何やってんだろう、私。
ため息一つついて、次の授業で使うつもりだったプリントの作成を中断する。
はかどらない。
全部、彼のせいだ。
プリント作成がはかどらないのも、自宅に仕事を持ち込むことになったのも、わざわざバレンタインに早退までして彼の様子を見に行ったせいだ。
そもそもこのプリントだって、私に何にも告げずに勝手に出頭したどこかの誰かさんのために、ここ数か月分の要点をまとめたものを作ろうと思ったからなのに。
「……はあ」
もう一度ため息をついて、PCの電源を落とす。PCを閉じた拍子に左手の薬指に嵌めた指輪が目に映った。
左手に嵌めているのは、うん、そう。私は右利きで、いままでプリント作成していたから。うん、そう。だから仕方ない。これは不可抗力。
まったく誰に言い訳してるんだか。少し苦笑いしながら、部屋の照明で指輪を透かすみたいにして見上げた。
小さいけど、石はダイヤで台座はプラチナ。
安いものではない。
少なくとも、いい大人が高校生にプレゼントさせるものでは……ない。
返したほうがいいかな。
左手の薬指に嵌めた指輪を眺めつつ思う。
高巻さんに新島さん、奥村さんまで。他にもいっぱい。
二股どころの話じゃない。
指折りで数えてみる。片手で足りないことに気づいて、頭が痛くなる。
ひいふうみい…………ここのつ。……九股ってどういう事よ。
問題児ってわかっていたけど、ここまで問題児だったなんて。
「……はあぁ~」
最大のため息。
可愛い子に、綺麗な人。彼から見て年下に、同い年に、年上に。
二月十五日に集まっていた彼女たちの顔を思い出す。
どの子も、どの人も、私より可愛げがあって、綺麗だった。
よりどりみどりじゃない。
なんで私に、『また来てほしい』なんて言ったのよ。『勘違いじゃない』なんて言ったのよ。『男と女』なんて言ったのよ。
イライラし始めた私を現実に戻したのは携帯の着信音。
もしかしたら学校からの急な連絡かもしれない。慌てて取り出して、覗き込む。
着信を確認して、気が重くなった。
公衆電話から。
私の携帯に公衆電話から掛けてくる相手は一人しかいない。というかなんでお店を辞めた後も、喫茶店の公衆電話から連絡してくるのよ。
取ろうか、無視しようか。迷ったけど、結局は取った。
「……もしも~し? ……ハイハイ、公衆電話から掛けてくるのなんてキミだけなんだから、名乗らなくてもわかるよ。それで、何の用? ……はあ? 部屋に来てほしいって、あんな事があったばかりでよく言える。ほんと何様のつ…も……」
失敗した。これダメな奴だ。
何様なんて聞いたら、絶対言ってくる。間違いなく言ってくる。
『……ご主人様だ』
ほら、言ってきた。
◆
「呼び出した用件が部屋の掃除を手伝ってほしいって、本当にどういう事?」
文句を言いながらも、床のモップ掛けを続ける。
部屋で土足なんて欧米スタイルをしている彼の部屋は汚れやすい。二か月以上も留守にしてたんだし、部屋の埃なんかもたまってるだろうけど、それをわざわざあんなことがあったばかりの私に頼むかな?
「べっきぃで来ると思ってた」
「ハイハイ、普段着で来てごめんなさいね。というか最初から用件伝えてくれればそっちで来たわよ」
私はてっきり、別れ話とかそういう話で呼ばれたと思っていた。さすがにそんな話をメイドの格好でしようとは思わない。
パタパタとはたきでインテリアの掃除を続ける彼をジト目で睨みつける。
インテリアを掃除する彼の表情が心なしか明るい。ほんの小さな変化だけど、付き合うようになってからわかるようになった変化だけど、私にはわかる。
そんなに大事なものなのかな?
改めて彼の部屋を眺めなおしてみる。久しぶりに部屋に上がったけど、相変わらず統一性のないインテリアに囲まれた部屋だと思う。
熊手にTシャツ、しゅうまいのクッションにスカイタワーのライト。王将の置物に寿司湯飲み?Tシャツもそうだけど、寿司湯飲みって飾るものなの?
まあ、私があげた夜景ペナントもちゃんと飾ってるのには80点くらいあげていいかな?
そんなことを思いながら壁に貼られたポスターを何となく眺める。
アイドルポスター、可愛いし、とても綺麗な子だ。どことなく、高巻さんが彼女に近い雰囲気だと思う。少なくとも、私よりは。
アイドルと比べられても困るけど、やっぱこういう子が好きなのかな?
そう思って、モップの水を絞り器で絞りながら、可愛い子に嫉妬してるなんて悟られたくなくて、何でもないことのように聞いてみる。
「……りせちー好きなの?」
「りせちー?」
「久慈川りせ、ポスター飾ってるじゃない」
本当にわかってないみたいな顔をする彼が少し可笑しかった。なんで壁に貼るくらい好きなアイドル、今は女優って言ったほうがいいのかな?の愛称を知らないのよ。
「……あまり知らない」
「はあ?」
名前はもちろん知ってるけど、そこまで詳しくは知らないなんて彼が続ける。
じゃあなんで壁に貼ってるの? って尋ねると、少し恥ずかしそうに、それでも確かな笑顔を浮かべて彼が答える。
「杏からもらったんだ」
……高巻さんからプレゼントされたのか。
嬉しそうに言う彼に少し胸が痛んだ。
他の女の事で嬉しそうにする。これは0点だ。
不機嫌な私に気づいてるのか気づいていないのか、熊手は春にもらった、しゅうまいクッションは真からなんて一つ一つ、よく覚えてるねって関心したくなるほど説明してくれる。ご丁寧にどういうシチュエーションでもらって、その時に自分がどう思ったのかなんて感想まで添えて。
だいぶ頭が痛くなってきたところで彼が私があげた夜景ペナントを指さして、海浜公園での思い出も嬉しそうに語る。
……0点は訂正、50点はあげる。
「……はあ~、や~っと終わったー」
彼のベッドに大の字で倒れこむ。ベッドのスプリングが衝撃で揺れるけど、反発は少ない。こんな部屋だけど、ベッドは悪くないのよね。
家具は少ないくせに、物はそこまで少なくない。細かいものが多いし、一度始めると部屋の隅の汚れとか気になって、だいぶ本格的に掃除をしてしまった。
メイドとしてこの部屋に来ていたころよりも、丁寧に掃除したんじゃないかしら? なんてご主人さまには聞かせられないことを思ってしまう。
「おつかれさま」
労う言葉とともに、彼もベッドに腰掛ける。
少し無防備すぎたかな?結局バレンタインの話も釈明も聞けてないのに、ベッドに倒れこむとか、油断しすぎてるかもしれない。
上半身だけ体を起こして彼に向き直る。
いつの間にか掛けていた眼鏡をはずしている。怪しい。この子、何となくそういう雰囲気にもっていくのが上手いから気を付けないと。
とりあえず、私から話題を振ろうと思うけど、聞きたいことが多すぎてどこから聞けばいいのかわからない。
なんであんなにたくさんの子と付き合っていたの? とか。これからどうするつもりなの? とか。
まあでも、彼から掃除をする間に聞かされ続けたみんなとの思い出話に、彼女たちと別れるつもりは無いことくらいは、感じ取れた。
それじゃあ私とはどうなるのかな? なんて事もよぎるけど、一番聞きたいのはやっぱり、なんで出頭なんてしたの? だ。
何から聞こうか迷ってるうちに、彼が私の膝に頭を落としてくる。先制攻撃は向こうから。いきなり膝枕?そんなオプション承った記憶はないんですけど。
「……今日はずいぶんストレートに甘えてくるね?」
「ずっとこうしたかったから」
甘える前に、まず説明でしょう?そういいたいのに、私の手は自然と彼の頭を撫でていた。
ああ、本当に馬鹿みたい。バレンタインに彼に裏切られたばかりなのに。弁明すらしてもらってないのに。それなのにあっさりと彼を受け入れている。話は簡単、私が彼に甘えられて嬉しいからだ。
数か月ぶりってこともあるけど結局は、惚れたら負けってことなんだろうな。
相変わらずのくせっ毛、私と一緒だね。手すきで梳かしてやると気持ちよさそうにしてる。まるで猫みたい、大きな黒猫さん。
ふふ、もし私たちに子供が出来たら、きっとくせっ毛で苦労をかけちゃいそう。私に似ても、君に似ても、そうなるんだろうな。
この時間がずっと続けばいいのに、そう思ったけど、私は彼に向かって口を開く。
「……なんで、出頭したの?」
ようやく聞くことが出来た。私の膝の上で寝返りをうって、仰向けに顔を向けた彼の言葉を待つ。
待つ間に彼の前髪を梳くって、露わになった額に思わず唇を落とした。
急な私の行動にびっくりしたような顔を彼はするけど、額にキスしたことには何も言わず、ただ答えなさいって促した。
彼が出頭したと佐倉さんに聞かされた時、私は思わず泣いてしまった。
黙っていなくなったからとか、会えなくなったからとか、そんなことじゃない。
高校生が、まだ少年と呼ばれる子がそんな決断をしてしまったことに。
だって君はまだ高校二年生なんだよ。前歴があったってなんだって、怪盗だったとしたって、いろんな未来があるのに。もし無実が証明されなかったら、そんなこと私が絶対にさせないけど、もし本当にダメだったら、君の未来全部閉ざされてたかもしれないんだよ。
何と秤を掛けて、そんな選択をしてしまったのか。私はそれが知りたかった。
「……出頭して証言をしないと、みんなが捕まってしまうかもって聞いたから」
「捕まる?」
「獅童の件。怪盗の証言が必要だった」
何となく理解した。私もしらない、彼が怪盗としてしてきたことの証言が獅童を立件するのに必要だったのだろう。それをしなければ、彼の仲間たち、もしかしたら彼に関係する人すべて、例えば私も、不当な罪を背負わされ、捕まっていたかもしれなかったという事か。
「それは君が怪盗だから、世直しのためにそうしたの?」
「……ちがう」
彼が自嘲気に薄く笑う。
「みんなが盗れたくなかったから。警察とか世間とか、そんなものに」
「……みんなは、高巻さんたち?」
「杏たちだけじゃない。川上も」
まっすぐに私を見つめながら、はっきり言う。
本当、馬鹿な子。
自分の未来より、自分の好きな子達を選ぶなんて。
馬鹿で浅はかで、自分勝手で。全部黙って一人で決めて、守った気になってる。そのせいで残された人たちが、どれだけ悲しい思いをしたかわかっているの?
どれだけ傷つけたかわかっているの?
「……みんなが好き?」
「好きだ、誰も手放したくない」
彼が膝枕をしたまま私のお腹に、顔をうずめるようにして抱きついてくる。少し痛いくらいに背中に回された腕に力が込められている。
彼の髪を撫でながら、大丈夫、居なくならないよって囁き掛けた。
そんなしっかり抱き締められたら、離れたくても離れられないでしょう? ……ふふ、離れる気なんて無いけどね。
掃除も洗濯も、ご主人様のメイドの私がやってあげる。
甘えたくなったら恋人の私が、いくらでも甘やかしてあげる。
そして、君が好きだっていう私たちを悲しませた事は、これからゆっくり時間をかけて、教師の私が教えてあげる。
私はそんなことを考えながら、しがみついて離れない、とびっきりの問題児の髪を撫で続けた。
◆
「……忘れてた」
彼の部屋から降りて、喫茶店の入り口で私は忘れものに気づく。背負ったバッグからバレンタインに渡せなかったチョコを取り出して彼に手渡す。
「わざわざオーブンレンジ買ったんだからね」
大事そうに受け取る彼にみんな好きなんて選択をしたんだから、ちゃんと先の事を考えときなさいよって釘を刺した。
「この国に重婚なんて制度はないし、仮にそうね、君が好きな子達全員に子供が出来たとする、その養育費がいくらかかるかわかってる?」
真剣に考え込んでいる。見かねて答えを教えてあげる。それもできるだけおもしろそうに。
「一人少なくても三千万円。さあ、それを聞いて君はどうする」
「何もかわらない。一人だって手放さない」
即答する彼に思わず笑ってしまった。私がなんで笑ってるかわからないって顔をしている彼に、なんでもないよって伝える。
じゃあまたねって声をかけて喫茶店を出た。
まだまだ冷たい外気に触れたのに、私の身体は興奮して暖かいままだ。
一人だって手放さない。そんな彼の台詞に我ながら馬鹿な未来を想像してしまったからだ。
成長した彼と、彼を取り巻く彼女たち、そしてその子供たち。その中に一際くせっ毛が目立つ子が混じっている。そんな子供たちに囲まれて私は教鞭をとっている。
ありえない、とても馬鹿な未来だったけど、なんとなく彼ならそんな未来でも掴みとっちゃんじゃないかなって思う私が一番馬鹿かもしれない。
改めて思う。私は教師って職業が好きなんだなと。
彼のこれからが楽しみだし、その彼との未来を考えるのがとても楽しい。
彼が望む未来が、この国で訪れるものではないことを私はしっている。
それでも教師が生徒を信じなくてどうするのよ、ってことよね。