駆狼の肩を軽く叩く。
「はい、お水とお薬」
「あ、どうも」
太陽から水の入った紙コップと薬を受け取ってそれらを飲む。
太陽は駆狼の額に手を当てて熱がないかどうか判断する。
「んー、熱はないかな。熱中症ではないだろうけど、気分が良くなるまでベッドで寝てた方がいいね。良くなったら、教室に戻って大丈夫だよ」
「はい、ありがとうございます」
「ん。もしかしたら疲れが溜まってるのかもね。じゃあ、おやすみ」
駆狼はそのままベッドに横になって瞼を閉じる。確かにここのところ部活の助っ人の掛け持ちに放課後のバイトで、先生の言うとおり、疲れが溜まっていたのかもしれない。
たまにはこうやって体を休めるのもありかもしれないと自分に言い聞かせて、大人しく眠りの世界に身を委ねることにした。
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―――
――
―
――やった――
――やったぞ――
――オレは再び、この世に舞い戻ってきた――
――今はコイツの中だが、いずれ全てオレのモンだ――
声が聞こえてくる。意地汚く嗤い続ける男の声。
黒い泥の影が自分を追って来ているのが分かり、思わず駆け出す。
――逃げてもムダだぜ――
――なんてったって、オレはお前の中にいるんだからよォ――
――大人しく身体を明け渡した方が楽だぜェ――
本能が自分に告げる。その声に従っては駄目だと、捕まってしまえばもう後戻りできなくなると。
声の主はとても恐ろしい存在だ。それこそ、自分と対極に位置するような存在だと恐怖心が沸き立つ。
来るな、来るな。そう叫び続けているのに声は木霊せず闇の中に消えていく。
聞こえてくるのは不気味な男の嗤い声のみ。
光が見えない。どこへ逃げればいいのかも分からない。
そもそも、逃げているのかすらも怪しい。
そうこうしている内に、足が掴まれた感覚がした。
――捕まえたぜェ――
足から這い上がってくる影。もがいても振り払うことはできず息苦しい窒息感に襲われる。
誰か、誰か。声にならない声で助けを求める。
誰か、――どうか。
そんな時だ。
闇の中で心地よい音色が聞こえてきた。
気持ちを落ち着かせるような優しい琴の音。聞いていて不思議と気分が楽になってくるような感覚さえある。
気づけば、あれほど覆われていた闇の中に僅かな光が浮かび、それは徐々に大きくなっていく。
身体を侵食しようとしていた影すら消え、駆狼はその光へと歩きだした。
――ミーンミーン――
「――っ!?」
悪夢から飛び出すかのように、駆狼は上体を勢いよく起こして周りを見渡す。
場所は保健室。夕日の光が窓から室内を照らし、セミの鳴き声が聞こえてくる。
「おや、お目覚めかい? とは言っても、もう放課後だけれど」
そこへ、太陽が駆狼のもとへ近づいてきた。何故か、手元に琴を携えながら。
「あの……術野先生、その琴は?」
「ん、これかい? 何か悪夢でも見てうなされてるようだったから、気分が和らぐようにと弾いてたんだ。ほら、私って養護教諭だけじゃなくて音楽部の顧問もやってるから」
太陽は手に持っていた琴を一旦机に置くと、駆狼に尋ねる。
「気分はどうかな?」
「……はい、問題ないです」
「そうか。なら良かった」
「あの、ありがとうございます」
駆狼からの感謝の言葉に太陽は首を傾げる。
「何がだい?」
「いえ、その……術野先生が琴を弾いてくれなかったら、もしかしたら永遠に夢から覚められなかったような気がしたので」
実際、夢の中で琴の音が聞こえたことで闇と影はどこかへと消えていった。
もしあのまま琴の音が聞こえなかったらと思うと……思わず寒気すら感じる。
「うーん……言ってる言葉の意味がいまいちよく分からないけれど、君の助けになったのなら幸いだ。あと、保健室の外で君のお友達が待ってるよ」
「……はい。本当に、ありがとうございました」
ベッドから降りて壁にかけられた時計に目を向けて時間を確認する。時刻は午後四時半、帰りのホームルームが終わって三十分ほど経過したぐらいだろうか。
駆狼は再度太陽に一礼してから保健室を後にするのだった。
「大丈夫か、明日空?」
保健室から出た駆狼をまず出迎えたのは友也。そしてその後ろに控えているのは影狼と蘭花だった。
「心配をかけてごめん」
そう謝る駆狼に影狼は溜め息を漏らす。
「だから言ったんだ。体を壊すことになる、って」
「ああ……次からは気をつける」
反省の色が見られない駆狼の言葉に影狼は少しイラッとする。
「気をつけるとかの問題じゃ――」
影狼が突っかかろうとした瞬間、蘭花が慌てて止めに入る。
「まあまあ、影狼くん。とりあえず、大事にならなくて良かったじゃないの……ね?」
「それは今回だけの話だ。このまま無茶な生活を続けるようなら、今度こそもっと大事になりますよ」
「うぅ~……」
蘭花としては影狼の言い分はよく分かる。だが一方で、駆狼の意思も尊重したい。何とも板挟みなジレンマに悩んでしまう。
「影狼。もうこんな失態はおかさない、約束する」
「……」
駆狼の言葉に影狼が数秒押し黙る。厳しい面立ちで駆狼を睨み付けていたが、やがて呆れたように「分かったよ」と呟く。
「その代わり、次は無いからな」
「ああ、肝に命じておく」
「そうかい……」
本当に分かってるんだか、分かってないんだか。少し不安になるが、影狼は友也の方へ向いて言う。
「友也。駆狼がもし無茶をするようなら、止めてくれよ。コイツ、目を離すとすぐ無理をするから」
「ああ、任せておけ!」
友也は大きく頷いてガッツポーズを浮かべる。その様子に影狼はとりあえず一息吐く。
とりあえず、お目付け役が一人でもいれば多少大人しくなるだろう。
「それじゃあ、駆狼。僕は蘭花姉さんと一緒に教会に帰るから、これで失礼させてもらうよ」
影狼の言葉に蘭花も「ごめんね」と申し訳なさそうに言う。
「怪我してなかったら、私も駆狼の手伝いをできたんだけど」
「気にしないで下さい、水芭先輩」
そして別れを告げた影狼と蘭花を見送る。
彼らが立ち去る姿を見ながら、友也が心配そうに駆狼に尋ねる。
「体調が優れないなら、別に日を改めてもいいんだぜ?」
「十分寝たからもう大丈夫だ」
「それなら良いが。……じゃあ、とりあえずクロックに行くか」
『クロック』とは駆狼が放課後にバイトで通っている喫茶店の名前だ。
駆狼もそれに頷く。今日はバイトのシフトが入ってないので、ゆっくりできるだろう。
そう思い、友也から鞄を受け取って二人は学校を後にすることにした。
学校から歩いて二十分ほど経過して午後五時。夏川町と隣町の境あたりにある喫茶店『クロック』。
昔馴染みの木造建築で、元々は駆狼の祖父が経営していたものを現在のマスターが引き継いでいる。
木でできた分厚い扉を開くと、扉に取り付けられたベルが「チリンチリン♪」と鳴り、中から二人の青年が出迎える。
「いらっしゃいませー!」
「……いらっしゃいませ」
元気よく挨拶した金髪の青年と、少し無愛想気味な銀髪の青年。
「おー、クロウか。いらっしゃい」
そして、彼らの後ろにはカウンター越しに控える茶髪の女性が一人。
彼女こそがこの喫茶店『クロック』のマスターである。
「こんにちは、ポエティカさん」
「どうもっす、ポエティカさん!!」
彼女の名前は『ポエティカ・アトロホルム』。イギリスからやったきた異国の女性である。因みに、駆狼が彼女をファーストネームで呼ぶかと言うと、ポエティカ自身が『アトロホルム』というファミリーネームで呼ばれることを快く思っていないからだ。
彼ら三人は、喫茶店の制服であるエプロンを身につけ、茶色のグローブを両手に嵌めている。
「き、ききき今日も良いお天気っすね!」
「まあ、夏だからなぁ」
因みに、友也はポエティカに対して好意を抱いているのか少し顔が赤らんでおり、彼女はその様が面白いのかニヤニヤと微笑んでいる。
ポエティカに挨拶した後、駆狼と友也は自分達を出迎えてくれた二人の青年にも挨拶をする。
「今日は客としてお邪魔します。ベルフェバンさん、アニムスフィアさん」
金髪の青年『アーノルド・ベルフェバン』は「ゆっくりしてってねー!」と軽い調子で言い、銀髪の青年『ヨハネス・アニムスフィア』は「精々、騒いでくれるなよ」と素っ気なく返す。
その様子にアーノルドはヨハネスを小突く。
「こらこら、ハンス。ウェイターなんだからもっと愛想よくしなよ。ほら、こんな感じに笑顔笑顔♪」
「知るか」
アーノルドがお手本とばかりに自身の満面の笑みを浮かべるが、ヨハネスは全く意に介せずそっぽを向く。
彼らの様子に友也が小声で駆狼に尋ねる。心なしか、少し警戒してるようにも感じられる。
「なあ、明日空。あの二人ってポエティカさんの何?」
「彼らはポエティカさんの知り合いらしくて、ここで居候しながら働いてるんだ」
「へー」
二人の声が聞こえていたのか、アーノルドが「はいはーい!」と手を挙げる。
「ボクの名前はアーノルドって言うんだ、よろしくネ~! 気軽にアーニーって呼んでよ」
その後、「ほら、ハンスも自己紹介してあげなよ!」と背中を叩く。
ヨハネスは鬱陶しそうに「うるさい」と言って、ウェイターとしての業務に戻ろうとする。
その様子にアーノルドは両手を合わせて友也に謝罪する。
「ごめんね。彼の名前はヨハネスって言うんだけど、ハンスって呼んでいいからね」
「……おい、アーニー。勝手に俺の名前を教えるな」
ヨハネスに後頭部を叩かれ「あ痛っ!?」と呻く。
アーノルドが痛がっている内にヨハネスは呆れながらも、ポエティカに視線を向ける。
ポエティカは肩を竦めて言う。
「まだ客は来てないから、好きな席に座るといいよ。飲み物一杯分ぐらいならサービスするし」
「……では、お好きな席へどうぞ」
相変わらずの無愛想な表情でそう告げ、ヨハネスはカウンター裏の奥へと足を運んでその姿を消してしまった。
アーノルドは慌ててカウンター越しにヨハネスに言う。
「ちょっとハンス、なんで引っ込んじゃうの?!」
「……俺は接客より紅茶を入れてる方が性に合ってる。それだけだ」
そのまま完全に裏方に徹してしまったヨハネスに文句を言うものの、ヨハネスは我関せずなのかその後一切の返答が無かった。
一方の駆狼と友也は適当な席に腰かけると、メニュー表を見てアーノルドに注文する。
「紅茶を一つください」
「あ、俺はポエティカさんが淹れてくれたコーヒーで!」
駆狼は紅茶、友也はコーヒー。アーノルドは「はいはーい」と裏方のヨハネスに声をかける。
「早速、紅茶のオーダーが出たよハンス! ……あ、マスターはコーヒーお願いしまーす!」
「あいよー」
ヨハネスは相変わらず返答しないものの、ポエティカの方は返答してコーヒーを淹れるために自身でブレンドしたコーヒー豆が入った瓶を戸棚から取り出す。
すると。
「お邪魔しまーす!」
扉の鈴が「チリンチリン♪」と鳴りながら勢いよく開いた。クロックに入店してきたのは四人の少女達で、内一人はグレーテだった。
駆狼は目を見開いた。
「クロイツェル――」
「はーい、いらっしゃいませー!」
アーノルドは心なしか先ほどよりもテンションが高い様子で少女四人を迎え入れる。しかしよくよく見てみれば、グレーテ以外の三人は昨日、グレーテを「一緒にクレープを食べよう」と誘っていた女生徒達三人だった。
「四名様、ご案内ー! ……………ハンスがいなくて良かった」
四人をテーブルに案内した後、顔は満面の笑みであるものの、グレーテの姿を一瞥してボソッと小声で心底安心したような聞き取れた。そのことに駆狼は首を傾げるが、特に追及しようとは思わなかった。
友也は入店してきた四人に声をかける。
「あれ、お前らも来たのか。なんで?」
声をかけられた者の内の一人が駆狼と友也の存在に気がつき、「双ノ親くんに明日空くんじゃん」とこちらに駆け寄ってくる。
「私達はグレーテさんと一緒に、ここのクレープを食べに来たの。そっちこそ、珍しい組み合わせじゃない?」
「俺は部活動の一環で失踪事件の調査、明日空はその助手だ」
「へぇ。あ、でも、明日空くんは今日体調が悪いんだからあまり無茶させないでよ。双ノ親くんと違って明日空くんは繊細なんだから」
「わーってるよ。つーか俺もそれなりに繊細だわぃ!」
友也が女子生徒と会話する中、駆狼はついつい目でグレーテを追ってしまう。
そんな中、「は、ハンス?!」というアーノルドの慌てた声が聞こえた後、目の前で荒々しく紅茶の淹れられたカップが置かれる。
そちらに視線を向けてみれば、眉間に皺を寄せてグレーテを見つめるヨハネスが立っていた。
そのあまりの鋭い表情に「アニムスフィアさん……?」と恐る恐る声をかける。
「……紅茶だ」
ヨハネスはそれだけ告げて早々に裏方に戻る。しかし、あの眼光の鋭さは異常としか言い様がない。あれはまるで家族の仇でも見ているかのようであった。
「ほい、コーヒー」
一方、友也の方へポエティカがコーヒーの淹れられたカップを置く。そして駆狼に言う。
「ヨハネスは少し腹の虫の居所が悪いだけだ。そんなに気にしなくていいよ」
「は、はあ……」
「それじゃ。ごゆっくり、お二人さん」
そう言って手を振って再度カウンターの奥に戻るポエティカ。アーノルドが「マスター、クレープ四つ!」というオーダーを聞いて「あいよー、今作るわ」と返答して調理作業に入った。
そこで友也が駆狼に声をかける。
「やっぱいいよなー、ポエティカさん。美人だし、料理美味いし」
少し顔が緩んだ後、「ゴホン」と咳をして本題に入る。
「よし、じゃあまずは被害者の情報を纏めていくか」
そう言って、友也は鞄から失踪者のリストと夏川町一帯の地図を取り出して駆狼に見せる。
リストには失踪者の現住所と最後に目撃された場所と時間が事細かに記されていた。
「このリストを元に、この地図に情報を纏めていくんだ。リストの量が多いんで分担な」
「ああ、分かった」
事件の関連性が不明な案件も含めてるので、リストに記された失踪者の数は約二百名。
これを二人で地図に纏めていき、そこから実際に調査に向かう場所を厳選していく予定だ。
「お、なんか面白そうなことやってんねー」
そこへアーノルドが会話に参加してきた。
「ボクにも一枚噛ませてよ。マスターがクレープ作るまで暇だし」
そう言って適当にリストの束を駆狼から横取りする。
「三人でやった方が効率的だし、いいよね」
「ま、まあ手伝っていただけるなら」
「よっしゃ!」
友也からの許可を得て、三人で情報を地図に纏めていく。
失踪者が好発する場所は町の西側、時間は夜であることが多い。
駆狼はリストを見ながら呟く。
「謎の失踪事件。行方は掴めず……か」
この数ヶ月で起こった失踪者の数は約二百名。その一切の行方が不明であり、明らかに異常と言える。
失踪者の中には海外からの観光客も何人かおり、アーノルドは「ボクも気をつけなきゃな~」と少し他人事のような呑気な風に言う。
作業開始から一時間。途中でアーノルドがクレープをグレーテ達に届けるために一旦離れたものの、地図に情報を纏めることができた。
やはり失踪者が多発しているのは町の西側、そのことに駆狼は眉間に皺を寄せる。
「夏川教会に近いな……」
影狼と蘭花とハメスの三人が暮らす夏川教会の近くであるということに、少しだけ心がざわつく。
三人が巻き込まれないことを、願うしかない。
「うーん、教会の関係者は大丈夫だと思うけどねぇ。……
ひと通りの作業が終わってカウンターの奥で暇そうに座っているポエティカの言葉に少し目を向けるが、すぐに地図に戻す。
他の被害場所を見てみれば、このクロック付近でも確認された。それも、あの
――目撃者は一人残らず殺せって話だ――
痛まない胸に思わず手を伸ばす。痛みは無いはずなのに、何とも息苦しくなる。
「……なあ、双ノ親」
「何だ? 何か気になる点でもあったか?」
駆狼に声をかけられた友也は首を傾げる。
「何か目撃情報は、無いのか。不審人物、とか」
「失踪者を連れ去った犯人のことか? ……うーん、残念ながらその手の情報は無いな」
「……そうか」
もし夢でないのなら、昨日の赤い甲冑の少女こそがこの失踪事件の主犯なのではないか。そしてグレーテも、それに少なからず関わっているのでは。
その疑念からグレーテを見る。彼女は級友達と話に花を咲かせており、何度か頷いたり受け答えをしながらクレープを食していた。
「なんだ、気になっちゃう感じ?」
グレーテを盗み見ていると、ポエティカが視界に入ってきた。
「いえ、少し気になることがあって」
「ふーん」
ポエティカはそれ以上問うことはなかった。ただ、一言だけ忠告するように口を開いた。
「あんまり足を踏み入れない方が身のためだと思うよ、クロウ」
―――――――――――――――――――――――――
時刻は午後の八時半、場所は夏川町の中心部から少し東に位置した場所。
周りはもう暗く、空には満月が浮かび上がっている。
「……また、頭痛が」
響くような鈍痛に悩ませられながらも、駆狼は懐中電灯を持って町の巡回を行う。
友也が夜間の調査を行うために町内会会長と話を着け、夜間巡回の手伝いとして参加した。
駆狼は町の東側、友也は町の西側に分かれた。
そんな時。
――~~~♪――
懐にしまっていた携帯電話が鳴った。日曜の朝に放送されている特撮作品のBGMだ。
取り出して通話ボタンを押して「もしもし」と電源に出ると、アーノルドの声が聞こえてきた。
〈あー、クロウくん? ボク、アーノルドだけど〉
「ベルフェバンさんですか。何の用でしょうか?」
〈いや、クロウくんって今家かな、って思ってね〉
「いえ、今は町内会の活動に参加して夜間の巡回をやってますが」
〈……そう〉
正直に言えば、少しアーノルドの声が曇った感じがした。だが、すぐにいつも通りの明るい声音に戻る。
〈頑張りすぎるのもいいけど、そろそろ家に帰った方がいいんじゃない? ほら、外ももう真っ暗だし〉
「ええ、ですがまだ始まったばかりですし。ここの暗さにも慣れてますから大丈夫ですよ」
心配は無用と伝えるが、それでもなぜかアーノルドは食い下がってくる。
まるで言い聞かせるように「これ、クロウくんの同級生から聞いたんだけど」と前振りを言ってから本題を告げる。
〈ねえ、『トンカラトン』って知ってる? 今、ちょっとしたブームなんだってー〉
駆狼は電話越しであるが、思わず首を傾げる。あまり耳馴染みのない単語だ。
「トンカラトン、ですか? なんですかそれ」
〈ボクもあんまり詳しくないんだけどー〉
同時刻、夏川町の中心部から西側。
「はあ、はあ、はあ……っ!!」
友也はひたすら走っていた。後ろから聞こえるのは低い呻き声。
「ト――カ―――ト」
「来るな来るな来るなぁぁぁ!!」
道の曲がり角を勢いよく左に曲がって公園に入り、茂みにその身を隠す。
必死に闇に潜む影に気づかれないように、息を殺す。
(間違いない、あれは……あれはっ!!)
どうか、このままどこかに行ってくれ。見逃してくれ。
茂みの中から顔を出さず、小枝の隙間から外の様子を窺う。
――ガサガサ――
少しずつ、足音が聞こえてくる。まるで何かを引き摺るような、重い足取りだ。
「――ト」
周りが薄暗いため、姿はよく見えないものの、やはり何かを口走っている。
「トン」
それは何かを探すように辺りを見回している。腰に納められた鞘に手をかける。
「トン」
そのまま鞘から刀を引き抜く。満月の光でその刀身が怪しく赤く輝いていた。
「カラ」
そして、むやみやたらに公園の遊具などをその刀で片っ端から斬り裂いていく。それはまるで、獲物が隠れる場所を一つずつ潰していくかのようだ。
「トン」
ある程度斬り裂くも、どうにも姿が見当たらない。ゆっくりと周りを見渡しても、見当たらない。
首を傾げると、そのまま公園から去るように足の方向を変える。
場所的にはこちらに背を向けて去ろうとしているのが見えた友也は、思わず安堵の声を漏らす。
姿が完全に見えなくなったので茂みから出るために、立ち上がろうとした次の瞬間。
「――――トン、カラ、トン」
背後から、そう聞こえてきた。
【次回予告】
「おれの……なまえを……いえ…っ!」
「ぐっ…アアアアアアアアアアアアア!!!!!」
「さあ、第二夜の始まりと行こうか!」
「早く、
「令呪を以って命ずる。戦いなさい、
次回、【本能】。
――明日の空に、狼は駆ける。