烏の鳴き声が茜色の空に溶けてる。浮世絵町商店街をゆっくりとした 足取りで歩む少女が一人。
絹の様な艶やかな黒髪は腰まで伸びて、風に揺れるたび甘い香りを放つ。肌は黒 髪と対をなして染み一つない雪肌であった。
瞳は透き通った黒。切れ長の眼元は少女だというのに何処か妖艶さを纏う。形のいい唇が彼女の色香を一層に引き立てる。純白の着物には赤 椿の花弁が咲き誇っている。
両手に買い物かごを引き下げて只歩く。それだけで人の視線をかき集めるには充分であった。それほどまでに彼女は美しい。
「へい、らっしゃい! 魅姫ちゃん! 今日も綺麗だね」
八百屋の大将が帽子の鍔(つば)を指で摘み、微笑んで会釈する。魅姫と呼ばれた少女は袖で口元を隠し、可笑しそうに笑った。
「こんにちは。大将、相変わらずお上手です事」
「へっ! 何言ってんだい魅姫ちゃん! 俺りゃ別嬪(べっぴん)に嘘はつかねえぜ?」
「まぁ、嬉しい。ありがとうございます」
そう言ってもう一度微笑む。その笑顔はとても可愛らしく、年相応のモノであった。
「たっく、何デレデレしてんだい? アンタ」
低くドスの利いた声が聞こえたかと思うと、大将の耳が引っ張り上げられる。
「あ″あでで、い、痛いって母ちゃん」
「まったく、こんな歳はも行かない娘に色目使うんじゃないよ」
何を心外な、とういう顔をして女将を見る大将。その光景に思わず噴き出しそうになるのをぐっと堪える。
「ごめんねえ、魅姫ちゃん。うちの馬鹿亭主が」
大将の耳を引っ張りながら愛想よく笑って頭を下げる女将。
「いえ、それよりも大将さんを御放しになった方が……」
「千切れる! 千切れるって! 母ちゃん」
手をひらつかせ首を振るう女将。どうやらお灸を据え足りないらしい。夫婦漫才とでも言えばいいのだろうか、其れは微笑ましい光景であった。少女の胸の内に羨ましいという気持ちが芽生える。
「相変わらず、仲が宜しいですね」
「あら、ヤダ。みっともない所見せちまったね」
指で頬を掻きながら苦笑いする女将。未だその手には、亭主の耳が握られている。
「いいえ、とても素敵な事だと思いますわ」
魅姫は視線を落とし、少し寂しげに笑った。
「なんだい? 奴良ん所の坊っちゃんと上手く行ってないのかい?」
魅姫がはっとして慌てて手を振るう。
「……そういう訳ではないのですが、最近リクオ様に避けられている様な気がして……」
美しい貌に陰りが差す。憂いを帯びた表情は、大将の頬をいとも容易く緩ませた。
「そりゃ、あれだな。魅姫ちゃんが日に日に綺麗になって行くもんだから」
大将の言葉に少女は白い頬を桃色に染める。
「え」
女将もその事に異論は無いらしく感心したように頷いている。少女の照れた様子に大将はにこりと笑って続ける。
「男ってもんは、心底惚れた女にゃ奥手になっちまうもんさ」
「そうさね、父ちゃんだって若い頃は私と手を繋ぐのだって躊躇ってたからね」
其れを言うなよ。という顔をして苦笑いする八百屋の大将。照れくさそうに頭の後ろを掻いている。どうやら図星の様だ。
「坊っちゃんだってお年頃なのさ。心配しなくたって大丈夫さ」
女将は腰を折り笑って見せる。皺だらけだがとても優しい顔をしていた。
「……はい、ありがとうございます」
◆◆◆
「ただいま戻りました」
奴良組屋敷の玄関先で先程の少女が大きな声を上げると、暖簾を潜り、一人の女性が少女の元へ歩み寄る。
「お帰り魅琉鬼ちゃん」
「はい。若菜様。大根とお醤油買って参りました。これで宜しかったでしょうか」
買い物かごから品を出して若菜に見せる。
「ええ、ありがとう魅琉鬼ちゃん」
「いえ、リクオ様はもう戻られましたか」
若菜は困った様に顎に指を添えて言う。
「それがまだ帰って来てないのよ。まぁ、今日も友達とサッカーやってるんでしょ。」
「そうですか……では、私は着替えてまいりますので」
そういうと、先程までの美しい黒髪はみるみる内に紅く染まってゆく。耳は鋭く長く伸びて漆黒の瞳は金色に変化する。
「いつ見ても魅琉鬼ちゃんの変化は綺麗ねぇ……」
感嘆の溜息を漏らし、彼女の変化を漫然と見つめる。魅琉鬼は少し照れた表情を浮かべ自室へと足を向けた。
◆◆◆
陽も暮れて、虫達が騒ぎだす頃、玄関から溌剌とした声で帰りを知らせる少年の声が響く。
魅琉鬼の両耳はピクリと動いて、はやる気持ちを抑えながら少年の元へ駆ける。
「ただいま。魅琉鬼」
鼻の下を指で擦り天真爛漫な笑みを浮かべるリクオ。身体中土で汚れ肘や膝には無数の切り傷があった。碌に傷口を手当てしていないのか滲んだ血が変色している。
「リクオ様!? そのお怪我は」
「あ、これ? サッカーやってたらいつの間にか……でも、これくらい舐めとけば――……」
言い終える前にリクオの手首を掴み、そのまま広間の襖を開け戸棚から救急箱を取り出して手当てを始める。
「多少染みますが、我慢なさってください」
「いっつ」
皮膚に染みる消毒液の痛みに顔が歪む。
「御顔を良く見せて下さい」
そういってリクオの両頬に手を添える
「!」
リクオの顔が上気する。両頬に伝わるひんやりと柔らかな感触。迫る唇。潤んで濡れた瞳。彼の喉が大きく鳴った。耳の中で反響する心音。
「あ、ああの! 後は自分で出来るから!」
「なりません」
「いいったら!」
瞳をぎゅっと閉じて叫ぶ。その拍子に魅琉鬼の肩を強く押しのけてしまったらしく、彼女は突き離され、尻餅を付いてしまう。
「……あ」
しまった。と思っても、もう遅い。魅琉鬼はリクオを見つめながら唖然とした様子で固まっている。
「あ、――ごめ」
「いえ、私の方こそ、少々出しゃばりすぎました。お薬は此処へ置いて置きますから、処置が終わったらそのままにしておいて頂いて構いません」
素早く立ち上がり背を向けて、障子の戸を閉めてしまった。
リクオは茫然と立ち尽くすしかなかった。
大広間になんとも形容しがたい気まずい沈黙が支配する。其処に居るのは、リクオと魅琉鬼だけ。会話もなく、只淡々と食事をするだけだった。
箸の先を咥えながら隣で正座をする魅琉鬼を横目で伺う。その表情は憂いに満ち、時々深い溜息を漏らす。どう考えても先程の出来事のせいだろう。
「(やっぱり、怒ってるのかな?)」
「? どうかなさいましたか」
魅琉鬼がリクオの視線に気付きふわりと微笑む。言葉に詰まったリクオは即座に顔を背けてしまう。
「な、何でもない」
言って直ぐに後悔する。
「(せっかく話掛けてくれたのに……)」
一度、暗い方向へ思考が傾くと底なし沼に浸かった様に抜けだせなくなる。あの時どうして彼女を突っぱねてしまったのか。
「お口に……合いませんか?」
突如、魅琉鬼の不安げな声が耳に届く。視線の先には、先程より遥かに辛そうな魅琉鬼の顔があった。
「え……」
「先程から、お箸が止まっている様でしたので……」
思わずはっとなる。確かに食事が進んでいない。皿には手つかずの海老フライが残っており、茶碗に盛られた飯は少しも減って居ない。
「ち、違うよ! すごく美味しいよ!」
そう言ってご飯を掻き込み、海老フライにがっつく。
魅琉鬼はその光景に目を丸くする。
「リ、リクオ様……そんなに慌てては喉に」
案の定、喉に詰まらせてしまうリクオ。魅琉鬼は慌てて台所へ走りコップに水を入れ走って戻る。
「リクオ様、これを」
「ぷっは……ありがとう魅琉鬼、助かったよ」
「いえ、それよりも大丈夫ですか」
「うん、もう平気だよ」
リクオが笑顔で応える。
ホッと胸を撫で下ろす魅琉鬼。
しかし、安堵するのも束の間再び気まづい空気が流れ、無言になる二人。
リクオはそのまま夕食を平らげる。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまです」
魅琉鬼は、空になった器をお盆に乗せて台所へ足を向けた時……。
「待って、魅琉鬼。僕が持ってくよ」
「え……で、ですが……」
「いいから、いいから、魅琉鬼はテレビでも見てなよ」
そう言って半ば強引に片付けに向かう。
「……」
魅琉鬼は台所へ向かうリクオの背に手を伸ばすが、触れる直前で思いとどまった。
また拒絶されたらどうしよう……そんな事が頭を過った。
◆◆◆
薄気味悪い梟の鳴き声が闇夜に響く。奴良屋敷の灯りは殆ど消えていて物静かであった。
とある一室の障子に淡い橙色の灯りが映る。中を覗くと良く整理された和室の姿見の前で長く紅い髪に櫛を通す魅琉鬼の姿があった。鏡に映るその表情は決して晴れやかでは無い。
「はぁ……」
憂いを帯びた表情が長襦袢と相まって彼女の艶気が一層に増す。
「結局、あれから一言も口を聞いて下さらなかったわ……」
魅琉鬼の視界に靄が掛る。目尻に指を這わせると、涙が伝う。
「いやだ……これくらいの事で」
つくづく涙もろいものだと呆れてしまう。みっとも無いと思っても感情を抑制する事が出来ず次々と涙が頬を伝う。
「きゅう……」
腰掛けに爪を立てながら音を立て鳴き声を上げる雪那。
「雪那……ごめんなさい。貴方にはみっともない所ばかり見せてしまって」
雪那は、素早く魅琉鬼の肩に飛び乗って頬に頭を擦り付ける。彼女なりに魅琉鬼を励まそうとしているのだろう。
「大丈夫よ。心配してくれてありがとう」
そう言って微笑む魅琉鬼。雪那が肩から飛び降りると彼女の身体を白い光が包み込む。やがてその光は人の姿へと容を変える。
「雪那……貴方何時の間に変化の術を?」
銀色にの長い髪には癖があり、紅い色が混じっている。頬には虎縞が浮かび上がって、髪と同じ色の瞳は銀色に輝き、瞳孔は細く紅い色をしている。
白い着物に身を包んだ少女は、愛らしい猫耳を上下に動かしながら、魅琉鬼の前で大きく手を広げ、魅琉鬼に抱きついた。
「凄いわね……上手よ。雪那、今度読み書きを教えてあげるわ」
優しく雪那の髪を撫でて、魅琉鬼は彼女の背に腕を回す。
「ふふ、ありがとう。貴方のお陰で少し元気が出たわ」
雪那は、嬉しそうに魅琉鬼の胸に顔を埋めた。
◆◆◆
昼。
陽が一番高く昇っている頃、屋敷の台所では魅琉鬼に若菜、毛倡妓が忙しなく動き回っていた。
「すいませーん、若の部屋に掃除に行ったらこれが」
暖簾を潜り顔を出したのは首無しであった。その手には給食袋が握られている。
「あの子ったら、忘れて言っちゃたのね。うーん、けど、困ったわ……今は手が離せないし……」
頬に手を当てて唸る若菜に魅琉鬼が声を掛ける。
「それでしたら、私が雪那に乗ってお届けします」
「あら、行ってくれるの? 魅琉鬼ちゃん」
「じゃ、お願いしちゃおうかしら」
「はい! 畏まりました」
返事とほぼ同時に、給食袋を受け取り自室へと走った。
「……」
「……」
「……」
三人は顔を突き合わせ一言。
「わかりやすい」
「わかりやすいわねぇ」
「わかりやすいな」
◆◆◆◆◆◆
魅琉鬼の自室。姿見の前で身だしなみを整えて『訪問着』に袖を通し人間へと変化して、最後に髪を結い、リクオから贈られた簪を挿す。
障子を開くと、陽の光が容赦なく照りつける。魅琉鬼は手で其れを遮って刹那の名を呼ぶ。縁側の下から姿を現すと、雪那の身体に突風が纏わり付き巨大な化け猫へと変貌する。
彼女が飛び立つと強烈な豪風が吹き荒れ、屋敷を揺らす。
小妖怪達が慌てふためく中、自室で湯呑みを傾けるぬらりひょんは、しみじみと言った。
「愛されてるのぉ。リクオの奴、はっは。ぬ、狒々、その手――……」
「待ったなしですぞ。総大将」
「ぬぅ」
◆◆◆
教室に授業の終わりを告げるチャイムが響き渡る。教壇に立つ教師は号令の合図を学級委員に促した。教師がいなくなると生徒同士が机を突き合わせ、給食袋から箸やコップ布巾を取り出して給食の準備に取り掛かる。
当然、リクオは困った顔でランドセルの中身を漁っていた。其れを見た一人の少女が腰を折って声を掛ける。茶色い短めの髪に大きな瞳。可愛らしい顔立ちは如何にも男子に受けが良さそうである。私服の着こなしも他の女子とは一線を画している。
「カナちゃん」
彼女の名は家長カナ。俗に言うリクオの幼馴染である。
「それが、給食袋を忘れちゃったみたいで」
「え、それじゃ給食食べれないじゃない! 待ってて、先生に言って割り箸貰ってきてあげる」
「え? いいよ。自分で行ってくるから」
そう言って立ち上がった時、担任の女教師が教室のドアを開けてリクオを呼ぶ。
「奴良くーん! お客さんが来てるわよー」
お客? と首を傾げたリクオは次の瞬間息を飲む。
「み、魅琉鬼??」
そう、教室に入って来た少女は魅琉鬼だった。紅い髪が黒く染まり金色の瞳が漆黒へと変わってはいたが、リクオはその少女が魅琉鬼であると直ぐに分かった。先程の喧騒が嘘の様に教室は静まり返っていた。着物という普段見慣れぬ服装で目立っている事を差し引いても、クラスメイトは全員彼女に釘付けとなった。
「リクオ様、"これ"をお忘れになっていましたので、お届けに参りました」
「あ、うん……ありがとう」
呆然としたまま給食袋を受け取る。
「リクオ様?」
惚けているリクオに声を掛けても反応は鈍い。
リクオの隣に立っていたカナが肩を揺らす。
「リクオ君! リクオ君!」
「へ?」
我に返ると、頓狂な声が漏れる。カナは怪訝そうな顔をしながらリクオに耳打ちする。
「誰? この娘」
「あ、えっと、この娘は……」
魅琉鬼はすぅっと瞳を細めカナを見る。蛇に睨まれた蛙の様に一瞬肩をビクリとさせて息を飲む。
魅琉鬼は恭しく頭を下げてこう名乗った。
「いつもリクオ様がお世話になって居ります。私(わたくし)、椿と申します。リクオ様のお屋敷でご厄介になっている"許嫁"です」
許嫁の部分を強調し、袖で口元を隠しくすりと微笑んだ。
「リクオ様から毎日の様にお話は伺っておりますわ……大変、"仲良く"されているそうで……私からもお礼申し上げます」
言葉の裏に隠された敵意を読み取ったカナは、負けじと返した。
「そうね、"何時も一緒に"帰るくらいは仲がいいわ」
二人の間を激しい火花が飛び交った。
「ふふふ」
「あはは」
男子達は背筋に冷たい物を感じ、女子達は拳を握りしめて熱い視線を送り見守っていた。
間に挟まれたリクオはどうする事も出来ず只時間が過ぎるのを待った。
「若ー!!! 一緒に給食――……って、何でアンタが此処にいるのよぉぉ」
氷麗の叫びが学校中に響き渡るのであった。
◆◆◆
「それにしても、驚いたな―。いきなり来るんだもん」
夕日を背にリクオと魅琉鬼がゆっくりと歩く。烏の鳴き声が良く響いていた。
「申し訳ありません」
「ううん、いいよ。それよりごめんね。バスじゃなくて」
浮世絵小学校から屋敷まではかなりの距離があり、普段であれば通学バスを利用するのだが、今日は歩きで帰ろうと魅琉鬼を誘ったのだ。
「いえ、私も貴方様と同じですから」
そう言って微笑む魅琉鬼の顔が紅いのは夕日のせいではないだろう。 リクオも何処か照れた様子で笑っていた。
「それにしても、参っちゃうよ。皆して僕をマークしてさぁ」
昼休みにサッカーに参加したリクオは男子生徒から執拗にマークされ、そこら中に擦り傷を負うっていた。
「素敵でございましたよ」
「そ、そう? そう言ってくれると僕もムキになったかいがあるよ」
「ええ、とっても」
少しの沈黙の後リクオが口を開く。
「昨日はごめんね……」
「え」
突然の謝罪に目を丸くする魅琉鬼。
「せっかく手当てしてくれようとしてたのに……」
「御気になさらずとも良いのですよ」
魅琉鬼の言葉に、リクオは首を振った。
「ううん、あれは僕が悪いんだ。あんなことするつもりじゃなくて、ただ恥ずかしくて其れに……」
言い終える前に顔を紅くて俯いてしまう。
「ちゅーしちゃいそうだったし」
再び目を丸くした後、瞳を細め幸せそうに微笑むとリクオの頬に柔らかな感触が伝わる。口を鯉のようにぱく付かせ唖然としていると魅琉鬼はもう一度優しく微笑んだ。
夕日が写す二つの影は、ぴったりと隙間なく寄り添ったのであった。