前からだいぶ経ちました。
すいません、ブチャラティの続きも、承太郎さんの続きもまだです。行き詰ってこっちをついつい書いてました。
何処を見ているんだろうかと思った。
祈るように手を組み、じっと、司祭でもなく、そのありがたい教えを聞くわけでもなく。そうして、祈るわけでもなく。
ただ、女はその教会で微笑む神の息子を見つめていた。
イルーゾォはその日、心から己のことを不幸だと嘆いていた。
世間は天下のナターレ、つまりは生誕祭である。
だというのに、彼はマフィアという仕事柄なのか臨時の任務に駆り出されていた。
イルーゾォは隣りに座る女を見つつ、欠伸を噛み殺した。
(・・・・天下のナターレに、何が悲しくて教会で説教なんざ。)
そうは思っても断れないのが組織の人間というものなのだろうが。
「・・・・ポルポの護衛?」
「ああ、日にちは丁度ナターレだ。」
皆のたまり場のようになっている拠点において、イルーゾォは唐突に命じられた任務に顔をしかめた。それに、リゾットは淡々と告げる。
「ナターレのミサについていけ。数時間で終わるそうだ。」
「・・・・なんで俺なんだよ。」
イルーゾォにとってはそれは当然の疑問であった。
基本的にイルーゾォは今までポルポの護衛に駆り出されたことはない。ポルポ自身臆病な性のために慣れた相手をカラマーロが選出しているためだ。
基本的に彼女の護衛は戦闘力においても、相性的な部分においてもリゾットかそれともプロシュートが担当している。
お世辞にも愛想がいいわけでもなく、どこか高圧的なところのあるイルーゾォは護衛には向いていないだろう。
彼自身、そんな面倒な女の護衛なぞ御免こうむりたい。
数度だけ話したことはあるが、お世辞にもカリスマ性があるなど言えない存在であった
どこか、生気の欠いたふと街で見かけそうなほどに凡庸な女。
それについては別にいい。
何だかんだで、彼女には一応の恩は感じている。
日陰者の、影にあった自分たちに正当な評価というものを与えたのは彼女だけだ。けれど、だからといって女への忠誠というものを持っているかは別だ。
(・・・・ギアッチョやらメローネまで懐いたのは意外だったけどなあ。)
けれど、不思議と仲間たちは女を慕う存在が多かった。リゾットやプロシュート、そうしてホルマジオについてはまだ納得は出来るのだが。
その他に関しては、女に惹かれる様な理由も見当たらない。
それに何とも言えない薄気味悪さを感じずにはいられなかった。
(スタンド能力かって考えたが。スタンド能力を生み出すって力とそれじゃあ矛盾するしな。)
「・・・本来なら、俺かプロシュートでも回すんだが。俺や他の奴らは任務が入っていてな。お前ぐらいしか空きがないんだ。」
イルーゾォには断る術などない。渋々と、その任務を受け入れたのだ。
当日、ポルポは教会から少し離れた場所に車で送られた。そうして、少しだけ一人で歩く。暗い、少しだけ街灯に照らされた道を歩く。
そこには護衛であるはずのイルーゾォの姿は見えない。
答えは簡単な話で、彼は鏡の中でその様子を伺っている。ポルポの歩くルートはあらかじめ鏡などは設置している。
そこから見える姿を確認していく。
イルーゾォとしてはこんなふうに無防備でいいのかとも感じる。
いくら、目立たぬためとはいえもう一人は護衛を増やすべきではないのか。
(・・・・危険は、ないんだよなあ。)
くすくすと、どこかから声がする。それに、鏡の方に視線を向ける。そうすれば、街灯の光が当たらぬ暗闇。
そこに、まるで猫のような、独特な足取りのピエロのような姿をした存在がいた。それは、まるで主人にじゃれ付く様にポルポの周りを歩いている。そうしていると、するりと、闇に溶けていく。そうして、またするりと違う路地裏に現れる。
そうして、またするりと消えては違う場所に現れる。
音に反応し、それは確かめる様に闇の中を移動する。
「・・・・夜のあいつに何かできる奴っているのかねえ。」
イルーゾォはそう、ぼそりと呟いた。
ポルポは教会につくと、粛々と目立たない席に座り、つまらない聖句を聞く。
いや、聖句を聞くというよりは何か、物思いにふける様にステンドグラスを眺める。
イルーゾォからすれば欠伸の出る様な空間の中で、女は一心に祈るように手を組む。
そこにどんな祈りがあるかなんて、イルーゾォに知らぬことだ。
ミサが終わると、ポルポはやって来た時と同じように静かに立ち去る。そうして、来た道をゆっくりと歩く。
(・・・・退屈だ。)
言っては何だが、護衛をしている人間にはあるまじき感覚でイルーゾォは辺りを警戒する。もちろん、危険というものがなかったわけではない。
明らかに裕福そうな姿をしたか弱そうな女に目を付けたチンピラは確かにいたが、イルーゾォが対処する前に暗闇の中に引きずり込まれていく。
それが何処に行ったかは知らない。
ただ、ろくでもない目に遭っているのは事実だろう。
護衛の任務は、驚くほど平和に終わった。
まあ、面倒事になる前に片づける存在がいたせいなのだろうが。
ポルポは、どこか夢を見るような目で、ふらふらと暗闇を歩く。それは、下手をすれば幽鬼のようにさえ見えた。
決まっていた車の場所にたどり着けば、それで任務は終了だ。
(・・・・・まあ、楽な仕事だと思えばいいのか。)
そんなことをイルーゾォが考えていれば、ポルポが持っている手鏡を叩く音がした。それに視線をやると鏡にどうやらポルポが話しかけているようだった。
「・・・・すいません、ナターレにわざわざ。その、報酬は色を付けるので。お疲れ様です。」
以前聞いた通り、控えめな穏やかな声だった。
あっさりと帰路についたポルポにイルーゾォはため息をついて見送る。
交わした会話は、そのねぎらいの言葉一つ。
(・・・・まあ、おしゃべりな女よりはましか。)
イルーゾォにとってポルポとは金払いの良い上司であり、そうして良くも悪くも踏み込むことをしない女であった。
イルーゾォからすれば、今まで蚊帳の外にいた存在からすれば、その女は客観的に言わせれば善人であった。
堕ちるところまで落ちたものたちの吹き溜まりで、女の周りだけが小春日和のように暖かだった。
イルーゾォも確かに気味の悪さやら、軽視はしていたものの女がカラマーロやプロシュートなどに向ける無防備な笑みに毒気を抜かれたのは事実だ。
その女と共に居る時、ひどくぬるま湯につかっているようだった。
それには確かに呆れを感じていたものの、任務に支障をきたさねばどうでもいい話だ。
だからこそ、イルーゾォにとって女と仲間のじゃれ合いはさほど興味はなかった
ああ、けれど、けれど、ずっと、ずっと不思議でたまらなかった。
女の瞳には、いつだって諦観があったから。
ポルポという存在ははた目から見れば幸福の絶頂にいると言っていいはずだ。
組織内で確かな地位を築き、ボスのお気に入り。稼ぎ頭であり、確かな戦力を築いている。自分を慕っている部下たちもいる。
だというのに、女は、ポルポはいつだって誰にも一定の距離を保ち続けていた。
ポルポは、いつだってイルーゾォたちを気遣っていたし、眼にかけていた。それを寵愛と呼ぶならばそうだろう。
何よりも、ポルポはリゾットという存在に対して別格の感情を向けていた。
それは、いっそのこと、依存といってよかった。
この男ならば、大丈夫だという絶対的な信頼の理由はイルーゾォにも知らない。
けれど、確かにポルポはリゾットという存在に絶対的な信頼を寄せていた。
だというのに、そうだというのに。
ポルポは、己の領域に誰のことも受け入れてはいなかった。
まるでガラスの棺にいるようだった。
触れられると、そこにあるのだと、確かに近しく在るのだと。
そう思っても、けして交わることはなく。
死んだ人間を、美しい思い出の中で生かすかのような、象徴じみた在り方。
ガラスの中にいるようだと、そんなことを思った。
ガラスの中に、何があるかなんてイルーゾォには興味もない、関係もないことだ。ただ、女がガラスで覆い、濁らせ、曖昧にさせたものが何であるのかと見たことがあるものはいないということだ。
(・・・ロマンチストなんざ、シャレにならん。)
その感覚を、イルーゾォは正確に表現は出来ない。
ただ、女は、いつだって微笑んでいても、誰かと共にあっても、祈る様な目をしていても。本当に、女が内に秘めた何かを曝していることなぞ一度としてなかった。
何故、そんなことが分かるのかといわれても彼にも上手く表現は出来ない。ただ、彼も彼女と同じように己が領域というものを見極めている。
ポルポは、どんなに誰かに微笑んで、何かを与えても誰にも何も望んではいなかった。
イルーゾォからすれば、それは疑問であった。
女は、本当に誰かに与えることを至上としているように思えた。
ポルポの管理下にある街には、どこにも行けなかった存在たちの居場所があり、使い捨てにされるはずだった存在も拾い上げている。
そのせいか、彼女の管理下にある部下というのは彼女のために命を懸けるという覚悟を持った存在が多い。そうして、女は自分たちとの抗争などで死んだものたちの子どものために孤児院も開いていた。
組織の中でも特に金回りの良いポルポが資金源なのだ。子どもたちは最高の環境で生活をしている。
ポルポには私情や私欲というものを感じたことはなかった。ならば、ポルポはどうして誰かに与え続けているのか。
欲を満たせないというならば、どうしてギャングになんてなろうとしたのか。
女の目は重い。
確かにイルーゾォは、彼女に対してある程度の貢献はしているだろう。報酬を貰っているのだから当たり前だ。
けれど、女の目には重苦しくなるような信頼があった。
ある時、イルーゾォは自分の力を最強であると宣った。それに、ポルポはなんのためらいも無く肯定を口にした。
そこには媚があるわけでも、愛想があるわけでも、呆れがあるわけでもない。
心底、その事実を信じている目であった。
幼い子どもが、兄姉や親を絶対と信じる様な、無邪気で重い信頼だ。
イルーゾォはその信頼を心底重いと思う。
ただ、それに対して特定の感情を持ってはいなかった。
貰ったことがないそれに、どう反応すればいいのか分からなかった。
それ故に無視をした。
そんなことをイルーゾォはしらない、興味はない。
けれど、イルーゾォにとっては彼女は忠誠心も、信頼も薄くはあった。けれど、気楽な存在ではあった。
ポルポは、少なくともイルーゾォの領域に踏み込んでこようとはしなかった。
重い信頼を置いてはあれど、彼女はイルーゾォの個人的な領域に立ち入ろうとはしなかった。
都合のいい、理解の及ばない上司。
イルーゾォにとってはそれだけで十分だった。
「・・・・ポルポの護衛?」
「・・・・ああ。といっても、以前のミサへの護衛とは少々事情が違うんだが。」
拠点のソファでくつろいでいたイルーゾォにそんなことを言って来たリゾットは頭痛がするというように頭を抱えていた。そうして、その隣で不機嫌そうなプロシュートが黙り込んでいた。
それだけで面倒事だと察せられる。
「・・・・なんだよ。」
「今、ポルポがある街を掌握しようとしているのは知っているか?」
「ああ、確か、港町だったな。」
パッショーネは現在、とある港町を掌握しようとしていた。取引の拠点を置くためであり、町の規模もそう大きいものではない。さほどの時間はかからないと考えていたのだが、思わぬ伏兵がいたのだ。
町を取り仕切っていたのは、ゼットという人物で町の根強い信頼と人気を築いており掌握に時間がかかっていた。
それに抜擢されたのがポルポであった。
力づくで駄目ならば、穏健派の彼女にと任せられたのだ。
ポルポも珍しくその命に熱心に取り組んでいた。というよりも、そのゼットという人物に対して並々ならぬ情熱を注いでいた。ちらりと聞いた話では。ゼットという男は相当の美男子な為熱を上げているのだという下種な噂もあった。が、そんなことがあり得ないことなど分かり切ったことだ。
美男子という程度で熱を上げているのなら、プロシュートはどうなるのか。
が、確かにイルーゾォからみてもポルポはゼットという男に妙な好奇心を持っていた。
「・・・・こちらも大分譲歩はしたんだが。そのゼットという男は全くと言っていいほど傘下に入ることを拒んでな。実力行使に出ることも決まりかけていたんだが。ポルポが嫌がってな。」
「は?そりゃあ・・・・・」
非常に、珍しいことだ。
ポルポとてギャングの一員だ。本当に無駄だと分かり切ったのなら、実力行使にも出る
けれど、そこまで決まっておいてポルポが拒否するのか分からなかった。
イルーゾォの中で、それによってゼットという男への興味が沸き上がった。そこまで、ポルポに執着される男がどんな存在なのか。
そんなイルーゾォの考えを察したのか、プロシュートが憎々しげに舌打ちをした。
「・・・・それは分かったが。ポルポの護衛は何なんだ?」
「・・・・ゼットとの話し合いへの護衛だ。」
それにプロシュートが堰を切ったように吐き捨てた。
「あの野郎、顔も出さねえ奴のことは信頼できねえから一人で来いっつったんだぞ!?」
獣の唸り声のような声にイルーゾォは逆鱗に触れたくないと、リゾットの方に意識を向ける。
まあ、こう言った表現はなんではあるがポルポの犬のような彼にとってはそこまで求められているというのに拒絶をするゼットは相当に腹を据えかねているのだろう。
逆にリゾットは、ぐったりと疲れ切ったような顔で頭を抱えていた。
「・・・・こちらも一人であること、相手も一人であること。二人っきりで話し合いがしたいそうだ。ポルポ自身が一人で行くと言ってきかないんだ。」
「止めないのか?」
「・・・止めても、ブラック・サバスを使われると俺たちでは追うことは難しい。何よりも、上の命令は絶対だ。」
「珍しいな、あいつがそこまでリーダーの言うことも聞かないなんて。」
それにプロシュートの眉間の皺が更に深くなる。リゾットは、そのイルーゾォの発言に余計なことをと睨みつけた。
イルーゾォも余計なことを言った自覚があり、そっと視線を逸らす。
「相手の組織内にスタンド使いの情報はない。まあ、そのおかげでこちらが有利にことを勧めているんだが。」
「・・・・危険はないのか?」
それはイルーゾォの危険ではなく、ポルポの危険であることが言わずとも分かることだろう。ポルポに死なれるのは非常に困る。今のイルーゾォたちの生活は彼女によって支えられていると言っても過言ではないのだ。
「はっきり言って可能性は低い。だが、そこまでするような価値があの町にあるわけでもない。」
確かにゼットを掌握すれば、町の管理は容易になるだろう。だからといって、無理に侵略してもそこまでリスクがあるわけではない。はっきり言って、ゼットへの譲歩を抜いたほうが得ではあるのだ。
疲れ切ったリゾットの様子と、そうして明らかに苛立っているプロシュートの様子からしておそらく説得は失敗に終わったのだろう。
「・・・・日時は?」
全てを覚ったイルーゾォの発言に、リゾットは口を開いた。
しんと静まり返った通路には人っ子一人見当たらない。意図的に人払いされているのだから当たり前だ。
そんな中、ポルポはいつも通り真っ黒なスーツと、肩にかけられた黒いコート。黒づくめの恰好のせいかその青白い肌が一層に目立つ。
街灯に照らされたその姿は、どこか死神を連想させる。
「手鏡は持ったか?」
「はい。」
話し合いの場所に選ばれたのは、古びた教会だ。イルーゾォはそれにゼットがクリスチャンであるという話を思い出した。
(・・・・神の前では嘘はつかねえってか?)
下らない考えに、それを嗤う。
そこで、か細い声がイルーゾォの耳に入る。
「・・・・すいません。」
「・・・・なにがだよ。」
「面倒事に、巻き込んで。」
「なら、さっさとあの男を殺して全部片を付けろ。」
簡素な返事に、ポルポは顔を伏せて返事をしない。
イルーゾォは、それに理由を問わない。踏み込む気はない。そうして、ポルポもまた踏み込まれることを求めない。
それは、酷く面倒なようで気楽であった。少なくとも、イルーゾォにとっては。
彼女は、己の領域を間違えない。踏み越えることも、曝すことも無い。
イルーゾォにとってはどうでもいいことだ。この程度の難易度の任務はこなしてきた。任務の理由なぞ興味はない。イルーゾォにとっては、任務をこなせるかどうかが優先事項だ。
「・・・・時間です。」
そう言って歩き出したポルポの後ろ姿をイルーゾォは無言で見つめる。
そうして、気だるそうにため息を吐いた。
結局のところ、妥協案として出されたのは教会内に透明化したリゾットを待機させることと、イルーゾォが教会内の鏡から援護することとなった。
ポルポは最後まで渋っていたものの、罠である可能性を考慮してのことであった。
ポルポの様子がすぐに分かるようにと手鏡を持った上でだ。
どんなことを話されるのかを期待していた。
けれど、その期待はあっさりと覆されることとなった。
簡潔に言えば、教会内にあった鏡は全てブラック・サバスによって壊され、そうして待機していたリゾットも同じように外へと放り投げられたのだ。
「おいおい!どうなってんだ!?」
その行動が、ポルポの意思なのか、それともブラック・サバスの意思なのかは判別しかねた。ブラック・サバスはポルポの命令に絶対ではあるが、それ以外の面で自動行動をすることがままある。
まるで、もう一人のポルポのようにその意思は明確だ。
それでもイルーゾォが冷静でいられたのは偏にブラック・サバスというスタンドがポルポという女の安全を絶対としていると知っているためだ。
「おい、イルーゾォ!どうなってやがる!?」
「俺が知るかよ、教会の中はブラック・サバスの奴が鏡叩き割りやがって状況が分からねえんだ!」
「くそが!」
滅多に聞かないリゾットの罵倒にイルーゾォはじわりじわりと今の状況がどんなものかを自覚する。
頭の中に、ずらずらと現状の予想が並べられる。
ブラック・サバスが何か理由があって行動した?ポルポの意思?ブラック・サバスが壊したと見せかけられたスタンド能力?いや、最悪はブラック・サバスが操られているかもしれないということ。
イルーゾォはリゾットに援軍を任せ、ともかくはと教会内を探る。
細かく割れた鏡から漏れ聞こえる声は、ぼそぼそとして聞き取りにくい。何とか、状況を把握しなければと耳を澄ませた。
その時、絶叫がイルーゾォの耳に入り込む。
「なら、あなたは私と一緒に地獄に落ちてくれるんですか!?」
その、声に彼は思わず動きを止めた。
それはまるで死を目の前にした人間の断末魔に似ていた。
何故だろうか、その声にイルーゾォは状況も忘れて耳を塞ぎそうにさえなった。
それは、いつだって静かで穏やかな女から放たれるにはあまりにも苛烈な声であった。
聞いてはいけないと思った。
それは、ずっとずっとイルーゾォという存在を踏み荒らしも、軽視もしなかった女へはあまりにも不誠実なように思えた
柄ではないと思っても、それを聞き続けるというのはイルーゾォにとっては余りにも不躾すぎた。声の漏れ聞こえる鏡から思わず離れようとした。
けれど、その瞬間に、また絶叫がイルーゾォの耳朶に突き刺さる。
「誰も殺したくない・・・・!誰も、罪なんて、背負いたくない!何も、望んでなんていなかったのに!!」
それが、それがどうしようもない女の本音であるのだと。
イルーゾォは察してしまった。
今まで、ずっと美しいガラスで覆われていた、何が零れ落ちた。
「望んでなんていなかった!こんな力も、こんな立場も!あなたに何が分かる!選ぶことのできなかった私の、何が!
死に逃げることさえも、築き上げた縁が赦さぬ私の弱さが、それの何が分かる!」
イルーゾォは聞こえた絶叫に、口を噤んだ。
知らぬうちに見てしまった、穏やかで、優しくて、清廉な女の生々しい抜き身のような憎しみに茫然と立ちすくんでしまった。
教会のドアはあっさりと開かれた。扉を塞いでいたのはブラック・サバスであり、ポルポ自身が塞いでいたのかまでは分からない。本人も口を噤んでいた。
ただ、はっきりしているのはポルポはゼットを殺したということだけだった。
教会の中には、立ちふさがるポルポとすでに絶命したゼットを抱きくすくすと笑うブラック・サバス。
薄暗い教会の中、ろうそくの火に照らされたその二つの影にイルーゾォはざわざわと落ち着かない気分になる。
恐ろしいとは思わない、けれど近寄りたくはないとまざまざと思う。
何も言わずに教会を閉め切ったらしいポルポに激昂したリゾットが詰め寄った。けれど、珍しく、いや珍しいという言葉ではきかないかもしれない。
彼女は、イルーゾォでさえ怯えるリゾットの激昂を平然と受け入れた。
そうして、いつもの日だまりは鳴りを潜め、冬の月のような凍てつく声と、劫火の様に燃える赤い瞳をリゾットたちに向ける。
「カラマーロに連絡を。交渉は決裂しました。これより、武力行使を始めます。」
女は、いつだって優しかった。優しいなんて表現はらしくないだろう。女は、いつだって臆病で八方美人でしかなかった。けれど、ポルポから始めて感じる憎しみといえるその感情に、リゾットまでも驚きで目を見開いていた。
直も言い募ろうとするリゾットをポルポは吐き捨てるような声で遮った。
「命令です、リゾット。」
らしくない高圧的な物言いに、リゾットは今はそうすべきではないのだと察して渋々カラマーロに連絡をしていた。
その後、どうもすでに用意されていたらしい作戦にリゾットは入り、イルーゾォは残ったポルポを送っていくことになった。ゼットの遺体は、ブラック・サバスの本体の中に保存されている。
沈黙に包まれた車内の中で、イルーゾォはひどく居心地の悪い思いをしていた。
別段、ばれているはずはない。
あの発言をイルーゾォが聞いていたのだと知っているのは自分だけだ。けれど、ひどく気分が悪かった。
そんな時、暗い車内の中にくすくすと笑い声が響いた。
ミラーを見れば、ブラック・サバスがポルポに覆いかぶさるように擦り寄っていた。
それに、ポルポはぽつりと溢す。
「・・・お墓を、どこにしましょうか。」
「誰のだ?」
予想外の言葉に、イルーゾォがそう言えば今までの苛烈さなど嘘であるかのように、夢を見る様なぼんやりとした目をした。
「ゼットの、お墓を。」
「・・・・おい、あいつの死体は見せしめに使うんじゃないのか?」
てっきり丁寧に死体を持ち帰ったのだからそうするのだと思い込んでいた。けれど、ポルポはまるで無垢な幼子の様にあどけない仕草で首を傾げた。
「駄目ですよ、彼は英雄ですもの。だから、ちゃんとお墓を作らないと。」
彼は天国に行くんですから。
その、赤い瞳はまるで固まりかけた絵の具の様に濁っている。その瞳には確かに狂気があった。鏡越しに見た、その瞳にイルーゾォは運転のためにフロントガラスに視線を戻す。その狂気を、イルーゾォは何とも思わなかった。
狂気を持たなければ、ギャングなどやっていなかっただろう。
けれど、それをポルポが持っていることにイルーゾォは驚いていた。そうして、驚いていることに自分自身で驚いていた。
彼は、ポルポという女はどこまでも真面で、そうして平凡であるのだと思い込んでいた。イルーゾォは歯噛みする。
分かっていたことを、当たり前であったことを、理解していなかった自分に妙な苛立ちを感じる。
いや、きっとそれはイルーゾォだけではない。
ギャングである者は、少なからず狂気を持つ。けれど、ポルポはギャングであってもそんなものは持っていないと思い込んでいた。彼女の狂気は、ガラスの中でずっとそこにあったのに。
イルーゾォは、それに思わず車を止めた。そうして、彼女を振り返ることなく呟いた。
「俺は、お前と同じ地獄に行くぞ。」
掠れた様な、その声。どうして、そんなことを言ってしまったのだろうか。
何の慰めにもならないだろう、それは唯の事実でしかないのに。彼女は、気づくだろうか。自分が、あの独白を聞いていたことを。
けれど、予想に反して、返ってきたのはやっぱり緩やかな、いつもと同じ穏やかな声だった。
「イルーゾォは、私と同じ所には行きませんよ。」
その言葉に、イルーゾォは思わず振り返る。
そこには、いつもと同じ陽だまりのような女がいるだけだった。
彼女は、にこにことした笑みでイルーゾォに続けた。
「だって、私はあなたたちとは違いますもん。」
それはどんな意味かは分からなかった。分からないことだらけだ。
何が違うか。分からない。
けれど、そうだ。確かに、ポルポと自分たちは違う。それは、理由など分からなくても確かにずっと自分が無意識のうちに理解していたことだった。
分からないがただ、目の前の存在と自分たちは何かが違った。
ただ、ただ、無邪気な事実だけが横たわる。
それを残酷な事であるとあっさりと語るには、ポルポの目は穏やか過ぎた。
それでいいのだと、彼女は思っている、信じている、納得している。
それにイルーゾォは何が出来るだろう。
いや、何もする必要はない。
だって、イルーゾォにとって彼女は上司でしかない。
都合のいい、いれば便利なただの上司。
それだけの女に、イルーゾォは何が出来る。
けれど、このままではひどく不誠実である気がした。落ち着かなかった。
その女は、イルーゾォの箱庭を守り続けてくれた。
其処でしか生きていけない、不完全で、歪なイルーゾォの箱庭を。
女は、一度として、イルーゾォの世界に踏み込まなかった。けれど、イルーゾォはポルポの怒りを知ってしまった。あの時、彼女の生々しい抜き身の感情を知ってしまった。
そのままであるには、あまりにもイルーゾォには不完全でありすぎた。
だから、イルーゾォはせめてと、ただ祈る。
「・・・・お前が死んだら、鏡の中に埋葬してやる。そうしたら、俺が死んだとき、俺と同じところに行けるかもしれねえぞ。」
ポルポは、それに一拍置いてひどく静かな声で呟いた。
「あなたは優しいね。」
そんなんじゃない。そんな言葉で語られる筋合いはない。
イルーゾォはそれが、憐れみであるのか。それとも、いっそのこと憎しみであるとさえ思えた。
恩義はある、それは仕事で返している。
だからこそ、女にこれ以上の何をする必要がある?
けれど、イルーゾォは女の、内に秘めていた醜さを知った。彼にとっての禁忌である、誰かの内に入り込んでしまった。
これは、きっと詫びなのだ。そうとしか、表現が出来なかった。溢れる様な、誰もがうらやむ絶頂の中で、地獄へ微笑む女への感情をイルーゾォには言い表せない。
ただ、彼はかなうなら、彼女の墓守になりたかった。
彼女のために死ぬ気はない、殺す気はない。勝手に死ねばいいだろう。
けれど、ああ、けれど。
女を、地獄に連れて行ってやりたかった。
望まぬうちに、地獄に行くしかない望まぬ力を持った女を、せめて望む場所に堕としてやりたかった。
「・・・・ポルポ?」
「はい、カラマーロ。分かっていますよ。」
全てのことが落ち着いた後、物事は粛々と進んでいく。
ゼットの縄張りは、思った以上にあっさりと片が付いた。なにせ、ポルポの持つ戦力をフル稼働し、かつ降伏したものにはそれ以上のことをしなかった。
何よりも、彼女は上に立っていたゼットの侮蔑はしなかった。彼を強い人であったと認めたことで、そこまでのヘイトを集めなかったのは良かったのだろう。
残った古参と、新しく現れた存在とのバランスを見決めていたポルポにカラマーロが釘をさす。
「急な強行をしたのはすいません。ただ、ボスからも釘を刺されていたので。」
「私は、あなたが一人で交渉に行ったことを認めていないわ。」
「・・・・すいません。」
もう一度謝ったポルポにカラマーロはため息を吐く。
が、言っても無駄な事だ。元より、そこら辺の小言はさんざん言った後のこと。これ以上は言っても無駄だろう。
「・・・まあ、いいわ。ゼットの肉親のことだけど。ある町で家具職人をしていたわ。一応護衛は付けているから何かあったらすぐにわかるわ。」
「ありがとう。」
「あと、どうしてだかあの男、血縁でもない少年に色々と便宜を図っていたんだけれど。珍しく日系の子で・・・」
「そのままで。」
「え?」
「その子への便宜は、ゼットが生きていた時のまま続けてください。」
「分かったわ。」
カラマーロはふと、ゼットについて調べられた資料に視線を落とす。
(・・・・にしても、本名がツェペリって変わっているわね。ドイツから来たのかしら?)
ツェペリの頭文字はZなので。
なんとなく、ジョジョを助けるイタリア人は彼らのイメージです。