恋する赤鬼   作:鯉庵

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一目惚れ

 嘗て妖怪世界に一躍名を馳せた妖しがいた。百鬼夜行を率いて闇夜を闊歩するその姿は妖怪、人共に畏れられた。名をぬらりひょん。

 その伝説は今も尚色褪せる事なく語り継がれている。

 

◆◆◆

 

 

 浮世絵町には化け屋敷があるという。夜な夜な不気味な呻き声が聞こえ、人魂が浮遊し、顔のない女が啜り泣いているなど様々な噂が飛び交った。

 人の口に戸は立てられない。噂には尾ひれが付き、滅多に人を寄せ付けなくなった。

 聳え立つ門の表札には『奴良』とある。

趣があると言えば、聞こえはいいが御世辞にもそんな言葉は出て来ない。

 化け屋敷と囁かれるのも無理もない佇まいだった。が、中を覗けば外観とは打って変わって手入れが行き届いた日本庭園が広がっている。

一目すれば溜息が漏れるほどに見事である。風に枝垂れ桜の枝が靡き心地よい音を奏でる。小鳥たちは自由に飛びまわり心を和ませた。

「——全く、閻魔の倅もまた無茶を言いおって」

 胡坐を掻き紫煙を燻らせる老人。黒い着流しに紺の羽織を纏った出で立ちはその小柄な体格とは対照的で貫禄を感じさせる。

 しかし、最も注目すべきはその頭部だった。古く、中国の古典に出て来るような長い頭。其処に寂しげに生える産毛。

 そう、彼こそこの屋敷の主にして妖怪任侠集団奴良一家初代総大将『ぬらりひょん』である。

 ぬらりひょんは頭を抱えていた。その原因は、彼の手にした添え文にある。

「烏天狗。烏天狗や」

 名を呼ぶと、何処からともなく現れた小烏が宙に浮いたまま傅いた。面妖な事に僧侶の格好をしており、その手には錫杖が握られている。

「総大将、お呼びでございますか」

 これまた奇想天外にも人語を流暢に話しているではないか。

 戦国時代、ぬらりひょんと共に奴良組を築き上げ、彼を支えた戦友である。

 現在の珍妙な姿からは想像も出来ぬ程の屈強な妖怪であったという。

「おう、ちと今から苔姫の祠へ行って来る。リクオの面倒、頼んだぞ」

「はぁ、承りましたが一体どのような赴きで」

 ぬらりひょんが口の端を釣り上げ歯を見せて笑う。長年付き添った烏 天狗の勘が告げる。碌でもない事だと、不幸なことに其れは的中した。

「"椿の鬼姫"を迎えに、な」

 烏天狗の背筋に冷たいモノが駆け巡った。

"椿の鬼姫"。妖怪世界において、彼女の名を知らぬ者は皆無である。餓鬼道へ堕ち地獄に巣食う鬼共を片っ端から狩ったとされる妖。鬼の頸を狩り取る様から"椿"のあざ名が付いた最悪の鬼だ。

「ななな、なんですと! 地獄から蘇って来たのでございますか」

「おお、そうじゃよ。ほれ、閻魔の倅からの文じゃ」

懐に仕舞った文を烏天狗へと手渡した。文字を追って眼球が上下に動いている。顔からは滝の如く汗を流し、小刻みに手が震え、叫ぶ。

「何ですか! 之は! いくら何でも横暴過ますぞ! 自分たちの不始末を棚に上げて引き取らなければ組を潰すなど」

 ぬらりひょんは脇息に持たれかけ煙管を吹かしてけらけらと笑った。

「ふっははは。まぁ、そう言ってやるな。彼奴にも考えがあっての事だろうよ」

 納得できないという顔の烏天狗を余所に、ぬらりひょんは立ち上がって障子の戸を開けた。其れと同時に甲高い女の悲鳴が上がる。

 松の枝に片足を荒縄で縛られ吊るされている白い着物の女。肌の色は雪の様で長く青み掛った黒髪は重力に逆らわず垂れ落ちている。

「ほほう、今日の標的は雪女か」

 ぬらりひょんは顎を撫でながらほくそ笑んだ。宙吊りになって眼を回して居る女を指で指して身を捩りながら笑う少年がいた。

 ぬらりひょんの姿を見つけると、一層笑顔になり一目散に駆けよった。

「爺ちゃん、爺ちゃん! 見てよ! 雪女ったら今日も引っかかってやんの」

 大きな瞳は輝きに満ちて楽しげに言う少年。ぬらりひょんは頭に手を乗せて乱暴に撫でてやる。その表情は大侠客としてでなく、孫を溺愛する祖父その物であった。

「おお、そうか、そうか。ようやったのう、リクオ」

「うん」

 鼻の下を指で擦って照れ笑いを浮かべながら喜びを露わにする。

「総大将ぉ。御助けをぉ……」

 蚊の鳴くような声で、雪女が言った。

 彼の名は『奴良リクオ』ぬらりひょんの孫にして、奴良組の跡取り候補である。祖父と同じ黒い着物に袖を通し、紅い羽織を肩に掛けている。

 側近妖怪達は、幾度となくリクオの悪戯に弄ばれていた。気を遣ってワザと引っかかる者も居るが、其処は暗黙の了解という事である。

「リクオ、今からちと、出掛けて来るからの。若菜さんに伝えておいてくれ」

「ずるいよ爺ちゃん。僕も一緒に行きたい」

 ぬらりひょんの身体に腕を回し上目遣いでねだる。孫にこんな顔をされて頬を緩ませない者はいないだろうが、此処で折れる訳にはいかない。

「ダメじゃ、お前さんは宇佐美屋の飴玉を買って来てやるから其れでせい」

「えー、宇佐美ん家の飴美味しくないよう」

 なんとも失礼な物言いだが事実なのだから仕方がない。頬を膨らませ、唇を尖らせるリクオに苦笑していると縁側から一人の女性が声を掛けて来た。

「リクオ、あんまり氷麗(つらら)ちゃんを苛めちゃ駄目じゃない」

 山吹色の着物に身を包み、朗らかな笑みを浮かべてリクオを嗜める。背は低く、顔立ちにも未だ幼さが残っている。

「母さん」

 リクオが声を弾ませる。驚くべき事に彼女は正真正銘リクオの母であった。

 未だ十代でも通用するであろう容姿とは裏腹に人の身でありながら妖怪任侠の世界に足を踏み入れた肝っ玉母さんである。

「おお、若菜さん。すまんが少し出掛けるでの、昼飯は適当に食べて来るわい」

「はい、分かりました。ほら、いい加減氷麗ちゃんを下ろしてあげなさい」

「……はーい」

 

 

◆◆◆

 

「ふう、やはり歳には勝てんのう」

 石段を登りながらぬらりひょんがぽつりと呟いた。流れる汗を拭いながら上を見上げ、遥か遠くの鳥居を睨みつけた。

「総大将、あまりご無理はなさらないで下さい。貴方様は奴良組一家の大黒柱なのですから」

 ぬらりひょんの頭上で小さな翼を羽ばたかせ、心配そうに見つめる烏天狗。一度は隠居した身とは言えど、彼は未だに奴良組の代紋を背負っているのだ。

 この身に変えても守りきるという決意がその瞳から伺える。

「む。この妖気は」

 突如鋭くなる眼光。木々はざわめき、枝で羽を休めていた鳥たちは一斉に飛び立った。地面を蹴って一目散に頂上を目指す。

「そ、総大将! この妖気、尋常ではありません! 莫迦息子共に伝え、応援を呼びましょう」

 烏天狗は顔中汗まみれになりながら必死にぬらりひょんを止めようとするが。

「莫迦もんが! こんな奴、誰が来たって同じじゃ」

 烏天狗の視界が涙で霞む。彼の覚悟に胸打たれたのだった。

 やがて、最後の石段を登り切り、鳥居を潜る。その先に立っていたのは……。

 

◆◆◆

 

 

 紅い髪をした少女だった。

 

 

◆◆◆

 

 一人の少女が漫然と空を見上げている。まず目に飛び込んで来たのは腰まで伸びた紅い髪だった。

雲一つなく、陽の光を遮る物は何もない。燦々と降り注ぐ日差しを浴びて燃えているかの様に輝いていた。

 長い耳は人でない証。漆黒の着物には赤椿の花弁が咲き誇っている。 見る者が見ればその価値が分かるだろう。

手には一振りの刀が握られていた。気品ある装飾で彩られた刀は素人が見ても一級品であると判断できる程の業物であった。

 突如、少女がぬらりひょん達の方へ振り返った。紅い髪はふわりと揺れる。息を切らし、膝に手を置く彼の姿が可笑しかったのか、口元に手を添えて上品に哂った。思わず息を飲む。

 金色の瞳に染み一つない色白の肌に不気味な程、整った美しい貌(かお)。童でとは思えぬほどの妖艶さに呆気に取られた。

 少女の隣で一匹の子猫が銀色の毛を逆立てて牙をむいている。紅い虎縞模様が浮かんだ猫又の妖だった。

「そんなに息を切らしてどうなさったのですか」

 もう一度、背筋が震えるほどの艶笑を浮かべ少女が尋ねた。

「ああ、悪いな……譲ちゃん、見ねえ顔だ。一体、何処から来たんだい」

 少女の顔が一転、憂いを帯びて視線が下を向く。男が見れば忽ち虜になってしまうであろうそんな表情だった。

「それが、私(わたくし)にも分からないのです……気付けば、其処の祠の中で眠っていました。この子猫、雪那という名前らしいのですが、それ以外何も思い出せなくて……自分の名すら忘れてしまった様で」

 ぬらりひょんは、顎を指で撫でながら暫し考え込んだ。烏天狗が近付き耳打つする。

「どういう事でしょう? この女が椿の鬼姫というのは間違いなさそうですが……」

「ふむ。そうじゃな」

 どうやら記憶を失っているらしいと安堵するのも束の間。

「——ねえ、御爺様。貴方、強い?」

 ぞくりとする声が耳に届くと、少女の顔が鼻先まで迫っていた。その瞳に狂気を孕み爛々としている。空を切り裂く音と共にぬらりひょんの 頸が天高く舞った。

烏天狗は呆気に取られ、言葉を発する事が出来なかった。一拍遅れ、悲鳴にも似た叫びが空に溶ける

「——うっさいわい烏天狗」

 少女が刎ねた頸は黒い影となって消えうせる。一転して立場は逆転し、地面を蹴ってぬらりひょんとの距離を取った。

 懐に手を入れドスを抜く。少女が臨戦態勢を取る事は叶わず、脇腹に鈍い痛みが走った。斬ると見せかけての蹴り、地に手を付き倒れ込む彼女の鼻先に鋒が突き立てられる。

「やるな、譲ちゃん。でもよ。まだまだ儂の相手じゃねえな。ふっははは」

 ドスを肩に担ぎ大口を開けて笑う。

「そ、総大将ぉ」

 烏天狗が情けない声を上げながら滝の様に涙を流して居る。当のぬらりひょんは、あっけらかんとして、小指で耳の穴を穿って其処吹く風という様子だった。

「不思議な力でございますね」

 少女は口の端を歪め嗤った。

「まだやるってのかい」

「いいえ、今の私では到底敵いませんもの。さあ、煮るなり焼くなりして下さい」

 そう言って、瞳を閉じる。

「ふっはは。最初からお前さんを殺す気なんてありゃせんわ。さ、立ちなさい」

 そう言って、優しい笑みを浮かべ、手を差し伸べる。少女は素直に従って立ち上がった。

 立ち上がって笑みを浮かべる姿には気品が漂っていた。ぬらりひょんは、下から上までじっくりと少女を見た後、唐突に言った。

 

◆◆◆

 

「お主、孫の嫁にならんか」

 

◆◆◆

 

 仏間に妙な空気が流れる。線香の煙がゆらゆらと容を変えて溶けてゆく。奴良リクオは正座しながら落ち着かない様子で祖父の顔色を伺っていた。

 普段、飄々とした祖父が真剣な面持ちで話があると言い、仏間に通された。その表情は、時より見せる総大将としての顔だった。

 膝の上に置かれた握り拳に汗が滲む。対極にぬらりひょんは湯呑みを傾けて茶を啜る。満足げに溜息を漏らした後、唐突に言った。

「お前の嫁を連れて来た」

「―——はい?」

 余りに頓狂な話に間の抜けた声を上げるリクオ。嫁。嫁を連れて来た。八歳のリクオにもその単語が理解出来たが思考が追いつかない。

「だ、誰のですか」

思わず敬語になってしまう。

「お前さんのに決まっておるじゃろうが」

脇息に寄りかかり扇子を煽るぬらりひょん。リクオが勢いよく立ち上がった。

「じ、じじじ爺ちゃん! 嫁って、嫁ってどういう事さ」

「そのままじゃが? お前さんの嫁を連れて来た。ほれ、土産を持って来いとせがんだじゃろう? 喜べリクオ。そりゃ、ベッピン中のベッピンを用意したぞ」

 扇子で口元は隠れているが、その向こう側でうすら笑いを浮かべているに違いない。事実眼が笑っている。

「そりゃ、お土産は買って来て欲しかったけど、僕が言ったのは」

「あー……五月蠅いやっちゃのう、良いからほれ、座らんかい」

 ぐぬぅと悔しそうにして座り込む。ぬらりひょんはほくそ笑んで名を呼んだ。

「魅琉鬼出て来なさい」

 

◆◆◆

 

 

―——……はい

 

 

◆◆◆

 

 凛とした声の後、少女は天から舞い降りた。存在感ある紅い髪に人とは異なる長い耳。金色の瞳に長い紅い睫。

 リクオは少女を見た瞬間、言葉を失った。動悸が激しい。顔が熱くあるのが分かる。言葉を紡ごうとするが、喉に詰まって声にならなかった。

「お初にお目に掛ります。奴良リクオ様。私、只今ご紹介に預かりました。魅琉鬼と申します。今日から貴方様の許嫁として、この奴良組本家でお世話になる事になりました。このように若輩でございますが、貴方様に恥じぬよう、努力致しますので、どうぞ、お見知り置きの程を」

 歳にそぐわない言葉使いに落ち着いた物腰。

 恭しく頭を下げるその姿に、何と声を掛けて良い物かと戸惑い僅かな望みを掛けて祖父へと視線を向けるが、案の定愉快そうに笑っているだけだった。

 しどろもどろしていると、魅琉鬼と名乗る少女は頭を上げて朗らかに微笑んだ。

 白い頬にはほんのりと赤みが差して少々気恥ずかしい様子であった。

瞬間、リクオの胸に勢い良く矢が刺さる。

それは“恋の矢”

 目まぐるしい程身体中が熱くなり、羞恥やら驚きやら混乱でかき乱され心拍数は上昇し、鼓動が耳鳴りの様に五月蠅かった。

 必死に言葉を探す。真っ赤になった顔を俯かせ、蚊の鳴くような声で言った。

「——……よ、よろしく」

 

 

◆◆◆

 

 

 魑魅魍魎の主となる少年が初めて恋に落ちた瞬間である。

 

 

◆◆◆

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