俺が実行委員を追放されてから1週間が過ぎた。一星の話した俺の過去はまたたくまに校内に広がり、廊下を歩くたび、教室を出入りするたび、周囲からの訝しげな視線を感じる。人と言うのは残酷だ。今まで興味もなく、もしかしたら存在すら認識していなかった人物に対してここまで奇異の眼差しを向けられるのだから。いや、むしろ興味のなかった人物だからこそ攻撃対象になるともいえる。興味が無かったという事はつまり知らなかったという事で、そんな得体のしれない人物から急に悪評がでれば、大なり小なり警戒するのが当然の反応ともいえる。
授業を聞きながら俺は気付かれないように安城のほうを見る。あの日以来、安城は俺に関わることは無くなった。あれだけしつこく行っていた生徒会への勧誘も、すでに遠い過去の出来事と言わんばかりに風化してしまっている。
安城と話さなくなったので、今現在実行委員がどうなっているか俺には知るすべがない。予算の話は進んだのだろうか。地域の団体へのアポ取りはできているのか。
会議に参加していた時よりもずっとそれが気になるのはどうしてだろうか。気にしたって俺にはどうする事も出来ないのに。
――俺があの時、誤魔化さずに安城に話していたらこうはならなかったか?
ばかばかしい考えだ。いくら考えたってやり直せるわけじゃない、中学の事だって、とりつくろって、隠し続けていても結局俺の中には後悔しか無くて、そんな虚しい感情から目をそむけるために知り合いのいない赤羽を受験して、平穏だなんだと理由をつくって逃げ続けてきた。
結局、犯した罪はいつか精算しなければいけなかったのだ。それがたまたまあの時だっただけで、あの時うまく回避していたとしても、俺はそれに向き合う運命だった。
――向き合うって、なんだよ?
一体どうやったら俺は過去に向きあえて、どうやったらそれは清算されるのだろうか。中学時代、俺が他人の尊厳を踏みにじって自分に酔っていたことは変わらない事実だし、一星に懺悔しようが土下座しようが、それで俺が変わるか?一星が俺を許すか?多分答えはノーだ。俺は一生あの時の自分を責めつづけて行くしかない。そしてそのうち、年齢を重ねて行くうちに、ついには罪悪感も後悔も時の彼方へ消えて行く。風化。それを待つしかないのだ。
俺がそんな不毛な自問自答をしている間にも時間は流れ、今日の授業は終わり放課後がやってきた。帰り支度を済ませ教室を出て行く生徒たち。当然その中には安城の姿もある。今日も実行委員会があるのだろう、安城はすぐに生徒たちの波の中へと消えて行く。
「帰らないのかい?」
それを見送る俺の独りでいたいという気持ちも露知らず声をかけてきたのは越前だった。
「……」
俺は無言で、心底迷惑そうな表情で越前を見る。
「帰らないなら、少しいいかい?」
「よくない。微塵もよくない」
「……じゃあ、この場で話してもいいのかい?」
「話すこと自体がよくないって言ってんだよ。揚げ足とんな」
強い口調になっているのは自分でもわかる。別に越前だからじゃない。誰が話しかけてこようと、俺はきっと苛立つのだろう。
「……悪い、言いすぎた」
「いや、いいんだよ。今の君の状況なら当然の反応だ」
「話ってのは俺の悪評についてか?」
俺は既に誰もいなくなったことを確認してから問いかける。
越前は申し訳なさそうに頷く。
「正直、少し予想はしてたんだ。黒崎君が安城さんのお眼鏡にかなうほどの実力があることや、生徒会活動にくわしいことから考えるとね」
「……」
「それで、君はどうするんだい?」
「は?どうするって何を?」
「体育祭実行委員」
「お前、流石にその冗談は笑えないからな」
まあ、俺が越前の言葉で笑ったことなんて一度もないが。
「……いいのかい?ここでやめても」
「いいも何も会長直々に出禁言い渡されてんだぞ」
「それは表面的な事実でしかない。俺が聞いてるのは君個人がそれでいいかどうかだよ」
俺は……どうしたいのだろうか。人間は苦を嫌う生き物だと、以前実行委員会の面々をそう卑下したが、今の俺もそう言われる存在だ。正直、もう一星に会うのも安城に会うのも会議に参加するのも嫌だ。全員が敵なのにそんな中ひとりで特攻してもハチの巣にされるだけ、向こうも俺も嫌な気分になるだけだ。
「今、君は『俺が行っても互いにマイナスしかない』と思ったかい?」
「なに、お前エスパーなの?」
「余計な勘が働くんだよ」
「聞いたセリフだな」
「確かに君が行ってもみんな嫌な顔をするだろうけど、君は体育館の取り合いの時、みんなの敵だった相馬君の暴挙をとめ、彼自身も救ってくれた。君があの時の相馬君と同じ状況なのだとしたら、誰かに救ってもらうしかない」
誰かに救ってもらう。それは俺が見つけた人を助ける理由だった。それはきっと、俺の善意が生んだものだ。だが、純粋な善意なんてものは存在しない。それは越前や相馬、俺がこれまで出会ってきた人物たち全員に言えることだ。だれだって苦しみ、葛藤し、悩み、そのうえで行動している。だから、俺が特別不純な善意を持っていた訳じゃない。善意の裏には、その人のエゴがある。俺はそのエゴが基準より大きすぎたのだ。自分は誰かの助けになれる、凄い人だと信じて疑わなかった。
だから、それは崩壊したのだ。
でも安城は、そんなエゴをこれっぽっちも持ち合わせていない。それが俺にはまぶしすぎて、だからあいつを遠ざけようとしていた。
だが、安城は俺を助けてくれる唯一の人物でもある。あいつの持ってくる面倒事を解決するうちに俺の世界は変わっていった。
それがあの時見つけた、俺の安城を助ける理由なのだ。誰かを助けることで自分が助かりたい。それが今の俺のエゴなのだ。
そして、それも崩壊した。
「助けなんていらない。助けてもらったら、きっと俺はまた助けようとする」
「でも、君が今まで助けてきた人は、君を助けたいと思ってるはずだよ」
「無限ループだな……」
助けたから助けてもらう。情けは人のためならずなんて言ったりもするが、その考えだと一度助けたら永遠に抜け出せないループに突入する。最初は助けることに自分なりの意味を持ち、他人が喜べば自分も嬉しい。だが、ループを続ければだんだん境界線が見えなくなってくる。どこまでが助けるという範囲でどこからが余計なお世話になるか。それが自尊心を膨れ上がらせ、互いの関係を壊していく。ループから抜け出すという事は、それらの関係が全て終わることを意味する。
俺はそれを壊してしまった。一度ならず二度も。二度あることは三度あり、仏の顔は三度までなわけで、俺はもうループに戻ることはできないのだ。
ループから抜け出したことを喜ぶか悲しむかは本人次第だが、俺はどちらだろうか。
「あの時、君が俺の生徒会への加入をよしとしなかったのは、俺や安城さんが過去の君の様に失敗すると思ったからじゃないのかい?」
あの時、俺が越前の頼みを引き受けず、越前が生徒会に入っていたら、バスケ部との両立ができずどちらの活動にも支障をきたしていただろう。真面目な越前はなんとかしようと躍起になり、結果他人の役割を中途半端に奪う事になっていたかもしれない。
そうなれば安城も生徒会の立て直しに躍起になるだろう。間違っている本人は間違っている事に気付けない。だから俺は二人が間違えないようにと手を打った。だが、それは俺が本当の理由を見つけるために設定した理由であり、俺の本心とはどこかちがっていた。あの時、俺は真剣に考えて答えを出したはずだった。考えずに放棄するのは、安城のやっていることを侮辱する行為だと思ったから。
結局、考えて出した俺の人を助ける理由も幻想だったと一星の一件で分かってしまった。
――あの時、俺は俺自身の本当の理由を見つけなればいけなかったんだ。
でも、その理由はもう永遠に分からないのかもしれない。
「黒崎君、君は周りをもっと見るべきだよ。ほんの数人かもしれない。でも、君を思い、君の為に行動している人がそこにはいるんだ」
「……いねえよ。そんなの」
安城はあれ以来、俺とのかかわりを断ち切っているのだから。
「……君の問題だ。決めるのは君自身だよ」
越前は俺の背中を軽くたたくと教室を出て行った。
「……俺も、帰るか」
鞄を持ち俺は教室を出る。
「あ……」
扉を開けたすぐそこに立っていたのは、雪里だった。
「また待ち伏せか?」
「……うん。待ってた」
前回と違い、雪里は否定しなかった。それはつまり、越前と似たような用事ということだろう。
「悪い、今度にしてくれ」
俺は雪里から逃げるように去ろうとする。
「待って!」
そんな俺の右手を雪里は必死に掴んでくる。
「……離してくれ」
「離さない……離したら……黒崎君は……壊れちゃう」
雪里の表情は真剣そのものだ。唇をかみしめ。メガネの奥の瞳にはいつもの何倍もの生気が宿っている。そんな表情をされたら、無理やり振りきることはできない。
「……わかったよ。どうすればいいんだ?」
「ついて……来て」
***
雪里に連れられてきたのは部室棟。そういえば雪里と再会したのもこの場所だった。あの時はまさか中学の知り合いがこの学校にいるなんて思わなくて、雪里の名前すらすぐに思いだせなかったっけか。
「はいって……」
雪里は漫研の部室の中に俺をひっぱり込む。ここまでずっと俺の右手は雪里に掴まれている。
「お邪魔します」
漫研の部室に入ったのはこれで二度目だが、以前より机の上が散らかっているように見える。なにか作業をした後なのだろうか。
「昨日……新しく二人入った」
「新入部員か?」
「うん……」
「それでこんなに散らかってるのか?」
「みんな……説明したかったみたい。漫画の魅力を……」
漫研の部員と会ったことは無いが、きっと雪里の様に漫画を心から愛する人たちなのだろう。それは雪里が嬉しそうに話しているのを見れば感じ取れる。
「よかったな。いい仲間に会えて」
「黒崎君の……おかげ……」
「違う、確かに中学の時廃部寸前の漫研を存続はさせた。でも、高校でのことは全部お前が頑張ったからだ。それに俺のやったことなんて……」
『無駄だった』
「違う!」
その声は、いつもの雪里からは想像もできないほど感情的で、きれいで、透き通った声だった。俺はこの声を聞いたことがある。駅前の『ミント』から帰る時、俺を追いかけてきた雪里は、今と同じくらい頑張って声を張り上げていた。
「雪里?」
「違う!違うよ……黒崎君のしてくれたことは無駄なんかじゃない!」
雪里は目に涙を浮かべながら、尚言葉を続ける。
「中学の時、友達もほとんどいなかった私にとって、漫研は立ったひとつの居場所だったの!漫画の話ができる部員が、私の漫画をよんで意見してくれる仲間がそこにはいたから!……でも、先生や他の人たちから見たら何の成果もあげない、無駄な部活だったんだと思う……」
当時、一星も言っていた。『いくら本人たちが満足していても、他人から見て無価値ならそれは無価値としか判断されない』と。
「廃部を言い渡されたあの時、息が詰まったよ、悪い夢でも見てるんじゃないかって、目が覚めたらいつもみたいにみんなと漫画の話をしてるはずだって……でも、それは紛れもない事実で、私の居場所は無くなりかけた……でも、それを黒崎君は助けてくれたんだよ!」
助けた。表面上の事実だけを見れば、確かに俺は漫研を助けた。予算案を何度も見直し、改善案を打診し、顧問に何度も頭を下げ、それでやっと2年間の猶予をもらえた。思えばあの一件が、俺と周囲の溝を広げる最大の要因だったのかもしれない。
俺はあの時、なんで漫研を、雪里を助けたんだ?自分の力量を過信し、自分に酔っていたというのは確かだ。でも、それだけで俺はあんなに面倒で大変な事を自分からやったのか?
「黒崎君はずっとずっと……私のヒーローなんだよ!だから、負けるところなんて見せないでよ!負けそうなら私を頼ってよ!一緒に戦えなくても、それくらいさせてよ!」
「雪里……」
雪里は肩で息をしている。あれだけ大きな声で話したのだから、当然か。
「黒崎君……私の漫画……読んだ?」
「あ、いや……まだ」
「今……持ってる?」
「鞄の中に」
「じゃあ……読んで……今」
雪里の言葉に俺は返せる言葉が無く、手は自然に鞄を開け、封筒に入った原稿用紙を取り出す。
一枚目は以前も見た女子高生とメガネをかけた男子生徒のイラスト。
ページをめくると、女子生徒は委員会の仕事をこなし、部活でも大活躍し、周囲の人間とも良好な関係を築き、毎日を楽しそうに過ごしている。
男子生徒は、それと反対に毎日をつまらなさそうに過ごしている。朝、学校に来て、授業を聞いて、放課後になると一人、文芸部の狭い部室で本を読み、日が暮れると帰る。そんな彼はいつも女子生徒を見ていた。自分とは全く反対の充実した生活を送る彼女を見ながら、彼は思う。彼女のいる世界は、どんな色をしているのだろうと。
そんな中、彼の所属する文芸部は廃部を言い渡される。自分の居場所を失った彼は一人、夕暮れの校庭で自作小説を読んでいた。だが、そんな彼に声をかける人物がいた。それが彼女だった。『その小説、よんでもいい?』屈託の無い笑みでそう尋ねてくる彼女に、彼は自作小説を見せ、文芸部が廃止になることを告げる。彼女はそれを熱心に聞いてくれた後、文芸部の存続に協力してくれると言ってくれた。彼が理由を尋ねると彼女は言った。
『その小説、面白かったから。それだけ』
そのあっさりとした言葉に彼は気付いた。自分の小説は、彼女の心を動かすだけの力があり、彼女は動いた心を素直に伝えられる。たったそれだけのことが嬉しくてうれしくて、彼は今まで一度も見せなかった笑顔を彼女に見せた。
そして、彼女は言葉通り文芸部の存続を学校に承認させた。
だが、無理な要求を無理やりとおした彼女は周囲から非難され、孤立していった。そんな彼女に彼は尋ねた。
『僕を助けたこと、後悔していませんか?』
彼女はそれに対し口を開く。
――そこで、原稿は途切れていた。
この漫画は男子生徒を雪里に、女子生徒を俺に例えたものだった。確かに俺は雪里の漫画を読んで、この女子の様な発言をした気がする。だが、気になるのはラストであろうページが無いこと。
この作品は未完なのだ。
「これ、彼女は最後なんて言うんだ?」
「黒崎君なら……なんて言う?」
「……わからない」
「じゃあ、分かったら……教えて」
「なんじゃそりゃ、お前は最後のセリフ考えてないのか?」
雪里は頷く。
「最後は……黒崎君がたどり着いた言葉にする」
窓から差し込む夕日に照らされる部室。そのなかで雪里茜は、本当に綺麗な笑みを浮かべていた。