時刻は8時を過ぎ、辺りはすっかりと暗くなっていた。俺はその様子を自室の窓から眺めていた。別に綺麗な星空が広がっているわけでも彗星が見えるわけでもない。それでも、空を見ていた。
『最後は……黒崎君がたどり着いた言葉にする』
漫研の部室で雪里が俺に告げた言葉を何度も反復する。あの時、いや、あの漫画を描いた時から雪里は俺が答えを出せると確信していたのか?
違う、雪里は分かっていたんじゃない、願っていたのだ。どんな道のりでどんな選択をしようと、俺が中学の時の様な笑顔を取り戻すことをずっと。
俺があの時の事を必死に振り切ろうとしていた時に、雪里はあの時の事に向き合っていたのだ。本来なら俺が向き合わなければならなかった事に、その代わりを務めていてくれたんだ。
でも、雪里は俺じゃないし、俺は雪里じゃない。いくら考えても雪里は俺がたどり着くであろう答えを見つけられなかった。だから、あの漫画を描いたのだ。俺に道を示すために。
中学の時、クラスでも目立たず、他人と関わらず、いつも誰かの陰にいた彼女はもういなくて、誰かに道を示せるほどに強くなっていた。それはあの時俺が漫研を存続させたことももちろん要因なのだろう。だが、それ以上に雪里の、『自分の居場所を失いたくない』という願いがあったからに他ならない。
一星の言葉通り、他者から見て無価値なものはそれ以上の評価を得ることは無い。でも、重要なのは他者がどう思うかではなく、本人たちがそれにどれほどの価値を見いだせるかだ。生徒会も、クラスも、確かに居心地のいい場所ではあった。誰もが俺を頼り、必要としてくれていたから。でも、俺はその場所を『失いたくない』と、『何があっても守りたい』と思ったことは無かった。だからこそ俺は失ってもその場所に戻りたいと願わなかった。それが知り合いのいない赤羽を受験する事に繋がった。
でも、中学の校庭で雪里の漫画を読み、漫研を失いたくないと強く願う彼女を見て、雪里が漫研という居場所をどれだけ大切にしていたのか、それを分かりたいと心の底から思ったのだ。俺にはそんな場所は無かったから。
――俺は誰かを助けることで、自分の居場所を見つけたかったのだ。
それは以前俺が考えた理由より遥かに傲慢で、希薄で、エゴの塊だと言える。でも、今までの出来事を思い出せば、かなりしっくりくる言葉だった。
人は異質なものを恐れる。分からないと分かってしまった時、自分がひどく惨めだと感じてしまうから。でも、それを認めることができればそれは『分かりたい、知りたい』という欲求に変わる。他人にとってその欲求が醜悪だろうが無価値だろうが、自分が望んだ物の価値に判断を下すのは自分自身だ。
俺は安城や雪里といっしょにいることが心地よかったのだ。あいつらと過ごした時間や場所は、俺にとって初めてできた『居場所』だったから。
――安城を助けないと。
越前和人は言った。『君が今まで助けてきた人は、君を助けたいと思ってるはずだ』と。
雪里茜は言った。『負けそうなら頼ってほしい』と。そしてその指針を示してくれた。
そして安城奏は俺を助けてくれようとした。俺の為に他者に意見してくれた。
あったんだ。俺の居場所はすぐそこに。
それなら、その居場所を守ることが、俺の本心だ。
俺は窓を閉め、ゆっくりと立ちあがり大きく息を吸い、はいた。そして上着を羽織り外へ出た。
***
「で、何なん?こんな時間に呼び出して」
時刻は午後9時。矢作恭子は寝むたげな瞳で俺を見る。
場所は俺たちが通っていた中学の近くにある公園。こんな時間に遊びにくる子どもなどいる訳もなく、いるのは俺たち二人だけ。
「まず確認だが、安城に俺と一星の関係を教えたのはお前だな?」
「あー、ばれた?」
「ばれないと思ってたのか?」
「ううん。ゆーたろーならすぐに気付くと思ってた」
矢作はからからと笑う。だが、すぐに真剣な面持ちになる。
「ごめん、ゆーたろー。私、ゆーたろーが生徒会をやめた理由、知らなくて……」
「話してないんだから当然だろ。謝ることじゃない」
「ううん。謝るよ。だって、ゆーたろーが辛い思いをしてたのに、近くにいたのにそれに気付けなかったんだもん」
矢作は頭を下げ、俺に謝罪してきた。それが彼女のけじめなのだろう。
「いいんだ。あの時悪かったのは一星でもお前でもない。俺なんだから」
「そんなこと……」
「もうこの話は終わりだ。そんな過ぎ去った時間を思い出すためにお前を呼んだ訳じゃない」
俺はゆっくりと息を吸い、吐きだす。
「今、実行委員はどうなってる?」
矢作は俺の質問が意外だったのか、唖然としていた。だが、すぐに口を開いた。
「私はバカだから、今の状況がいいのか悪いのか分からない。だから、ありのままを伝える。それでいい?」
俺は無言で頷く。
「今決まってるのは、種目案とその他の余興について。種目は、この前多数決で決まった通り。余興に関しては、来週アポを取る予定」
「……全然進んでなくないか?」
「競技の内容とかルールの話でヒートアップしてた」
まあ、それも大事ではあるんだが、一週間あったにしては進行が遅い。
「予算案はどうなってる?」
「安城さんと木場がやってる」
「二人だけでか?」
「うん」
もしかして、いやもしかしなくとも一星たちは予算案について安城達に押し付けたのだろう。
安城はこの前、俺の事で一星に意見していたし、木場も最初に俺の案に賛同していた。一星の的になる条件は満たしてしまっているわけだ。
かてて加えて二人が生徒会役員なのが問題だ。生徒会役員がやっているという事実に他の連中は安心しきってしまっているだろうし、二人とも一星の反感を買っている事実が助力しようとする考えを消し去ってしまっているのだ。
「……つまり、全然進んでないわけだ」
「分かんないけど、ゆーたろーがそう思うってことはそうなんだろーね」
「矢作、お前明日はひまか?」
「明日はゲーセン行く予定なんだけど」
「オーケー、暇だな。それじゃあ頼みがある」
「まって、ゆーたろーは実行委員会に戻るつもりなん?」
「方針的にはそうなる」
「なんで?多分行ってもみんなに嫌な事言われるよ?」
「それでも、俺は行く。安城を助ける」
「……おっけ。わかった。ゆーたろーがそう言うなら、きっとそれが正しいんだろーし」
矢作は夜空を見上げる。
「私さ、ゆーたろーのことが好きだったよ」
「え?」
突然の言葉に俺の思考は停止する。だが矢作はお構いなしに話し続ける。
「中学の時、みんなに頼られて、それにしっかり答えて、人気者だったゆーたろーをカッコイイって思ってた。ほら、私って昔からこんな感じじゃん?校則違反ぎりぎりの服装したり、毎日遅刻して来たり、授業中に携帯いじったり。正直、浮いてたよね」
まあ、矢作の外見や行動だけを見たら、大抵の人間は深く関わろうとはしないかもしれない。
「でも、お前普通に友達いたろ?」
「そうだね。友達はいたし、なんなら今でも遊ぶような友達もいるよ。でも、その人たちが見てるのは私の外側だけだった。ヘアアレンジしたら『可愛い』とか『教えて』とか言ってくれるし、みんないい人なんだと思う。でも、ゆーたろーはそういう人たちとは違った」
「そんなこと……」
「あるんだって。あの時のゆーたろーは、私が息苦しそうに生活してるのに気付いてた。だから、私の話を聞いてくれて、ゲーセンに一緒に行ったりしてくれたんでしょ?」
確かに、クラスの中で友達と話していた時の矢作はどこか無理をしているように感じた。けして友人たちを疎ましく思っていたわけではないだろうが、矢作は、『矢作恭子』であることを義務付けられていた。周囲が矢作に期待しすぎていたのだ。矢作ならみんなを笑わせてくれる、矢作ならどんな話でも笑って聞いてくれる。
そんな彼女が窮屈そうに見えたから、俺は矢作をゲーセンに誘い、いろんなゲームで遊んだ。実は矢作は手先がものすごく不器用で、格闘ゲームをやらせればパンチを空打ちし、シューティングゲームをやらせれば自爆し、レースゲームをやらせればクラッシュしていた。そんな矢作に俺は聞いたことがある。『そんなに不器用で、よくヘアアレンジとか出来るな』とそれに対する矢作の答えは『だって、みんながそれを見て楽しい気持ちになってくれるでしょ』と。
今思えば矢作は今俺が持っている人を助ける理由に近いものを持っていたのかもしれない。『居場所が欲しい』。きっと矢作も俺や雪里と同じだった。クラスにある自分の居場所を守りたかった。違うのは、雪里はそれを俺に話し、助けを求められたこと。矢作は、ずっと一人でその場所を守り続けていたのだ。誰にも頼らず、寄る辺を必要とせず、みんなを楽しませることに尽力していた。その努力が、矢作を今の居場所に導いたのだ。おしゃべりができる友人、一緒にゲーセンに行く友人。そのすべてが矢作が守りたいと思うものなのだろう。
「初めて私の内面を見てくれた人、それがゆーたろーだったんだよ」
「……」
「いつからか私はゆーたろーを見てた。授業中も、一緒にゲーセンに行った時も。でも、私はゆーたろーの内面を見てなかった。だからあの時、ゆーたろーが困っているのにきづけなかった。私が助けなきゃいけなかったのに。だから、ごめん」
「……いいんだよ。たとえあの時気付けなくても、お前は今ちゃんと俺の事をみてくれてるじゃないか。それだけで、十分だ」
「……そう、かな?」
矢作は普段からは想像もできないほどのぎこちない笑みを浮かべる。それを見て、俺は笑いをこらえられなかった。
「ちょ、ちょっと何笑ってんの!は~マジショックなんですけど!」
「わ、悪い、でもちょっと……」
1分くらい笑ってから、俺は矢作の方へ向き直る。
「……うん。やっぱり変わってないね。その笑顔」
「そういえば、久しぶりに笑った気がする」
「そういうゆーたろーが好きだったんだよ」
矢作はにっこり笑うが、すぐに顔を赤くする。自分が俺に2度も告白したという事実にやっと気付いたらしい。
「い、言っとくけど、昔の話だから!あくまで中学の時の話だから!」
「わかってるよ。そんなおっかない顔すんなよ」
「あー!女子に顔の事言うとかサイテー!」
それからほどなくして、俺たちは公園を後にし、矢作を家の近くまで送った。
「じゃあ、明日は頼む」
「おけ~」
「じゃあな、恭子」
「……!うん、また明日!」
笑顔で手を振る恭子を背に、俺は帰路ついたのだった。
その足どりは自然と踏みしめていた。