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「お主、孫の嫁にならんか」
私の前で白い歯を見せて屈託のない顔で御爺様が仰いました。唐突かつ余りに頓狂な話に呆気に取られていると、まるで悪戯が成功した時の様な無邪気な童男の御顔をして私を見ておられました。隣で翼を羽ばたかせる小烏さんは深い溜息を漏らします。会って間もないですが、お二人の関係は何となく察しが付きました。
「総大将、またそんな突拍子もない事を! 何を考えておられるのです! 二代目の事をお忘れか! この女は妖怪ですぞ」
「んなこたぁ言われんでも分かっとるわい」
指で耳に栓をしてあっけらかんとする爺様。本当に童の様なお人ね……。
「大丈夫じゃて、鯉伴の二の舞にはさせんよ」
「その根拠は一体どこにあるのですか! 総大将」
フフ、何だか見ていると頬が緩んでしまう光景ね。少し、羨ましいわ。
「ところで、お主。名前を忘れとったんじゃな。良し、良し。儂が名をやろう」
隣で口うるさく喚く烏さんを余所に爺様が顎を撫でながら視線を上に向け、考え耽って居られました。無視されたのが堪えたのかしら? 大きな瞳に涙を浮かべて爺様を睨みつけているわね。心中お察ししますわ。 名も知らぬ小烏さん。
「お、良いのが浮かんだぞ」
ぽんっと手を叩き私を見てこう仰いました。
「魅琉鬼ってのはどうじゃ? 我ながらいい"せんすぅ"をしとるの」
満足げに笑い私の頭に乗せて来ました。イヤだわ、恥ずかしい。
「魅琉鬼……」
「ふっはは。いい名じゃろ」
「フフ、そうでございますね。御爺様」
めげずに小言を言い続けていた烏さんが肩で息をしながら此方を伺っておりました。私の顔に何か可笑しなものでも付いているのかしら。
「もう、諦めます。しかし、幹部連は黙って居りませんぞ」
「分かった。分かった。ったく、ひち面倒なやっちゃのう」
どうやら説得することは諦めた様で、深い深い溜息を漏らし、項垂れてしまいました。相当落ち込んでいらっしゃるわね。
「素敵なお名前をありがとうございます。爺様、貴方のお名前をお伺いしても宜しいですか」
「おお、そう言えば名乗って無かったな。儂の名はぬらりひょんってんだ。これでも名の知れた侠客だよ。こ奴は下僕の一匹でな。烏天狗じゃ」
"ぬらりひょん"何処かその名に引っ掛かりを覚えます。やはり記憶が曖昧ね。まるで霧にでも覆われている様……。
「にぃ」
足元に雪那がすり寄り小さな身体を私に擦り付けます。可愛い子……不思議とこの娘の意思は自然と流れ込んで来ます。けれど、ごめんなさい。どうしても思い出せないの。
「ほほう、よう懐いておるな」
腰を折り指で手招きする爺様、多少警戒した様子だけれど直ぐに歩み寄って舌先で指を舐めました。爺様の頬も緩み、顎を優しく撫でては赤子をあやすかのように頬笑みます。余程気持ちが良いのか可愛い声を漏らして擽ったそうな顔をする雪那。
「フフ、随分と人見知りする娘のようですけれど、爺様とは仲良くしたいみたい」
「おお、そうかそうか。確か雪那だったかの? 愛い奴じゃのう」
「はぁ、和むのは宜しいですが、肝心の返事をまだ聞いておりませんぞ。総大将」
溜息を漏らし、あきれ果てる烏天狗様、そう言われれば、すっかり忘れてしまっていたわ。
「そうじゃった。そうじゃった。で、どうだい? 魅琉鬼よ。悪い話ではあるまい」
「あの……大事なお孫さまを私の様な素性も知れぬ女と結ばせようなどと、本気でお思いなのですか」
聞かずには居られません。だってそうでしょう? 自分の素姓すら思い出せぬ輩と婚儀を結ばせようだなんて、とてもではないけれど正気とは思えません。けれど、ぬらりひょん様は笑って仰いました。
「なぁに気にするこたぁねぇさ。お前さんを見た時、ビビっと来たからのう……儂の勘に間違いはない」
「その勘とやらに我々がどれだけ翻弄されて来た事か」
烏天狗様は頭を抱え天を仰ぎます。爺様ったらそっぽを向いて耳掻きだなんて。フフ可笑しい。
「ぬらりひょん様、そのお話ありがたき幸せでございます。貴方様から頂いた御恩に報えるよう努力致しますわ」
「そうか」
私の返事に口の端を釣り上げてほくそ笑み静かにそう仰いました。
◆◆◆
化け猫となり大きくなった雪那の背に乗って、爺様の御屋敷まで悠々と空と飛びあっという間に到着してしまいました。それにしても、烏天狗様の動揺ぶりときたら今思い出しても声を出して笑ってしまいそう。
溜息が出るほどの立派な御庭には石造りの池や松の木が生えて思わず惚けてしまいました。中でも一際美しい枝垂れ桜は春風にその桃色の花が舞う光景に心奪われました。
「此処で暫く待っていなさい」
そう言われて、広々とした和室に通されます。中はとても手入れが行き届いて、畳の香りが緊張を解してくれました。障子からは燦々と陽の光が差し込み部屋の中を明るく照らして物静かな時が過ぎてゆきます。
部屋の中を見渡すと大層立派な仏壇が置かれ、其処には美しい黒髪の女性と同じく黒く長い髪の伊達男の遺影がありました。私は、自然とそちらに足を運び、蝋燭に火を灯して線香を上げました。鈴(りん)の音が鳴り響くと、私はそっと手を合せます。
縁側から二つの足音が聞こえ障子に影が映し出されます。爺様と同じ背格好の方でした。私の心臓が大きく跳ねます。きっと、このお方が、リクオ様……。
障子の戸が開くと、緊張した様子で部屋へ足を踏み入れた私よりも少しだけ幼い男児。栗色の大きな瞳に其れと同じ色をした短い髪。一目見た瞬間、驚くほど顔が熱くなりました。
どうして? 胸の鼓動は高まる一方で息を飲みその方に魅入ってしまう。答えの出ない問答が私の胸の内で繰り返されます。気付けば気配を 消し姿を隠して様子を伺っておりました。ああ、私はなんて莫迦な真似をしているの。もっと他にするべき事があるでしょう? けれど、今このお方の前に姿を現わせば、失態を晒すのは目に見えております。落ち着いて、失礼のない様にしないと。
「魅琉鬼、出て来なさい」
心の臓が大きく跳ね緊張は最高潮に達します。さあ、笑うのですよ。愛嬌がないと思われたくはありませんもの。全身全霊をもって最高の笑顔を向けるのです。
「お初にお目に掛ります。奴良リクオ様。私、只今ご紹介に預かりました。魅琉鬼と申します。今日から貴方様の許嫁として、この奴良組本家でお世話になる事になりました。このように若輩でございますが、貴方様に恥じぬよう、努力致しますので、どうぞ、お見知り置きの程を」
早口ではなかったかしら? しっかりと笑えたのかしら? 今、私は貴方の瞳にどう映っていますか。
様々な不安が私の頭の中を駆け巡ります。下げた頭をゆっくりと上げて 再度、微笑んで、リクオ様の反応を伺います。とても可愛らしいお顔をしていらっしゃって、其れを見るだけで張り詰めていたモノが和らいでゆくのが分かりました。
けれど、鯉の様に口を開け閉めするだけで、言葉を発する事なく、私を見つめておられます。嘘、なにか可笑しなものでも付いているのかしら? 其れとも笑みが不気味であったりとか。どうしましょう。堪らんなく怖い。
「——……よろしく」
そう言って顔を俯かせてしまいました。やはり、私が何か粗相を仕出かしたんだわ……。
「これ、リクオ。お前がそんなじゃから魅琉鬼が困り果てておるぞ」
「え」
今まで黙って居られたぬらりひょん様が口を開きます。慌てた様子で顔を上げると、茹で蛸の様に真っ赤に染まった表情が見てとれました。
「ったく、不甲斐ないのう。ま、後は若い物同士好き勝手やんな」
そう言って、爺様は部屋を後にします。当然の様に重い沈黙が部屋を支配し、私もどうしていいか分からず黙り込んで居ると、上ずった声が耳に届きました。
「あ、あの……! どうして、僕の名前、知ってるの」
その質問に私は、一呼吸置いて答えます。
「此処へ来る途中、御爺様からお聞きしました。勝手な事をして、申し訳ございません」
「ううん! 別に気にしなくていいんだ。気になっただけだから」
再び室内に沈黙が訪れます。雰囲気に耐えられなくなったのか。リクオ様が徐に立ち上がって私の手を引きます。案外力は強く上手く立ち上がれずにリクオ様の胸元へ倒れ込んでしまいました。
「っとと、大丈夫?」
「……はい」
見上げると頬を染めているリクオ様のお姿が目に飛び込んで来ます。 大きな瞳の中には私が映し出されて居りました。それが分かる程の近い距離でした。
「ご、ごめん」
両肩に手を置かれ、勢い良く引き離されます。少し胸が痛みました。 もう少し、あのままで居たかった。けれど、そんな事は言える筈もありません。
「いえ、私の方こそ」
「え、えっとね、魅琉鬼ちゃん。ずっと、此処に居るのも退屈でしょう? よ、良かったら之から一緒に遊ばない?」
照れくさそうに頭を掻いて笑顔を向けて下さいました。リクオ様も私と同じだったんだわ……なのに、私ったら。
「ど、どうしたの! ぼ、ぼぼぼく、何か変な事言った?」
「……え」
「だって、泣いてるから」
言われて初めて気付きます。頬に触れると、確かに涙が流れていました。
「申し訳ありません。お気を遣わせてしまって」
「う、ううん! 大丈夫ならいいんだ! 早く行こう」
◆◆◆
それから私はリクオ様に連れられ色々な場所を歩きまわりました。行きつけの駄菓子屋によく友人と"さっかー"という球戯をする空き地。夏になれば、必ず行くという川。
蹴鞠は得意な様で、"りふてぃんぐ"という技を披露して下さいました。
「どう? 学校でも僕より上手い奴は居ないんだよ」
瞳を輝かせ、屈託のない笑顔を向けて下さるリクオ様に時を忘れ魅入ってしまいます。
「とても素敵でございます。リクオ様」
「へへ」
幸せです。確かにそう感じます。何もない虚ろな心が満たされていくようで、私の初めての思い出。それを噛みしめます。
「ごめんね……僕ばっかりはしゃいじゃって……魅琉鬼ちゃん、女の子なのに」
「いえ、とても楽しゅうございます。もっと色々な御話をお聞かせ下さいな」
一層、花が咲いた様な笑顔を浮かべて私の手を引きます。私の頬は緩んでいるのでしょうね。裾がめくれぬ様、衽を抑え走ります。気が付けば陽も傾き、空は橙色に染まって居りました。
「そうだ。今日は神社でお祭りがあるんだった! ねえ、一緒行かない?」
この先の居ある神社で縁日があるそうで、私をお誘い下さいました。
「でも、もう屋敷に戻らないと……」
「大丈夫! 烏達ー!そう言う事だから母さんに伝えておいてね—」
空を飛ぶ烏達が一斉に鳴き声を上げ屋敷の方へと向かって行きました。
「ね?」
悪戯っ子の笑みを浮かべそう言います。本当に、可愛い人。
◆◆◆
陽は沈み空には星が燦然と輝きを放ち虫達の鳴き声が何処からともなく聞こえて来ます。リクオ様は、私の手を引いて下さいました。
「魅琉鬼ちゃん、大丈夫?」
私の方に顔を向けて心配そうに尋ねて来られました。
「お気遣い、ありがとうございます。私は平気ですので、どうか、気になさらず」
「そ、そっか」
良く見れば、リクオ様の額からは汗が滲んでいます。男児の意地なのか、休みたいとは言えなかったのでしょう。失敗しました。
「あの、やはり休憩させて頂けますか?」
「う、うん! いいよ」
石段の踊り場に座ったリクオ様の隣に私も腰をおろします。
「ねえ、魅琉鬼ちゃん。お祭りに行ったら何がしたい?」
「お恥ずかしながら、私は縁日という物に行った事がないのです……いえ、正しくは覚えていないでしょうか」
リクオ様の瞳が大きく開きます。
「覚えてないって」
「はい、私は記憶を失ってしまっていて、自分が何者なのか、何処から来たのか覚えていなくて」
「そうなんだ……」
気まずそうに顔を逸らした後、両手で膝を叩き立ち上がると、私にこう言って下さいました。
「良し! じゃ、僕と一杯回ろうよ。出店も一杯あるからきっと楽しいよ。さ、行こ」
差しのべられた小さな手のひらと、温かみのある笑顔。胸に熱い物を感じながら私は手を取ります。しっかりと包まれた手は汗ばんで頬には赤みが差しておりました。
鳥居を潜ると、提灯の淡い光と楽しげな人々の声が目の前で広がっておりました。独特の笛の音が耳に流れ込んで来ます。リクオ様の顔も明るくなり、感嘆の声を上げあちこちに顔を向けていらっしゃいました。
握られたままの手には力が込められ先程までの疲れなどどこ吹く風と言わんばかりにはしゃぎまわります。出店を出して居るのは、屋敷で見た妖たちが殆どで、リクオ様の顔を見るなり食べ物を渡されたりと大喜びしていらっしゃいます。
「良し、此処だ」
そう叫んで、玩具の銃口を狙い目の品に向けます。ぽんっという音を立て弾が勢いよく飛び出します。惜しくも軌道は外れ紅白の布を揺らすだけに終わってしまいました。
「あー……また駄目だった」
肩を落とし落ち込むリクオ様にどう声を掛けていいか分からず戸惑っていると。
綿菓子を片手にリクオ様が言います。
「ごめんね。失敗しちゃった。せっかく魅琉鬼ちゃんにあの人形あげようと思ったのに」
「……え」
息を飲みました。まさか私の為に。
「あ、そうだ! 魅琉鬼ちゃん。ちょっと待ってて」
そう言って繋いでいた手は解けてしまいます。咄嗟に着物の裾を握りしめて居りました。私ったら何をやっているの? けれど、この手を離してしまえば、リクオ様は何処かへ行ってしまう。
「……嫌」
我ながら子供じみたことをしているのは百承知。それでも、離れるのが嫌で堪りませんでした。リクオ様は照れ笑いをしながら困った様に指で頬を掻いて。
「約束。直ぐ戻ってくるから、祠の所でまってて」
そう言って差しだされる小指。顔が熱くなるのが分かります。今更自分のした事の愚かさに気付くだなんて。おずぞずと小指を絡めました。
「指きり減満嘘付いたら針千本のーます。指切った」
そして、一目散に何処かへ向かって行きました。
◆◆◆
人気の少ない祠の前に立ってリクオ様が来るのを待ちます。
遠くの方から笛の音が聞こえてくるも先程とは違う静けさが場を支配していました。
私は手にした巾着の紐を握りしめて不安を振り払っていました。
すると、砂利を蹴る音が聞こえ、視線を向けるとリクオ様が息を切らして此方へ向かって来るのがわかります。
「リクオ様」
私は、思わず叫びました。相当走っていたらしく顔中汗に塗れ膝に手を置き肩で息をしていらっしゃいます。
莫迦! 私の莫迦! あんな約束をしてしまったばっかりに。手拭を取り出し汗を拭いて差し上げます。ああ、こんなにお顔を真っ赤にして……申し訳ございません。
「ごめんね、待たせちゃって」
「いいえ、悪いのは私です! あんな我儘を言ったせいでこんなに汗を」
リクオ様は、笑って許して下さいました。そして……。
「これ、君に似合うと思って」
懐に手を忍ばせたかと思うと、勢い良く私の前に握り拳が突き出されました。
「手、出して」
紅くなったままリクオ様が言います。その通り両手を出すと、一本の簪が掌に置かれました。白椿に藤の花が添えられたとても綺麗な簪でした。
「これは」
「へへ、人形は無理だったけど」
鼻の下を人差し指で擦って照れ笑いを浮かべるリクオ様。私の視界が霞みます。ああ、此処で泣いてはリクオ様が心配してしまう。
けれど、一度込み上げたモノは抑える事は出来ずに涙となって私の頬を伝います。
「ありがとう……ございます。リクオ様、こんなに素敵な贈り物を貴方様から頂けて私は幸せです」
「よ、喜んで貰えて嬉しいよ」
「……はい」
突如、けたたましい音が耳に届き顔を上げると、花火が空を彩っておりました。星の輝きに負けぬ美しさに感嘆の声が漏れます。
「綺麗」
「うん、そうだね。綺麗だ」
私がリクオ様に視線を向けると、慌てた様子で顔を背けてしまいました。