ボーダーにカゲさんが増えた。   作:バナハロ

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卒業しても関係を保ちたければ連絡は忘れるな。

 それからというもの、バカとバカによる借りの返し合いが始まった。

 例えば、学校の食堂。出水、米屋、海斗の三人が飯を食い終えた後、影浦が荒船隊狙撃手の穂刈と現れた時、唐突に海斗が席を譲ったり。

 体育の授業中、たまたま海斗と影浦のクラスが被り、近くで別のグラウンドでソフトボールをやってると、ボーッとしてた海斗の肩にボールが直撃、それを影浦がわざわざ運んで手当てしてやったり。

 買おうとした飲み物がラス1だった時、海斗が何故か影浦に譲ったり。

 学校帰り、海斗が教師に押し付けられた近くのペナルティで、ノートを化学室まで運ばされてるのを影浦が手伝ったり……などなどと。

 それはボーダーでも同じで、作戦室の掃除をしたり、ランク戦後に飲み物を奢ったり、トリガーを磨いたり、靴を磨いたり、肩を揉んだりと、なんかもうメチャクチャだった。

 お陰で異様に気疲れした海斗は、玉狛に来ていた。本部に行くと絶対に影浦とかち合うからだ。

 扉の前でノックをすると、扉が開いた。

 

「はーい……あっ!」

 

 出て来たのは小南だった。何故か、海斗の顔を見るなり不満げな表情を浮かべた。

 

「え、何?」

「……何しにきたのよ」

「遊びに」

「何日も来なかった癖に」

「ああ?」

 

 小南の放ってる色は、赤い危険色だがどうにも不愉快に感じない。過去に見覚えのない色だ。

 

「とりあえず、上がって良いか? しばらく本部に行きたくない」

「ダメよ」

「お邪魔しま……今なんて?」

「だから、ダメよ。上がらせてなんてあげない」

 

 その一言がカチンと来た。頬を引きつらせ、額に青筋を立てた海斗は、喧嘩腰で小南に聞いた。

 

「……おい、大概にしろよテメェ。何キレてんだから知らねーけど、もう遊んでやらねーぞコラ」

「は? そもそも遊んでやらねーって何? アタシが遊んであげてた側で遊んでもらったことなんか無いんですけど?」

「ブチ殺されてェのかバカ。おれが一本取ると必ず子供みたいに『もう一本!』って駄々こねんのは誰だよ」

「あんたの方からここに来てわざわざ勝負を挑んで来るくせに笑わせてくれるわね」

「一応、言っとくけど、俺ァ、レイジさんに会いに来たんだからな? それなのにわざわざ挑発して来てんのはお前の方だからな? 高校生にもなってそんなこともわからねえのか」

「あんたにだけは言われたかないわよ。何せ、あんただって挑発だってわかっていながら毎回乗ってきてるじゃない」

 

 と、グタグタと御託を並べながら二人の額の青筋は増えていく。そんな時だ。いつのまにか足元にいた陽太郎が、海斗の足に手を置いた。

 

「まぁ、そうおこるな、かいと」

「おう、陽太郎。どら焼き買ってきてやったぞ。お前からも言ってやってくれ。この聞かん坊に」

「はぁ? それはどっちよバカ。良いからさっさと……」

「こなみは、ここ最近、かいとにかまってもらえなくてイライラしてただけだ」

 

 直後、その場に変な空気が流れ込み凍り付いた。海斗は「は?」と頭上に「?」を浮かべ、小南は一気に頬を赤くする。

 相手の感情が分かるサイドエフェクトを持つ海斗は、それが図星だったことを悟り、困惑したまま尋ねた。

 

「……え、そうなの?」

「ちっがうわよ‼︎ 陽太郎、あんたいきなり何言ってんの⁉︎」

「こなみはすなおじゃないからな。代弁してやった」

「頼んでないわよバカ!」

 

 うがーっと陽太郎の頬を摘む小南だが、海斗には分かってしまった。今、陽太郎へ顔を向けてるのは、もちろん制裁もあるのだが、それ以上に真っ赤になった顔を見せたくないのだと。

 こういう時、このサイドエフェクトは不便だ。ここで気付かないふりをして帰られれば良かったのだが、アドリブ力が残念な海斗は、正解の選択肢を選ぶ事は出来ない。

 故に。

 

「そうか、お前は寂しかったんだな。構ってやれなくてごめんな」

 

 無駄に優しいムカつく声で、久々に再会した彼氏みたいな台詞を吐き捨てた直後、小南の動きは実に緩やかだった。

 陽太郎の頬を摘んでしゃがみ込んでいた身体は立ち上がり、左手で海斗の肩に手を添える。

 全身のロールを全開に活かした身体の振りは、喧嘩慣れした海斗から見てもとても見事なものだった。出来れば脇を開いていなければもっと威力のあるビンタが出た事だろう。

 よって、海斗はこの攻撃を受けても良い、そう思った。しかし、ビンタが直撃する直前、小南の服装が緑色になってることに気づいた。

 つまり、トリオン体だ。

 

「……うそでしょ」

 

 バチィィィン、という心地よい快音が響き渡り、玉狛支部の屋根に留まっていた鳩達は一斉に逃げ出した。

 

 ×××

 

 トリオン体ビンタによって頭の傷口が開いた海斗は、結局、支部の中に入ることに成功し、手当てを受けていた。

 ヤンキーに絡まれたユズルを助けて以来、包帯を巻いていなかった傷口から血が流れ、流石にまずいと思った小南が結局、支部に引きずって入れたのだ。

 

「ていうかあんた、病院に行って検査してもらいなさいよ、全く……。普通、石で殴られたら死ぬからね?」

「るせーな。あの程度で死ぬようなヤワな体してねーよ」

「や、だからそれが普通なんだってば。ヤワじゃなくて」

 

 話が通じない。丈夫な体を持つのは良い事だが、ここまで化け物じみた防御力を持っていると、良い身体をしている、というよりは、普通にキモい、と思ってしまう。

 

「今日は小南しかいないのか?」

「後は陽太郎と支部長だけよ。何、ご不満?」

 

 やはり、何処か今日の小南は棘がある。何をそんなに怒ってるのだろうか? 手当が終わったら出直した方が良いのかもしれない。

 そう思った時、ちょうど良いタイミングで小南が手当てを終えてくれた。

 

「はい、終わったわよ」

「どうも。じゃ、俺帰るわ」

「え、も、もう帰るの?」

「あ?」

 

 何その反応、と思ったのもつかの間。小南は不満げに眉間にしわを寄せた。

 

「また影浦さんに会いに行くの?」

「なんであんなのに会わなきゃいけねーんだよ……」

「だって、あんた専らの噂よ? あんたと影浦さん、すごく仲良くなったって」

「…………あ?」

 

 ビキリ、と海斗の顔に、もう何度目かの青筋が立った。

 

「テメェ今なんつったコラ」

「だから、仲良くなったんでしょ? いつも一緒にいて、お互いに気を掛け合って、前までいがみ合ってたのが嘘みたいって……」

「ダァァァレがあんなクソッタレと仲良くするかァァァァッッ‼︎ 誰から聞いたそれッ⁉︎」

「とりまる」

「あんのモサモサクソスカしイケメン野郎ォォォォッッ‼︎」

 

 席から立ち上がり、大声で吠える海斗に小南は純粋な顔をして首を捻った。

 

「違うの?」

「違うわ‼︎」

「影浦隊の狙撃手の子を助けてあげたのがきっかけって聞いたけど」

「畜生! 動機はそれっぽい!」

 

 それを聞いて、小南の肩がピクッと動く。

 

「それは本当なわけ?」

「そうだよ!」

「……じゃあやっぱりホントなんじゃ……」

「違ぇよ! あんなのと仲良くするくらいなら、ミミズかオケラかアメンボと仲良くなるわ!」

「じゃあなんでお互いに親切にしてたのよ」

 

 それを聞かれると、海斗は鼻を鳴らして答えた。

 

「決まってんだろ。あんなのに借りを作りたかねえからだよ。向こうも多分、同じ事思ってるんだろうがな。ったく、アホかあいつは。一々こっちは借りなんか気にしちゃいねえっつーの」

「それあんたも同じ穴の狢なんだけど……」

 

 そこをツッコミつつ、小南は大きなため息をついた。当然の反応である。

 

「まったく……あんたらバカじゃないの? なんで借りを返すってだけで意地の張り合いになるのよ」

「るせーよ。言っとくけど、テメーもだぞ」

「何が」

「俺ァ、絶対テメェにも借りは作らねぇからな」

「好きにしなさいよ……」

 

 もうバカバカしくてため息しか出ない。よく海斗と同レベルでいがみ合ってる小南だが、自分がそこまで子供ではない自覚があった。

 

「ま、アタシはあんたに借りを作る機会がないと思うし、格下同士で争ってなさいよ」

「アア⁉︎」

 

 違った、同レベルだった。女性の精神年齢は男性よりも二つ上らしいが、必ずしもその通りではないようだ。

 小南がフフンと鼻を鳴らして、海斗の買ってきたどら焼きに手を伸ばそうとすると、それを海斗が手前に寄せて動かした。

 

「……」

「……」

 

 今度は逆の手で取ろうとするも、それも躱される。余裕の笑みに影が射すが、小南はそのまま両手で取りに行った。

 しかし、生身では海斗の方が数段上だ。というか、生身で海斗に勝てる人間の方が少ない。

 小南の両手によるどら焼きキャッチャーを全て回避してみせた。ハァハァ、と肩で息をする小南は我慢の限界がきたのか、余裕の笑みなどカケラも浮かべる事なく立ち上がり、海斗を指差した。

 

「ちょっと! なんでくれないのよ⁉︎ 誰に買ってきたのよそれ!」

「これは林藤支部長とレイジさんと烏丸と迅と宇佐美と陽太郎と雷神丸とゆりさんとクローニンさんの分だ。お前のじゃない」

「なんで私だけピンポイントで外してるのよ!」

「いると思わなかった」

「嘘つけぇ!」

 

 もはや涙目になってがなり立てる小南に、海斗はニヤリとほくそ笑み、座ってるのに立ってる小南を見下して言った。

 

「良いか? お前がこれを欲しいと言えば、お前は俺に借りを作った事になる」

「なっ……!」

「……どうだ、嫌だろ?」

「すっごい嫌よ!」

「これが欲しけりゃ、俺が「借りを作った」と思えるようなことをしてみろ」

「え? う、うーん……あ、さ、さっき手当てしてあげたでしょ⁉︎ それでチャラよ!」

「お前が殴ったんだろうが。しかも戦闘体で」

「うぐっ……!」

 

 いつの間にか、下らない格下の借りのなすり付け合いに参加していた。

 ギャーギャーと言い争った挙句、その言い争いに飽きた海斗がどら焼きを譲った。元々、ちゃんと人数分買ってあったし。

 

「……うしっ、じゃあそろそろ本部に戻るわ」

「待ちなさい」

 

 まだなんかあんの? と思って顔を向けると、小南がトリガーを放り、パシッと空中でキャッチして地下室を親指で指した。

 

「久々に来たんだから、一戦くらい付き合いなさいよ」

「別にその仕草カッコよくねえぞ」

「一戦くらい付き合いなさいよ!」

「わかったわかった! わかったから怒るな!」

 

 30戦やった。

 

 ×××

 

 無駄に疲れた身体を引き摺ってボーダー本部に到着すると、まず顔を合わせたのは荒船だった。揶揄う気満々、と言った表情を浮かべて、開口一番で一番聞きたくないセリフをぶちまけた。

 

「よう、海斗。カゲと仲直りしたんだって?」

「ボーダー本部屋上からキン肉バスターされたくなけりゃ訂正しろコノヤロー」

 

 噛み合ってないよう見えて、本人達的にはしっかりと噛み合った挨拶だった。

 

「冗談だよ。もうカゲに聞いた」

「ならそういう冗談やめてくんない。ついうっかりブッ殺しちゃうかもしんないから」

「お、良い度胸だな。ブース入れ」

 

 指をコキコキと鳴らす荒船だったが、海斗は首を横に振った。

 

「いや、今日はやめておく。それよりも、その仲良くなったって誤解を全力で解きに行く。むしろそのために来た」

「なるほどな……。となると、まずは風間さんの所に行った方が良いな」

「あ? なんで。あのクソチビは一番に見抜いてるだろ、仲直りなんかしてねえって事」

「いや、先陣切って噂ばら撒いてるぞ。『普段の態度が悪いから良い薬だ』って」

「ブッ殺してやるあのクソチビ!」

「落ち着け! 風間隊は今日、防衛任務だ!」

 

 だそうだ。仕方なく、仇討ちは延期することにした。ならば、もう本部にいる必要はない。

 さっさと帰ろうと思ったが、せっかく荒船と会えたし、飯でも誘おうと思った時だ。

 

「あら、もしかしてあなたが陰山くん?」

「アア? 馴れ馴れしく呼んでんじゃねーよ誰だテメェコラ」

「……おい、海斗」

 

 荒船が呆れ気味に呟いたが、海斗は喧嘩腰で振り返った。しかし、相手が女性、それも歳上の人だと分かり、とりあえずポケットの中の拳は解いた。

 声をかけてきたのは、加古望だった。荒船は知ってるが、海斗はもちろん知らない。

 

「ふふ、聞いてた通りの子ね。荒船くん?」

「はぁ……まぁ、そうすね」

「影浦くんと気が合うのも分かるわ」

「ちょっ、加古さんそれは……」

 

 禁句、と、言おうとしたが、海斗は意外にも冷静だった。いや、顔はかなりキレ顔だが、手を出すような素振りは見せていない。

 

「全然あってねえよ! 殺すぞババァ!」

「ふふ、元気な所も口が悪い所も一緒ね」

「そんなのそこら中にいんだろうが! 口が悪くて元気があるのは世界中で俺と雅人だけなんですか⁉︎」

「そうね。元気が良くて口が悪くて目付きも悪くて成績も悪くて喧嘩っ早いスコーピオン使いは貴方と影浦くんだけね」

「スコーピオン使いの所は規模狭いだろ! ボーダー限定じゃねぇか!」

「いや、ボーダーにも結構な人数いるからなぁ」

「荒船テメェどっちの味方だ⁉︎」

 

 まさかの先輩の裏切りに、海斗の矛先は荒船に向く。それを見て、加古は意外そうに微笑んだ。

 

「あら、本当に女の子には手を上げないのね」

「女の子って歳かテメェは」

「ふふ、風間さんに電話したくなってきちゃったわ」

「嘘嘘。超女の子」

 

 何となく理解した。目の前の女が何処から情報を仕入れてきたのか。おそらく、バ風間の奴だろう。あのチビ、マジ泣かすと本気で誓っていると、加古は海斗に何かを思い出したように言った。

 

「そういえば、自己紹介がまだだったわね。加古望よ」

「あ? ああ。俺は」

「知ってるから良いわ。陰山海斗くん、でしょ?」

 

 ニッコリと余裕の笑みを崩さない加古望は、それはもう綺麗なお姉さん、という言葉がこれでもかというほど似合う程、美人だったが、今、海斗が気になっているのはそこではない。

 加古、という名前は何処かで聞いた気がするのだ。何処でだっけ……とか思っている間に、海斗に加古は優しく言った。

 

「でもダメよ? 陰山くん」

「あ? 何が」

「ちゃんと弟子の面倒は見てあげないと」

「は?」

「双葉、拗ねてるわよ」

 

 その直後だ。右手首をガッシリと掴まれた。そっちを見ると、黒江双葉が頬を膨らませて立っていた。

 

「黒江?」

「界王様」

 

 なんで怒ってんの? と聞くまでもなく、双葉は海斗に質問した。

 

「ここ最近、指導もしてくれないで影浦先輩とずっと仲良くしてましたね」

「お前までそれ言う? 師匠はかなり悲しいんだけど」

「側から見てたら仲良しです。自分を客観視してください。そうは思いませんか?」

 

 まるで教師に怒られる時に言われるような台詞を言われてしまった。しかし、言われてみれば確かに事情を知らない周りの連中から見れば仲良しに見えるかもしれない。

 

「……いや、でも実際そういうわけじゃ……」

「その気回しを少しでも弟子に回そうとか思わなかったんですか?」

「え? や、うん。だから」

「ここ最近、ずっとです。影浦先輩と仲良くしてて……まだ、レイガストパンチだって全然、習得出来てないのに……」

「頼むから聞け。人の話は最後まで」

「今から面倒見てください。うちの作戦室に集合です」

「や、そんな時間は……」

 

 珍しく押されている海斗の様子に、荒船は少し新鮮だった。こんなの見たことが無い。

 このまま放置していても良いが、海斗がさっきから助けを求める視線をチラチラと送ってくるので、仕方なく助け舟を出してやることにした。

 

「ま、放置してたお前が悪い。今から少し付き合ってやれ」

「荒船さぁん⁉︎」

 

 双葉に。

 思い掛けないアシストに、双葉は「決まりですね」と微笑んだ。

 こうなってしまえば、海斗も従うほかない。何より、語気の荒さの割に涙目の弟子を前にゴネることは出来ない。

 

「わーったよ……」

「荒船くんはどうする? うちの作戦室に来る?」

「いいっす」

「そう。じゃあまたね」

 

 そう言って、海斗は加古隊の作戦室に連行された。

 中は割と片付けられていて、太刀川隊のようにゴミやゲーム機が散らかってるような事はない。

 しかし不思議なのが調理器具やらキッチンやらがある事。まぁ、作戦室に入るのは三箇所目なので、どの作戦室が普通なのか分からないためなんとも言えないが。

 加古隊のメンバーを全員知ってるわけではないが、女二人がいる部屋ってだけで少し良い匂いがする気がしてしまうが。

 

「さ、入って。訓練室の準備は私がしてあげるから」

「オペレーターとかいねえの?」

「今はいないみたい」

 

 ふーん、と素っ気なく返事をしている間に、双葉は海斗の腕を引っ張る。早くしろ、と言っているようだ。

 

「はいはい……」

 

 肩を落として、訓練室に入った。

 

 ×××

 

 それなりに形になってきたため、二人で模擬戦を開始。双葉が正隊員になってから、初の戦闘である。

 海斗はポケットに手を突っ込んだまま突っ立っていて、双葉は背中の小太刀状の弧月を構える。

 しばらくお互い睨み合い。海斗も双葉も動かない。その直後だ。キィィィン……と、耳に嫌に響く音が届いた。海斗が片眉を上げて双葉を見ると、身体からバチッと音が響く。

 それと共に、双葉の自分に対する敵意を示す色は、かなりドス黒い赤に染まっていった。

 

「『韋駄天』」

「イカ弁?」

 

 直後、双葉の身体が瞬間的に加速し、海斗の右側から回り込むように高速移動した。

 右に出た時点で一撃、回り込み、左斜め後ろから二撃目、そしてさらに前に出て三撃目を放ち、後ろに回り込んで背後を取った所で、一旦韋駄天は途切れた。

 ボトッ、と海斗の指先からスコーピオンの生えた左腕を落とし、完全に背後を取った双葉は、壁に膝を曲げて着地し、間髪入れずに甲高い音を発する。片腕を落として背後を取った程度じゃ、師匠には勝てない。

 

「待って、何それ。俺そのトリガー知らない」

「『韋駄天』」

 

 問答無用。今度は、サッカー練習のカラーコーンを置いたジグザグドリブルのように空中を移動し、今更振り返った海斗に迫る。

 それを海斗は反り身で回避したが、双葉はそもそも攻撃をしてきていない。

 低姿勢で再び背後を取った双葉は、右手にレイガストを出し、拳を構えた。この位置なら、例え海斗が反応して振り返ったとしても、一瞬だけなら死角を取れているため、反応を遅らせられる。

 狙うは顎ではなくボディ。背が高い相手とやるには、無理して顔は狙わず目の前のボディを狙えというのは海斗の教えだ。

 

「スラスター!」

 

 獲った、そう確信した双葉だったが、目の前から海斗が消えた。いや、正確には脚だけ見えた。宙返りで回避されたようだ。

 今度は海斗が反撃する番。しかし、双葉も想定内だった。背後を取った海斗が廻し蹴りを放った直後、振り返った双葉は手に握ってるレイガストをシールドモードに切り替え、自分を円形状に包んだ。

 

「お?」

 

 大体の奴はこれで終わりなのだが、この反撃を防ぐあたり、海斗の事をよく分かってる。

 蹴りを防いだ事で動きが止まった隙をついて、シールドを解除して反対側の手に握ってる孤月で斬り掛かった。

 しかし、そこでふと違和感を覚えた。右腕の感触が軽過ぎる。ふと見下ろすと、自分の右腕がなくなっていた。

 

「……え?」

 

 いつのまに、と頭の中が真っ白になる。思えば、海斗の左腕を落とした時、指先からスコーピオンが出ていた。あのスコーピオンは、一体いつ使われたのか? まさか、韋駄天の速度を初見で見切り、それを上回る……いや、腕を落としてる以上は互角の速さで、自分の腕をもぎ取ったと言うのだろうか? 

 しかしポカンと悩んでいる暇はなかった。攻撃手同士の戦闘において、その一瞬の隙は命取りだ。目前に海斗の拳が迫り、双葉の顔前で止められた。

 

「……!」

「はい、俺の勝ち」

 

 ペタン、と尻餅をついた双葉は、ポカンとするしかない。

 その双葉の頭に、海斗はポンッと手を置いた。

 

「強くなったな」

「……いえ、まだまだです。片腕しか取れませんでした」

 

 海斗にとって初見の韋駄天まで使って、お世辞にも互角とは言えなかった。未だに師匠は、自分と戦う時にスコーピオンしか使わない。それはつまり、他のトリガーは使うまでもないという事だ。

 しかし、海斗は首を横に振った。

 

「十分だろ。つい一瞬だけ本気出しちゃったし」

「え?」

「なんだっけ。イカ弁? あれヤバいな。速すぎでしょ」

「ほ、本気出したんですか……?」

「ああ」

「で、でも、スコーピオンしか使わなかったじゃないですか!」

「俺いつもそんなもんよ。シールドも使い忘れる事あるし」

 

 小南、太刀川、風間、影浦、村上などといったとんでもない化け物達の時以外はスコーピオン以外使わない。それは、縛りをしてるのではなく単に使う必要がないだけだ。シールドもレイガストも、避けられるのなら必要ない。

 逆に、双葉の中ではそれが新たな目標になった。次に戦うときは、師匠に盾を使わせる。

 

「で、イカ弁すごくね?」

「韋駄天です。加古さんに薦められて装備してみたのですが、どうでした?」

「速いし良いんじゃね」

「……」

 

 適当過ぎる意見にむすっとした時だ。訓練室の扉が開いた。入って来たのは、加古望本人だ。

 

「お疲れ様、二人とも」

「ありがとうございます、加古さん」

「どう? 陰山くん。双葉は」

「強くなってんじゃねえの。千葉県で翻弄して、トドメはスラスターパンチとか使い所も悪くないし、俺が教えた通りボディ狙いもキチンと守ってる」

「韋駄天です」

「ただ、志○けんの乱用で自分の受けたダメージを認識出来なくなるのは困るな。アレの仕組みがどんなのだか知らんけど、俺に最後に斬りかかるまで腕がなくなってたのに気付かなかったのはいただけない」

「その辺は使いながら慣れていくしかないですね。もちろん、気をつけるようにはしますが」

 

 訂正を諦め、スルーした双葉だった。こういったアドバイスはキチンと受けておいた方が良いので、アホなボケに付き合っている暇はない。

 そんな中、加古が微笑みながら口を挟んだ。

 

「ふふ、ちゃんと指導してるのね」

「まぁ、弟子ですから」

「界王様ですから」

「そう。まぁ、色々と積もる話はあるでしょうし、とりあえずご飯にしましょう」

「え、ご飯?」

「私がご馳走してあげる。もう出来てるのよ?」

「えっ」

「マジですか! やったぜオイ!」

 

 タダ飯への弱さが、ここでは仇となった。双葉の「え、まじで?」みたいな反応も聞こえずに、海斗は加古の後に続く。

 

「飯なんすか?」

「炒飯よ。好き?」

「超好き。ラーメンのお供ですよ」

「ふふ、良かったわ」

 

 簡単にタメ口ではなく敬語になってる海斗に、双葉は呆れるしかなかった。

 実際、海斗はお腹が空いていた。というか、小南と30戦もなんでやったのか分からなかった。アホか自分は、と。

 しかし、単純な奴ほど身体も単純な作りをしているわけで。飯を食えば体力は回復してしまうのだ。

 そのことにウキウキした海斗は、訓練室を出ながらトリガーを解除した。

 

「何炒飯すか? 海鮮とか?」

「ふふ、そんなつまんないものじゃないわよ」

「は? つまんない炒飯って何? 面白い炒飯があるんですか?」

「今日の炒飯は小豆りんご炒飯よ!」

「お前今なんつった?」

 

 遅かった。小豆とリンゴがブレンドされた炒飯が机の上に三人分、並んでいる。

 

「……何これ?」

「だから、小豆りんご炒飯」

「ごめん聞き間違えたかも。もっかい言ってくれる?」

「小豆りんご炒飯」

「あ、やっぱりそう言ってたんだ……」

 

 小さくため息をついた海斗が、割と半分くらいキレた様子でジロリと加古を睨んだ時だ。

 

「化学の実験に他人を巻き込」

「わ、わーわー! 待った! 界王様!」

「んぐっ⁉︎」

 

 唐突にとなりの双葉が飛び掛かって、海斗の口を思いっきり塞いだ。それはもう息を止める勢いで。どんなに海斗の肉体が強靭でも、窒息だけは効いてしまう。

 振りほどいて、ジト目になって双葉を見下ろした。

 

「なんだよ」

「なんだよ、じゃないです! 下手なこと言わないでください!」

「なんで」

「隊長と師匠の仲が悪くなるなんて絶対嫌です!」

「えー、そんなん俺関係無」

「い、い、か、ら!」

「お、おう……」

 

 本気で睨まれたので従っておくことにした。弟子に嫌われるのだけはゴメンだ。

 しかし、文句も言わずにこれを食べなければならない。食材を無駄にするのは嫌だが、これを苦言の一つも漏らさずに食べなければならないと思うと憂鬱だ。

 

「さ、食べて食べて」

「……この寄生虫のた……」

「界王様」

 

 失礼なことを言いかけた隣の海斗の太ももをギュウッと抓った。この小娘、意外にも力強い。割と効いた。

 

「じゃあ、いただきます……」

「ええ、召し上がれ」

 

 冷や汗を流しながら、海斗はレンゲで炒飯を掬った。

 口に運んだ。

 意識が飛んだ。

 

 ×××

 

「あら、寝ちゃったの?」

「……そうみたいですね」

 

 山育ちで鍛えられた双葉の胃は強靭だが、数年前まではそれなりに裕福な暮らしをしていた海斗の胃は貧弱だった。

 これではもう帰れないだろう。幸い、明日は学校は休みなので、作戦室に泊めてやっても問題ない。

 

「加古さん、ベッドに寝かせてあげて良いでしょうか?」

「もちろんよ。私が運ぼうか?」

「いえ、トリオン体になれば問題ありませんので」

 

 トリガーを起動し、海斗をおんぶしてベッドまで運んだ。中学一年生に背負われる高校二年生の姿がそこにはあった。

 ドスンとベッドの上に降ろしてもらい、寝転がらせた。その海斗の寝顔を見て、双葉は表情を曇らせた。

 

「……誰?」

 

 そんな呟きが漏れた。

 

「どうしたの? 双葉」

「いえ、ちょっと……寝顔が、全然違くて」

「……あらほんと」

 

 眠っているときは力が抜ける。海斗の寝顔からは、眉間のシワが完全に消えていた。

 それはもう別人のような顔をしていた。本来なら目つきの悪い人じゃないんだな、と認識してしまうほどだ。

 逆に、何があったらこんな表情が変わるほどのシワができるんだろう、とも思ってみたり。悪い人ではないのに、敵ばかり作ってしまう損な人だ。

 なんだかもったい無い人だなぁ、と思ってると、加古がスマホを取り出した。

 

「ふふ、可愛いわね。みんなに送っちゃいましょう」

「……加古さん」

 

 鬼の所業をする隊長をジト目で見つめたが、多分自分が言ってもどうもならないので放っておくことにした。

 

 


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