空条承太郎について難しすぎる。
ああ、でもまだまだ出番が事実。
「ああ、そんな顔をしないでくれないか?理解できるが寂しくなってしまうじゃないか?」
朗らかな声がする。男性的な、けれど女性的ともいえる声はひどく耳に残った。
空条承太郎は、自分の隣にて棒立ちになったスタープラチナに視線を向けた。
彼にとっては、すでに相棒と言っていいほど馴染み深い青い巨人は虚空を見つめる様にぼんやりと宙を見つめていた。
「・・・さっきまでのは、演技か何かか?」
「ふ、あははははははは。ここまで演じ分けが出来るなら、きっと私は歴史に残るほどの名優になれていただろうね。」
「二重人格、てやつか。」
「それもまた、微妙に違うね。」
そういって女は抱く様に腰に手を巻き付け、反対のそれで口元を覆うようにけらけらと笑った。その仕草はどこか幼い。
違う、明らかに違う。
承太郎は先ほどまでと、今、明らかに相手の中身が違うことを理解した。
「私たちは分かたれてしまったわけではない。けれど、一心同体であって、そうして互いに欠けては生きてはいけないのだが。まあ、いいさ。今の所、そうして君と私の取引においてそれは関係のないことなのだから。」
承太郎はざわざわと、何かが心の内で騒めいていた。
愉快で、どこか親し気で、けれど何か、人でない何かを前にした時のような強烈な違和感。赤い瞳が、承太郎を見つめていた。
赤い瞳、それは彼にとって忌々しい因縁を連想させた。
「俺がそれを素直に聞くと思っているのか?」
「だが、実際君はある程度譲歩する必要があると考えているはずだ。君のスタンドは少なくともこちらの手の中にある。君だって、スタンドが使えないなんて状況が続くのは御免のはずだ。時を止めるなんて力はディオ・ブランドー以外に現れることはないだろう。」
己の力がどんなものか、その女が知っている事実に承太郎は眼を見開いた。それに、少女のように無邪気な笑い声が重なった。
「どこからばれた?何によって知った?自分たちは、花京院典明の死によってようやく理解したというのに、というところかな?」
女は顎に手をやり、妙に優雅な仕草で微笑んだ。
その、仰々しい在り方が余計に承太郎にとって悍ましいあれを連想させた。
空条承太郎の体から、怒気と言えるような圧倒的な威圧感が漏れ出る。それに、女は一瞬だけ怯える様に体を震わせたが、すぐにその瞳には好奇心が宿った。求める様に承太郎に両手を差し出した。
「てめえ、何故、それを知っている?」
「ああ、君は本当に興味深い。スタンドも封じられ、理解の出来ない存在を前にしてなお、その不屈なるあり方!まさしく、ヒーロー、人の希望たる星に相応しいよ!」
弾んだ声はまさしく、ヒーローショーを前にした子どものように楽しげで尚且つ現実味を欠いていた。
空条承太郎は頭を、それこそ底まで攫う勢いで考えを働かせる。
当時、高校生であった承太郎にも子どもが出来るほどにまで時間が経っている。当時のことを考えれば、目の前の女は恐らく子どもであったが、年もそう目立って違うことも無いはずだ。それに加えて、スピードワゴン財団にも目の前のようなスタッフはいただろうか?
承太郎も全てのスタッフについて把握しているわけではない。だが、スタンド能力に関係している部署のスタッフはある程度把握しているはずだ。
目の前にいるような女はいなかったはずだ。
(・・・姿を変えている可能性。)
だが、そうだというならば、女のスタンドの力は分からない。それとも、やはり他に仲間がいる可能性は。
「安心していい。この場には、少なくとも私しかいない。言ったはずだ、私たちには信頼が必要だと。」
「スタンド能力を奪ったうえでそう言うなら、笑える話だ。」
「それに関してはただの防衛行動だと理解してほしいのだけれどね。スタンドをそのままにしていればあなたは私をそれこそボコボコにするだろう?まあ、あと純粋な嫌がらせという面がないわけでは。」
女はそう言ってにっこりと笑った。顔立ちのせいか、人を安心させる笑みであったが、その瞳の奥にある嘲笑じみた何かが不快さを感じさせた。
そこで女は大仰に両手を軽く揚げ、掌を掲げる。そうして、ゆるりと聖女のように微笑んだ。
「さて、話が長くなってしまったね。取引に入ろうか? 空条承太郎君。
実は、十数年ほど先になるのだけれどね。世界が滅ぶ話をしようじゃないか?」
「いかれてんのか、てめえ。」
「酷いな。真実なのだが?」
女はしょんぼりと、なんて擬音が似合うように目を閉じて気だるそうに首を振った。
「世界なんてもの、滅びるはずがないと思い込んでいるだけで案外容易くなくなってしまうものだ。」
「その言葉を簡単に信じるほどの義理はないはずだ。何よりも、何をもってお前はそれを知ったんだ?」
「ふふふふ、私は何でも知っているわけではないが。この世界に散らばった物語の騒動と冒険の鍵になるものが何処にあるか程度は知っているんだ。何よりも、あり得ないともあなたは思っていないはずだ。世界中の、時を止める力のように限定的な条件下では星を範囲にした能力もまた存在する。応用を加えれば、ありえないわけではないと。」
それについては否定はできなかった。
スタンド能力は、それこそ多岐にわたる。単純に炎を扱うものから、それこそ例に上がった時を止めるという能力まで。
ありえないわけではない、それ故に承太郎は目の前のそれを無視できないのだ。
「だとして、何故、てめえはそれを俺に話す?俺に何をさせる気だ?」
「そんなにせかすものではないよ。やっぱり、ネタばらしは遅い方が楽しいじゃないか?まあ、それに私にはこの秘密の出所を話す資格はないからね。だが、私の話は聞く価値はあるだろう?少なくとも、聞かなければ何も終わらないよ。」
その言葉に承太郎は目を細めた。
女の言葉を聞くべきか?
正直な話をすれば、承太郎としてはその話を聞く価値はあると考えていた。
女の情報の出所に関してはどうしても押さえておきたい。スタンド能力の漏えいなど、戦術面では非常に痛い。
もしも、仮にその世界が滅ぶというのが事実であるとするならば、それは何によって知りえたのか?
誰かの計画を漏れ聞いたのか、ただの嘘であるのか?それとも、未来を知っている可能性もある。
ならば、それに至るための方法を、それを知りえる為のスタンドがあるというならば叶う限り掴んでおきたい。
承太郎は、それを見た。
あの女には、殺意があった。悲しいと、寂しいと、苦しいと、叫びの末にある様な殺意があった。
今、目の前にいるそれに殺意はあるか?
先ほどの、自分に拳銃を構えた女には確かな殺意はあったが、今のそれからそんなものは感じない。お世辞にも友好的ではないが、それと同時に敵対する意思もなかった。
承太郎はもう一度スタープラチナの方を見た。
それは、未だにぼんやりと宙を眺めている。干渉しようと意識を向けたが、スタープラチナは微動だにしなかった。
女は、暗がりの中、緩く笑っていた。
女は、シンプルに現状だけを見るならば、ひどく有利な状況にあった。けれど、女からは何の意思も感じられない。
彼の経験から見ての、敵対心も、好意もない。
それに承太郎はふうとため息を吐き、帽子を被りなおした。
「話だけは聞いてやってもいい。」
「そうか、よかったよ。といっても、取引は簡単な話だ。先ほど、この子の言っていた約二年後の騒動が終わった後に、娘さんとしっかりと向き合って仲良くしてほしいんだよ。」
「・・・・関係ねえだろ。」
承太郎の返事に女はまた手を上に捧げ、やれやれと首を振った。
「関係がないわけではないんだよ。残念ながら、少なくともね。そうだね、数年はしっかりと日本に残って娘さんと時間を過ごしてほしいんだ。私はその間に、世界が滅ぶ原因になる人間を殺そうと思っているんだが。その邪魔をしないでくれれば構わない。」
「分からねえな。最初に言った面倒事には俺を関わらせて、後者には関わるなと言う。目的が見えねんだよ。」
「それについては仕方がない。後者の場合、私たちのターゲットに君が出会うのは、非常にまずい。」
「何故だ?」
「物語が始まってしまう。」
どこか面倒そうに女は言った。
承太郎はそれに眉間に皺を寄せた。
女は、どこか舞台役者のように朗々と話し始める。それこそ、大振りな仕草がその印象を大きくしているのだろう。
けれど、さすがに飛び出てきたその言葉は、物語でありすぎた。
「意味が分からねえ。」
「私も出来ればあなたを引っ張り込みたかった。考えれば、彼とあなたを会わせるのは悪手が過ぎるんだ。なんといっても、あの騒動に関してはあなたさえいなければ起こらない事ばかりではあるし。」
ああ、めんどくさい。
そう呆れたように肩を竦めた後、それは承太郎に微笑んだ。
「まあ、私の取引と言うのはそれだけさ。これさえ守ってくれるというなら、私たちはすぐに他のごたごたを片づけた後去ろうじゃないか。ああ、そうだ、私の秘密も少しなら教えて差し上げるが?」
どうだい?お得だろう?
まるで夜中に見るお手軽なテレビショッピングのような気安い言葉で女は言った。
それに承太郎は頭を抱えたくなった。
ああ、何と言っても意味が分からないのだ。
それの目的はどれをとっても不明なのだ。
空条承太郎という存在を騒動に巻き込みたいという理由はわからないわけではない。
けれど、その後に虹村形兆の件であそこまで激高した理由が分からない。
女の怒り、何が分かるという言葉を覚えている。
(・・・・悪とは。)
己自身のためだけに弱者を利用し踏みつけるもののこと。
ならば、その言葉に目の前の女は入っているのか?
あの時、女は怒っていた。
罪人とは裁かれるべきだ。けれど、救われるべきだ。
その二つの言葉はひどく矛盾に満ちている様で、そのくせ願いに満ちていた。
女の行動には矛盾がありすぎる。いや、目の前の存在は怒り狂っていた女とはおそらく違うのだろうが。
それでも、彼らの目的と言うものが圧倒的に見えない。
「何を望む?」
思わずそんな言葉が漏れ出た。そんなことを言ってしまったのは、承太郎自身が無意識に、目の前のそれらが味方ではないが、敵でもないという確信を持ってしまったためだった。
彼にしては珍しいことに。
それに女は少しだけ驚いた顔をした。それは、先ほどの女とどこか似ているように思った。
女は少しだけ苦みの走る笑みを浮かべた。
「ハッピーエンドを!」
まるで誰かへの愛を叫ぶように、それは高らかだった。まるで、大団円を前にした観客のように、そう叫ばねばどうしようもないというように。
「悪党も、正義の味方も、そうして悪徳を否定した者も、正しさに殉じられなかったものも、運命に縛られたものも、全員が叶うなら、未来に進み続けられる優しい世界を。」
この子が望む、ハッピーエンドを私は望んでいる。
赤い目と、緑の瞳が重なった。
それは、承太郎を見る上で弾んで、笑って、楽しそうに笑う。けれど、それと同時に承太郎は、その女に瞳の奥に、いや。
その、何かさえ分からないそれの瞳の奥に、奇妙な悲しみが浮かんだのを見た。
女は、初めて、最初に会った時と同じような穏やかで優し気な、けれどひどく悲しそうな微笑みを浮かべた。
それは、永遠の少女のように純粋無垢だった。悪意など、苦しみなど、遠い映画の中でしか見たことがないように。
「・・・・悪党は、いつか裁かれるべきだとこの子は言うのだよ。」
「当然だ。」
「あっはははははは。いいね、素直な人は好きさ。でも、その裁きを聖人君子の、泥にまみれたことも無い奴がするのは頭にくるという話さ。」
人を殺さなければ、殺される誰かを、私は知っている。
そう言って、目を細める様はまるで毒婦のように妖しく、そのくせ清らかだった。道化師のようにけたたましい声の中には、投げやりな無関心さも混ざっている。
空条承太郎、君には愛おしいものがいるかい?
突然の言葉に承太郎は胡乱な目で女を見つめ返した。それに女は気にすることなく、歌うように続けた。
そうだ、例えばの話。
可愛い娘をむごたらしく犯されて殺されたとしたら?母親をずたずたに引き裂かれたら?愛しい妻の尊厳をぐちゃぐちゃに踏みにじられたら?父親の誇りをゴミのように捨てられたら?祖父の祈りを穢されたら?
君は、その相手へ復讐しないと言えるかい?この世界には悪を裁く上でのルールがある。もしも、その時、そのルールでは裁けぬものがあるのなら?
正しさだけで裁けぬものに、救われないものだっている。
君は己が世界が容易くひっくり返され、崩壊を迎える瞬間を知らないんだ。
女は歌うようにそう言った。そうして、困り果てた様な顔で首を傾げた。
「きっと、最初から何もなく、ただ踏みにじられるだけの在り方を君は知らないだろうね。相容れないのさ。何故って、生きる世界が違うから。君は、私の言いたいことが意味の分からないものに聞こえるし、私も上手くこの言葉を君に伝えられた気がしないのさ。ディオ・ブランドーの不幸と理不尽にジョナサン・ジョースターが気づかなかったように。ジョナサン・ジョースターの優しさと祈りをディオ・ブランドーが理解しなかったように。」
救われないがね。
正しさを持つものは、悪徳は悪徳と切り捨ててしまう。間違ってはいないのだよ。何故って、悪を赦すって事は罪なき誰かを踏みつけてきたことを無視するのと同じだから。
けれど、悪に跪いたそれだって、望んでそれをなしたものはそうそういないさ。己が正しさのために人を殺した彼、裏で生きることしか知らないあの子、守りたくて泥に沈むことを選んだ誰か。
人は、幸福になるために生きている。そのくせ、神様っていうのは不公平で最初から足掻くためのチップを勝手に振り分けてしまうんだ。
「例えそうだとしても、赦されないことはあるはずだ。」
「知っているよ。だからこそ、お呼びじゃないのだよ。泥にまみれた味も知らず、もっと違う選択肢があるなんてもしもを語られたって、虫唾が走る。それでも、死にたくなかったと、守りたかったと、泥にまみれた誰かを知っているならなおさらに。」
恵まれなかったこと、無知であったこと、愛されなかったこと、それらはきっと理由にしていいことではない。何故って、それによって行われた悪によって犠牲になった誰かには関係のないことだ。
それでも、それらを無視された瞬間、それはあまりにも理不尽ではないかと叫びたくなる。
何も与えてはくれなかったのに。何も、教えてはくれなかったのに。
「だから、あの子は怒ったのさ。虹村形兆を思って、怒ったのさ。救われてほしかったから。」
「あの男が、悪党であってもか?」
「悪党であってもさ。確かに彼は人を殺した。けれど、それでも、彼はまだ子どもだった。助けてくれる大人はおらず、父は彼と彼の弟に暴力を振るった。それを、よくある地獄と言えばそうなのだけれどね。だからこそ、欠片でもいいから。救われてほしいとこの子は願うんだよ。助けるべき幼子を助けもせず、全てが終わった後に裁きだけを授ける世界への報復と、そうして悪党でも救われていいという夢を見たいためにだ。」
悪党だって救われていいだろう?どうせ、地獄に落ちるなら。
その言葉。ああ、やはりだ。
虹村形兆のあの眼、それは、確かにンドゥールの盲いた目に浮かんだ、その声音の中にあった奇妙な安堵感。
それに危険だと判断した。
悪党を引き付けるカリスマ、それを排除しなくてはいけないと。
そう思うのに。
空条承太郎はどうしても、その女と敵対することを避けたいと思っていた。
排除しなくてはいけない、敵でないという態度を持っていても、その女から聞き出さなくてはいけないことがある。
けれど、そう思えば、そう思うほどにカフェで対峙した無害で、穏やかな、陽だまりの匂いのする女のことを思い出す。
くんと、鼻を擽ったのは、路地裏のすえたようなそれの中に混じる、妙に腹の空く懐かしい匂いだ。
それが、それが、空条承太郎にとって懐かしい幼いころのことを思い出させる。
女の穏やかさが妻やあの旅で亡くした友人たちを思い出させる。女の無邪気さは娘と母のことを思い出させる。
女について考えれば考えるほどに、芋づる式に、その女の中に、誰かの面影を見続ける。
スタンドの攻撃か?
けれど、本当に必要になった時、空条承太郎は戸惑いなく女を吹っ飛ばせるだろう。けれど、それと同時に自分にとってそれはどれほどまでに苦々しい記憶になるかも分かっていた。
これはなんだ?
その、女に感じる懐かしさ、穏やかな、陽だまりのようなそれ。
その体の中にどうやら二つの精神があると知れば、なおさらに女を傷つけることを忌避してしまう自分がいる。
女の叫びを思い出す。
救ってくれなんてしないのに。
そうして、その憎しみと怒りと、その奥に混ざった罪悪感を思い出す。
「てめえとDIOは無関係なのか?」
「知っているだけだが。そうですね、もしも二年後の騒動に力を貸してくれるなら、DIOの日記について知る、彼の友人について情報を差し上げるが?」
「知っているのか?」
「今の所は表立って動いてはいないが。それも、教えて構わない。」
女が自分に与える影響、DIOとの関係性。
(・・・・捕縛が一番か。)
空条承太郎は決める。やはり、その女を捕らえて口を割らせることを。何よりも、自分の中に生まれた、誰かたちへの懐かしさを引きずり出されたことに彼はひどく苛立っていた。
そんな時だ、その思考を遮るように女の声がした。
「まあ、気になんてしなくていい。結局の話、悪党と正義の味方は相容れないのだから。」
女はすっと、承太郎に手を差し出した。
「さてさて、ヒーロー。返答を貰いたいのだがね?時々ぐらい、ヒーローなんて放り出して、暢気に世界が救われるのを待つのだっていいものだろう?」
その手を、承太郎はじっと見つめる。
そうして、口を開いた。
「てめえと、さっき俺を殺そうとした女の目的は違うんだな?」
「ああ。彼女は私のことを認知できてはいない。知覚はできているが。本音を言うなら、今回、私は干渉する気はなかったのだよ。ただ、そうだね。今回のことで思うことが出来た。だからこそ、これは私の覚悟なのだよ。未来まで進む気がないこの子を、引きずってでも生かすというね。」
「てめえが、その世界が滅ぶことに関して真剣なのは理解できた。だが、やっぱり、俺たちの間には信頼が足りねえな?」
皮肉を込めた、混ぜっ返しのようなそれに女はにやりと笑った。
それが、承太郎にとって非常に、不信感を募らせる。
目の前の存在は、何を言ってもケラケラと笑う。
それは、自分が絶対的に有利であるという傲慢さでも、どうなろうと構わないという投げやりな無関心さでも、かといって承太郎に危険がないという信頼でもない。
まるで、これからのことを何もかも知っている様な。そんな余裕があるのだ。
承太郎は、その余裕の理由を知りたかった。その余裕には、何か理由があるのだという確信をもって。
「あはははは、確かにそうだ。私はあくまで君に選んでもらう側。そうだな、ならば。もう一つだけ、秘密を開示しようじゃないか?」
「秘密だと?なにを・・・・・」
その時だ。
頭の上に、解放感と言えるものを覚えた。すずしさを感じる頭に、承太郎は手をやった。
「ここだよ、ここ。」
けたけたと愉快そうな声に目を向ければ、数メートル先に承太郎の帽子を被った女がいた。まるで悪戯が成功した子どものように誇らしげに、女はやはり笑っていた。
(いつのまに!?)
承太郎はどう見ても自分の帽子であるらしいそれを凝視した。
いつのまに奪われた?
ぶわりと滅多にないほどに冷や汗が全身に纏わりつく。
初めてだ、初めて、冷静に回っていた頭の中で承太郎の中に衝撃と言えるものが走る。
気配など感じなかった。
それこそ、目の前の女が動けば自分とて気づいたはずだ。ならば、スタンドを使ったのか?
いや、そうだとしても、帽子が頭から離れる瞬間に気づいたはずだ。
それらの考えを終結させて、承太郎は必然的に一つの可能性に行きついた。
そうして、それを攫うように女は言葉を発した。
「いや、時を止めるって疲れるものだね。これは連発できないな。」
フフフと笑った後に、女は大きいせいでずれていた帽子を脱いで承太郎に投げ返した。承太郎はそれを受け取らなかった。
女は肩を竦めた。
「別になんにも仕掛けなんてしていないのに。」
「てめえ・・・・」
「まあ、でも証明は出来ただろう?殺すなら、今の時に君を殺せていた。私は君を殺す気はない。この子に散々な事をしたことさえ抜けば、私にとって君はとても興味深い存在ではあるからね。何よりも、どうしようもなかった誰かが救われてほしいと思うのと同じように、この子は頑張った人が報われてほしいと願っている。」
女はそう言ってため息を吐いた後に、腕を組んで諦めた様に肩を竦めた。
「まあ、そこまで君が取引を嫌がるっていうならここで私はお暇させてもらうよ。別に今、決めてほしいわけじゃない。そうだな、期限は。決めない方がいいか。正直言って、ここまでの騒動を起こして引き上げないようじゃあ煩いのもいるだろうね。よし、分かった。」
女はおそらくメールアドレスであろう言葉の羅列を言った。
「決まったらこれに連絡してくれればいい。もちろん、駄目なら駄目でいい。その代わり情報も教えないし、石仮面だって渡せないけれどね。さて、私はそろそろお暇するよ。そろそろ、帰らないと本当に彼らと君とで戦闘が起こるのは避けたいからね。」
「待て。」
足を後方に進めた女に承太郎は引き留めた。
それに女はうんと、首を傾げた。
引き留めてしまったのは時間稼ぎのためだった。それをどうするか、能力も、何の情報も引き出せていないというのにこのまま逃げられるわけにはいかない。
ある程度時間を稼げればいい。何かが起こった際に自分を追うようにスピードワゴン財団へ指示は出している。
時間さえ、稼げれば。
「てめえは、どうしてそこまでポリプスに従う?てめえは、お世辞にも善人とはいえねえ。俺の勘がそう言っている。何故だ?それとも、自分と同じ体に住むそれへの情か?」
ただの時間稼ぎだ。分かっている。けれど、それは承太郎にとって純粋な疑問であった。
確信があった。
目の前で、ポリプスというそれの皮を被ったそれは、確かに悪党であるはずだ。長年の経験からわかる、それは確かに弱者を踏み付けることに躊躇がないものだ。
けれど、あの女を思い出す。
事実だけを見るならば、あの女は敵であるのかもしれない。
けれど、どうしたって、悪党だとは思えなかった。
女の、叫ぶようなそれを覚えている。何が分かるという言葉を覚えている。
承太郎はその女の事情など知らず、八つ当たり甚だしい。
けれど、吐き気を催すような悪党であるとは思えなかった。
承太郎の中では、未だに女に感じる懐かしさを引きずっている。
ああ、そうだ。認めてしまった方が早いのだ。
承太郎は、その女をぶちのめすことにためらいは持たずとも、傷つけてしまったことに罪悪感を持ち続けてしまう確信があった。
あの女はなんなのだ?この感情こそがスタンド能力なのか?
目の前のそれに、それを聞いてみたかった。
女は少しの間、口を開けては閉めてと繰り返した後、ああと頷いた。
「・・・信頼が大事と言ったのは私だ。そうだね、なら、本音を話そう。単純な話だよ。この子が幸せになれないほど、世界ってものが腐っていると思いたくないだけさ。」
女は、胸の奥にいる誰かへ語り掛ける様に手を置いた。
「割り切ってしまえばよかった。自分だけ幸福になればよかった。誰のことも愛さずに、自己愛に浸って利用しつくしてしまえばよかった。虹村形兆を見捨てて、放置してしまえばよかった。けれど、彼女はそうしなかった。何故だと思う?ただの、罪悪感と当たり前の善意によって、彼女はその誘惑を振り払い続けた。己が罪人であることを自覚し続け、罰のある日を望み続けた。」
ああ、そうだ。それこそ自己満足にしかすぎないというならそうだろう。けれど、それによって救われたものだっているのだ。
「私は唯、この子を救って世界に夢が見たい。ああ、いいだろう?悪辣に屈せど、善性を捨てきれなかった誰かが、いつか、世界を救うのなんて。ふふふ、信念を持てる救いを見いだせた者だけの物語を、人間賛歌といった誰かへの最高の皮肉だ。」
女はそう言った後、少しだけ考えるような仕草をした。そうして、そっと地面に手を寄せた。そうすると、手がずぶりと壁のうちに沈んでいく。そうして、女は奇妙なデザインの仮面を引っ張り出した。
それが石仮面であることを察して、承太郎は眼を見開いた。
女はひどく無造作にそれを帽子のように投げた。
承太郎はそれに関して素直に受け取った。
それが本物かは分からない。けれど、デザイン等は確かに酷似していた。
「何故、今更になってこれを渡す?」
「・・・君はこの子の悪性と善性に疑問を持った。だからこそ、取引をしよう。代価はその仮面だ。この子と少しだけ話をしてみてくれ。」
「俺が、そいつから何かしら聞き出そうとするとしてもか?」
「言っただろう?信頼が私たちには必要だと。何よりも、この子は君の知りたいことに関してはさっぱり知らないさ。何があっても無駄だし。もしも、君がこの子に酷いことをするというならば、逃げ出せないわけではないからね。」
空条承太郎、私はヒーローたる君を信頼して、仮面を渡した。そうして、叶うなら、この子のことをあまり虐めてやらないでくれ。巻き込まれたのは、この子だって同じだ。
君の母のように。ただ、巻き込まれただけだ。
女がそう言うと同時に、彼女の横にあの道化師のような存在が現れる。それと同時に、薄まっていたスタープラチナとの繋がりが戻って来た。
そうして、女は脱力したようにその場に座り込む。
「・・・・空条承太郎、私のことは、彼女に言わないでください。ええ、ええ、あなたが彼女を傷つけることを良しとしないと、壊れてしまうことを良しとしないというならば。どうか、私のことはご内密に。ああ、私は、あなたを信頼しよう。」
「おい、待て!俺は、取引を受けるとは・・・・・」
「そうして、もう一つだけ君がこちらの情報を信じられるように、いいことを教えましょう。この町の悪意は、電気のスタンド使いが最後ではない。もう一人、この街には悪意あるものが潜んでいます。」
それっきり女は黙り込んでしまった。道化師のスタンドもまた消えてしまう。
聞こえてくるのは呼吸音だけで、辺りには沈黙が広がるだけだ。
承太郎は最後の最期に言いたいことだけを言って引っ込んでしまったらしい人格に困惑する。
目の前には、気絶しているらしく、何故か穏やかな顔で眠る女が一人。
承太郎は自分の持つ仮面に目を向けた。
試しにと指を切り、血を垂らせば凶悪な棘が飛び出してきた。
それに、承太郎は恐らくその仮面が本物であると確信する。
そうして、壁に凭れ掛かったまま、眠る女を見た。
すうすうと、安らかに眠る女。
承太郎はそれを見ながら、屈みこんで女のことを見つめた。
優しい、穏やかな、寝顔はそれこそここが廃れた路地裏であることを忘れてしまう。
信頼をしよう。
そんな言葉を残して消えたそれを思い出す。
その女を自分はどうすべきか。
それこそ、この女が何を知っているのか。吐かせる必要があるはずだ。
けれど、承太郎はそんなことをする気力は出てこなかった。
時を止めた能力、あれはあのスタンド自体の能力なのか、スタープラチナの能力を介してのことなのか。
情報が少なすぎる。
「・・・・話か。」
それの提案に乗ることは癪であった。
けれど、乗らなければ、やっかいな反撃をしてきそうではある。
けれど、その要求に従わなければ何も進みそうにないことを察してため息を吐いた。
そうして、心の奥底でその女を傷つけずに済むことに安堵している自分がいた。
「やれやれだぜ。」
疲れきったような口調でそう呟いた。
難しい、まじで難しい。
でも、もう、あそこまで書いたなら書ききってやろうかと決意して。
ちなみに、お気づきでしょうか。ここのブラック・サバスは原作通りのブラック・サバスではないです。