恋する赤鬼   作:鯉庵

12 / 23
覚醒

 分厚い雲の隙間から月が顔を覗かせる。

 僅かな隙間から白光が照らすのは、腐り果てた小屋であった。

 一陣の風は巨木の枝を揺らすと共に、雲を彼方へと吹き飛ばす。

 満月の妖しい光に照らされて、ボロ小屋がそのみすぼらしい全容を曝け出す。

 雨水を吸って腐った床が、今にも軋みを上げて崩れ去ってしまうかもしれない。

 不思議な事に、ぽつんと蝋燭の火が灯っている。

 淡く、弱々しい灯りが照らすのは、異形、人ならざるものであった。

爬虫類を思わせる緑色の肌。

 口は大きく裂けて、長く黄ばんだ牙を覗かせる。

 漏れる吐息は、異臭を放って、紫色の長い舌べらから、唾液が滴る

「しのぎはどうなっている?」

 不意に、異形の男が低い声で言う。

『はい』

 声と共に、黒い外套に身を包んだ何者かが、姿を見せた。

『我ら“ガゴゼ会”が最も多く、畏れを集めましてございます』

「そうか」

 満足げにほくそ笑む異形の男。

 次々に姿を見せる異形共、彼らはそう、奴良組系「ガゴゼ会」の構成員達。

 蝋燭を囲みながら、下卑た笑い声が響く。

『三代目は、ガゴゼ様で決まりですな』

「おい、おい、気が早いじゃないか」

 盃を傾けながらいうガゴゼ顔は、言葉とは裏腹であった。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 仏間に鈴の音が鳴り響く。

 線香の煙が立ち上り、やがて溶けるように消えてゆく。

 正座して、両手を合わせるのは奴良良組総大将ぬらりひょんであった。

「御爺様、魅琉鬼でございます」

 障子の向こうから声が届く。

 鈴の鳴った様な美しい声だ。

「入れ」

 短く応えると、戸が開き、魅琉鬼がぬらりひょんと対面する様に正座した。

 お盆を間に置き、湯気の立った湯呑みにぬらりひょんが、手を伸ばす。

「お熱いので、お気を付け下さい」

 忠告するのが遅いか、彼が手を出すのが早かったのか、「あちっ」と言って手を引っ込めた。

「ふふ」

 可笑しそうに袖元で口を隠し微笑んだ。

恥ずかしかったのか、ぬらりひょんは煙管を袖から取り出して火を灯す。

「ふう、リクオの奴は学校かい」

「はい、つい先程、お出になられました」

「フン、そうかい」

 面白くないと言わんばかりに鼻を鳴らす。

 カッっと大きな音を立たせて灰を落とす。

 鹿脅しの音が無言の室内にまで届いた。

「今日、幹部連との会合で跡目について奴らに話すつもりだ」

 魅琉鬼の貌が一転、真剣な眼差しでぬらりひょんを見つめる。

「お前さんも知っての通り、あ奴は四分の一しか儂の血を継いでおらん。中にはリクオに跡目を継がせることを、よく思わん連中も出て来るじゃろう」

 魅琉鬼の眉が微かに動いた。

「リクオを殺そうとする輩もおるやもしれん」

 その言葉で、完全に部屋の空気が凍った。いや、この部屋だけでは無い。

 枝垂れ桜の枝が揺らめき、烏達は一斉に枝から飛び立つ。

力弱き妖怪は蹲り、身を寄せて震え、ある者は武者ぶるいを起こし、殺気立つ。

 ぬらりひょんは、肘掛けに持たれながらほくそ笑んだ。

頬には一滴の汗が伝う。

「落ち付け、仮定の話じゃ」

「あら、私は冷静でしてよ? 御爺様」

 冷たく嗤う彼女の貌は何処までも妖しく、艶やかで怖気が身体中を駆け回る程に美しい。

 

【挿絵表示】

 

「そんな貌、久しく見て居なかったな……初めてお前さんと会って以来じゃ」

「ふふ、あの時はとんだ御無礼を働いてしまいましたわ……」

「ぬはは、良い良い」

 

 用事を済ませ、庭で洗濯物を干す魅琉鬼の姿があった。

 真っ白な布団が風に揺れる。

 陽も高く、天日干しにはもってこいの陽気だった。

 愛おしそうにリクオのTシャツを干しながら、額に滲んだ汗を拭う。まだ四月に差しかかったばかりだというのに、今日の気温は例年よりも高い。

 これが地球温暖化の影響なのだろうか。

 

「椿の鬼姫ともあろう者が呑気なものだ……」

 背後から聞こえる声に眉を顰めて、振り返った。

 仔猫姿の雪那が銀色の毛を逆立てて、威嚇するが、声の主には無意味だった。

 視線の先には、全身を黒い外套で包んだ妖怪だった。

 耳元まで裂けた口から悪臭を放ち、蛇の様な瞳が彼女を不快にさせる。

「あら、私に何か御用ですか?」

 努めて、冷静に応じる魅琉鬼。

「ふん、用という程の事もない。ただ、一つ忠告をな」

 目元を細めながら、下卑た貌をして言った。

「若にご執心なのは結構だが、盲目になり過ぎて、足元を掬われぬ様にな……気付いた時には大切な物を失っているかもしれぬぞ」

 急にガゴゼの背筋に悪寒が走る。

 目の前に立っていた筈の魅琉鬼の姿がない。

“消えた”と表現すべきか。

 左右を見渡しても、何処にも居ない。

「私も、貴方にご忠告致しましょう……」

耳元から聞こえる囁きは、酷く妖艶だった。

同時に、戦慄する。

 腰に押し付けられた小刀の柄。

 鞘から覗く白銀の刃が、陽の光を反射させて輝く。

「リクオ様以外の殿方に、声を掛けられるのは酷く不快なのです……特に、箸にも棒にも掛らない矮小な男を目にすると、堪らなく切り捨てたくなってしまいますの……次からは私の視界に入らぬ様、お気を付け下さいまし……」

 張り詰めた空気が氷解してゆく。

 紅い髪を風に靡かせながら、再び洗濯物を干す魅琉鬼。

「……ちっ」

 舌打ちには、どこか安堵の色が混じる。

 ガゴゼは垣間見たのだ。

 妖怪世界で名を馳せた鬼の貌を……美しき赤鬼の真の姿を……。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 陽も沈んで、夕餉の時間。

 広間では、何時もの様にわんやわんやの騒がしい食卓であった。

 ただ、少し違うのはリクオの顔が優れない事だった。

「どうか、なさいましたか?」

 心配そうに見つめる魅琉鬼を余所にリクオは生返事を繰り返す。

 可笑しい。

 どう考えても、可笑しかった。

 いつもの彼ならもっと元気よく、豪快に作り手が喜ぶ顔をして食べるというのに、今日は枯れた花の様にしおらしいのだ。

 料理が口に合わなかったのかとも思ったが、そうでもない。

 一体、彼の身に何があったというのだろう。

 魅琉鬼は一抹の不安を抱えながら台所へ向かった。

 

 和紙から漏れる淡い光が、魅琉鬼の白い肢体を照らした。

 姿見の前に腰かけ、髪に櫛を通す。

 上から下へ滑る様に櫛が落ちた。

 薄桃色の長襦袢に、袖を通したその姿は、童とは思えぬ程に艶めかしい。

「リクオ様……何かお辛い事でもあったのかしら」

 そう呟いた彼女の顔もまた憂いを帯びている。

「魅琉鬼……」

 聞こえて来た声に彼女は息を飲んだ。

 心臓が鐘の音の様に身体中に響き渡る。

「は、はい……」

 慌てて返事をして、しまったと思い直す。

 視線を落とせば、其処には乱れた襟元から小さな膨らみが覗いていた。

「しょ、少々お待ち頂けますか?」

「うん……」

 何とか自分のはしたない格好を見られずに済んだ。

 急いで、部屋着用の着物に袖を通し、五月蠅い心音を静める。

「どうぞ……」

 一拍遅れ、障子の戸が開く。

 魅琉鬼の前に正座したリクオは膝の上で拳を握った。

 手の甲に落ちた滴を目にして、魅琉鬼が目を丸くする。

「……妖怪って悪い奴等しかいないのかな?」

 絞り出すように出た声は震えている。

「……え」

「今日、皆に妖怪の事……話したんだ……そしたら、皆して僕を笑って」

 声から悔しさが滲む。

 霞んだ視界のまま、魅琉鬼を見上げた顔は真っ赤になっていて、鼻水や涙が滝の様に流れている。

「さっきも、爺ちゃん達が怖い顔して人間共をおどかせ、悪の道を進めって……」

 堪らなく、込み上げる衝動は抑えが利かず、力一杯リクオを抱き寄せる魅琉鬼。

 驚いた顔が直ぐに崩れて泣きながら語った。

 男である事も忘れて、ただ、縋る様に。

「僕は、爺ちゃんみたいに皆が尊敬する格好いい大将になりたかったんだ……」

「はい……」

 リクオの髪を撫でながら魅琉鬼が相槌を打つ。

「僕は……妖怪の大将になんてないたくない」

「……はい」

 抱きしめる手に力が篭る。

「僕は……いい人間になりたいよ」

「貴方様なら、きっと……そうなれます」

 リクオの潤んだ瞳を真っすぐ見つめ、微笑む。

 冷たい掌が、リクオの頬を包んだ。

「私が御手伝いいたします」

「……魅琉鬼は、僕が総大将じゃなくても結婚してくれる?」

 リクオの問いに晴れやかな笑顔で。

「勿論、どんな貴方様でも私は一緒になりたいです」

 リクオは、安堵の溜息を漏らして彼女の胸に顔を埋める。

 寝息が魅琉鬼の胸を擽った。

 リクオの髪を撫でながら、寝顔を盗み見て微笑む。

「可愛い人……」

 呟きが彼の耳に届く事はなかった。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 リクオを布団へ寝かしつけて部屋を出る。

 壁に凭れかかったぬらりひょんが紫煙を燻らせながら言った。

「あまり甘やかさんでくれ……」

「ふふ、御爺様には敵いませえんわ」

 目を丸くして、嗤う。

「予定はちと狂ったが、まぁ、ええ……支度が済んだら広間に来なさい」

「畏まりました」

 恭しく腰を折って、ぬらりひょんに頭を下げる。

 ぬらりひょんが肩に掛けた羽織を夜風に靡かせながら、闇の中へと溶けていった。

 どよめきたった室内も、ぬらりひょんが姿を現すと同時に、糸が張った様な緊張感が漂い場を支配する。

 これが大侠客としての威厳か。

 孫に見せる飄々とした雰囲気は見る影もない。

「騒がせてすまんかったのう……まぁ、あ奴にはおいおい立ち場を理解させる」

 沈黙を切ったのは、奴良組相談役木魚達磨である。

「おいおい、とはまた随分と呑気でいらっしゃいますねぇ。総大将。失礼ながら苦言を呈させて頂けるのであれば、若はちと、人間側に偏り過ぎではありませんかな?」

 それを皮切りに、野次が飛ぶ。

 カッっと煙管を叩きつけて、灰を落とす。

 肩を竦ませた妖怪達が、一斉に押し黙る。

 広がった波紋は、溶けて再び静けさを取り戻した。

「あまり、リクオを舐めるなよ? 木魚達磨……儂の血が流れておるのじゃぞ?」

「……!」

 老いても尚、彼の風格、威厳は衰えない。

 歯を見せて邪悪に嗤う、その貌は、若かりし日のままだ。

「ふはは、妖怪がびびっちゃいかんぜ? まぁ、ええわい……今日集まってもらったのはリクオの事だけでは、ないのじゃ……出てきなさい」

 ぱん、ぱんと手を叩く。

「――……はい」

 声。

 何処からともなく聞こえる声は、濁りなく美しかった。

 天から舞い降りた少女に一往にして息を呑む。

 宙を舞う紅い髪は、すべるように落ちて甘い香りを漂わせた。

 赤と黒の振袖は、少女の象徴たる椿の花が咲き誇る。

 皆のあっけに取られた顔に満足したのか、口の端を吊り上げて笑った。

「皆も既に知っておるとは思うが、紹介しておこう……リクオの許婚として本家で預かる事にした。名を“魅琉鬼”という」

 少女は恭しく頭を下げた後、にっこりと微笑んで名乗った。

「只今ご紹介に預かりました。手前、魅琉鬼と申します。この度、奴良組三代目候補、奴良リクオ様と婚約を結ばせて頂きました。何かと不出来な女ですが、奴良組の名に恥じぬよう、粉骨砕身努力致して参ります故、どうぞ、お見知りおきの程を……」 

 沈黙を破ったのは、木魚達磨だった。

 禿頭に滲む汗が灯りに照らされて輝く。

 腕を振り乱しながら、荒々しく言い放った。

「お戯れも程々にして頂きたい! 若に続いて今度は“椿の鬼姫”ですと!? 総大将は奴良組を潰されるおつもりか」

 捲くし立てる木魚達磨に、魅琉鬼の侮蔑の視線が突き刺さる。

 まるで蛇に睨まれた蛙の如く、固まってしまう。

 彼女の黄金が、すぅっと細くなる。

「何を……そんなに怯えておいでなのです?」

「!」

 ぬらりひょんが手にした扇子を開き、仰ぎながら言った。

「そう苛めてやるな、魅琉鬼よ」

「ふふ、申し訳ありません」

 金縛りから解き放たれたかのように、全身から力が抜けて膝を付く。

食いしばった歯が軋んだ。

「魑魅魍魎の主になるんじゃ……これくらいの女の手綱を握れにゃ、話にならん」

 ほくそ笑む貌は、生きる伝説。

 妖怪、ぬらりひょんの真の姿が其処にあった。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 奴良リクオは混乱していた。

 自分の置かれている状況に。

 目を覚ましたばかりで頭が働かないというのも、ある。

 幻ではないかと、何度も目を擦った。

 けれど、目の前にある現実が変わるはずもなく……。

「……んっ」

 漏れた声に肩を竦ませる。

 赤い髪が、さらりと口元に。

 閉じた瞼には、髪と同じ色をした睫。

 規則正しい寝息は、リクオの心を掻き乱す。

「なんで、魅琉鬼が僕と一緒に?」

 その問いに答える者が居るはずもない。

『男女、七歳にして同衾せず』

 その言葉の通り、リクオは魅琉鬼を異性として意識し始めている。

 幾ばくか、発育が良いらしく、女の象徴たる膨らみが既に目立ち始めていた。

 喉の渇きを感じながら、剥き出しになった肢体を凝視する。

「そんなに見つめられては、照れてしまいますわ」

「うひゃい」

 文字通り、跳んだ。

 余りの事に、心臓どころか、身体ごと跳び上がった。

「お、お、起きてたの!?」

 茹であがった蛸の様に顔を赤らめ、手で覆う。

 彼女も存外、人が悪い。

 いや、この場合妖しが悪いだろうか。

 慌てふためくリクオをクスクスと笑う。

「あの、あの、あの」

 要領を得ないリクオの唇に魅琉鬼のひんやりとした人差し指が優しく押し当てられる。

「あまり大声を出されては、皆が起きてしまいます」

 そういえば、まだ起床するには早い時間帯だ。

外を見ればまだ、山の間から陽が顔を出したばかりであるし、何より妖怪達が騒いで居ない。

「何で魅琉鬼が僕の隣で寝てるの?」

 魅琉鬼の顔に陰が落ちる。

 明らかに悲しそうな顔をしてリクオを見つめる。

「覚えて……いらっしゃいませんか? 昨日あれだけ求めて下さったのに」

「……魅琉鬼、僕をからかってるでしょ」

 リクオはジト眼で魅琉鬼を問いただす。

 彼女の悪ふざけは性質が悪いのだ。

「申し訳ございません」

 潮らしくなり、耳が垂れ下がる。

「けれど、あの後そのまま寝てしまったのはリクオ様ですよ?」

「……言わないで、今思い出したから……」

 頭を抱えて赤面する。

 蘇るのは、昨晩の出来事。

「お気になさずとも良いのですよ」

「……うがぁぁぁ! 恥ずかしい」

 リクオの叫びが屋敷中に轟いた。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 皿の割れる甲高い音が響く。

 顔面蒼白の魅琉鬼がテレビの前で膝を付き、崩れ落ちた。

 液晶から流れるのは、リクオが通う小学校の通学バスが、トンネルを 走行中に土砂崩れに巻き込まれたという内容だった。

 アナウンサーの淡々とした声が、耳鳴りの様に流れ込む。

 視界には、何も映らず、絶望が彼女を塗り潰した。

「若が、若が御戻りに!」

 氷麗の声に長い耳が上下した。

 生きてる! 彼女は泣き濡れた顔を空に向けた。

 其処には、不貞腐れた表情で烏天狗に宙吊りにされたリクオの姿が。

 地面に降り立ったと同時に、衝動のまま彼にしがみ付いて泣きじゃくる魅琉鬼。

「良かった! 御無事で! 本当に! 本当に!」

 我を忘れて、涙を流す彼女に困惑しながらも、背中に腕を回し、髪を撫でてやる。

「御顔を良く見せて下さい……」

 リクオの両頬を魅琉鬼の掌が包み込む。

 濡れた金色の瞳は、夕日に負けぬ程に美しく輝いていた。

「うぉっほん!」

 氷麗の咳払いが、二人を現実世界へと押し戻した。

 周りから突き刺さる生暖かい視線に、顔を赤らめた。

「お前、悪運強いやっちゃのう」

 煙管を吹かすぬらりひょんが、あっけらかんと言う。

「どういう事?」

 頭の上に幾つも疑問符を浮かべながら、ぬらりひょんの指さす方向へ視線を動かすと……。

「な、なんだよ! これ! どういう事だよ」

 リクオの動揺も無理はない。

 見知ったトンネルの凄惨なあり様を目の当たりにしたのだから。

「助けに行かなきゃ」

 羽織を手にし、縁側から飛び降りる。

 青田坊、黒田坊は久々の出入りに口角を上げてほくそ笑んだ。

「待たれい!」

 背中に叩きつけられた覇気と制止の言葉。

 視線の先には木魚達磨が立っていた。

「人間を助け出すだと! ふざけるな! 我らは妖怪任侠集団奴良組なのだぞ!」

 青田坊が口を挟もうとしたその時、辺りの空気が凍てつく。

 それは、恐怖という名の魔物。

 紅い鬼の逆鱗に触れた証。

「黙りなさい……」

 胸に突き刺さる刃。

 恐る恐る視線を動かす。

 血濡れた鋒は、確かに自分の胸を貫いていた。

「な、何を……」

 金色の瞳は爛々と輝き、口元が大きく歪む。

 冷徹で、残忍な鬼の姿が其処にあった。

「魅琉鬼!」

 強い制止の声に目を剥く魅琉鬼。

 木魚達磨が、自分の胸に手を這わせる。

 可笑しい。

 確かに、この胸を貫かれた筈なのに、血の一滴すら流れて居なかった。

「よぉ、木魚達磨……テメェの御託なんざ、どうでもいいんだよ……“今”の俺じゃ不満かい?」

 黄昏時は過ぎ、赤い陽が沈む。

 風が枝垂れ桜の枝を叩く。

 ぬらりひょんは口を歪めて、ほくそ笑んだ。

「ジジイ、アンタが背負ってる代紋。貰ってやるぜ? 年寄りには荷が重いだろう?」

「ふはは、言うじゃねえか、鼻たれ」

 紫煙を燻らせるぬらりひょんは、孫の背中をただ見つめる。

 自信に満ちた声と、白髪の長い髪。

 真紅の瞳は、闇夜の中で妖しく輝く。

 烏天狗は涙を流し、青や黒は戦慄する。

 首無しは亡き先代の面影をその背中に見た。

「魅琉鬼、支度しな。俺の晴れ姿、一番近くで見せてやるよ」

 愛刀、祢々切丸を肩に担ぎ不敵な笑みを浮かべる。

 その姿は人、妖怪共に畏怖されて来た闇の主に相違なかった。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 其処は、阿鼻叫喚の嵐だった。

 赤色回転灯が闇の中で一際輝く。

「行かせてぇ! まだあの子がぁ……!」

 絶叫しながら警官に押さえつけられる母親に携帯電話を片手に怒鳴るサラリーマン。

 積み上がった瓦礫のせいで、中の様子を伺う事は出来なかった。

「ママ―。あれ、なあに?」

 母親の服の裾を引っ張っる子供。

 その指差す先には、赤い小鬼がいた。

 気が触れて幻覚を目にしているに違いない。

 涙を拭い、もう一度見る。

 やはり消えなかった。

「きゅう……」

 そのまま、か細い声を上げて倒れ込んだ。

 薄暗い闇の中で、子供たちは泣いていた。

成す術も無く、足を擦りむいた子供が絹を裂いたように泣きわめく。

 其れを皮切りに、決壊したダムの様に感情を溢れさせ思うままに泣く。

 そんな中、一人の少女が気丈にも仲間達を励まして居た。

家長カナである。

 蹲る子達一人一人に声を掛けていった。

「大丈夫! きっと助けが来るよ」

 確証など無い。

 希望的観測だった。

 けれど、目の前の現実は余りにも残酷だった。

「おい、何だよ……あれ……」

 少年の声が震える。

 全身を痙攣させながら、暗闇を指す。

 その先には無数の紅い瞳が蠢いていた。

 やがて、独りでに炎が灯る。

 辺りの気温が急激に下がるのを感じ取った。

 白煙が立ち込める。

 蒼い炎が照らし出すのは、異形の者共。

 黄ばんだ牙を覗かせて、その間に銀の糸が伸びる。

 滴り降りた其れは、鉄筋コンクリートを溶した。

「ぬはは……これだけの子供を喰えば、更なる畏れを手に出来る」

 喰う。

 確かに異形はそう言った。

 カナの背筋を怖気が駆けまわる。

「きゃぁぁぁぁぁ!」

 悲鳴が反響する。

 

 突如起こる縦揺れ。

 轟音と共に、瓦礫の山が吹き飛んだ。

 現れたのは、魑魅魍魎の群れ。

 月を背に白髪が怪しく光る。

「何やってんだ? ガゴゼよぉ」

 巨大百足の頭に胡座を掻き、魅琉鬼を胸に抱いて、ガゴゼを見下ろす。

「リクオ……――貴様、リクオか!」

 地面に降り立ったリクオは睨みを利かせて言い放った。

「随分と狡い真似してんじゃねぇか」

「何を……俺はただ畏れを集めているだけのこと」

 嘲笑うガゴゼに舌打ちして、歩を進める。

「情けねえな……子供をビビらせて悦に浸るなんざ、底がしれる」

 ガゴゼの自尊心は、酷く傷ついた。

 成り立ての、しかも四分の一しか妖怪の血が流れていない餓鬼に。

「ええい! ぶち殺してくれる!」

 咆哮と共にガゴゼの配下が扇状に散らばった。

 爪、斧、鎌、刀、牙、明確な敵意と殺意。

 人間を遥かに超越した速さでリクオに襲いかかる。

 唐突に視界を塞ぐ赤。

 次に目にしたのは、己の血潮。

『ぎゃぁぁぁ!』

 鋭く長い爪を持った腕が宙を舞う。

 重力に逆らわず落ちた其れは、赤黒い血を辺にまき散らした。

『仕込……刀……』

 血塗れた鋒から滴る紅い液体。

 黄金の瞳が、異形を睨む。

「三下が、リクオ様に牙を剥く? あっはは! お笑い種ね……その不敬、死を持って償いなさい」

『調子に乗るなぁぁ』

 腕を失った怪しがその牙を喉元へ突き刺さんと突進。

 魅琉鬼の貌は、冷徹で不敵なままだった。

 天高く、番傘を放り投げ、逆手に握った仕込み刀を振り上げた。

 一閃の後、真二つに裂けた肉塊は、けたたましい音を鳴らして崩れさる。

「不味い血ね……ちっとも満たされないわ」

 敵はおろか味方さえ怖気ずく艶笑を浮かべながら、刀身に舌を這わせる。

 背後から襲いかかる鋭い爪。

 振り返ることなく傘の先で眼球を抉った。

 鮮血が広がった傘に固着する。

  そのまま弧を描くように回転して首を跳ねた。

 刀を勢いよく振って血を払う。

 嫌な音が暗闇に響いた。

「俺たちも鬼姫に続くぞ!」

 青田坊の咆哮が、静寂を破った。

 岩をも砕く拳は、それだけで凶器だ。

 遠慮なく放たれた一撃は、敵の顔面を捉えめり込んで、向こう側に壁に激突した。

 砕けた肉片が拡散。

 それは最早一方的な蹂躙だった。

 奴良組本家の妖怪達はいわずと知れた武闘派が多い。

 結果は火を見るより明らかだ。

 瞬く間に戦力を失ったガゴゼ勢は、戦意を失い蹲る。

 羽織を肩で靡かせ、闇の中を闊歩するリクオ。

「テメェの“器”じゃ、爺の大紋は背負えねえ……今日から俺が、魑魅魍魎の主になる」

 引き抜かれた祢々切丸から繰り出される鋭い一閃。

 一拍遅れて、ガゴゼの躯が“ずれた”。

 断末魔が漆黒に溶ける。

 地を叩く雨は、どこまでも黝(かぐろ)い。

 煌びやかな白髪が、風に靡いた。

 刀身に和紙を滑らせて放る。

 愛刀の峰で肩を叩いた。

 

「惚れ直したかよ? 魅琉鬼」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。