その花を見てそれぞれに思うふたり
その思いにはいろいろな形があって…
(2014年、Pixivさまにて初公開)
その存在は知っていた。
名前も何度も聞いたことがあった。
春になると誰もが心ときめかす存在、らしい。
でも、自分の瞳には邪魔な存在にしか映らなかった。
その色、その形、一瞬たりとも視界に入ってこないでほしかった。
それほどの忌むべき存在だった。
…でも、3度目の春は違う。
変わった気持ち、変わった世界。
初めてその名を心につぶやく。
すると、ときめく心。
心をときめかす、その名は…
写真や絵、教科書、そして、着物の柄で知っていた。
枝だけのそれも冬に何度も見かけた。
生まれてから見たのはそれだけ。
ずっと、憧れていた。
是非とも実物を見たいと思っていた。
…でも、いつか、自分の存在に疑問を持ったことがあった。
自分の運命を恨んだこともあった。
いっそ、自分が消えたなら、なんて思ったこともあった。
でも、この季節がめぐり来たことで、憧れだったそれを見たことで、そんなことを思っていた自分がおかしく思えてきた。
慈しむように見上げる。
沢山の花に囲まれ、水色の空は綺麗に輝いている。
本物がやっぱり一番素敵…心に幸せがあふれる。
その時、ゆるやかに風が吹く。
舞い散る花びら。
長い髪に降りかかる。
ひとひら拾って見つめる。
薄紅色の、桜の花を。
トランプ王国から逃れて2度目の春を迎えた真琴は、またこの季節がきたのかとため息をついた。
春は街の人々が浮き足立つ季節。
平和という言葉を顔に塗りたくった人たちが、満面の笑みで街を往く。
そこまで危機は迫っているのに…人々の危機感のなさに心の中はだんだんとささくれ立ってゆく。
心の中で毒づきながら街をゆくと、不意に起こる春の風。
街路樹として植えられていた桜の花びらが街なかに舞う。
満面の笑顔の人達は足を止め、その舞い散る桜に視線を向ける。何も知らない、平和すぎる表情で。
心の中に荒波が立つ。
スキャットを目深にかぶりなおして、急ぎ足で街を抜ける。
なんでこの世界の人はこうも平和すぎるのか。
そこまで来ている危機に全く気づかないのか。
心の中はそんな言葉で埋もれてゆく。
再び起こる風、まわりを舞い飛ぶ桜の花びら。
その花びらはさらに真琴の心を苛む。
この花はいけない。
色も、華やかさも、美しさも、そして、潔さも、なにもかもが王女様に似すぎている。
愛しい王女様を何度も思い出してしまうから…だから、この花のことが気になりすぎて、そして、心の中に荒波が立ちすぎてしまうのだ。
早く春が終わればいい。
いっそのこと、今すぐ全てが舞い散ってしまえばいい。
早く、緑の葉に変わってしまえばいい。
そう願いながら、真琴は街の外れへと駆けていった。
「これが…」
玄関を出て第一歩。思わずこぼれてしまう言葉。
その前には笑顔のエル。一緒に並んで歩き出す。
「綺麗…」
どこからともわからず舞い降りてくる薄紅のかけらを見るたびに心の中では同じ言葉しか浮かばない。
隣を歩くエルを見ると、とても嬉しそうな顔で空を見上げ、薄紅色のかけらを捕まえようと手を伸ばす。
でも、それはエルの手を逃れ、あるいは、風にあおられ、遠くへ、水色の空へ。
残念そうな、少しだけ悔しそうなエルの顔を見ていると、亜久里は思わず笑いをこぼしてしまう。
その様子を見て、エルは珍しく頬を膨らませて亜久里を見る。
亜久里はその頬を軽く指で押す。すると、笑顔に戻るエル。
亜久里は、エルの真似をして空に手を伸ばす。
ひらひらと、手をすり抜ける桜の花びら。
残念だったね、そう声をかけてくれるエル。
亜久里はちょっと悔しくて何度も何度も手を伸ばす。
エルも手を伸ばして花びらを捕まえようとする。
ふたりとも夢中になって、何度も何度も手を空へ。
ふと、いつの間にか夢中になっていたことに気づいたふたりは、どちらともなく顔を見合わせ、笑い出す。
エルの笑顔も、亜久里の笑顔も、本当に楽しそうに、大きな笑顔。
こうして幸せな中で桜を見ることができて、亜久里は本当の幸せを感じていた。
ふと止まる、エルの足。
公園の入口、エルがそっと手を伸ばす先。
そこには、空を見上げて微動だにしない真琴。
桜の花びらが空から舞い、その横顔を流れてゆく。
まるで、一枚の絵であるかのように綺麗で、綺麗すぎて、沢山降り注ぐ桜の花びらに隠されて、そのまま消えてしまいそうで…
「真琴!」
亜久里は思わず名を呼んで走り出してしまう。
ゆっくり振り返る真琴は、幸せそうな笑顔。
亜久里はその笑顔を見て、安堵のため息をつく。
「もう、心配しましたわ。どうしたのです、こんな所で…」
あとからエルも追いついて、真琴にお辞儀をする。
「亜久里ちゃん、エルちゃん…」
真琴の口調はいつものような凛々しさは消えて、のんびりとしていて、亜久里は再び心配になった。
「真琴らしくないですわ…どうしたので…っ!?」
焦りが混じるその言葉を止めるように、真琴の指が亜久里のくちびるに乗る。
驚く亜久里、そして、エル。
真琴は笑顔をたたえたまま、ゆっくりと語り始める。
「ほら、亜久里ちゃん。見て」
視線を戻す真琴。あわせるように顔を横に向けるふたり。
そこは公園の中。沢山の桜の木が、沢山の花をつけて植わっていた。
視界のほとんどが桜色に染まる。
亜久里は思わず目を見はる。エルも目を潤ませて見つめている。
余りに綺麗な光景に、もう言葉もない。
静かに風が桜を揺らす音が聞こえるだけ。
3人は、その光景をじっと、眺め続けていた。
「あ、おーい、まこぴー! 亜久里ちゃ~ん! エルちゃ~ん!」
その、静かな風の音をまっすぐ通り抜けてくる明るい声、それはマナのもの。
はたと気づいたように3人の視界は声のする公園の奥へ。
走ってくるマナは大きな笑顔で、桜の花びらがまわりに舞うのも、顔に当たるのも気にしていないかのようにまっすぐに。
走る足下にうっすらと敷かれた桜の絨毯が舞い上がり、空から、足下から、マナを桜色に染めあげる。
「いらっしゃい」
笑顔のマナ。3人もつられて笑顔になる。
「あ、ごめん。集合場所は噴水の前だったわね」
時計を確認すると、5分遅刻。マナは探しにきたのだろう。真琴は申し訳なさそうに答え、亜久里とエルも頭を下げる。
「大丈夫大丈夫! 桜に見とれているんじゃないかなって思ってたから」
マナは気にしてないという風に手を横に振る。安心する3人。
「桜、綺麗だね」
殊更、大きな笑顔で尋ねるマナ。
「ええ、とっても…」
静かな声で応える真琴。
亜久里も小さくうなずきながら、
「桜、初めて見ましたけども、ここまで綺麗だとは思いませんでしたわ…」
吐息まじりに呟く。
真琴も同感といった風に首を縦に振り、
「そうね。こんなに綺麗だと知っていたら、最初の春からもっとよく見ておくんだった」
少しだけ残念そうな声で呟く。
その言葉にマナは少しだけ違和感を感じる。
でも、すぐにその違和感の正体と理由に気づく。
マナは空を見上げ、少し考えて、
「これからは…」
ゆっくりと3人に振り向きながら言葉を紡ぐ。
「毎年ずっと見られるよ、桜」
マナは空に手を伸ばしてゆっくりと閉じる。
そして、ゆっくりと開くとその手には薄紅色のひとひら。
「ずっと、みんなと一緒に、ね」
その言葉に、真琴も、亜久里も、
この桜を見ることができて、
みんなと一緒に居ることができて、
本当によかったと、心から思っていた。
風に乗って、マナの手のひらの花びらは空へと飛び立つ。
4人の視線が空へ向かう。
沢山の花びらが舞う空。もうどれがマナの手から離れたものかわからない。
沢山の花びらは祝福するように、4人の頭の上に降り注いでいた、いつまでも。