暑い。いや、暑いという言葉が適切なのかもはや判断しかねる。それほどまでに今の状況はイレギュラーで、どうしてこうなったのかさっきまでの自分を小一時間問い正したいほどだ。暗闇の中、すこし体を動かすと、自分では無いもう一人の熱を肌で感じる。
「く、黒崎君!動かないで……」
「そうはいっても……さすがに狭いしキツイんだよ」
「だ、だからって……ひゃあ!そんなとこ触らないで!」
ぴたりとくっつく安城が艶めかしい声を上げる。
「あんまり俺を刺激するような言動はやめてくれ……。もう暑過ぎて意識が飛びそうなんだ」
本当に、どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
***
「――それで?僕にそんなのろけ話をして一体どうしたいんですか?」
夏休みが始まって1週間が経過した。だが、俺はそんな大型連休を人並みに楽しめてはいなかった。それはあの時、雪里が投げかけてきた問いに答えられなかったから。
『安城さんの事、どう思ってるの?』
たったそれだけの簡潔な文章に、俺はここ1週間ずっと頭を捻っているのだ。それはきっと、恭子が言った俺が笑った理由ともリンクしているはずで、そこまで情報が出そろっているのに、俺は解を得られていなかった。
だがしかし、そのまま夏休みを全てそれに費やすのは本意ではない。それゆえ、俺は他者に相談し意見を求めることにした。とはいえ、俺の人脈というのはそう広くは無く、それでいてこんな話を出来る相手なんて限られていた。
そんな中、俺が相談相手に選んだのは、緑川高校生徒会会計である木場神威だった。
夏休み前の体育祭実行委員会の件が終わった後も、俺と木場の繋がりは切れることなく、連絡先も交換している。とはいえ俺たちの性格上頻繁に連絡を取るわけでもないが。
時刻は12時過ぎ、場所は駅前のハンバーガー屋。木場は俺の向かいの席でメロンソーダをストローで吸い上げながら仏頂面を絶やさない。
「いや、別にのろけ話じゃないだろ」
「夏休み前に矢作さんとゲーセンにいって、そのあと雪里さんでしたっけ?その子とパフェを食べに行き、そして安城さんとの関係性に悩んでいる状況がのろけじゃないなら何なんですか?」
なぜ木場はこんなに不機嫌なのだろうか。昨日ラインでハンバーガーを驕ると伝えた時にはめずらしく人気アニメのキャラクターのスタンプまで送ってきたというのに。
「のろけって言うのは恋人とかの自慢話みたいなもんだろ?全く該当して無いじゃないか」
「うわあ……。黒崎君、その発言は全国の一人身男子を敵に回しますよ。家の前でデモ行進されても文句言えませんよ?」
木場はドン引きしている。
「何で俺がデモ行進されるんだ」
「黒崎君。世の中には女子と出かけたりしたくても出来ない男子がたくさんいるんですよ?」
そんなご飯を食べたくても食べられない恵まれない子供たちみたいな言い方をするほどの事なんだろうか。
「わかった。俺が恭子や雪里と楽しく出かけてたことは事実だ。それを否定する気は無いよ」
「どんどんヘイト溜まってきますね。リア充爆発しろ」
話が一向に前に進まない……。
「まあ、それはそれとして、本題は安城の事なんだよ」
「ナチュラルに三股できる黒崎君に脱帽しますよほんと」
木場が何か小声で言っていたが、俺には全く聞き取れなかった。木場も特にそれを俺に伝えることはせずに、ようやく真面目な顔で会話に臨んでくれるらしい。
「えっと、安城さんをどう思ってるか、でしたっけ?」
「そうだ」
「とりあえず、黒崎君が今まで考えた末の解答を教えてください。まとまって無くても、思いついてる事で」
最初に思いついた意見を並べる。ブレインストーミングに近いな。
「どう思ってるかって問いが抽象的だから、これまで安城に対して感じた事を羅列して行こう。一つ目、生徒会勧誘がしつこい」
「あれだけ断られてまだ折れてないんですねあの人」
「二つ目、会話のドッジボールの名人」
「それは僕もたまに思います」
「三つ目、遠慮が無い」
「それがあの人の長所でもありますけどね」
「そんなところか」
いろいろ端折ってはいるが、安城奏という人物を思い浮かべるとこの3要素が大きく占めている気がする。
「それで?」
「それでってなんだよ?」
「今のは客観的事実を述べただけでしょ、結局黒崎君はそれに対しプラスかマイナス、どちらを強く感じているんですか?」
プラスかマイナス。そんな単純なフレームに当てはめて考えて良い問題なのだろうか。いや、あえてシンプルな枠で考えることも解を導くには重要か。
「出会った時は正直マイナスだったよ。まあ、俺が生徒会って単語に嫌な思い出があったからだけど」
当時の安城の行動はたとえるならピーマンが嫌いな子供の口に笑顔でピーマンを突っ込む様なものだ。ただ、それは別に俺に嫌がらせをしたい訳じゃなくて、あいつが生徒会活動に真剣に打ちこんでいた事の現れだった。だからこそそんな安城に昔の自分を重ねて、俺はあいつの手助けをした。
「でも、今は特にマイナスなイメージは無い。安城自体は別に悪い奴じゃないし、俺自身そんな日々を悪くないと思ってる」
「つまりプラスだと」
「そうだな」
木場はそこでメロンソーダを一気に飲み干し、カップのふたを開け氷を指でつつく。
「……黒崎君って彼女いたことあります?」
「は?彼女?」
彼女とはつまるところ恋人の事だろう。これまでの人生を振り返ってみると、小学校中学校と勉強や委員会、そして生徒会活動に明け暮れていたわけで、恋人がどうとか考えたことすらなかった。つまりアンサーは……
「ないな」
「じゃあ、告白されたことは?」
「おい、それ今までの話と関係あるのか?」
「あります。ないなら聞くわけないでしょ」
それもそうか。
「告白……は無いな。後になって好きだったって言われたことはあるけど」
「え、誰?僕も知ってる人ですか?」
「……恭子だ」
あまり人にベラベラ言う事でもないが、木場いわく必要な情報らしいし、こいつがそれを言いふらすメリットもないだろう。
「矢作さん……?マジすか……。すげー……」
木場は数秒の間虚空を見つめていたが、すぐに話を再開する。
「えー、黒崎君は矢作さんに好意を向けられていたという事実は気付いてたんですか?」
「いや、全然。ただの仲の良いクラスメイトだと思ってた」
「……なるほど。つまり黒崎君はそういう人なんですね」
国語の教科書に載ってそうな言い回しで木場は肩をすくめる。
「何かわかったのか?」
「わかりましたよ。わかりましたけど、それを言っても黒崎君が納得するかは知りません」
「勿体付けずに教えてくれよ」
「……多分黒崎君は安城さんの事が好きなんですよ」
木場の放った一言は簡潔で、単純で、それはもう小学生にだってわかるほどストレートな言い回しだった。だが、意味を理解したつもりで彼の言葉を頭の中で反芻しても、結局俺にはその意味が理解できていなかったのだ。
「え?」
だから、俺の第一声は疑問と困惑が混じったような一言だった。
「やっぱり納得できなかったか~……」
「いや、言ってる言葉の意味は分かるぞ」
「でも内容理解は出来てないと」
「この場合の好きというのは流れから察するに恋愛感情だよな?」
「はい」
「誰が?」
「黒崎君が」
「誰に対して?」
「安城さんに対して」
「……え?」
落ち着け、落ちついてもう一度木場の言葉を咀嚼しよう。『俺』が『安城』の事が『好き』。
これが木場の言った言葉。もう少し解りやすく言うと、『黒崎裕太郎』は『安城奏』に『恋愛感情』を向けている。
これが意味するのは、読んで字のごとく、つまりそういうことである。
「いや、待て。それは早計じゃないのか?」
「その心は?」
「だって俺と安城は今年知り合ったばかりだぞ?互いに情報不足じゃないか」
「うわー、なんですかその鈍感主人公みたいなアンサー。今時少年漫画だってもうちょいましな表現しますよ?」
再びドン引きする木場。
「いや、だがそれは何故俺が笑ったかという答えに繋がらない。よって棄却される」
「黒崎君。君は確かに生徒会活動やその他学校行事の運営に関しては類まれなる才能を持ってる凄い人です」
なぜか急にほめちぎってくる木場に対し俺は困惑する。
「ですが、恋愛という観点で言えば君は小学生以下です」
「なん……だと……」
あげて落とす。完璧な話術すぎて木場の才能が怖い。
「圧倒的に経験が不足している上にそれに対し興味関心がない。近頃の小学生の方がよっぽどお盛んですよ!」
「お、落ち着け。そんな大声で言う事じゃないだろ」
周囲の女子中学生からの好奇の視線が痛すぎるので俺は木場をなだめる。
「ごほん。わかりました。僕が恋愛の基礎を叩きこんであげます」
「すごい自信だな。木場は彼女いるのか?」
「ぐはあっ!」
急に木場が胸を押さえテーブルに突っ伏す。
「お、おい。どうした」
「あ、危ない……。黒崎君の事を知らなかったら即死だった……」
「おーい」
「ぼ、僕に彼女がいるかどうかは置いといて、取りあえず、次に安城さんと会うのはいつですか?」
「来週の地域パトロール」
「へえ、赤羽は生徒がやるんですか。それで、巡回するのはどの辺ですか?」
「学校の近くの神社でやる夏祭りの担当だ」
「へぶう!」
再び木場が机につっぷす。こいつ、こんなキャラだったっけ?
「な、なんですかそのラブコメ展開……。羨ましすぎる……」
「それで、安城と会う日がどうかしたのか?」
「え?あ、そうそう。安城さんへの好意が納得できないのなら、その日に確かめるのが一番いいかと」
なるほど、確かに。やっぱり木場は頼れるな。こいつに相談して正解だった。
「それじゃあ、これから恋愛の基礎を叩き込むので覚悟してください」
「お、おい木場?なんか目が怖いんだが……」
「メモの準備はよろしいですか?」
「は、はーい……」
そこから閉店間際まで、俺は木場のレクチャーを受けることになったのだった。
***
そして、一週間が過ぎ、地域パトロールの日がやってきた。俺は事前に安城から指定された通り、神社の狛犬の前で彼女の到着を待っていた。
神社の境内には所狭しと露店が並んでいる。焼きそばにたこ焼き、りんご飴に型抜き、お化け屋敷に射的、エトセトラ。夏祭りなんてしばらく縁が無かったが、やはり夏の定番はこういったイベントだろう。
「安城は、浴衣とか着るのかな」
浴衣を着てはしゃぎまわる小中学生を見てそんなことを呟く。いや、別に期待しているとかそういうわけでは無く、単に安城が浴衣を着たらどんな感じだろうと思っただけである。うん、ばっちり期待してるな。
「いや、地域パトロールに浴衣で来るわけないか――」
「黒崎くーん!おまたせー!」
俺の独り言は、こちらへ駆け寄ってくる安城の声によって夏の空へと消え去っていった。なぜなら、彼女が浴衣を着ていたから。白をベースにオレンジの金魚の刺繍が入ったいかにも夏祭りといった感じのもので、俺はその姿に言葉を失ってしまう。
「あ、あれ?おーい黒崎君」
「え?あ、ああ。よう安城。終業式以来だな」
「ほんとだよ、黒崎君全然ラインくれないんだもん」
「いつからラインは義務化されたんだよ……」
「まあ、別に黒崎君のことだからいいけどさ……」
なぜか安城は言い淀み、前髪をいじる。そうだ、こんな時こそ木場先生の恋愛講座の出番だ。確か、待ち合わせして向こうが普段と違う服装やおしゃれをしていた場合の解答は……。
「いいな、それ」
「え?」
「その浴衣、凄くいいと思う」
なんだろう、こんなセリフを言ったのは今が初めてな気がする。それゆえに、何となく恥ずかしい。
「あ、ありがとう!」
だが安城は嬉しそうに笑っている。なるほど、この定型文は汎用性も高そうだししっかりと憶えておこう。ありがとう、木場。
「ま、それじゃあ行くか」
「そうだね!」
俺たちは横に並んで鳥居をくぐり、境内へと足を踏み入れる。
「黒崎君は夏休み何してたの?」
「え?えーと、特に何も」
「ふーん」
事実しか言っていないというのに何故か安城はすこし不満げな反応をする。さっきの笑顔はどこ行ったんだ。
「お、おい安城?」
「茜ちゃんとのデートは楽しかったの?」
「えっ」
安城の冷ややかな視線に俺の背筋は凍りつく。普段とのギャップのせいだろうか、3割増しくらいで怖い。そもそもなんで安城が俺と雪里が出かけたことを知っているのだろうか。
「茜ちゃん、すごくうれしそうにラインしてきたよ」
おのれ雪里……。いや、ここで雪里を恨むのは違うか。
「い、いや、デートじゃないし」
「夏休みの前は矢作さんとも出かけたんだって?」
「ぎくっ」
そういえば安城と恭子はラインのやり取りを頻繁にしているとこの前聞いた。恭子の奴、余計なことを……。まあ、それは中学の時から変わらんか。
というか雪里にしろ恭子にしろ何故よりによって安城に報告するんだ……。
「それなのに私にはまったく連絡してこないんだ」
「お、怒ってる?」
「べっつにー?ただ、私の優先順位ってそんなに低いんだなーって」
その問題はさっき解決したんじゃなかったんですね、そうですね。
「別にそんなことないぞ。お前は大切な存在だ」
「へあ!?」
唐突に間抜けな声をあげる安城は心なしか顔を赤くしているように見える。
「く、黒崎君、それってどういう……意味?」
「どうもこうも、お前は大切な友達だってことだよ。まあ、生徒会勧誘はいい加減やめてほしいけどな」
ダイレクトに友達というのが少し恥ずかしくてそっぽを向きながらそう告げると、何故か安城の足音が消える。
「おい、なんで立ち止まるんだよ」
「黒崎君のバカ……」
「理不尽極まりないぞ……」
「うるさい!ほら、さっさとパトロールするよ!」
俺の背中にチョップを喰らわせ、安城は再び歩き出す。俺は背中をさすりながらその後に続く。
「そ、そういえば安城は夏休み何してたんだよ?」
焼きそば屋の前を通り過ぎたところで、なんとか安城の機嫌を取り戻そうと俺は無難な話題を持ちかける。先ほど俺に同じ事を尋ねてきた訳だし、特に問題ない話題のはずだ。
「友達と遊んで、あとはプールに行ったよ」
プールという単語に何故か水着の安城を想像してしまい、あわててその邪な念を消し去る。どうにもこうにも、木場の言っていた事が先行して俺の思考をおかしくしているようだ。
「黒崎君?」
「な、なんでもない。というかその言い方だとプールは友達と行ったんじゃないのか?」
「うん、まあね」
その反応に俺の心はざわついた。プールに一緒に行くような関係で友達以外の人物とは誰だろうか。それが凄く気になってしまう。
「誰と行ったんだ?」
「別に、黒崎君には関係ないでしょ」
「……彼氏、とか?」
しまった。気になりすぎて凄く具体的な問いかけをしてしまった。流石にこんな質問をしたら安城も不審に思ってしまうんじゃないだろうか。
「違うよー。家族と行ったの」
「それ、濁す意味あったか?」
「高校生にもなって家族とプールとかはずいじゃん」
「そうですか……」
俺は自然と息をつく。
「珍しいね、黒崎君が恋愛系の質問してくるなんて」
「べ、別に、可能性としてあり得る問いをしただけだって」
「私、彼氏いたことないけどね」
「……」
つい、無言になってしまう。安城に恋人がいたことが無い。ただそれだけの事実に何故か俺の心は再びざわつく。これが、木場の言う俺の恋愛感情なのだろうか。
いや、そもそもこういう系統の話をしたことが無かったのだから、今のこの瞬間だけを切り取って好意だと断定するのは焦りすぎだ。
よし、一端この話題は打ちきってパトロールに関連した話しにシフトチェンジしよう、そうしよう。
「好きな奴とかはいるのか?」
何言ってんだ俺。直前の思考はどこへ置いてきた。恐る恐る安城の表情を伺う、さすがに安城も不快に思ったのではないだろうか。
そんな不安に煽られていると唐突に、額にひんやりとした何かを感じた。
その正体は、安城の手のひらだった。安城は左手を俺の額にあて、もう片方の手で自分の額を押さえている。
「うーん……。熱は無いみたいだね」
「ね、熱があるならパトロール前に連絡するだろ普通……」
俺はあわててのけぞり、安城から少し距離をとる。だが、彼女の左手の冷たさ、そのすべすべとした感触はすぐには消えてくれなかった。
「でも、なんかいつもと違うよ、黒崎君?」
きょとんと首をかしげる安城の仕草に、何故か心が苦しくなる。
「別に、いつもとなにも変わったことはないぞ?」
「そのセリフを吐く人は何か変わったことがあった可能性ちょう高いと思うけど」
「うぐ……」
「もしかして黒崎君……」
心臓が鼓動する。安城の次の言葉を恐れている。何故?何故恐れる?俺は一体安城がなにを言うと思っているんだ?何を言ってほしいんだ?
そんな考えをよそにひたすら鼓動は早くなり、安城が次の言葉を口にする。
「好きな子が出来たの?」
「え?」
安城の発言は俺の危惧していたような核心を突くものでは無く、会話の流れとして至極真っ当な問いかけだった。でも、それでもその言葉は俺の心臓を跳ねあがらせた。この問いに俺は何と答えるべきなんだ?
好きな女子、ときかれてぱっと思いつく人物はまだ俺にはいない。だが、今現在安城の言動に大きく動揺しているのは確かだ。恋愛感情だと断言はできないが、先日の木場との会話によって必要以上に安城に意識を向けていることは確かだった。だが、それを本人に伝えても場が凍りつくだけだろう。
「……別に、そういうんじゃない」
だから、俺が出せたのはそんな逃げのセリフだった。
「なーんだ、てっきりそうだと思ったのに」
「ご期待に添えなくて悪かったな」
「ううん。別にそんな期待して無かったから」
「それはそれで傷つくな……」
「そういう、意味じゃないけど……」
安城の最後の言葉は、周りの音にまぎれて俺の耳には届かなかった。
***
それから1時間ほど祭り会場を巡回したが、特に問題も困っている人もいなかったため、俺たちは会場である神社の境内に腰掛けて屋台で買った焼きそばを食べていた。
とはいってもけしてサボっているわけではない。境内からなら祭り会場全体を見渡せるし、なによりシフト通りなら後10分もすれば交代の時間だ。
「うまいな、この焼きそば……」
パックにぎっしり詰まった焼きそばを咀嚼しながらそんな事を呟く。
「あ、それわかる!やっぱりお祭りの焼きそばは美味しいよね!」
隣で焼きそばを食す安城も俺の言葉に賛同する。
「まあ、実際のところ地域団体のおっさんたちが市販の麺とソース使ってるだけだから、俺たちが自宅で作るのとそう差は無いだろうけどな」
そこまで言って俺はマズイと感じた。いや、焼きそばの味についてではなく、会話の流れについて。どうも俺の思考の行きつく先はつまらないようで、せっかく安城が俺の言葉を拾って会話を広げてくれたのにこれじゃあこの会話は墓場へ直行だ。
「そうだね、私も何もない時に食べたらそんなに美味しいと感じないかも」
だが、安城は尚も会話を続けてくれる。しかし、この会話をこれ以上どうふくらませばいいんだ?俺がだんまり考え込んでいると、安城は焼きそばのパックを手元に置き、空を見あげる。
「多分、美味しいって感じるのは黒崎君と一緒に食べてるからだと思う」
「え……?」
安城の言っている意味が良く分からなかったから、俺は何となく彼女と同じように空を見上げてみる。だが、夏の星空は俺の疑問に応える訳もなく、俺は安城の次の言葉を待つ。
「黒崎君と知り合ってから、まだ一年も、半年さえも経ってないんだよね」
「まあ、そうだな」
「でも、そんな短い時間でも、私にとっては特別な時間になった。黒崎君と出会って、生徒会活動を手伝ってもらったりしてさ」
「半分くらいはお前が勝手に手伝わせてた気もするけどな」
「あはは、そうだね。私って昔から真っすぐすぎるっていうか、猪突猛進なところあるからさ」
「自覚あったんだな」
皮肉めいた事を言っているはずなのに、俺は自分の頬が緩んでいることに気付いた。
別に今、安城がおもしろいことを言った訳ではないし、俺が面白いことを思いついたわけでもない。それなのに、俺は笑っていた。
「ねえ、黒崎君」
「なんだ?」
「これからも、私を助けてくれる?」
その言葉に無意識に首が動き、俺の視線は安城へと戻る。星や月の明りに照らされている安城の姿が、俺には綺麗なガラス細工のように感じた。
何故だろう。今まで俺が見てきた安城奏はガラス細工なんて比喩表現とは程遠い存在だったはず。むしろガラス細工と例えるなら雪里の方が似つかわしい気がするし、俺自身誰かをガラス細工などと例えたことは一度もなかった。中学の時仲が良かった恭子やその周辺の女子の誰にもそんな印象は持たなかった。
なのに、俺は今この瞬間、安城奏から眼を離せずにいた。
「……ああ。俺はお前を助けたい」
だからだろうか、そんな言葉が口からこぼれていた。
「そっか、ありがとう。黒崎君」
こちらに視線を合わせる安城の姿に、俺の鼓動は高鳴っていた。もう、周りの音も聞こえない、そして何故か俺の右手は安城の頬へと伸びて行く。
――そうか。これが……。
「おつかれさまでーす!交代に来ました~!」
「「……!」」
突然響いた声に俺たちはビクッとしてその場に固まる。石の様に堅い首を動かしそちらを見ると、オレンジの腕章をつけたパトロール隊員2人の姿があった。
「あ……!」
とっさに俺は後ろへ飛びのく。安城も俺との距離が異様に近くなっていたことに気付いたようで身体を小さく丸めるように背を向ける。
「え、えーと?」
交代の隊員が困惑しているので、俺はなんとか火照った身体を動かし、境内から立ち上がる。
「お、おう。お疲れ様。特に異常は無かった。後よろしく」
「りょ、了解でーす」
「あ、安城。行くぞ」
「え!?う、うん!そ、そうだね!」
なんとか現実へと帰還したらしい安城が俺の後ろについてくるが、俺にはその顔をまともに見ることができなかった。
「あ、そうだ。安城先輩。私間違って生徒会室の鍵持ってきちゃって、これ職員室に返しといてもらえませんか?」
「う、うん!了解!この安城奏に任せなさい!」
キャラが崩壊したアニメのキャラクターの様な喋り方で安城は隊員から鍵を受け取る。隊員たちはそのまま巡回に向かってしまったので、再び俺と安城は二人になってしまった。
「えっと……」
こういう時は男が先に喋るべきだと木場先生は言っていた。どういう統計のもとの発言なのかは知らないが、とにかくこのまま沈黙をつらぬくのは耐えきれない。
「か」
「か?」
「鍵、学校に返しに行くんだろ?俺も一緒に行くよ」
「え、でも、悪いよ。パトロールも無理にお願いしちゃったし、これ以上は」
「いいって。その……女の子一人で夜道は危険……だろ?」
これ以上喋っているとまた変なムードになってしまう。
俺はそれ以上何も言わずに学校への道を歩き出す。
「女の子……か。えへへ……」
後ろをついてくる安城が何か呟いていたかもしれない。
***
前にも言った通り、赤羽高校は無駄に校舎がでかい。それゆえ夜空のもとにそびえたつその外観は無駄に仰々しい感じがした。
ともあれ、目的は職員室へ鍵を返すことであり、夜の校舎で肝試しをする気は一切ない。真っ暗な玄関で来客用のスリッパに履き替え、職員室のドアの前までの長い廊下をそそくさと進み、無人の職員室の扉をご丁寧に3回ノックしてから入り、壁にかかっているコルクボードに鍵を戻し、職員室を出る。これでミッションコンプリート。完走した感想は、特にありません。
「ねえ、黒崎君」
「なんだ?」
「せっかくだし、教室見てから帰らない?」
「断る」
「即答!?い、いいじゃん、夜の教室なんて滅多にお目にかかれないんだからさ~!」
「……わかったよ。それじゃあさっさと行こうぜ」
いつも使っている東階段を昇り、2年生の教室が並ぶフロアへと足を進める。廊下の窓に張ってある体育祭の告知ポスターの前を横切ると、俺たちのクラスの教室のドアがまるで俺たちを待っているかのように開けっぱなしになっていた。
「うわー!すごい!なんかすごいよ黒崎君!」
教室へと飛び込んだ安城はすぐに窓際まで走り、中身のない感想を口にする。俺もそれに続きゆっくりと教室へはいる。
窓から差し込む月明かり。誰も座っていない椅子と机。黒板は夏休み前の大掃除で綺麗に掃除されており、この暗さでもその光沢が認識できる。黒板の横の掃除当番表は当然ながら動いていない。
全てが止まった空間。ここに居るのは俺と安城だけ。この景色、空気、静けさ、そのすべてを安城と共有している。
だからだろうか。俺の口は勝手に動いていた。
「なあ、安城」
「ん?なに?」
「俺は……安城の事が……」
俺の言葉が確信めいた事を伝えようとしたその矢先、どこかから小さな爆発音のようなものが聞こえ、教室の中に鮮やかな色どりの光が舞い込んできた。
「わあ!黒崎君!花火だよ花火!」
勢いよく窓を開ける安城の瞳には遠くで打ちあがっている花火の光が写っている。
今日だけで何度安城に心を揺さぶられているのだろう。でも、その揺れの中に答えがあった。俺が笑った理由がはっきりと。
でも、今すぐにその答えを伝えるのはよそう。臆病風に吹かれたか、それとも他に理由があるのかは分からないが、一度途切れた言葉を再び紡ごうとは思わなかった。
「すごいねー花火!」
「そうだな……。凄く綺麗だ」
「うん!それじゃあ、いいものも見れたしそろそろ帰ろっか!」
「ああ……。っておい!」
「え?……きゃあ!」
安城が悲鳴を上げた時にはもう遅かった。窓に寄り掛かった時に浴衣の帯がどこかに引っかかってしまったらしく、しゅるしゅると音を立てて浴衣が崩れて行く。
「きゃああああああ!く、黒崎君!見ないでええええ!」
「は、はい!」
俺は勢いよく後ろへ振り向く。と、同時にこちらへ向かってくる足音が聞こえた。それはおそらく校内を巡回している警備員のものだろう。
――ま、まずい
学校に入ったこと自体は職員室に鍵を返すためという正当な理由があるから問題ない。だが、今、俺の後ろであられもないことになっている安城の姿を見られたら非常にまずい。
俺は周囲を見渡す。どこか、隠れられる場所は……。
「安城!こっちだ!」
「え?ちょ、ちょっと黒崎君!」
それから2分が経過しただろうか。警備員はわずかに俺たちの騒いでいた声が聞こえていたようで、真偽を確かめるように訝しげに教室内を見回っている。
俺たちはといえば、現在教室の後ろの掃除用具箱の中だ。とっさに身を隠せる場所がここしかなかったとはいえ、この状況はさっきとは違う意味でまずい。
「く、黒崎君……」
俺と向かい合う形で密着している安城は小声で俺を呼ぶ。その顔はこの暗さでもわかるくらい赤くなっている。
「後でいくらでも殴っていいから静かにしてくれ……」
「で、でも……」
安城がもぞもぞと身体を動かす。それと同時に俺の上半身に密着する女の子らしいやらわらかいふくらみがさらに押し付けられる。
さらに問題なのは、俺の右手の位置。あわてて狭い用具箱に隠れたため、その手は安城の尻に触れてしまっている。もちろんその手は一ミリ足りとも動かしていないのだが、それでも安城の熱がしっかり伝わってしまっている。
むわんとした空気の中、俺は外の様子を伺う。いつの間にか警備員の姿は無く、その足音は遠くなっていった。
とはいえ、もう少し様子を見ないと、いつ戻ってくるかわからない。
「く、黒崎君!動かないで……」
「そうはいっても……さすがに狭いしキツイんだよ」
「だ、だからって……ひゃあ!そんなとこ触らないで!」
ぴたりとくっつく安城が艶めかしい声を上げる。
「あんまり俺を刺激するような言動はやめてくれ……。もう暑過ぎて意識が飛びそうなんだ」
「そ、そんなの私も同じだし!」
さらにそれから2分後、俺たちはようやく用具箱から出た。
「ぜえ……ぜえ……」
「はあ……はあ……」
互いに息を切らしながらも、もう俺たちは背中合わせのまま振り向くことができなかった。
「と、とりあえず……。浴衣、直せそうか?」
「む、無理……これお母さんにやってもらったから……」
「まじかよ……」
浴衣が直せない以上、このまま外に出ることはできない。ならば必要なのは安城の着られるもの。保健室へ行けばあるかもしれないが、この場に安城だけ置いて行くのは不安だ。となるとこの教室の中で見つくろうしかない。
なにか、ないか……?
***
「はあ……酷い目にあったな……」
校舎を後にし、街灯に照らされる夜道を歩きながら俺はため息を吐く。
「そ、それはこっちのセリフだから!」
隣を歩く安城は顔を真っ赤にして憤慨する。その身には、学校指定のジャージを纏っており、手には浴衣一式がぶら下がっている。
「それにしても、俺の置きジャージが役に立って良かった」
「う、うん。それは、ありがと……。ちゃんと洗濯して返します……」
ぶかぶかのジャージの袖をながめながら安城はか細い声で答える。
「あ、私の家ここ曲がったらすぐだから」
「そうか、それじゃあここで解散だな」
「うん。パトロールお疲れ様」
「ああ、お疲れ様」
俺は小さく手を振り通りを曲がっていく安城の姿を見送る。
が、なぜかすぐに安城がこちらへ戻ってきた。
「黒崎君……」
「な、なんだ?」
「さっき、教室で何か言おうとしてなかった?」
「……別に、大したことじゃないさ」
「そっか。それじゃあ、2学期もよろしくね」
「ああ」
「あ、あともう一つ……」
「ん?なんだ?」
「そ、その……今日の事誰かに言いふらしたら、責任とってもらうからね……!」
その時の安城の表情を何度も思い出した俺が3日間不眠症に陥ったのは別の話し。