ふたりの間だけの約束がある
それは、少し恥ずかしくて少しうれしい約束
今年も、その約束の時がきたけれど…
(2014年8月、Pixivさまにて初公開)
「ねぇねぇ、りっかぁ…」
マナの家でふたり、夏休みの宿題の日。突然の甘えたマナの声。
「お願いが…あるんだけど」
次に遠慮がちな声。そして、私が抵抗できないのを知って使う上目遣い。
毎年同じおねだりだからもうわかる。
でも、一応聴くために視線を合わせるとマナは嬉しそうな顔をして言う。
「お姉ちゃん、って呼んで」
と。
それは、もう5年くらい前。今日みたいな夏休みのさなか。マナの誕生日から1週間ほど過ぎた日、マナの家でのこと。
「あたし、妹がほしいな~」
突然、マナはそんなことを口にした。
あまりに突拍子のない言葉に思わずマナを見るとその手には漫画雑誌。読んでいた漫画に影響されて思わず口にしてしまったのかもしれない。
「マナのママにお願いしてみたらどうかしら?」
「う~ん…今すぐほしいなぁ…」
私の提案にちょっとわがままなマナ。私はそれ以上いい案が浮かばず、困ってしまった。
赤ちゃんはママのお腹が何ヶ月もかかって大きくなると産まれるけど、マナのママのお腹は大きくないからすぐに赤ちゃんは産まれなさそうだし、お腹が大きくても妹ではなくて弟の可能性もあるし…そう悩んでいると、
「そうだ!」
漫画を閉じてマナは嬉しそうな顔をする。そして、私の顔をじっと見つめる。きらきらした瞳で。
私は、マナが何かとんでもないことを思いついたとわかり、ちょっと身構える。
マナは大きく口を開くと、
「あたしの妹になってよ、六花!」
予想していた言葉をこぼすと、そのまま嬉しそうに言葉を続ける。
「あたしは先週誕生日が終わって六花はまだ。だから私が1つ年上だよね!」
私はその声の勢いに飲まれたかのように無意識にうなずく。
「だから、六花はあたしの妹! あたしはお姉ちゃんだよね!!」
あまりの嬉しそうな声に、よく考えたらおかしすぎるその言葉にも無意識に首を縦に振ってしまう。
「そうだよね! だから、あたしのことは『お姉ちゃん』って呼んで!」
マナはたくさんの期待を瞳にこめて、私の返事を待つ。
私は少しとまどう。でも、こうなったマナを止めることはできない。
頭の中で試しに呼びかけてみる。すると、その言葉に違和感しかなくて実際に口を開くことができない。
だけど…マナの期待がたっぷりこもった視線が私を射抜くようで…仕方なく口を開き、
「マナ…お姉ちゃん」
そう、口にした。聞こえるかどうかのささやき声で。
でも、その時私は、違和感よりもなんだか嬉しい気持ちに覆われた。本当にお姉ちゃんができたような気がして。
「お姉…ちゃん」
もう一度小さな声で呼ぶとマナもとても嬉しそうな声で「うん!」って返事をしてくれる。
嬉しそうなだけではない。それは、それまで見たことのないくらい、慈愛に満ちた顔。
本当のお姉ちゃんみたいに、私を包み込んでくれる笑顔。
私はその笑顔がなんだか嬉しくて、もっともっと見たくて、何度も、何度も、マナを「お姉ちゃん」と呼んだ。
マナもそのたびに嬉しそうに返事を、そして、慈愛に満ちた顔を私に向けてくれた。
その時、私はマナを「お姉ちゃん」と何度も呼びながら思い出したことがあった。
それは、お姉ちゃんを欲しいと思っていた頃があったこと。
幼い頃からパパとママは仕事の関係で家にいる時間が定まっていなくて、夜に家でひとりきりになることも多かった。
私はパパとママのことが大好きだったし、ふたりのお仕事は本当に素敵だと心から思っていたから言わなかったけど、実は結構寂しかった。
寂しい、って言いたかったけど、言ったらママもパパも今の仕事を辞めてしまうのではないかって幼心に思ってしまい、言い出すことができなかった。
夜、ひとりになりそうな時は、マナの家によくお世話になった。
マナは、いつも私が寂しくならないように沢山遊んでくれた。
マナのママとパパはおいしいごちそうを用意してくれた。
お腹いっぱいになると不安な気持ちが飛んでいった。
何度もマナのおうちにはお世話になったけど、マナのおうちが用事の時やお出かけの時はおじゃまなんてできなかったし、あまり沢山おじゃまするのも迷惑だと思ってお誘いをお断りすることもあった。
そうして、夜にひとりで過ごすことになった日はいつも心細さが私を襲った。
枕元のぬいぐるみを抱きしめて、寂しさを紛らわせようとしても、私を完全には癒してくれない。
本当は、自分はひとりきりでいなければいけない子。そんな風に私の頭は思い詰めてしまって、眠れなくなってしまうこともあった。
そんな時、私にお姉ちゃんがいたら。朝までずっと、手を握りしめて一緒に眠ってくれるお姉ちゃんがいたら、そんなことをよく願っていた。
そんなことがあったからだと思う。
本当のお姉ちゃんのように私を慈愛に満ちた瞳で見つめてくれるマナを思わず抱きしめて、その胸に顔を押しつけてしまった。
心の底から嬉しくて、涙がこぼれそうだった。
マナはびっくりしたのか小さく声を上げたけど、それも一瞬。優しく私の背中を抱きしめてくれた。
「六花って、甘えん坊だね」
そんな、ちょっと意地の悪い言葉は、マナが本当にお姉ちゃんであるかのように感じて、なにも言い返せなかった。
「ねぇねぇ、りっかぁ♪」
マナのおねだりがもう一度。
私は顔を上げてマナを見つめる。そして、口を開こうとしたその時、マナを「お姉ちゃん」と呼ぼうとした瞬間、私のくちびるが動きを止める。
もう一度呼ぼうとしても、のどを通る空気は声にならない。くちびるはどんな言葉も震わせない。
私の心がだんだんと落ち込んでくる。
それは、マナをお姉ちゃんと呼べないことではなくて…マナのことを「お姉ちゃん」と呼びたくない。そう、心が訴えているから。
「六花?」
心配そうな顔のマナが私をのぞき込む。
私はなぜかとっさに顔を隠してしまう。
「ど、どうしたの!?」
驚き半分、心配半分のマナの声。
でも、私は顔を覆う手を外すことができない。絶対今の私は変な顔をしている。
真っ赤になって、恥ずかしそうな顔で、そして、泣きそうで。こんな顔、絶対にマナに見せられない。
「も、もしかして、嫌だった?」
心配そうなマナの声が続く。
私は首を横に振ることも縦に振ることもできない。
少し間があって、マナの暖かい手が肩に置かれる。
とても優しいマナお姉ちゃんを感じられる手。私の胸が軽く音を立てる。
その手から沢山の優しさが流れ込んでくるように感じて、私はだんだんと胸がいっぱいになる。
顔を覆っていた手が自然とひざにおりる。そして、マナの顔を見つめる。それは、慈愛に満ちた、とても優しい顔。
私はその余りに優しい顔に、我慢できずに胸の中の言葉をこぼす。
「嫌なの」
「嫌?」
「マナのことを『お姉ちゃん』って呼ぶのがどうしても嫌なの」
マナは、私へのお願いを聴いてもらえなくてがっかりするのではないかって思ったけど、私はどうしても伝えたかった。
マナの瞳は落胆の色に覆われるのではないかって気が気ではなかった、けど…マナの優しい顔は変わらずに、私の言葉を黙って聞いてくれている。
それが余りにも申し訳なくて、私の顔はだんだんと下に。
「なぜかわからないけど…マナのことを『マナお姉ちゃん』ではなくて『マナ』って呼びたいの」
どうしてこんなことを思ってしまうのかわからないけど、心がそう思うのだから仕方ない。
私は半分泣きながらマナに訴えた。
いえ、もうほとんど泣いていて、膝の上、涙がぽつぽつこぼれて、サマードレスに吸い込まれていく。
沈黙の時間は、ほんの一瞬だったのかもしれない。
でも、私にはずっと長くに思えたその時間の後、マナは優しく私のことを抱きしめた。
私は驚いて顔を上げると、すぐ近くにマナの顔。頬が熱くなってくる。
「あたしも、一緒」
ささやくような声が耳をくすぐる。
私の心がまた音を小さく立てる。
「あたしも、なんだか嫌だった」
甘いささやきは私の心まですっと届くよう。
「六花には、いつも通り『マナ』って呼んでほしいって思った」
私はマナの肩に顔を思わず押しつけてしまう。
それは、マナの言葉が嬉しかったから。マナと同じ気持ちで、とても嬉しかったから。
「ちょっと残念だけど、相田姉妹ごっこはおしまい」
そういうマナの声はぜんぜん残念じゃなさそうで…私はその肩に顔を押しつけたまま小さくうなずいた。
「うん」
マナも私のうなずきに小さな声で返事をしてくれた。
私の一番好きな、甘くて、優しい、声で。
「さ、宿題やろ?」
しばらく抱き合って、私の涙が止まった頃、マナの言葉でゆっくり離れて、そして再び机に向かった。
私は参考書を広げて調べながら問題を解き、ノートにシャーペンを走らせる。
でも、目の前のマナの手は止まっている。
どうしたのかと思って顔を上げるとマナと視線が合う。
「マナ?」
私の声にマナはのんびりと「うん」って返事をして教科書に視線を落とす。
私も再び参考書に視線を落とすけど、しばらくしてまたも感じるマナの視線。
「どうしたの?」
私は少しだけ心配になる。
さっき見せた私の恥ずかしい姿に、マナは私のことを少し変な目で見るようになってしまったのではないか。
マナに限ってそんなことはないけど、でも、少し心配だった。
「どうしてかなって」
でも、マナの言葉は私の想像とは違う、ふとした疑問。
「前は『お姉ちゃん』って呼ばれるのが嬉しかったのに、どうして今は嬉しくなくなっちゃったのかなって」
マナの疑問に私はちいさくうなずく。
「私も同じ。どうしてかわからないけど、どうしてもマナのことを『お姉ちゃん』って呼びたくなかった」
その自分の言葉に、さっき取り乱したことを思いだして恥ずかしくなる。
「あたしの想像だけど」
マナはシャーペンで頬とつつきながら口にする。
「姉妹よりも、もっと、もっと、仲良くなりたいから…かな?」
そのマナの考えは私も一緒で、縦に首を振り、
「私もそうかなって思ってた」
心の中をそのまま伝える。
マナは嬉しそうな笑顔になる。
私も自然と笑顔になる。
お互い、笑顔を交わしながら、同時にテーブルの縁に手をつく。
「「これからも、よろしくお願いします」」
同時に頭を下げながら、同時に同じ言葉を口にする。
思いがけず取ってしまった同じ行動に、私たちは顔を見合わせて、そして、どちらともなく笑い始めた。
笑い声はいつまでも。
私たちの未来はいつまでも、沢山の笑顔で包まれる。
そんな予感をさせながら、いつまでも続いていた。