蛸の見た夢   作:藤猫

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いつか子供だった誰かと哀れんでいる人


難産でした。ともかく、四部の続きになります。
書いてたら長くなりそうだったので、ちょっと場面をざっくりにしました。詳しい描写はもう少し小分けで書いていきます。
飛んでしまっていて済みません。

感想、いただけると嬉しいです。


どんな大人もいつかの子供

 

その日、虹村億泰はそわそわと落ち着かなかった。

ちらりと学校帰り、少し先を歩く兄、虹村形兆のことをうかがった。

 

(・・・今日の兄貴、なんかおかしいんだよな。)

 

彼の悩みの種と言うのは、兄の事だった。

億泰にとって、兄の形兆は自慢の兄だった。例え、どれだけ厳しかろうと頭もよくかっこいい兄のことを億泰は慕っていた。

けれど、その兄は何故か昨日から様子がおかしい。

遅くまで帰って来ることも無く、帰って来ても自室に籠ってしまった。

それについては珍しくない。以前はもっと騒がしかったのだが、空色のキャスケットを被った存在に助けられてから形兆はどこかおかしい。

監視の目があるということもある為だろうが、それでも形兆はなんだか物思いに耽ることが多くなったように思う。

どこか、遠い場所を見るような眼だ。その眼が、億泰にはたまらなく恐ろしかった。

兄がどこかにふっと行ってしまいそうで、たまらなく恐ろしいと思った。

 

「・・・なあ、仗助。兄貴、おかしくねえか?」

 

億泰は恐る恐ると言う体で自分と同じように兄の後方を歩く東方仗助に話しかけた。

仗助はそんなことを言われて何とも言えない顔をする。

 

「俺がお前の兄貴のことそこまで知る訳ねえだろ?」

「だよなあ。でもよお、やっぱおかしいんだよ。」

 

学校からの帰り道、億泰の言葉に仗助はちらりと形兆のことを見た。仗助はさほど形兆のことを知らない。

ただ、確かに彼と最初にあったときと比べれば明らかに違うだろう。

何か、彼の内にあったギラギラとした何かが薄れているのは感じられた。もしかすれば、普段の雰囲気などこんなものかもしれない。

ただ、飢えていたような何かは消えてしまったのは事実だ。が、そうはいってもはっきりとしたことを言えるわけはない。

仗助自身、形兆という存在に何を思えばいいのかわからなかった。彼のせいで死にかけた人間がいる。

けれど、彼の尊敬する空条承太郎からはひとまずは彼のことは放っておけとも言われている。

こうやって仗助が彼らと歩いているのは、なんだかんだで億泰と気が合ったことに加えて一応の監視という名目がある。

 

(監視なんかガラじゃねえんだけどなあ。)

 

そんなことを思っているときだ。自分たちの歩く地面に大きな、何かの影が見える。それはだんと自分たちの横に降り立った。それはまるでサイボーグのような狼にまたがった少女だ。

 

「いた!!!」

 

特徴的な空色のキャスケットが視界の中に飛び込んできた。仗助は思わず身構える。その、目が覚めるような空色のキャスケットには覚えがある。

黒い髪をしたそれは、自分とさほど変わらないように見えた。

 

「東方仗助君!ごめん、ちょっとだけ一緒に来てくれないかな?」

 

狼から飛び降りた少女は仗助を見てそういった。仗助が応えるよりも前に彼女の姿を見た形兆が駆け寄った。

 

「どうした?」

「やあ、形兆君。ちょーっとってレベルじゃないほどにトラブっててさ!」

 

なかなかに親しげな二人に億泰はドキドキしながら二人を見た。お世辞にも、兄がそんなにも無防備に誰かに話しかけるなどなかったことだ。

仗助はあまりにも軽やかに話しかけられて出鼻をくじかれたようで同じように成り行きを見つめていた。

 

「トラブル?」

「・・・・・空条承太郎と主様の交渉が決裂。そのまま戦闘に入った。」

 

形兆の問いかけに迷うような仕草をした後、彼女はじっと仗助を見た。少女の言葉に、形兆はあからさまに動揺する。

仗助もまた混乱していた。彼は承太郎から何も聞かされておらず、何故そんなことになっているかわからない。元より、彼女に上の人間がいることだって知らなかったのだ。

 

「あの人が!?」

 

形兆は目を見開いて少女に詰め寄る。

 

「何があったんだ!?今、いったいどこに!?」

 

それに少女は彼を落ち着かせるようにその腹を手の甲で叩いた。

 

「だからなんとかするためにここに来たんだよ!少し黙って!」

 

ぴしゃりとそう言った後、彼女は仗助を見た。

 

「東方仗助君。君に頼みがあるんだよ。」

「・・・・てめえはあのときの、だよな。」

「はははは、そうそう。私はクララ。じっくりと自己紹介はしたいけれどそんな時間はないのでね。単刀直入に頼みを言おうか。私と来て、なんとかマスターと空条承太郎との間を取り持っていただけないでしょうか。」

「ます、たー?」

「私の上司!」

 

仗助は突然の頼みに驚いた。そうして、慌てて口を開く。

 

「んなこと俺に言われてもなあ。」

「報酬なら私が払える分ならいくらでもお支払いします。もちろん、空条承太郎への便宜も図ります。」

 

自分ににじり寄る、どこか中性的な少女の様に思わずたじろいた。仗助としてもはっきりとしたことは言えない。

彼女自身に敵意はないが、かといって承太郎と戦闘になる相手の味方をしていいのだろうか。

 

「仗助。」

 

悩んでいた仗助にしかめっ面の形兆が話しかける。

 

「何だよ。」

「・・・・頼みを聞いてくれないか?」

 

こわばっていた声に仗助は目を丸くした。だって、あの形兆なのだ。自分の中で決めたことに徹底的に従って、利己的で、己の弟さえも目的のために使う。

その男が頼み事をしてきたのだ。まるで迷子の子供のような様相で。

固まった仗助に億泰も恐る恐る話しかけてくる。

 

「なあ、仗助。」

 

それが兄の頼みを後押しすることぐらいは予想ができた。三人から向けられる視線に耐えきれなくなり、仗助はああ!と声を上げる。

元より、仗助には経験が足りない。現在、けして乗ってはいけない誘いだと理解しても。それでも、彼らの目を見ているとぐらついてしまっている。

確かに形兆たちには散々な目には遭わせられたが、敵意を向けきれていない自分がいた。

億泰は性格が性格であったし、形兆は父親への気持ちを聞いたとき、どこか優しい彼の心は傾きかけてしまっていた。

 

「・・・・なんでそんなに必死なんだよ。」

 

最後の抵抗にそう聞いた。それに、自分を青い瞳がじっと見る。

 

「助けられたから。」

 

耳を傾けずにいられないような、強い言葉でそういった。

 

「死んでしまうかもしれなくても、あの人は確かにリスクがあっても私を助けた。私は確かに地獄のような世界にいるけれど。あの人は、それでも生きたいかと言ってくれた。命には命であがなうと決めた。恩がある。ただ、それだけ。」

 

それに仗助は諸手を挙げて降参した。

ああ、そうだ。

その言葉が本音であるとわかる。

わかるのだ。命を救われたというあり方。憧れを孕んだ、誰かへの敬意。

それを出されて、抵抗なんてできるはずがないのだ。

 

「わかった、行けばいいんだろうがよお!」

「よし!それじゃあ、君は私の後ろに乗って!ぶっ飛ばしますから!!」

 

颯爽と後ろのスタンドに飛び乗った少女に押されて仗助はそれに従った。

 

「それじゃあ、二人はリゾットたちの方に行って欲しいんだけど。」

「リゾット?」

 

そんな会話を聞きながら仗助はこのまま流されていいのかと悩む。思えば自分はこの少女の名前もろくに知らない。何よりも、話を聞く上では承太郎の敵であるという存在を助けに行かねばならないらしい。

もしやすれば、罠かもしれない。

 

(情報がねえんだよ。情報が。)

 

絶対に、この後何があっても承太郎は怒りそうだなあとぼんやり考える。けれど、仗助は形兆の浮かべた、頼むと言った、その幼い顔を見てしまった。

落ち着かない、その、さほど変わらない年齢であれど、ひどく老いた目をした男の幼いそれは。

何よりも、一応は少女に助けられたこともある。敵意だって感じない。

流されてしまったという自覚はある。けれど、なんとなくでも。

 

(助けてやりたいなんざ、そんなことを。)

 

思ってしまうことは愚かなのだろうか。

 

 

 

 

 

「プロシュート、いい加減にしなければ足の一本は吹っ飛ぶことになるぞ!!」

「やれるものならやってみろ。リゾット。」

 

人気の無い路地裏、向かい合った金髪と銀髪の男は吠えるようにそう言い放った。

銀髪の男、リゾット・ネエロは苛立ち気味に金髪の男、プロシュートを睨んだ。

今まで散々に、クソガキ顔負けの鬼ごっこを繰り広げていた二人はすでに息切れの中でにらみ合っていた。

元より、二人の間に身体能力上での差は無い。プロシュートは幾度かスタンドを使いリゾットを老化させようと試みたが、元より能力はしれている。閉鎖空間ではない野外では立ち回りさえ考えればなんとかなる。

リゾットは己の姿を景色に溶け込ませながらプロシュートの後を追いかけた。プロシュート自身、辺りに無差別にガスを吐き出すという選択肢がないわけではなかった。

けれど、自分までガスを浴びれば全て老人基準になる。いち早くポルポの元に急がなくてはいけない現状ではどうしてもそれはできない。

リゾットを狙い撃ちにしようとしても本人の姿は見えない。

そのため、二人は

体力勝負の鬼ごっこを繰り広げていた。力尽くで止めるという選択肢をとらないのは、肝心のポルポに何かあったとき、互いに再起不能では笑えないとブレーキはかかっていたためだ。

そうして、さすがに全力疾走が辛くなり、プロシュートは止まったのだ。

プロシュートは己の邪魔をするリゾットを睨んだ。

それにリゾットは彼を止めるために姿を現した。

 

「いいか。今回の任務でもっとも犯しちゃならないのは、SPW財団に俺達の存在がばれることだ。ここでばれれば、組織内でのポルポの立場が危うくなる。空条承太郎と戦うことがどれほど愚かか、わからないのか!?」

「組織の事なんざかんけえねえんだ!あの女が望んだんだ。ポルポの願いを俺は叶えるだけだ!」

「立場をわきまえろ!」

「知るか!」

 

たたき付けるような声でプロシュートは言った。

 

「俺には大事なものがある!」

 

向かい合った青年にリゾットは少しだけひるんだ。

夕暮れが少しずつ近づいている。人気の無いそこでプロシュートはまるで幼い子供のように心細そうな顔をしていた。

 

「救われた。」

 

掠れた声で彼は吐き捨てた。

プロシュートは激情家に見えるが、彼ほど冷静であるメンバーはいないだろう。強力なスタンドを使い、取り乱すこともなく、己の仕事を遂行する。

元々、ポルポの右腕であるカラマーロに教育を受けたせいか、その思考は骨の髄までこちら側だ。

けれど、その時の言葉は確かにプロシュートの、心の底からの本音であると思った。どうしようもない、彼の柔い何かであると思った。

 

「くそみてえな肥だめの中で生きた。そっから引っ張り上げられたんだ。生きたいかと問うてきたあいつは、俺を生かした。善意も慈悲も俺達には存在しねえ。でもな、借りは返さなきゃならねえ。だがな、それさえもいらねえんだとよ。」

 

見開かれた青い目がリゾットを見る。

 

「わかるか?初めて、誰かに与えたいと願ったんだよ。初めて、そいつに何かしてやりたいと思ったんだよ。最悪の気分だ。そう願ったやつは結局、捧げたいと願う栄光さえもドブに捨てやがる。だから、何をしたって俺はあいつの怒りを手に入れる。引きずり倒してでも、あいつを生かして、殺さなきゃならねんだ。」

 

痛ましいと、そう一言吐けばいいのだろうか。

哀れみなど必要ない、少なくとも自分たちにとってはそうだった。けれど、けれど、それを痛ましいと思わなければそうだろう。

愛したいと願っても、それを突き放された子供がそこにいた。

けれどリゾットに哀れんでやる暇はない。そんなものは自分たちに必要ないのだろう。

そうして、彼女を早く回収しなくてはならない。

リゾットは本格的にプロシュートを戦闘不能にすることを覚悟する。その時だ。

彼らの頭の上で小さなラジコンのようなものが旋回した。

 

 

 

 

 

 

 

ぱちりと眼を覚ましたとき、自分の目の前に広がる天井にポルポはぼんやりと己のいる場所について考えた。

じっと見つめた後に、それが己の泊まっているホテルの一室であることを理解する。体を起こそうとするが、至る所に痛みが走る。一番は腹だろうか。ポルポは呻きながら起き上がり、自分がふかふかとした自分が泊まっている部屋のベッドと変わらない場所に寝かされていることを理解した。

ポルポはおもむろに自分の来ていたシャツを脱ぐ。そうして、肌着を捲れば体の至る所に、いっそグロテスクと言っていいほどの痣が浮かんでいた。

元より圧倒的に肉が足りず痣のできやすい体質だ。昔、護衛など殆ど連れられなかった立場の時は下っ端に絡まれることも多く生傷も絶えなかった。

 

(そういえば、こんな体でも襲ってきた人もいたなあ。)

 

のしかかられたときのことをぼんやりと思い出す。それも、ブラック・サバスにその象徴を潰されて泡を吹いていたが。

一瞬、リゾットたちに回収されたことも考えたが、そうはいっても気絶する前のことを考えればそれはないだろう。

成功していればとっくに日本は離れているだろうし、失敗していればここまで穏やかではないはずだ。

眠っていた自分への配慮か、部屋のカーテンは閉まっていた。

ポルポは痛む体を引きずって床に下りようとした。けれど、それよりも先にベッドの下からむくりと人影が浮かび上がってくる。

それはポルポが床に下りるのを止めるように肩に手を置いた。

 

「ブラック・サバス?」

 

掠れた声でそういえば、のっそりとしたそれが自分を見下ろしていた。彼は無機質な手でポルポを撫でた。

 

「・・・・どうなったの?」

「空条承太郎との抗戦は失敗。そのまま拘束となっている。また、リゾットとプロシュートに関してはクララ、虹村兄弟、東方と合流。お前が起きるまで待機となっている。また、石仮面も譲渡済み。」

「・・・・ああ。」

 

ポルポはブラック・サバスの報告で己の一時の激情で起こしたことに顔を伏せた。

愚かなことをした自覚はある。

空条承太郎、彼との戦闘など愚かさの極みでしかないはずだ。それでも、走り出してしまうような激情がポルポにはあった。

悪い子の末路なんて知っていて。それでもなお、叫ぶ言葉が自分にはあったのだ。

それでも愚かなことをしたという自覚はある。

 

(リゾットとプロシュート、クララは承太郎さんの手の中にある。なら・・・・)

 

思考を広げようとしたとき、こんこんとベッドルームの扉をノックする音がした。痛む体でそれを見た。誰かであることは理解して、ポルポはブラック・サバスを見る。それにブラック・サバスは察したのか頷いた。そうして、扉を開く。

 

「起きたな。」

「はい。」

 

鈍い動きで頷いたポルポの目線の先には、目が覚めるような偉丈夫がいた。

扉を開け、そうして閉じた男はゆっくりとポルポに近づいた。感情をあまり感じさせない、澄んだエメラルドグリーンの瞳がじっと自分を見ていた。

くすくすと、変わらずブラック・サバスの幼子のように甲高い笑い声が響いた。

 

「さて、話してもらうことがある。」

 

その声には怒りも、苛立ちも、焦りもない。努めて冷静なそれに、ポルポは己の敗北を理解した。

 

 

「てめえの部下は俺の手元にいる。」

「・・・・・それについては理解しています。危害を加えられていないことも。」

「わかるのか?」

「そうならば私のスタンドがもう少し騒いでいたでしょうから。」

 

伏し目がちなポルポの言葉に承太郎は影になった部屋の中をうろうろと動くスタンドを見た。

 

「・・・・ずいぶんと忠義に厚い部下がいるな。」

「それは?」

「てめえを回収した後、ひとまず医者に連れて行こうとしたんだがな。狼のようなスタンドを使っていた女が仗助を引きずって俺の前に現れた。」

 

ポルポはそれにクララが承太郎と交渉をするために唯一話の通じそうな東方仗助を引きずり込んだことを理解した。

自分の手前勝手な行動で事態を更に大きくしたことに頭を抱えたくなる。

 

「ほかの部下は?」

 

恐る恐る聞けば承太郎はまた深々とため息を吐いた。

 

「虹村兄弟が先に接触した。手がつけられなかったが。お前のスタンドの言葉で臨戦態勢は解いた。ひとまず、隣の部屋にいる。ここは俺が宿泊しているホテルだ。」

「申し訳ありません。」

 

ポルポは深々と頭を下げた。

 

「今のところ、特別なことはしていない。」

「私にあなたは何を望むのでしょうか。いえ、私が何者か、その他の情報を渡すことはできないのですが。以前、言ったとおり、二年後ならば可能です。」

 

ポルポは図々しいと理解しながらベッドサイドの椅子に座った承太郎を見た。勝手に怒り狂い、勝手に暴れ回った自覚は確かにあれど今、パッショーネに関しての情報を渡すわけにはいかない。

リゾットたちのことは気になるが、予想通り危害は加えられていないようだ。もしも、そんな予兆があればブラック・サバスが騒ぎ立てているだろう。

ポルポにできるのは彼の望みをできるだけ叶えることぐらいだろう。自分の身に対してもさほど危機感は覚えなかった。彼がもしも、自分を本当の意味で害するのならばわざわざこんな所に監禁せずにもっと適した場所や待遇というものがある。

今の自分の扱いは事実、過ぎたものだ。

 

「・・・・・いや、てめえの所属については今はいい。」

「それは?」

 

ポルポは意外なものを見るような目をした。それを察したのか、承太郎は深くため息を吐いた。

 

「聞かれたくないと言ったのはお前だろう。」

「それでも、そこまで引き下がるとは思いませんでしたので。」

 

おずおずとした彼女の態度に承太郎も同意したのかと軽く頷いた。

 

「確かに敵意を持ってきた相手の条件を素直にのむのはおかしいか?」

 

癖なのだろう、帽子を目深に被るような仕草をした。それはポルポにとって見慣れた、漫画の紙越しに見たとおりの光景だった。

 

 

 

 

 

 

「これから聞くことでお前をどうするか決める。」

 

それにポリプス、承太郎は知らないがポルポは理解したかのように頷いた。ベッドの周りをうろうろとしていたブラック・サバスは、まるで子供がじゃれつくようにポルポの腰にすり寄った。彼女は無意識のようにその頭に当たる部分を猫のように撫でた。

それをなんとなく承太郎は物珍しいものを見たような心地になる。

スタンド、それがどんなものか彼自身もわからない。けれど、ここまで自意識がはっきりとしている存在はそうそういない。

承太郎の関心ははひどく流暢に、そうして自我を持ったそれの振る舞いだ。今でさえも、己が主人の寵愛に甘んじる忠犬のように彼女の膝に頭を乗せている。

承太郎は気を取り直すように組んでいた足を組み替えた。

 

「お前とDIOとの関係を話せ。」

 

それにポルポは納得したように頷いた。そうして、申し訳なさそうな顔をした。

 

「申し訳ありません。私は、情報としてDIOという存在を知っていますが、実際に会ったことはないのです。」

「会ったことはない?」

「・・・彼の活動時、私は子供でした。彼のことを知っているのは、ひとえに調べたからです。」

 

承太郎もその言葉には一応納得する。女の容姿を見るに、さほど年かさはないようだ。姿を偽っている可能性もあるが、それはひとまず置いておく。

何よりも、己に怒りをあらわにする様はひどく、幼く、子供でありすぎた。

促すように視線を向ければポルポはぽつぽつと話し始めた。

 

「裏を探れば噂話程度は出てきました。唐突に現れた、スタンドという力。それを振るう、裏の存在。厭うて、どうにかして潰そうとしていた勢力はあったようですから。」

「それにしちゃあ、あいつに対して詳しいようだな。」

 

それにポルポは少し、迷うような仕草をした。何か、言いたげで、けれど戸惑うような仕草だ。それに承太郎は話を促すように顎をしゃくった。

それにポルポは諦めたように、視線を下に向けた。

 

「・・・・情報収集に長けたスタンド使いから情報を買いました。多くの国、人の記憶。私はそれから聞きました。その果てに、あなたたちと彼の因縁を知り。石仮面もその過程で知りました。」

 

その言葉に承太郎は納得する。DIOという存在を知っているものならばいただろう。ただ。彼女のもう一つの人格らしい存在が口にしたディオ・ブランドーという名前ならば別だ。

承太郎はそれを祖父やスピードワゴン財団にて知った。

DIOという存在が、人であったいつかの名前だ。おそらく、自分たち以外にその名前を知るものはいないだろう。

 

「スタンドという力の発現は、だいたい十数年ほど前から、それも唐突のことでした。根源がなんなのか、知りたいと思っても不思議ではないでしょう。」

「それにしちゃあ、やけにDIOに肩入れしていたな?」

 

承太郎の皮肉の混ざる言葉に女はきょとりとした。まるで、予想外の言葉を言われたかのように。そうして、困り果てたような、子供の語る奇想天外な与太話を聞いたかのような顔で彼女は笑った。

 

「ふふふふふ。いいえ、いいえ。私は、DIOにはさほど興味はありませんでした。どんな末路を辿るかは知りたかったけれど。ですが、人であることを捨てて怪物に逃げた彼に興味は無かったのです。私は、ただ。」

ディオ・ブランドーを知りたかった。

 

承太郎にはその意味がよくわからなかった。彼にとって、DIOとディオ・ブランドーとは地続きなのだ。己の先祖の体を奪った、けれど怪物に成り果てた敵だった。

ポルポは己の膝にいるブラック・サバスの腕やマントをきつく握って、見開かれた目で空虚を眺めた。そうして、承太郎が口を開く前に言葉を吐いた。

 

「同じではないんです。けして、ブランドーを捨てて、ジョースターを捨てて、ただのDIOになってしまった彼には興味は無いんです。私は、泥の中で同じように生きていたディオ・ブランドーを知りたかった。」

 

掠れた声の後、彼女はゆっくりと承太郎の方を見た。耳にかけていた髪がずれて、間から赤い瞳が見えた。その色に怪物を彷彿とさせた。けれど、ああ、やはりその瞳の中にあるのはどこまでも弱いものの色だった。

弱い、今にも崩れ落ちて、掠れて消えてしまいそうな女がそこにいるだけだった。

 

(だが、何故だ。)

 

承太郎がその女に、怪物の何かを見いだしているのもまた事実だった。

 

「てめえの何が、あいつへの興味を駆り立てる?」

「・・・・空条承太郎。あなたは、性善説と性悪説、どちらを信じていますか?」

「どちらも信じてねえな。根っからの悪党も、根っから善人も同じように存在する。どちらでもない奴もな。」

「私は、善性であるか、悪性であるかを決めるのはどう育ったかによると思っています。誰かのなした善行も、悪行もそんな存在だからなしたのだというのは、あまりにも無責任すぎる。」

 

無責任という、どこか話に合わない単語を承太郎は不思議に思った。間違い探しを音でさせられているような感覚だった。

無責任と、反復するように言葉を紡げばポルポはこくりと頷いた。

 

「だってそうじゃないですか。誰かのなした愛も、誰かのなした罪さえも、ただそれを行うだけの性質を持っていただけでしかないのなら。ただ、そんな性質を持っただけの人間に出会っただけでしかないのなら。歯を食いしばった勇気も、覚悟を持った滅びさえも、悉く無意味に思えてしまうでしょう。」

 

だから、と女は数度言葉を続けた。

 

だから、私は知りたかった。ディオ・ブランドーというそれは、もしも生まれる場所も、親も違えば、彼なりの善意を持って生きたのだろうかと。

 

見開かれた目で女はとうとうとそんなことを語った。まるで、悪魔でも憑かれたかのように、憎悪を含ませて、子供が意味のわからない歌を歌うかのようにでたらめに聞こえる。

言葉を紡いだ後、女は憑きものが取れたかのような顔をした。それに、女の膝の上で丸まっていたスタンドが起き上がり、ポルポを抱きしめる。己の頬にすり寄るスタンドのことなど気にせずにポルポは承太郎を見た。

 

「私がディオ・ブランドーに興味を持った理由は、それだけです。ただ、それだけ。怪物に成り果てた悪党も、善性がために愛しい人を置いていった紳士も、遠いいつかの子供たちだったはずだから。」

 

承太郎は、何を言えばいいのかわからなかった。

承太郎はDIOという怪物のなした悪徳を知っている。

彼の奪ったものも、積み上げた罪も、知りもしない罰さえもあったはずだ。

それ故に、承太郎はポルポの言葉を上手く咀嚼することができなかった。

不幸であったから、奪われたから、なにも持たなかったから、それでは赦されないことがあるはずだ。そんなものは、奪われた者には関係が無い。

承太郎は理解する。その女の悲しげな、赤い瞳。

かの怪物と同じ、けれどまったく違うその瞳にはディオ・ブランドーへの哀れみがあった。

理解する、目の前の女はあの化け物を哀れんでいるのだ、悲しんでいるのだ。

理解など、できなかった。

哀れみなど、向けられる理由など無いはずだ。罪を犯したのだ、散々に奪い尽くしたのだ。

承太郎の知るDIOが知ればそれは怒り狂うことだろう。

たかだか人に哀れまれることを。きっと、それはあの怪物が一番に嫌うことだろう。

笑いそうにさえなった。あの怪物は、こんなにも弱くて、暗い目をした女に哀れまれているのだから。

 

「だったらなんだ。哀れな子供だったとして、あいつのしたことに変わりはねえ。」

「そうでしょう。親に捨てられた子供を知っています。その子供は、この世の全てが敵だというように私を見ます。愛も、友情もないというように。私は、それを見ていると泣きたくて、せめて抱きしめてあげたくなる。ディオ・ブランドーはそんな彼らと同じような目をしていたのでしょう。愛も、友情も、知ったとまねごとだけをして。」

 

ポルポはゆっくりと目を瞬かせた。ゆっくりと、夢を見るようにぼんやりとした目をした。

 

「罪を犯した怪物は奪い尽くしたものを返して滅んだとしても。それでも、いつか、社会というもののしわ寄せを受けた子供への哀れみは存在してもいいでしょう。どうしようもなかった子供たちへの、哀れみぐらい。」

「弱さも、愚かさも、赦しにはならねえぞ。」

「知っています。赦して欲しいんじゃないんです。天国には行けないなんて知っていて。ただ、誰かに知って欲しいんです。理由もない悪意があったとしても、誰にも救われずに、星を知らずに、暗闇に放られた誰かがいることを。正義の味方が訪れなかった、何者で無かったものがいることを。巨悪の始まりが、どれほどつまらないか。八つ当たりなんて知っていて。それでも、誰かに。よくある不幸と不運で傷ついた、悪党に成り果てる子供の血と傷を知っていて欲しい。」

 

女は胸の前で手を組んだ。神に祈るように、けれど憤怒を握りつぶすように手を組んだ。

 

「わかっているんです。例え、汚泥の中で生きたとしても、ディオ・ブランドーではなくて、ロバート・スピードワゴンにならねばならなかったのだと。私は、星を知っていても、星を見たことはなかった。ええ、そうです。私の夜に、星はいない。だから、せめて。恵まれなかっただけの誰かが星を見つけるそれまでは、足下を照らしてあげたかった。」

 

意味がわからなかった。やはり、その女の言葉はわからなかった。

ディオ・ブランドーとスピードワゴンの名に女が何を見いだしているのか。何を、そんなにも祈るように思っているのか。

分かりはしなかった。

けれど、それでも。

その女が、例えDIOであろうと、遠いいつかの子供への哀れみに苦しむ様を見ていると。

弱い誰かの幸福を願っている様を見ていると。

何故か、母を思い出す。

空条承太郎にとって、優しい誰かを思い出す。

くんと、どこからか遠い昔に夕暮れ時に嗅いだ何かの料理の匂いが有る気がした。それはきっと錯覚だ。

けれど、承太郎は思う。それはまるで夕暮れのようだった。

朝日のように輝かしいわけではない、夜のように沈黙と暗がりもない。

それはまるで今にも終わってしまいそうな夕暮れのような人間だった。

 

(悪とは、己のために弱者を利用する人間だ。)

 

一度、自分が吐き捨てた言葉を思い出す。

わかるのだ、ああ、そうだ。

その女の言葉がどれほどまでに理解が及ばずとも、秘密をどれほどまでに孕んでいようとも。

その女は、確かに、誰かの幸せを祈っていたのだ。

承太郎にとって理解の及ばない思考だとしても、それでも女は弱い誰かの幸福を祈っていた。

悪ではないのだ。罪を背負い、いつか罰が下るのだとしても。

女は確かに悪でなかった。されども、正しくさえもない。どちらにもなれない、何物でも無い、女。

女は承太郎を見ていた。

恐れも、悲しみも何もなく。じっと、承太郎を見ていた。

 

「・・・・私が言えるのは、それだけです。ただ、それだけです。あなたにあんなにも無礼なことをしてしまったのは、なんだかたまらなくやるせなくて。例え、どんなに選択を間違えてしまっても。それを間違いだと教わらなかった、己の救い方さえも知らなかった子供の罪は、子供だけのものだろうかと。そう、やるせなくて、空しかったのです。確かに、虹村形兆は私だったので。」

「ポリプス。」

「はい。」

 

承太郎は大きくため息を吐いた。

 

「てめえの提案には乗ってやる。」

 

承太郎の言葉にポリプスは、はいと頷いた。そうして不思議そうに言った。

 

「私としてはありがたいことです。ですが、よろしいのでしょうか。」

「・・・・代価はもらっている。それに、気が変わった。」

 

承太郎は腹を決めた。その、守るべき者ではない、共に戦う友ではない、さりとて明確な敵ではない。

ただ、ただ、何かに追い立てられるように怯えるだけの女。そうして、何かを知るらしいスタンド。

不確定要素は多くある。ただ、下手に触らない方が賢明だろうという思考もあった。

女がこれ以上持っていそうな情報も欲しかった。そうして、スタンドの吐いた言葉もまた気になっていた。目の前の女に何かしたとしても、スタンドの持つらしい情報が出てくるとは思えない。

そうして、それと同時に思いもしたのだ。

きっと、この女はいつかに誰かのために死ぬのだろう。己のためではなく、ただ、ただ、彼女にとって哀れみに等しい誰かのために死ぬのだろう。

それを殺してはいけない気がした。もしも、女を殺したその時、承太郎にとって積み上げた何かが崩れる気がした。

 

「けして、約束は違えるな。失望させるなよ。」

 

そういった承太郎はもう少しだけ、それを見極めるために彼女のことをじっと見た。

 

 

 

 

 




現在、ものすごく忙しいのでまた間が開くかもしれません。

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