プライドの高い奴ほど義理堅い。
例え地元の高校に通っていても、一人暮らしなら朝は早い。まずは朝早起きして歯磨きをして、洗濯機を回し、朝飯と弁当を作り、食べ終えたら洗濯物を干し、もっかい歯磨きをすればもう出発の時間だ。
つまり、だ。寝坊なんてすればその時点でアウトである。
「……」
現在、午前8:45。授業開始まで15分前、ホームルーム開始までマイナス15分前である。
まぁ、寝坊しちまったもんは仕方ない。今から慌てたって遅刻は遅刻なのだ。
そのため、海斗はのんびりと身体を起こし、いつものように急ぐことも慌てる事もなく、朝の身支度を終えて学校を出た。
いや、正確には朝飯と弁当は諦めた。途中、コンビニで買い食いして行くしかない。
制服に着替え、鞄を持ち、トリガーと財布をポケットにしまい、欠伸をしながら家を出た。
規則正しい生活をしている者なら、心地よく目覚めた朝というのはとても気分が良い。寝起きはどうも機嫌が悪くなる場合が多いが、気分の良い目覚めはそれらを全て打ち消してくれる。
まぁ、海斗の場合はこれから教師に怒られるわけだが。それくらいなら別に構わない。慣れてるし。
そんな事思いながらコンビニに入ると、今日は月曜日であることを思い出した。
その時点で脚は雑誌売り場へ向かった。ジャンプを手に取ると、他の手もそのジャンプを掴んだ。
「……」
「……」
影浦雅人である。
「……なんだよ。いい歳こいて週刊少年漫画雑誌か?」
「テメェが言うなコラ。良いからその手ェ離せ。俺のが早かっただろ」
「いや同時だ。ここは歳上の俺に譲れ」
「歳上なら歳下に譲る度量くらい持てやコラ。テメェそれでもセンパイか?」
「センパイがなんでも言うこと聞いてくれると思うなよバカ。一昔前の体育会系は後輩が全部譲ってただろうが」
「いつの話をしてんだ。今の時代は先輩には器量があることで初めて価値が見出される時代になったんだよ」
「テメェ、優先席が何のためにあるのか知らねえのか。歳上の方を労わるためだろ」
「バカ、優先席は生後0〜1年の子供を抱える親御さん優先でもあんだよ。つまり、歳下優先だ」
「あれは親御さん優先であって赤ん坊優先じゃねえだろ」
「赤ん坊がいるから優先されてるわけで、つまり赤ん坊優先だぞ。親御さんソロプレイで優先されるか?」
「なんだよソロプレイって。じゃあ逆に」
「あの、お客様」
全く別の方向に口喧嘩が飛んでる途中、店員さんがやんわりと声を掛けた。二人してそっちに顔を向けると、営業スマイルで言った。
「二冊あるので、さっさと買ってくれませんか?」
×××
朝から教師に怒られるより不快な思いをした海斗は、その後もずっとイライラしっぱなしだった。
しかし、単純な男は機嫌を直すのも単純だ。出水に飲み物を奢ってもらい、すぐに素のテンションに戻った。
現在、放課後。正確に言えば、昼休み直後、つまり5〜6時間目辺りだが、突然の呼び出しによって防衛任務に就いていた。
その雰囲気はかなり異様な空気に包まれていた。
「……」
「……」
「……」
今日の防衛任務のメンバーは海斗、影浦、三輪の三人だった。いや、一応は古寺もいるが、かなりいづらそうにしている。
はっきり言って、異色のチームだった。だが、仕方のない事だ。元々、予定だった三輪隊のメンバーの米屋と奈良坂が風邪でダウンし、急遽、呼び出しで三輪と同じ高校で非番だった二人が呼び出されたのだ。
「……」
「……」
「……」
三人は突っ立ったままずっと目を合わせなかった。
正直に言うと、海斗は三輪秀次という人間が苦手だった。姉が近界民に殺されてる事もあって、ボーダーにいるときは常にピリピリしている。高校では別のクラスだが、遠目に見てもあまりクラスに馴染んでる様子はないし、何となく言い放題言いにくい……なんてありきたりな理由ではなく、単純にこの前、本部の食堂でラーメンの器を片付けていたらぶつかってしまい、スープを頭からぶっかけてしまったからである。
謝ったが、普通の奴ならキレるなり何なりする所だが、メチャクチャ眉間にしわを寄せて「……気にするな」と言われてしまったからである。その方が気にしてしまうものだ。
それ以外にも、なんか前々から少し見られてる気がしたが、感情の色を見ても悪意的な感情は抱かれていない。むしろ興味を持たれている感じだから「なんか用か?」などと喧嘩腰で問いただす事も出来なかった。
だから、こうして一緒にいるだけで、少しずつだがストレスが蓄積されていく。
そんなムシャクシャしてる時に、門の開く音がした。それにより、海斗と影浦は顔を向けた。
「お、来た」
「おい、海斗」
声を掛けたのは影浦の方だ。下の名前で呼んでるのは、苗字に自分と同じ「カゲ」が入ってるのが腹立つため。
ギザギザの歯を剥き出し、好戦的に微笑んだ影浦が声を掛けた。
「朝の続きだ。どっちが先に倒すか競争しようぜ」
「はっ、上等だコラ。負けた方は?」
「風間さんの身長をメジャーで測る」
「「オーケー!」」
「……」
三輪の視線を感じつつも、海斗は振り切って影浦とバムスターに突撃した。
足の速さは海斗の方が上のため、バムスターに先に接近したのは海斗の方だ。途中で大きくジャンプし、目玉に一直線で一撃を狙う。
しかし、影浦には自身が考案した中距離戦技、マンティスがある。
「海斗ォ! 怪我したくなきゃ、退きなぁ!」
実際にはトリオン体のため、怪我なんかしない。しかし、誤射による緊急脱出なんてあってはならないし、馬鹿のくせにプライドは高い海斗にとってはある意味、大怪我だ。
だが、海斗はその斬撃を、スラスターレイガストパンチで止めた。その衝撃をさらに自身の加速に用いた。
そのまま一気に目玉を取ろうとした直後だ。バムスターが姿勢を崩したようにガクンと大きく傾いた。
「あ、この野郎⁉︎」
「お前への一撃は一瞬、動きを止めるためのもんだよ!」
影浦が二発目のマンティスでバムスターの脚を大きく殴り飛ばし、標的を消したのだ。
グラスホッパーのない海斗は、そのまま勢いを止められず、電柱に着地した。
その隙に、影浦は距離を詰め、崩したバムスターの脚を踏み台にして大きくジャンプし、目玉に一閃を放っ……。
「させるかボケェ‼︎」
「うおっ⁉︎」
唐突に電柱がとんできた。影浦に向かって。海斗が電柱を斬り裂いて、屋根の上から投擲したものだ。
その電柱を踏み台にして、何とか空中で身を翻して地面に着地し、海斗に吠え散らかした。
「テメッ、何しやがんだコラァッ⁉︎」
「あ、ごっめーん、手が滑っちゃったー。キャハっ☆」
「気持ち悪ぃんだよハゲ!」
「アア⁉︎ テメェから片付けてやろうか⁉︎」
「上等だボケェッ‼︎」
もはや、ただの喧嘩が始まりそうになった時だ。二人を影が覆った。ふと顔を上げると、さっきまでタコ殴りにされていたバムスターが起き上がっていた。「よくもやってくれたな」的な。
しかし、トップランカーの攻撃手たる二人はそんな事じゃ慌てない。
「はっ、面白え。最初にやり合った時と同じだ」
「せーので、殴りっこだな?」
「「せーのっ‼︎」」
と、拳を引いた時だ。バムスターに無数の鉛が付けられた。
「「……アア?」」
間抜けな声が出たのも束の間、奥から二人の間を抜けて拳銃によるアステロイドが通り、バムスターの口の中の目玉に穴を開けた。
それにより、完全に沈黙するバムスター。海斗も影浦もポカンとしてる間に、三輪が腰のホルスターに銃をしまいながら戻って来た。
「陰山、影浦さんも。競うのは結構だが、仕事はキチンとしてくれないと困る」
「アア⁉︎ んな事ァ、テメェに言われたかねェんだよ‼︎」
「人の喧嘩に水差すんじゃねえよツルツルヘアーが‼︎」
『陰山くん、影浦くん?』
背筋が凍るような声が、海斗と影浦の耳に響いた。三輪隊オペレーター、月見蓮の声だ。
『あまりふざけてると後でお説教よ?』
海斗も影浦も、俗に言う怒られ慣れたタイプの人間だ。だからこそ分かる事がある。この人の声はヤバいタイプのそれだ。
「……テメェ後で覚えてろよ」
「こっちのセリフだボケ」
そう言うと、また新たに出現した門を二人は睨んだ。さぁ、八つ当たりの時間だ。
×××
その後、海斗達は完璧以上に任務を遂行してみせた。と、いうのも、八つ当たりモードの海斗と影浦の活躍はまさに鬼神の如き活躍だった。
例えば、影浦雅人。お得意のマンティスと、異様に早い剣速で近界民を片っ端から斬り刻んだ。
例えば、陰山海斗。拳と脚でトリオン兵をサンドバッグにしていた。最早「それお前のストレス発散じゃね?」と言わんばかりに。
例えば、三輪秀次。元々、近界民に恨みがあるため、もういつも通り無機質にボッコボコにし続けた。
はっきり言って、古寺の役割なんか一ミリも無かったが、まぁそれは置いとくとして、だ。
だから海斗は釈然としなかった。三輪隊の作戦室で、自分が歳上の綺麗な怖いお姉さんに説教を受けてるのが。
「わかるわね? 戦闘中に喧嘩は絶対ダメ。影浦くんは歳上なんだから、ちゃんと敬わないと」
あんなのを敬う理由が無い、と心が叫びたがっていたが、ここで何か言えばまず間違いなく説教が長引くので黙っている。
「本当に反省しなさいね? 相手が統率されていないトリオン兵だから良いけど、それなりに大きな規模の侵攻を受けたら、喧嘩なんてしてる場合じゃなくなるのよ?」
「分かってるっつーの……」
「……そう。まぁ良いわ。次、同じ事をしたら今度は風間さんも来るからね?」
「へいへい。……鬼ババァ」
「もしもし、風間さん?」
「嘘です、ごめんなさい」
スマホを取り出されたので土下座して謝った。軽い頭である。
ようやく解散を命じられ、海斗が三輪隊の作戦室を出ると、扉の前で三輪が待機していた。
何か文句でも言われるのだろうか。それはもう月見によってされてるし、何か言われたら思いっきり言い返してやろう、そう心の中で宣言してると、三輪が口を開いた。
「……陰山。もう説教は済んだのか?」
「済んだよ」
「なら、付き合ってもらえるか?」
「俺、のんけなんで」
「そうじゃない。ラウンジで何か奢」
「行こうか」
そんなわけで、ラウンジ。二人で席に座り、コーヒーを飲んでいた。
ズゴゴッとストローを啜ってから、片眉をあげた。
「で、用って? 告白?」
「違う。ただ、少し聞きたいだけだ。なんでそんな戦い方が出来るのか」
ああ、いつものアレか、と半ば落胆した。要するに、こいつも自分の喧嘩スタイルが知りたいとかそんなんだろう。
アレは、はたから見たら強そうに見えてるかもしれないが、海斗がこのスタイルなのはこれが馴染んでるからであって、他人が真似して出来るものではない。
しかし、次に三輪から飛んで来たのは予想外の感想だった。
「その、なんていうか……お前の戦闘を見ていたら、かなりスッとしたんだ」
「は?」
何言ってんの? と言わんばかりに聞き返すと、三輪は続けて語り始めた。
「あの近界民どもを、殴って膝蹴りして……武器を普通に使うより、遥かにエゲツなく戦っているだろう。側から見てても少し引くくらいに」
「や、そんなつもりはないんだけど」
「俺は、姉を近界民に殺された。ボーダーの中でも、かなり近界民に対する憎しみは大きいと思っている。しかし、お前の戦い方を見ていると、自分の戦い方はまだ緩い気がするんだ」
そんな事ないと思うけど、と思ったが黙っていた。実際、鉛弾で身動き取れなくしてからトドメを刺すスタイルは、中々に海斗に負けず劣らずのエゲツなさな気もする。
しかし、そんなことを気にしてる場合ではなかった。次に三輪の口から飛び出したのは、とてつもない勘違いだった。
「もし、良かったら、聞かせてくれないか? どうしてお前はそんなに近界民を憎んでる?」
「は?」
「憎んでいるから、そこまで相手を袋叩きにしようと思えるんだろう?」
「……」
これはマズイ、と海斗の頬を汗が伝る。だって、全然憎んでなんかいないから。
だが、目の前でバッキバキに近界民を恨んでる相手にそれを言える程、海斗は気が大きくなかった。ましてや、自分は両親を殺されているのに憎んでいない口だ。おそらく、目の前の悩める少年とは一生、分かり合えないかもしれない。
「……う、うーん……」
「まぁ、無理にとは言わない。近界民による被害で痛めた心なんて、自分にしか分からない事だからな」
「……」
そう言う三輪は、姉の事を思い出したのか奥歯を噛み締めていた。
さて、困った。正直、ボーダーに入って以来の危機だ。しかし、彼も自分と同じ境遇かもしれない人間を見つけて、相談相手が出来たと思っているのかもしれない。下手なことを言う気にはなれなかった。
何とかして言い訳を言わねば。しかし、この言い訳も下手なことを言えば変な感じになりそうだし……。
とりあえず、嘘ではない部分を言った。
「……まぁ、うん。えーっと、ほら、アレだよ。俺も両親死んでるし、別に恨んじゃいないが、ナメられたまま終わる気はない、みたいな……」
嘘ではない。金が欲しい、という部分を丸々カットして言うと、三輪は顎に手を当てて意外そうな顔を浮かべた。
「……近界民を恨んでいないのか?」
「え?」
「両親が、亡くなられたのに?」
「あ、うん。まぁ、俺の両親は良い人だったわけじゃねぇし。家族旅行よりも接待ゴルフを優先されてたから」
「……そうか」
三輪はまた再び、表情を曇らせた。やはり、色々と思うところがあるようだ。
自分は、シスコンと言われても構わないほど姉が好きだったから、家族が好きではなかった目の前の男の気持ちは分からない。しかし、それでも海斗は近界民に対し、闘志を燃やしているのはよく分かった。
戦闘バカの米屋陽介のはまた違い、ナメられっぱなしで終わるつもりはない、という思ったよりふざけた理由だった。
しかし、三輪はその考えは何となく嫌いではなかった。さて、そろそろ帰らねばならない。
「……話を聞いてもらって悪かったな」
「あ、もう終わり?」
「ああ。そろそろ帰る」
そう言って、三輪は立ち去った。その背中をぼんやり眺めながら「変なのに目を付けられたなぁ」と思いつつ、海斗もそろそろ帰宅することにした。
席を立ち、小さく伸びをしてボーダー本部を出た。
×××
街を歩いてると、もう夕方にも関わらず、外はまだ明るかった。街灯もあるんだろうが、何より日が伸びたんだろう。
もう春だし、当然と言えば当然だが、これから夏がやってくると思うと憂鬱だった。暑いし外に出るのも嫌になるし、中間と期末もあるし。それを乗り越えれば夏休みだが、夏休みもボーダー本部まで来なければならない。それは少し憂鬱だ。
また、八月といえば誕生日がある月だが、親から金以外のプレゼントを貰ったことがないため、特に特別感はなかった。いや、去年の夏だけは米屋と出水に祝ってもらえて馬鹿騒ぎしたのを思い出した。楽しかった。
高校に入ってから友達が出来て、中々、楽しい思い出も増え、ボーダーに入ってからは更に友達や知り合いの幅が広がったので、出水と米屋には感謝しなければならないかもしれない。
……まぁ、こんな事、絶対本人達には言えないが。
そんな事を考えながら歩いてると、ふと視界に変なのが見えた。
「残念、この道を通るには通行料が必要です」
「通行料はー……三千に負けてやるよ」
「通常は四万なんだけどな」
「ギャハハっ、負け過ぎだろ!」
……心底深いため息が漏れた。自分も前まで似たようなことをやっていたが、あのての原始人がいまだに消えないのは本当に厄介だ。自分達の仕事は、あの辺の連中も守らねばならないのだから。
まぁ、とはいえ夕方に一人で歩いてる、あの中学生くらいの少年も良くないのだが。
何はともあれ、見逃すのは良くない。歩いて声を掛けた。
「通行料が必要なんだって? 確かに良く整備された歩道だもんな」
「アア?」
「なんだテメェコラ」
中学生くらいの少年の前に出て、海斗は詰め寄ってくる四人組をジロリと睨む。
「なんだって何。名前を聞いてんの? それとも職業? それとも行動の話? 抽象的過ぎて分かんねーよ」
「抽象的な質問をしてんだよ。まぁ、なんでも良い。とりあえず代わりにテメェが払えや、五万」
「一万増えてんじゃねーか! ギャハハ!」
……笑い声が鬱陶しい。しかし、完全に面倒なタイプだ。まぁ、いつものパターンで良いや、と思い、とりあえず口を開く。
「お前、笑い声うるせーよ。耳にキンキン響くんだよカス」
「ああ⁉︎」
「ガキ相手にバカな真似してんじゃねーぞオイ。今なら殴らないでおいてやるから、さっさと帰れ」
「ナメてやがるな。決定だ。まずはテメェから殺す」
……はい、掛かった。一人が海斗の顔面に拳を叩き込んだ。
ゴスッ、と。頬に拳が減り込むが、海斗の顔面は動かない。姿勢も崩れない。電柱を殴ったように微動打もしなかった。
「は?」
「……はい、正当防衛な」
今度は海斗の番。軽く拳を振ると、殴ってきた奴は大きく後方にブッ飛ばされた。殴られた相手はピクリとも動かない。
さて、残りは三人だ。指をコキコキと鳴らしながら、距離を詰める海斗。
「はい、次」
「お、おい……こいつ……!」
「正当防衛の陰山か⁉︎」
「バカヤロウ! ビビってる場合か! ここでこいつの首を取れば、俺達の知名度は上がる!」
なんだか優しく聞こえる通り名を言われたが、全然嬉しくなかった。なんだ「正当防衛の陰山」って。
まぁ、何はともあれ、あと三人だ。片っ端から蹴散らせば良い。久々の生身の喧嘩に心を踊らせてると、後ろから袖を引っ張られた。
「ねぇ、ちょっと」
「あん?」
片目が前髪で隠れた中学生くらいの少年だ。
「別に平気だから、その辺にしておきなよ」
「アア?」
「俺、ここで人と待ち合わせしてるし……」
と、言いかけた直後だった。ガキッ、と頭に衝撃を受けた。硬い何かを叩きつけられたような衝撃。
つぅっと視界を赤い液体が包む。少年が目を見開いているのがかろうじて見えて、殴られたことを理解した。それも、恐らく鈍器か何かで。
後ろを見ると、ヤンキーのうちの一人がその辺からそこそこ大きめの石を持っていた。
「……は、ははっ、やったぜ!」
「おい! 畳み掛けろ!」
「っしゃあ!」
襲い掛かってくる三人。しかし、この程度はハンデでも何でもなかった。金属バットで頭を殴られたこともある海斗にとっては良い眠気覚ましだ。
今度こそ全員こいつら殺す、そう思った時だ。真ん中で石を構えた奴の股下を、足が見事に蹴り上げた。つまり、股間にウィークヒットした。
「グハッ……!」
「な、なんだ⁉︎」
海斗も少年も何事? と言わんばかりに顔を向けると、そこには一番、見たくない顔が立っていた。
「何やってんだバカども」
「……雅人」
「カゲさん? ゾエさんも」
え、知り合い? とお互いに聞こうとした直後、ヤンキーどもは足早に立ち去っていった。
その海斗の前に、影浦は歩き、睨みつけながら聞いた。
「テメェ、ユズルと何してやがった?」
「アア? てか知り合い?」
「うちのチームメイトだ」
「……そうなの?」
「カゲさん、この人は俺を助けてくれたんだ」
「そうなのか?」
影浦と海斗はお互いを睨み合うと、小さく舌打ちした。北添が、影浦に「どうするの?」と尋ねる。
で、影浦の方から海斗に声を掛けた。
「……来い、チームメイトが世話になった礼だ」
「アン?」
「手当てしてやる」
×××
影浦と北添は、絵馬ユズルという狙撃手の少年と待ち合わせをしていた。影浦の家で飯を食う予定だったのだが、影浦に任務が入ってしまったため、少しズラすはめになってしまった。
一応、海斗は頭に包帯を巻いてもらったが、割と本気で痛みも何も感じていないので、あまり意味はない。
「本当はテメェなんぞに奢りは嫌なんだがな……」
今は四人で飯を食っていた。かげうらのお好み焼きを焼くのは影浦本人だ。流石、その家の息子なだけあって焼くのはとても上手い。
「アア? テメェから奢るって言い出したんだろうが」
「世話になった以上、礼しないわけに行くかよ。特に、テメェに借り作りっぱなしなんざ、絶対ェごめん被るぜ」
「まぁまぁ、二人とも」
北添が二人の間に入って仲介する。どうやったら初対面でここまで仲悪くなれるのか知りたいくらいだった。
「海斗くんも、ありがとね。ユズルを助けてくれて」
「別に良いっつーの。ああいう輩は個人的にムカつくだけだ」
「でも、少し意外かも。わざわざ助けてくれるのは。あんまり他人と関わりたがらないタイプだと思ってたから」
「それは間違っちゃいねえよ」
実際、ボーダー内で海斗と知り合いになったメンバーのほとんどが向こうから海斗にコンタクトを取ってきたわけで。
サイドエフェクトで他人が自分に向けている感情が分かってしまうから、不愉快な色を見せ付けられるくらいなら、そもそも関わらないようにしておきたかった。
「……でも、良い人だよね、陰山さん」
ユズルが隣から口を挟んだ。それに、影浦が反応した。
「アア? こいつが良い奴なら一条楽も良い奴だろ」
「や、そういうんじゃなくて。弟子取ってたでしょ。女の子の。その時、すごい過保護だったから」
ユズルがそのシーンを見たのは、つい2日ほど前。その女の子は正隊員に昇格し、A級部隊のエンブレムを付けていた子が、個人ランク戦で戦闘を終えてから「ここ最近、まぁまぁ頑張ってんな。おら、スポドリだ。運動後にはこれが一番だ。炭酸は飲むなよ。あと、疲れた時は甘いものだ。どら焼き買って来てやった。あとこれ。たまたま偶然拾ったから、使えよ。健康ランドのチケット。たまにはしっかり休んでこい」など抜かしていた。
それを聞いて、影浦と北添はジト目で海斗を睨んだ。
「……テメェ、ロリコンか?」
「ゾエさん怖い」
「違ぇよ! 普通に労ってただけだろうが!」
「お前の普通が怖ぇよ……」
「えーっと……海斗くんの保護者は誰? 出水くん? 米屋くん? 小南ちゃん?」
「全員同い年だろうがバカどもが!」
……年上なら一先ず良いのかな、とユズルは思ったが、口に出さずに黙っておいた。
しかし、それは海斗には逆効果である。
「ちびっ子、言いたい事あんなら素直に言え」
なんで分かった? と少し焦った。自分ではあまり感情は表に出ないタイプだと思っていたから。
しかし、まぁバレてるなら仕方ない。本人がそう言うなら、言ってしまって良いだろう。
「ん、年上なら保護者である事を甘んじて認めるのかなって」
「んなわけあるか! ブッ殺すぞチビ!」
「アア⁉︎ テメェ、うちのチームメイトに喧嘩売ってんじゃねえぞ‼︎」
「先に喧嘩売ってきたのこいつの方だろうがァッ!」
「まぁまぁ二人とも!」
生身の戦闘力は木崎レイジに次ぐナンバー2の北添が間に入る中、ダイナマイトに火をつけた張本人であるユズルは焼けたお好み焼きを勝手に切り分けて口に運んでいた。
×××
その日の夜、布団の中で海斗は影浦の事を思い出した。今の今まで、ただのクソッタレだと思っていたが、意外にも義理堅い一面があるようで、チームメイトを助けたってだけでわざわざ自分の家で飯を奢ってくれた。
タダ飯に弱い自分はつい釣られてしまったが、あそこで焼いてくれたお好み焼きは美味かった。流石、倅なだけある。
「……チッ」
考えてみれば、自分は今日、影浦に助けられたのだ。別にヤンキーに頭を殴られた時、影浦の助けが無くとも奴らを全滅出来た。
しかし、それに影浦が入ってきた以上、助けられてしまった事に変わりはない。
つまり、チームメイトを助けた貸し1に対し、助けてもらった、手当てしてくれた、飯を奢ってもらった、と借り3なわけだ。
向こうが同じだったように、海斗も影浦に借りを作るのだけは御免被る。
「……覚えてやがれ、あのハゲ」
ハゲてないチリチリ頭を思い浮かべながら、とりあえず今日の所は目を閉じた。
×××
影浦は、自分の部屋で身体を横にしていた。まさか、新米の癖にやたらと態度がでかいあのムカつく野郎に助けられるとは思わなかった。
自分ではなく、チームメイトを助けられた、というのが、尚更大きな借りだ。
というか、そもそもあの野郎に人を助けるような気骨があるとは夢にも思わなかった。むしろカツアゲした金をカツアゲするタイプだとばかり思っていた。見直してしまった、なんて口が裂けても言えない。
一応、借りは返したものの、自分ではなくチームメイトを助けられたものの、飯を奢った程度じゃ返し切れない。
「……覚えてやがれ、あのハゲ」
そう呟くと、とりあえず今日の所は目を閉じた。