夏の初めに訪れたとても暑い日
いつものように手伝いをするその姿に
倒れてしまうのではないかと心配するけれど
それは現実のものとなってしまって…

(2013年、Pixivさまにて初公開)

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夏の初め、猛暑の日

 今年は、梅雨があけると毎日のように暑さが続いていた。それも、人間の平熱を越える暑さ。

 ニュースでも連日、熱中症のため救急車で何十人運ばれたとか、どこどこでは最高気温が記録的な値になったとか、暑さのことばかり。

 幸い、大貝一中ではまだ熱中症の生徒は出ていないけど、登校時や下校時、そして放課後の部活の時、暑さで辛そうにしている生徒をよく見るようになってきた。

『部活は基本的に体育館でするように』

 そんな決定を先生方があわててされるのもよくわかる。ここ最近、午後の校庭はとても暑くて、立ち入ろうとする生徒なんて全くいなかったから。

「今日も暑いね…」

「本当にね…梅雨明けしたらすぐこうだものね…」

 今日も朝から30度を越えていて、ちょっと歩いただけでも汗をかいてしまう。マナの口調はちょっとつらそう。私も長い髪がかなり暑くて、家を出たときからうんざりしていた。

「でも、マナ、注意してね?」

「なにを?」

「暑さよ」

 現時点でこの暑さ。午後になったらどうなるか、想像もしたくない。

「マナってば、人助けを始めちゃうと周りが見えなくなっちゃうんだから。人助けに集中しすぎて、気づいたら倒れていたなんて、やめてね」

 今日の放課後もマナは人助けの為に外を走り回るはず。その結果起こるかもしれないことを想像して心配になってしまう。

「大丈夫だよ」

 でも、マナは親指を立てて応える。

 確かにマナは体も強いし、今までも熱中症にかかったこともないから大丈夫だと思う。思うけど…

「無理はしないでね」

 今まで以上に暑い夏、私はマナの元気なポーズを見ても不安だった。

 

 

 

 放課後、私はいつものように生徒会室でお仕事をしていた。今日は各部から届いた書類のチェック。

 梅雨が明けてからというもの、夏の大会に必要な物品の請求とか、応援の依頼とか、いつも以上に沢山の書類が届くようになっていた。

 今日はめずらしく生徒会室には私ひとりだけ。

 マナは、いつものように手伝いとかで出て行ってしまったし、他の役員は職員室や印刷室でお仕事中。

 ひとりきりの生徒会室は静かで、書類を読むのもはかどって、思ったよりも早くお仕事が終ってしまった。

「ん~っ!」

 背伸びして、力を抜いて、時計を見れば午後4時半。他の生徒会役員のお手伝いにいこうか、マナを探して手伝おうか、冷蔵庫にある麦茶を取りに行きながら考える。

 集中してのどが渇いていた私にはとてもうれしい1杯。気分転換にでも、とカーテンを開けて外を見ると、いかにも暑そうな外の風景。ギラギラの太陽が、雲一つない空が、遠くの入道雲が、いかにも「夏」を感じさせる。

「今日はマナかしら…」

 外の暑そうな風景は、今朝の嫌な想像を思い出させ、私をマナの手伝いに行かせるよう導く。

 今日は体育館か、花壇か、職員室か…生徒会室の扉を開けようと取手に手を伸ばしたその時だった。

「た、たいへん…菱川先輩っ、大変ですっ!」

 突然開く生徒会室の扉。顔を出したのは1年生の役員の子。危うくぶつかるところだった。

「扉はちゃんとノックしないとだめよ。どうしたの?」

 本当に大変なことが起ったっぽいことはその表情から読みとれる。私も自然と表情が険しくなるのがわかった。

「会長がっ、マナ先輩が…!」

「マナが!?」

 マナの名前が出てきて私の体は一瞬だけ震えてしまう。マナに大変なこと?

 またトラブルに巻き込まれた?

 がんばりすぎて怪我したとか?

 …まさか、今思ったことが現実に……?

 でも、まさかそんな…

 それに、マナに限ってそんなこと…

 いえ、でも、今日はこのすごい暑さ…

 まさか、いや、でも…

 私の嫌な想像が後から後からあふれてくる。

 それくらい、彼女の表情は険しくて…

「熱中症で…!」

 その言葉で私の想像が止まる。そして頭に浮かぶのは最近の暑さに関するニュース。

 どこそこでは何度になった、とか、熱中症になってしまう人の数がすごい、とか…

 そして、熱中症はあまりにひどいと命の危険もある、とか……

 私はそのまま扉を出て走り出していた。

「会長は保健室です! そこで寝ています!!」

「ありがとう!」

 廊下は走ってはいけない、そんな規則も忘れたかのように。

 生徒会役員は全生徒の模範にならなくてはいけない、そんな約束も無視して。

 私は駆け足で保健室へ向っていった。

 

 保健室は生徒会室からそれほど遠くないはずなのに、その時だけはとても長く感じられた。

 マナが熱中症…この暑さ、本当に大丈夫なのかしら…悪くなければいいけど…

 でも、まさかマナが熱中症なんて…あれほど今日は暑いって言ったのに…

 ちゃんと水分とったのかしら…どうせ無理したんでしょう…

 本当に、もう、マナはすぐに周りが見えなくなっちゃうんだから…

 …バカ…本当にマナはバカよ…

 走りながら浮かぶマナへの心配は、考えれば考えるほどマナへの文句に変ってしまう。

 でも本当は…すごい心配だった。心配すぎて走るどころか歩けなくなるかもしれない。それぐらい心配だった。

 どうか無事でいて、マナ。私は心の奥底でそう願う自分を感じながら、ずっとマナへの文句を頭の中でつぶやいていた。

 そうでもしないと、私は心配で立ち尽くしてしまいそうだったから。

 

 保健室前はちょっとした人だかりができていた。みんな心配そうな顔を見合わせている。改めて知るマナの人気。

 ふと、ひとりが私に気づくとみんなは扉の前をあけてくれた。

「ありがとうございます。マナのこと心配してくださって…なにがあったのですか?」

「あの…」

 その中、3年の先輩が前に出てくる。園芸部の部長。顔には焦りが見える。園芸部の手伝いをしているときに倒れたのかもしれない。

「その…か、会長に…花壇の手入れを手伝ってもらって…。あの、わ、わたしも無理しないようにって伝えていたのだけど…」

 やっぱり…そう思っているとあとひとり。

「菱川さん…あのっ…」

 こちらは同じ学年のバスケットボール部のマネージャ。

「その前に、バスケの練習試合に入ってもらっていて…」

 2つもかけもち…この暑さの中を…私は感心を通り越してあきれてしまう。

「ありがとうございます。マナ…じゃなくて、会長が暑さも考えずに頑張ってしまったのですね。ご心配おかけしてごめんなさい。私が会長の様子を見ておきますから、皆さんは部活に戻ってくださいね」

 内心はとても焦っているけれど、いつもの冷静な口調のままで伝える。私が焦っている様子を見せたらみんなまで余計に心配させてしまうから。

 集まっていたみんなは、まだ心配そうな顔をしながらもそれぞれ部活へ、もしくは、教室へ…これは野次馬だったのかもしれない…戻っていった。

 

 

 

「コン、コンコン…」

 扉をノックする。焦りが力になってしまったのか、思ったよりも大きな音が出て少し慌ててしまう。

「どうぞ~」

 でも、中から返ってくる先生の声は意外とのんびりしたもの。

「失礼します」

 今度は大きな音を出さないようにゆっくり扉を開けると、冷たい風がゆるゆると流れ出してくる。

 半分ぐらい扉を開けたところで、扉のすぐ横に置かれたベッドの上にマナが寝かされているのを見つける。

「まっ、マナっ!」

「菱川さん、静かにね」

「あ、す、すみません…」

 思わず大きな声を出してしまった私は先生にたしなめられてしまう。

 体操服を着ているマナは、おでこと首と脇に氷のうが置かれていた。

 顔は真っ赤、呼吸が苦しそう。胸が大きく上下に動いている。

「先生、マナ…いえ、相田さんは…」

「ちょっと無理しすぎちゃったみたいね」

 先生の口調に焦りがないので、それほど酷い状況ではないのかも、と一瞬考えたけど、でも、マナは見た感じとても苦しそう。

「菱川さんも聞いたと思うけど、熱中症ね」

 私は空いている丸い椅子をベッドの横に持ってきて、マナの方を向いて座る。こんなマナを見るのはどれくらいぶりだろう。

 思わずその手を握る。その手もいつものマナじゃないみたいにすごい熱を持っていた。

 私の体温は普段からマナより低い。少しは私の手の冷たさで熱が引いてくれないかな、そう願ってマナの手をしっかりと握りなおす。

「でも、大丈夫よ。このまま冷やしていれば回復すると思うから」

「そうですか…すみません、ご迷惑をおかけして」

 その先生の言葉で私はやっと安心することができる。安心すると同時に体から力が抜けていく。さらには涙腺までゆるんでしまって、降りつもっていた心配とか、マナに対する文句とか、全部まとめて涙になってあふれてきて、止めることができなかった。

「本当に…よかった……」

「ええ、よかったわね」

 先生は優しく私の肩をなでてくれる。

「ぐすっ…まな…よかった……。もう、こんなに、心配かけさせて…ぐすっ……もう、マナはバカなんだから…でも、でも、無事でよかった……」

 もっと言いたいことはたくさんあった。でも、マナのことが大切だから「よかった、無事で」その言葉ばかりが頭の中をめぐっていた。

 涙が止まるまで、先生はずっと私の肩をなでてくれていた。

 

「落ち着いた?」

「はい…すみません。マナばかりか私までご迷惑おかけして…」

 5分くらいで落ち着いて、ちょっと恥ずかしくて、小さな声でお礼の言葉。

「いいのよ、大切な友達だものね」

 先生の返事はとても優しくて、またちょっと泣きそうになってしまう。

「でも、まだもう少し安静にいている必要があるから、そのまま様子見てあげて」

 先生は筆記用具を持って席を立つ。

「先生は…あ、今日は職員会議…」

「ええ、どうしても出なくてはいけない議題があるから。それだけ終ったら戻るから、それまで様子を見ていてくれるかしら」

「はい」

 そういえば、今日は職員会議の曜日。始まる時間は少し過ぎている。

 先生は付箋紙に何か書き込むと、私に渡して慌てるように保健室を出た。

 そこには、マナの様子を見るにあたっての注意事項が書いてあった。

 ・氷のうの氷がなくなったら交換すること。

 ・時々様子を見て、飲み物が飲めそうなら飲ませること。

 ・飲み物は冷蔵庫にある「経口補水液」を飲ませること。他のものは厳禁。

 ・苦しんだり、様子がおかしかったら急いで会議室に電話すること。受話器をあげて16番。

 ・相田さんが急に回復して保健室から脱走しようとしても先生が帰ってくるまで"絶対に"捕まえておくこと。

「マナなら…やりかねないわね」

 最後のは冗談だと思うけどマナならあり得そう。思わず笑ってしまった。

 

 マナとふたりきりの保健室。さっきまでの慌ただしさが嘘みたいに思えるくらい落ち着いた時間。

 もう5時を過ぎたのにカーテン越しの外はまだとても明るい。太陽はまだギラギラと私達を照らしているのだろうか。

 わずかに聞こえてくる声は体育館からの部活の声。マナみたいに熱中症の人が出なければいいけど。

 マナとふたりきりの保健室は、とても静かで、流れる時間もいつも以上にゆっくりしているように感じる。こんなにゆるやかな時間をマナとふたりで過ごすのは本当に久々。ここ半年くらい、いろいろなことがあって、時の流れをとても早く感じていたから。

 マナがプリキュアになったり、私もプリキュアとして戦うことになったり、ありすといる時間が増え、まこぴーという友達ができて、学校では相変わらず生徒会のお仕事が忙しいし、マナはいつでも飛び回って、私がそのフォローをして…

「やっぱり、私はマナがいないとだめね…」

 でも、そんな大変だけどドキドキな日々はマナがいたからこそ経験できたことで、感謝こそすれ、恨んだり不満に思ったりしたことは一度もなかった。

「早く、元気になって、私をドキドキさせてね」

 私は祈るように手に込める力をちょっとだけ強めてみた。マナの手はまだ熱を持ったままだった。

「…マナ?」

 私が込めた力に応えるように、弱くも確かに握り返す力。マナの瞳が少しだけ開かれる。

「大丈夫…?」

 マナは声を出そうとしているけどちょっとつらそう。代わりに唇を動かして言葉を紡ぐ。

「だ・い・じょー・ぶ」

「うそ…つらそうよ…」

 私の声は思いがけず涙声に。マナの瞳が開かれたことで、本当の本当にマナは大丈夫っていうことがわかって安心したから。

 マナは最初、ちょっと驚いたような顔をしたけど、手をゆっくりほどいて私の顔へとのばすと、涙をすくって舐めてしまう。

「あ、え、えっと…のど乾いたの?」

 マナの思いがけない行動に私は焦ってしまう。でも、マナは表情を変えず、軽くうなづくだけ。

「ちょっと待ってて」

 先生のメモにあったとおり、私は冷蔵庫を開き、経口補水液と書いてあるペットボトルを取り出す。

「起きられる?」

 今度の返事は首を横に。背を起こすのもつらいみたい。

 でも、それならどうやって飲ませればいいのか…

 マナがつらさを感じずに簡単に飲める方法…

 ……

 …ふと、ひとつ良さそうな方法を思いついたけど、さすがにないと思ってすぐに打ち消した。

 幼なじみといっても、さすがに口うつしはマナも嫌じゃないかな、そう思って。

 でも、他の方法を考えてみてもいい方法が見つからなくて、

「口うつしで…いい?」

 とりあえず尋ねてみてしまう。

 マナは再びちょっと驚いた顔をするけど、こくん、ってうなずいて同意してくれる。

 

「ちょっと待って…」

ペットボトルを開いて軽く飲んでみると、スポーツドリンクの味を薄くしたような感じ。いつの間にか、からからになっていた私ののどを潤してくれる。

 次にマナの分を口に含む。

 私の体温でぬるくならないように、でも、こぼさないように、ゆっくり、急いで、顔をマナに近づけると上から見下ろすような体勢になる。

 重なりあう瞳と瞳。ちょっと恥ずかしくなってきた。マナもそれは同じなのか、瞳をゆっくり閉じてゆく。

 さらに顔を近づけると、マナの高くなっている体温を感じる。

 視界にはいっぱいマナの唇。乾いているのに柔らかそうに見える。私の視線はそこに釘付けになる。

 よく考えたら、これってキスをするのと同じ…気づいてしまうとこころはドキドキして、嫌じゃないけどいいのかな…マナはいいって言ってくれたけど、でも、本当に大丈夫かな…今更になって変な考えが頭の中で浮かび上がってくる。

 その時、マナは不思議そうな顔をして瞳を開く。あまりに待たせすぎてしまったからかもしれない。

 私はごまかすように、慌てて、マナの唇に自分の唇を重ねた。マナの唇は熱くてやけどしてしまいそう。でも、柔らかさは想像通りで、気持よさまで感じる。

 ずっと、この唇に触れられていたら、そう思い始めるけど、それは許してくれなさそうなので、最初の目的のため、口に含んだものがこぼれないように唇を小さく開いて舌先をのばして、閉じられたマナの唇をノックする。

 小さく開くマナの唇。私は舌をもう少し奥へと進ませて、唇の開きを少し大きくして、ゆっくり、補水液を注いでゆく。

 私の舌を伝って、マナの口の中へ注がれるその液体は、少しだけ私の体温で暖まってしまったかもしれない。でも、マナは気にせずに飲んでくれている。小さく動くのどがかわいい。

 少ししか口に含んでいなかったので、私の口の中はすぐに空に。ゆっくりと唇をはなす。

「もう、自分で飲める…?」

 次を尋ねる私にマナは再び横に首を振る。

「そう、わかったわ」

 先ほどと同じように口に含んで、マナと唇を重ねて、ゆっくりと補水液をそそぎ込む。

「次は…?」

 再び尋ねる私への返事に再びマナの首は横に振られる。

 そうして、3口目も4口目も…そして最後まで、私はマナへ口うつしで補水を続けた。

 重ねるたびに私はマナの唇の柔らかさをより深く感じて、私のこころはどうなるかわからないぐらい速く打っていた。

 

「もうしばらく休んでいないとだめよ」

 飲み物を口にして少しは楽になったのか、マナの顔から赤みがちょっと収まって、呼吸も楽になったみたい。起きあがる素振りを見せたのであわてて止めてそのままベッドに寝かせた。

 マナは私の目の前で手をひらひらさせる。私はその手を両手でやさしく包む。握り返してくるマナの手。さっきよりも熱は収まっているし、力も入れられるようになったみたい。

「回復してきたみたいね、よかった」

 マナも、ややぎこちないけど、にっこりほほえんでくれた。

 

「コン、コン…」

 そのとき、扉をノックする音。怪我した生徒でも来たのか。先生はまだ帰ってきていないけど、とりあえず返事をする。

「おまたせ」

 扉が開くとそこには保健の先生が。私達に近づき、マナの顔をじっとみる。

「うん。回復してきたみたいね」

 そして、マナのおでこ、ほほ、首筋、腕をさわって、多分体温を確かめているんだと思う。

「補水液は…飲んだみたいね」

 空いたペットボトルを見て先生はうなずく。

「そういえば、先生、水飲みのこと書き忘れちゃったけど、菱川さん見つけてくれた?」

 水飲み…? 私達は思わず顔を見合わす。

「あの分だと背中を起こすのもつらそうだから水飲みが必要かなって思っていたんだけどさっきのメモに書き忘れちゃったの。でも、しっかりした菱川さんのことだから探して使ってくれていると思ったんだけど…使っていないの?」

 その言葉を受けてどうやって補水したかを想い出してしまい、私の頬が徐々に熱くなるのを感じる。同時に、マナもさっきよりちょっと頬が紅くなってきて…さすがに熱中症のせいではなさそう。

「あなた達…」

 先生は大げさにため息をつく。

「緊急事態だから仕方ないと思うけど、あまり派手なことはしないようにね? ただでさえあなた達は目立つんだから」

「はい…」

 すべてを悟られてしまった私達はただ単にうなずくことしかできなかった。

 

 

 

 夜7時、もう陽も傾いて徐々に暗くなってくる時刻。回復し、着替えたマナと一緒に先生にお礼を言って保健室を出る。

 向かう先は生徒会室。私達の荷物はそこに置きっぱなしだった。下校時刻はとうに過ぎているので、残っているのは、体育館で部活をしている生徒か私達くらい。廊下も、どの教室もひっそりしている。

 それは、生徒会室も同じこと。仄暗い部屋の中、私達のかばんが寂しそうに置かれていた。

「あら?」

 と思ったら、机の上にさっきはなかった紙が一枚。こんなものはさっきまでなかったのに。私の声でマナも後ろからのぞき込む。

「待って、あかりつけるから」

 暗闇の中、手探りであかりをつけると、今度はまぶしくて瞳があけられない。

 徐々に光に慣らすように瞳を開けると、それは1枚のルーズリーフ。そこにはカラフルな文字が踊っていた。

 複数の人の手によって書かれたらしいそれは…

「役員のみんなからマナへの寄せ書きね」

 お見舞いの言葉であふれていた。

 

「会長、大丈夫ですか? ゆっくり休んで元気な姿をまた見せてくださいね」

 とか、

「会長が熱中症なんて明日は槍が降りますね。危険なので明日はお手伝い禁止です」

 とか、

「あまり無理しないで…でもこれからもがんばってね」

 とか…みんなが本当に心配してくれているのがわかる寄せ書き。マナは嬉しそうにひとつひとつ、ゆっくり読んでいた。

 

 マナは最後まで読み終わると、机の上のペンを取りだして、

「みんなありがとう! 大好き!!」

 そう、一番下に書き加えた。

 マナはただ単に感謝の気持を述べたくて、ただそれだけの気持で書いたんだと思うけど、私はその行動になぜか胸が痛んでしまう。

「六花…?」

「え…?」

 少しだけ驚いた表情のマナ。そして気づく、いつの間にかマナの制服の袖を握っていたことに。そして…

「今日の六花ちゃんは泣き虫さんですね~?」

「そ、そんなこと…ない、わよ…」

 また涙を流しているらしい。頬を熱い滴が伝っているのに気がついた。

 どうしてまた泣いてしまっているのだろう。わからない。でも、止められなくて、マナの胸に顔を埋めてしまう。泣き顔が見られるのが恥ずかしいから。ううん、こんな顔をしている自分を見られたくなかったから。

「りっか…」

 優しく頭をなでてくれるマナ。でも、私はどうしても顔を上げられない。

 髪をなでるマナの手はゆっくり背中へと届いて、両腕でしっかりと私を抱きしめる。

「六花、ありがとう。あたし、嬉しかった」

 耳元に感じるマナの暖かさ、私の髪を揺らす吐息、私の涙は止まり、じっと、マナの言葉に耳を傾ける。ひとことも漏らさないように。

「みんなの寄せ書きももちろん嬉しかった。倒れた時、まわりにいたみんなが本当に親切に介抱してくれたのも、とっても嬉しかった。でもね…」

 背中に回された手が私の頬に添えられる。私はマナへと顔を向ける。

「六花があたしのことを本気で心配してくれて、あたしのためになんでもしてくれて、それが一番嬉しかった!」

「マナ…」

 その言葉は私の胸にうず巻いていたちょっと嫌な感情を消してくれる。

 また、でも、さっきとは違う、嬉しい涙がぽろぽろこぼれてしまう。

「今日の六花は本当に泣き虫さんだね」

「もう…だれのせいよ…」

 マナと顔を合わせたまま涙はこぼれて、それはちょっと恥ずかしくて、顔を胸に埋めようとしたけど、マナの手がそれを許してくれない。それどころか、マナの顔が私に近づいて、舌先を見せたかと思うと、私の涙を舐めとってしまう。

「マナ、恥ずかしい…」

「熱中症だから水分補給が必要なの」

「バカ…もう治ったでしょう?」

 マナの言葉を聞いて思わず笑ってしまう。マナも笑いながら、再び舌をのばして、涙を舐めとる。

「ごめんね、六花のこと泣かせちゃった」

 少しだけ申し訳なさそうな顔。そんな顔されたら怒ることもできない。

「ううん、もう怒ってないから、大丈夫よ。でも、もう同じような無理はしないでね」

 私の言葉にマナの表情が明るく戻る。

「うん、ありがとう。六花様、愛してる!」

「はいはい。もう調子がいいんだから…無理しすぎることで心配する人がいるってこと、忘れないでね」

「うん」

 マナは嬉しそうに返事すると、私の頬にキスをした。

「も、もう…本当に調子がいいんだから」

「えへへ…」

 マナのいつもの、私の一番好きな笑顔。私も笑顔になってしまう。

 よかった、マナに笑顔が戻ってきて。こころは安心に包まれる。

 この先も、私は結局この笑顔が見たくて、無理をすぐにしてしまうマナ王子のツバメとして飛び回ってしまうのだろう。

「私も、マナの事言えないわね…」

 小声でつぶやいて、再びマナの胸に包まれることにした。聞こえるマナの鼓動。この鼓動が止まるまで、ずっと、ずっと、そばにいられることを願いながら。


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