恋する赤鬼   作:鯉庵

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猫の憂い

 踵の音が、暗闇の中を反響する。

 部屋というよりは“空間”と言うべきだろうか。

 白銀の髪をした少年が、赤い髪をした女を抱きかかえながら歩みを進めていた。

 やがて、踵の音が鳴り止んだ。

 少年は、八重歯を覗かせてほくそ笑んだかと思うと、巨大な円陣が刻まれている地面に赤い髪をした女を、そっと仰向けに寝かせた。

「これでよし――……イテッ」

 少年の薄ら笑みが消えて、眉間に皺が寄る。

 鋭利な針で刺されたかの様な痛みが、奥の方からじわりと滲んだ。

 視線を下げると、美しい毛並みの虎縞模様が浮かんだ仔猫が少年の足首に噛みついているではないか。

 足袋の上から遠慮なく鋭い牙が刺さって血が滲んでいた。

「ふーん、僕に噛みつけるなんて、流石鬼姫ちゃんの愛玩動物(ペット)だね」

 少年はまるで毬を蹴るかのように軽く足を振った。

「中々やるね。君」

 仔猫はまるで離れる気配がない。

 先程とは比べ物にならない程に足を大きく振りかぶって、柱目掛けて虚空を蹴った。

 鈍い風音と共に仔猫は飛んで行ってしまう。

 柱に激突する前に体制を立て直した。

 爪が床にに突き刺さり甲高い音を鳴らした。

 仔猫は低く唸りを上げると、少年に飛び掛る。

 旋風がその小さな身体を包み込んだかと思えば、愛らしかった仔猫が 巨大な化けに猫へと変貌していた。

 少年の瞳が細く絞られて口角が釣り上がる。

 腰に差した刀を抜いて、鋭利で巨大な牙を受け止めると、耳を塞ぎたくなるようなけたたましい音が響いた。

「キシ、上々、上々。まさか僕の刀に触れて無事で居られるなんて、大したものだよ? 雪那ちゃん――……けど」

 そう言って、雪那の下顎を爪先で蹴り上げた。

 巨大な身体が天高くに舞い上がる。

 しかし、雪那は宙返りをして地面に降り立った。

「わーお、君、本当に畜生道の鬼なの? 結構強めに蹴ったから、首が飛ぶかと思ったのになぁ……」

 雪那の紅く、鋭い瞳孔の中に口を歪めて哂う鬼の姿が映り込む。

 警戒の色は踵の音が響く度に、濃くなってゆく。

 銀色の切っ先が雪那の鼻先に突き立てられた。

「義兄からは君の処分、命令されてないんだよなぁ……」

 そう言いながら、己の肩を峰で叩いている。

「そうだ……!」

 熟考の末、彼が出した答えは、雪那の予想に大きく反するものであった。

「君って、鬼姫ちゃんと思考を共有できるんだよね? ……なら、君に中に鬼姫ちゃんの記憶を移植してあげるよ」

 文字通り、眼を丸くする雪那に少年は楽しげに語り始めた。

「この娘は只の“鬼”に成り下がっちゃうけど、本当はそんな陳腐な存在じゃないんだ」

 少年は自らの両腕で肩を抱き身を捩りながら続ける。

「君のご主人様はね? 僕と肩を並べる存在なんだよ……信じられるかい? “闘神阿修羅”と同じぐらいイカレてて、同じぐらい残忍で、最悪で、最凶で、どうしようもない存在なんだよ……」

 少年の狂気に満ち溢れた黝(かぐろ)い嗤い声が響き渡った。

“恐怖”という重圧が雪那に重くのしかかる。

 肢体の自由は失われ、思考が塗り潰される感覚。

 目の前に居る青い鬼は一頻り嗤った後、彼女の眼前に手を翳した。

「鬼姫ちゃんが、力を求めた時、“記憶(かぎ)”である君が“地獄(ここ)”へ導いてあげるんだ。三悪趣の鬼を喰い尽くして、もう一度、僕と“夜叉”として闘えるように……ね」

 突如、雪那を青い炎が包み込んだ。

「怯えなくて大丈夫だよ……燃やしたりなんかしないさ、期待してるからね」

 灼熱の炎の中で、雪那は魅琉鬼を見つめた。

 霞む意識の中で、パンっと渇いた音が響く。

 轟音と激しい縦揺れが加速する。

 円陣に梵字が浮かび上がった。

 赤みを帯びた白光が、雪那達を包み込む。

 まるで子守唄の様に、透き通った声で唱えられる経が耳に酷く残った。

 

 

 紅い門が重々しく軋みを上げて、視界一杯に白い光が広がった。

「ご命令通り、“椿の鬼姫”の記憶の消去と、地上界への追放は済ませて来たよ」

“閻魔”の文字を背にした玉座に腰を据える黒髪赤眼の男が、紫煙を燻らせている。

 独特の香りを霧散させながら、酷く面倒くさそうにいった。

「御苦労さん……」

「えー……労いの言葉がそれだけなのぉ? 冷たいんじゃな―い? 零義兄さん」

 少年は猫なで声で男にすり寄った。

“苦虫を潰した様な顔”とは正にこの顔の事だろう。

 零と呼ばれた黒髪の男はこめかみに青筋を浮かばせて言う。

「黙れ、弩阿呆。テメェがしくじらなきゃ、俺はこの散らばった書類を整理せずに済んだんだ」

 少年は、頭の後ろで両手を組んで嗤った。

 無駄に輝く、八重歯は零の神経を逆撫でする。

「餓鬼にやらせてるだけじゃないかー」

 眉間の皺が深まった。

 血管の色、形がはっきりと分かる程に浮かび上がる。

 確かに半壊した部屋の修復やら散らばった書類などを掻き集めようと、赤い小鬼が忙しなく動き回っていた。

「そういう問題じゃねぇよ。タコ……俺の仕事を増やしたのが問題なんだ」

「頑張れ! 一生懸命働く義兄さんって素敵だよ」

「殺すぞ、テメェ……」

 親指を立てて、歯を見せて嗤う少年を睨んで言い放った。

「義兄さんのそういう表情(かお)って僕、大好き」

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 縁側の下で、身体を丸めながら眠っていた雪那の耳がピクリと動いた。

 ゆっくりと瞼が開いた。

 空はすっかり茜色に染まって、烏の物悲しい鳴き声が夕日に溶け込む。

 のそのそとした足取りで縁の下から顔を出して、大きく身体を反らし、首を振った。

 縁側に易々と飛び乗って、障子の前で尻を付けた。

 毛並みのいい二又の尻尾をゆらゆらと遊ばせながら、主人が姿を見せるのをじっと待つ。

『もう、そんなに動いては駄目ですよ?』

 片方の耳が小さく動いた。

 彼女の主人、魅琉鬼の声である。

『だ、だって息が掛ってくすぐったいんだよ』

『我慢して下さい……あれほど溜めこんでは駄目だと申し上げましたのに』

『恥ずかしいじゃないか!』

 もう一人の声の主はリクオであろう。

『だからって、こんなに硬くなるまで溜めこむだなんて……』

『そ、そんな事言ったって……うあう』

リクオの悩ましげな声に気のせいか、雪那の顔が赤らんでいる様に見えた。

『大丈夫です……痛くなんてしませんから、ほら、力を抜いて下さい』

と、此処で絹を裂いた様な甲高い女の声が割り込んだ。

『いい加減にしなさーい! 日も沈んで居ないうちからそんな、は……れん……ち……な……』

 身を刺す様なこの冷気は間違いなく、氷麗の物だ。

 中を伺う事は出来ない雪那だが、その光景は容易く頭の中で想像できた。

『いだー! いだい! 痛い! 綿棒が、綿棒が耳に刺さったー!』

 次いで聞こえたのは魅琉鬼の悲鳴。

『きゃぁぁ! リクオ様! 耳から血が!』

『ま、紛らわしいのよ! アンタ達ー!』

 部屋の中で悶絶し、のた打ち回るリクオに慌てふためく魅琉鬼、やり場のない羞恥心を絶叫に替えた氷麗。

 混沌とした状況はもはや疑う余地も無く、喜劇であった。

 雪那は、髭を蠢かせ溜息を漏らした。

 

 行く宛てが無くなった雪那は、屋敷内をうろついていた。

 思えば、ぬらりひょんに魅琉鬼と共に拾われて以来、こうして一人いや、一匹と言うべきか。

 ともかく、雪那は初めて一匹で過ごす事になったのだ。

 台所から食欲をそそるいい香りが漂って来た。

 雪那の愛らしく、小さな鼻がひくついて、そのまま誘われるままに香りの元へと足を向ける。

 どうやら匂いに釣られたのは、彼女だけでは無いらしい。

 ぬらりひょんと、お付きの納豆小僧が、お得意の摘み食いを目論んでいる様だ。

『にゃー』

「うひゃー!」

 雪那の声に、納豆小僧が文字通り飛び跳ねた。

 尋常ではない驚きように、彼女の毛が逆立った。

「そ、そ、そ、総大将――あ、あ、魅琉鬼の下僕が」

「なんじゃい、納豆小僧そんなでかい声を出しては若菜さんにバレてしまうじゃろうが」

 慌てた様子で両手を交差させて、口をふさいだ。

「おお、雪那。珍しいのう……お前があ奴と一緒におらんとは」

「にぃ……」

「ほうほう。それで、リクオ共が騒いでおったんじゃな?」

「総大将、何言ってるかわかるんですかい?」

 納豆小僧の疑問も最もな話だ。

 ぬらりよんは、白い歯を覗かせて、笑いながら自信たっぷりに言った。

「勘じゃよ、勘」

 ぬらりひょんが言うと、妙に説得力があると思えてしまう。

「お爺ちゃん……」

 肩に手を置かれ、錆び付いた機械人形の如き音を鳴らしながら後ろを振り返った。

「摘み食いはダメっていつも言ってるじゃ、ありませんか」

 右手に握られた包丁の刃が、鈍く光った。

笑顔だ。

 其れは、見た者が幸せな気持ちになれるような――ただし……。

 背後に滾る黒い覇気と、眉の引き攣りがなければの話だが。

 

 ぬらりひょんと納豆小僧の断末魔を背に雪那は、化け猫の姿に変化して空へと高く飛翔した。

 烏たちは、一斉に拡散して、空の道を譲る。

 やはり、この姿では怯えさせてしまうのだろうか。

 屋敷の妖怪たちも彼女に怯えるだけで、まるで腫れ物を扱う様に接してくる。

 致し方ないとは、思っていてもやはり孤立するというのは淋しいものである。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 月の青白い光が障子から差し込む。

 夜風に靡いた枝垂れ桜の花弁がぬらりくらりと空に舞った。

 縁側で盃を片手に夜空に浮か蒼月を見上げるぬらりひょん。

 一枚の桜の花弁が、盃に浮かぶ。

 誠絵に成る光景だった。

 遠くの方で、聞こえて来るどんちゃん騒ぎ。

「お、珍しい客じゃ……お前さんも飲むかい?」

 ぬらりひょんは頬肉を釣り上げ、盃を傾ける。

『にゃー』

 客の正体は雪那だった。

「そうかい……」

 其れ以上、なにも言わず御猪口に手を伸ばした。

 突如、雪那の小さな身体が白い光に包まれる。

 光は人の容へと成り、やがて少女の姿へと変貌した。

 白銀の長い髪には所々紅い色が混じり、白い頬には紅い文様が浮かんでいる。

 純白の着物には色とりどりの花々が咲き誇る。

「こりゃ、たまげた」

 目を丸くするぬらりひょんが可笑しかったのか、口元を袖で覆って微笑んだ。

 御猪口を手に取って手慣れた様子で御酌をする。

「っとと」

 ぬらりひょんは嬉しそうに其れを飲みほした。

「若い女子に注いでもらう酒はうまいのぉ……」

 雪那は、何処からともなく取りだしたスケッチブックとマジックで流れるように文字を書いてぬらりひょんに見せる。

【おじいちゃんははロリコン?】

 一瞬呆気に取られたぬらりひょんが大口を開けて盛大に笑った。

「ぬっははは! そんな言葉、よう知っておるのう……」

【おねえさまにおしえてもらった】

 魅琉鬼も案外、俗世に順応している様だ。

「そうかい、そうかい……ところで魅琉鬼はどうしたんじゃ」

【リクオさまとイチャイチャしてた】

 ぬらりひょんが、もう一度歯を見せて笑う。

「くくく、そうかそうか」

【ふたりともなかよしさん】

「そうじゃなぁ……」

 ぬらりひょんが再び月を見上げた。

 その視線は、何処か寂しげである。

【おじいちゃんは、ふたりがなかよしだと、イヤ?】

「そんなことはありゃせんわい……ただ、あの二人を見ていると鯉伴を思い出すんじゃよ」

 自嘲気味に笑って、首を振った。

「儂は“あ奴ら”救えなんだ……鯉伴が立ち直ったのも若菜さんのおかげじゃしな」

【?】

 小首をかしげる雪那の頭にぽんっと手を乗せて優しく撫でてやる。

 気が緩んだのか、雪那の頬から髭が伸びていた。

「儂もまだまだがんばらんとな! てめぇの尻も拭けねぇようじゃ、妖怪の大将たぁ言えねぇ……リクオの隣には魅琉鬼が似合う」

 けらけらと笑うぬらりひょん。

 雪那も嬉しそうに、微笑を返す。

だが、その笑顔が不意に消えて、影が落ちた。

 猫耳が垂れ下がっている。

【お姉さま、きっと、また、じごくへ行っちゃう……リクオ様、きっとかなしむ】

 懐に忍ばせた煙管を取り出し火を灯す。

 ジジっと小さな音を上げ、一泊遅れて紫煙がたゆたう。

「――……大丈夫じゃよ。あの女、魅琉鬼なら閻魔も返り討ちにして帰って来るじゃろうて」

 呟きは煙と共に夜空に溶けた。

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