恋する赤鬼   作:鯉庵

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今年最後の更新。
挿絵があります


逆鱗

 暗闇に青い炎が独りでに灯る。

 石畳の回廊を突き進む男が一人。

 黒外套を揺らしながら闊歩するのは、地獄の王にして管理者。

 冥府を統べる十王が一柱。

 黒髪赤眼の男。

 親しい者もそうでない者も今の彼に易々と近づく愚か者はいまい。

 そう、彼は今非常に虫の居所が悪いのだ。

「零様! お待ちくださいませ! 零様」

 門兵の一人が慌てた様子で駆け寄って、男の前に傅いた。

 短い舌打ちを兵士は聞き逃すはずもなく。

 額から滴る汗は、疲労から来るものではない。

「御気を静め下さいませ! 先代は、ただいまお取り込み中でございます」

 零と呼ばれた男は、先程まで紫煙を燻らせていた煙管をへし折った。

門兵が一瞬肩を竦めた。

 漆黒の鎧を身に纏った屈強な鬼兵が、零の前では蟻同然である。

「黙れ、どうせ淫売共の相手だろう」

 見下ろす双眸は、その色とは逆に酷く冷たい。

「貴方様が先代の御子息であろうと、我々はご命令に背く事は出来ませぬ」

 カチカチと渇いた音が響く。

「黙れ」

 刀の鋒が門兵の鼻先に突き立てられた。

「私の頸を刎ねて、お気が済むのでしたら――……」

 言い終わる前に首が宙を舞った。

 鮮血は無遠慮に石畳を濡らし、無残に骸が転がった。

 刀を振って血を払った。

「阿呆が……テメェなんぞの頸で俺の気が済む訳がねぇだろう」

 真紅の双眸で、転がる頭蓋を見下ろす。

 黒外套を翻し、踵を返して零は闇の中に溶けた。

 

 眼前に聳える鉄の門を見上げて零は溜息を漏らした。

 この先にいる者こそが、彼の機嫌を曲げに曲げた元凶だ。

 軋みを上げて重厚な扉が開く。

 まず耳にしたのは女の甲高い嬌声だった。

 鼻孔に纏わり付く甘ったるい匂いは理性を麻痺させる。

 簾向こう側で交わる幾つもの影。

 緞帳の灯りが照らす女のしなやかな曲線が激しく揺れる。

「なんだぁ! 今いい所なんだよ! 後にしろ後に」

 女達の中心に構える男の声には苛立ちと、興奮が混じる。

「糞親父が……何時までも猿同然に盛りやがって」

 簾に一閃が走る。

 小さな悲鳴の後、一糸纏わぬ女達は筋骨隆々の男に群がった。

 襟元は乱れ切って、凹凸が浮かび上がる腹を晒す。

 零と同じ黒髪と赤眼を持つ壮年の男。

 顔を顰めて、蓄えた顎鬚を撫でながら不機嫌に言う。

「何しやがる莫迦息子……」

 零は、無言のまま切っ先を男の鼻先に突き立てる。

「ったく、使えねぇ狗共だ……で、俺の“お楽しみ”を邪魔しに入ってまで何の用だ? 混ぜて欲しいのか」

 口の端を釣り上げて、厭らしい笑みを浮かべて見せる。

「殺すぞ」

「言うじゃねぇか糞餓鬼」

 二人の間で火花が散る。

 同時に黒炎が渦を巻き、一帯を飲む込んでゆく。

 肌を晒していた妾の鬼女達の断末魔と耳を劈く金属音が響く。

 鍔迫り合いの末に両者とも弾けるように後方へ。

踵の音が加速する。

 剥き出しになった白刃が幾度も交わり、波紋を広げた。

「あーあ……お前の所為で今晩の相手が居なくなっちまっただろうが」

 真剣の刃が眼前に迫っているというのに、覇気のない声で男が言う。

「昼も夜もねえだろうが、猿野郎。女と見りゃ食い散らかしやがって……テメェにご執心の女共から苦情が絶えねぇよ……終いには“毘沙門天”の妹にまで手を出しやがる。畜生が」

 男は瞳を細め、口角を釣り上げて嗤う。

「いい男にはいい女が惚れるもんなんだよ。いい加減鬱陶しいぞ零。離れろ」

 腹に衝撃が走る。

 零の足が地面から浮きあがったかと思えば、身体ごと後方に吹き飛ばされた。

「く、そが……」

 真紅の石壁に亀裂が走る。

 激突の衝撃で激しい縦揺れが起きた。

 零の顔が苦悶に歪む。

 屈辱が腹の底から湧き上がるのを自覚した。

 壮年の男は、首を左右に傾けて音を鳴らす。

「ったく、野郎の相手なんぞ、疲れるだけで何の得にもなりゃしねぇ」

 抜き身の刀は黒炎に包まれ、消え去った。

 片膝を付き、歯を食いしばる零を見下ろしながら嘲笑を贈る。

「無様……餓鬼の頃か成長してねぇなぁ。お前」

「黙れ……」

「おう、おう、威勢がいいねぇ」

 顎髭を撫でながら、けらけらと嗤う。

 零は尻を付き、片膝を立てて舌打ちする。

 袖に隠した予備の煙管を取りだして、紫煙を燻らせ息を吐く。

「……親父、あんた俺に跡目を継がせる前、何をやらかしやがった? “十王”の爺どもは何を隠していやがる」

 飄々とした表情から一転、剃刀の様に眼光が鋭く研ぎ澄まされる。

「その話か」

 腰を降ろし、胡坐をかいて頭を掻き毟る。

 頭垢が飛び散り零が顔を顰めた。

「あー……お前も知っての通り“六道輪廻”ってのは絶対だ。だがな、極稀にその輪廻の“外側”に堕ちる莫迦が居るんだよ……」

「何だと」

 零の眉間の皺が深くなる。

「“魔縁”つってな。“十王”の裁きを受けず、魔界で好き勝手やる阿呆共だ」

「おい、そんなもんがあるなんて聞いてねぇぞ」

「あん? そりゃ、言ってねぇからな」

 あっけらかんという父に言いようのない憤りを感じつつ押し黙った。

「俺が“閻魔”を降りたのは“超弩級の禁忌”ってのを食い止められなかったからだ」

 零はあからさまに嫌な予感を感じ取り溜息を漏らす。

 其れを余所に男は笑みを浮かべ、続けた。

「魔界でおとなしくしてる分にはまだ良かったんだがな……“ある阿呆”が“そのまま”現世へ蘇ろうと企みやがった」

 零は戦慄する。

 頬からは汗が伝い、喉が急速に渇いてゆく。

「そんな強大な魂を持った奴が人間に居やがったのか」

「ああ、お前がおっ返した“夜叉”より性質が悪い」

 いよいよもって眩暈を感じ、天を仰ぐ。

「ま、今までは“奴良組”の二代目が見張ってたおかげで復活まではいかなかったがな」

「勘弁しろよ……」

 零の頭痛の種は増える一方であった。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 校庭に鐘の音が響き渡る。

 空は茜色に染まり、数匹の烏の鳴き声が聞こえて来る。

『下校時刻となりました。用事も無く教室に残っている生徒は戸締りをして、気をつけて帰りましょう』

 教室の音響から女子生徒の声が聞こえて来る。

 廊下かでは、部活動へ送れぬ様走る生徒や友人同士で寄り道の相談をしたりと賑やかであった。

「……ふぅ、これで終わりっと」

 夕陽に照らされた黒板を拭き終えたリクオが溜息を漏らす。

 今日も今日とて“都合のいい奴”を間違った方向に解釈しているのである。

「今日は沢山“良い事”したぞ! 柴山君達喜んでくれたし」

 帰り際に見せた嘲笑をまたも善意的に受け取っているのだろう。

 掃除当番を押し付けて早々に帰ったとは夢にも思うまい。

 バケツを手に手洗い場まで歩いてゆく。

 人気のない廊下というのは然も不気味な物だ。

 しかし、其処は妖怪任侠集団の跡取り最有力候補。

物おじせず廊下を歩む。

「リクオ様?」

 雑巾を硬く絞った所で、一人の少女がリクオの名を呼んだ。

 リクオは一瞬、肩を竦めた。

 声の主へ顔を向ける。

 視線の先には、見目麗しい黒髪の美少女が佇んでいた。

 滑らかな黒色の髪を揺らし、此方へと歩み寄る。

 リクオは反射的に握った雑巾を背中に隠す。

 少女がリクオの前に立ち止まると、セーターに包まれた豊満な乳房が弛む。

 思わず頭を後ろに下げてしまったリクオ。

「もう、また掃除を押し付けられてしまったのですね?」

 怒りというより呆れを含んだ声にリクオは苦笑するしかない。

「……うん、でも皆忙しいみたいだったから」

 頬を指で書きながら、困った様子で視線を逸らす。

「はは、ごめん。魅琉鬼」

 魅琉鬼はもう一度溜息を漏らし、優しげな瞳でリクオを見つめた。

「わかりました。では、私も御手伝いさせて頂きます」

「い、いいよ! 後は、机を元に戻して水拭きとから拭きするだけだから」

 両手を翳し、慌てふためくリクオ。

 魅琉鬼の瞳がすぅっと細まった。

「リクオ様、クラスメイト全員分の机を御一人で戻す御つもりですか? 其れこそ陽が暮れてしまうではありませんか」

至極尤もである。

「若菜様には私から連絡を入れておきますから、早く片付けてしまいましょう」

 もう一度朗らかに微笑んで見せる。

 リクオは頬を染め、視線を逸らし小さく呟いた。

「ありがとう……」

「……いえ、貴方のためですもの」

 

 なんとか陽が暮れる前に戸締りを終えた二人は、静寂に包まれた廊下を歩く。

 上履きが擦れる音だけが聞こえて来た。

 リクオの少し後ろに控えた魅琉鬼は彼の歩幅に合わせて歩く。

「あのッ」

 沈黙に耐えかねたリクオが一段声を高くして言った。

「今日は生徒会の仕事だったの?」

「いえ、近々転校してくる生徒が下見にいらしたので、校内の案内を仰せつかりまして」

「ふーん、どんな人だったの」

 何気なく沸いた疑問をそのまま口にする。

「とても可愛らしい方でしたよ?」

「そ、そうなんだ……」

「気になりますか?」

 少し意地悪な問いかけに心臓が跳ね上がった。

 気の所為か、周りの温度が少し下がった様に思える。

「べ、別にそんな事ないけど」

 背中から感じる静かな重圧。

「そうですか」

「う、うん! はは」

 渇いた笑いが虚しく響く。

 不意に袖を引っ張られ、足をとめた。

 振り向くと、視線を逸らしながら白い頬を染める魅琉鬼の姿があった。

「その、誰も見ていませんから……手を」

 言い終える前にリクオの手が触れた。

「行こっか」

 照れた笑みを浮かべ、魅琉鬼の手を引く。

凸凹の影が、隙間なく寄り添った。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 淡い光に包まれながらぬらりひょんは盃を傾ける。

 その横に控えた魅琉鬼が、徳利を傾け酌をした。

「別嬪に酌をしてもらうとやはり酒が美味いのぉ」

「ありがとうございます」

 袖で口元を覆い、上品に微笑む。

 橙色の灯りに導かれ一匹の蛾が揺蕩う。

 盃に浮かぶ蒼月に桜の花弁が舞い降りて波紋を広げた。

「ほれ、お前さんも呑め」

「ありがとうございます」

 小さな盃を傾けて、酒を呑み乾す。

「しかし、魅琉鬼よ。相変わらずの“ざる”じゃなぁ」

「それが私の“業”でございますから」

 彼女の言葉にぬらりひょんは目を見開いた。

「お前さん、思い出したんかい」

 自嘲の笑みを浮かべ、月へと視線を移す。

「いえ、記憶は戻りません……けれど、理解出来てしまうのですよ」

「そうか」

暫し、無言になり虫達の奏でる音だけが流れる。

「可笑しなものでございますね」

 沈黙を破ったのは魅琉鬼だった。

「ん?」

 ぬらりひょんは片目を開けて魅琉鬼に視線を向ける。

「そんな事はあるはず無いのに、あの御方の傍にいると只の恋焦がれる女で居られる気がしてしまうのです……リクオ様の嫌う“人に仇なす妖”であるというのに」

「何を今更……じゃが、忘れるなよ魅琉鬼。あ奴にも“悪垂れ”の血が混じっておるのじゃからな」

 歯を見せて笑うぬらりひょんに魅琉鬼もまた頬笑みを返すのだった。

 

「御爺様、“開花院”の者が浮世絵町へ参りました」

「そりゃまた、厄介な連中が来おったもんじゃ」

 その名を耳にしても動揺することなく、只笑みを浮かべるだけのぬらりひょんに魅琉鬼は安堵する。

「お前さんがいりゃ、充分だろう……まぁ、必要以上に干渉しなければそれでええじゃろうて」

「承知いたしました」

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 浮世絵町有楽街。

 ネオン街灯が星の輝きを陰らせ、欲が渦巻く夜の街を華々しく演出する。

 そんな喧騒とは裏腹に、人気のない路地裏を息を切らせて走る女の姿があった。

 肌の露出が高い装いの女は、必死に路地を駆け抜ける。

 薄出のドレスが足に纏わりついて走りにくい。

 加えて、底の高いヒール靴だ。

 真珠のネックレスが忙しく揺れた。

 踵に走る痛みを無視して駆ける、駆ける。

「――痛ッ」

 ヒールが無残にも折れて、彼女はそのまま倒れ込んだ。

 ジン、ジンと痛む踵を摩りながら、瞳の端に大粒の涙を浮かべた。

「何なのよ! 私が何したって言うのよ! 信じられない! あんなモノ居る訳ない! あんな“化け物”!」

 女は、気が触れたかの様に叫ぶ。

 暗闇のから踵の音が響いて来る。

 女は小さな悲鳴を上げ、血の気が引いていく。

 震えを抑えようと両腕を摩るが全く意味はない。

「――……化け物って、酷いんじゃない? 夏帆ちゃーん」

 漆黒に浮かぶ二つの紅い瞳。

 白いスーツに胸元が肌蹴た紫色のYシャツ。

 一目見ただけで高価な物だと分かる装飾品を身に付けた男。

 女を虜にするであろう美声は、今や彼女を怯えさせるだけ。

「こ、来ないで!」

 精一杯の威嚇も、男の加虐心を満たすに終わった。

 やがて、男の全容を青白い月が照らし出す。

 其れは、正に化け物と呼ぶに相応しい姿だった。

 獣の毛に覆われた頭部は鼠を思わせる。

 剥き出しになった牙は、人の肉など容易に噛みちぎられるだろう。

 肩まで伸びた金髪が風に靡く。

「夜はまだまだ長いんだから、“俺達”と遊ぼうよ……」

 金色の眼球が、女を捉える。

 「あ、あ、あ……――あ」

 言葉にならない声を発しながら喉を震わせる。

 余りの恐怖に失禁して、コンクリートに染みを広げた。

 下卑た笑い声が四方から聞こえ、視線を動かす。

 目の前の男と“同じ”化け物が彼女を見下ろして嗤っている。

 甲高い叫び声を聞いた“人”は居なかった。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 一羽の烏が鳴き声を上げて飛び立つ。

 濃霧が立ち込める森の外れに朧げに佇む洋館。

 趣があると言えば聞こえがいいがその異様な雰囲気は、家長カナを怯えさせるには充分だった。

「カナちゃん大丈夫だよ。だからそんなに袖引っ張らないでくれるかな?」

「だ、だって」

足を八の字に曲げて及び腰でリクオに縋りつくカナ。

 男なら両手を上げて喜ぶ状況の筈だ

 其れを証拠に、恨めしそうにリクオを見つめる島 二郎の姿があった。

「良いではありませんか。女に頼られるのは、男の甲斐性ですよ? 大手を振って喜ばれては如何ですか? リクオ様」

 魅琉鬼が、袖元で口を覆い微笑む。

 一筋の汗がリクオの顎から滴って砂利を濡らした。

「魅琉鬼、そう思うなら腕の力緩めて欲しいんだけど……爪が食いこんで、イタ、イタタタ」

 頬笑みを崩さぬまま、力は徐々に徐々に強まって行くのだった。

「なぁ、会長はん達っていつも“ああなん”?」

 独特の発音で巻 沙織に耳打ちする少女は、“開花院 ゆら”。

 本日付で浮世絵中学校へ転入して来た女子生徒だ。

 何を思ってか清十字怪奇探偵団の活動に興味を示したのだ。

「そだよ……分かりやすいぐらい何時もラブコメしてる」

「昨日、案内してくれた時はホンマお淑やかな人やと思ってたんやけどなぁ」

「奴良が絡むと、そうなるんだよ。“恋する乙女”って奴だよ」

 ゆらは感心したように手を打つとまじまじとリクオを見つめた。

「何? あんたもああいうのが好み?」

 厭らしい笑みを浮かべて脇腹を小突く。

 ゆらは、笑顔を浮かべて言いきった。

「“いい人”そうやけど、それだけやね」

 彼女の言葉に、巻も、鳥居も腹を抱えて笑った。

 

 軋みを上げて、扉が開く。

 視界に広がるのは、古文書や人形、武器や壺などの骨董品の数々。

 硝子で覆われた展示台には、学者が唾を飲み込むであろう貴重な物まで並んでいる。

 リクオが魅琉鬼に耳打ちする。

 視線の先には不気味な程、状態の良い日本人形があった。

「ねぇ、あれって……」

「はい、恐らく九十九神の類いかと」

 リクオが唾を飲み込むと、同時に清継が日記を読み始めた。

 戦慄し、叫ぶも時既に遅し。

 漆黒の髪は蠢き、カナ達に襲い掛かった。

 魅琉鬼の瞳が鋭さを増す。

「やはり、この女が……」

 呟きは爆音に掻き消された。

 そう、開花院 ゆらは、リクオ達妖怪の宿敵、陰陽師であった。

 皆がゆらに群がる最中、魅琉鬼は溢れ出る殺気を抑え拳を硬く握った。

「(あの程度なら“今の”私でも楽に排除出来るわね……少し骨が折れるかもしれないけれど、開花院は早めに潰しておきましょう……御爺様の旧知の血筋を絶やすのは忍びないわね……フフ)」

 赤い鬼がその牙を剥く時はそう遠くなかろう。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 渇いた音が広間に響く。

 リクオは痛みの走る頬を抑えた。

 飛び交っていた怒号の雨がぴたりと止んで、静寂がその場を支配した。

 呆気に取られていたリクオが一拍遅れてぬらりひょんを睨みつける。

「おう、おう。いっちょう前に、睨めるじゃねえかリクオ」

「馬鹿にするなよ!」

 腕を振って憤慨する。

 ぬらりひょんの眼光が鋭くなり、リクオは肩を竦ませる。

 上座に腰を降ろし、紫煙を燻らせる。

「簡単にビビりおって……おい、リクオ。お前さん、まさか儂の代紋と引き換えに小娘たちを助けるって魂胆かい? ええ?」

 ドスを利かせた声に恐怖して、拳を握る。

 蝋燭の火が揺らめいた。

「魅琉鬼、ちと甘やかしすぎやしないかい?」

「申し訳ございません」

 リクオはかっと目を見開き叫んだ。

「魅琉鬼は関係ないだろ!」

 ぬらりひょんは煙管を遊ばせながら煙を吐いた。

「無様にも鼠の良い様にされおって……いいか、絶対に代紋を明け渡すことは許さん。青、氷麗、首無し。この馬鹿たれを部屋へ閉じ込めておけ! 儂がよしとするまで、決して外へ出すな」

 リクオの側に控えた側近は一往にして短く返答する。

 ぬらりひょんは、後ろを振り向かぬまま障子の戸を閉めた。

 

「御爺様、少々よろしいですか」

 魅琉鬼はぬらりひょんの部屋の前に座して返答を待つ。

「何じゃい」

 その声には、些か苛立ちが覗いて見える。

 少々意地の悪い問いが飛んでくる。

「慰めてやらんでもいいのかい」

 少しの間が空き、静かに応えた。

「女に見られたくない顔の一つや二つ。殿方にはありますでしょう?」

 鼻を鳴らして寝返りを打つ。

「好きにせい……破門した小悪党どもの始末はお前に任せる」

 一陣の風が吹き荒れ木々を揺らした。

「……ありがとうございます」

 障子に映る黒い影が闇夜に溶けた。

「赤鬼の逆鱗に触れたか……」

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 青い月の光が簀板に映り込む。

 その灯りが人の容(かたち)をした赤い鬼を照らしている。

 袴の腰紐を固く絞ると、着物袖から白い腕を引き抜いた。

 雪肌が冷たい月光の下に晒されている。

 女の象徴たる乳房には“さらし”が巻かれていた。

 金色(こんじき)の双眸が闇夜に炯々と光を放つ。

 掛け台に掲げられたひと振りの刀を手にして柄を引く。

 半分ほど露わになった刀身が青白い光を浴びててらてらと輝いている。

 漆黒の羽織を纏って障子の戸を開け放った。

 満月が赤い鬼を見下ろしている。

 吹き込んだ風に羽織が煽られて、虎の刺繡が覗き見えた。

 縁側から足を足を下ろして瞳を閉じる。

 雪駄が砂利を踏む音だけが聞こえる。

 一歩。

 二歩。

 三歩。

 音が止まった。

 腰に帯びた刀を抜き、歩幅を広げるとざっと音がして砂利がはじけた。

 中腰にかがんで右手を柄の前へ。

 しだれ桜の枝がざわつく。

 一匹の梟が羽ばたいた。

――その刹那。

 銀色の一閃が闇に奔る。

 白刃が鞘を滑って。

 鯉口が音を立てた。

 赤い鬼の唇に笑みが点った。

 梟の頭蓋が地に沈む。

「――殺すつもりは、なかったのだけれど……雪那」

 白銀の化け猫が主人の前に姿を現す。

 月光を背にして、梟の躯(むくろ)を見下ろしている。

「喜びなさい。“食事”の時間よ」

 

――赤い唇に舌が這う。

――人の“容”をした鬼が一匹。

――腹の底で燻ぶる“業”に酔いしれて嗤う。

 

 

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