間桐兄妹にもう一人兄がいたら。
家族を愛し、家族だけを守り、家族の為だけに戦った少年の、平和な日常。








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Fate/stay night [Verlierer Liebe]

 青を基調としたベッドの上で、一人の男が目を覚ました。

 黒と白が混ざり合うメッシュの髪に、骨と皮しかないと見間違うほどやせ細った身体。優し気な垂れ目は半分だけ開き、朝日の射す窓から空を見上げていた。

 「……朝か」

 「あ、起きてたんですね。おはようございます、鈴鹿兄さん」

 その呟きに釣られたように、一人の女の子が鈴鹿と呼ばれた男の部屋に入ってきた。

 薄茶色の制服を着た少女は、微笑みながらベッドの上に座る鈴鹿の前へと歩み寄る。

 「おはよう、桜」

 儚い笑顔を浮かべた鈴鹿は自分に被さっている布団から足を抜き、ベッドの淵に腰掛ける。

 ベッドと同じ青い寝巻を纏う姿は病人のようで、あまりにも弱弱しい。

 そんな鈴鹿に、桜は手を差し出す。

 「はい。今日の朝は先輩の家ですよ」

 「そうだったね。衛宮君のご飯は美味しいからねぇ」

 「ふふ、そうですね。とりあえず、降りましょうか」

 「うん」

 桜の手を取って、鈴鹿がゆるゆると立ち上がる。

 直立した二人の身長は、年下で女子である桜の方が大きく、鈴鹿の身長は150センチあるかどうかといったところだ。はた目からすれば桜の方が姉に見えることだろう。

 二人は手をつないだまま部屋を出る。

 否、桜が鈴鹿を支えるように手を貸している。

 それは、間桐家において数年前から見られる光景で、桜が鈴鹿の手を引くか、桜のもう一人の兄で鈴鹿の弟である慎二が鈴鹿を背負うか、そのどちらかが間桐家の朝の日常だった。今日は慎二が弓道部の朝練に行っている為、必然的に桜が鈴鹿の手を引いているが、両名ともいる時には小さな諍いの原因になっていたりする。

 「階段、気を付けてくださいね」

 「うん、ありがと、桜。そういえば、慎二は?部活?」

 「はい。大会が近いので、朝から練習に行ってます」

 「そっかぁ。桜も出るのに、ごめんね?練習に行きたければ行ってもいいんだよ?二人がいなくても多少の事ならできるし、助けてくれる人もいるし」

 「いいんです。私にとっては部活より鈴鹿兄さんの方が大切ですし」

 「そう?桜がいいならそれでいいけど…。あと、今みたいなことはあんまり外では言わないようにね?」

 ゆっくり、ゆっくりと、鈴鹿のスピードに合わせて階段を降りながら、他愛のない兄妹の話は進んでいく。

 「?どうしてですか?」

 「そりゃあ、桜は可愛いんだから、恋人ができた時に僕の話をされても相手の子がつまらないでしょ?」

 その言葉に、桜はやや俯いて小さく口を動かした。

 階段の関係上、桜より上にいる鈴鹿には見えなかったが、その動きは確かに「…鈍感」とつぶやいていた。

 一瞬。

 間を開けて顔を上げた桜は笑みを浮かべて、自身よりも軽い鈴鹿を子供のように抱き上げた。

 「うわっ」

 そのまま階段を下り、身体の関係上、鈴鹿の制服が置いてあるリビングへと向かう。

 「私にとって、鈴鹿兄さんより大事なことは無いんです。今こうして、鈴鹿兄さんと一緒にいられることが、一番の幸せなんです」

 リビングのソファに鈴鹿を降ろし、膝を折って視線を合わせる。その姿はやはり妹というより、姉や母と言ったほうが正しく見えた。桜からすれば不服ではあるのだろうが。

 そんな桜の浮かべた心からの微笑みに、それが本心であると察した鈴鹿はそれ以上の追及をしなかった。そこに鈴鹿なりの思いはあったのだろうけれど、それでも桜が良しとしているならと呑み込んだ。

 「そっか。…それじゃあ着替えて衛宮君の家に行こうか」

 「そうですね。私は鞄を持ってきます。何かあったら呼んでくださいね」

 「うん、ありがとう」

 桜から手渡されたシャツと制服に着替え始める鈴鹿。その動きは遅々としていて、シャツを着るだけでも常人の倍はかかっているだろう。ゆるゆるとズボンに足を、詰襟タイプの制服に袖を通す。たったそれだけの行動が、彼にとっては重労働で、これまでの人生で彼が得た幸せの代償だった。

 ただ、彼はそれで満足している。

 自分の弟と妹に迷惑をかけてしまっていること以外について、彼はこれ以上ないくらいに満足していた。

 ほとんど力の入らない手を握り、すぐに開く。

 以前までは当たり前のように在った感覚は無く、ほんの僅かな喪失感と無力感、そしてそれ以上の達成感が開いた手の中に漂う。

 彼は正義の代行者じゃない。

 自分の願いの為に戦い、その末に自分の願いを勝ち取った。

 だからこそ、その代償に自分の力を失ったことに関しても、これ以上ない程に納得していた。

 けれど、それに納得していない者もいた。

 それが桜と慎二だ。

 三人は本当の兄妹じゃない。

 慎二が生まれる少し前。間桐家に後継ぎが生まれないことに痺れを切らした当主の臓硯が、魔術適正のある幼子をどこからか拾ってきたのだ。それが間桐家の長男である、間桐鈴鹿。

 その一年後に、間桐家の正当な子として生まれたのが慎二。

 そして、数年後に冬木の管理者である遠坂家から養子として間桐家に来た桜。

 つまり、間桐家の正当な血筋を持つのは慎二だけで、桜も元は魔術の名門である遠坂家の血筋。長男である鈴鹿だけが、どこの誰とも知れぬ、魔術の名門が養子とするにはあまりに不適応な存在なのだ。

 しかし、間桐家の当主が見つけてきた捨て子は、三兄妹の中で最も魔術の才能があった。

 正統な後継者であるはずの慎二は魔術の適性がなく。

 養子の桜は、魔術適正のある女というだけで、臓硯の野望の為に蟲による拷問染みた調教を受けた。

 三人が普通の感性を持ち合わせていたのなら、関係は最悪で、兄妹とは口が裂けても言えない関係性になっていただろう。

 そうならなかったのは、鈴鹿の献身的なまでの二人への愛が故だ。

 慎二と桜が互いに哀れみの感情を持っていることを知りながら、同じだけの愛を以て二人と接し。

 二人が求めてやまないモノを、自身の身を削ってまで与え。

 彼らに苦しみを与える存在を、自らの手で消し去った。

 それだけの力を持っていた鈴鹿は、とあるきっかけを境に力のほとんどを失い、弟と妹の補助を受けなければならない程に弱ってしまった。

 その結果が、今の鈴鹿だ。

 ただ歩くだけ、着替えるだけ。それだけの事に、普通の人の倍の時間がかかる。膂力がなく、動作の全てに彼だけ時間の流れが遅くなったような制限がかかる。

 その原因が自分たちにあると責任を感じた慎二と桜は、今まで自分たちが受けてきた愛を、彼への献身として返していくことにした。

 慎二は捻くれながらも。

 桜は真摯に。

 今まで鈴鹿が持っていた力の代わりになろうとしていた。

 その事実は鈴鹿にほんの少しの罪悪感と、それ以上の嬉しさを与えてくれる。

 開いた手を降ろして、ゆっくりと立ち上がる。

 ゆっくり、ゆっくりとリビングを出て、玄関で待つ桜に歩み寄る。

 「遅くなってごめんね、桜」

 「いえ。まだまだ時間はありますから」

 桜の補助を受けながらローファーを履き、二人そろって家を出る。

 巨大な洋館の扉に鍵をかけた桜は、鈴鹿の手を取って屋敷の外へと出た。

 「そういえば、ライダーさんは?」

 「ああ、ライダーなら…」

 「私がどうかしましたか?」

 その軒先で、紫髪の長身の美女が二人に声をかけた。

 「おはよう、ライダーさん。どこ行ってたの?」

 「おはようございます、鈴鹿。昨夜地震があったようなので、お店の骨董品の確認に行っていました。お二人は、これから学校ですか?」

 黒いセーターにジーンズというラフな格好でさえ綺麗に着こなしているライダーと呼ばれた美女は、自らが働いている骨董品店の商品の無事を確認してきたと言う。いくら防犯対策をしたところで、相手が自然現象相手ではどうすることもできない。ましてや、防犯意識の高さゆえに店の棚に置きっぱなしの高価な壺やら何やらは、床に落ちただけで壊れたり、価値が無くなったりする。生真面目な性格のライダーは、今日が出勤日でないにもかかわらず、わざわざ確認に行ったらしい。

 そのらしさに、鈴鹿と桜は笑みを浮かべた。

 「?どうしたのですか?」

 「ううん、なんでもない。それよりライダー、これから先輩の家に行くんだけど、一緒に行かない?」

 「ああ、今日の朝食は彼の家で食べるのですね。それなら一緒に行かせていただきます」

 こうして三人で向かうことになったのだが、その途中、鈴鹿に合わせていたために遅くなりすぎてしまい、ライダーが鈴鹿を背負って歩いた。170センチある長身の美女が、幼い見た目の制服を着た少年を背負い、その隣を似た制服を着た少女が歩くという、すれ違う人がみな振り向くという状況に、桜とライダーは微笑み、鈴鹿は照れて頬を赤くしていた。

 「…ライダーさん、ありがとね」

 「このくらい、なんともありませんよ。貴方が私にしてくれた事を考えれば、恩を返す内にも入りません」

 「それは言い過ぎだと思うけど…。それにしても、いつもより遠くが見えるなぁ。羨ましい」

 「私は桜や鈴鹿の身長の方が羨ましいです」

 「身長が高くてもいいじゃない。ライダーさん、美人なんだしなんでも似合うし」

 そう言って、きゅっと首に回す手に力を籠める。頬と頬が触れ合うほどに近づき、鈴鹿の全身がライダーに絡みつく。

 「あ、あの、鈴鹿?」

 「んー?」

 男からはするはずのない甘い香りと、華奢な体から伝わってくる熱を直に感じて、鈴鹿達より何倍も人生経験豊富なライダーの頬が紅く染まっていく。

 別に鈴鹿がライダーに好意を寄せているとか、誘惑しているとかそういうわけではない。

 ただ、とある理由から、鈴鹿は定期的にこうなってしまう。

 「鈴鹿兄さん、まさか魔術を使いました?」

 間桐鈴鹿は魔術の天才だった。

 魔力を用いて、奇跡を再現する術。

 鈴鹿が体内に持つ魔力回路の量は膨大で、何よりその起源が鈴鹿の強さを決定づけた。

 その起源は「力」。

 鈴鹿はあらゆる力を操る。そんな魔術師だった。

 けれど、間桐臓硯を殺し。

 弟の間桐慎二に力を分け与え。

 挙句の果てには、第五次聖杯戦争にライダーのマスターとして参加した。

 その末に鈴鹿は魔術回路のほとんどを失い、その少ない魔力でさえ普段から垂れ流しにしている様な状態だ。そうなった原因は多々あるが、それはさておき。

 普段から少ない魔力を微量とはいえ垂れ流している鈴鹿が、そんな状態で魔術を使えばどうなるか。

 答えは単純で、すぐに魔力が枯渇する。

 そして、魔術師にとって魔術の枯渇は死活問題であり、その供給方法も千差万別だ。

 「あー、昨日、おばあちゃんが大荷物もって歩道橋渡ってたから、手伝う時に少しだけ?」

 「もう!そうならそうと早く言ってください!朝からいつもよりぼーっとしてるなとは思ってたんです。とりあえず先輩の家までもう少しだから、早く連れていきましょ」

 「はい」

 ライダーにしがみつく鈴鹿をそのままに、二人は一軒の武家屋敷へと急ぐ。

 その道中、鈴鹿がライダーの耳を食み、嬌声を上げたライダーを睨む桜、という光景が見られたが、当人二人以外は知る由も無かった。

 兎にも角にも、急いだおかげか数分で衛宮と書かれた表札の武家屋敷に駆けこむことができた。

 勝手知ったる家の中、とチャイムを押すことも無く、玄関の戸を開けてお邪魔しますと声だけを発してとある一室を目指す。

 急いで辿り着いたそこは客間で、保健室にあるような細いシングルベッドが置かれていた。

 「ライダー、先輩に声をかけておいて。私達もすぐに行くから」

 「はい。鈴鹿をよろしく願いします、桜」

 「うん」

 そう言ってライダーは退室し、部屋には桜と鈴鹿だけが取り残された。

 ベッドに寝かされた鈴鹿は発熱したかのような容態で、潤んだ瞳で桜を見上げている。

 「桜、いつもごめんね…」

 「いいんです。家でも言ったように、鈴鹿兄さんと一緒に居られて、私は嬉しいんですから」

 部屋に置いてある小さな机の引き出しからカッターを取り出し、自分の人差し指の腹に押し当てる。

 真っ赤な血が流れ出る指の先を、鈴鹿の唇に押し当てる。

 魔力の供給方法は人それぞれで、血統によって同じ家系もあれば、それすら関係ない場合もある。

 ただ、間桐家の血の繋がらない三兄妹は、その供給方法が似通っていた。

 間桐慎二は、魔力回路を鈴鹿から譲り受けた当初は自己回復でしかなかったが、自分のものにしてからは他者の肌と触れ合うだけで魔力の供給が可能になった。

 間桐桜は、他者の血等といった体液を摂取することで魔力を取り込むことができる。また、慎二と同じように触れるだけでも、効率の悪さが目立つけれども供給が可能だ。

 そして、間桐鈴鹿。以前までの彼だったなら、他者に触れることも無く魔力を吸い取ることが可能だった。

 三人に共通するのは、彼らの得意な魔術が何であれ、間桐家に伝わる特性を受け継ぎ、調整され、「吸収」という魔術特性を持っているということだ。

 だが、鈴鹿は魔術回路をほとんど失っている。魔術の使い方すら変わり、当然、以前のような魔力供給は行えない。しかし、魔力を常時垂れ流している鈴鹿にとって、魔力の供給が無くなるということは文字通りの死活問題。

 一度、魔力が完全に無くなる一歩手前になった時、鈴鹿の体は動くことすらままならなくなり、鈴鹿と魔力のパスで繋がっていたライダーも消えかけた。

 その際、桜と慎二が助けを求めた言峰神父により一命を取り留めた鈴鹿は、以来兄弟間でのみ魔力の供給が可能になった。同じ屋敷に住んでいるから、昔から共に過ごしてきたからか。原因は全く分からないが、鈴鹿の身体は兄妹の魔力しか受け付けなくなっていた。

 そして、自身の魔力で愛する兄が救えると知った桜と慎二は、鈴鹿に魔力を分けることに何の抵抗も無かった。

 「んっ…」

 桜の指先から流れ出る血を、舌で舐める。

 たった一滴。ただそれだけで、鈴鹿の魔術回路は潤い、魔力の飢えにより他者の魔力を求める姿は無くなっていく。

 それはつまりどういう事かというと。

 「ん……ぅ、あ、ご、ごめんね桜!」

 「あ…、いえ、もう大丈夫ですか?」

 「うん。後でライダーさんにも謝らなきゃ…」

 赤面した鈴鹿はよろよろと立ち上がる。朝よりは早い動きだが、それでも周囲の人間からすれば十分に遅く、鈴鹿に舐められた指先を切なげに見ていた桜が朝と同様に補助をする。

 どうにか広い武家屋敷の中を桜が支えながら歩くと、一つの大部屋にたどり着いた。

 「それで、鈴鹿さんの容体は…」

 「大丈夫だよ、衛宮君。挨拶も無しに上がってごめんね」

 「鈴鹿さん、桜も」

 「おはようございます、先輩」

 「おはよう桜。それで、大丈夫なんですか?」

 中に入ればそこには、赤髪の少年と金髪の美少女、そしてライダーがそれぞれ、台所と居間で話していた。

 衛宮君と呼ばれた少年が戸を開けた鈴鹿に気づき、心配そうに声をかける。

 「うん。ライダーさんも迷惑かけてごめん」

 「いえ、鈴鹿が無事なら私はそれで」

 「あはは。セイバーさんも、おはようございます」

 「おはようございます、スズカ、サクラ」

 桜の支えの元、居間の中央に置いてある食卓に座り、鈴鹿が座ったのを確認した桜は台所に立つ衛宮士郎の元へと歩み寄る。

 台所に桜と士郎。今には鈴鹿とライダー、そしてセイバー。

 これが、間桐家と衛宮家の朝の日常だった。

 

 

 「それじゃあライダー、鈴鹿兄さんのことよろしくね」

 「はい、お任せください、桜」

 間桐三兄妹や士郎が通う穂群原学園の校門で、桜と鈴鹿、ライダーが向き合う。

 日はすでに傾き、桜の服装は制服から弓道着に変わっている。

 「そんなに心配しなくても。家に帰るだけなんだし」

 「心配します!鈴鹿兄さんを一人で帰らせたから今朝みたいなことが起こったんですから!」

 「ごめんごめん」

 「安心してください桜。私が傍にいる限り、鈴鹿に無茶はさせませんので」

 平謝りする鈴鹿の肩に手を置いて、もう片方の手で拳を握るライダー。その姿はやる気に満ちていて、桜を納得させるには十分だった。

 そこに、一人の男子が声をかけた。

 深い青みのパーマに、桜と同じ弓道着を着た少年。

 「桜、早く来てくれないかな。美綴が全員揃わないと練習始めないってうるさいんだから」

 「あ、慎二」

 間桐家の次男、間桐慎二がそこにいた。

 桜と同様に弓道部に所属する彼は現在、副部長の役職についている。そして、部内では自身の研鑽に重きを置く彼だが、部長の美綴綾子の命には逆らえないのだった。

 「ライダー。ちゃんと兄貴を見張っておけよ」

 「言われずとも」

 「慎二は兄貴を何だと思ってるんだよぉ」

 「衛宮以上のお人よし。兄貴が一人で出歩くだけでハラハラさせられるこっちの身にもなってほしいね」

 「兄さん、言い過ぎです。確かに一人で出歩かせるのは不安ですけど」

 「弟と妹が厳しいなぁ」

 「当然かと」

 一人も味方がいないと分かった鈴鹿は、ため息を一つ吐いてライダーの手を引く。

 校門の外に出た二人を、彼の兄妹が見送る。その動きはやっぱり遅くて、二人の表情が少しだけ歪んだ。

 桜は悲しそうに。

 慎二は自身に怒るように。

 そんな二人の心情を察したのか、それともただ応援のつもりだったのか。

 鈴鹿が少しだけ振り返って言った。

 「頑張ってね、慎二、桜」

 融けゆく雪のような儚い笑み。

 それを隣で見ていたライダーの瞳には憐憫の情が映っている。

 この世で最も不遇な存在を見る様な。

 世界で一番弱い人間を見る様な。

 けれどそれさえも愛しく見るような。

 鈴鹿が慎二と桜の二人に向ける感情を、ライダーは同じだけ鈴鹿に向けている。その感情の根源は、彼がライダーを召喚し、最初の問答をしたその時から持っていたものだ。

 「行きましょう、鈴鹿」

 「うん」

 鈴鹿の手を引いて、ゆっくり、ゆっくりと遠ざかっていく。

 まるで親子のような二人を見送って、その背中が見えなくなったころ、桜と慎二は弓道場へと歩き出した。二人の間に言葉は無く、けれどその背中は同じくらい哀愁に塗れている。

 そうして見えた校庭の隅に作られた弓道場の前まで来たとき、扉に手をかけた慎二に桜が声をかけた。

 「兄さん」

 「…なんだよ」

 「今日は、早く帰りませんか?」

 俯きながら、芯のこもった声。

 それに慎二は、こう答えた。

 「……そうだな」

 

 「こんにちは、ランサーさん」

 姉弟とも親子とも見えそうなライダーと鈴鹿は、商店街にある魚屋の前で、長身痩躯の青年に声をかけた。

 「おう坊主!今日はライダーのお守りつきか?」

 「そうなんですよぉ。一人でも大丈夫なんですけどね」

 「ダメですよ。鈴鹿が出かける時には必ず誰かが一緒に行きますから」

 「過保護だねぇ」

 青髪を一つに束ね、黒い防水の前掛けを着たランサーは、腕組みをしながら鈴鹿を見下ろす。隣に立つライダーは、鈴鹿の背後から腕を回し、彼を自身の胸元に押し付けるように抱きしめていた。身長差のせいで、ちょうど鈴鹿の頭がライダーの胸に埋もれるような形になっているが、当人たちは気にした様子も無い。

 「にしたってまぁ、聖杯戦争をしてた時に比べりゃあ随分と丸くなったな?」

 「それは貴方もでは?ランサー」

 「俺は変わらねぇさ。それに、一番変わったのは坊主だろ」

 そう言ってランサーの脳裏に過ぎるのは、数か月前の鈴鹿の姿。

 今と大して変わらない姿なのに、その目つきだけが違う。おっとりした垂れ目はつり上がり、今にも向かい合う相手を食い殺さんとするような獰猛な眼。

 肌に浮かび上がる魔術回路は少ないながらも、その魔力によって起こされた奇跡は、天と地ほどの実力差があるはずのサーヴァントすらも消し飛ばそうとする。

 一騎当千の英雄に対しても怯まないその姿は、この時代における英雄と評して余りあるほどに勇猛果敢だった。

 「あの坊主がここまで緩い奴だったとはなぁ。いや、それも英雄の資質ってやつなのかねぇ」

 「英雄って」

 空を見上げて感慨にふけるランサーの呟きに、鈴鹿は困ったような笑いをこぼした。

 「そんなんじゃないですよ。僕は、僕のやりたいようにやった。それに巻き込まれてしまった家族を守るために必死こいてただけですから」

 「それさ」

 「?」

 「何かを守るために必死こいて、実現しちまうような奴が英雄と呼ばれるのさ。坊主は家族を守りたいと願い、お前さんの実力で守って見せた。十分英雄の資質を持ってるってもんだ」

 「確かに、鈴鹿は英雄たる資質を持っているかもしれませんね。貴方の性格と、それを実現するための知識と知能。加えて、魔術的観点から言えばその根源すら、今思えば英雄と呼ぶに相応しい物でしょう。英雄は英雄として生まれてくるもの。もし、これから先に貴方が英雄たる何かを成したのであれば、それは運命と呼ばれるものです」

 「言い過ぎだと思うけどなぁ。それに、聖杯戦争以上の何かが起きたとしても、僕は何もしないよ。僕が守るべき家族は、もう僕よりも強い。皆にとっての僕は、誰よりも強い間桐鈴鹿じゃなくて、守るべき対象である間桐鈴鹿だもん」

 鈴鹿の力は慎二が。

 鈴鹿の術は桜が。

 それぞれが、鈴鹿の力を受け継いでいる。魔術的な意味でも、意志の強さも、全盛期の鈴鹿には劣るものの、その強さの根幹を、二人は持っている。

 「だから僕は何もしない。何もできないし、何かをする理由も無い。けれどもし、僕が何かをするのであれば、きっとそれは、慎二か桜に何かがあった時だけだ」

 ニコっと笑う鈴鹿の表情に、二基の英霊は息を呑む。

 つり上がった口元には鋭い犬歯が垣間見え、笑っているように見える瞳の奥には仄暗い炎が見える。風も無いのに下から風を受けたように、ふわりと浮き上がる。

 鈴鹿が纏う空気が重くなったのを肌で感じた二人は、いつかの光景を思い出す。

 数か月前の夜。

 青い戦装束のランサーと、隣に立つライダー。その後ろに控える鈴鹿。

 対するのは、青を基調とした甲冑を纏い、見えない剣を携えるセイバーと、赤い外套と黒白の双剣を持つアーチャー。その後ろにはセイバーとアーチャーのマスターが立っている。

 四基の英霊と三人のマスターが集う中、一番初めに動いたのは鈴鹿だった。

 右手を突き出し、誰よりも先に己が敵へと攻撃を仕掛けた。

 英雄の影である英霊と同等に好戦的で、宝具に匹敵する一撃必殺の魔術を操り、弱弱しい身体からは想像もできない程に苛烈に戦うその姿は、その場に居た誰もが、鈴鹿が現代に生きる若者であることに疑問を浮かばせる程だった。

 大きな負傷に耐えることなど不可能。

 その剣で、双剣で、槍で、短剣で刺されれば、たちまち死んでしまうだろう。

 だがそれでも、彼らは鈴鹿を侮ることなどできなかった。一人の魔術師として、戦士として、誰もが鈴鹿を対等に戦える者だと認識していた。

 だからこそ、その姿を思い浮かばせる鈴鹿の姿を見てライダーは、急速に背筋が冷えていく。

 「っ、鈴鹿!」

 足元に転がる小石が揺れ始めたのを見たライダーが鈴鹿の肩を掴む。

 獰猛な眼つきの鈴鹿がハッと我に返り、剣呑な空気が霧散していく。

 「あ。ご、ごめんなさい」

 「いーって、気にすんな。つーかよぉ、何か買いに来たんじゃねぇのか?」

 「あ、そうだった。今日は衛宮君の家で晩御飯を食べるから、旬のお魚を買いに来たんです」

 「何かオススメはありますか、ランサー?」

 「オススメつったら鮭だな。今日仕入れたばかりで、脂がよく乗ってるぜ」

 「…うん。じゃあ鮭を人数分貰おうかな。ライダー、悪いけど持って行ってくれるかな」

 「当然です。鈴鹿に重いものは持たせられませんから」

 「あいよ!待ってな」

 そう言って数個の切り身を手際よく袋に入れたランサーは、それをライダーに手渡し、代わりにお金を受け取る。

 「あら?一つ多いみたいですが…」

 「ああ、そりゃ俺の分だ。小僧にも言っておいてくれや」 

 「了解ですー。それじゃあ、またあとで」

 「おう!」

 店を離れて帰路に就く鈴鹿とライダーを見送るランサー。

 女性にしては高い身長のライダーとは対照的に、男子にしてはかなり低い身長の鈴鹿の後ろ姿を見て、ランサーは一つ息を吐く。

 「…ありゃあ、間桐の嬢ちゃんもガキも苦労すんな。誰かのために何かを為した英雄はごまんといるが、誰かのために世界を滅ぼせるような奴はそうはいねぇ」

 それは、間桐鈴鹿という少年が、この世界を滅ぼせる力を持っているからこそ出た言葉で。

 それを行える意志と行動力があることを、身をもって知っている者だからこそ出た言葉だった。

 

 

 衛宮と書かれた表札が掲げられた武家屋敷に入ると、玲とライダーは迷わず居間へと進む。家主はまだ帰ってきていないようだが、それとは別に知り合いの気配を感じ取ったのだ。

 「あら、いらっしゃい、スズカ」

 「イリヤちゃんも早いね。セラさんたちはいないのかな?」

 「後から来るわ。用事があるんだって」

 居間にいたのは白銀の長髪と紅い瞳が特徴的な美少女。鈴鹿たちの住む冬木市の外れにある城に住むアインツベルン家の現当主、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンだ。

 この二人の関係性を一言で表すなら、以前までは敵対者、今は似た者同士といったところだろう。

 聖杯戦争中は、最強の魔術師である鈴鹿と、最強のマスターであるイリヤがぶつかり合うだけで山が一つ消えたほどだ。

 けれど、戦争が終わった今となっては、極限まで身体機能が落ちた鈴鹿と、定期的に調整が必要なホムンクルスの身体であるイリヤは似た者同士であると言える。

 そして何より、過去は過去として、今に引きずらない強さを持つ二人は、在り方そのものが似ているのだ。

 「そっか。家主じゃない僕が言うのもあれだけど、ゆっくりしててね。僕は夕飯まで少し休むから」

 「うん、そうさせてもらう。スズカもしっかり休んだ方がいいわ。私より体が弱いんだから」

 「あはは、それじゃあ、お言葉に甘えて。今日は慎二と桜と、凛ちゃんにランサーさんも来るみたいだから、それだけは伝えておくね」

 そう言って鈴鹿は、朝にも来た客間へと迷わず進む。

 

 鈴鹿の体は魔力を垂れ流しにしている。しかし同時に、普通の魔術師のように魔力を生成してもいる。

 魔術を使いさえしなければ、魔力の枯渇など起きようはずも無いのだ。

 そう、魔術を使いさえしなければ。

 鈴鹿は常時とある魔術を使用している。否、最も得意としていた魔術が、制御を離れて自動的に常時発動してしまっている。

 それは、重力を操る魔術。

 自身にかかる重力を操り身体を軽くすることも、対象の重力を増大して加重することも自由自在。それが鈴鹿の得意魔術だった。

 けれど、力を失ってしまった鈴鹿の手を離れた魔術は、鈴鹿自身にかかる重力を常に加重し続けている。

 幸いにも僅かな魔力しか使わないことが不幸中の幸いだったが、それでもほんのわずかしか蓄えることができない魔力が減り続けていればいずれ枯渇して死に至ってしまう。

 そんな鈴鹿の制御を離れた魔術が唯一停止する時間がある。

 それは、鈴鹿が眠っている時だ。

 原理は本人も分からないが、鈴鹿が睡眠を摂っている間だけは魔術が停止し、減り続ける魔力が回復する。

 布団にもぐりながら、二人の兄妹を想い瞳を閉じる。

 常に重たい身体が僅かに軽くなるのを感じていると、ついには意識を失った。

 それを見計らったように襖が開き、イリヤとライダーが顔を出す。

 「ライダー、貴女はもうわかっているんでしょう?」

 「……」

 スズカの額に手を当てて、イリヤはライダーに問う。

 対するライダーは無言のままだ。

 「貴女だけじゃない。セイバーも、ランサーも、アーチャーも、キャスターも、アサシンも、バーサーカーだってわかってる。そしてきっと、スズカの魔力と魔術を受け継いでいるシンジとサクラも」

 静かな部屋に、涼やかなイリヤの声だけが響き落る。

 ライダーは音も無く近寄り、鈴鹿が音の無い寝息を立てる枕の脇に正座した。

 美少女と美女に囲まれる姿は羨ましがられるかもしれないが、その美貌と可憐な二人の雰囲気は、まるで通夜のようだ。

 「私と同じように、聖杯の器だったサクラはもっと敏感に感じ取ってるかもね」 

 「…ええ、そうですね。けれど、私たちにできることは何もない。英霊だなんだと言われても、所詮私たちは世界の影。この時代に干渉できる存在ではない。だからこそ、最後の決断はこの時代に生きる者たちで決断しなければならない。私たちはその手助けをするだけ」

 「…貴女はそれでいいの?スズカのことが好きなんでしょう?」

 静かに眠る鈴鹿は、起きる気配が一切ない。

 この二人が去った後、鈴鹿の弟や妹、家主の士郎や友人の遠坂凛、イリヤのメイドであるセラやリーゼリット、ランサー達が来る頃に目覚めて、いつもと変わらぬ日常を送り、笑顔で別れて、溺愛している弟と妹とスキンシップを取ってから、また眠りにつくのだろう。

 

 平和な日常。

 変わらぬ日常。

 自分達を脅かす危険を消し去り、巻き込まれた戦争を乗り越え、ようやく得た平和な時間を疑うことも無く過ごしていく。

 だが、歴戦の戦士と渡り合っても、どれだけ魔術に秀でて、知識が深かろうと。

 鈴鹿には絶対に分からないものがある。

 英霊はその歴戦の経験から。イリヤと桜は聖杯の依り代になりかけた経験から。

 鈴鹿が感じ取ることのできない『それ』を感じ取る。

 

 「ええ、私は鈴鹿を愛しています。だからこそ、私のようになる前に。彼が守ろうとしたものを、彼自身が傷つける前に。私はきっと彼を止めるでしょう。何より、鈴鹿がそれ望むと思いますので。私はそれに従うだけです」

 

 「その結果として、私たちの誰かが、スズカを殺すことになっても?」

 

 抱え込んだ鈴鹿の闇。

 それを察した者たちは、何かを決断し、避けることのできない最悪の未来へと踏み込む。

 セイバー。アーチャー。ランサー。ライダー。キャスター。アサシン。バーサーカー。

 イリヤスフィール。間桐慎二。間桐桜。

 彼ら彼女らの頭の中には、暗い景色が見えている。

 

 すなわち、英霊とそれを従える者たちと対峙する、間桐鈴鹿という構図を。

 

 

 「ええ、殺します。鈴鹿がそれを望むのなら、私はそれを叶えましょう」

 

 「それだけが、私が鈴鹿に返せる、最大限の感謝ですから」

 

 

 

 

 これは、ありえなかったはずの未来。

 不幸になるはずだった人間を救い、自分自身も救い。

 正義の味方ではなくとも、自分が守りたいと思った全てを守った男の物語。

 

 そして、愛した者達の味方であるはずの男が、運命に負けた物語だ。








中途半端ですが!この話はこれで完結です。
映画2章を見て、桜に幸せになってもらいたかったから書いただけなので、続きません。(反響があれば続くかも?)


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