夏休み3日目。本日は晴天……というより毎日晴天すぎて外に出る気力が一向にわかない、そんな土曜日。俺は朝6時に起きてラジオ体操をし、母親の手伝いとして皿洗いをし、1時間程度宿題をこなし、その後ジョギングするという当初の予定を丸ごと無視して居間のソファでテレビを見ていた。そもそも先に挙げた予定というのは担任への提出用として立てた嘘っぱちな訳で、俺に限らず中高生というのは最初に立てた予定を律義に守ったりはしない。仮にそれを指摘されたとしても『イレギュラーに対応した結果です』とでも言っておけば誰も反論はできない。何が言いたいかというと、予定というのは大なり小なり変更になることを前提に立てるべきだという事だ。
そんなだれにむけてか分からない演説を心の中でしながら、ふと時計を見ると正午を少し回ったところだった。朝起きたのが10時半だったから、俺の今日の実働時間はまだ1時間半、さらにそのまま昼休憩という超ホワイトな自宅警備の仕事である。
とはいえ、それは昨日一昨日の業務であり、先ほど述べたように予定というのは変更されるものである。今日の俺には自宅警備よりよっぽど楽しみな予定があるわけで、そのためなら自己主張の激しい太陽との共存も甘んじて受け入れよう。
禿げたパーソナリティーが進行するワイドショーからチャンネルを変え、データ放送を確認する。今日の気温は29度。降水確率は0パーセント。半袖で事足りるだろう。
俺は自室に戻り、クローゼットから短パンとTシャツをとりだし着替える。この青いTシャツは一体いつ買ったのだろう、未だにぴんぴんしているところからして俺の物持ちのよさが伺える。
自室を出てから居間に戻り、壁に掛けてあるコルクボードから自転車の鍵をとり、玄関へ向かう。そのついでに掃除機をかける母に昼食がいらない事を伝えて家を出る。
俺の家は5階建てのアパートの503号室。エレベーターで降りようと思ったら点検中の張り紙がしてあったのでため息を吐きながら階段で一階まで降りる。
外に出てみるとデータ放送の通りむわっとした暑さに襲われた。正直この気温の中自転車を必死に漕ぐのは遠慮したいが、今日の予定は外すわけにはいかない。意を決して自転車にまたがり、俺は駅前へとペダルを漕いだ。
***
10分ほどのサイクリングを楽しむと、駅前の広場に設置されている噴水が見えてくる。自転車を押しながらその周辺を歩いているとこちらにまで水しぶきが飛んでくるが、今はそれが天からの恵みの様に感じる。
ほぼ満杯の駐輪場でなんとかスペースを確保し自転車の鍵を閉め、再び広場に戻り、ベンチに腰掛ける。周りを見渡すと、噴水の周りで水を浴びる修業に挑む小学生やジョギングの休憩中と思われるおっさん、この暑い中べったりとくっついて幸せを満喫するカップルと、各々が自分流の夏を過ごしているようだ。
携帯を取り出し時刻を確認する。どうやら約束より10分ほど早く着いてしまったようだ。
何か暇をつぶそうと携帯をいじっていると、先日の恭子とのラインを思い出す。あの時、駅のホームで恭子が言った『なぜ笑ったか』という問いへの答えを考えてみたものの、やはり答えは出ない。別に俺は笑わないわけじゃない。今年の春からの一連の出来事の中でも数えるほどではあるが笑う事はあった。だが、その要因が何かと聞かれれば首をひねる事になる。そもそも笑うという仕草にいちいち理由づけしてる人なんてのがいるのか知らないが。
人が笑う一番の要因は、面白いことがあった時だろう。テレビで芸人のコントを見てとか、粒あんぱんを買ったと思ったら中身がかぼちゃあんぱんだったとか、普段は見ないイレギュラーな事態に人はクスリと笑うのだろう。
それなら俺だって面白くて笑ったんじゃないだろうか。ただ、恭子の問いの意図はそういう事では無い気もする。だが、それがわからない。
頭を使いすぎてボーっとしてきたところで、俺の肩を叩く人物がいた。
「おう、雪里か。おはよう」
「おはよう……黒崎君」
果たしておはようという挨拶が適切な時間かは怪しいところではあるが、俺たちは挨拶を交わす。
雪里は白いワンピースに身を包み、まさに夏全開と言った感じだが、俺は何か違和感を感じた。それを確かめるために雪里を凝視する。
「く、黒崎君……あんまり見られると……恥ずかしい」
雪里は顔を赤くして前髪をいじる。そこで俺は違和感の正体に気付いた。
「今日はメガネじゃないんだな」
「……!う、うん……コンタクト」
「メガネ壊れたのか?」
「ち、違う……。そ、その……、黒崎君と出かけるから……」
最後の方が小声すぎて聞き取れなかったが、メガネでない雪里を見るのは初めてで、結構新鮮な感じがした。
「まあ、そういう雪里もいいと思うぞ」
「そ、そう……?」
「ああ」
「やった……」
雪里は後ろを向いて何やら呟いているが、それをいちいち詮索するのも野暮だろう。
「ま、それじゃあ行くか」
ベンチから腰を上げ、額の汗を軽く拭い歩き出す。雪里はそんな俺の右隣について歩く。
目的地まではそれほど遠くは無いが、黙って歩くのもなんなので俺は適当な話題を振る。
「夏休みは漫研で合作を作るって言ってたよな?なんかアイデアとかあんのか?」
「うん……。学園物」
「なるほど、確かにそれなら自分たちの実体験から想像が膨らみそうだし完成度も高くなりそうだな」
「黒崎君も……楽しみ?」
「ああ、もちろん」
その答えに雪里は小さく笑う。
「じゃあ……完成したら読者一号に……」
「え?いいのか?」
「うん……黒崎君なら……」
そんな話をしながら歩いていると、目的地はすぐに見えてきた。
「この時間だと混んでるかもな」
「でも……イチゴムースパフェを諦めたくない……」
「その通りだ」
意を決して俺は扉を開く。それと同時にカランコロンと軽快な音が駅前のカフェ、『ミント』の店内に鳴り響く。
「いらっしゃいませ、何名様ですか?」
笑顔で迎え入れてくるウエイトレスの後ろに見える座席は予想通りほとんど埋まっているようだ。
「えっと、2名なんですけど、空いてますか?」
「申し訳ありません、二人掛けの席は埋まってまして……」
「まじですか……」
落胆する俺を見て、何故かウエイトレスはにっこり笑う。
「ですが!ここでいいニュースがありますよお兄さん」
「いいニュース?」
「一般の二人掛け席は埋まっていますが、今夏限定のカップル専用席なら一つ空いています!」
ウエイトレスが指し示す方にはピンク色のテーブルとイスが用意されており、周囲にはそれを利用するカップルと思わしき男女が2組ほどいる。
「いや、でも俺たちはカップルじゃ……」
いや、待ってくれ。この状況であの席を選ばなければ今日イチゴムースパフェを食べるという俺たちの夢が台なしではないか。雪里だってそのためにわざわざ予定を開けてくれたんだし、ここで引くという選択肢は無いんじゃないのか?
「わかりました。その席でお願いします」
「……!く、黒崎君……?」
「かしこまりました!それではご案内いたします!」
そのまま案内に従い、俺たちはカップル席に腰掛け、目的のイチゴムースパフェを注文し、その間お冷でのどを潤す。
「いやー楽しみだな。イチゴムースパフェ」
「う、うん……」
な、何だ?雪里のテンションがやたら低いぞ。まあ、いつもハイテンションな訳ではないが、店に入る前より明らかんに口数が少ない。
「雪里?どうした?」
「そ、その……。誰かに見られたら……」
「あ、悪い。そうだよな、俺とカップル席に座ってるの知り合いに見られでもしたら迷惑だよな」
雪里だって年頃の女の子だ。俺みたいなやつと変な噂が立ったりしたら恥ずかしいに決まってる。
「そ、そうじゃなくて……。黒崎君が……困るかなって」
「え?俺は別に困らないぞ?」
俺の場合噂がたっても秒で消えそうだし。
「え……そ、そ、それは……どうして?」
「どうしてって、そもそも俺の目的はパフェを食べることだし」
何故か雪里はそれに対し微妙な顔をする。
「えーっと……」
「お待たせいたしました!こちらイチゴムースパフェになります!」
なんとか雪里のテンションを取り戻そうとしたところで、ウエイトレスがパフェを運んできた。しかし、それは俺が想像していた物とは大分異なっていた。具体的に言うと、俺たちが頼んだのはイチゴムースパフェ二人分。だが、目の前にあるのは大きな器に入った得持りのパフェが一つ。どういうわけなのかウエイトレスに説明を求める視線を送る。
「では、二人で楽しく召し上がってくださいね♪」
だが、ウエイトレスはそう言い残し去って行ってしまった。
「どういう……ことだ?」
首をひねって考えるが、答えは一つしか浮かばなかった。
「これ、一皿で二人分ってことか」
「そう……みたい」
なるほど、周りのカップル席でも二人で一つのパフェを食べさせあっている。つまるところ、これがデフォルトなのだろう。
「ど、どうするの……?」
「ここまで来て引く選択肢はないだろ」
俺は皿の上のスプーンを手に取り、パフェのクリーム部分をすくい口にする。
「……!」
「ど、どうかした……?」
「う」
「う?」
「美味いぞこれ!流石話題の新商品って感じだ!」
思わず子どもの様にはしゃいでしまう。だが、本当に美味い。一口でこれだけ心に訴えかけてくるのなら、完食した際には天に召されてもおかしくないほどだ。
「雪里も食べてみろって、ほら」
俺はスプーンですくったクリームを雪里に向ける。
「く、黒崎君……それは……その、恥ずかしい」
「え?あ、ああ。そうだな。自分で食べれるよな」
俺はスプーンを置こうとするが、なぜか雪里は意を決したようにスプーンに喰らいついた。
「お、美味しい……」
「お、おう。だろ?」
「黒崎君の……味がする……」
「え?」
「……な、なんでもない!」
なんだか雪里がとんでもないことを言った気がしたんだが、どうやら聞き間違いだったらしい。
「雪里、顔真っ赤だぞ?暑いのか?」
「だ、大丈夫……大丈夫」
もはや顔から湯気が出そうなほど赤いが、本人が大丈夫と言っている以上無理にここを立ち去ろうと提案するのも申し訳ない。
「そういえば、こないだの漫画はもう賞に出したのか?」
パフェのてっぺんのイチゴを手づかみしながらそんな話題を振る。
「う、うん……。来月の雑誌で入賞者の発表がある……」
「そっか、それは楽しみだな」
「入賞するかは……わからないよ?」
「そうか?でも俺は入賞してほしいって思ってるぞ?」
「そ、そう……なの?」
「だって、雪里が今まで頑張ってきたのは知ってるしさ」
中学の時から、雪里は漫画に情熱を注いでいた。その情熱に惹かれたからこそ、俺は彼女の居場所である漫研を救いたいと思ったのだから。それに俺自身、雪里の漫画のおかげで前に進めた。あの時、最後のシーンのセリフを俺に委ねてくれたことを、俺は絶対忘れない。
「あ、ありがとう……」
「まあ、俺が願っても大した効力は無いかもだけど」
「ううん……。自身が湧いてきた……」
雪里は嬉しそうにパフェを食べ進める。
「そういえば……黒崎君……夏休みは……なにするの?」
「睡眠と休憩、そして休息だ」
「それは……不健康……」
「まあ、どの道夏休み中盤は地域のパトロールで埋まってるから今休めるだけ休んどくんだよ」
「地域……パトロール?」
「ああ。夏休みってみんなハメ外すだろ?そうなると非行に走る奴とか、こわい兄ちゃんに絡まれる奴とか、とにかく厄介な事が起きるのが夏休みの定番な訳だ。そんで、生徒会を中心にパトロールを行うんだと」
「そう……なんだ」
「それで、案の場安城がパトロールの計画書をみてくれって言ってきてさ。取りあえず修正して渡しといたんだけど、頭数たらないみたいで、俺も借りだされることになった」
もう俺は安城という存在から逃げることは出来ないわけで、生徒会に片足突っ込んでる状況だ。それでも、それが嫌な訳ではない。それは、以前の俺には無いものが今の俺にはあるからに他ならない。だからこそ、夏休み前日まで計画書を吟味していたのだし。
「黒崎君……楽しそう」
「え?そうか?ぶっちゃけパトロールだるいんだけどな」
「でも……笑ってるし……」
その言葉に以前同様自分の顔を触ってみるが、やはり表情筋の変化は感じられない。
「俺、笑ってる実感ないんだけど」
「それはきっと……自然に笑ってる……からじゃないかな?」
自然に……笑う?それはつまり、面白いことがあったからとかそういう理由づけをする前に頬が緩んでいるという事だろうか。
ひょっとして、恭子の問いもそれが大きく作用しているのかもしれない。だが、やはり俺には分からない。普通に笑うのと自然に笑う事の違いとはなんだ?
「黒崎君……聞いてもいい……?」
「え?な、なんだよ急に?まあ、答えられる範囲ならいいけど……」
「黒崎君は……安城さんのこと……どう思ってるの?」
雪里の問いに、俺は答えることができなかった。