クリスマスは、恋人と過ごすもの。
気づくべきでした、いえ、認めるべきでした。
その日を共に過ごせなかった私は、少なくとも彼にとって恋人ではないと。
当然ですよね、恋人としての定跡を歩めなかったのですから。
諦めるべきでした。
バレンタイン前日に、彼が出所したと聞き思わず会いたいと連絡を入れ、返事すらもらえなかったあの時に。
気になって様子を見に行ってしまい、彼の隣には私以外にたくさんの女性がいることを知ってしまいました。
神様の前なのに、思わずため息が。
少年院に収監されてしまった彼を救い出すために、私はこの教会で、彼を心のまっすぐな少年と形容しました。
それは間違ってないと思います。
彼はいつだって私を支えてくれ、彼と過ごした日々がなければ私はいまだに八百長姫のままでした。
それなのに。
彼の心を読み切れなかった私の負けなのでしょうか。
彼は私と付き合いたいと言っておきながら、たくさんの別の女性ともお付き合いを。
私を支えてくれた彼。そのあなたが何人もの女性を、騙すようなことをしていた。
見せつけられた現実と。
それでも認めることのできない彼を信じたい気持ち。
答えを出すことのできないまま、いったりきたり。
項垂れる視界に影が差し、誰かが私の前に。
ああ、顔を上げたくない。このまま穴熊にこもりたい。
こういう時、どんな顔をすればいいのでしょう?
怒れば? それとも笑えば?
思い悩む私に、悩みの元凶である彼からの声。
「一局たのむ」
その声で、今の私ができる顔が一つだけあることを思い出します。
なるほど。棋士の顔で、あなたに向き合えばいいのですね。
顔を上げ、彼に向き合います。
「一手十秒の早指しでよければ」
頷き、腰掛ける彼の前に盤面を広げ、駒を振ります。
彼の先手。
いいでしょう。この一局であなたの心を、読み切ります。
◆
通いなれた定跡。いえ、少し違う?
彼の打ち筋に変化。まさかこれは。
彼の取った戦法は右四間飛車。今まで一度も使ったことのない形。
「……初めて試す戦法で、この東郷キングダムを破れるとでも?」
こちらはすでに堅陣を張り終え、いつでも迎え撃つ準備はできています。
「王が無能では、兵はその真価を発揮できない。さあ、その罪の十字架に苦しむがいい!」
なのに彼はかまわず兵を進め、挑んでくる。
動揺も見せず、不安もなく。私に、負い目すら見せず。
歩を真っ向からぶつけてきます。
殴り合いが、希望ということですか。
「この一局に勝ったら」
殴り合いの盤上と違い、ひどく冷静な彼の声。
勝つ? あなたが私に?
「かつての師に対する言葉とは思えんな」
銀桂交換の駒損はありましたが、こちらはすでに囲いの歩を再生させ、あなたの攻めを受けきっています。
この状態であなたが何を?
「勝ったら」
再度歩を打ち噛みついてくる。まだ攻め続けるか。
「―――チョコが欲しい」
「……バレンタインに連絡をくれなかったあなたが何を」
逢いたかった。連絡を入れたのに。私以外の誰かといたのに。
「何をいまさら!」
言葉とともに桂馬を打ち、眼前の薄い守りを破るべく進軍。
「戻れるものなら戻って、あの時の自分を叱りつけてやりたい」
彼の手番、歩を進め私の囲いを破る。この状況でまだ攻めてくる。
「だけどそれは一二三を選ばなかったことじゃない」
一度自陣に手を戻し、彼の攻めを遅らせる。
「全員を選ばなかった事にだ」
私の桂馬を払い凌ぐ。彼の打ち手に迷いがない。打点をずらしたはずなのに、勢いが止まらない。
「……全員を選ぶ? そんなことが許されるとでも―――」
盤面の読み込みで負けている。自らが提示した早指しに首を絞められる。
「―――許されないのなら」
彼の飛車打ち。
鋭い。
喉元を切り裂く、鋭利な短刀のような一手。
「撃ち破るまでだ」
攻めが、止まらない。
ダメ、凌ぐしかない。
彼は、この局面を読み切ってから勝負を挑んできている。
一度二度ではなく、ひたすらに繰り返し検討してきたはず。
盤面は劣勢。
彼との新手研究での対局で、一度もなかった局面。
「っく!」
彼の一手一手に気迫が乗っている。勝負師の気迫のようなものが。
押し込まれてしまう。
負ける?
彼の攻め手を受けるのも限界に。
しかたがないのかもしれません。
負けるはずがないと、読み切るなどと慢心をもった私と、勝つための準備を怠らなかった彼と。その差がこの局面。
彼は正義の怪盗。
母は彼に救われ、私もまた救われました。
朧げな記憶ながら、きっと世界すら救ってみせた。
そんな彼に、私が敵うはずないのかもしれません。
せめて王様らしく、自ら投了を。
そう思う心を押しとどめたのは、眼前の彼。
彼ならば諦めるだろうか?
絶対に負けられない局面で、今の私みたいに簡単に諦めるだろうか?
「……ふふ」
ここで諦めるようなあなたなら、チョコが欲しいなんて、言いませんよね?
思わず笑みを零した私に、彼が僅かに視線を向けてきます。
なんでもできてしまう彼に、私の唯一の武器である将棋でも負けてしまったら、本当に、並び立てなくなってしまう。
そんなことは、許せません。
まだ詰まされたわけでもない。
諦めるような、心を折るような場面ではない。
盤面を見渡せば、まだ角も生きている。勝機は十分にある。
逆転の一撃を放つべく、彼の攻めの囲いを崩す。
逃さないと言わんばかりの追い打ちの一手、彼の歩成り、今までで一番鋭い手。
だからこその光明。
角の道が開けた。
「目覚めよ龍馬!眩き光で刺し貫け!ホーリー・ライトニング・角!!」
◆
「……負けました」
絞り出すような彼の声。彼の玉に必至をかけ勝敗は決しました。
「最後の歩成りか」
「ええ、終盤の大きな手は、倍返しで戻ってくることもあります。覚えておいてくださいね」
とはいえ、ここまで追い詰められたのは事実。息を吐きながら立ち上がる彼に、質問がありました。
「今回の一局、私が勝ちましたがあなたの読みは見事でした。一体どうやってここまでの読み込みを?」
「打ちながら読んでたわけじゃない」
時間はあったからと続ける彼。まさか少年院にいる間、ずっと私に勝つべく検討を重ねていたのですか。
「……どうしてそこまで?」
彼は言っていいものか少し迷った素振りを見せましたが、すぐに私の目を見て答えてくれました。
「……好きな子に一度も勝ったことがないなんて、悔しいじゃないか」
結局負けたけど、そう拗ねたような声。
思わず笑ってしまいました。
笑いながら、カバンからチョコを取り出し、彼に差し出します。
「つまらないものですが」
訝し気に受け取る彼に笑みを向け答えます。
「敢闘賞といったところです」
私を追い込んだのもあなたなら、奮い立たせたのもあなたですから。
納得がいかない様子ですが、私の中で答えは出ました。だからそれはあなたのものです。
「将棋には私が勝ちましたが」
あなたと並んで立っていたいと思ってしまった私は、恋の勝負では負けてしまっているのでしょうね。
悔しいから、そこまでは言ってあげません。
だから別の事を言いました。
「……来年のクリスマスは一緒に過ごしたいです」
「……もちろんだ」
「そんな約束をしてしまって、他の人達はいいのですか?」
「ずらして、毎日祝う」
「ふふ、そんなことをしたら神様に叱られてしまいそう」
「……そうなったら、何度でも撃ち抜いてやるさ」
まるで、神様を撃ち抜いたことがあるような物言い。
想像もつきませんがあなたの事ですから、きっと本当なのでしょうね。
あなたはこうやって他の人達にも逢いに行くのですね。
ならば私からあなたに言うべきことは一つだけです。
「……私を本気にさせたんですから、『待った』なんて許しませんよ?」