そして、僕は決断を迫られた。
「あ、あの」
「ねえ。起きて。聞いてる?」
「お、起きてよ!」
「……え?」
瞼を開くと、目の前に女の子がいた。
黒髪ツインテールの、どことも知れない制服を着たかわいい女の子だ。
「起きた?」
上体を起こすと、女の子は首を傾げながら、身を乗り出して訊いてくる。
「あ、うん。起きた、けど……」
周りを見回すと、見た事のある光景が広がっていた。僕が通っている高校の中庭だ。
芝生が、植木が風にさあさあと揺れ動き、陽光に照らされて清々しい雰囲気を醸している。
なんで?
僕は、なんで今、こんな場所に、こんな状況にいるんだ?
だって僕は今まで……。いや、何をしていたんだろう。
思い出せない。
「ここは、学校? なんで僕は学校に? それに、君は誰?」
「わたしは「めいりぃ」だよ。よろしくね」
ピースピースと、顔の横でサインを作る。
「めいりちゃん?」
「めいりぃ」
あだ名かな? そう呼んでほしいってこと?
「めいりぃちゃん、だね。僕の名前は
「知ってるよ」
「え、知ってるの? なんで?」
「なぜなら、わたしは直田くんの恋人だから」
笑顔で胸に手を当てて自分を示す。
「そんな馬鹿な。僕に恋人なんて、一度だっていたこともないよ」
「なら、今まで何してたか覚えてる?」
「覚えてないけど……」
「つまり、わたしたちは恋人だってことだよ」
「いやいやいやいや、なら僕が覚えていない時間に何があったか教えてよ。めいりぃちゃんは知ってるんでしょ?」
その時に恋人になったんだと説明を受けたら、納得してもいいかもしれない。感情面で今すぐ受け止められるかはともかく。
とにかく状況を正しく理解しないと。その為に記憶の空白を埋めたい。
「ごめんね。それは教えられないよ」
「どうして。状況が分からないと、これからどうすればいいかも分からないよ」
「わからなくてもいいんだよ」
「え」
女の子は笑顔で、きっぱりと言った。
「どうすればいいかはわたしが決めるから、直田くんはなにも考えなくていいんだよ。わたしが、直田くんが一番楽しく過ごせるように、ちゃんと考えるからね」
「何を言ってるんだよ。ちょっとおかしいよ君」
「おかしくないよ。わたしを信じて、考えないで」
「めいりぃちゃんが、どういう人なのかも知らないのに、そんなの無理だ」
「わたしはめいりぃ。16歳で、この学校、丘川学園の二年生。趣味はゲームだよ」
「その素性で、信じろって? 確かに僕もこの学校の生徒だ。でもめいりぃちゃんとは話した事も愚か見た事すらないよ」
「とりあえずデートしようよ」
「この流れでなんでそうなるの」
「デートしてくれたら、これ以上の事も教える気になる可能性がなくもないと思えなくもないよ?」
「全く教える気のない顔で言われてもね」
「そんなにつんけんしないで」
「もういいよ。話にならない。じゃあね」
これ以上めいりぃちゃんと話しても、何もわからないままだ。
僕は背を向けて校門の方へ歩き出す。
誰か他の人に聞こう。
そうだ。それこそ妹とか、家族に聞いた方が早い。
スマホを手に取ろうとポケットに手を入れて、何も入ってない事に気づく。全身を手でぺたぺたと確認してみても、スマホは見つからない。
「めいりぃちゃんが盗ったのか?」
「わたしが何を取ったの?」
「うわっ!?」
振り向くと、真後ろにめいりぃちゃんはいた。
「なんでついてくるの?」
「ここからは出られないよ」
「どういうこと?」
「人も、わたしたち以外はいないよ」
「だから、どういうこと? 言葉通りの意味って事はないでしょ。現実的じゃない」
まさか世界に僕とめいりぃちゃんだけなんて、そんなことある訳もない。
「言葉通りの意味だよ」
「だったら、確かめるよ」
僕は再び歩き出す。
「あいたっ」
校門を出ようとしたら、顔をぶつけてすっ転んだ。
透明な壁があったんだ。意味の分からない現象だけど、そうとしか言えない。
「大丈夫? 手当てするね」
めいりぃちゃんはどこから取り出したのかも分からない冷えたタオルを僕の額に当てて来た。濡らして冷やしに行く時間はなかったはずだけど。まさかさっきから濡れたタオルを持っていたなんてことも無いはずだ。冷やしたばかりみたいな感触だし。
「これぐらいそんなの必要ないよ」
「だめ。するの」
「自分で持つよ」
「だめ、わたしが持つの」
しばらく、冷えたタオルを額に当てられていた。
透明な壁は、どれだけ叩いても蹴ってもビクともしなかった。
「出られないなら、人を探すよ」
この学校の敷地内に、誰かいるはずだ。
「人はいないって言ったよ?」
「全面的に信じられないよ。もしかしたら居るかもしれない」
「疑り深いなぁ~」
僕は学校中を歩き回った。めいりぃちゃんはずっとついてきた。
「……………………」
校庭に、グラウンド、中庭に、校内一階、二階、三階、四階、屋上、全てに人は居なかった。風は吹いていて、こんなにも気持ちいいのに。人の気配だけが、無い。
「……っ」
そして、学校からは出られない。念のために、透明な壁になっている場所に沿ってぐるりと一周したけれど、抜け道はなかった。全部堅い壁だ。何度叩いても、教室から持ってきた椅子を叩き付けても、ビクともしない。
「本当、なのか……」
「信じてくれた?」
「とりあえずは、信じざるを得ないほどの状況だって事は、理解したよ」
ぐうぅ~~。
「お腹減ったの? なら、わたしとデートして食べ物食べに行こう?」
笑顔で僕の両肩を掴みグラグラ揺らしてくる。
「うん。わかったよ。とりあえずめいりぃちゃんの言う通りにするのが、今は良いんだと理解したよ。このまま一人で考えてたら、気がおかしくなりそうだからね」
「よしきた! こっちこっち! こっち来て!」
手を握って、引いて、強引に歩かせてくるので、足を動かした。
「ここは、食堂」
校内の一階、食堂に着いた。
「うん。学校から出られないからね。ここが食事をする際のデートスポットになっちゃうんだ」
「雰囲気もへったくれもないね」
「そんなことないよ。直田くんと一緒ならどこでも最高のデートスポットになるんだよ」
「それ本気で言ってる?」
「本気だよ」
「…………」
「クレープ一緒に食べよう」
「僕焼き魚定食がいいんだけど。昼食に甘いものってないよ。ありかなしで言ったらないよりのないだよ」
「だめ。クレープ食べるの」
「君意外と頑固だね」
「ふふん」
「でも、クレープなんてうちの学食にあったっけ」
「なかったけどあるんだよ」
「わかった。わけわかんない事がわかった。だからしばらく訊かないようにするよ」
「なに味がいいー?」
「チョコバナナ」
「じゃあわたしもそれにする!」
「はいこれっ」
めいりぃちゃんが持ってきたチョコバナナクレープを受け取って、テーブルに着く。正面にはめいりぃちゃんが座る。
「食べさせて。あ~ん」
大口を開けて頭を左右に振ってくる。
「いやだよ僕のが無くなる」
「わたしのも食べさせてあげるから。あ~ん」
「それぞれ自分の食べればいいじゃん」
「いやだ! あ~んするの! してくれないと何も教えないよ!」
「……わかったよ」
教えてくれる気が、本当にあるのかな? やっぱりないような気がするけど。
「あ~ん♪」
テーブルに乗り出しながら開けてくる口にクレープを差し出した。
「ぱくっ。ん~~、おいしい!」
「よかったね」
「直田くんもあ~んして」
ええいままよっ、と口を開けた。
「たーんとお食べっ」
「むがっ」
「おいしい?」
「無理矢理突っ込まないでよ。クリームが口の周りにべとべとじゃないか」
「ごめんね。今ふきふきするからね」
口元を薄いピンク色のハンカチで拭かれる。
僕は何をしているんだろう。
「一緒にゲームしよ。誰かとゲームするの夢だったんだっ」
場所は変わらず食堂でめいりぃちゃんが言う。
「こんな事してていいの? 学校から出られないんだ。状況改善のために力を貸してくれないかな」
「ゲームをするのが最善だよ」
「……そう。まあいいよ」
言うこと聞いてたら、本当にそのうち何か教えてくれるかもしれない。
「格ゲーやろうっ」
と携帯ゲーム機を二つ取り出すめいりぃちゃん。どこから取り出したのかはわからない。スカートの中に手を突っ込んだように見えたけど気のせいだ。
「わたしこの剣使いの女の子つかうー」
「じゃあ僕はこのマッチョ。やっぱりパワーだよパワー」
剣使いに惨殺された。
「クソゲー!」
「わははは!」
「笑うなー!」
「僕もそのチートキャラ使わせてもらおう」
「いいよー」
負けた。
「なんで勝てない!」
「わたしが強いから!」
「くっそー!」
悔しくてずっとやってたら、夜になってしまった。
色んな疑問も忘れて、夢中になっていた。
窓の外は暗く、どこか物悲しい感覚がある。夜の学校なんて入った事ないから新鮮だ。
「学校から出られないなら、家には帰れないのか」
そんな現実が、どこか不思議だった。
「うん。そうだよ。ごめんね」
「どうしてめいりぃちゃんが謝るんだよ。それともめいりぃちゃんが僕を帰れなくしてるの?」
「それは違う。けど」
「なら謝らなくていいよ」
「わかったよぃ」
「これからどうしよう」
「ここに住むしかないよ」
「泊まるじゃなくて住むとまでいうのか」
「出られないからね」
「お風呂入れないのかな」
「学校のシャワー使おう。水泳部とかの運動部が使ってた場所あるでしょ」
シャワーを浴びて体育館に行くと、布団が一つだけ敷かれていた。
「一緒に寝よう」
「寝ないよ」
「寝ないと体に悪いから寝て」
「一緒には寝ないと言ったんだけど」
「でも、一緒に寝てくれないと――」
「寝ないと何も教えないって?」
「うん」
「うんじゃないよ! もう好きにしてくれ!」
布団に入ると、めいりぃちゃんもすぐに隣へ入ってくる。
ぬくもりを感じて落ち着かなかったけれど、僕が眠りに就くのは意外と早かった。
僕は、ただの、普通の学生だったと思う。
いつも教室の隅で、影を薄くしている、よくいる有象無象。
それが僕だ。
ある日、学校の廊下を歩いていたら、前を女の子が歩いていた。
大量に積まれた紙の束を抱えて、よろよろと歩いている女子生徒だ。
「おっ……あっ……」
危なっかしいな~と思いながら見ていたら、案の定転びそうになった。
僕は、予想していたのもあり、咄嗟に女の子の腕を引く。
「わぁっ……!?」
女の子は転倒せずに済んだけど、抱えていた大量の紙束は廊下にばら撒かれてしまった。
「あぁぁぁ……あ、ありがとう……」
女の子は紙をばら撒いた事に動揺の声を上げた後、お礼を言ってくる。
「大丈夫?」
「だ、だいじょぶ」
僕は落ちた紙を拾う。
「あ、そんないいのに」
「困ってるのにここで素通りする方がおかしいよ」
「…………ありがとう」
女の子は微笑んでいた。その表情がどこか、印象的だった。
「これどこに持ってくの? 手伝うよ」
「第二準備室だよ」
僕の方が多めに紙を持って、二人で廊下を歩いていると、女の子が話し出した。
「あのね、聞いてくれる?」
「? なにを? 聞くぐらいならいいけど」
「うん。えっとね」
女の子は、なんでもないことのように言った。
「わたしね、虐待受けてるんだ。でもね、あんまり辛くないの。それが普通だって思えてしまうの。なんでかな。昔からそうだったからかな」
「え……」
「なんて、冗談だよ」
「笑えない冗談だけど」
「うん。ごめんね。わたし、冗談が下手なんだ」
それ以降は何も話さず、第二準備室に紙束を置いた後、女の子と別れてからそれっきりだった。
――僕はただの学生だ。
でも、最近は、少しだけ平凡とは違う事が起きている。
毎日、誰かの視線を感じるんだ。
意識が覚醒する感覚。瞼を開けると、そこは家の自室ではなく、学校の体育館に布団を敷いた場所だ。
「そうだ。あの時の女の子だ」
めいりぃちゃんとは、以前に会った事があるんだ。
「おはよう直田くん」
めいりぃちゃんは僕の寝顔を見つめていたとばかりに、傍らに女の子座りして覗き込んでいた。
「おはよう。それよりめいりぃちゃん」
「ん?」
「めいりぃちゃん、僕達ってあった事あるよね?」
「うん。あるよ。あの時に、わたしは直田くんを好きになったんだ」
「え。なんで」
「無条件に優しくしてくれたことが、わたしにとってはこれ以上ないくらいに特別なことだったから」
「あんな、ことが? ただ、手伝っただけなのに?」
「転びそうなところも助けてもらったよ」
「いや、でも、それだけで?」
「うん、それだけで」
「意味わからないよ」
「わたしの理屈で好きになっただけだから、直田くんがわからなくてもしょうがないよ」
衝撃音。崩壊の音。ドガァァァァァアアアアアアン、と。
「わあ!? なんだあ!?」
「敵だよ!」
「わけわかんないよ!」
突然、体育館の扉が破壊されて何かが飛び込んできたんだ。
真っ白な人型で、頭部には巨大な目が一つあるだけの化け物だ。
僕の互換は現実感を伴って、そのあり得ない生命体をリアルだと訴えてきている。
「出でよ剣!」
「剣とか出しちゃったよ」
めいりぃちゃんは赤い長剣を右手に持った。何もない空間から剣を出したんだ。
その剣は、昨日やった格ゲーでめいりぃちゃんが使っていたキャラが持っていた剣の様に見えた。
「ふんっ」
一つ目の化け物が僕に飛び掛かってきたところを、めいりぃちゃんが遮り、剣を振る。ズシャアッ。と化け物の白い体は真っ二つになり、血も何も撒き散らさずに跡形も無く消滅した。
「なんなんだ、これ……。わけわかんないよ」
現実感のない超展開が目の前で繰り広げられていて、信じ難いけど、現実なんだ。その感覚が、気持ち悪い。
「大丈夫。わからなくてもいいんだよ。わたしが全部やるからね」
めいりぃちゃんが僕の背後に剣を突き出す。振り返ると、いつの間にか忍び寄っていた先と同型の化け物が赤い剣に貫かれていた。
「わからないってのは、怖いものなんだけどな」
貫かれ消滅した化け物の背後にいた三体目の化け物も、めいりぃちゃんが真っ二つにして消滅させた。
「ごめんね。怖いのは、わたしがなんとかするから。拭うから。守るから」
化け物がいなくなると、赤い剣を消してめいりぃちゃんは振り向く。綺麗な黒髪ツインテールが翻った。
「絶対に、死なないで……」
その声が、その表情が、真に僕を想って言っているのだと感じられて。
僕は……。
僕はめいりぃちゃんを、信じてもいいと思えた。
とりあえずは、だけど。
壊れた壁はめいりぃちゃんが一瞬で直していた。
朝だ。変な事があっても、朝はいつものように来る。
横を見ると、めいりぃちゃんが奇妙な行動を取っていた。
「ブリッジ!」
「なにしてるの?」
「笑って!」
「てい!」
お腹にチョップを食らわせた。
「ぎゃぼお!」
めいりぃちゃんは珍妙な顔をして床へ倒れ伏す。
「ひどいよお~」
昼になると、緑色の変な料理を食べた。最初は拒否してちゃぶ台返しをしそうになったが、食べてみると美味かった。またゲームして、めいりぃちゃんが「ぷっぷくぷー!」と煽り腐ってくるから殴ったり。「痛いよ~」
夜、僕は布団の中で体育館の天井を眺めて震えていた。
「ねえ、怖い?」
同じ布団で隣に寝ているめいりぃちゃんがそう訊いてきた。
「うん、怖いよ」
実際、あんな化け物に命を奪われそうになったんだ。怖くないわけがない。
「ぎゅ~ってするね」
めいりぃちゃんが抱きしめて来た。
「なにを」
するんだ。
「怖いのは何とかするって言ったでしょ?」
「まさか朝のブリッジもそれの一環?」
「そうだよ」
「馬鹿かな」
「ひどいよ~」
そう言いながら強く抱きしめてくる。暖かい。いい匂いがする。おっぱいが当たっている。耳元から聞こえる声。
「怖いの怖いの飛んでいけ~」
めいりぃちゃんは恐怖を払拭してくれている。
いつしか安らかに意識は落ち、寝ていた。
次の日、僕は昼寝をした。この状況に身を任せるだけなので、気を抜いてみたのだ。めいりぃちゃんも隣で陽に当てられながら寝ていた。
夕食はハンバーガーを食べて、そのあとゲームして、勝ったからこの前の意趣返しに「ぺっぺけぺー! おろろろろろろろ? ざまーー! ぷぎゃーー! め い り ぃ ちゃ ん の ま け !」と煽り返してやったら、「うぅ~~」めいりぃちゃんが涙目になった。
シャワーじゃなくてお風呂に入りたいと言ったら、めいりぃちゃんが作ってくれた。一瞬でポンとシャワー室の隣に出来上がっていた。
めいりぃちゃんから先に入っていいよと勧められたのもあり、早速と湯船に浸かっていたら「直田くん! 一緒に入ろ~」と風呂に乱入してきたからお湯をぶっかけて撃退した。風呂から出たら、まためいりぃちゃんと一緒に寝た。
そして次の日。
僕達は教室であやとりをしていた。僕が前まで授業を受けていた三階にある2年A組でだ。
バリィィィィィィィィィィィィイイン。と、ガラスが盛大に割れる音が響き渡った。
「なんだ!? また!?」
「剣!」
赤い剣を顕現させるめいりぃちゃんを横目に振り返ると、化け物が教室の机や椅子を倒しながら押し入って来ていた。
球体状の白い体に巨大な一つ目。腕が二本に、カマキリの刃のようなものが無数に体から生えている。足は無く、浮遊している。
「気持ち悪い見た目だ」
「はあっ!」
めいりぃちゃんが前に出て、剣で刃で斬撃を化け物へ進ませる。
その赤い剣を化け物の体から生えている刃が阻む。
剣戟が始まった。凄まじい剣と刃の、赤と白の舞踊が繰り広げられる。
「強い!?」
拮抗していたのは、最初の内だけだった。めいりぃちゃんは押されている。
「直田くん、下がってて!」
「わ、わかった」
僕は廊下に避難する。けれど気になって教室を覗き込んだ態勢で。すぐに逃げ出せるようにはしてるけど。
僕を避難させて自由に動き回れるようになっても、めいりぃちゃんの劣勢は変わらない。そもそも剣一本対刃無数だ。二本の腕も時折掴み掛ってきている。この化け物は難敵過ぎる。
「がんばれ!」
僕は無意識に応援していた。
「ま、まずいっ」
めいりぃちゃんの剣捌きがかなり苦しくなってきた。
「ぐっ……」
白の刃が強かに赤の剣に打ち付けられ、めいりぃちゃんはよろめいた。
そこに、白刃が更に振り抜かれた。
「きゃあっ!」
めいりぃちゃんは剣を前に出して防ぎはしたが、よろめいていて踏ん張ることは叶わず、簡単に押し負けて叩き飛ばされる。廊下まで勢い良く飛んできて、壁に叩き付けられた。
「めいりぃちゃん!?」
めいりぃちゃんを助け起こそうと走り出そうとして――殺気を感じた。
「ひっ」
化け物が、悍ましい巨大な一つ目で僕を見ていた。じっと見ていた。白くて丸い眼球で。
倒れ伏して呻いているめいりぃちゃんを無視して、化け物は無数の刃を構えて僕へ飛翔してきた。
「うわああっ!?」
目の前まで刃の切っ先が迫る。僕を刺し殺そうと迫る。
「っ……はああああああ!!」
驚異的な再起力を発揮して、めいりぃちゃんが飛び上がった。一瞬で、いや一瞬の間すらなく、膝を曲げて伸ばし、化け物に飛び掛かる。その様相には、途轍もない執念を感じた。
僕に白の刃が届く前に、赤い剣が化け物の側面に突き刺された。
「ギュィィィィッィィィィ」
暴れのたうち回る化け物。めいりぃちゃんは赤い剣の柄を手放さずに、化け物に取り付いたまま振り回される。
化け物の太い二本の腕でめいりぃちゃんの胴体が掴まれた。バキゴキッ。骨が折れる音。
「ぐぎっあああああ!」
その間に僕を斬り刻もうと化け物は刃を振り上げる。
めいりぃちゃんを無力化した化け物は、めいりぃちゃんに止めを刺すよりも僕を殺す事を優先してきたんだ。
化け物は白い刃を振り下ろした。
「うわっ!?」
足裏に押し上げられる感触がしたと思ったら、僕は突然吹っ飛んだ。隣の教室の廊下まで。
なぜか僕の足元にあった地面が射出されるようにせり上がっていたからだ。
そのおかげで化け物の刃から逃れた。
「殺させない!」
叫んだめいりぃちゃんの形相を見る限り、彼女が僕を助けてくれたみたいだ。めいりぃちゃんは地形を変えられるらしい。今までもどこからともなく剣を出したり風呂を作ったりしてきたから、こういうことも出来るんだろう。
めいりぃちゃんは再び剣を生み出し、僕を仕留める為に振り切り伸び切ったカマキリのような刃の四肢を斬り落とした。隙を突いた瞬閃の剣技だった。
「ギュァィィィィィィィィィィィィィイイイイイイイイイイグ」
「直田くんはわたしが守る」
鳴き声を上げる化け物の目玉にめいりぃちゃんは赤い剣を突き刺した。ズプリと、鍔元まで刃が入り込んでいく。
化け物は体を弛緩させ、鳴き声も止み、消滅した。
僕はめいりぃちゃんに走り寄る。
「めいりぃちゃん! 大丈夫!?」
「うん、だいじょーぶだよ。治したから」
へらへらと笑って手を振りノープロブレムをアピールするめいりぃちゃん。
「強がってんじゃねー!」
めいりぃちゃんの服を捲って胴体が変になってないか、血が出てないか確認する。
そこには、綺麗な白い肌と曲線、おへそだけがあった。怪我なんてどこにも見当たらない。
「きゃあああ!? 直田くんのえっち!!」
バシーンとビンタされ僕は転がった。
赤い顔で服を整えるめいりぃちゃん。
「ごめん」
どうやら僕は冷静さを欠いていたようだ。あまりの事態に動転していた。だって化け物が強くて、めいりぃちゃんが死にそうな大怪我を負ったんだ。ショッキングが過ぎた。人の死の予感が怖かった。
「めいりぃちゃんは、自分の傷を治す事も出来るんだね」
「だからそう言ったでしょ!」
「僕の事を恋人だって言う割に肌を見られるの嫌なんだ。お風呂にまで入ってきたのに」
「それとこれとは別なの! 自分から行くのと突然来られるのでは心構えが違うの」
「そういうもんかなあ」
「そういうもんなの」
と、めいりぃちゃんが上目遣いで誘うようにもじもじしだした。
「ちゃんと事前に言ってくれれば、今すぐにでもそういうことしてもいいよ」
「遠慮しておくよ」
「そこは積極的に来てよ。今さっきわたしを脱がせようとしたくせに」
ジト目で自分の体を抱いて非難してくる。
「そもそも僕はめいりぃちゃんが恋人だってまだ納得出来ていない」
「わたしが何も教えないから?」
「そうだよ」
「こんなに愛してるのに」
「それよりさ」
「それよりで済ませないで」
「めいりぃちゃん……死にかけたよね」
先の戦いで、骨が折られていた。痛そうな音と苦鳴を確かに聞いた。
「うん、まあ、そうといえなくもないね」
めいりぃちゃんは目を逸らしながら言った。
「さすがにさ、こんな事になったら、何も聞かないではいられないよ。何も知らないままめいりぃちゃんが死んじゃったらいやだよ」
「そんなに知りたいの?」
「うん」
「でも、知らないほうがいいよ。それとも、今が楽しくない……?」
「そういうわけじゃないよ。それに、それとこれとは別だ。ただ、めいりぃちゃんが死にかけた今、やっぱり、何も知らないではいられないんだ」
「でも今が嫌なわけじゃないんでしょ。だったら聞かないで」
「教えて」
「駄目」
「教えて!」
「だめ!」
めいりぃちゃんは頑なだ。泣きそうになっている。涙目になるくらい知られたくない事なのか。
「泣きそうになるほど言えないことなの?」
「泣きそうになってない」
涙声で言われても説得力はない。
「めいりぃちゃん……そろそろ諦めて言ってくれよ。聞いてから考えるから。それで僕が出した考えが気に入らなかったら、二人で話せばいい」
「直田くんなんて嫌い! 好き!」
だだだだだっっとめいりぃちゃんは走り去ってしまった。
廊下の向こうへ消えていく背中を呆然と見ながら、言葉を零す。
「どっちなんだよ……」
それから学校中を探したけど、めいりぃちゃんが逃げ続けるから、僕は諦めて追いかけるのを止めた。
夜、体育館に敷いた布団で、高い天井を見つめる。
「どうすれば、いいんだ……」
結局めいりぃちゃんは帰ってこなかった。だから一人で寝た。
一人で寝るのなんて、少し前までは普通だったのに、寂しいと感じてしまった。
やっぱり何も聞かずに、めいりぃちゃんの言う通りにして流されているべきなのだろうか。
目を覚ますと、隣にめいりぃちゃんが寝ていた。
めいりぃちゃんの目がパチッと開く。
「直田くんおはよう」
「おはよう。戻って来てたんだ」
「直田くんとしばらく会えなくて死にそうになっちゃったんだよ」
「しばらくって、一日も経ってないよ」
「わたしにとっては永遠みたいだったよ。もう離さないっ」
めいりぃちゃんはぎゅっと抱きついてくる。
「抱きつくなあ!」
めいりぃちゃんを引き剥がしてたら、もう昨日までのノリに戻っていた。
僕はもう、無理に聞き出そうとはしない。
中庭でのんびりしていたら、また化け物が現れた。校舎の陰から跳ねてきて、着地、こちらを向いた。
「またかよ気の休まる暇もないな!?」
今回の化け物も今までと同じ一つ目だ。全身白いのも同じ。そして丸い。一本足だけが球体から伸びている。他には何もない。刃も、手も、なにも。こいつは飛行もできないのか、一本足で跳ねて移動してくる。
「でも、なんか弱そ――うおお!?」
化け物が、一つ目からレーザーを放ってきた。
めいりぃちゃんが赤い剣でレーザーを何とか弾く。どんな反射神経だ。レーザーって光の速さだよな。剣も普通じゃない。今更か。
でも、めいりぃちゃんは手が痺れている様子だ。レーザーの威力は、当然だが途轍もない。
「こいつ強いよ。直田くんは隠れてて!」
僕の前に出て剣を構えるめいりぃちゃん。
僕は化け物が来たのとは反対の校舎の陰に急いで隠れた。前と同じで、顔を出して様子を窺う。やっぱり気になるんだ。めいりぃちゃんが死んでしまわないか、僕の目の届かないところで死んでしまうんじゃないか、それが怖い。
レーザーが再び発射された。めいりぃちゃんは弾く。レーザーはの威力は重く、硬直する。
間髪入れず、即座に、瞬時の内に、光の速さで次のレーザーが放たれた。
めいりぃちゃんは硬直している。光の速さであるレーザーを、二発連続では対処できない。
めいりぃちゃんの頭がレーザーに貫かれた。
ばたりと、頭部が無くなった少女の体が倒れる。赤い剣が花壇に放り出されて、土に突き刺さった。
「あああああああああああ!!?? めいりぃちゃん!!!」
めいりぃちゃんが、死んじゃった!
僕の方へ化け物が目玉を向けた。咄嗟に校舎を楯に頭を引っ込める。レーザーが目の前の壁を抉った。
「ま、まずいでしょこれ……あ、ああ、どうしよう……めいりぃちゃん」
めいりぃちゃんが赤い剣を投擲し、化け物の胴体に剣が突き刺さり、化け物は怯んだ。
「生きてた!」
無くなった筈の頭は何故か傷一つ無く健在だ。
最強かよ。
めいりぃちゃんは怯んだ化け物に接近、赤い剣を再びその手に、斬り刻む。
「ピギュアアアアアアァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァア」
化け物の胴体や一本の足は細切れになって消滅した。
しかし!
「しまったっ!?」
めいりぃちゃんが目を見開き叫ぶ。
化け物は、死ぬ前に目玉だけを射出していたのだ。
その目玉は、今僕を見ている。
レーザーは、一直線にぼくへ。
危ない。間に合わない。そんなこと考える間も無く、僕はレーザーを喰らった。
「直田くんッッ!!」
僕は、死んだのか??
「あああああああああああああああああああああああ」
めいりぃちゃんの、絶望したような慟哭だけが響き渡り、聞こえた。
――僕は普通の、どこにでもいる人間だったはずだ。
「……っ」
僕は学校からの帰宅途中。商店街で、通り魔が刃物を以って誰かも知らない人を襲っている。
それが、今現在、目の前に広がっている光景。
「殺してやる殺してやる殺してやる」
ぶつぶつと目を血走らせながら通り魔は刃物を振り回している。
そんな状況に出会ったら、怖くて逃げだすのが普通だ。
やって、警察に電話するぐらいだ。
実際周りの人間はそうしていた。
でも僕は、何をトチ狂ったのか、
「助けて!」
その叫びを聞いて、助けに入ってしまった。
咄嗟の行動だった。
「ぐああっ!?」
結果、呆気なく刺されて、すごく痛くて、熱くて、血がいっぱい流れて。
そうして僕は、死んだ。
そうして、刺殺された僕を、めいりぃちゃんは見ていた。
学校から僕の後ろをつけていためいりぃちゃんは、僕の咄嗟の行動に面食らって頭が真っ白になっていた。
「え……直田……くん……?」
僕は、めいりぃちゃんの思いを、今見ている。
「うそ……やだ……やだっ…………やだよ!」
めいりぃちゃんは、僕が死んでしまうのを、僕の意識が消えてしまうのを強く否定した。
強く強く、否定した。
そうしたら、不思議な空間にいた。
僕とめいりぃちゃんが過ごした箱庭の学校だ。
「なに、ここ」
その空間に来た瞬間から。めいりぃちゃんはこの空間の事が解っていた。
この箱庭は不自然な現象から成り立っている空間だ。襲って来る化け物は、世界を正常な状態に戻そうとする修正力の化身である。
僕がこの世界で死ぬか、この状態を終わろうと本気で思うかで箱庭は崩壊する。
「…………よし……決めた。決めたよ。絶対……壊させない」
めいりぃちゃんは、僕とずっとこの幸せな箱庭を維持して一緒にいようと決意した。
学校以外の空間はない。けれど望んだものは手に入るこの不可思議な場所を。
「直田くん……」
僕の意識は、化け物のレーザーを浴びた現在の時間に戻ってくる。
化け物が手っ取り早く僕を殺さず、記憶だけ見せたのはどういう事だろうか。
僕に、決断させようという事なのか。
僕にレーザーを撃った化け物は、めいりぃちゃんに斬り刻まれて消滅していた。
「そうか、僕は死んでいたのか」
めいりぃちゃんを見つめて、僕は佇む。
「いや、死の直前で、無理矢理留まっているのか」
「うそ……」
めいりぃちゃんは涙を流して振り向いていた。
「生きてた……」
めいりぃちゃんは心底安心したように、涙を両腕でごしごし拭いて、笑みを浮かべた。
「生きてた……!!」
「死んでるよ」
はっと目を見開くめいりぃちゃん。
「知っちゃったの……?」
「うん」
「そうなんだ……」
僕は死んでいる。通り魔に刺されて、呆気なく人生を終えている。
めいりぃちゃんがずっと隠してたこと。絶対に知られたくなかったこと。
僕は。僕は、どうしたいんだ。
死んだのなら、このまま死ぬのが自然なんだろうな。
死者は、死者でいるべきなんて、よく聞く。
塵は塵に。死者は死者に。
「だめだからね?」
「なにが?」
「この、箱庭、終わらせようなんて思っちゃだめだからね」
「…………」
その為に、めいりぃちゃんは頑張ってきた。死にそうな目に遭っても、化け物と戦う事を厭わない。
「でも、死んだ人間は、生き返らないよ」
「それでも今、ここに直田くんは居るよ。だったら、それでいい。それを、ずっと続けてよ」
「でも――」
「どうかお願い。いかないで」
懇願。嘆願。縋る思い。親が何処かに行くのを止める、心の弱い幼子のように。
「ここでずっと一緒にいて」
めいりぃちゃんは泣いていた。
僕は悩んだ。少し、悩んだ。本当に、少し、だけだ。
う~ん。
まあ、いいか。
死んだ人間は消えるべきみたいな。世界の正常性とか、命の摂理とか、どうでもいいか。
死んでても、生きればいい。
今ここに意識があるんだから。
めいりぃちゃんは化け物との戦いでボロボロになっていくのかもしれないけれど。
続けたいと思っている限り、めいりぃちゃんの望み通りにするのがいいんだと思う。
めいりぃちゃんが、痛い思いをしてまでそうしたいって、泣くほど思ってるんだから。
僕は、めいりぃちゃんに笑っていてほしい。
そう強く思えるくらいに、僕は彼女を好ましいと感じるようになっていた。
思い出した記憶からして、めいりぃちゃんは別に恋人でもなんでもなかったとしても。知り合いと言っていいのかどうかも怪しい、勝手な事を言ってたストーカーのような子だったとしても。
僕はめいりぃちゃんの頭にポンと手を置き、
「いいよ。僕も、一緒にいたい」
続く限りは、めいりぃちゃんに付き合う事に決めた。いつか終わるとしても。
いつか、この箱庭に無理が来るのかもしれなくても。
めいりぃちゃんは、笑ってくれた。